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小浜線の小浜駅にやってきました。<br />新しく綺麗に整備された駅前にある道の駅「若狭美浜はまびより」に寄って、パスタのランチ。<br />そして、若狭国吉城歴史資料館に行ってみました。<br />戦国時代、織田信長が朝倉攻めの際に立ち寄ったことで有名になった国吉城。<br />家臣である秀吉や家康や一緒でしたからね。<br />城跡までは山登りなので行きませんでしたが、麓の城主屋敷あと付近にできた資料館に訪れました。<br />そして国吉城の城下町だった佐柿の集落は江戸末期から明治の建物が残ってます。<br />シニア夫婦は風情ある街並みをプラプラしました。

7日間で福井県を車でグルっと巡ってみました。12 美浜駅周辺をプラプラ~若狭国吉城歴史資料館~国吉城城下町の佐柿をプラプラ。

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2025/09/28 - 2025/10/06

57位(同エリア222件中)

nichi

nichiさん

小浜線の小浜駅にやってきました。
新しく綺麗に整備された駅前にある道の駅「若狭美浜はまびより」に寄って、パスタのランチ。
そして、若狭国吉城歴史資料館に行ってみました。
戦国時代、織田信長が朝倉攻めの際に立ち寄ったことで有名になった国吉城。
家臣である秀吉や家康や一緒でしたからね。
城跡までは山登りなので行きませんでしたが、麓の城主屋敷あと付近にできた資料館に訪れました。
そして国吉城の城下町だった佐柿の集落は江戸末期から明治の建物が残ってます。
シニア夫婦は風情ある街並みをプラプラしました。

  • レインボーライン山頂公園から車で15分。<br />小浜線の美浜駅にやってきました。

    レインボーライン山頂公園から車で15分。
    小浜線の美浜駅にやってきました。

  • 駅のすぐ横にある、道の駅「若狭美浜はまびより」です。

    駅のすぐ横にある、道の駅「若狭美浜はまびより」です。

  • カフェがあってレストランがあって市場があって託児所もあって・・・

    カフェがあってレストランがあって市場があって託児所もあって・・・

  • 新幹線の敦賀駅開業に合わせ、再開発で駅周辺が綺麗になったばかりのようです。

    新幹線の敦賀駅開業に合わせ、再開発で駅周辺が綺麗になったばかりのようです。

  • シニア夫婦はこのカフェに入りました。<br />ランチにしましょう。<br /><br />店内にはチオラホラ数組のお客さんがいらっしゃいました。<br />皆さん、地元の若い主婦の方のようです。

    シニア夫婦はこのカフェに入りました。
    ランチにしましょう。

    店内にはチオラホラ数組のお客さんがいらっしゃいました。
    皆さん、地元の若い主婦の方のようです。

  • メニュー

    メニュー

  • 相方は、<br />ベーコンごろごろナポリタン

    相方は、
    ベーコンごろごろナポリタン

  • 私は、<br />ベーコンキャベツへしこペペロンチーニ

    私は、
    ベーコンキャベツへしこペペロンチーニ

  • ご馳走様でした。

    ご馳走様でした。

  • 開放的で明るい道の駅ですね。

    開放的で明るい道の駅ですね。

  • グルっと巡ってみましょう。

    グルっと巡ってみましょう。

  • ランチ終えて、美浜駅に行ってみましょう。

    ランチ終えて、美浜駅に行ってみましょう。

  • お邪魔します。

    お邪魔します。

  • 時刻表<br />1時間にほぼ1本ですね。

    時刻表
    1時間にほぼ1本ですね。

  • 路線図と料金表です。<br />小浜線から舞鶴線、そして山陰線につながってます。<br />ハピライン福井線で越前方面。<br />久頭竜線で美山方面。<br />北陸線で米原方面。<br />湖西線で近江方面。<br />シニア夫婦はじっくり見ちゃった。<br />

    路線図と料金表です。
    小浜線から舞鶴線、そして山陰線につながってます。
    ハピライン福井線で越前方面。
    久頭竜線で美山方面。
    北陸線で米原方面。
    湖西線で近江方面。
    シニア夫婦はじっくり見ちゃった。

  • 小浜線美浜駅のホームです。

    小浜線美浜駅のホームです。

  • 素朴なホームですね。

    素朴なホームですね。

  • 駅の近くの案内図。<br />三方五湖の最寄駅なんですね。

    駅の近くの案内図。
    三方五湖の最寄駅なんですね。

  • 美浜駅から車で約5分。<br />若狭国吉城歴史資料館にやってきました。

    美浜駅から車で約5分。
    若狭国吉城歴史資料館にやってきました。

  • 「国吉城」の碑。

    「国吉城」の碑。

  • 国吉城は、武田氏重臣であった粟屋勝久の戦国時代のお城です。<br />越前朝倉氏に何度も攻められていますが、約10年も守り抜いた山城です。<br />その国吉城の歴史資料館です。

    国吉城は、武田氏重臣であった粟屋勝久の戦国時代のお城です。
    越前朝倉氏に何度も攻められていますが、約10年も守り抜いた山城です。
    その国吉城の歴史資料館です。

  • 建物は、美浜の佐田で大庄屋だった田辺半太夫家の住宅を移築しています。<br />主屋部分は元々田辺家の主屋で、座敷部分は元・小浜藩佐柿町奉行所の建物を明治初期に田辺家へ移築したのだそうです。

    建物は、美浜の佐田で大庄屋だった田辺半太夫家の住宅を移築しています。
    主屋部分は元々田辺家の主屋で、座敷部分は元・小浜藩佐柿町奉行所の建物を明治初期に田辺家へ移築したのだそうです。

  • 大正時代の小浜線美浜駅の写真です。<br />バックの山の上に国吉城がありました。

    大正時代の小浜線美浜駅の写真です。
    バックの山の上に国吉城がありました。

  • 入場料は100円×2

    入場料は100円×2

  • お邪魔します。

    お邪魔します。

  • 最初に映像で、国吉城と佐柿の歴史について勉強します。

    最初に映像で、国吉城と佐柿の歴史について勉強します。

  • ジオラマです。<br />丹後街道沿いの国吉城の城下町であった佐柿。<br />後ろの山の上に国吉城があったのですね。

    ジオラマです。
    丹後街道沿いの国吉城の城下町であった佐柿。
    後ろの山の上に国吉城があったのですね。

  • この兜、変わってますね~<br />兎の耳?<br /><br />国吉城主粟屋越中守勝久の配下であった佐田の地侍、田辺半太夫家に伝来した当世具足。<br />耳みたいなものは、大きな二枚貝。<br />庄屋の前は地侍だったのですね。

    この兜、変わってますね~
    兎の耳?

    国吉城主粟屋越中守勝久の配下であった佐田の地侍、田辺半太夫家に伝来した当世具足。
    耳みたいなものは、大きな二枚貝。
    庄屋の前は地侍だったのですね。

  • 在りし日の国吉城の想像図。<br />山城ですね~

    在りし日の国吉城の想像図。
    山城ですね~

  • 山城ならではの城郭です。<br />最初は平安時代に建てられた平家のお城なんですね。

    山城ならではの城郭です。
    最初は平安時代に建てられた平家のお城なんですね。

  • 武田氏重臣であった国吉城主粟屋勝久は、長年に渡り朝倉氏から攻められますが、籠城して耐えます!<br />そして朝倉攻めで越前にやって来た織田信長を国吉城に迎え入れます。

    武田氏重臣であった国吉城主粟屋勝久は、長年に渡り朝倉氏から攻められますが、籠城して耐えます!
    そして朝倉攻めで越前にやって来た織田信長を国吉城に迎え入れます。

  • 信長・秀吉・家康が天下へ飛躍した佐柿国吉城<br />このタイトルにめっちゃ興味持って・・・<br /><br />

    信長・秀吉・家康が天下へ飛躍した佐柿国吉城
    このタイトルにめっちゃ興味持って・・・

  • 織田・徳川連合軍が朝倉義景を攻めた中の一つの戦いである金ケ崎の戦い。<br />この国吉城が織田・徳川方の最前線でした。<br />織田・徳川連合軍は金ケ崎城を1日で攻め落としますが浅井長政の裏切りにあって退却します。<br />その際、秀吉の殿(しんがり)によって無事に脱出した織田・徳川連合軍は、その後の姉川の戦いで朝倉義景を打ち破ります。<br />信長・秀吉・家康が天下に飛躍するきっかけになった国吉城という意味なんですね。

    織田・徳川連合軍が朝倉義景を攻めた中の一つの戦いである金ケ崎の戦い。
    この国吉城が織田・徳川方の最前線でした。
    織田・徳川連合軍は金ケ崎城を1日で攻め落としますが浅井長政の裏切りにあって退却します。
    その際、秀吉の殿(しんがり)によって無事に脱出した織田・徳川連合軍は、その後の姉川の戦いで朝倉義景を打ち破ります。
    信長・秀吉・家康が天下に飛躍するきっかけになった国吉城という意味なんですね。

  • 織田信長の家来の粟屋勝久は、信長が本能寺に明智光秀に討たれた後、光秀側に加わらず国吉城を守ります。<br />そして秀吉の家臣であった丹羽長重(丹羽長秀の長男)が若狭の国主となり、佐柿を城下町として整備しました。

    織田信長の家来の粟屋勝久は、信長が本能寺に明智光秀に討たれた後、光秀側に加わらず国吉城を守ります。
    そして秀吉の家臣であった丹羽長重(丹羽長秀の長男)が若狭の国主となり、佐柿を城下町として整備しました。

  • 平成12年(2000年)から発掘調査が行なわれており、様々な発見がありました。

    平成12年(2000年)から発掘調査が行なわれており、様々な発見がありました。

  • この測量図を見ると、山の上のお城と城下町の様子がよくわかります。<br /><br />山の上にお城があり、麓に城主の館があります。<br />麓には旧丹後街道が通っており、そこに城下町が広がっており、寺が点在しています。

    この測量図を見ると、山の上のお城と城下町の様子がよくわかります。

    山の上にお城があり、麓に城主の館があります。
    麓には旧丹後街道が通っており、そこに城下町が広がっており、寺が点在しています。

  • 発掘された出土品の展示。

    発掘された出土品の展示。

  • 関ケ原の戦いの直前、西軍の石田三成は東軍の鳥居元忠を攻め落とし、大津城を攻めます。<br />京極高次は、大津城に立てこもり、西軍の足止めをします。<br />そのために関ケ原には間に合いませんでしたが、東軍の勝利のあと、手柄として家康から若狭の国を与えられます。<br />そして高次の重臣を国吉城主に据え、国吉城の城下町、そして旧丹後街道を整備しました。<br />京極家は2代で松江に国替えとなり、代わりに酒井氏が若狭の藩主となりました。

    関ケ原の戦いの直前、西軍の石田三成は東軍の鳥居元忠を攻め落とし、大津城を攻めます。
    京極高次は、大津城に立てこもり、西軍の足止めをします。
    そのために関ケ原には間に合いませんでしたが、東軍の勝利のあと、手柄として家康から若狭の国を与えられます。
    そして高次の重臣を国吉城主に据え、国吉城の城下町、そして旧丹後街道を整備しました。
    京極家は2代で松江に国替えとなり、代わりに酒井氏が若狭の藩主となりました。

  • 城下町である佐柿の街の説明書きです。<br /><br />この街は、室町末期の戦国時代、国吉城主だった木村常陸介家光によって整備されました。<br />家光は丹後街道を城下に付け替え、街道に面して屋敷地を造り、城下に住めば年貢を免除する政策で、各地から多くの人を集めました。<br />京極氏が城主の時代に関所が設けられ、酒井氏の時代には奉行所が設けられました。

    城下町である佐柿の街の説明書きです。

    この街は、室町末期の戦国時代、国吉城主だった木村常陸介家光によって整備されました。
    家光は丹後街道を城下に付け替え、街道に面して屋敷地を造り、城下に住めば年貢を免除する政策で、各地から多くの人を集めました。
    京極氏が城主の時代に関所が設けられ、酒井氏の時代には奉行所が設けられました。

  • 大庄屋だった田辺半太夫家の住宅の中を巡ります。

    大庄屋だった田辺半太夫家の住宅の中を巡ります。

  • 奥に畳の間が続いています。

    奥に畳の間が続いています。

  • ココから先の座敷部分は元・小浜藩佐柿町奉行所の建物を明治初期に田辺家へ移築したのだそうです。

    ココから先の座敷部分は元・小浜藩佐柿町奉行所の建物を明治初期に田辺家へ移築したのだそうです。

  • 広い広間ですね。<br />ここも奉行所時代の建物なんですね。

    広い広間ですね。
    ここも奉行所時代の建物なんですね。

  • お座敷にしては天井が高い。<br />やはり元奉行所なんでしょうね。

    お座敷にしては天井が高い。
    やはり元奉行所なんでしょうね。

  • 立派な床の間ですね。<br />付書院もあります。

    立派な床の間ですね。
    付書院もあります。

  • ココで和のイベントやってないのかな~?

    ココで和のイベントやってないのかな~?

  • この建物は、大庄屋だった田辺家の半太夫安次は、朝倉義景との戦いの際、織田信長の家来の粟屋勝久の軍に加わり多くの手柄を立てたそうです。

    この建物は、大庄屋だった田辺家の半太夫安次は、朝倉義景との戦いの際、織田信長の家来の粟屋勝久の軍に加わり多くの手柄を立てたそうです。

  • 若狭国吉城歴史資料館から車で2分。<br />国吉城の城下町である佐柿の中心地にやってきました。<br />ココは、高札場があった所です。

    若狭国吉城歴史資料館から車で2分。
    国吉城の城下町である佐柿の中心地にやってきました。
    ココは、高札場があった所です。

  • 佐柿の町家と街並み。<br />所々に昔の雰囲気が残っているようです。

    佐柿の町家と街並み。
    所々に昔の雰囲気が残っているようです。

  • 少し歩いてみましょう。

    少し歩いてみましょう。

  • ここが旧北國街道です。

    ここが旧北國街道です。

  • なかなか風情がありますね。

    なかなか風情がありますね。

  • 江戸時代には多くの人々で賑わったようです。

    江戸時代には多くの人々で賑わったようです。

  • 江戸後期から明治の建物も残っています。

    江戸後期から明治の建物も残っています。

  • 後ろに見える標高197.3mの城山の上に国吉城がありました。

    後ろに見える標高197.3mの城山の上に国吉城がありました。

  • 佐柿の集落をあとにします。<br /><br />つづく

    佐柿の集落をあとにします。

    つづく

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