2026/02/20 - 2026/02/20
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2026/02/20
この旅行記スケジュールを元に
「印度法華ホテル/Indo Hokke Hotel, Rajgir」での昼食の後はバスで30分ほど移動した「ナーランダ マハーヴィハーラ (ナーランダ大学)/Nalanda University」「ナーランダ僧院/Nalanda Mahavihara)」の見学に移ります。世界初の全寮制大学で古代世界で最も偉大な学問の中心地の1つであると考えられ、グプタ朝時代に設立された仏教徒と非仏教徒の両方を含む多くのインド人やジャワ人の後援者に支えられていました。約750年にわたりその教授陣には大乗仏教の最も尊敬される学者たちが在籍し、ナーランダ大乗仏教ではヨーガカラやサルヴァスチバーダなどの6つの主要な仏教宗派、哲学、ヒンドゥー教ヴェーダとその6つの哲学、さらには文法、医学、論理、数学などの科目を教えていました。7世紀には中国からの巡礼者が来訪し、玄奘三蔵は657冊のサンスクリット語仏典を、義浄は400冊のサンスクリット語仏典を持ち帰り、それらの仏典は東アジアの仏教に大きな影響を与えていきます。中国の西安を旅した際は兵馬俑へ行く拠点でもありましたが、玄奘三蔵がインドから仏教の経典や仏像を持ち帰り、当時の長安で翻訳と保管を行った地として、仏教経典や仏像を保存するために建てられた「大雁塔」を見上げると感慨深いものがありました。見学の後は再びバスに乗り込み、この日の宿泊地ビハール州の州都「パトナ/Patna」に着いたのは午後7時近くでした。「ザ・パナシェ/THE PANACHE」のロビーで鍵を受け取ってフロアに上がると601号室がありません。通りがかったマッサージのおじさんに尋ねると「こっちだよ。」と案内してくれましたがそこには「Presidential Suite」と書かれてありました。最上階の角部屋はかなりの広さと大きなソファセットに8人は座れるテーブルに驚かされました。夕食の時間になりガイドさんに「すごい部屋でびっくりしました。」というと「すいません。昨日の晩もスイートの部屋を用意したのですが、間違って他の人に鍵を渡してしまいました。」とのことで意味がよく分かりませんでした。夕食のレストランは1階の奥にありましたが美しく調理された料理が前菜からメイン、デザートまでが並んでいます。料理はどんどん追加されて、シェフも様子を見に表まで出てきて挨拶してくれます。とても美味しいですと伝えると誇らしげだったのが印象的でした。なれないスイートルームでの夜はお酒も飲めずに更けていきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「印度法華ホテル/Indo Hokke Hotel, Rajgir」での昼食の後はバスで30分ほど移動した「ナーランダ マハーヴィハーラ (ナーランダ大学)/Nalanda University」「ナーランダ僧院/Nalanda Mahavihara)」に着きました。
ナーランダ マハーヴィハーラ (ナーランダ大学) 史跡・遺跡
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ここも有名な観光地なので外国人は600ルピー、インドの人は40ルピーという15倍の差があります。
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「ナーランダ僧院/Nalanda Mahavihara」はかつて存在した仏教の学問所で、ナーランダ・マハーヴィハーラ、ナーランダ精舎、那爛陀寺、ナーランダ大学とも呼ばれます。歴史家の間では世界初の全寮制大学で、古代世界で最も偉大な学問の中心地の1つであると考えられています。
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インドの国旗はサフラン・白・緑の横三色の中央に「アショーカ・チャクラ」という法輪を配した旗です。サフランはヒンドゥー教、緑はイスラム教、白は2宗教の和解とその他の宗教を表すとされていましたが、近年では宗派を連想させることを避けるため、それぞれ勇気、豊穣、平和という意味が付与されているようです。
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まずはガイドさんと一緒に10ある僧院の中の1つを見学しました。その後は自由時間になり、寺院と残りの僧院の見学となりました。ナーランダはグプタ朝時代に設立され、仏教徒と非仏教徒の両方を含む、多くのインド人やジャワ人の後援者に支えられていました。約750年にわたりその教授陣には大乗仏教の最も尊敬される学者たちが在籍していました。
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「僧院No,1」
この遺跡はインド考古調査局がナーランダで発掘した最初の遺跡です。もっとも重要な遺跡とされ、印章や石像、金属像やテラコッタ、碑文など最も多くの出土品が発見されました。 -
2つの年代に分かれた9段階の建設を経て建てられた僧院は西暦6世紀から7世紀に渡り、その改修は衰退期まで続いたようです。
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中庭にある小さな祠はクプタ時代のもので、その近くにある長方形の祠などは後の時代に追加されたもののようです。
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建物は基壇の部分しか残っていませんが、往時を想像することは可能です。僧院に関わった教職員や学生にはダルマパーラ、ナーガルジュナ、ダルマキルティ、アサンガ、ヴァスバンドゥ、チャンドラキルティ、シラバドラ、ヴァジュラボーディ、ダルマスヴァミンそして玄奘三蔵が含まれていました。
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玄奘は中国で仏教を学ぶことに飽き足らず、インドで直接仏典を学びたいと強く望んでいました。そしてこの「ナーランダ僧院」こそが彼の最終目的地でした。
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7世紀に国禁を破ってインドへ渡り、ナーランダ僧院に到着した後は35歳から40歳までの5年間滞在しました。学生として学んだ後は教授としても研究に没頭しました。
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戒賢(シーラバドラ)論師の弟子となり、法を学び、仏教だけでなく、医学、薬学、工学など自然科学分野も学びました。帰国時には650部以上の経典を持ち帰り「大雁塔」におさめました。西安にある「大慈恩寺」の境内に建っている7層64メートルの「大雁塔」の前まで行きながら、ガイドさんに「大雁塔に登りたい方は自由時間内にどうぞ。」と言われながら登らなかったことをいまだに後悔しています。
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「寺院No,3」
僧院群の中で最も古く、最も重要なものとされ、最大9層の建築構造が見られます。下層の僧院は9世紀のデーヴァパーラの治世下にシュリーヴィジャヤ王バラプラプラデーヴァが後援したものと考えられています。この建物はもともと少なくとも2階建てで、巨大な座像がありました。 -
頂上まで続く複数の階段が特徴で、この寺院はもともと小さな建造物であり、その後の建設によって増築されました。考古学的証拠によれば最終的な構造物は少なくとも7回にわたる建設の積み重ねの結果であったことが示されています。
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これらの層状寺院のうち5層目は最も興味深く保存状態も良く、4つの角塔があり、そのうち3つが露出しています。塔や階段の側面は仏陀や菩薩など、本生伝説の場面を含む様々な漆喰の装飾パネルで装飾されています。
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寺院は多数の奉納仏塔に囲まれており、その中には聖なる仏典の一節が刻まれたレンガで建てられたものもあります。第3寺院の頂点には祠堂があり、現在はかつて巨大な仏像が安置されていたであろう台座だけが残っています。
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この遺跡では唯一その当時の漆喰がきれいに残されていますが、近くまで歩み寄れないので遠くから写真を撮るだけになるのが残念です。
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この寺院から奥に向かって大きな寺院が並んでいるので、そちらの見学に移ることにします。きれいに整備された遺跡公園の中を散策するのは気持ち良いです。
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ナーランダは5世紀から6世紀にかけてグプタ帝国の庇護のもとで栄え、その後カンナウジの皇帝ハルシャのもとで栄えました。グプタ朝から受け継いだ自由主義的な文化伝統は9世紀まで繁栄の時代をもたらしました。
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グプタ帝国は3世紀中頃から6世紀中頃にかけて存在したインド亜大陸の古典期に存在した帝国です。最盛期にはこの王朝は北インド亜大陸の大部分に広がる帝国を支配したインドの黄金時代とされています。
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この時代の主にサムドラグプタ、チャンドラグプタ2世、クマラグプタ1世の治世中に起こった大きな文化的発展があり、この時期に多くのヒンドゥー教の叙事詩や文学作品である「マハーバーラタ」や「ラーマーヤナ」が正典とされました。
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「ラーマーヤナ」は詩人ヴァールミーキがヒンドゥー教の神話と古代英雄コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したもので、ラーマ王子が誘拐された妻シータを奪還すべく大軍を率いて、ラークシャサの王ラーヴァナに挑む姿を描いています。
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母が遺した「ラーマーヤナ」の簡単な本は今でも読み返すことがありますが、スリランカやインドネシアやタイを旅する際にはこの本を読んでおいて良かったと思うことが数多くありました。
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遺跡の周囲には大きな木が茂っているので木陰があるだけでありがたいです。2月の冬の季節でも日本の初夏のような気候なのでこれが真夏だったらとてもではないが観光できないなと感じます。
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「寺院No,2」
この寺院は211点の彫刻された宗教的および世俗的なパネルを特徴としています。これにはシヴァ、パールヴァティ、カルティケーヤ、ガジャラクシュミー、楽器を演奏するキンナラ、様々なマカラの表現、恋愛的な姿勢の人間のカップル、さらには芸術や日常生活の場面が含まれます。 -
ここも寺院との間には土塁があり、近づくことが出来ないのでそのレリーフの1つ1つを近くで見ることが出来ないのが残念です。
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もっとも30分ほどの自由時間では全部を見ることは不可能なほどに規模の大きな遺跡です。
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正面の大きな階段はそれ以前に造られた階段の上に重ねられているので、何度も改修がされたことが分かります。
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寺院の東側には最近発掘されたサライ塚の中にサライ寺院の遺構があります。この多層建ての仏教寺院は多くの仏塔や祠があり、巨大な壁で囲まれていました。
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数多く並ぶ小さな仏塔は1つ1つの完成度が高いことに驚かされます。レンガを自在に積み上げる技術に、改めてインド人は積み上げるのが好きなのだなと感じます。
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大きな木の木陰ではたくさんの僧侶が何か講習を受けているようでした。多分東南アジアのどこかの国から来て、インドの仏教遺跡を巡っているのだと思います。
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キリスト教徒でもイスラム教徒でもユダヤ教徒仏教徒で良かったと思います。少なくてもルーツを同じにする3つの宗教よりも宗教間の対立で命を落とすことは少ないと思います。
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観光客の姿よりもアジアから巡礼に来た僧侶の姿を多く見かけた気がします。寺院の見学を終えて残りの僧院を1つづつ見ていくことにしますが、妻はレンガの山に飽きてしまって先に戻りました。
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「僧院No,4」
この僧院は平面上はほぼ正方形で2段階に分けて建設されています。後半の建設は元々の建物の上に2階を増築しているようです。 -
迷路のようなレンガの壁の間を進むといくつかの部屋が現れてきます。これは僧侶のための20ほどの僧房のようです。ほとんどロールプレイングゲームのダンジョンの中を彷徨っているような気分です。
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前方にはオレンジ色の袈裟を着た男性の僧侶が座り、後方には白い衣装の女性たちの姿があります。往時は多分男性だけの僧院と寺院だったのだと思いますが、その光景はその頃とあまり変わらないのではないかと思えます。
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「僧院No,5」
この僧院は前のNo,4の付属のような建物で、大きな階段で繋がっています。 -
僧院としての機能は独立していないようで、僧房は倉庫のように塞がれていたり、ここには祠が無いことがあげられます。時間があったらぶらぶら階段を登って彷徨いたいところです。
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「僧院No,6」
この僧院も最初に造られた建物の上に後年になって建てられた痕跡があるようです。2つの異なる平面レベルのレンガ敷きの中庭になっています。 -
どの僧院の中庭にも大きな井戸が設けてあるので、それぞれの建物の中で生活は完結することが出来たのでしょう。玄奘三蔵がこの僧院のどこかで生活していたのだと思うと感慨深いものがあります。
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壁面には僧房が並び、現在は基礎だけになった部分には柱が並び、回廊のようになっていたのでしょうか。今回は「竹林精舎」にしかいっていませんが、「平家物語」の冒頭部分が頭に浮かんできます。
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「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」
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僧院を出ると正面に寺院が見えるというロケーションは西暦700年頃と全く変わっていないのだと思います。同じツアーの人たちの姿も見えなくなって、1人になってしまうと少し心細くなりそうなほど観光客が少ないです。
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「僧院No,7」
僧院の入り口にはこのような案内板がありますが、そのほとんどは同じような造りなので書かれてある内容も変わりないようです。 -
土の遺跡も階段を登って上から見渡すことも出来ますが、基本的には僧房に囲まれた中庭といった感じです。
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「僧院No,8」
この僧院も基本形は同じですが、他の建物と違う特徴が2つあると説明しています -
この僧院が一番往時の姿を残しているように思えました。この僧房には中庭にしっかりとした祠があった跡が残されています。2つ目の特徴は下の写真のように並ぶ僧房には木製の扉のまぐさが残っていたようです。現在は博物館に納められているということですが、すぐ近くにある考古学博物館には立ち寄らないのが残念です。
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これらの僧院での生活について玄奘は次のように記しています。
「これらすべての徳の高い人々の生活は、最も厳粛で厳格な習慣によって自然に支配されていました。したがって、修道院の700年の存在の中で、誰もこの規律に違反したことはありません。王は敬意と崇敬の印でこの都市を注ぎ、100の都市からの収入を宗教者の維持に充てています。」 -
「僧院No,9」
ナーランダのすべての修道院は構造や外観が非常に似ています。平面計画は中央に四角形の中庭があり、その周囲をベランダに囲まれ、さらに僧侶用の外向きの小部屋の列によって囲まれています。これはヴィハーラ建築の典型的なデザインです。 -
この広い中庭は具体的にはどのように使われたのでしょうか。勝手な想像ですがヴァチカン美術館の中のラファエロの「アテナの学堂」のような議論の場だった情景が浮かんできます。ナーランダでの議論や管理の事項には、集会全体と居住僧たちの合意が必要であったようです。
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この僧院も表に出ると真正面に寺院がそびえています。
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ナーランダの教師の数は約1510人と記録され、そのうち約1000人が20の経典やシャーストラを解明でき、500人が30の蔵書を解説でき、10人の教師だけが50の蔵書を解説できました。玄奘三蔵は50以上のコレクションを説明できた数少ない教師の1人でした。
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「僧院No,10」
見学でいる最後の僧院まで歩いてきました。ゆっくりしている時間は残されていなく、急いで戻らなければなりません。 -
ここも同じ構成の僧院のようです。ナーランダ僧院は1200年頃にイスラーム教徒のゴール朝軍によって破壊されました。これによりインドにおける仏教の繁栄は終わりを告げたと言われています。
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僧院の前には線路が敷かれ、トロッコが展示してありました。この遺跡を発掘する際に使われたものだと思いますが、特に説明はありませんでした。インド考古学調査局は1861年から1862年にかけて公式調査を実施し、遺跡の体系的な発掘は1915年に始まり1937年に終了しました。第2回の発掘と修復は1974年から1982年にかけて行われました。
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集合時間に何とか間に合い、迎えに来たバスに乗ってこの日宿泊する「パトナ/Patna」に向かいます。ここから約90キロで3時間弱の距離ですが、その通りにならないのはインドの常です。
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不思議なデザインの住宅が見えました。最初に1階を建てて住み始め、お金が出来ると建築を進める方法は中国からインドまでの国々で見掛ける方法ですが、この家は何を思って縦方向に4階まで増床しているのでしょう。
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埃が入らないようにひっくり返されたアルミの鍋はビリヤニを炊くためのものですね。美味しいビリヤニが食べたくなります。
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ナーランダで膨大なレンガを見てきたばかりなのでレンガ工場が目につきます。西暦700年頃にも同じような手法でレンガは焼かれ、それが現代まで続いているわけです。
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周囲の小屋で住んでいる職人たちの1日の手間賃はいくらなんでしょう。ナーランダで哲学を学んだ人々のことを考えると同じようなレンガで囲われたところに住んでいても違いを感じさせられてしまいます。
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雨に当たらないように木の下に簡単な木材とシートで囲った家の前には餌を入れるコンクリートの飼葉桶があるので牛も一緒に住んでいるのでしょうか。
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清濁入り交ざった風景が延々と繰り返されています。
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夕方になると羊の姿を見ることが多いように思えます。
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インドで見る川はお青磁にもきれいとはいいがたいのですが、これだけ小舟があるということは川魚の漁があるのだと思います。
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廃車になった「オートリキシャ」やバイクや自転車、人力車などが打ち捨てられて土埃に埋もれていますが、その間には人が住んでいる気配があります。
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高架のメトロが見えてくると「パトナ/Patna」に入ったのだと分かります。このメトロの建設は日本のODAの協力で行われています。
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建設中の8階建てのビルは全て竹の足場が組まれています。ここまで整然と組まれていると美しさすら感じてきます。香港では太い針金で足場を組んでいましたが、かなり高度な技術なので高い給料がもらえると聞いたことがあります。ここでは普通の布が使われていますが、崩れたりしないのでしょうか。
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混沌とした都市部に戻ってきました。
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バスが効果を走ると町のいろいろなものが見えてきます。線路を歩くたくさんの人にびっくりします。
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これは家族で移動しているのか、単にタクシーとして使われているのか…。
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タクシーのようですね。
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路上生活者にも貧富の差があるようで、少しお金のある人はテントで暮らしています。次のランクは蚊帳で、それ以外の人はそのまま布団を敷いて寝ています。
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ライオンの口が入り口になったヒンドゥー教の寺院がありました。なぜか子供の頃に見たアニメの「ターガーマスク」を思い出します。
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線路の脇にはスラム街が残っていました。ムンバイへ行った時に見たスラム街の広さは驚異的で、映画「スラムドッグ$ミリオネア」の世界がそのままあることに驚きました。
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すっかり日が暮れた頃にこの日宿泊する「ザ パナシェ ホテル/The Panache Hotel」に到着しました。ほぼ1日バスに乗っていたようなものなので疲れました。
ツアーでプレジデンシャル・スイートルームに泊まる。 by kojikojiさんザ パナシェ ホテル ホテル
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ロビーで鍵を受け取り6階のフロアへ上がると601号室がありません。通りがかったマッサージのおじさんに尋ねると、こっちだよと案内してくれました。その扉には「Presidential Suite」と書かれてありました。
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601号室と602号室がスイートルームなのだと分かりました。
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最上階の角部屋なのでかなり広く、他の部屋3つ分はあるようです。
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大きな窓がありますがインドの地方都市なので悲しいほど周囲は暗いです。
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これにはビックリしました。他の方は普通の部屋なのになんでなのだろうか不思議でした。昨晩も1人だけスイートだった方がいて喜んでいたという話はツアーの方に聞いていたので特に理由はないのかもありません。
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まあ、ついていたのだと納得します。
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バスルームもかなり広めで使い勝手も良かったです。
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ハンドシャワーとレインシャワーがありますが、何故か部屋に向かってガラス張りです。集合時間になってロビーに降りて、ガイドさんに「すごい部屋でしました。」というと、「ごめんなさい。昨日のホテルもスイートの部屋を用意したのですが、間違えて他の人に鍵を渡してしまいました。」とのことで余計に訳が分からなくなります。
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夕食はホテルの1階のレストランでいただきました。このホテルのレストランのグレードは高く美しく盛り付けられた料理はどれも美味しかったです。先程大きなビリヤニ鍋を見たばかりなので食べることが出来て嬉しいです。
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ミネラルウォーターは部屋から持っていきました。テーブルには無料のタップウォーターがあるので持ち込んでも問題ありません。
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パトナはビハール州の州都なのでこのホテルももちろんアルコールはありません。ラッシーも今までのような簡単なものではなく、スライスしたアーモンドやピスタチオが入って高級感があります。
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奥からロシアのオリヴィエサラダ、時計回りにタイ料理のパパイヤサラダ、アルー・チャナ・チャートというヒヨコ豆のサラダ、パイナップルスパイシーサラダなど。
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ビリヤニに骨付きマトンのスパイシーなカレーをメインに頂きます。この組み合わせはめちゃくちゃ美味しかったです。
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調理の合間を見てシェフが客席まで出てきたので「とても美味しいです。」と伝えると胸に手を当てて誇らしげでした。
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黄色いラスマライはヒンディ語で「ラス」は「ジューシーな」、「マライ」は「クリーム」を意味し、ベンガル地方のお菓子だそうです。その右の茶色いのはパキザで来れもベンガル地方のお菓子です。これ以外にもスイーツは種類が豊富でいろいろいただきました。疲れを取るのには甘いお菓子は最適です。
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