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毛利家7代藩主毛利重就が隠居所として増築した三田尻御茶屋(英霊荘)の続きです。<br />今回の旅行記では三田尻御茶屋の庭園を中心に紹介します。防府毛利邸の毛利庭園には規模で劣りますが、小規模ながらなかなかいい庭だと思いました。<br /><br />

明治維新胎動の地山口17毛利家7代藩主毛利重就がこよなく愛した三田尻(防府市)を訪ねて2

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2025/09/26 - 2025/09/26

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2025/09/26

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毛利家7代藩主毛利重就が隠居所として増築した三田尻御茶屋(英霊荘)の続きです。
今回の旅行記では三田尻御茶屋の庭園を中心に紹介します。防府毛利邸の毛利庭園には規模で劣りますが、小規模ながらなかなかいい庭だと思いました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 庭園には大観楼棟1階の板間の廊下から降りることができる。<br />廊下の端に下駄箱があり、そこに置かれている履物を履いて庭を散策してみよう。<br />縁側から庭に向かって大きな縁石が連なり、庭に向かう道になっていた。

    庭園には大観楼棟1階の板間の廊下から降りることができる。
    廊下の端に下駄箱があり、そこに置かれている履物を履いて庭を散策してみよう。
    縁側から庭に向かって大きな縁石が連なり、庭に向かう道になっていた。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 縁先の水琴窟。<br />平成8年に始まった修復保存工事の過程で敷地内から水琴窟が発見された。現在は復元されて大観楼棟廊下脇に設置されている。<br />手水鉢の水が甕にしたたり落ちると、水滴が甕に反響して音を奏でる仕組みである。<br />

    縁先の水琴窟。
    平成8年に始まった修復保存工事の過程で敷地内から水琴窟が発見された。現在は復元されて大観楼棟廊下脇に設置されている。
    手水鉢の水が甕にしたたり落ちると、水滴が甕に反響して音を奏でる仕組みである。

  • 水琴窟は手水鉢の下に設置されている。

    水琴窟は手水鉢の下に設置されている。

  • 水琴窟の説明

    水琴窟の説明

  • 三田尻御茶屋の庭園の作庭時期は天明年間と考えられている。<br />大正時代に手が加えられたが、発掘調査の成果を基に江戸時代の状況に復元整備された。<br />庭は大名庭園に多い池泉回遊式庭園。灯篭や築山を取り込んだ日本庭園である。<br />庭園で一番景観が素晴らしいのがこの場所だと思う。

    三田尻御茶屋の庭園の作庭時期は天明年間と考えられている。
    大正時代に手が加えられたが、発掘調査の成果を基に江戸時代の状況に復元整備された。
    庭は大名庭園に多い池泉回遊式庭園。灯篭や築山を取り込んだ日本庭園である。
    庭園で一番景観が素晴らしいのがこの場所だと思う。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 修復工事前の庭園は回遊式でありながら水は流れていなかったらしい。<br />平成8年から始まった修復保存工事を経て江戸時代の庭園に蘇った。

    修復工事前の庭園は回遊式でありながら水は流れていなかったらしい。
    平成8年から始まった修復保存工事を経て江戸時代の庭園に蘇った。

  • 庭園は築山、灯篭、石橋、屈曲して流れる川や池等、規模は小さい乍も様々な景色を見せてくれる。

    庭園は築山、灯篭、石橋、屈曲して流れる川や池等、規模は小さい乍も様々な景色を見せてくれる。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 庭園の灯篭部分のアップ

    庭園の灯篭部分のアップ

  • 大観楼の正面に作庭されているのが灯篭と築山を配したこの景色。<br />ここが庭園の中心となる部分なのだと思わせてくれる。

    大観楼の正面に作庭されているのが灯篭と築山を配したこの景色。
    ここが庭園の中心となる部分なのだと思わせてくれる。

  • 築山側から見た英雲荘大観楼棟と庭の景色。<br />中央の大観楼棟の左の建物は明治時代に建てられた奥座敷棟。敷地の西に単独で建てられていた棟を明治31年(1898年)に移築して、現在のように大観楼棟に接続した。<br />大観楼棟右の建物は大正初期に建てられた玄関棟で、いそれまで南向きであった玄関を東向きに変えて建てられた。

    築山側から見た英雲荘大観楼棟と庭の景色。
    中央の大観楼棟の左の建物は明治時代に建てられた奥座敷棟。敷地の西に単独で建てられていた棟を明治31年(1898年)に移築して、現在のように大観楼棟に接続した。
    大観楼棟右の建物は大正初期に建てられた玄関棟で、いそれまで南向きであった玄関を東向きに変えて建てられた。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 庭から見る大観楼棟の景色。<br />池の北側は静で南側は動のように感じる。

    庭から見る大観楼棟の景色。
    池の北側は静で南側は動のように感じる。

  • 英雲荘(三田尻御茶屋)と庭園の風景<br />中央の檜皮葺の部分が江戸時代の建物である大観楼棟。大観楼棟の屋根は明治以降平成8年の修復保存修理まで瓦葺だったが、今回の修復保存工事で江戸時代の檜皮葺に葺き替えられた。

    英雲荘(三田尻御茶屋)と庭園の風景
    中央の檜皮葺の部分が江戸時代の建物である大観楼棟。大観楼棟の屋根は明治以降平成8年の修復保存修理まで瓦葺だったが、今回の修復保存工事で江戸時代の檜皮葺に葺き替えられた。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 英雲荘と庭園の風景

    英雲荘と庭園の風景

  • 庭の築山から眺めた庭園と建物の景色。<br />写真左端のこんもりした木の先に建物が見えるので行ってみよう。

    庭の築山から眺めた庭園と建物の景色。
    写真左端のこんもりした木の先に建物が見えるので行ってみよう。

  • 石橋を渡って敷石を辿って行くと・・・。

    石橋を渡って敷石を辿って行くと・・・。

  • 木の陰に建物が見えて来た。

    木の陰に建物が見えて来た。

  • この建物は「花月楼」と言う茶室。<br />花月楼は天明6年(1786年)に7代藩主毛利重就が関わり周防国分寺(防府市)に建てられ、明治21年(1888年)に移築されたものである。<br />ところが「花月楼」と言う茶室は三田尻茶屋の他にもう一か所ある。その場所は萩市の松陰神社の敷地内。<br />しかもこの2つの「花月楼」という茶室は、どちらも7代藩主毛利重就が関わっているのだ。<br />実は松陰神社の「花月楼」は江戸時代三田尻御茶屋にあった花月楼である。<br />三田尻御茶屋には安永5年(1776年)7代藩主毛利重就が建てた「花月楼」と言う茶室があった。<br />この茶室は江戸千家の開祖川上不白から献上された指図(設計図)に基づき毛利重就が建てたものである。<br />川上不白は重就の茶事の師であり茶事七事式を定めた時に力を尽くした人物で、茶室「花月楼」は茶事七事式を行うために建てられた茶室と言う。<br />また茶室の名は七事式の一つ「花月」にちなみ名付けられた。<br />毛利重就が亡くなると、三田尻御茶屋の一部は解体・移築されたが、花月楼は重就に寵愛された茶人竹田休和がもらい受け、文化2年(1805年)に萩市平安古の休和の屋敷に移された。<br />ところが明治の廃藩置県で竹田家は扶持を失い花月楼は荒廃してしまった。<br />これを見かねた品川弥次郎が重就ゆかりの花月楼の保存を思い立ち自分の旧宅に移築した。<br />そして松陰没後100年目の昭和34年(1959年)に松陰神社の境内に移された。<br />一方周防国分寺の「花月楼」は廃仏毀釈の混乱で国分寺の規模が大幅に縮小された為、明治時代に三田尻御茶屋に移築されて現在に至る。

    この建物は「花月楼」と言う茶室。
    花月楼は天明6年(1786年)に7代藩主毛利重就が関わり周防国分寺(防府市)に建てられ、明治21年(1888年)に移築されたものである。
    ところが「花月楼」と言う茶室は三田尻茶屋の他にもう一か所ある。その場所は萩市の松陰神社の敷地内。
    しかもこの2つの「花月楼」という茶室は、どちらも7代藩主毛利重就が関わっているのだ。
    実は松陰神社の「花月楼」は江戸時代三田尻御茶屋にあった花月楼である。
    三田尻御茶屋には安永5年(1776年)7代藩主毛利重就が建てた「花月楼」と言う茶室があった。
    この茶室は江戸千家の開祖川上不白から献上された指図(設計図)に基づき毛利重就が建てたものである。
    川上不白は重就の茶事の師であり茶事七事式を定めた時に力を尽くした人物で、茶室「花月楼」は茶事七事式を行うために建てられた茶室と言う。
    また茶室の名は七事式の一つ「花月」にちなみ名付けられた。
    毛利重就が亡くなると、三田尻御茶屋の一部は解体・移築されたが、花月楼は重就に寵愛された茶人竹田休和がもらい受け、文化2年(1805年)に萩市平安古の休和の屋敷に移された。
    ところが明治の廃藩置県で竹田家は扶持を失い花月楼は荒廃してしまった。
    これを見かねた品川弥次郎が重就ゆかりの花月楼の保存を思い立ち自分の旧宅に移築した。
    そして松陰没後100年目の昭和34年(1959年)に松陰神社の境内に移された。
    一方周防国分寺の「花月楼」は廃仏毀釈の混乱で国分寺の規模が大幅に縮小された為、明治時代に三田尻御茶屋に移築されて現在に至る。

  • では花月楼を見に行きましょう。

    では花月楼を見に行きましょう。

  • これは大観楼棟2階から写した「花月楼」の写真。

    これは大観楼棟2階から写した「花月楼」の写真。

  • 同じく大観楼棟から花月楼をアップで写した写真。

    同じく大観楼棟から花月楼をアップで写した写真。

  • 庭園の南西にある茶室「花月楼」。

    庭園の南西にある茶室「花月楼」。

  • 花月楼の東側入口。<br />花月楼は普通の茶室に比べて畳の間がとても広い造りである。八畳の間を中心に四畳の上段や床の間、棚、付け書院等武家屋敷の書院としての特徴を持つ。<br />南側に躙り口があるが、敷石や座敷の上がり口は東側に設けてあるので、東側が客の入り口なのであろう。

    花月楼の東側入口。
    花月楼は普通の茶室に比べて畳の間がとても広い造りである。八畳の間を中心に四畳の上段や床の間、棚、付け書院等武家屋敷の書院としての特徴を持つ。
    南側に躙り口があるが、敷石や座敷の上がり口は東側に設けてあるので、東側が客の入り口なのであろう。

  • 花月楼の説明

    花月楼の説明

  • 茶室内には入れないが、入口の窓ガラスから中の様子は伺える。<br />中央は茶室の主体となる八畳の間。その奥が四畳の上段の間が見える。

    茶室内には入れないが、入口の窓ガラスから中の様子は伺える。
    中央は茶室の主体となる八畳の間。その奥が四畳の上段の間が見える。

  • 南側から見た八畳の間。

    南側から見た八畳の間。

  • 敷石に導かれて躙り口がある南側へ行ってみる。

    敷石に導かれて躙り口がある南側へ行ってみる。

  • 花月荘から見た英雲荘。<br />この角度からだと木が邪魔して英雲荘の全景は見れない。

    花月荘から見た英雲荘。
    この角度からだと木が邪魔して英雲荘の全景は見れない。

  • 花月荘の南側に設けられた躙り口。<br />丸い大きな敷石の正面に躙り口が見える。

    花月荘の南側に設けられた躙り口。
    丸い大きな敷石の正面に躙り口が見える。

  • 花月荘南側には躙り口があるのだが、どう見ても段差の敷石がる東側の方が正式な入口のように思えてしまう。

    花月荘南側には躙り口があるのだが、どう見ても段差の敷石がる東側の方が正式な入口のように思えてしまう。

  • こちらは花月荘の北側。

    こちらは花月荘の北側。

  • 花月荘から見た英雲荘の姿も美しい。

    花月荘から見た英雲荘の姿も美しい。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 手前の奥座敷棟と奥の大観楼棟。

    手前の奥座敷棟と奥の大観楼棟。

  • 次は池の周りを廻りましょう。

    次は池の周りを廻りましょう。

  • 手前の岩は手水鉢のようにも見える。

    手前の岩は手水鉢のようにも見える。

  • そこからの池と庭園、英霊荘の姿がなかなか良い。

    そこからの池と庭園、英霊荘の姿がなかなか良い。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 次は庭園の一番南側に設えた築山の周辺を歩いてみた。<br />築山のすぐ側にも回遊式の池?それとも川?が造られていて、ぐるりと築山を巡って花月荘の方に流れて行く。<br />その先は何処に行くのかな?

    次は庭園の一番南側に設えた築山の周辺を歩いてみた。
    築山のすぐ側にも回遊式の池?それとも川?が造られていて、ぐるりと築山を巡って花月荘の方に流れて行く。
    その先は何処に行くのかな?

  • 庭園に流れる水は池を一周して築山の側を蛇行しながら隣の築山の周囲を回って花月荘の方に流れて行くのだ。<br />見ているとなかなか面白い。

    庭園に流れる水は池を一周して築山の側を蛇行しながら隣の築山の周囲を回って花月荘の方に流れて行くのだ。
    見ているとなかなか面白い。

  • 築山周辺の景色。

    築山周辺の景色。

  • 築山周辺の景色。

    築山周辺の景色。

  • 英雲荘(三田尻御茶屋)は向かい側の築山から見た姿が一番美しいように思われる。

    英雲荘(三田尻御茶屋)は向かい側の築山から見た姿が一番美しいように思われる。

  • 築山からカメラのファインダーを覗くと建物と庭園の中心部が入り込む。

    築山からカメラのファインダーを覗くと建物と庭園の中心部が入り込む。

  • 大観楼棟と御茶屋の庭園。

    大観楼棟と御茶屋の庭園。

  • 別の角度からの英雲荘と庭園の景色。

    別の角度からの英雲荘と庭園の景色。

  • 最後に庭園の中心にある池と浮島の景色を眺めて再び英雲の中へ。

    最後に庭園の中心にある池と浮島の景色を眺めて再び英雲の中へ。

  • まだ見ていない英雲荘の中を見て回る事にする。<br />ここは玄関棟と大観楼棟、台所棟に挟まれた中庭?それとも坪庭?かな。<br />五葉松が植えてあった。<br />

    まだ見ていない英雲荘の中を見て回る事にする。
    ここは玄関棟と大観楼棟、台所棟に挟まれた中庭?それとも坪庭?かな。
    五葉松が植えてあった。

  • 大観楼棟の杉戸を次々に見て行く。<br />大観楼棟の縁側は畳敷の廊下だった。

    大観楼棟の杉戸を次々に見て行く。
    大観楼棟の縁側は畳敷の廊下だった。

  • 杉戸は裏表に文字が書かれているのだが、何と書かれているのか私には読めない。<br />読める漢字は風と梅花だけ、後は分からない。

    杉戸は裏表に文字が書かれているのだが、何と書かれているのか私には読めない。
    読める漢字は風と梅花だけ、後は分からない。

  • 畳敷きの縁側の先に見えたのは丸窓。<br />半月以上開いた窓からはに庭の景色が見えるはず。

    畳敷きの縁側の先に見えたのは丸窓。
    半月以上開いた窓からはに庭の景色が見えるはず。

  • 丸窓からはこの様な庭の景色が見えた。

    丸窓からはこの様な庭の景色が見えた。

  • 大観楼棟書院の透かし欄間。

    大観楼棟書院の透かし欄間。

  • 書院の釘隠は毛利家の家紋「沢潟」。

    書院の釘隠は毛利家の家紋「沢潟」。

  • 奥座敷棟の奥(北側)の8畳間の部屋。<br />板間の廊下を奥に進むと土蔵に通じ、右奥に進むと台所棟に通じている。<br />奥座敷の各部屋は毛利家の生活空間として使われていた。

    奥座敷棟の奥(北側)の8畳間の部屋。
    板間の廊下を奥に進むと土蔵に通じ、右奥に進むと台所棟に通じている。
    奥座敷の各部屋は毛利家の生活空間として使われていた。

    三田尻御茶屋 名所・史跡

  • 正面奥座敷棟奥の間と左が大観楼棟の書院の間。

    正面奥座敷棟奥の間と左が大観楼棟の書院の間。

  • 上記に同じ配置の建物。<br />正面奥座敷奥の間の右手に土蔵がある。

    上記に同じ配置の建物。
    正面奥座敷奥の間の右手に土蔵がある。

  • 左が奥座敷棟奥の間。写真奥の白壁の建物が土蔵である。

    左が奥座敷棟奥の間。写真奥の白壁の建物が土蔵である。

  • 同じ場所を角度を変えて写した写真。

    同じ場所を角度を変えて写した写真。

  • 廊下を渡って台所棟に入る。一番奥の広い部屋が台所で、その手前に2間続きの女中部屋があった。<br />女中部屋は公開されていないので入室禁止。

    廊下を渡って台所棟に入る。一番奥の広い部屋が台所で、その手前に2間続きの女中部屋があった。
    女中部屋は公開されていないので入室禁止。

  • 台所の天井。<br />高い天井で、立派な梁が使用されていた。

    台所の天井。
    高い天井で、立派な梁が使用されていた。

  • 以上で各部屋を回り終えた。<br />最後に玄関棟で目を引いたのが「防府を愛した毛利重就」という掲示。

    以上で各部屋を回り終えた。
    最後に玄関棟で目を引いたのが「防府を愛した毛利重就」という掲示。

  • 防府と毛利重就のかかわりが簡単に紹介されていた。<br />重就は防府の三田尻を隠居所と定めて、御茶屋を大々的に改修して三田尻御殿(三田尻御茶屋)に移り住んだ。<br />しかし藩主時代から三田尻(防府市)が事の他お気に入りで、再三三田尻で狩りを行っている。<br />塩田の開発や干拓による新田開発は防府を中心に行なわれ、現在それらの関連の名前が地名として残っている。<br />防府市は重就の政策で面積を大きく伸ばした。瀬戸内海沿いの塩田の跡地は現在大企業の工場となり防府市の発展に大きく寄与した。<br />

    防府と毛利重就のかかわりが簡単に紹介されていた。
    重就は防府の三田尻を隠居所と定めて、御茶屋を大々的に改修して三田尻御殿(三田尻御茶屋)に移り住んだ。
    しかし藩主時代から三田尻(防府市)が事の他お気に入りで、再三三田尻で狩りを行っている。
    塩田の開発や干拓による新田開発は防府を中心に行なわれ、現在それらの関連の名前が地名として残っている。
    防府市は重就の政策で面積を大きく伸ばした。瀬戸内海沿いの塩田の跡地は現在大企業の工場となり防府市の発展に大きく寄与した。

  • 重就が関わった建物等の写真。<br />毛利重就像は防府天満宮の天神山にある。<br />周防国分寺は茶室花月荘を造った所である。英雲荘は重就の隠居所。<br />塩田は重就が手掛けた殖産興業(防長三白政策、四白政策)の一つ。三田尻沖には広大な塩田が造られた。<br />大楽寺の梵鐘は御船蔵の梵鐘である。この梵鐘が作られる時、重就が工房を訪れて作られる工程を見学している。

    重就が関わった建物等の写真。
    毛利重就像は防府天満宮の天神山にある。
    周防国分寺は茶室花月荘を造った所である。英雲荘は重就の隠居所。
    塩田は重就が手掛けた殖産興業(防長三白政策、四白政策)の一つ。三田尻沖には広大な塩田が造られた。
    大楽寺の梵鐘は御船蔵の梵鐘である。この梵鐘が作られる時、重就が工房を訪れて作られる工程を見学している。

  • 以上英雲荘の見学を終了。これから萩往還を通って野村望東尼終焉の地を訪ねてみたい。

    以上英雲荘の見学を終了。これから萩往還を通って野村望東尼終焉の地を訪ねてみたい。

  • ここは防府市三田尻にある萩往還。道路の向こう側が英雲荘である。<br />野村望東尼終焉の地は萩往還沿いにある。<br />萩往還の道幅は4メートル。江戸時代としてはかなり幅広の道だった。

    ここは防府市三田尻にある萩往還。道路の向こう側が英雲荘である。
    野村望東尼終焉の地は萩往還沿いにある。
    萩往還の道幅は4メートル。江戸時代としてはかなり幅広の道だった。

  • 萩往還沿いには江戸時代の道標がある。<br />ここは交差点だが、英雲荘(三田尻御茶屋)を発した往還道はこの交差点を左折し、山陽道を横切り防府天満宮が有る宮市を抜け、さらに勝坂峠を越えて山口に入る。<br />その道標がこれである。<br />

    萩往還沿いには江戸時代の道標がある。
    ここは交差点だが、英雲荘(三田尻御茶屋)を発した往還道はこの交差点を左折し、山陽道を横切り防府天満宮が有る宮市を抜け、さらに勝坂峠を越えて山口に入る。
    その道標がこれである。

  • 左は宮市天満宮(防府天満宮)、下関へ行く道と道しるべが案内している。

    左は宮市天満宮(防府天満宮)、下関へ行く道と道しるべが案内している。

  • 写真右端の萩往還はこの交差点を左に曲がり、山口を経由して萩に到達するのである。<br />山陽道もそうだが萩往還は当時の往還道が今でもそのまま残っている。<br />特に山口市に入ると国道262号線に並行して道が伸びているので、周囲の住民がウォーキングコースとして利用している。

    写真右端の萩往還はこの交差点を左に曲がり、山口を経由して萩に到達するのである。
    山陽道もそうだが萩往還は当時の往還道が今でもそのまま残っている。
    特に山口市に入ると国道262号線に並行して道が伸びているので、周囲の住民がウォーキングコースとして利用している。

  • 先程の道標には萩往還の道標と共に、三田尻茶屋から真っすぐに進む道先案内がされてあった。<br />それが写真の道標。左に進むと「中のせき(防府市中関)」右に進むと「かみか○」。<br />中関は広い三田尻塩田があった場所で、塩の積出港として栄えた。塩の積出港として中関港を造ったのも毛利重就である。

    先程の道標には萩往還の道標と共に、三田尻茶屋から真っすぐに進む道先案内がされてあった。
    それが写真の道標。左に進むと「中のせき(防府市中関)」右に進むと「かみか○」。
    中関は広い三田尻塩田があった場所で、塩の積出港として栄えた。塩の積出港として中関港を造ったのも毛利重就である。

  • 萩往還の道沿いにあるのが野村望東尼終焉の地。<br />ここは三田尻本町で豪商だった荒瀬家の表門。現在荒瀬家の邸宅は取り壊されて他人の所有になり、表門のみが残っている。<br />野村望東尼は薩長の討幕軍が東上することを耳にし、山口の住まいから三田尻(防府市)に移住することを決意。<br />三田尻の豪商荒瀬家の荒瀬百合子が歌友であった事から荒瀬家に身を寄せて離れで起居していた。<br />東上軍の必勝を祈願するため防府天満宮に参篭し祈願したが体調を壊して荒瀬家で亡くなった。<br />起居していた荒瀬家の離れは後に防府市岡村町に移築されて残ったが、本宅は解体されて残っていない。

    萩往還の道沿いにあるのが野村望東尼終焉の地。
    ここは三田尻本町で豪商だった荒瀬家の表門。現在荒瀬家の邸宅は取り壊されて他人の所有になり、表門のみが残っている。
    野村望東尼は薩長の討幕軍が東上することを耳にし、山口の住まいから三田尻(防府市)に移住することを決意。
    三田尻の豪商荒瀬家の荒瀬百合子が歌友であった事から荒瀬家に身を寄せて離れで起居していた。
    東上軍の必勝を祈願するため防府天満宮に参篭し祈願したが体調を壊して荒瀬家で亡くなった。
    起居していた荒瀬家の離れは後に防府市岡村町に移築されて残ったが、本宅は解体されて残っていない。

    野村望東尼終焉之地 名所・史跡

  • 表門前の「望東尼終焉の地」の石碑。

    表門前の「望東尼終焉の地」の石碑。

    野村望東尼終焉之地 名所・史跡

  • 荒瀬家本宅跡。<br />荒瀬家の往時の建物はこの表門と移築されて防府市岡村町にある離れのみ。

    荒瀬家本宅跡。
    荒瀬家の往時の建物はこの表門と移築されて防府市岡村町にある離れのみ。

  • こちらは防府市岡村町にある野村望東尼が身を寄せた荒瀬家の離れが移築された場所。<br />移築されたのは離れの座敷や弐階を供えた奥の間に茶室であるが、これらを取り囲むように後に増築されて外観が変わったため、外から見ても普通の民家としてしか見えない。さらに家の周囲には説明板も碑も無いので4月7日訪れた時には、この家が野村望東尼が起居していた住まいとは分からなかった。<br />

    こちらは防府市岡村町にある野村望東尼が身を寄せた荒瀬家の離れが移築された場所。
    移築されたのは離れの座敷や弐階を供えた奥の間に茶室であるが、これらを取り囲むように後に増築されて外観が変わったため、外から見ても普通の民家としてしか見えない。さらに家の周囲には説明板も碑も無いので4月7日訪れた時には、この家が野村望東尼が起居していた住まいとは分からなかった。

  • 以前は野村望東尼終焉の室として防府市教育委員会文化財課の案内板や石碑が建てられていた。<br />しかし、この家の管理者から野村望東尼がこの離れで起居していたことは間違いないが、亡くなったと言う確証が無いままに終焉の室とするのはけしからんと申し出があった。<br />防府市教育委員会や野村望東尼顕彰会などで協議の結果、所有者の申し出通り岡村町の離れは「野村望東尼終焉の室」ではなく、「寄寓の家」として訂正された。<br />ところが訪れてみると野村望東尼寄寓の家と説明文に書かれているにも関わらず、防府市教育委員会文化財課が設置した説明板は白紙で覆い隠され、その上をビニールで覆われていた。「寄寓の家」であれば何も問題は無いはずだが、何故このような事になったのかな?<br />以前は望東尼終焉の宅として荒瀬家の建物が県指定史跡であったが、建物自体が存在しないので史跡から外され、現在では望東尼終焉の地、終焉の宅跡、離れは寄寓の家と表現が変わっている。<br />何箇所かビニールや紙が破られているため、説明文は判読できない。管理者からまた何かクレームがあったのだろうか。

    以前は野村望東尼終焉の室として防府市教育委員会文化財課の案内板や石碑が建てられていた。
    しかし、この家の管理者から野村望東尼がこの離れで起居していたことは間違いないが、亡くなったと言う確証が無いままに終焉の室とするのはけしからんと申し出があった。
    防府市教育委員会や野村望東尼顕彰会などで協議の結果、所有者の申し出通り岡村町の離れは「野村望東尼終焉の室」ではなく、「寄寓の家」として訂正された。
    ところが訪れてみると野村望東尼寄寓の家と説明文に書かれているにも関わらず、防府市教育委員会文化財課が設置した説明板は白紙で覆い隠され、その上をビニールで覆われていた。「寄寓の家」であれば何も問題は無いはずだが、何故このような事になったのかな?
    以前は望東尼終焉の宅として荒瀬家の建物が県指定史跡であったが、建物自体が存在しないので史跡から外され、現在では望東尼終焉の地、終焉の宅跡、離れは寄寓の家と表現が変わっている。
    何箇所かビニールや紙が破られているため、説明文は判読できない。管理者からまた何かクレームがあったのだろうか。

  • こちらは石碑。<br />以前は「史跡 野村望東尼終焉の室」と彫られていた。<br />これは間違いだと教育委員会の方で訂正したためビニールで覆われ、現在では碑文が見えなくなっていた。<br />今回で防府市の維新史跡旅行記は終了します。次は山口市南部地域の維新史跡を巡る旅をお送りしまう。<br />訪問下さり有り難うございました。

    こちらは石碑。
    以前は「史跡 野村望東尼終焉の室」と彫られていた。
    これは間違いだと教育委員会の方で訂正したためビニールで覆われ、現在では碑文が見えなくなっていた。
    今回で防府市の維新史跡旅行記は終了します。次は山口市南部地域の維新史跡を巡る旅をお送りしまう。
    訪問下さり有り難うございました。

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