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常設展示は、原始・古代から近現代にいたる日本列島と朝鮮半島との交流の歴史を主体に、4つのテーマに分けたコーナーが設けられていました。<br /> 1. 特別史跡名護屋城跡並陣跡<br /> 2. 名護屋城以前<br /> 3. 歴史の中の名護屋城<br /> 4. 名護屋城<br /><br />豊臣秀吉が名護屋城で用いた「黄金の茶室」と「草庵茶室」が復元されています。<br />

佐賀県立名護屋城博物館常設展(1)発掘調査の成果と茶室

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2026/05/19 - 2026/05/22

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chemire

chemireさん

常設展示は、原始・古代から近現代にいたる日本列島と朝鮮半島との交流の歴史を主体に、4つのテーマに分けたコーナーが設けられていました。
 1. 特別史跡名護屋城跡並陣跡
 2. 名護屋城以前
 3. 歴史の中の名護屋城
 4. 名護屋城

豊臣秀吉が名護屋城で用いた「黄金の茶室」と「草庵茶室」が復元されています。

  • 5月21日(木)<br />ホテルをチェックアウトして、和多田駅から唐津駅へ移動。乗ったのは、ステンレス製の車体に赤いドアが特徴のJR九州の303系電車。

    5月21日(木)
    ホテルをチェックアウトして、和多田駅から唐津駅へ移動。乗ったのは、ステンレス製の車体に赤いドアが特徴のJR九州の303系電車。

  • 唐津駅北口にある唐津焼の赤獅子像。高さ約3.5m・重さ約2.1t。唐津焼としては最大級の像で、周囲には14台の曳山をモチーフにした陶板が飾られています。

    唐津駅北口にある唐津焼の赤獅子像。高さ約3.5m・重さ約2.1t。唐津焼としては最大級の像で、周囲には14台の曳山をモチーフにした陶板が飾られています。

  • 唐津バスセンターに向かう途中、昨日は通り過ぎただけだった肥後堀を観察。

    唐津バスセンターに向かう途中、昨日は通り過ぎただけだった肥後堀を観察。

  • (唐津城公式HPより引用)<br />協力者の証<br />三の丸の南端に現存する「肥後堀」という堀があります。この名称は、築城に協力した肥後藩主・加藤清正へのリスペクトの証しです。現存する肥後堀のほか、薩摩堀、長州堀、佐賀堀、柳堀など、城郭周囲の堀には、協力大名の各領地名が冠されていました。

    (唐津城公式HPより引用)
    協力者の証
    三の丸の南端に現存する「肥後堀」という堀があります。この名称は、築城に協力した肥後藩主・加藤清正へのリスペクトの証しです。現存する肥後堀のほか、薩摩堀、長州堀、佐賀堀、柳堀など、城郭周囲の堀には、協力大名の各領地名が冠されていました。

  • では、バスセンターのコインロッカーに荷物を入れ、バスに乗って名護屋城博物館に向かいます。

    では、バスセンターのコインロッカーに荷物を入れ、バスに乗って名護屋城博物館に向かいます。

  • 大手口から昭和バスで約60分、名護屋城博物館入口で降車。移動中に雨が降り出しちゃった。<br />バス停から博物館までは徒歩約5分。途中、右側に見えた階段を上って向かいました。

    大手口から昭和バスで約60分、名護屋城博物館入口で降車。移動中に雨が降り出しちゃった。
    バス停から博物館までは徒歩約5分。途中、右側に見えた階段を上って向かいました。

  • 武将紹介。じっくり読みたいけど、雨も降ってるし写真を撮るだけに。

    武将紹介。じっくり読みたいけど、雨も降ってるし写真を撮るだけに。

  • 佐賀県立名護屋城博物館<br />入館料は無料

    佐賀県立名護屋城博物館
    入館料は無料

    佐賀県立名護屋城博物館 美術館・博物館

  • 入口の前にいたトルハルバン。<br />石で作ったおじいさんという意味の韓国済州島にある石像で、チャンスンと同様に邪悪なものを避ける一種の守護神として建てられたものです。<br /><br />(あぁ、韓国に行きたい)

    入口の前にいたトルハルバン。
    石で作ったおじいさんという意味の韓国済州島にある石像で、チャンスンと同様に邪悪なものを避ける一種の守護神として建てられたものです。

    (あぁ、韓国に行きたい)

  • 館内にいたチャンスン。<br />外部からの災除けとする一種の守護神としての機能と、村の境界線・里程標としての機能を併せ持っています。

    館内にいたチャンスン。
    外部からの災除けとする一種の守護神としての機能と、村の境界線・里程標としての機能を併せ持っています。

  • 復元された草庵茶室<br />秀吉自身が過ごした山里丸には柱や壁などすべてに竹を使用した草庵茶室を設け、一方で、大名を一堂に集めた茶会や外交使節の歓待には黄金の茶室を用いました。

    復元された草庵茶室
    秀吉自身が過ごした山里丸には柱や壁などすべてに竹を使用した草庵茶室を設け、一方で、大名を一堂に集めた茶会や外交使節の歓待には黄金の茶室を用いました。

  • 秀吉が朝鮮半島および大陸への侵略を指揮するための前線基地として、全国の諸大名が普請し1591年(天正19)にわずか6カ月で築城されたと伝わる名護屋城。数ある遺構の中で、唯一無二の歴史的背景を持っています。

    秀吉が朝鮮半島および大陸への侵略を指揮するための前線基地として、全国の諸大名が普請し1591年(天正19)にわずか6カ月で築城されたと伝わる名護屋城。数ある遺構の中で、唯一無二の歴史的背景を持っています。

  • 徹底的に破壊されてしまったのが、とても残念。

    徹底的に破壊されてしまったのが、とても残念。

  • 名護屋城・城下町復元模型

    名護屋城・城下町復元模型

  • 名護屋城周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされています。

    名護屋城周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされています。

  • 名護屋城跡や周辺陣跡の発掘調査の成果を紹介するコーナー。

    名護屋城跡や周辺陣跡の発掘調査の成果を紹介するコーナー。

  • 名護屋城跡出土金箔瓦(桃山時代)<br />天守台の周辺からは金箔瓦が出土しています。

    名護屋城跡出土金箔瓦(桃山時代)
    天守台の周辺からは金箔瓦が出土しています。

  • 天正十八年銘文字瓦(1590年)<br />名護屋城の水手曲輪からは、秀吉がまだ関東の北条氏を攻めている時期の年号をもつ瓦が出土(佐賀県重要文化財)。

    天正十八年銘文字瓦(1590年)
    名護屋城の水手曲輪からは、秀吉がまだ関東の北条氏を攻めている時期の年号をもつ瓦が出土(佐賀県重要文化財)。

  • 可愛い。これで遊んだのかな。

    可愛い。これで遊んだのかな。

  • 山里丸出土天目茶碗(桃山時代)<br />秀吉が日常生活を送った山里丸からは、茶室跡も発掘されました。

    山里丸出土天目茶碗(桃山時代)
    秀吉が日常生活を送った山里丸からは、茶室跡も発掘されました。

  • 前田利家陣跡<br />利家は、陣屋の中に深い山中の様子を再現する趣向で秀吉を迎えたと言われます。

    前田利家陣跡
    利家は、陣屋の中に深い山中の様子を再現する趣向で秀吉を迎えたと言われます。

  • 堀秀治陣跡の路地と、名護屋城山里丸跡で出土した天目茶碗。

    堀秀治陣跡の路地と、名護屋城山里丸跡で出土した天目茶碗。

  • 黄金の茶室(復元)

    黄金の茶室(復元)

  • 茶室の出入口には係りの女性(ガードマン?)が立っていたのだけど、動作をじっと見られている気がして、ゆっくりと構図を決めての写真が撮れませんでした。盗難防止とかあるんだろうけど、もう少し見学しやすい雰囲気が欲しかったな。

    茶室の出入口には係りの女性(ガードマン?)が立っていたのだけど、動作をじっと見られている気がして、ゆっくりと構図を決めての写真が撮れませんでした。盗難防止とかあるんだろうけど、もう少し見学しやすい雰囲気が欲しかったな。

  • 説明板より。<br /><br />この茶室が初めて史料に登場するのは、秀吉が関白となった天正13年(1585)。その後、京都の御所や大坂城などで使用。天正20(1592)名護屋城に着陣した秀吉は、この茶室を運ばせ茶会や外国使節の接待をしています。<br />博多の商人・神屋宗湛が記した「宗湛日記」によると、茶室は三畳で、柱や敷居・鴨居や壁、障子の骨・板もすべて金、障子には赤い紋紗が張られ、畳表は猩々緋だったと伝わっているそうです。<br /><br />金銀の国内算出量が飛躍的に増大したこの時代、天下人・秀吉のもとには莫大な富が集まりました。<br />大坂城・聚楽第、そして名護屋城などを飾った豪華な金箔瓦や障壁画など、秀吉は美しく輝く黄金を効果的に使用しています。<br />黄金に包まれたこの茶室も、天皇・公家や大名、宣教師や外国使節などに対し、政治・外交上の重要な場面で披露されました。<br />秀吉にとって、「黄金の茶室」は自らの権威と財力を見せつけ見る者を圧倒する、とっておきの「舞台装置」だったといえます。

    説明板より。

    この茶室が初めて史料に登場するのは、秀吉が関白となった天正13年(1585)。その後、京都の御所や大坂城などで使用。天正20(1592)名護屋城に着陣した秀吉は、この茶室を運ばせ茶会や外国使節の接待をしています。
    博多の商人・神屋宗湛が記した「宗湛日記」によると、茶室は三畳で、柱や敷居・鴨居や壁、障子の骨・板もすべて金、障子には赤い紋紗が張られ、畳表は猩々緋だったと伝わっているそうです。

    金銀の国内算出量が飛躍的に増大したこの時代、天下人・秀吉のもとには莫大な富が集まりました。
    大坂城・聚楽第、そして名護屋城などを飾った豪華な金箔瓦や障壁画など、秀吉は美しく輝く黄金を効果的に使用しています。
    黄金に包まれたこの茶室も、天皇・公家や大名、宣教師や外国使節などに対し、政治・外交上の重要な場面で披露されました。
    秀吉にとって、「黄金の茶室」は自らの権威と財力を見せつけ見る者を圧倒する、とっておきの「舞台装置」だったといえます。

  • <br /><br />博物館常設展(2)へ続く



    博物館常設展(2)へ続く

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