2026/05/19 - 2026/05/22
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chemireさん
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文禄・慶長の役は、豊臣秀吉が明(中国)の征服を目指して朝鮮に侵略した文禄の役(1592~93年)と慶長の役(1597~98年)の2度の戦い。秀吉が朝鮮出兵を行った動機については、鶴松死亡説(鬱憤説)・領土拡張説・国内集権化説など多くの説があり明確なことはわかっていませんが、この戦いを契機に豊臣政権は衰退の道をたどることになったようです。
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5月21日(木)
名護屋城博物館見学の続き。
文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)を学び直します。 -
秀吉は、約16万人の軍を朝鮮へ送り一時は都の漢城を占領しましたが、朝鮮軍の抵抗や明からの援軍により膠着状態となり、和平交渉は条件が折り合わずに決裂。再び約14万人の大軍を派遣して戦闘が再開されましたが、1598年(慶長3)に秀吉が亡くなったため諸大名は撤退。
2度の戦いに多大な兵力と費用を費やしたものの成果がなく、豊臣政権が衰えるきっかけとなったと言われています。
一方、朝鮮進出を契機に多くの朝鮮人陶工が西国大名に連れられて日本へ渡り、有田焼や薩摩焼など日本各地で焼き物文化が大きく花開きました。 -
この戦いにより、朝鮮の国力は衰退し復興に長い年月を要しました。
館内はインバウンドの方が多い時間もあって、韓国語が聞こえて来た時には、日本に対してどのような思いを抱いているんだろうと緊張しながら見学。 -
文禄・慶長の役当時の、日朝両国の軍船を10分の1で再現した安宅船(左)と亀甲船。
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日本水軍が使用した安宅船。櫓と呼ばれる城のような上部構造物が建てられているのが特徴です。
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朝鮮水軍が誇る亀船(亀甲船)
上部には刃物状のトゲを並べ、日本軍の得意とする接舷戦闘(船に乗り移っての白兵戦)を封じた。 -
亀船は李舜臣将軍が創作したといわれ、内部には大砲を備えていたとされています。日本水軍の補給路を遮断し、各地の海戦で大きな損害を与えました。
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朝鮮水軍の大砲の復元模型
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文禄・慶長の役(1592年~1598年)が起きた16世紀末は、ヨーロッパ勢力が世界中へ進出した大航海時代の真っ只中。秀吉の目も世界に向けられていた。
学生の頃、こんな風に興味を持って日本史と世界史を結びつけて考えられていたら、テストの点数がもっと上がったんだろうなぁ。 -
文禄の役当時の大名配置図
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秀吉の軍事拠点名護屋城と、その周辺に配置された諸大名の陣跡。
朝鮮に出兵した主な武将は、宇喜多秀家・小西行長・加藤清正・黒田長政・島津義弘・立花宗茂・小早川隆景・石田三成・九鬼嘉隆・加藤嘉明・脇坂安治など。
これだけの武将たちを動かした当時の天下人であった秀吉は、とてもすごい人だったんだなと改めて思いました。そして、同じ思いで日本軍を守っていたように見える武将たちが、後に分裂してしまうなんて歴史って不思議で面白いです。 -
大名の陣所一覧
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秀吉が前線の武将を処罰・疑った背景に文治派(石田三成ら)の讒言があると感じた武断派(福島正則ら)の諸将は、文治派への強い恨みを募らせ、これが文治派と武断派の対立や千利休の処罰へと発展して、豊臣政権の崩壊と関ヶ原の戦いにおける東軍・西軍の分裂へと至ります。
八幡山城で学んだ秀次の切腹事件も讒言が契機になっていたし、人を陥れようとした発言が歴史を動かすことに繋がったんだと思いながら、興味深く書状を眺めました。 -
オランダの地理学者アーノルドゥス・モンタヌスが1669年に出版した『日本誌』。銅版画で描かれた日本の当時の風景が紹介され、当時のヨーロッパにおける日本研究の貴重な資料でした。
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朝鮮通信使年表
家康は、秀吉の朝鮮出兵について無謀な拡大政策として警戒・反対し、国内の安定と自身の勢力温存を優先し出陣を免れています。戦後には、豊臣政権の対外侵略方針を転換し、朝鮮王朝が求めた日本からの国書の送付や捕虜の無条件送還、朝鮮通信使を招聘し手厚くもてなしたり、諸外国との融和・交易再開にも尽力。
時が経ち、朝鮮通信使招聘事業を終わらせたのは11代将軍家斉。12回目の使節団を対馬で差し止め帰国させてしまいました。 -
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草庵茶室の見学から始まって退館するまでに100分かけたけれど、それでも見足りなかったです。
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