2026/02/21 - 2026/02/21
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2026/02/21
この旅行記スケジュールを元に
「ザ・パナシェ/THE PANACHE」の「Presidential Suite」での一夜が明けて、この日はベナレス、「ヴァーラーナシー/Varanasi」への移動日になります。午前7時30分に出発した後の午前中はほぼ移動だけなのですが、その距離の割には非常に時間がかかります。その半分は渋滞にはまっていると言った感じがします。インド各地では高速道路の建設が進んでいるようで渋滞はその影響もあったようです。元々あった道路の中央に高架の支柱を立てて高架道路を載せているいるのですが、支柱と基礎の分の下道が狭くなるので基礎の分の高さを嵩上げし、さらに狭くなった分を外側に広げるので、元々あった家の前半分は無残にも壊されてしまっています。さらに嵩上げの分1階も使えなくなっています。保証金などは出ているのでしょうが、そんな状態でも生活を続けている人々のバイタリティを感じます。さらに昨日に続いて線路を通過するための渋滞はほぼ1時間バスが動かないという場面もありました。この渋滞も旅行前に聞いていたので車内で飲む飲み水やジュースや果物はクーラーボックスで冷やし、フィンガースナック類も用意してありました。1時間動かなかった際はガイドさんが表でバナナを買い求めて車内で配ってくれたのはありがたかったです。さらに一番後ろの席だったので余ったバナナを多めにいただけました。トイレ休憩は3時間ほど経ったところでガソリンスタンドに立ち寄りました。男女共用の水洗ではないトイレしかないのでそちらは女性が使い、男性は一面に広がる麦畑に向かって青空トイレということになりました。そして午後3時30分に「サールナート/Sarnath」に到着しました。まずは「ピナクル・イン/The Pinnacle Inn Sarnath」というホテルのレストランで壺焼きのビリヤニをいただきます。素焼きの壺は蓋が固定されて蒸し焼きになったチキンとビリヤニは少し焦げてめちゃくちゃ美味しかったです。ここではようやく冷たいビールも飲めて生き返った気がします。一息ついた後はミニバスに乗り換えて「サールナート」の観光に移ります。ここまでのバスとドライバーさんと助手の人とはここでお別れで、これ以降はミニバスでの移動になります。「ダメーク・ストゥーパ/Dhamekh Stupa」は仏教徒にとって最も重要な8つの巡礼地の1つで、仏陀が最初の5人の弟子であるカウンディニャ、アッサジ、バディヤ、ヴァッパ、マハナマに最初の教えを授けた場所です。 釈迦はブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィ(波羅奈国)のサールナート(仙人住処)の鹿野苑(施鹿林)において、5人の修行仲間である五比丘に初めて仏教の教義を説いた「初転法輪」の地だと思うと感慨深いものがあります。続いて「ムルガンダ・クティ寺院/」というスリランカ人の開いた寺院の参拝にも行きます。日本では「初転法輪寺」とも呼ばれる寺院には日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)が1932年から5年かけて描いた釈迦の一生を描いた壁画がありました。「サールナート」の見学が終わると「ヴァーラーナシー/Varanasi」へのラストスパートです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「ザ・パナシェ/THE PANACHE」の「Presidential Suite」での一夜が明けました。昨晩は真っ暗でしたが、朝になって目の前に巨大な運動場があるのだと分かりました。
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この広場は1942年のインド独立運動を含む数多くの政治的および社会的ムーブメントの目撃者となってきました。マハトマ・ガンジーやラジェンドラ・プラサードのような著名な人物による演説も行われたそうです。
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ホテルのロビーには不思議なオブジェがありました。キリンがシャンデリアを咥えています。
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前の晩に夕食が美味しかったホテルのレストランは朝ごはんも美味しかったです。手前の黄色いにはポハ(POHA)というインドの定番朝食で、米を平たく潰して乾燥させたライスフレークをスパイスで炒めた料理です。日本のお米よりも軽くカレーチャーハンのような味わいです。
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午前7時30分に「ザ・パナシェ/THE PANACHE」を出発して、この日は「ヴァーラーナシー/Varanasi」に向かいます。
ザ パナシェ ホテル ホテル
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ホテルのいかめしい顔をしたドアマンのおじさんは熱心に何かをお祈りしていました。
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「パトナ/Patna」はビハール州の州都でです。紀元前5世紀ごろ、マガダ国の首都パータリプトラが置かれ、紀元前3世紀にインド亜大陸の大半を統一したマウリヤ朝、紀元後の西暦4世紀成立のグプタ朝の都もあった古代インド世界の中心都市の1つでした。
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高架の上から見えた白い建物はパトナ駅前のモスクでした。そのデザインはマレーシーアのクアラルンプール駅の駅舎を思い出させました。
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左手には「パトナー・ジャンクション・レールウェイ・ステーション/Patna Junction railway station」の巨大なプラットフォームが見えてきました。
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その先のローラリーからは町のど真ん中にある火力発電所の煙突が見えました。
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渋滞を避けての移動なのか、この先はさらなるカオスの中に進んでいきます。
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線路際には魚を並べた人たちがたくさん並び、川魚や川エビなどをその場でさばいています。包丁などは洗ってもいなくさすがにこれは火を通しても食べる勇気は無いなと感じます。
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安心して食べられそうなのはバナナくらいでした。
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塀の隙間からは線路の上で寛ぐ人たちの姿も見えています。
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建設中の高架道路は日本の技術協力があるのだとガイドさんが説明してくれました。インドにおける鉄道死亡者の大部分は列車衝突事故ではなく、線路横断中や列車からの転落によるものが70%を占め、その数は10年間で26万人にも及ぶようです。
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グーグルマップで位置を確認しながらバスに乗っていると「LION ライオン 25年目のただいま」という映画を思い出しました。この光景を見ていると物語がフィクションではないと感じます。実際に同じ方法で位置を確認しながら旅行記を作っていますから。
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インドの大都市をバスで走っていると巨大な広告看板を目にします。その支柱は高架下のスラム街に突き刺さったりしていますが、広告のような生活はここに暮らす人たちにとっては無縁なのだと感じます。
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宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」を連想させるような風景です。「ドッテテドッテテ、ドッテテド でんしんばしらのぐんたいは きりつせかいにならびなし。」
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バスは隣町の「ダナプール駅/Danapur railway station」に差し掛かりました。いつかは乗ってみたいインドの鉄道ですが、妻はOKしないでしょう。
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サンダルにジャージをはいて頭にタオルを巻いたお兄さんはどこへ行くのでしょうか?インドにおいてはターバン着用者は二輪車運転時のヘルメット着用を免除されていますが、これはターバンではありませんね。
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インドでは階段よりもスロープが好まれるようで、プラットフォームへ向かう長いスロープが見えます。これは飛行機でも一緒で、タラップが長いスロープだったりします。
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インド鉄道の公式購入サイトであるIRCTCでオンライン購入が可能ですが、このようなチケット売り場の建物もまだあり、主要駅には外国人専用のチケット窓口もあります。昔はこういったカウンターで列に並んでチケットを買うのが当たり前で、中国を旅した際も苦労したことがあります。
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バスでしばらく走ってようやく新しい駅舎が見えてきました。これだけプラットフォームが長いということは列車の編成もかなり長いのだと思います。
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既存の街道に高架道路を建設する工事が行われていて、基礎と支柱の分道路を広げているので元々あった家の前半分はこのように壊されています。さらに基礎の分地面を嵩上げしているので1階部分は半地下のようになってしまいます。
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保証金などは支給されるのでしょうが、日本では考えられないことが世界にはあるのだなと思います。破壊された家は延々と数キロにわたって続いていました。
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今日も美しい菜の花畑を見ることが出来ました。
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大都会を抜けたインドの田園風景は本当に美しいと思います。
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朝の時間帯は家から移動するために街道へ出ている人の姿が多いです。バスが走っているのか?「オートリキシャ」が通るのを待っているのか…。
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「パトナ」を出て渋滞の中をぐるぐる走り、すでに3時間ほどが経過しています。
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バスが順調に走り出したところでガソリンスタンドでトイレ休憩になりました。
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建物の奥には男女兼用のトイレが1つしかありませんでした。しかも水洗ではないようです。男性は隣の麦畑の手前で青空トイレになりました。そろそろ収穫を迎える季節のようですが、インドでは「麦秋」という言葉は似合わないようです。
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インドでも日本とガソリンの値段が変わらないのには驚きました。この後のアメリカとイスラエルのイラン戦争でインドも原油の値段は上がっているのでしょう。
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スタンドの奥に停まっていたのはロイヤル?エンフィールド(Royal Enfield)のバイクです。現存するオートバイブランドで世界で最も古く、イギリス発祥のオートバイメーカーですが、現在はインドのオートバイブランドになっています。このクラシック350は丸いヘッドランプにティアドロップ型燃料タンク、サドルシートとクロームのディテールがカッコいいです。
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インドではTATAと並んでアショック・レイランド (Ashok Leyland) というメーカーがあります。インドのアショック・モーターズは1955年にイギリスのレイランド・モーターズからの資本参加を受け、「アショック・レイランド」に社名を変更しました。その後イギリスのレイランドは1975年に半官半民化し、1986年に「ローバー・グループ」に改称しますが現在は存在していません。そんなイギリス由来の会社はインドにはたくさんありそうです。
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インドのトラックにはヒンドゥーの神シヴァ心が描かれていることが多いです。シヴァ神がヒンドゥー教の主要な神の1人であり、多くのインド人にとって信仰の対象となっているためです。その隣のシンボルは上からトリシューラ(Trishula)と呼ばれるオレンジ色の三叉の戟で、2つの太鼓はダマル(Damaru)と呼ばれる楽器で、どちらもシヴァの持ち物です。下にはボム・ボム(Bol Bom)というシヴァ神の信奉者が唱える言葉が描かれてあります。
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再び渋滞に巻き込まれました。これが道路の合流と道路工事だということは前のツアーの方からの情報がありました。ガイドさんがバスを降りてバナナを差し入れてくれました。
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我々は最後尾の席だったので余った分のバナナをガイドさんがくれました。ホテルの部屋の件と言い妙に親切にされています。
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トラックのフロントに下げられた黒い房の名前が知りたかったので、ドライバーさんに尋ねると「髪の毛」だということで、それ以上は知らないようでした。あとでわかったのはこれは「ナザール・バトゥ(Nazar Battu)」と呼ばれる邪視から車両やドライバを守る魔除けでした。
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ドライバーさんが「髪の毛」といったのも正しく、元々はインドの女性が髪を長く太く見せるためのパランダという装飾品だったようで、それが車両の装飾に転用されたようです。
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ソン川に架かるニュー・コイルワール橋(New Koilwar Bridge)は乾季で水流は僅かなようです。柵で囲われた中には案山子が立っているので畑だと分かります。そう考えると柵は家畜から畑を守るためのもののようです。
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河川敷には掘っ立て小屋を建てて住んでいる人の姿もありました。
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2段になった鉄道橋の支柱1本分だけが川幅になっていました。ガンジス川の支流で、ビハール州デーリ付近でガンジス川に合流します。
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川辺には乾季で使い物にならない船が放置されています。水深は浅いようで船底は平べったいことが分かります。
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積み上げられた膨大なレンガと、その周囲に廃棄された膨大なレンガ。何割くらいのレンガが商品として取れるのでしょうか。
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レンガを積んで藁も積んで、インド人は積み上げるのが好きです。
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またレンガ工場の煙突です。街道に面しているのでかなり小型の工場でした。
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お陰で焼きあがったレンガがどのように取り出されるのかが分かりました。そしてレンガはまた積み上げられます。
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刈り取った草なのか野菜なのか、ものすごい量を頭に積んだ女性が歩いています。最大20キロぐらいまで運べるようですが、すごい技術だと思います。
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羊たちはこれから食事に出掛けるのでしょうか。
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トラックに乗り込んだ人たちはこれから畑にでも出掛けるのでしょうか。車窓から表を眺めているだけで何かロードムービーを見ているような気分になります。
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こちらではすでに女性たちが畑仕事にいそしんでいます。
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インドにも交通ルールはあるようですが、特にバイクは守られていないようです。後ろに乗る女性は必ず左向きに座っています。これは100%子の乗り方で跨る人も右向きに座る人も見たことはありません。
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荷物を山のように積んだ「オートリキシャ」がガンジス川を渡っていきます。
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ガンジス川の中央でこれまでのビハール州とはお別れで、ヴァラナシ―のあるウッタル・プラデーシュ州に入ります。つまり禁酒の州とはこれでお別れになります。
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橋の高さ規制のゲートはブッダガヤの「マハーボデイ寺院」にあった鳥居の原型とされる「トーナラ」の衣装だと気が付きました。
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ヴァラナシ―までは134キロですが、その途中にまだ立ち寄るところはあります。
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ここまでは交通渋滞もなくバスは順調に走っていました。
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バスのスピードがだんだんと落ちてきて、そして停まりました。
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窓の外には同じ形をした牛糞が立てて乾燥しています。この形は何かスコップか何かの型になっているのでしょうか。
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そして完全に乾燥した牛糞は円柱形に積み上げられます。
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女の子2人を連れた母親が車のドライバーに向かってお金をくれるようにゼスチャーをしています。彼らの財産は頭の上の2つの袋が全部なのでしょう。
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やはりバイクの後ろに座る女性はこのスタイルが絶対のルールのようです。
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バスが留まっていると周りの風景や人々の動きがより鮮明に見えてきます。
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ガジュマルの樹の日陰で踏切が開くのを待つおじいさんはタオルから服まで真白に揃えてあります。市井の人々の身だしなみはとてもきれいで、慣れない旅先で汗をかいている我々観光客の方がよっぽどヨレヨレです。
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この線路だけを通過するのに2時間近くかかりました。
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昨日「スジャータ・ストゥーパ/The Sujata Stupa」の周りを掃き掃除した時と同じ箒が売っていました。これを持ち帰ってどこかでまた徳を積みたいと思いました。
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中華鍋に似ていますがここはインドなので「カダイ(Kadai)」とか「カラヒ(Karahi)」とか呼ばれるものです。これを妻に買ってあげて家で徳を積ませようと思いました。
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インドのスマートフォンの普及率は都市部で約9割、農村部でも8割台に達しています。多くのインド人はスマートフォンを所有して日常的に利用しています。iPhoneは高いのでOPPO、Nokia、Samsungなどが人気なようです。
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自転車販売店は各地区に1軒はあるほど多く、その場で修理も可能なようです。修理は基本的な工具と人力で行われることが多く、インドにはジュガールという急場しのぎとしての弥縫策、規則を上手い具合に曲げての解決、はたまたそのような解決に役立ち得るあらゆる手材料の精神が息づいているようです。
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インゲン豆は日本へは17世紀頃に伝来したといわれ、明の僧である隠元禅師が持ち込んだため、隠元豆と名づけられたといわれています。そう考えると中国よりインドの方が古いのかと思ったら、メソアメリカから「コロンブス交換」でヨーロッパに伝わった後のようです。インドは年間約600万トンと世界最大の生産国です。
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牛糞を干しているのはよく見掛けましたが、実際に使っていることを見ることは少ないです。ヒンディー語では「uple」と呼ばれます。
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現地のマルチ・スズキのような企業が牛糞からバイオガスを生産するプラントを稼働させたり、牛糞を買い取ることで酪農家の収入向上を支援し、女性の自立にも貢献しているようです。
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バスは「ピナクル・イン/The Pinnacle Inn Sarnath」というホテルの前で停車しました。大型バスはここまでで、この先は最終日の空港まで20人乗りくらいのミニバスに乗り換えることになります。2台のバスの荷物用の3台体制になります。
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既に時間は午後3時30分ですが、これからお昼ごはんになります。
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この日のお昼は壺に入ったチキンビリヤニです。蓋は塩とランプで塩釜のように塞がれて蒸し焼きになっています。
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係の女性が蓋を外してくれるまで手が出せません。壺のシルエットが何となく妻に似ていて持って帰りたくなりました。インドやネパールでは素焼きの陶器は使い捨てですから、持ち帰れると思いますが、持って帰っても「峠の釜めし」状態になってしまうと思います。
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チキンもホロホロで、最高に美味しいビリヤニでした。
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ビハール州とお別れして、ウッタル・プラデーシュ州に入ったのでようやくビールで乾杯が出来ました。キングフィッシャーは美味しいです。ロング缶で1本500ルピーでした。
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インドのトップクラスのバスボディビルダー「SYNATY」の車両に分乗して移動します。
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最初だけは一番前の席に座ってみました。ここまではずっと一番後ろでしたから。
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インドの大型バスは運転席と助手席と客席の間には仕切りと扉があって意外に前方の景色はよくありませんが、このタイプだと前方が良く見えます。
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果物を売る女性たちの井戸端会議も絵になります。
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綿菓子を売る若者はあまり売れないのか疲れ果ててしまっています。
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午後4時30分になってようやく「ダメーク・ストゥーパ/Dhamek」の見学になります。ここではインド人25ルピーに対し外国人は300ルピーという料金設定です。SAARCとBIMSTEC加盟国はインド人と同じ料金設定です。アフガニスタン、バングラデシュ、ブータン、インド、モルディブ、ネパール、パキスタン、スリランカ、タイがこれに該当します。
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「ダメーク・ストゥーパ/Dhamek」仏教徒にとって最も重要な8つの巡礼地の1つで、仏陀が最初の5人の弟子であるカウンディニャ、アッサジ、バディヤ、ヴァッパ、マハナマに最初の教えを授けた場所です。 5人の弟子全員が最終的に涅槃に達しました。
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「ダメク・ストゥーパ」はサルナートで最も巨大な建造物です。現在の形のストゥーパはレンガと石でできた堅固な円筒形で、高さは43.6メートル、直径は28メートルであります。
ダメーク ストゥーパ 寺院・教会
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仏陀の解脱の後に遺体は火葬され、遺灰は8つの仏塔の下に分けて埋葬され、さらに2つの仏塔と壺と残り火を納めました。ダメク・ストゥーパはおそらくこれら8つのストゥーパの中の1つであったと考えられます。
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ここまで巨大なストゥーパだとは思ってもいませんでした。赤茶色のレンガが夕日に染まってより美しく輝いています。
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紀元前3世紀にアショーカ王によって建立されたこの象徴的な円柱は、平和、寛容、そして仏教の普及を力強く物語っています。現在オリジナルの柱は断片的にしか残っていませんが、この場所は深い畏敬の念を呼び起こします。
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国章でもあり500ルピー札の右下にある獅子の柱頭はここで発見されています。アショーカの柱自体は現在も元々の場所に立っていますが、獅子柱頭部分は近くの「サールナート・ミュージアム/Sarnath Museum」に保管されています。
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アショーカ王碑文の刻まれた「アショーカの石柱」はインドをはじめネパール、パキスタン、アフガニスタンなどにいくつも残っていますが、この2.15メートルの獅子柱頭には他のどの柱頭よりも繊細な彫刻が施されています。ここに書かれているのはアショーカ王の勅令で、僧院の中では僧侶と尼僧が対立を起こさないようにマウリア朝ブラーフミー文字で書かれてあります。
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仏陀が最初の5人の弟子に教えを授けたことを「初転法輪」といいます。釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指します。伝統的な理解においては、そこでは仏教の中核概念である四諦、八正道、中道が説かれました
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仏教における四諦(したい)とは人生の苦とその苦を乗り越えるための真理を示す教えです。八正道(はっしょうどう)は四諦で説かれる苦を滅するための具体的な実践方法であり、悟りへ至るための8つの正しい行いです。中道(ちゅうどう)とはどちらかの極端な立場に偏ることなく、不偏で中正な道を進むという仏教の根本的な考え方です。
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釈迦はブッダガヤの菩提樹下で悟りを開いた後、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人住処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間である五比丘に初めて仏教の教義を説きました。
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「ムラガンダ・クティ/Mulagandha Kuti」の前では女性信者の方がお祈りを捧げていましたが、ここは釈迦が迷走していた場所を示す寺院の遺構です。玄奘三蔵の記録によればその高さは31メートルあったそうです。寺院は正方形の基壇の上に建ち、入り口は東向きで、装飾模様からもグプタ時代のものと思われます。
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僧侶の方の説明を熱心に聞く姿を見ると改めてここは信仰の場所なのだと感じます。
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釈迦はこの地で五比丘との再会します。当初はこの元の5人の修行仲間は修行を捨てた釈迦が遠くから来るのを見て軽蔑の念を抱き、歓迎を拒むことを決めました。彼らは苦行を放棄した釈迦を堕落したとみなしたためでした。
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しかし釈迦が徐々に近づくにつれ、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えました。
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自らが阿羅漢であり正等覚者(仏陀)であることを宣言した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して最初の説法をなしました。
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説法は1回だけではなく五比丘らが悟りに達するまで何度も行われ、1週間続きました。四諦の完成にいたる三転十二行相という形を取ったとされる
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「三転十二行相」という1つの語は次の2つを合わせたものです。
三転:教えを三つの段階で説くこと
十二行相:四聖諦を十二の観点から観じること
これによって釈迦が悟りの内容を段階を踏みつつ、さまざまな角度から詳しく説いたという意味になります。 -
5人は釈迦の説法を歓喜して受けました。この時5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものであるという法眼が生じて悟りを得ました。このとき釈迦は「コンダンニャが悟った、コンダンニャが悟った!」と称賛したといわれます。
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釈迦による五比丘への教導は比丘が3人ずつ順に托鉢を行い、6人が食する合宿式に続けられ、3か月かけてワッパ、バッディヤ、マハーナーマン、アッサジの4名にも次々と法眼が生じ預流果となりました。釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五人比丘に五蘊無我の修習を指導し、5人はじき阿羅漢果(四沙門果の第四)に達して、釈迦を含めて6人の阿羅漢が誕生しました。
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ストゥーパの周囲には写真パネルが置かれ、発掘当時の「アショーカの石柱」の姿も分かりました。
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現在の博物館に納められた姿もあり、ここで写真を見てブッダガヤのホテルで売っていたものがこの柱頭のレプリカだということが分かりました。
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こういった写真があるとどこまでがオリジナルかが分かっていいと思います。
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ストゥーパの石の外装にはグプタ時代特有の繊細な花彫刻が施され、壁には精巧に彫られた人間や鳥の像、そしてブラフミー文字の碑文が刻まれています。ストゥーパは6回拡張されましたが上部はまだ完成していません。
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「ダンマラジカ・ストゥーパ/Dhammarajika Stupa」は基壇のみが残されています。Dhammaは仏教でいう「法」、真理、仏の教えを指します。
Raja / Rajikaは「王」「王に関わるもの」という意味から派生し、「Dharmaraja(法の王)」=ブッダのことを指す名称として用いられます。したがって「Dhammarajika Stupa」=「法の王(ブッダ)に関わるストゥーパ」という意味合いで、「ブッダ(法の王)のためのストゥーパ」「法の王を象徴するストゥーパ」
といった意味になります。 -
サルナートの「ダンマラジカ・ストゥーパ」は、このように半ば壊れた土台部分のみが残る状態です。上部の塔の部分は中世以降に破壊され、レンガ造の基壇が円形に露出した「基礎遺構」として保存されています。
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遺跡を見学した後は「さちこのお土産店」に立ち寄りました。日本語が達者な現地の方が熱心にお土産を進めてくれますが…。菩提樹の木で彫られた「アショーカ王の柱」を3万円とか4万円では買えません。
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隣にはタンカの専門店もあり、経営は同じだと言っていますがどうだか分かりません。いいなと思えるものもあったのですが、すでに2枚をブッダガヤで買い求めているので、ガイドさんが呼びに来たところで退散します。
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続いて向かったのが「ムールガンダ クティー寺院/Mulgandha Kuti Vihar」です。1931年11月に完成したこの寺院はブッダガヤとサルナートの古代仏教聖地を修復するために設立したアナガリーカ・ダルマパーラの最高傑作とされています。
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アナガリカ・ダルマパーラは1864年9月17日にスリランカの敬虔な仏教徒の貴族の家庭に生まれ、26歳の時にサルナートとブッダガヤへの巡礼に出かけ、そこでその遺跡の悲惨でひどい状態を目の当たりにしてこの寺院を建立しました。
ムールガンダ クティー寺院 寺院・教会
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玄関ホールには日本から贈られた巨大な鐘が飾られ、内部には大理石の台座に金色の仏像が安置されています。
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本堂の壁画は、日本人画家の「野生司香雪(のうす・こうせつ)」 によって描かれたものです。釈迦の誕生から入滅までの一生を大きな連続壁画として表現しており、サルナート巡礼の大きな見どころになっています。
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南側の壁面から物語が始まり、横になった摩耶夫人が白い象の夢を見ています。扉の上では摩耶夫人の右脇から釈迦が生まれ、蓮の花の上を七歩歩いた場面になっています。
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西側はブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開く仏陀の姿が描かれています。悪魔マーラは悟りを妨げる存在として描かれ、まず自分の娘たちを送り込み、美しさや快楽で釈迦を誘惑したと伝えられています。扉の正面には先ほど参拝してきた「ダメク・ストゥーパ」の姿が見えています。
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釈迦は娘たちの誘惑にも続いて現れた恐ろしい軍勢による脅しにも、まったく心を動かされなかったとされています。静かに瞑想を続け、右手を大地に触れて「この大地が私の証人である」と宣言したことで、マーラの力は及ばなくなり、ついに悟りを開いたという場面です。
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東側には涅槃に入る釈迦の姿が描かれています。仏教でいう「涅槃(ねはん)」はサンスクリット語の「ニルヴァーナ」の訳で、煩悩の火が完全に消えた静かな境地を指します。日本では「寂滅」「円寂」などとも表され、仏教がめざす究極の安らぎとされています。「釈迦の涅槃」というと、多くの場合はお釈迦さまが亡くなった場面、いわゆる「入滅」を指します。伝承ではクシナガラ(拘尸那城)の沙羅双樹の林で、頭を北に顔を西に向けて右脇を下にして横たわりながら弟子たちに教えを説き、2月15日に入滅したとされます。
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隣接する寺院の中庭には五比丘に初転法輪を授ける場面が再現されていました。お土産物屋とこの寺院の見学を無しにして博物館に入りたかったです。これで佐那ルートの見学は終わり、旅の最終地「ヴァーラーナシー/Varanasi」に向かいます。
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以前に同じツアーでご一緒した方からメッセージと共に写真を送っていただきました。その方の参加されたツアーでも「サールナート美術館/Sarnath Museum」は日程に入っていなかったそうですが、どうしても行きたいという方がいらしてガイドさんに交渉したそうです。
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この3枚の写真を拝見すると「アショーカの石柱」のクオリティの高さがうかがえ、なるほどこれなら国章にもなる国宝だと感じます。発掘された仏像も国宝を含むクオリティの高いものだったそうです。
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いつか同じような日程のツアーの中にこの博物館が含まれるようになると余計に「ダメーク・ストゥーパ/Dhamekh Stupa」の印象が強いものになると思います。高速道路の完成後は移動時間も短縮され、そんな日が来るのかもしれません。
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バナーラス (バラナシ)
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旅行記グループ 2026インド仏跡巡りの旅
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