福井市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
福井市内に入りました。<br />公共駐車場に車を停めて、由緒ある神明神社で参拝してから福井城へ。<br /><br />福井城は江戸時代、越前松平家の居城でした。<br />その福井城の前身である北の庄城は築城時期は不明ですが、鎌倉時代と室町時代の間である南北朝時代には存在していたお城のようです。<br />朝倉氏がいたこともあるようですが、朝倉氏が織田信長に滅ぼされた後は、信長の家臣であった柴田勝家の居城になります。<br />信長の死後、勝家は北の庄城の戦いで豊臣秀吉に敗れました。<br />ココで柴田勝家は妻で信長のお妹であるお市の方と共に自害します。<br />その後は丹羽長秀や青木一矩が城主を努めます。<br />そしいて関ケ原の戦いのあと、家康の次男である結城秀康が城主となり、松平姓を名乗り、後の福井城を築城しました。

7日間で福井県を車でグルっと巡ってみました。18 福井市内にやってきました。神明神社~福井城

38いいね!

2025/09/28 - 2025/10/06

164位(同エリア710件中)

nichi

nichiさん

福井市内に入りました。
公共駐車場に車を停めて、由緒ある神明神社で参拝してから福井城へ。

福井城は江戸時代、越前松平家の居城でした。
その福井城の前身である北の庄城は築城時期は不明ですが、鎌倉時代と室町時代の間である南北朝時代には存在していたお城のようです。
朝倉氏がいたこともあるようですが、朝倉氏が織田信長に滅ぼされた後は、信長の家臣であった柴田勝家の居城になります。
信長の死後、勝家は北の庄城の戦いで豊臣秀吉に敗れました。
ココで柴田勝家は妻で信長のお妹であるお市の方と共に自害します。
その後は丹羽長秀や青木一矩が城主を努めます。
そしいて関ケ原の戦いのあと、家康の次男である結城秀康が城主となり、松平姓を名乗り、後の福井城を築城しました。

  • 丸岡城から車で20分。<br />福島市内に入りました。<br />近くの公共駐車場に車を停めて、神明神社にやってきました。

    丸岡城から車で20分。
    福島市内に入りました。
    近くの公共駐車場に車を停めて、神明神社にやってきました。

  • 延長2年(924年)創建の古~い神社です。

    延長2年(924年)創建の古~い神社です。

  • 天照大神を祀っています。

    天照大神を祀っています。

  • 大きな広い神社ですね~

    大きな広い神社ですね~

  • 拝殿です。

    拝殿です。

  • 参拝を済ませ、境内をプラプラ。

    参拝を済ませ、境内をプラプラ。

  • 神明神社をあとにしました。

    神明神社をあとにしました。

  • 神明神社から徒歩5分。<br />福井城の外堀にやってきました。<br />外堀で何か工事やってるのかな?<br />外堀の水が抜かれています。

    神明神社から徒歩5分。
    福井城の外堀にやってきました。
    外堀で何か工事やってるのかな?
    外堀の水が抜かれています。

  • 外堀沿いに歩いて来ました。

    外堀沿いに歩いて来ました。

  • ここは外堀に架かる御廊下橋です。<br />その先にあるのが山里口御門です。<br />

    ここは外堀に架かる御廊下橋です。
    その先にあるのが山里口御門です。

  • 福井城御廊下橋の説明書きです。

    福井城御廊下橋の説明書きです。

  • 明治初期の福井城外堀の写真です。<br />左に御廊下橋が写ってます。

    明治初期の福井城外堀の写真です。
    左に御廊下橋が写ってます。

  • こんなプロジェクトがあるのですね。<br />「福井城坤櫓(ひつじさるやぐら)復元プロジェクト」<br />これに合わせて本丸西側の土塀復元工事も行われているようです。<br />よってお堀の水が無かったのですね。

    こんなプロジェクトがあるのですね。
    「福井城坤櫓(ひつじさるやぐら)復元プロジェクト」
    これに合わせて本丸西側の土塀復元工事も行われているようです。
    よってお堀の水が無かったのですね。

  • 御廊下橋を渡ります。

    御廊下橋を渡ります。

  • 御廊下橋から見える工事の様子。<br />今の内堀はこんな感じです。<br />完成したらまた来てみたいな~

    御廊下橋から見える工事の様子。
    今の内堀はこんな感じです。
    完成したらまた来てみたいな~

  • こちら側の内堀は水が入ってます。

    こちら側の内堀は水が入ってます。

  • 御廊下門を渡った所です。

    御廊下門を渡った所です。

  • そこには山里口御門です。<br />この門は桝形門ですね。<br />この先はすぐに左に曲がります。

    そこには山里口御門です。
    この門は桝形門ですね。
    この先はすぐに左に曲がります。

  • 山里口御門の説明書きです。

    山里口御門の説明書きです。

  • この山里口御門は、福井城本丸の西側を守る門として、築城当時からあった門です。<br />「廊下橋御門」とか「天守台下門」とも呼ばれていました。

    この山里口御門は、福井城本丸の西側を守る門として、築城当時からあった門です。
    「廊下橋御門」とか「天守台下門」とも呼ばれていました。

  • 御門は外側の棟門と内側の櫓門で構成されていました。

    御門は外側の棟門と内側の櫓門で構成されていました。

  • この櫓門の中には武具庫がありました。<br />櫓門は平成になって復元されました。

    この櫓門の中には武具庫がありました。
    櫓門は平成になって復元されました。

  • 山里口御門をくぐって城の内側に入りました。<br />内側から山里口御門を振り返ります。<br /><br />

    山里口御門をくぐって城の内側に入りました。
    内側から山里口御門を振り返ります。

  • 山里口御門の櫓門の中に入れるようです。

    山里口御門の櫓門の中に入れるようです。

  • 城の奥に進みます。

    城の奥に進みます。

  • これが山里口御門の櫓門の中です。

    これが山里口御門の櫓門の中です。

  • 平成になって復元工事が行われ、平成30年完成ですからまだ新しいですね。

    平成になって復元工事が行われ、平成30年完成ですからまだ新しいですね。

  • 挟間から桝形が見えます。

    挟間から桝形が見えます。

  • 福井藩と福井城の説明書きです。

    福井藩と福井城の説明書きです。

  • 家康の次男である結城秀康は、慶長5年(1600年)に家康の命で初代福井藩主になっています。<br />それから6年かかって北の庄城を大規模改築し、慶長11年(1606年)に福井城が完成しました。<br />最大幅が100mにも及ぶ百間堀や、四重五重の堀にお囲まれた広域な城で、天守は高さ約30m、四層五階の壮大な建物でした。

    家康の次男である結城秀康は、慶長5年(1600年)に家康の命で初代福井藩主になっています。
    それから6年かかって北の庄城を大規模改築し、慶長11年(1606年)に福井城が完成しました。
    最大幅が100mにも及ぶ百間堀や、四重五重の堀にお囲まれた広域な城で、天守は高さ約30m、四層五階の壮大な建物でした。

  • 明治初期に撮影された巽門です。<br />大火で焼失し、江戸時代に再建された三重櫓でした。

    明治初期に撮影された巽門です。
    大火で焼失し、江戸時代に再建された三重櫓でした。

  • 藩主の住まいである御座所の玄関付近を描いた絵図です。<br />西の三の丸(現在の福井市中央公園)にありました。

    藩主の住まいである御座所の玄関付近を描いた絵図です。
    西の三の丸(現在の福井市中央公園)にありました。

  • チョー有名な松平春嶽の画です。<br /><br />徳川御三卿である、田安徳川家(田安家)一橋徳川家(一橋家)清水徳川家(清水家)の中の田安家に生まれ、11歳の時に越前松平家の養子になり、幕末の福井藩の藩主になります。<br />その後の活躍は、明治維新で国政を動かすまでに及びます。

    チョー有名な松平春嶽の画です。

    徳川御三卿である、田安徳川家(田安家)一橋徳川家(一橋家)清水徳川家(清水家)の中の田安家に生まれ、11歳の時に越前松平家の養子になり、幕末の福井藩の藩主になります。
    その後の活躍は、明治維新で国政を動かすまでに及びます。

  • 今くぐってきた、桝形門である山里口御門の説明図です。<br />左側から御廊下橋を渡り、手前に棟門、奥に櫓門の2か所の門を通って城内に入ります。<br />2つの門の間に空間を設け、侵入してきた敵を、周りから弓矢や火縄銃で攻撃ができます。<br />屈折した所を通るため、防御力が高かった山里口御門ですね。

    今くぐってきた、桝形門である山里口御門の説明図です。
    左側から御廊下橋を渡り、手前に棟門、奥に櫓門の2か所の門を通って城内に入ります。
    2つの門の間に空間を設け、侵入してきた敵を、周りから弓矢や火縄銃で攻撃ができます。
    屈折した所を通るため、防御力が高かった山里口御門ですね。

  • 山里口御門の復元は難航しました。<br />当時の図面は無いので、現存する古写真や古地図の文献調査、石垣周辺の発掘調査などからこの図面を作成し復元したそうです。<br />私たちは嬉しいです。

    山里口御門の復元は難航しました。
    当時の図面は無いので、現存する古写真や古地図の文献調査、石垣周辺の発掘調査などからこの図面を作成し復元したそうです。
    私たちは嬉しいです。

  • 挟間から門と門の間の桝形を覗きます。

    挟間から門と門の間の桝形を覗きます。

  • 反り建った石垣の横を通って行きます。

    反り建った石垣の横を通って行きます。

  • 奥から山里口御門も櫓門を振り返ります。

    奥から山里口御門も櫓門を振り返ります。

  • シニア夫婦は天守台跡を歩いてみます。

    シニア夫婦は天守台跡を歩いてみます。

  • 天守台に上がります。<br />急階段ですね~

    天守台に上がります。
    急階段ですね~

  • ココに天守があったのか~

    ココに天守があったのか~

  • 福井城の天守は外観は四層ですが、最下階の階高を高くとって二階の床を張っており、内部は五階になっていました。<br />高さは約30mで、天守台を含めると40mの高さになりました。<br />寛文9年(1669年)の大火で焼失しており、それ以来再建されることはありませんでした。

    福井城の天守は外観は四層ですが、最下階の階高を高くとって二階の床を張っており、内部は五階になっていました。
    高さは約30mで、天守台を含めると40mの高さになりました。
    寛文9年(1669年)の大火で焼失しており、それ以来再建されることはありませんでした。

  • シニア夫婦はプラプラ。

    シニア夫婦はプラプラ。

  • 階段状に石が積まれていますね。

    階段状に石が積まれていますね。

  • これは天守台の礎石ですね。

    これは天守台の礎石ですね。

  • この井戸は福の井<br />福井の語源になった井戸ですね。<br /><br />福井城の前の北の庄城の時代からあった井戸のようです。

    この井戸は福の井
    福井の語源になった井戸ですね。

    福井城の前の北の庄城の時代からあった井戸のようです。

  • 安政4年(1775年)の絵図にはすでに「福井」の文字が・・・<br />福井城の特別な井戸であったようです。<br /><br />三代藩主であった松平忠昌の時、「北の庄」は敗北につながるとして寛永元年(1624年)に「福居」に改め、それが1700年頃に「福井」になったようです。<br />へ~~<br />こうやって福井県の「福井」が決まったのね~<br />

    安政4年(1775年)の絵図にはすでに「福井」の文字が・・・
    福井城の特別な井戸であったようです。

    三代藩主であった松平忠昌の時、「北の庄」は敗北につながるとして寛永元年(1624年)に「福居」に改め、それが1700年頃に「福井」になったようです。
    へ~~
    こうやって福井県の「福井」が決まったのね~

  • 「天守閣跡と福の井」の文字が見えます。

    「天守閣跡と福の井」の文字が見えます。

  • ここにも天守台の礎石が残っています。

    ここにも天守台の礎石が残っています。

  • 昭和の福井地震で傾いた天守台の石垣です。

    昭和の福井地震で傾いた天守台の石垣です。

  • 切込接ぎの石垣で築かれた美しい天守台です。

    切込接ぎの石垣で築かれた美しい天守台です。

  • ここに天守があったのですね~

    ここに天守があったのですね~

  • 奥は福井県庁です。<br />城跡に建っています。

    奥は福井県庁です。
    城跡に建っています。

  • 天守の礎石が残っています。

    天守の礎石が残っています。

  • ここに、望楼型4重5階の天守があったのですね~

    ここに、望楼型4重5階の天守があったのですね~

  • 外廻縁高欄と西面に向唐破風があって、大坂城天守に見られるような配置に破風が並べられていたようです。<br />奥の建物は、福城跡にある福井県警ですね。

    外廻縁高欄と西面に向唐破風があって、大坂城天守に見られるような配置に破風が並べられていたようです。
    奥の建物は、福城跡にある福井県警ですね。

  • 天守跡をおりて、

    天守跡をおりて、

  • 内堀を見下ろします。

    内堀を見下ろします。

  • 城跡を歩くのは楽しいです。

    城跡を歩くのは楽しいです。

  • 初代藩主である結城秀康の騎馬像です。

    初代藩主である結城秀康の騎馬像です。

  • 福井城  瓦御門跡から外に出ます。

    福井城 瓦御門跡から外に出ます。

  • ここは城跡にある県庁に通じる道ですね。

    ここは城跡にある県庁に通じる道ですね。

  • 内堀を渡ります。

    内堀を渡ります。

  • 城跡に県庁や県警本部、などの行政施設があるのは、明治維新後の政府の政策で全国で見られる光景ですね。<br /><br />つづく

    城跡に県庁や県警本部、などの行政施設があるのは、明治維新後の政府の政策で全国で見られる光景ですね。

    つづく

38いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP