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慶長7年(1602)から慶長13年(1608)にかけて築城したと伝わる唐津城は、近年の調査により本丸天守台付近で古い石垣が発見され、築城年に異論が出ているのだとか。<br />また、築城当初は天守が存在していたといわれることもあるようですが、寛永4年(1627)の幕府の記録には天守の存在記録がなく、何らかの理由で天守台のみが築かれたとなっています。<br />

唐津城天守台を眺めてみた

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2026/05/19 - 2026/05/22

206位(同エリア607件中)

chemire

chemireさん

慶長7年(1602)から慶長13年(1608)にかけて築城したと伝わる唐津城は、近年の調査により本丸天守台付近で古い石垣が発見され、築城年に異論が出ているのだとか。
また、築城当初は天守が存在していたといわれることもあるようですが、寛永4年(1627)の幕府の記録には天守の存在記録がなく、何らかの理由で天守台のみが築かれたとなっています。

  • 5月20日<br />地下通路ギャラリーで曳山の陶板を見てから唐津城天守閣へ。

    5月20日
    地下通路ギャラリーで曳山の陶板を見てから唐津城天守閣へ。

  • 舞鶴公園マップ。<br />本丸まで、有料のエレベーターでも登れます。

    舞鶴公園マップ。
    本丸まで、有料のエレベーターでも登れます。

  • 唐津城を訪ねるのはこれで2度目。あの頃はあまりお城に興味がなかったので、天守閣に入ったのか記憶が曖昧だけど、電車の中から海に浮かぶように見えたお城が素敵だったことを覚えています。<br /><br />2017/08 唐津の旅<br />https://4travel.jp/travelogue/11510740<br />

    唐津城を訪ねるのはこれで2度目。あの頃はあまりお城に興味がなかったので、天守閣に入ったのか記憶が曖昧だけど、電車の中から海に浮かぶように見えたお城が素敵だったことを覚えています。

    2017/08 唐津の旅
    https://4travel.jp/travelogue/11510740

  • この円錐形のような石積みは何だろう?

    この円錐形のような石積みは何だろう?

  • 大手上り口左手にあった多宝塔。

    大手上り口左手にあった多宝塔。

  • 塔身に釈迦如来と多宝如来のお姿が彫り出されています。

    塔身に釈迦如来と多宝如来のお姿が彫り出されています。

  • 宝塔の近くにあったマンホールに描かれていたのは、唐津城とロマンシング佐賀のキャラクター。佐賀を歩くと「魔界塔士 サ・ガ」とコラボしたマンホールを見かけることが多いです。

    宝塔の近くにあったマンホールに描かれていたのは、唐津城とロマンシング佐賀のキャラクター。佐賀を歩くと「魔界塔士 サ・ガ」とコラボしたマンホールを見かけることが多いです。

  • リーフレット

    リーフレット

  • 文禄4年(1595)秀吉の家臣・寺沢広高は唐津を拝領しましたが、為政者としての家康に傾倒し関が原では東軍として奮戦。天草領が加増され、 慶長7年(1602)から7年がかりで唐津城を築城(近年の調査により異論あり)。<br />その後、寛永14年(1637)島原の乱が勃発。一揆の責任を問われた2代藩主・堅高は減封(天草領没収)処分を受け、それを苦にして正保4年(1647)自刃したと言われ、子がいなかったため寺沢家は改易。唐津は天領となりました。<br /><br />そんな経緯もあってか、築城当時の資料が少ない唐津城は謎の城ともされるそうで、実際、城跡を歩くと他の城に比べて説明板が少ないように感じました。

    文禄4年(1595)秀吉の家臣・寺沢広高は唐津を拝領しましたが、為政者としての家康に傾倒し関が原では東軍として奮戦。天草領が加増され、 慶長7年(1602)から7年がかりで唐津城を築城(近年の調査により異論あり)。
    その後、寛永14年(1637)島原の乱が勃発。一揆の責任を問われた2代藩主・堅高は減封(天草領没収)処分を受け、それを苦にして正保4年(1647)自刃したと言われ、子がいなかったため寺沢家は改易。唐津は天領となりました。

    そんな経緯もあってか、築城当時の資料が少ない唐津城は謎の城ともされるそうで、実際、城跡を歩くと他の城に比べて説明板が少ないように感じました。

  • では、石段を上ります。<br />くり抜かれた跡がある石は、もしかしたら後世に石段の端に寄せられたものかも。ここに門があったってこと?説明板がないので詳しいことは分かりません。

    では、石段を上ります。
    くり抜かれた跡がある石は、もしかしたら後世に石段の端に寄せられたものかも。ここに門があったってこと?説明板がないので詳しいことは分かりません。

  • ここは櫓台?

    ここは櫓台?

  • 先にある石垣で行き止まりの様に見えるので、つまり枡形虎口みたい。見応えのある石垣もあるし、簡単でいいから説明板が欲しいなぁ。

    先にある石垣で行き止まりの様に見えるので、つまり枡形虎口みたい。見応えのある石垣もあるし、簡単でいいから説明板が欲しいなぁ。

  • これが総締門の石垣?

    これが総締門の石垣?

  • 虎口を曲がると中段広場があって、その右端に歌碑が建っていました。ここは行き止まりに思えた石垣の上で、ってことは、やとぱりさっき見たのは二の丸(二之曲輪)と本丸を結ぶ総締門礎石。<br />大事なものを見逃さないように、説明板とか現在地を記したマップをもっと設置してほしいです(景観への配慮とか費用の問題もあるんだろうけど)。<br /><br /><br />松浦河 月あかくして 人の世の <br />かなしみさへも 隠さふべしや<br />茂吉<br />大正9年(1920)斎藤茂吉は療養のため唐津の地に滞在しています。

    虎口を曲がると中段広場があって、その右端に歌碑が建っていました。ここは行き止まりに思えた石垣の上で、ってことは、やとぱりさっき見たのは二の丸(二之曲輪)と本丸を結ぶ総締門礎石。
    大事なものを見逃さないように、説明板とか現在地を記したマップをもっと設置してほしいです(景観への配慮とか費用の問題もあるんだろうけど)。


    松浦河 月あかくして 人の世の 
    かなしみさへも 隠さふべしや
    茂吉
    大正9年(1920)斎藤茂吉は療養のため唐津の地に滞在しています。

  • 樹齢100年を超える藤棚。以前に訪れた時も藤の季節じゃなかったし、いつか見てみたいなぁ。

    樹齢100年を超える藤棚。以前に訪れた時も藤の季節じゃなかったし、いつか見てみたいなぁ。

  • 中段広場にあった土塀には、唐津城最後の城主 小笠原氏の家紋。

    中段広場にあった土塀には、唐津城最後の城主 小笠原氏の家紋。

  • それでは、天守をチェック。思ったより大きくて分割して撮影しました。下段の写真、右端は櫓門。<br /><br />唐津城は、寺沢広高が各地の諸大名の助力を得て、秀吉の死後に廃城となっていた名護屋城の遺材を使用して築城(この築城経緯には異論が出てているそう)。<br />理由は不明ですが、天守台が造られたものの天守は建てられず、いまある天守は慶長期の様式で建築されていたと想定して昭和41年(1966)に造られた摸擬天守です。

    それでは、天守をチェック。思ったより大きくて分割して撮影しました。下段の写真、右端は櫓門。

    唐津城は、寺沢広高が各地の諸大名の助力を得て、秀吉の死後に廃城となっていた名護屋城の遺材を使用して築城(この築城経緯には異論が出てているそう)。
    理由は不明ですが、天守台が造られたものの天守は建てられず、いまある天守は慶長期の様式で建築されていたと想定して昭和41年(1966)に造られた摸擬天守です。

  • 櫓門から上段広場へと登れたのですが、天守台をしっかり眺めたくて戻るように時計回りに進んでみました。

    櫓門から上段広場へと登れたのですが、天守台をしっかり眺めたくて戻るように時計回りに進んでみました。

  • 摸擬天守の前には本丸井戸があり、その奥に神社が祀られています。

    摸擬天守の前には本丸井戸があり、その奥に神社が祀られています。

  • きれいな算木。

    きれいな算木。

  • 天守台石垣修復はありがたかったけど、

    天守台石垣修復はありがたかったけど、

  • 柵があって近付けなくて、天下普請の城だから刻印だらけのはずなのに探し損ねちゃった。

    柵があって近付けなくて、天下普請の城だから刻印だらけのはずなのに探し損ねちゃった。

  • 西門口階段を上ります。

    西門口階段を上ります。

  • 天守と化粧櫓の間の石垣を上って上段広場へ。

    天守と化粧櫓の間の石垣を上って上段広場へ。

  • 上段広場。<br />ここに着くまでに、インバウンドの方(韓国からいらした方)に、どっちに行けば多宝塔のある入口まで戻れるのかと聞かれ、藤棚の方へ進むように案内しました(なんちゃって韓国語で何とかなりました)。<br />中段と上段が分かりにくくて、説明板がないのは観光客にとって不便。せめて、順路の矢印でもあればいいのになぁ(これは、日本人観光客にも当てはまります)。<br /><br />天守内部見学につづく。

    上段広場。
    ここに着くまでに、インバウンドの方(韓国からいらした方)に、どっちに行けば多宝塔のある入口まで戻れるのかと聞かれ、藤棚の方へ進むように案内しました(なんちゃって韓国語で何とかなりました)。
    中段と上段が分かりにくくて、説明板がないのは観光客にとって不便。せめて、順路の矢印でもあればいいのになぁ(これは、日本人観光客にも当てはまります)。

    天守内部見学につづく。

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