2025/04/08 - 2025/04/08
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ポポポさん
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鋳銭司郷土館第二展示室の貨幣の歴史の続きです。併せて郷土館が面している長沢池や山口市陶にある鋳銭司司家跡もご紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
前回の旅行記で紹介した差し銭や銭貨が亀谷壺に大量に入れられたまま地中に埋められ、発見されたものが一括出土銭。
13世紀後半頃から16世紀の間に埋められたと考えられている。 -
中世の物価表。
かわらけを1文とした時の物の値段。 -
絵画の中の銭貨
この絵は一遍上人絵伝の一コマである。絵画の上部に描かれている絵の中に差し銭を数えて売る女性が描かれている。 -
差し銭を数える女のアップと、その説明。
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中世の銭貨生産
鎌倉時代から室町時代には国家による銭貨の生産は行われず、中国からの輸入銭(宋銭・明銭)に頼っていた。
これらの輸入銭は使用している間に摩耗したり遺失したりして数が減ると、渡来銭をまねて民間で銭貨が作られるようになった。これらは小さいなど質の悪い「悪貨」だったため、取引で避けられるようになる。
庶民は悪貨の受け取りを拒む撰銭を行うようになった。 -
大内氏掟書
山口市に本拠を置いた守護大名大内氏が定めた分国法。
大内氏は撰銭に関する法令を文明17年(1485年)に室町幕府より早く発布している。 -
「さかいせん」「洪武銭」「うちひらめ」を悪銭として撰銭の対象とした。
「永楽通宝」と「宣徳通宝」は撰銭としてとる除くことは禁止する。この2種類の通貨はそれ独自で使用できず、良貨を混ぜて使用すること。
百文の内三十文は「永楽通宝」と「宣徳通宝」を混ぜて使用すると定められていた。 -
大内氏掟書の翻刻と現代語訳。
左はそれぞれ掟書の対象となった銭。 -
開発される鉱山。
14世紀以降日本各地で鉱山が再開発され、銅や鉛が算出されるようになった。
戦国時代になると戦国大名により金山や銀山が開発されて行った。
灰吹き法などの精錬技術が発達すると、金や銀の生産量が増大し、戦国大名の財源となった。 -
17世紀江戸幕府によって金貨・銀貨・銭貨の交換比率が定められた。それぞれの交換比率は写真の票を参照。
金貨は重に武士、商人は銀貨、庶民は銀貨と銭貨であった。庶民が小判を拝むことはほとんど無かったと言う。
江戸時代から続く旧家で良く見られるのが一分銀と天保通宝や寛永通宝の銭。民家では天保通宝や寛永通宝が伝わった家が多い。 -
大判は説明文の通り、恩賞や贈答用で一般には流通していなかった。
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小判。享保小判から万延小判まで。
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小判の説明
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これは銀貨。丁銀と豆板銀である。
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丁銀と豆板銀の説明文
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こちらは一分銀と南鐐一朱、二朱塗銀。
一分銀は古い家なら残されているが南鐐銀は見たことが無い。 -
それぞれの説明文
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銭貨。寛永通宝と天保通宝
これらの銭はよく見かけます。 -
天保通宝と寛永通宝の説明文
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鍛造と鋳造
金貨や銀貨は鍛造、銭貨は鋳造で作られていた。 -
鋳銭図解
寛永通宝を作っていた銭座の鋳銭作業の様子 -
藩札はそれぞれの領国内で通用する紙幣の事。
藩による紙幣の発行を藩札と言うが、藩の他に寺社で発行した寺社札などもあり、これらを含めて藩札と呼ばれている。 -
長州藩の藩札と説明文
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両替屋(両替商)。
金貨や銭貨と銀貨を交換する商い。 -
両替商の看板
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太政官札と民部省札。
明治になり明治新政府が初めて発行した紙幣が太政官札。太政官札は1両以上の高額紙幣が多かった。
民部省札は民部省から発行された少額紙幣。 -
新貨条例による貨幣(金貨)と貨幣法により貨幣(金貨)
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両方の金貨の説明
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新貨条例に基づき発行された銀貨
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銀貨の説明
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明治5年政府から発行された新紙幣「明治通宝札」。
ドイツで印刷された紙幣なのでゲルマン紙幣とも呼ばれた。 -
「明治通宝札」の説明。
明治18年に日本銀行券が発行されたので政府紙幣は明治32年末までであった。 -
国立銀行紙幣
展示されていたのは第百三銀行と第百十銀行の紙幣。
国立銀行は国立銀行条例に基づき民間により設立された銀行で、第百十国立銀行は現在の山口銀行の前身である。 -
最初の日本銀行券。
日本銀行により明治18年(1885年)に発行された紙幣。種類は100円、10円、5円、1円の4種類。
この後日本の紙幣は日本銀行券に統一されていく。 -
円のはじまり。
明治4年、明治新政府は新貨条例を公布し貨幣の単位を円、銭、厘と定めた。また金貨を貨幣の基本とし、貨幣の種類ごとの品質や1円=100銭とする十進法を採用した。
それまでの貨幣は円単位の貨幣と交換され。貨幣は次第に統一されていった。 -
造幣局と日本銀行
貨幣は大阪に貨幣製造所が設置された。これが現在の造幣局である。大阪造幣局で「造幣の父」と呼ばれたのが長州ファイブの遠藤謹助。英国密航留学から帰国すると大阪造幣寮(現在の大阪造幣局)で貨幣鋳造の近代化を推進した。造幣局の「桜の通り抜け」は当時局長だった彼の指示で始められた。
一方紙幣は明治5年に「明治通宝札」が政府から発行された。同年国立銀行条例により「国立銀行紙幣」が発行された。
明治15年に紙幣の一元化と通貨価値の安定を図るために日本銀行が設立され、明治18年には「日本銀行券」が発行された。 -
現代の通貨
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現代の記念硬貨
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ここからは令和7年5月に発表された貞観永宝を紹介したい。
最初訪れた時にはまだ発表されていなかったので、令和8年3月初めに再訪したものである。
鋳銭司では皇朝十二銭の内、8種類の貨幣が鋳造されたと言われている。このうち4種類の貨幣が発掘されていたが新たに貞観永宝が発見された。
写真はすでに発掘されている4種の銅銭。
4種類とは饒益神宝、長年大宝、承和昌宝、福寿神宝である。 -
長年大宝、承和昌宝、福寿神宝。
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令和7年5月に発表された貞観永宝の説明文。
貞観永宝は多数にの鋳損じ銭と破損じ銭と共に発掘された。
説明文の下に展示されているが鋳損じ銭等の破片。 -
これらの破片の中に鋳損じ銭と破損じ銭が見つかった。
破片の下に展示されているのは、それらのX線写真。四角で囲まれている部分の破片が鋳損じ銭や破損じ銭の状態がいい物で、X線写真により貞観永宝であることが確認された。 -
それぞれの破片のX線CT画像。
左二つは鋳損じ銭で、右二つが破損じ銭。一番右の銅銭からははっきりと「貞観永宝」の名前が見える。 -
写真は山口市歴史民俗資料館が所蔵している貞観永宝の完全形。
但し錆びているため肉眼では貞観永宝の文字は読み取れなかった。 -
令和7年4月に訪れた時に展示されていた早川和子氏画による鋳銭司の想像図。
昨年は絵のみであったが、現在は鋳銭司の作業の流れや、職人の作業風景が文字入りで詳しく紹介されていた。
非常に分かりやすかった。 -
当時の役人や作業人夫の人数。
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銭の鋳型づくりは屋根のある工房でされていたとする想像図。
炉が発見された場所には柱の跡があった事から屋根付きの建物があった事が分かっている。 -
屋根の下で銭の鋳造をしている様子が描かれている。
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原料や俵炭塔が運ばれてくる様子。
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ここは旧鋳銭司村に隣接した旧陶村。
ここには鋳銭司司家の跡が残されている。鋳銭司を説明する上で欠かせない場所なのでここで紹介したい。
写真は正護寺。室町時代の守護大名大内氏の重臣である陶氏の菩提寺で陶晴賢の分骨供養塔がある。
この寺の門から写真右にかけての大地が司家跡である。 -
寺の本堂前の敷地通り抜けて矢印の方向に進むと行き止まり。そこからどの方向に進むか分からないため、あちこち歩き回ってやっと司家跡にたどり着いた。
非常に分かり難い場所だが寺から続く道をひたすら進むとたどり着く。
跡地には司家跡の碑がたっていた。
ここで司家とは今から1000年も前の周防鋳銭司の役所又は官舎があった所である。 -
碑文の説明文。
ここは陶大地の一角で、かつては広大な見晴らしの良い場所であった事が容易に想像できる場所である。
鋳銭司及びその周辺からはまだ長官の自宅と思しき遺跡は見つかっていない。ひょっとすると見晴らしの良い陶にあったのかもしれない。 -
司家跡の景色。
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同じく司家跡の景色。
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再び鋳銭司郷土館に戻る。
館内の第二展示室は貨幣の歴史と周防鋳銭司跡の発掘遺跡の展示コーナー。鋳銭司郷土館 美術館・博物館
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第二展示室館内の様子。
こちらは鋳銭司遺跡展示コーナーである。鋳銭司郷土館 美術館・博物館
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こちらは貨幣の歴史コーナー。
これで鋳銭司郷土館の説明は終わります。鋳銭司郷土館 美術館・博物館
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鋳銭司郷土館の前に広がる長沢池の景色。
長沢池は干ばつ時に農業用水を確保するために人工的に開かれたため池である。
ため池とはいえ広大な灌漑用の人工ため池である。
最初は鋳銭司郷土館を見たらすぐに帰宅する予定だったが、この池が気になったので今少しお付き合い願いたい。長沢池 自然・景勝地
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この碑は「東條就類頌功碑」。
長沢池は江戸時代慶安4年(1651年)頃に小郡宰判の代官「東條九郎右衛門源就類」が造った農業用のため池である。
この功績を顕彰して「頌功碑」が村民によって建てられた。 -
「東條九郎右衛門源就類頌功碑」説明文。
このため池によって周囲4カ村約150haの田畑が潤ったと言う。 -
長沢池は小郡代官東條九郎右衛門によって造られたが、九郎右衛門はこの池に日本三景の景色を再現しようと試み、宮島の厳島神社から勧進された市杵島姫大神を松島に見立てた島に遷して「弁天社」と命名。島の沖の池には厳島神社の大鳥居に「見立てた鳥居を建て、松島の向かいにある岬を天橋立として鋳銭司版日本三景を完成させた。
写真は大村神社の横に立てられていた松島の案内図
中央の写真は松島に遷された弁天社の跡。明治に拝殿や本殿が取り壊され、現在は小さな祠があるだけである。
案内図の右上には長沢池と松島の配置図、図に示された番号は松島に点在する句碑などの場所が示されている。 -
東條九郎右衛門によって造られた鋳銭司版日本三景だが、明治になるとその様相が大きく変わることになる。
松島の「弁天社」は明治元年に神仏分離令により厳島神社と改名されたが、その後明治政府から出された一村一社制度により明治42年に地区の氏神社である黒山八幡宮に合祀され、本殿・拝殿などの建物は取り壊された。
その後村人らは本殿の跡地に石の祠を設け毎年4月に祭りを行っている。 -
松島の配置図。
番号は松島内の句碑等の場所を示している。 -
石祠。厳島神社の本殿跡地に設けられた石祠。
左右の狛犬や石灯篭は厳島神社創建時の物。 -
松島に設置された句碑等の説明
?松尾芭蕉の句碑「何の木の 花とは知らず 匂哉」
⑥松島天女廟碑 文久2年(1862年)に建立された亀趺(きふ)と呼ばれる台石に載せられた石碑
⑨天橋立に見立てた岬 写真右上の景色が天橋立。現在は打ち放しのゴルフ練習所になっている -
②松尾芭蕉の句碑 「旅人と 我名呼ばれん 初しぐれ」
父親の法要のため江戸から故郷の伊賀に旅立つ前に弟子との送別句会で詠まれた -
③宗祇歌碑 「ほととぎす はや啼きすぎよ この宿を よそにも今は 初音まつ頃」
⑦太鼓橋 江戸時代中期から明治初期の間に造られたと考えられる。 -
⑤鳥居
宝永5年(1708年)弁天社の鳥居として建立された -
⑧池に浮かぶ鳥居
寛永年中に創建された住吉社の鳥居。
元々池には弁天社の創建にあわせて宮島厳島神社の大鳥居を模して木製の鳥居が建てられていた。
しかし明治42年に弁天社が氏神である黒山八幡宮に合肥された際に近くの住吉社も合肥され、住吉社の石の鳥居が池に移され現在に至っている。 -
長沢池の側にある大村神社の桜。訪問した時は桜が満開だった。
大村神社 寺・神社・教会
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では池の中にある松島を訪ねてみよう。
ここは案内図に①として紹介されていた石の祠。
弁天社の本殿があった場所である、2匹の狛犬と石灯篭は創建当時の物。 -
松尾芭蕉の句碑
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松島に渡る太鼓橋。
太鼓橋の部分は道路から松島に向けて作られた道の中間部分にある小さな橋だった。長沢池 自然・景勝地
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松島の鳥居。
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宗祇の歌碑
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松島の鳥居から見た長沢池。
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道路から松島に渡る道と太鼓橋。
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池の中に建てられた住吉社の鳥居。
以前は厳島神社の大鳥居を模して木製の鳥居が立てられていた。長沢池 自然・景勝地
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長沢池にある松島の全景。
長沢池 自然・景勝地
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長沢池の向こうに見えるのは岬の天橋立。
今回で大村益次郎の生誕地山口市鋳銭司の旅行記は終了です。次回は長州藩の海軍局が置かれていた防府市の旅行記を予定しています。
訪問下さり有り難うございました。長沢池 自然・景勝地
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