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「Cardinal Express OXMO」での一夜が明けて、ホテルで朝食を摂った後は午前7時30分に出発して「クトゥブミナール/Qutb Minar」に向かいます。最初に来たインドの旅ではデリーの町の観光もしているのでリキシャやバイク、溢れるゴミや町中を闊歩する牛についても見慣れてはいますがやっぱりインドはすごいなと感じます。「クトゥブミナール」とこの後に行く「フマユーン廟」は前回も来ているので、出来れば「ラール・キラー/Red Fort」とか「ニューデリー国立博物館/National Museum New Delh」や「インド門 /India Gate」に行きたかったのが正直な感想です。仏教遺跡へ行くのは何度かインドへ来たことがある人だろうと思っていましたが、今回のツアーではほとんどの方がインドは初めてということに驚きました。それでは仕方ないと思いました。早朝の「クトゥブミナール」は以前よりも観光客の姿も少なく、厳かな雰囲気で観光することが出来ました。ガイドさんは説明をしたいのに皆さんが写真に夢中で集まらないのでちょっと機嫌が悪そうで心配しましたが、実は我が家にとってとんでもなくいい人だということが後になって分かりました。ガイドさんの説明が終わった後は20分ほどフリータイムになりますが、前回は見られなかった「アラーイー・ミナール/Alai Minar」にも行くことが出来ました。バスに戻ってデリー市内を走り「フマユーン廟/Humayun’s Tomb」の見学です。ここでも西門の辺りでガイドさんから説明を受けた後は解散になります。朝の時間は南側からの方が奇麗なのは前のガイドさんから教わっていたので2人だけ移動しました。やはりこちら側の方が太陽光線が奇麗に当たって余計に美しく見えました。墓の中はいくつかの石棺しかないので早々に集合場所に戻り、妻を置いて「イサ・カンズ廟/Isa Khan's Tomb」を見に行きました。ここは前回に前を通るだけだったので気になっていたイスラム時代の廟で、今回見ることが出来て良かったです。残った妻はツアーの方々と話していたようで6人で来られていた女性のグループが富山からだと聞いて喜んでいました。よほど昨年11月の富山の旅が楽しかったのでしょうね。デリーの観光はここまでで空港に向かってバスは走ります。デリーからはエア・インディアの国内線でガヤ国際空港に移動しますが、成田で付けた荷物のタグがガヤまでだったのに皆さん捨ててしまっていたり…。インドの国内線の荷物チェックが厳しいのは知っていたので別のバックにまとめてあり、それを全部並べていると皆さん初めてなので大慌てになったり…。何とか中で集合した後はお昼になるのですが、フードコートでまた時間がかかります。ガイドさんはどの店でもよくて1人600ルピーくらいということです。うちがケンタッキーのセットメニューを注文すると皆さん同じ店にされたので支払いなどは良かったですが、一気に注文が入ったので出来上がりは遅かったです。宗教上の制約の多いインドではチキンメインでべジメニューもあるケンタッキーはもってこいのようで賑わっていました。お腹いっぱいにチキンを食べてガヤに向かいます。もう1つ気を付けなければならないのがガヤからパトナまでの地域はアルコールの持ち込みも禁止なので、見つかった場合は罰金になるということです。今回のツアーの1つ前のツアーに参加された方から貴重な情報をいただいていたので、アルコールや踏切による渋滞などこの先の心構えが出来ていたので助かりました。

トラピックス インド仏跡巡りの旅6日間(2)クトウーブミナールとフマユーン廟を見学してデリー空港のKFCのチキンを食べてガヤに向かう。

25いいね!

2026/02/19 - 2026/02/19

378位(同エリア2008件中)

旅行記グループ 2026インド仏跡巡りの旅

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kojikoji

kojikojiさん

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「Cardinal Express OXMO」での一夜が明けて、ホテルで朝食を摂った後は午前7時30分に出発して「クトゥブミナール/Qutb Minar」に向かいます。最初に来たインドの旅ではデリーの町の観光もしているのでリキシャやバイク、溢れるゴミや町中を闊歩する牛についても見慣れてはいますがやっぱりインドはすごいなと感じます。「クトゥブミナール」とこの後に行く「フマユーン廟」は前回も来ているので、出来れば「ラール・キラー/Red Fort」とか「ニューデリー国立博物館/National Museum New Delh」や「インド門 /India Gate」に行きたかったのが正直な感想です。仏教遺跡へ行くのは何度かインドへ来たことがある人だろうと思っていましたが、今回のツアーではほとんどの方がインドは初めてということに驚きました。それでは仕方ないと思いました。早朝の「クトゥブミナール」は以前よりも観光客の姿も少なく、厳かな雰囲気で観光することが出来ました。ガイドさんは説明をしたいのに皆さんが写真に夢中で集まらないのでちょっと機嫌が悪そうで心配しましたが、実は我が家にとってとんでもなくいい人だということが後になって分かりました。ガイドさんの説明が終わった後は20分ほどフリータイムになりますが、前回は見られなかった「アラーイー・ミナール/Alai Minar」にも行くことが出来ました。バスに戻ってデリー市内を走り「フマユーン廟/Humayun’s Tomb」の見学です。ここでも西門の辺りでガイドさんから説明を受けた後は解散になります。朝の時間は南側からの方が奇麗なのは前のガイドさんから教わっていたので2人だけ移動しました。やはりこちら側の方が太陽光線が奇麗に当たって余計に美しく見えました。墓の中はいくつかの石棺しかないので早々に集合場所に戻り、妻を置いて「イサ・カンズ廟/Isa Khan's Tomb」を見に行きました。ここは前回に前を通るだけだったので気になっていたイスラム時代の廟で、今回見ることが出来て良かったです。残った妻はツアーの方々と話していたようで6人で来られていた女性のグループが富山からだと聞いて喜んでいました。よほど昨年11月の富山の旅が楽しかったのでしょうね。デリーの観光はここまでで空港に向かってバスは走ります。デリーからはエア・インディアの国内線でガヤ国際空港に移動しますが、成田で付けた荷物のタグがガヤまでだったのに皆さん捨ててしまっていたり…。インドの国内線の荷物チェックが厳しいのは知っていたので別のバックにまとめてあり、それを全部並べていると皆さん初めてなので大慌てになったり…。何とか中で集合した後はお昼になるのですが、フードコートでまた時間がかかります。ガイドさんはどの店でもよくて1人600ルピーくらいということです。うちがケンタッキーのセットメニューを注文すると皆さん同じ店にされたので支払いなどは良かったですが、一気に注文が入ったので出来上がりは遅かったです。宗教上の制約の多いインドではチキンメインでべジメニューもあるケンタッキーはもってこいのようで賑わっていました。お腹いっぱいにチキンを食べてガヤに向かいます。もう1つ気を付けなければならないのがガヤからパトナまでの地域はアルコールの持ち込みも禁止なので、見つかった場合は罰金になるということです。今回のツアーの1つ前のツアーに参加された方から貴重な情報をいただいていたので、アルコールや踏切による渋滞などこの先の心構えが出来ていたので助かりました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
航空会社
エアインディア
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 「カルディナル・エクスプレス・オクスモ/Cardinal Express OXMO」での一夜が明けてホテルで朝ご飯を頂きます。

    「カルディナル・エクスプレス・オクスモ/Cardinal Express OXMO」での一夜が明けてホテルで朝ご飯を頂きます。

  • 簡単なサンドイッチにチキンのハム、パラクプーリー(Palak Poori)はほうれん草のピューレと全粒粉を混ぜて作るインドの揚げパンです。色は少し緑色でインドでは一般的なプーリーにほうれん草を加えることでより栄養価が高まります。カップにはサンバル(Sambar)は南インドで食べられるスパイスを使ったキマメや野菜の入ったスープです。

    簡単なサンドイッチにチキンのハム、パラクプーリー(Palak Poori)はほうれん草のピューレと全粒粉を混ぜて作るインドの揚げパンです。色は少し緑色でインドでは一般的なプーリーにほうれん草を加えることでより栄養価が高まります。カップにはサンバル(Sambar)は南インドで食べられるスパイスを使ったキマメや野菜の入ったスープです。

  • デリー市内の渋滞を避けて午前7時30分にはホテルを出発しました。

    デリー市内の渋滞を避けて午前7時30分にはホテルを出発しました。

  • スクールバスを待つ子供たちにはちゃんと保護者が付いています。インドではほとんどの学校で制服が採用されています。小学校から高校まで制服があり、デザインは学校によってさまざまです。

    スクールバスを待つ子供たちにはちゃんと保護者が付いています。インドではほとんどの学校で制服が採用されています。小学校から高校まで制服があり、デザインは学校によってさまざまです。

  • 以前のガイドさんによるとデリーの町中を歩いている牛たちは野良牛ではなく、そのほとんどが飼い主がいてちゃんと家があります。

    以前のガイドさんによるとデリーの町中を歩いている牛たちは野良牛ではなく、そのほとんどが飼い主がいてちゃんと家があります。

  • 牛たちは朝になると勝手に家を出ていき、町中で食べ物を探して、夕方になるとちゃんと家に帰って来るそうです。インドの人はベジタリアンも多いですが、肉を食べる場合はうすは食べませんが水牛は食べることがあるそうです。

    牛たちは朝になると勝手に家を出ていき、町中で食べ物を探して、夕方になるとちゃんと家に帰って来るそうです。インドの人はベジタリアンも多いですが、肉を食べる場合はうすは食べませんが水牛は食べることがあるそうです。

  • インドでは三輪タクシーは「リキシャ」または「オート」と呼ばれ、街中で多数運行しています。元々は日本の人力車が語源とされています。

    インドでは三輪タクシーは「リキシャ」または「オート」と呼ばれ、街中で多数運行しています。元々は日本の人力車が語源とされています。

  • 2025年にはインド政府が2030年までに二輪車と三輪車の80%を電気自動車(BEV)化する目標を掲げているため、電動三輪タクシーの導入も進んでいるようです。

    2025年にはインド政府が2030年までに二輪車と三輪車の80%を電気自動車(BEV)化する目標を掲げているため、電動三輪タクシーの導入も進んでいるようです。

  • 一応交通ルールはあるようで、オートバイはヘルメット着用が義務付けられていますが、ほとんど違反している人が多いようです。2026年1月からはすべての新しい二輪車の購入時に2つのBIS認定ヘルメットを提供することを義務化します。リキシャの逆相なんて誰も気にしません。近所を走っている「子乗せ電動アシスト自転車」もインド並みなので2026年4月からの交通反則通告制度が楽しみです。

    一応交通ルールはあるようで、オートバイはヘルメット着用が義務付けられていますが、ほとんど違反している人が多いようです。2026年1月からはすべての新しい二輪車の購入時に2つのBIS認定ヘルメットを提供することを義務化します。リキシャの逆相なんて誰も気にしません。近所を走っている「子乗せ電動アシスト自転車」もインド並みなので2026年4月からの交通反則通告制度が楽しみです。

  • ここに集まっている牛たちは食べ物があるのを知っているのでしょう。インドには約1億8500万頭の牛がおり、人口密度あたりの牛の数は世界一です。現代でもヒンドゥー至上主義のもと、牛を保護する運動が行われています。特に乳白色のこぶ牛が神聖視されており、殺生や肉食は禁じられています。

    ここに集まっている牛たちは食べ物があるのを知っているのでしょう。インドには約1億8500万頭の牛がおり、人口密度あたりの牛の数は世界一です。現代でもヒンドゥー至上主義のもと、牛を保護する運動が行われています。特に乳白色のこぶ牛が神聖視されており、殺生や肉食は禁じられています。

  • オートリキシャ(Auto-Rickshaw)には数々におメーカーがありますが、これは2輪メーカーのBajajが生産している「Bajaj RE 」です。オートリキシャは1961年にイタリアのピアジオ社(PIAGGIO)がApe D型をベースにBAJAJにライセンス生産させたものが始まりで、1971年までPIAGGIOブランドでライセンス生産された後、BAJAJブランドとして今も生産され続けています。

    オートリキシャ(Auto-Rickshaw)には数々におメーカーがありますが、これは2輪メーカーのBajajが生産している「Bajaj RE 」です。オートリキシャは1961年にイタリアのピアジオ社(PIAGGIO)がApe D型をベースにBAJAJにライセンス生産させたものが始まりで、1971年までPIAGGIOブランドでライセンス生産された後、BAJAJブランドとして今も生産され続けています。

  • 表の景色を楽しんでいるうちにバスは「クトウーブミナール/Qutb Minar」に到着しました。

    表の景色を楽しんでいるうちにバスは「クトウーブミナール/Qutb Minar」に到着しました。

  • ちょうど朝日も上がってきたので信心深い野良犬がお祈りを捧げているようです。

    ちょうど朝日も上がってきたので信心深い野良犬がお祈りを捧げているようです。

  • インドの観光地はインド人とその周辺国(ネパールやスリランカやモルディブなど)は40ルピーですが、外国人は600ルピーと15倍の差があります。

    インドの観光地はインド人とその周辺国(ネパールやスリランカやモルディブなど)は40ルピーですが、外国人は600ルピーと15倍の差があります。

  • 紙のチケットは無くこのようなトークンを入口で係員に渡します。出る時も必要なので無くすと100ルピーの罰金になります。昔はこういったトークンが世の中にたくさんあり、上海の黄浦江を渡る渡船も5角のトークンだったし、イタリアでは公衆電話は200リラのトークンがありました。イスタンブールのテュネルもトークンでした。

    紙のチケットは無くこのようなトークンを入口で係員に渡します。出る時も必要なので無くすと100ルピーの罰金になります。昔はこういったトークンが世の中にたくさんあり、上海の黄浦江を渡る渡船も5角のトークンだったし、イタリアでは公衆電話は200リラのトークンがありました。イスタンブールのテュネルもトークンでした。

  • 入口のゲートは3つありインド人の男性、インド人の女性、外国人になっています。前回に比べて入り口が空いているように思えます。

    入口のゲートは3つありインド人の男性、インド人の女性、外国人になっています。前回に比べて入り口が空いているように思えます。

    クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡

  • 1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、「クワットゥル・イスラーム・モスク」に付属して建てられました。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となったインド最古のミナレットとされます。

    1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、「クワットゥル・イスラーム・モスク」に付属して建てられました。ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となったインド最古のミナレットとされます。

  • 高さは72.5メートルあり、かつては世界で最も高いミナレットでした。地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100メートルほどの高さがあったといわれます。直径は基底部14.3メートルに対して先端部は2.75メートルです。デリー空港への着陸ルートの真下なので高度を下げてきた航空機に手が届きそうです。

    高さは72.5メートルあり、かつては世界で最も高いミナレットでした。地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100メートルほどの高さがあったといわれます。直径は基底部14.3メートルに対して先端部は2.75メートルです。デリー空港への着陸ルートの真下なので高度を下げてきた航空機に手が届きそうです。

  • 「クトゥブ・ミナール」の建設はインドに移住してイスラム教を持ち込んだグリド朝によって計画と資金が提供されました。グリド族は歴史的にシャンサバニ族として知られるタジキスタン系の氏族で、現在のアフガニスタン西部の山岳地帯であるグル出身です。11世紀後半から12世紀初頭にかけて、この遊牧民の氏族の異なる宗派が団結し、遊牧文化を放棄し、この時期にイスラム教も受け入れました。

    「クトゥブ・ミナール」の建設はインドに移住してイスラム教を持ち込んだグリド朝によって計画と資金が提供されました。グリド族は歴史的にシャンサバニ族として知られるタジキスタン系の氏族で、現在のアフガニスタン西部の山岳地帯であるグル出身です。11世紀後半から12世紀初頭にかけて、この遊牧民の氏族の異なる宗派が団結し、遊牧文化を放棄し、この時期にイスラム教も受け入れました。

  • その後現代のインドにまで拡大し、急速に支配を広げました。1193年にクトゥブ・アルディーン・アイバックがデリーを征服し、州内でグリド朝の総督職を導入し、同年に会衆モスクであるクトゥブ・ミナール複合施設が設立されました。

    その後現代のインドにまで拡大し、急速に支配を広げました。1193年にクトゥブ・アルディーン・アイバックがデリーを征服し、州内でグリド朝の総督職を導入し、同年に会衆モスクであるクトゥブ・ミナール複合施設が設立されました。

  • モスクの正面のゲートが見えてきました。表から見るとシンプルな石積みの建物のようですが、その内側の回廊の列柱に施された彫刻の素晴らしさはよく覚えています。

    モスクの正面のゲートが見えてきました。表から見るとシンプルな石積みの建物のようですが、その内側の回廊の列柱に施された彫刻の素晴らしさはよく覚えています。

  • モスクの中庭に移設された「デリーの鉄柱」も見えました。中庭にはこの後行くようで、まずは塔の見学になります。

    モスクの中庭に移設された「デリーの鉄柱」も見えました。中庭にはこの後行くようで、まずは塔の見学になります。

  • 直径14メートルの塔の前では妻も昔のスマートな姿を取り戻したように見えました。「クトゥブ・ミナール」はアフガニスタンのジャムのミナレットに触発されており、初期アフガン建築の重要な例であり、後にインド・イスラム建築へと発展しました。

    直径14メートルの塔の前では妻も昔のスマートな姿を取り戻したように見えました。「クトゥブ・ミナール」はアフガニスタンのジャムのミナレットに触発されており、初期アフガン建築の重要な例であり、後にインド・イスラム建築へと発展しました。

  • 1192年にムハンマド・ゴーリがラージプート王プリトヴィラージ・チャウハンに勝利したことを祝うために、当時の副王クトゥブ・ウッディーン・アイバックによって勝利の塔として建てられました。後にマムルーク朝の初代スルタンとなる人物です。

    1192年にムハンマド・ゴーリがラージプート王プリトヴィラージ・チャウハンに勝利したことを祝うために、当時の副王クトゥブ・ウッディーン・アイバックによって勝利の塔として建てられました。後にマムルーク朝の初代スルタンとなる人物です。

  • しかしアイバックは1層しか建てることができず、そのため下層にはムハンマド・ゴーリへの賛辞が飾られています。次の3層までは彼の娘婿で後継者のイルトゥトミシュによって増築されました。ミナールは1368年に初めて雷に打たれ、最上階が倒れました。

    しかしアイバックは1層しか建てることができず、そのため下層にはムハンマド・ゴーリへの賛辞が飾られています。次の3層までは彼の娘婿で後継者のイルトゥトミシュによって増築されました。ミナールは1368年に初めて雷に打たれ、最上階が倒れました。

  • イルトゥトミシュは幼少期に奴隷として売られ1190年代後半にグリド朝の奴隷指揮官クトゥブ・ウッディーン・アイバックがデリーで彼を購入し、奴隷の奴隷となりました。イルトゥトミシュはアイバックのもとで頭角を現し、重要なバダウンの称号イクタを与えられました。1205年から1206年にかけてのホカール反乱軍に対する彼の軍事行動はゴールのグル朝支配者ムハンマドの注目を集め、彼の主人アイバックが解放される前に彼を解放しました。

    イルトゥトミシュは幼少期に奴隷として売られ1190年代後半にグリド朝の奴隷指揮官クトゥブ・ウッディーン・アイバックがデリーで彼を購入し、奴隷の奴隷となりました。イルトゥトミシュはアイバックのもとで頭角を現し、重要なバダウンの称号イクタを与えられました。1205年から1206年にかけてのホカール反乱軍に対する彼の軍事行動はゴールのグル朝支配者ムハンマドの注目を集め、彼の主人アイバックが解放される前に彼を解放しました。

  • 1206年にムハンマド・オブ・ゴールが暗殺された後、アイバックはインドのグルード領の実質的な独立支配者となります。「奴隷王朝」とは1206年に成立したインドのイスラーム政権で、ゴール朝の奴隷だったアイバクが1206年にデリーに建国したことからこう呼ばれます。歴代スルタンに奴隷出身が多く、以後1526年にムガル朝がはじまるまで続くデリー=スルタン朝の最初となりました。

    1206年にムハンマド・オブ・ゴールが暗殺された後、アイバックはインドのグルード領の実質的な独立支配者となります。「奴隷王朝」とは1206年に成立したインドのイスラーム政権で、ゴール朝の奴隷だったアイバクが1206年にデリーに建国したことからこう呼ばれます。歴代スルタンに奴隷出身が多く、以後1526年にムガル朝がはじまるまで続くデリー=スルタン朝の最初となりました。

  • 「イスラムの力」を意味する「クワット・ウル・イスラム・モスク」はクトゥブ・モスクまたはデリー大モスクとも呼ばれ、マムルーク王朝(奴隷王朝)の創始者クトゥブ・ウッディーン・アイバックによって、27の寺院からスポリア(スポリア)を用いて建てられました。この寺院は城塞の中央に位置する、取り壊された大きな神殿の跡地に建てられました。

    「イスラムの力」を意味する「クワット・ウル・イスラム・モスク」はクトゥブ・モスクまたはデリー大モスクとも呼ばれ、マムルーク王朝(奴隷王朝)の創始者クトゥブ・ウッディーン・アイバックによって、27の寺院からスポリア(スポリア)を用いて建てられました。この寺院は城塞の中央に位置する、取り壊された大きな神殿の跡地に建てられました。

  • その後になって高いアーチ型スクリーンが建てられ、シャムス・ウッディーン・イトゥトミシュとアラウッディーン・ハルジーによってモスクは拡張されました。

    その後になって高いアーチ型スクリーンが建てられ、シャムス・ウッディーン・イトゥトミシュとアラウッディーン・ハルジーによってモスクは拡張されました。

  • インド征服後にデリーで最初に建てられたモスクであり、インド亜大陸で最も古く現存するグル朝建築の例とされています。柔らかい赤い砂岩に彫られた精緻な模様が往時の美しさを彷彿させます。

    インド征服後にデリーで最初に建てられたモスクであり、インド亜大陸で最も古く現存するグル朝建築の例とされています。柔らかい赤い砂岩に彫られた精緻な模様が往時の美しさを彷彿させます。

  • モスクは高さ43メートル×32メートルの敷石で舗装された中庭に建てられており、イルトゥトミシュが1210年から1220年の間に増築した柱のある回廊に囲まれています。

    モスクは高さ43メートル×32メートルの敷石で舗装された中庭に建てられており、イルトゥトミシュが1210年から1220年の間に増築した柱のある回廊に囲まれています。

  • このモスクは回廊に囲まれた長方形の中庭で構成されており、彫刻された柱や27のジャイナ教およびヒンドゥー教寺院の建築的要素が見られます。

    このモスクは回廊に囲まれた長方形の中庭で構成されており、彫刻された柱や27のジャイナ教およびヒンドゥー教寺院の建築的要素が見られます。

  • 現在は柱と梁の部分しか残っていないところも多いですが、直接太陽光線が当たることで施された彫刻の美しさがより引き立ちます。

    現在は柱と梁の部分しか残っていないところも多いですが、直接太陽光線が当たることで施された彫刻の美しさがより引き立ちます。

  • 以前はオウムやインコが群れを成して飛んでいましたが、今回はその数が少なくなったように思えます。

    以前はオウムやインコが群れを成して飛んでいましたが、今回はその数が少なくなったように思えます。

  • 中庭の「デリーの鉄柱」には4世紀のブラフミー文字でサンスクリット語の碑文が刻まれていて、それによればこの柱はヴィシュヌドヴァジャ(神ヴィシュヌの旗)としてヴィシュヌーパーダと呼ばれる丘に建てられ、強大な王チャンドラを偲んで建てられたとされています。

    中庭の「デリーの鉄柱」には4世紀のブラフミー文字でサンスクリット語の碑文が刻まれていて、それによればこの柱はヴィシュヌドヴァジャ(神ヴィシュヌの旗)としてヴィシュヌーパーダと呼ばれる丘に建てられ、強大な王チャンドラを偲んで建てられたとされています。

  • 「デリーの鉄柱」は高さ7.21メートル、直径41センチメートルの金属製構造物で、チャンドラグプタ2世によって建設されました。その構造に使われる金属は錆に強い組成を持ち、重さは6トン以上のこの柱は高い耐腐食性から考古学者や材料科学者の注目を集め、「古代インドの鉄細工師が鉄の採取と加工において築いた高い技術の証」と称されています。

    「デリーの鉄柱」は高さ7.21メートル、直径41センチメートルの金属製構造物で、チャンドラグプタ2世によって建設されました。その構造に使われる金属は錆に強い組成を持ち、重さは6トン以上のこの柱は高い耐腐食性から考古学者や材料科学者の注目を集め、「古代インドの鉄細工師が鉄の採取と加工において築いた高い技術の証」と称されています。

  • 先ほどの正面入り口のゲートの内側の回廊の見学をします。この時点でフリータイムになり20分ほど散策することが出来ました。個人的にはこの施設の中で一番好きな回廊です。

    先ほどの正面入り口のゲートの内側の回廊の見学をします。この時点でフリータイムになり20分ほど散策することが出来ました。個人的にはこの施設の中で一番好きな回廊です。

  • 広場を中心に3方向回廊がほぼ無傷の状態で残されています。その1本1本の柱に施された彫刻は同じものが無いのが驚異的です。

    広場を中心に3方向回廊がほぼ無傷の状態で残されています。その1本1本の柱に施された彫刻は同じものが無いのが驚異的です。

  • スリランカのキャンディにある「仏歯寺」の表にあるキャンディ王朝時代の集会所にも同じような列柱の建物があり、その拓本がジェフリー・バワの自宅「No,11」に飾ってあったことを思い出しました。「No,11」には宿泊しましたが、索ねんスリランカへ行った友人からもう宿泊できなくなったと聞きました。

    スリランカのキャンディにある「仏歯寺」の表にあるキャンディ王朝時代の集会所にも同じような列柱の建物があり、その拓本がジェフリー・バワの自宅「No,11」に飾ってあったことを思い出しました。「No,11」には宿泊しましたが、索ねんスリランカへ行った友人からもう宿泊できなくなったと聞きました。

  • アラウッディーン・ハルジーは1300年以前に建てられた「クワット・ウル・イスラム・モスク」の規模を拡張した後、「アライ・ミナール」の建設を始めました。彼はこの塔を拡張されたモスクの比率で「クトゥブ・ミナール」の2倍の高さにすると考えました。しかし25メートルの1層のコアが完成した直後に建設は中止されました。1316年にアラウッディーンが亡くなった直後、ハルジー朝の後継者たちには引き継ぎませんでした。「アライ・ミナール」の1階は巨大な石造りのコアは後に加工石で覆われる予定だったようです。

    アラウッディーン・ハルジーは1300年以前に建てられた「クワット・ウル・イスラム・モスク」の規模を拡張した後、「アライ・ミナール」の建設を始めました。彼はこの塔を拡張されたモスクの比率で「クトゥブ・ミナール」の2倍の高さにすると考えました。しかし25メートルの1層のコアが完成した直後に建設は中止されました。1316年にアラウッディーンが亡くなった直後、ハルジー朝の後継者たちには引き継ぎませんでした。「アライ・ミナール」の1階は巨大な石造りのコアは後に加工石で覆われる予定だったようです。

  • ここまで来ていながらデリー・スルタン朝の支配者だったイルトゥトミシュの墓を見てくるのを忘れてしまいました。

    ここまで来ていながらデリー・スルタン朝の支配者だったイルトゥトミシュの墓を見てくるのを忘れてしまいました。

  • 2層、3層、4層はデリーから統治した最初のムスリム主権者シャム・ウッディーン・イルトゥトミシュによって建てられました。2層と3層も12本の半円形ピラスターと12本のフランジ付きピラスターで補強され交互に配置されています。

    2層、3層、4層はデリーから統治した最初のムスリム主権者シャム・ウッディーン・イルトゥトミシュによって建てられました。2層と3層も12本の半円形ピラスターと12本のフランジ付きピラスターで補強され交互に配置されています。

  • これらの赤い砂岩の柱はフランジやムカルナスのコーベルで支えられた層付きのバルコニーで区切られています。再建と縮小の前に4層も半円形のピラスターで装飾されていました。

    これらの赤い砂岩の柱はフランジやムカルナスのコーベルで支えられた層付きのバルコニーで区切られています。再建と縮小の前に4層も半円形のピラスターで装飾されていました。

  • 1946年にチェコの女優でマハラジャ・ジャガジット・シンの6番目の妻であるタラ・デヴィが、2頭のポメラニア犬と共に塔から転落し命を落としました。1981年には階段の照明が故障し、パニックになった300人から400人が出口に殺到したために45人が死亡ししました。そのほとんどは女学生だったこともあり、それ以、塔の内部は一般公開されていません。

    1946年にチェコの女優でマハラジャ・ジャガジット・シンの6番目の妻であるタラ・デヴィが、2頭のポメラニア犬と共に塔から転落し命を落としました。1981年には階段の照明が故障し、パニックになった300人から400人が出口に殺到したために45人が死亡ししました。そのほとんどは女学生だったこともあり、それ以、塔の内部は一般公開されていません。

  • 再集合したところでガイドさんに写真を撮っていただきました。

    再集合したところでガイドさんに写真を撮っていただきました。

  • 「スミス・フォリー」とはかつては建築上の大惨事と見なされていたクーポラに付けられた名前で、「クトゥブ・ミナール」を囲む緑の芝生の片隅に建っています。このありふれた構造物は庭園を引き立たせるために作られたように見えますが、かつては「クトゥブ・ミナール」の頂上にありました。

    「スミス・フォリー」とはかつては建築上の大惨事と見なされていたクーポラに付けられた名前で、「クトゥブ・ミナール」を囲む緑の芝生の片隅に建っています。このありふれた構造物は庭園を引き立たせるために作られたように見えますが、かつては「クトゥブ・ミナール」の頂上にありました。

  • 13世紀初頭に建造された「クトゥブ・ミナール」は長年にわたり何度か修復されてきました。1803年の地震でクーポラが大きな被害を受けたため、デリーのセント・ジェームズ教会の著名な建設者でもあったイギリスインド軍のロバート・スミス少佐が修復を計画しました。彼は1828年に塔の6層に柱のあるクーポラを設置しましたがその建築様式が古代遺跡と相容れないという理由で1848年に撤去されました。クーポラは撤去され「スミスの愚行」として知られるようになりました。

    13世紀初頭に建造された「クトゥブ・ミナール」は長年にわたり何度か修復されてきました。1803年の地震でクーポラが大きな被害を受けたため、デリーのセント・ジェームズ教会の著名な建設者でもあったイギリスインド軍のロバート・スミス少佐が修復を計画しました。彼は1828年に塔の6層に柱のあるクーポラを設置しましたがその建築様式が古代遺跡と相容れないという理由で1848年に撤去されました。クーポラは撤去され「スミスの愚行」として知られるようになりました。

  • ほとんど人のいなかった「クトゥブ・ミナール」の見学を終えてバスに戻り、市内へと進むと再び喧騒の世界に引き戻されます。

    ほとんど人のいなかった「クトゥブ・ミナール」の見学を終えてバスに戻り、市内へと進むと再び喧騒の世界に引き戻されます。

  • 「オートリキシャ」だけではなくバイクタクシーも通勤時間には便利な移動手段のようで、支払いは全てスマホのアプリのようでした。

    「オートリキシャ」だけではなくバイクタクシーも通勤時間には便利な移動手段のようで、支払いは全てスマホのアプリのようでした。

  • 路上にはこんな細かい陶器を売る店が軒を連ねるエリアもありました。この割れやすい素焼きの陶器も毎日出しては仕舞っているのでしょうが、日々の中でも割れてしまうものの数も多そうです。

    路上にはこんな細かい陶器を売る店が軒を連ねるエリアもありました。この割れやすい素焼きの陶器も毎日出しては仕舞っているのでしょうが、日々の中でも割れてしまうものの数も多そうです。

  • 「オートリキシャ」は一応3人乗りのようですが、ほぼ守られていないようです。この車には運転手も含めて6人でしたが、12人乗っている事例も報告されているようです。

    「オートリキシャ」は一応3人乗りのようですが、ほぼ守られていないようです。この車には運転手も含めて6人でしたが、12人乗っている事例も報告されているようです。

  • 高架橋の柱の下に住む人の収入源はこの風船のようです。たくさんの子供を抱えているようですが、インドで生きていくことの難しさを感じます。

    高架橋の柱の下に住む人の収入源はこの風船のようです。たくさんの子供を抱えているようですが、インドで生きていくことの難しさを感じます。

  • 古い自転車が大切に使われているのだと感じます。日本の中古自転車の輸出先はガーナに61万台、ミャンマーに43万台、イラクの42万台が上位のようです。実際にミャンマーでは日本製の中古自転車を見掛けることがありました。中古と言いながらほとんど新しいまま手放される自転車も多いようです。

    古い自転車が大切に使われているのだと感じます。日本の中古自転車の輸出先はガーナに61万台、ミャンマーに43万台、イラクの42万台が上位のようです。実際にミャンマーでは日本製の中古自転車を見掛けることがありました。中古と言いながらほとんど新しいまま手放される自転車も多いようです。

  • デリーの公営バスでは緑色と赤色、そして青色が、DTC(デリー・トランジット・コーポレーション)とされる公営バスとなっています。緑色がエアコンなし、赤色がエアコン付き、そして青色がBEV(バッテリー電気自動車)バスとなりますが、青色もエアコンを完備しています。

    デリーの公営バスでは緑色と赤色、そして青色が、DTC(デリー・トランジット・コーポレーション)とされる公営バスとなっています。緑色がエアコンなし、赤色がエアコン付き、そして青色がBEV(バッテリー電気自動車)バスとなりますが、青色もエアコンを完備しています。

  • 昔の「リキシャ」も健在です。最後にこのタイプに乗ったのは中国の蘇州でした。2014年の元旦で、日中関係が悪い頃でツアー客が夜で歩いていて殴られたり、ヨーカドーが壊されたりしていました。妻を後ろに乗せて、前に乗らせてもらい、運転手のおじさんに写真を撮ってもらったら周囲も爆笑で楽しかったことを思い出しました。

    昔の「リキシャ」も健在です。最後にこのタイプに乗ったのは中国の蘇州でした。2014年の元旦で、日中関係が悪い頃でツアー客が夜で歩いていて殴られたり、ヨーカドーが壊されたりしていました。妻を後ろに乗せて、前に乗らせてもらい、運転手のおじさんに写真を撮ってもらったら周囲も爆笑で楽しかったことを思い出しました。

  • 「ジャワハーラール・ネイルー・スタジアム」はインド初代首相にちなんで名付けられました。主にサッカーと陸上競技の会場として使われるスタジアムです。

    「ジャワハーラール・ネイルー・スタジアム」はインド初代首相にちなんで名付けられました。主にサッカーと陸上競技の会場として使われるスタジアムです。

  • スタジアムが見える高架の上ではいつも鳩に餌をやっている人がいます。前回も何度も見た光景なのでよく覚えていました。どこにでも変わった人がいるようですが、片や1日数十円とかで家族を養う人がいたり、鳩に毎日餌をやる人がいたりインドという国は不思議に思うことが多いです。

    スタジアムが見える高架の上ではいつも鳩に餌をやっている人がいます。前回も何度も見た光景なのでよく覚えていました。どこにでも変わった人がいるようですが、片や1日数十円とかで家族を養う人がいたり、鳩に毎日餌をやる人がいたりインドという国は不思議に思うことが多いです。

  • この人は行き倒れているのではなく、道で寝ているのだと思います。15年くらい前に仕事で大阪に長期出張している際に西成でこんな光景はよくありました。禁煙は西成の辺りも民泊が増えたようなので、その風景もだいぶ変わったのかもしれません。

    この人は行き倒れているのではなく、道で寝ているのだと思います。15年くらい前に仕事で大阪に長期出張している際に西成でこんな光景はよくありました。禁煙は西成の辺りも民泊が増えたようなので、その風景もだいぶ変わったのかもしれません。

  • こちらでは道路に布団を敷いていて、それが彼らの家に見えてきました。

    こちらでは道路に布団を敷いていて、それが彼らの家に見えてきました。

  • バスは「フマーユーン廟/Humayun's Tomb」の近くで我々を降ろして走り去ります。この墓はムガル皇帝フマユーンのもので、フマユーンの最初の妻であり妃であったベガ・ベグム皇后が1558年にミラク・ミルザ・ギヤスとその息子サイイド・ムハンマドに依頼して設計されました。

    バスは「フマーユーン廟/Humayun's Tomb」の近くで我々を降ろして走り去ります。この墓はムガル皇帝フマユーンのもので、フマユーンの最初の妻であり妃であったベガ・ベグム皇后が1558年にミラク・ミルザ・ギヤスとその息子サイイド・ムハンマドに依頼して設計されました。

    フマーユーン廟 史跡・遺跡

  • ここでもインド人と周辺国の人は40ルピーで、それ以外の外国人は600ルピーです。これは現金での支払いの場合で、クレジットやデビッドカードでの支払いだと少し割引があります。

    ここでもインド人と周辺国の人は40ルピーで、それ以外の外国人は600ルピーです。これは現金での支払いの場合で、クレジットやデビッドカードでの支払いだと少し割引があります。

  • ここでもガイドさんが購入したトークンを1枚1枚受け取って入場します。トークンを無くしてしまうと100ルピーの罰金になります。

    ここでもガイドさんが購入したトークンを1枚1枚受け取って入場します。トークンを無くしてしまうと100ルピーの罰金になります。

  • ここでもインド人男性用と女性用、外国人の3つのゲートに分かれています。

    ここでもインド人男性用と女性用、外国人の3つのゲートに分かれています。

  • 以前はまだ建設中だった博物館も完成されたようですし、ここは夜間営業もしているようです。ここは昼間見るよりも夜に観た方が奇麗かもしれません。

    以前はまだ建設中だった博物館も完成されたようですし、ここは夜間営業もしているようです。ここは昼間見るよりも夜に観た方が奇麗かもしれません。

  • 「ブー・ハリーマー廟/Bu Halima Tomb」<br />ブ・ハリマはフマユーンの後宮で重要な地位を占め、フマユーンの父であるバーブルのインドへの随行の一員でした。ブ・ハリマの正確な身元は謎ですが、フマユーンの乳母であり、ムガルの貴族女性であったと言われています。

    「ブー・ハリーマー廟/Bu Halima Tomb」
    ブ・ハリマはフマユーンの後宮で重要な地位を占め、フマユーンの父であるバーブルのインドへの随行の一員でした。ブ・ハリマの正確な身元は謎ですが、フマユーンの乳母であり、ムガルの貴族女性であったと言われています。

  • 「ブー・ハリーマー門/Bu Halima Gateway」<br />彼女が重要な地位にあったことは明らかで、彼女の名を冠した庭園やフマユーンの墓からわずか100メートルほどの場所に墓が置かれていることからも分かります。

    「ブー・ハリーマー門/Bu Halima Gateway」
    彼女が重要な地位にあったことは明らかで、彼女の名を冠した庭園やフマユーンの墓からわずか100メートルほどの場所に墓が置かれていることからも分かります。

  • フマユーン廟へ続く庭園の囲いは西門と軸線に沿って、アラブ・サライの北門に隣接まで至ります。ブ・ハリマ門の精巧な釉薬タイル細工の一部は、中央の大きな凹んだアーチのスパンドレルにタイルメダリオン、面取り面パネルやパラペットのタイルインレイ細工として東側ファサードにも残っています。

    フマユーン廟へ続く庭園の囲いは西門と軸線に沿って、アラブ・サライの北門に隣接まで至ります。ブ・ハリマ門の精巧な釉薬タイル細工の一部は、中央の大きな凹んだアーチのスパンドレルにタイルメダリオン、面取り面パネルやパラペットのタイルインレイ細工として東側ファサードにも残っています。

  • 1920年代にコンクリートなどを用いて修復されたものを伝統的な材料や道具、建築技術を用いて修復しているようですが、漆喰の壁などは剥離したり変色しているようです。上部の青いタイルはその当時の中国から取り寄せたものだそうです。

    1920年代にコンクリートなどを用いて修復されたものを伝統的な材料や道具、建築技術を用いて修復しているようですが、漆喰の壁などは剥離したり変色しているようです。上部の青いタイルはその当時の中国から取り寄せたものだそうです。

  • 「アラブ・キ・サラーイ門/Arab Ki Sarai Gateway」<br />文字通り馬のためのサライ(休憩所)を意味するこの建物は「アフサルワラ・モスク」に隣接して建っており、1560年から1561年頃にフマユーンの第1夫人ベガ・ベグム皇后によって建設されました。表向きは建設作業に来たアラブ人300人の職人のために建てられたようですが、奥には正体不明の人物に捧げられた「アフサルワラの墓」があります。

    「アラブ・キ・サラーイ門/Arab Ki Sarai Gateway」
    文字通り馬のためのサライ(休憩所)を意味するこの建物は「アフサルワラ・モスク」に隣接して建っており、1560年から1561年頃にフマユーンの第1夫人ベガ・ベグム皇后によって建設されました。表向きは建設作業に来たアラブ人300人の職人のために建てられたようですが、奥には正体不明の人物に捧げられた「アフサルワラの墓」があります。

  • 「西門/West Gate」の門のデザインは奥にある廟の対称性を反映しており、中に入るとまず墓のドーム天井のドラマチックな姿を目にすることができます。フマーユーン廟群への現在の正門で、1560年代に建造されたこの壮大な2階建ての建造物はムガル帝国時代に訪問者や役人のための主要な通路とされました。

    「西門/West Gate」の門のデザインは奥にある廟の対称性を反映しており、中に入るとまず墓のドーム天井のドラマチックな姿を目にすることができます。フマーユーン廟群への現在の正門で、1560年代に建造されたこの壮大な2階建ての建造物はムガル帝国時代に訪問者や役人のための主要な通路とされました。

  • 高さ16メートルのこの門は赤い砂岩で造られ、印象的な白と黒の大理石の象嵌細工が施されています。門の中央には高いアーチ(イーワーン)があり、両脇には警備員や管理職員が住んでいたと思われる小さな部屋が並んでいます。

    高さ16メートルのこの門は赤い砂岩で造られ、印象的な白と黒の大理石の象嵌細工が施されています。門の中央には高いアーチ(イーワーン)があり、両脇には警備員や管理職員が住んでいたと思われる小さな部屋が並んでいます。

  • 主廟の対称性を反映したデザインが格式の高さを感じさせます。中に入るとまず墓のドーム天井のドラマチックな姿を目にすることができます。上部に2つの六芒星(チャトリ)があり、建物の両側に12個の小さなアーチを備えた巨大なアーチ型の門を備えた美しい門です。

    主廟の対称性を反映したデザインが格式の高さを感じさせます。中に入るとまず墓のドーム天井のドラマチックな姿を目にすることができます。上部に2つの六芒星(チャトリ)があり、建物の両側に12個の小さなアーチを備えた巨大なアーチ型の門を備えた美しい門です。

  • 門を潜ると正面に「フマユーン廟」が見えてきます。インド亜大陸におけるトルコ系およびムガル帝国の支配は中央アジアやペルシャ様式のイスラム建築もこの地域に導入し、12世紀後半までにデリー・スルタン国の首都デリー周辺でこの様式の初期の記念碑が現れ始めました。

    門を潜ると正面に「フマユーン廟」が見えてきます。インド亜大陸におけるトルコ系およびムガル帝国の支配は中央アジアやペルシャ様式のイスラム建築もこの地域に導入し、12世紀後半までにデリー・スルタン国の首都デリー周辺でこの様式の初期の記念碑が現れ始めました。

  • 北インドはその後の数世紀にわたり外国の王朝によって順次支配され、インド・イスラム建築が生まれました。当時主流の建築様式はトラビーテ(柱、梁、まぐさ石)を用いたものでしたが、これによりアーチや梁を備えたアーチ型建築が生まれ、ムガル朝の後援のもとで装飾的なコーベルブラケット、バルコニー、ペンデンティブ装飾、さらにはキオスクなどの要素を取り入れていきます。

    北インドはその後の数世紀にわたり外国の王朝によって順次支配され、インド・イスラム建築が生まれました。当時主流の建築様式はトラビーテ(柱、梁、まぐさ石)を用いたものでしたが、これによりアーチや梁を備えたアーチ型建築が生まれ、ムガル朝の後援のもとで装飾的なコーベルブラケット、バルコニー、ペンデンティブ装飾、さらにはキオスクなどの要素を取り入れていきます。

  • 高い瓦礫で築かれた囲いは西と南にそれぞれ高さ16メートルの2階建ての高門を通って入り、上階には小さな中庭があります。この墓は瓦礫石と赤砂岩で建てられ、白大理石を覆い材として使用し、床材やジャアリと呼ばれる格子スクリーン、チャッジャと呼ぶ軒と主ドームにも使われています。

    高い瓦礫で築かれた囲いは西と南にそれぞれ高さ16メートルの2階建ての高門を通って入り、上階には小さな中庭があります。この墓は瓦礫石と赤砂岩で建てられ、白大理石を覆い材として使用し、床材やジャアリと呼ばれる格子スクリーン、チャッジャと呼ぶ軒と主ドームにも使われています。

  • ここで30分ほどのフリータイムになります。前回のガイドさんが朝の場合は南側から見た方が太陽光線が当たって美しいと教えてくれたのでそれに習います。

    ここで30分ほどのフリータイムになります。前回のガイドさんが朝の場合は南側から見た方が太陽光線が当たって美しいと教えてくれたのでそれに習います。

  • こちらに来る人の数も少なく赤大理石と白大理石に当たる太陽光線で余計に美しく見えます。

    こちらに来る人の数も少なく赤大理石と白大理石に当たる太陽光線で余計に美しく見えます。

  • 水路の先にある基壇から階段を上がると廟へ入るフロアになります。基壇上には入り口と窓も見えますが、ここは見学することは出来ません。妻は歩きたくないのですでに基壇の上に立っています。

    水路の先にある基壇から階段を上がると廟へ入るフロアになります。基壇上には入り口と窓も見えますが、ここは見学することは出来ません。妻は歩きたくないのですでに基壇の上に立っています。

  • ムガル帝国は南アジアの近世帝国で、約2世紀にわたって西はインダス川流域、北西はアフガニスタン北部、北はカシミール地方、東は現在のアッサムやバングラデシュの高地、南はデカン高原の高地まで広がっていました。

    ムガル帝国は南アジアの近世帝国で、約2世紀にわたって西はインダス川流域、北西はアフガニスタン北部、北はカシミール地方、東は現在のアッサムやバングラデシュの高地、南はデカン高原の高地まで広がっていました。

  • 王朝名の「ムガル」とはモンゴルを意味するペルシア語の「ムグール」の短縮した読みであるムグル(Mughul)が、ムガル(Mughal)に転訛したものです。

    王朝名の「ムガル」とはモンゴルを意味するペルシア語の「ムグール」の短縮した読みであるムグル(Mughul)が、ムガル(Mughal)に転訛したものです。

  • 1526年に現在のウズベキスタン出身でティムール朝の王族である戦士バーブルが、近隣のサファヴィー朝やオスマン帝国からの援助を受け、第1次パーニーパットの戦いでデリー・スルターン朝のイブラーヒーム・ローディーを破り、上インドの平原を制圧して建国したと言われています。5月にはウズベキスタンの旅が待っているのでまだまだ勉強することは多いです。

    1526年に現在のウズベキスタン出身でティムール朝の王族である戦士バーブルが、近隣のサファヴィー朝やオスマン帝国からの援助を受け、第1次パーニーパットの戦いでデリー・スルターン朝のイブラーヒーム・ローディーを破り、上インドの平原を制圧して建国したと言われています。5月にはウズベキスタンの旅が待っているのでまだまだ勉強することは多いです。

  • ムガル帝国の帝国構造はバーブルの孫であるアクバルが支配した1600年までとされることもありますが、帝国構造は最後の皇帝アウラングゼーブが死去した直後の1720年まで続きます。その後の東インド会社がインドを支配していた時代には、オールドデリー周辺に縮小されていましたが、1857年のインド大反乱を機にイギリス領インド帝国によって正式に解体されます。

    ムガル帝国の帝国構造はバーブルの孫であるアクバルが支配した1600年までとされることもありますが、帝国構造は最後の皇帝アウラングゼーブが死去した直後の1720年まで続きます。その後の東インド会社がインドを支配していた時代には、オールドデリー周辺に縮小されていましたが、1857年のインド大反乱を機にイギリス領インド帝国によって正式に解体されます。

  • 皇帝の真の埋葬室はこの戦没者戦死記碑の真下にある地下室にあり、主構造物の外側にある別の通路からアクセス可能ですが、この通路は観光客には閉ざされています。

    皇帝の真の埋葬室はこの戦没者戦死記碑の真下にある地下室にあり、主構造物の外側にある別の通路からアクセス可能ですが、この通路は観光客には閉ざされています。

  • この白い中央ドームの四方にはドーム型の部屋(フジュラ)があり、4つの八角形の墓があり、それぞれに石棺が納められています。

    この白い中央ドームの四方にはドーム型の部屋(フジュラ)があり、4つの八角形の墓があり、それぞれに石棺が納められています。

  • セノタフと呼ぶ戦没者記念碑はイスラムの伝統に従い南北軸に沿って配置されており、頭部は北向きに、顔はメッカの方に横向きに向けられています。これはモロッコやチュニジアを旅していてもバスの車窓から見える墓地を見ても感じることでした。

    セノタフと呼ぶ戦没者記念碑はイスラムの伝統に従い南北軸に沿って配置されており、頭部は北向きに、顔はメッカの方に横向きに向けられています。これはモロッコやチュニジアを旅していてもバスの車窓から見える墓地を見ても感じることでした。

  • 前回は初めて見て感激した格子スクリーンでジャーリ(jaalis)と呼ばれます。ジャーリは日差しと雨を最小限に抑えつつ光と空気を取り込み、受動的換気による冷却効果ももたらします。穴は石の厚さとほぼ同じかそれより小さいため、構造的な強度を確保しています。

    前回は初めて見て感激した格子スクリーンでジャーリ(jaalis)と呼ばれます。ジャーリは日差しと雨を最小限に抑えつつ光と空気を取り込み、受動的換気による冷却効果ももたらします。穴は石の厚さとほぼ同じかそれより小さいため、構造的な強度を確保しています。

  • 見学を早々に切り上げたのは前回は見学しなく、この後も見学しないであろう「イサ・カンズ・トゥーム/Isa Khan&#39;s Tomb」を見るためでした。まだ10分ほど時間があるのでガイドさんに断りを入れて小走りで向かいました。

    見学を早々に切り上げたのは前回は見学しなく、この後も見学しないであろう「イサ・カンズ・トゥーム/Isa Khan's Tomb」を見るためでした。まだ10分ほど時間があるのでガイドさんに断りを入れて小走りで向かいました。

  • この墓は「フマユーン廟」よりも20年も前に造られました。1547年に建てられたスール帝国のシェル・シャー・スーリの宮廷にいたアフガン貴族イサ・カーン・ニヤジの墓群であり、ムガル帝国と戦った人物のものです。

    この墓は「フマユーン廟」よりも20年も前に造られました。1547年に建てられたスール帝国のシェル・シャー・スーリの宮廷にいたアフガン貴族イサ・カーン・ニヤジの墓群であり、ムガル帝国と戦った人物のものです。

  • 墓の向かい側には目立つミフラーブを持つモスクがあります。このモスクは「イサ・カーンのモスク」として知られています。このモスクは墓と同時期に建てられました。これらの構造物に見られる多くの建築的細部はフマユーンの主墓でより壮大なスケールへと進化していきます。

    墓の向かい側には目立つミフラーブを持つモスクがあります。このモスクは「イサ・カーンのモスク」として知られています。このモスクは墓と同時期に建てられました。これらの構造物に見られる多くの建築的細部はフマユーンの主墓でより壮大なスケールへと進化していきます。

  • 八角形の墓は八角形の庭園の中に位置しており、その庭園は彼の生前にシェル・シャーの息子であるイスラム・シャー・スーリの治世中に建てられました。その後はイサ・カーン全家族の埋葬地として使われました。

    八角形の墓は八角形の庭園の中に位置しており、その庭園は彼の生前にシェル・シャーの息子であるイスラム・シャー・スーリの治世中に建てられました。その後はイサ・カーン全家族の埋葬地として使われました。

  • ここでも一番美しく太陽光線が当たる南側から写真を撮りました。入り口からは裏側になるのでこちら側まで来る人の姿はありません。

    ここでも一番美しく太陽光線が当たる南側から写真を撮りました。入り口からは裏側になるのでこちら側まで来る人の姿はありません。

  • 八角形の墓はデリーのローディ庭園にあるスール朝の他の墓と非常に似ており、主墓の精緻な建築様式の著しい発展を示しています。ここに見られる建築的細部の一部は、20年後に建てられるフマユーン家の墓でも見られます。

    八角形の墓はデリーのローディ庭園にあるスール朝の他の墓と非常に似ており、主墓の精緻な建築様式の著しい発展を示しています。ここに見られる建築的細部の一部は、20年後に建てられるフマユーン家の墓でも見られます。

  • 中央の奥にある一番大きな石棺がイサ・カーン・ニアジのものです。イスラム教徒の墓はトルコを旅している際に幾度となく見ることがありました。その中でもコンヤの「メブラーナ博物館」が一番印象に残っています。

    中央の奥にある一番大きな石棺がイサ・カーン・ニアジのものです。イスラム教徒の墓はトルコを旅している際に幾度となく見ることがありました。その中でもコンヤの「メブラーナ博物館」が一番印象に残っています。

  • この廟も美しい格子スクリーンのジャーリ(jaalis)で囲われていました。

    この廟も美しい格子スクリーンのジャーリ(jaalis)で囲われていました。

  • 再集合場所に戻るとギリギリ時間に間に合いました。妻は6人で来られていた女性グループの方とお話しして、富山からだと知って喜んでいました。よほど11月に行った富山が気に入ったのでしょう。妻の記憶の根底にあるのは美味しいものを食べたということのようです。

    再集合場所に戻るとギリギリ時間に間に合いました。妻は6人で来られていた女性グループの方とお話しして、富山からだと知って喜んでいました。よほど11月に行った富山が気に入ったのでしょう。妻の記憶の根底にあるのは美味しいものを食べたということのようです。

  • 次にデリーに来るときは他の観光地に行きたいと思います。今回のような仏教遺跡のツアーはインドは何回目かの人が来るのかと思っていましたが、今回のツアーでは初めての方が多かったです。そうなると今日行った2か所は外せないのかなとも思ってしまいます。

    次にデリーに来るときは他の観光地に行きたいと思います。今回のような仏教遺跡のツアーはインドは何回目かの人が来るのかと思っていましたが、今回のツアーでは初めての方が多かったです。そうなると今日行った2か所は外せないのかなとも思ってしまいます。

  • 再び喧騒の世界に戻り、「インディラ・ガンディー国際空港」に向かいます。

    再び喧騒の世界に戻り、「インディラ・ガンディー国際空港」に向かいます。

  • 道路の街路樹の下に暮らし、造花を作っている親子に未来はあるのでしょうか?せめて子供たちの時代にはインドの経済が最下層まで行き渡るように祈ります。

    道路の街路樹の下に暮らし、造花を作っている親子に未来はあるのでしょうか?せめて子供たちの時代にはインドの経済が最下層まで行き渡るように祈ります。

  • 空港に入り口にはMiG-27の機体が噴水の所に展示してありました。機体の上は鳩が羽を休める場所となっていました。いろも何んとなく鳩の色なので平和の使者のように見えてしまいますが、第3次印パ戦争でも使われたものです。

    空港に入り口にはMiG-27の機体が噴水の所に展示してありました。機体の上は鳩が羽を休める場所となっていました。いろも何んとなく鳩の色なので平和の使者のように見えてしまいますが、第3次印パ戦争でも使われたものです。

  • 管制塔が見えてくると空港も間もなくです。昨晩はカラフルにライトアップされていましたが、昼間見ると特に美しくは見えません。

    管制塔が見えてくると空港も間もなくです。昨晩はカラフルにライトアップされていましたが、昼間見ると特に美しくは見えません。

  • 空港の国内線ターミナルに到着しました。荷物は成田空港からこれから行くガヤ空港までスルーのタグになっていますが、デリーで一度受け取った形になっています。このへんは阪急交通社から一切説明が無いので、タグを捨ててしまった人が多かったです。航空券は成田で2枚受け取っていますが、タグを捨てた人は再発行になります。

    空港の国内線ターミナルに到着しました。荷物は成田空港からこれから行くガヤ空港までスルーのタグになっていますが、デリーで一度受け取った形になっています。このへんは阪急交通社から一切説明が無いので、タグを捨ててしまった人が多かったです。航空券は成田で2枚受け取っていますが、タグを捨てた人は再発行になります。

    インディラ ガンディー国際空港 (DEL) 空港

  • 我々は以前にムンバイからインディゴ航空で国内線を利用したことがあったので電化製品の持ち込みの厳しさはよく知っていました。そのためにすぐに取り出せるように全部別の袋の中にまとめてありました。この事も阪急交通社からは詳しく書かれておらず現地旅行会社へ丸投げなのだと感じます。ガイドさんには荷物がスルーであることと航空券をすでに持っていることは伝わっていませんでした。我が家がセキュリティでトレイにケーブルやバッテリーや充電器を並べると皆さんビックリして大慌てでした。

    我々は以前にムンバイからインディゴ航空で国内線を利用したことがあったので電化製品の持ち込みの厳しさはよく知っていました。そのためにすぐに取り出せるように全部別の袋の中にまとめてありました。この事も阪急交通社からは詳しく書かれておらず現地旅行会社へ丸投げなのだと感じます。ガイドさんには荷物がスルーであることと航空券をすでに持っていることは伝わっていませんでした。我が家がセキュリティでトレイにケーブルやバッテリーや充電器を並べると皆さんビックリして大慌てでした。

  • 6月に再び阪急交通社のインドツアーに申し込んでありますが、つい先日3月16日からインドVISAの申請が変わったという案内が届きました。12月末まで有効のマルチプルのVISAを持っているので問題ありませんが、別にラダック入域申請は阪急が行うので申請用の顔写真とパスポートのコピーと一緒に持っているVISAのPDF等を一緒に添付して送ったら「個人で取得された参加者は当社では一切関知しないので直接インド大使館に確認してください。」と返信が届きました。

    6月に再び阪急交通社のインドツアーに申し込んでありますが、つい先日3月16日からインドVISAの申請が変わったという案内が届きました。12月末まで有効のマルチプルのVISAを持っているので問題ありませんが、別にラダック入域申請は阪急が行うので申請用の顔写真とパスポートのコピーと一緒に持っているVISAのPDF等を一緒に添付して送ったら「個人で取得された参加者は当社では一切関知しないので直接インド大使館に確認してください。」と返信が届きました。

  • 肝心のラダック入境申請の資料がこれでいいのかダメなのかの記載は一切ありません。これまで数多くの海外の旅行会社などにメールを送って確認して、申し込んで参加してきましたが、これほど感じの悪い回答は初めてでした。空港での昼食がフードコートということも案内には無いので、皆さんビックリしていました。我々は1本前のツアーに参加された方から情報をいただいていたので過ぎにKFCに並びました。

    肝心のラダック入境申請の資料がこれでいいのかダメなのかの記載は一切ありません。これまで数多くの海外の旅行会社などにメールを送って確認して、申し込んで参加してきましたが、これほど感じの悪い回答は初めてでした。空港での昼食がフードコートということも案内には無いので、皆さんビックリしていました。我々は1本前のツアーに参加された方から情報をいただいていたので過ぎにKFCに並びました。

  • 皆さんそれに習ったのでガイドさんは支払いが1カ所で済んでよかったようです。1人600ルピーくらいが予算のようで、それに合わせてコンビセットを注文しました。チキンバーガーとクリスピーチキン2本とコーラのセットです。

    皆さんそれに習ったのでガイドさんは支払いが1カ所で済んでよかったようです。1人600ルピーくらいが予算のようで、それに合わせてコンビセットを注文しました。チキンバーガーとクリスピーチキン2本とコーラのセットです。

  • 1番に注文したので真っ先にいただきましたが、遅かった方はずいぶん待たされていました。前に坐った方は最後だったので我々が食べ終わるころに届いていました。

    1番に注文したので真っ先にいただきましたが、遅かった方はずいぶん待たされていました。前に坐った方は最後だったので我々が食べ終わるころに届いていました。

  • 同じKFCでも日本に比べるとずいぶんと違いがありました。かなり厚めの衣がカリカリです。バーガーはバンズに挟んであるからよいのですが、クリスピーチキンは口の中が切れそうなほどカリカリです。

    同じKFCでも日本に比べるとずいぶんと違いがありました。かなり厚めの衣がカリカリです。バーガーはバンズに挟んであるからよいのですが、クリスピーチキンは口の中が切れそうなほどカリカリです。

  • ベジタリアン以外の宗教上の理由で問題ないのがチキンなので人気があるようでとても混みあっていました。今回のツアーの料理はどこも美味しかったですが、KFCも楽しい思い出になりました。

    ベジタリアン以外の宗教上の理由で問題ないのがチキンなので人気があるようでとても混みあっていました。今回のツアーの料理はどこも美味しかったですが、KFCも楽しい思い出になりました。

  • ムンバイからアジャンタ・エローラを巡るツアーではANA直行便で23キロの荷物2個が預けられました。ところがインディゴ航空は15キロ1個までなので、阪急交通社に連絡して初日と最終日に宿泊するホテルに荷物を預かってもらうようにお願いしました。ところが現地には一切連絡が行っていないどころかホテルでは荷物預かりをしていないということでした。現地のガイドさんが交渉してくれましたが、この時も阪急交通社はいい加減だと思いました。今回はエア・インディアだったので23キロまでが国内線でも預けられましたが、この件も阪急からは説明有りませんでした。<br />

    ムンバイからアジャンタ・エローラを巡るツアーではANA直行便で23キロの荷物2個が預けられました。ところがインディゴ航空は15キロ1個までなので、阪急交通社に連絡して初日と最終日に宿泊するホテルに荷物を預かってもらうようにお願いしました。ところが現地には一切連絡が行っていないどころかホテルでは荷物預かりをしていないということでした。現地のガイドさんが交渉してくれましたが、この時も阪急交通社はいい加減だと思いました。今回はエア・インディアだったので23キロまでが国内線でも預けられましたが、この件も阪急からは説明有りませんでした。

  • デリー空港ターミナル2発の「ガヤ国際空港」行きのエア・インディアAI1731便は午後2時35分発で午後4時5分着の予定が1時間ほどのディレイになっていました。

    デリー空港ターミナル2発の「ガヤ国際空港」行きのエア・インディアAI1731便は午後2時35分発で午後4時5分着の予定が1時間ほどのディレイになっていました。

  • 国内戦は沖止めのようでバスに乗って機体に向かいます。うまい具合にバスが入れ替わったので座って待つことが出来ました。

    国内戦は沖止めのようでバスに乗って機体に向かいます。うまい具合にバスが入れ替わったので座って待つことが出来ました。

  • しばらくデリーともお別れです。インドにはいくつかの禁酒州があり、グジャラート州とビハール州が特に有名ですがガヤはビハール州にあります。ガヤからパトナを出るまではお酒は飲めないことと持ち込みは禁止だということも旅行会社からは知らされず、前のツアーではお酒をデリーで捨ててくる人もいたそうです。今回もその件で文句を言っていいる方もいらっしゃいました。

    しばらくデリーともお別れです。インドにはいくつかの禁酒州があり、グジャラート州とビハール州が特に有名ですがガヤはビハール州にあります。ガヤからパトナを出るまではお酒は飲めないことと持ち込みは禁止だということも旅行会社からは知らされず、前のツアーではお酒をデリーで捨ててくる人もいたそうです。今回もその件で文句を言っていいる方もいらっしゃいました。

  • 問題は「ガヤ国際空港」に着いた後のこの日の観光が遂行されるのだろうかということです。午後5時過ぎでは予定の「スジャータ村」や「マハーボデイー寺院」を見学できないと思われました。<br />

    問題は「ガヤ国際空港」に着いた後のこの日の観光が遂行されるのだろうかということです。午後5時過ぎでは予定の「スジャータ村」や「マハーボデイー寺院」を見学できないと思われました。

  • バスは沖合いに泊まった航空機の間を進んでいきます。かなり大きな空港なので延々と走っていくような気がしてきます。

    バスは沖合いに泊まった航空機の間を進んでいきます。かなり大きな空港なので延々と走っていくような気がしてきます。

  • ようやく到着しました。嬉しいことに国内線もヴィスタラの新しい機体でした。

    ようやく到着しました。嬉しいことに国内線もヴィスタラの新しい機体でした。

  • 沖止めの機体で唯一良いのは期待をバックの写真を撮ることが出来ることです。

    沖止めの機体で唯一良いのは期待をバックの写真を撮ることが出来ることです。

  • 屋根のないタラップは雨の日はどうするのだろうと思ってしまいます。

    屋根のないタラップは雨の日はどうするのだろうと思ってしまいます。

  • 国内線の短距離のフライトですが軽食のサービスがありました。さすがはナショナルフラッグですね。クロワッサンの中にはカレーが入っていました。右側はかなり甘い フォンダン・ショコラです。

    国内線の短距離のフライトですが軽食のサービスがありました。さすがはナショナルフラッグですね。クロワッサンの中にはカレーが入っていました。右側はかなり甘い フォンダン・ショコラです。

  • 3人掛けの通路側が2席だったので妻とは泣き別れですが、デリーに来るまでも別々だったので気にしません。ようやくインドの仏跡を巡る旅が始まります。

    3人掛けの通路側が2席だったので妻とは泣き別れですが、デリーに来るまでも別々だったので気にしません。ようやくインドの仏跡を巡る旅が始まります。

    ガヤ空港 (GAY) 空港

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