2026/05/12 - 2026/05/28
133位(同エリア137件中)
クリスさん
2026年のスペイン旅行はバレンシア往復で、アラゴン、カステリア・ラマンチャ、カステリア・イ・レオンのセゴビア県、エストレマドーラ、アンダルシア、ムルシア州の3000km近くを車で巡る周遊旅行となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月13日ホテルの隣のレンタカー会社でレンタルした車はJeep社のALTITUDE e-Hybrid。予約時はトヨタの燃費を考慮してCH-Rを指定したのですが上手くいきませんでした。スペインのレンタカー事情としてEVはあまり人気がないようですが市内への乗り入れ等ではEV、e-Hybridは優先指定があるのでこの種の車にする方が良いようです。
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車を運転して最初の訪問地となったバレンシア州コルドバ県のアデムス(Ademuz)。街の入口近く、車を止めたこの教会の駐車場は、山上のお城から下に延びている旧市街区の底辺に位置しています。
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日本名にすると果樹園の聖母の庵(Ermita de Nuestra Señora de la Huerta)。街で最古の建物であり、またバレンシア州で最も見る価値のあるロマネスク系教会と言われています。
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建築は14世紀。一般的にはゴシックの時代に切り分けされますが、この教会はそれ以前の建築工法のまま建設されました。現在内部は開放されていませんので行事等でないと見ることはできません。
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外観の特徴としては、2本の太いトスカーナ式円柱(ドーリア式をさらに簡素化したもの)に支えられたポーチ、2連の鐘楼。
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レリーフ彫刻等の装飾は一切見ることができません。
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スペイン語で果樹園意味する「デ・ラ・ウエルタ」は、かつてこの隠遁所を取り囲んでいた農業景観との密接な繋がりを物語っています。トゥリア渓谷の肥沃な土地に隣接するこの隠遁所「エルミタ」は、もともと農村地帯に溶け込んでおり、その歴史的背景は、地域社会における隠遁所の役割と重要性を理解する上で今もなお重要な手がかりとなっています。
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20世紀に周辺の道路環境の整備とともに街道沿いにあったこの教会は周辺環境が一変して周辺に住宅が立ち並ぶようになりました。側面は隣の家との関係で狭い通路の中での撮影なのでこのような風景しか撮れませんでした。
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正面扉口には詩篇5篇8節のヘブライ語の碑文が刻まれたロマネスク様式の出入り口が挙げられています。
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Ermitaは庵、隠遁所と訳しますが、本来は隠者の庵から発展した物を示します。ここは最初からエルミタという名で建てられた物であるというのも特徴のひとつです。
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セリ元となるインポストも単純なつくりです。左側には微かにレリーフが入っています。
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12時を過ぎていたので、休憩できるような店がないかと、駐車場から少し街の中に入ってみました。
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歩き始めてみましたが、急な坂で近くの店はお休みの様子で開いてなかったので諦めました。あまり人がいないというのも過疎に悩むこの地方の特徴です。Ademuzの町名を描いたアズレホ壁画、バレンシア州の紋章と周辺風景が色鮮やかなアズレホ(装飾タイル)で描かれていますが、これを記念に撮影して次の場所に向かいます。
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次にやって来たのはアラゴン州テルエル県のアルバラシンの村。アデムスはバレンシア州の飛び地なのでテルエル県の県都テルエルは30分ほどの距離です。時間があればテルエルも見学したかったのですが時間の関係で直接来てしまいました。到着は午後2時前なのでアーリーチェックインになります。
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ホテル・ドニャ・ブランカ(Hotel Doña Blanca)。村の南外れにドニャ・ブランカの塔(Torre de Doña Blanca)という塔があるのですが、その塔の名前の由来となった王女の名前だそうです。悲劇の物語があるそうですが、遠いのでその塔まで見学には行きませんでした。
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少し狭い室内ですが、このホテルはレンタカー利用の場合専用の無料駐車場があり、車両制限地域にも該当しないので他のホテルが有料、移動に制約がない、狭い道を心配しなくてすむといった理由で利用しました。
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洗面所。
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バスタブがついているのも嬉しいですね。
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バルコニーもあります。遠くに城壁も見えます。
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チェックイン後は旧市街に向かいますが、その前にメソン・デル・ガージョ(Mesón Del Gallo)というお店で昼食。ここはレストラン兼ねたホテルです。
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頼んだのはスペインでは定番のコロッケです。
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アルバラシン(Albarrcin)はアラゴン州テルエル県の人口1,000人程の村。スペインの最も美しい村協会に加盟しています。鉄器時代からケルト人、ローマ人、西ゴートとの関わりの歴史があります。
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イスラム支配の時代にベルベル人の一族アル=バヌ=ラジンが支配する独立タイファとして発展しました。アルバラシンの名前もこの一族から来ています。
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1169年頃にナバーラ系のアスアグラ家が入り、イスラム都市の上に独立したキリスト教領主国を築きました。これはナバーラ系のアスアグラ家がイスラム教徒の都市を支配した形ですので村民はイスラム教徒のままキリスト教領主の支配を受けた事になります。アラブ色が強いのもそのためでう。そして1284年にアラゴン王国へ吸収され独立国家としての歴史は終わります。
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写真には大聖堂の塔が見えていますが、正式名称アルバラシン救世主大聖堂(Catedral del Salvador de Albarracín)と呼ばれるこの教会は、レコンキスタ後に成立した初期教会を起源とし、ゴシック期の再編を経て、近世の改修によりバロック的な表情を持つ現在の姿となっています。
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こちらは大聖堂前のバルコニーから眺めた景色。バルコニーは大聖堂展望台(Mirador Catedral, Albarracín)と呼ばれています。
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遠くに見える城壁は、山の稜線に沿って巡らされ、まるで岩山そのものが防壁となったかのように町を囲んでいます。
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城壁は12世紀のイスラム支配期に起源を持ち、ロマネスク期と同時代の中世都市防御として築かれた後、レコンキスタ後に改修されています。
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大聖堂の塔はゴシック期の改修によって整えられたもので、元来は防御機能を兼ねた中世都市の監視塔的性格を持ちつつ後世の補修を経て現在の姿に至っています。
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大聖堂の見学は4:30からのガイドツアーを日本にいる時に予約していました。事前に15分前には来てくださいといわれていたので、この関係でテルエルの見学は諦めました。
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主祭壇はバロック期に整えられ、聖堂の中で最も目を引く中心として作られています。
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主祭壇には、聖堂の守護聖人であるキリスト=サルバドールが描かれ、空間の中心として信仰の象徴を示しています。
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聖ヨハネ礼拝堂(Capilla de San Juan Bautista)のフレスコ画と洗礼盤。洗礼盤はロマネスクを思わせる物で、フレスコ画は聖人の物語を通して聖堂内部に宗教的な奥行きを与えています。
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聖歌隊席。
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聖歌隊席は空間的に区切られており、聖堂内部に秩序と儀式の流れを生み出す役割を担っています。
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大聖堂の見学を終えて街歩きをしてみます。
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街の上に聳えるアルバラシン城(Castillo de Albarracín)。昔はラシン族のアルカサバでした。村の一番高い位置にありますので上までは登りませんでした。
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アルバラシン役場(Ayuntamiento de Albarracín)。アルバラシンは内戦後も山間の小さな町として停滞し、産業化から取り残されて人口流出が続きました。都市としての発展は止まり、歴史的な街並みだけが静かに残される形となりました。20世紀後半以降、歴史的景観の保存と修復が進み、「スペインの最も美しい村協会」への加盟を通じて観光地としての評価が高まりました。あわせて空き家の活用や移住促進などの取り組みも行われ、観光と定住の両面から地域の再生が図られています。
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役場まで戻り大聖堂とは反対の方向に進みます。
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写真はフリアネタの家(Casa de la Julianeta)。中世の迷宮のような街並みと、赤茶色の伝統的な家屋がそのまま残る美しい旧市街の中にある14世紀に建てられた伝統的な木組みと石膏の民家です。
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写真はホテル アルバラシン(Hotel Albarracín)。村の北にある中世の雰囲気を残す伝統的な建物が魅力のホテルです。
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この辺からは北に延びる城壁の一部が見えます。
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街歩きを終えてホテルに戻り、この後は近くのスーパーで夕食を買い部屋で過ごしましたので今回の旅行記はこれで終了です。
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