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《2025.October.》秋冬の風物詩ライトアップを訪ねる旅京都そのⅠ~嵯峨野トロッコ列車初乗車編~<br /><br />歳を取ると本当に時間の経つのが早く思えて仕方がない。間もなく11月を迎えるということはあと二ヶ月しか残っていないことになる。ならば今年もいろいろとやらかしながらいろいろな場所を訪れた~と思い出に浸っている筈だが、なんやかんやと休みの日に用事が入り不完全燃焼の日が多いな~と例年通りの〝ボヤき〟しか出てこない。しかし時間を止めることなど凡人が出来る技ではないので、ひとつでも多くの〝思い出〟を作らねばと焦り始めてしまう。そこで晩秋のイベントとして検索した結果出てきたのは、4年ぶりの開催となる嵯峨嵐山の竹林ライトアップイベント〝嵐山月灯路〟であった。嵐山花灯路という名称で初冬に行われていたが、何らかの理由により令和3(2021)年を最後に開催されなくなった。それが本年令和7(2025)年の10月に〝嵐山月灯路〟として開催されている報をwebで得る。オーバーツーリズムで悪名高くなってしまった嵐山ではあるが、我が街からも手軽に行くことが出来る場所であることに加え、実家があった場所ということもあり私的には〝観光地〟とも言い難い身近な場所でもあることも背景にあった。勿論夜のイベントであるために、界隈の〝旬〟を加えたいと考えたのが嵯峨野観光鉄道の〝トロッコ列車〟であった。本来は昼間の運行のみであるが、紅葉前の時期から年末まで〝光の幻想列車〟というサブタイトルを掲げた夜間の臨時便が運行される。乗り鉄曰くの〝8X号〟という臨時列車であるが、今年は10月25日から運行が始まることを知る。ならばと言うことでトロッコ列車の亀岡から嵯峨迄の〝トロッコ82号〟の乗車と〝嵐山月灯路〟の組み合わせを数日前に決め、指定席を確保した。行き帰りも公共交通機関の利用を考えるが、JR嵯峨野線の混雑も無視できない状況なので、行きに旅行貯金のための郵便局立ち寄りも考え車での移動を決める。以前はただ同然で駐車出来たのだが、このご時世故に叶わぬことを悟り駅チカの予約ができる安い駐車場も予約を入れることができたために、行くしかない状況を珍しく事前に作り出した。外野はその話をすると〝混雑しているところにわざわざ〟と陰口も叩かれたが、そんなものは行ってみないとわからないと自論で対抗し行動に移すことにする。確かにSNSやweb情報から判断すればそうなるが、旅というもの〝行ってみないとわからない〟。その信念を貫いて行動に移す。さあ結果はどのようになったのであろうか?そして当日を迎えるのであった。<br /><br />【令和7(2025)年10月30日木曜日】<br /><br />夜のイベントなので昼からの出発でのんびりする。一時半過ぎに自宅を出発し、例に漏れずローソン大津大平一丁目店で一服しながらナビのセットをする。高速を使うメリットもないので一般道を走り、国道1号線から三条通という定番ルートを走って行く。タ途中京都中数珠屋町・京都東本願寺前・京都花園・京都常盤・京都広沢・京都愛宕郵便局と立ち寄って旅行貯金を行い、16:00になったために終了して予約した駐車場へと向かう。近年コインパーキングが値上がりする中で、空いている自宅の駐車場を貸し出しているところが増えた。今回利用したのもそのひとつである〝嵯峨天龍寺瀬戸川町宮川駐車場〟もそのひとつなのだが、嵯峨嵐山駅迄歩いて7分程なのでロケーションは抜群である。おまけに料金は24時間手数料込みで575円と格安であった。私は車を利用する際は距離関係なくmoveクンを利用する。高速料金等が安いこともあるが、何より小回りがきくのがその理由である。ということで今回の相棒もmoveクンなのだが、今回はその〝小回りが効く〟ことに助けられた。というのも駐車場そのものは小型車迄OKだったが、駐車場前の道路がそれ程広くはないために、まーさんのNOTEクンでは多分切り返しに苦労した可能性が高かったと思えるからである。そこはmoveクンの特性を最大限に活かすことが出来てことなき事を得た。<br /><br />車を停めて駅へと向かって歩く。この界隈も子供の頃によく歩いた筈なのだが、全く覚えてはいない。それよりも山陰線が電化されて大きく変わったことが大きな理由であるだろう。まあ今では〝スマホナビ〟なるものがあるために迷うことなく嵯峨嵐山駅に到着することが出来た。<br /><br />昔は山陰線と言えば列車一本乗り遅れると結構待ち時間が生じたが、今ではそんなこともない。しかしトロッコ亀岡駅に向かうには馬堀駅で下車するために快速には乗ることが出来ない。という訳で予定通り16:29発の普通亀岡行きに乗車。所要時間7分で目的の馬堀駅に到着する。<br /><br />私は京都の高校に通っていたために京都府下在住の同級生が多かった。亀岡も例に漏れず在住者が多かったので、遊びに行くこともあったが当時の山陰線はDD51が牽引する客車であった。当時の路線が今のトロッコ列車の路線になっている訳だが、往時を思い出すと口元がどうしても緩んでしまう。亀岡在住=京都府民とは言うが、私からすると滋賀県下の駅より時間がかかるのによくそんなことが言えるものだとバカにしていたためである。私が通学する時間帯にも草津線から直通の同じくDD51牽引の列車があったが、こちらは50系客車という〝赤色〟の客車であったが、山陰線は走行中でも扉が閉まらない旧型客車が走っていたのである。そんな山陰線も電化されるにあたり、保津川に沿って走っていた旧線区間がトンネルを利用して直線化された新線に置き換わる。確かに早くはなったが風情は無くなった。その旧線区間を観光用にしたものが現在の嵯峨野観光鉄道である。人間というものは本当に自分勝手な生き物である。山陰本線を〝やまかげほんせん〟と揶揄していた者が観光のためにトロッコ列車に乗るのだから・・・。<br /><br />まあそんなつまらない思い出話は置いておいて、なぜ往復観光鉄道を利用しなかったかと問われると、単なるトロッコ亀岡駅で写真を撮りたかったという理由に他ならない。ライトアップ区間は徐行して楽しんで貰うとは書かれてはいるが、実際に車内からライトアップされている景色を撮るには停車中以外は不可能である。フィルム時代のように〝感度〟を気にしながら写真を撮る時代ではなくなったが、やはりライトアップ程度の光量ではナイトモードを使用しなければならず、結果として〝流し撮り〟のような写真しか撮れないのである。おまけにトロッコ嵯峨からの列車はトロッコ亀岡で5分の停車時間の後に出発するために、列車の写真を撮る時間など取ることが難しいのが現実である。という理由から先にトロッコ亀岡駅に前乗りし、入線時を狙うという方を選んだ訳である。<br /><br />という理由で馬堀駅に到着後、喫煙スペースで一服した後にトロッコ亀岡駅へと向かって歩いて行く。所要時間は7分程度なので苦痛にはならない。現在の路線に沿って歩いて行くと何やら茶色の建物が見えてくる。それがトロッコ亀岡駅であった。<br /><br />元々何があったのかは知らないが、トロッコ列車の駅として駐車場やトイレ等利用客向けの設備は整ってはいる。しかし嵯峨から往復する乗客に対し亀岡から往復する客数が多いとは到底思えない。基本トロッコ列車の運行自体がトロッコ嵯峨を拠点とした運行がなされているために、ただ乗車するだけだとトロッコ嵯峨駅での待ち時間が出来てしまう。もしかするとその時間を嵯峨嵐山を観光して・・・という含みがあるのかも知れないが、その程度の時間でどこに行くことが出来るのかは私にはわからない。元々既存の施設を利用しているために〝鉄板〟のプランはないとは思うが、施設の利用方法を考えて時間を潰した暇人がいた事実だけが残るのだろう。<br /><br />そんな暇な事を考えてはいたが、さすがに冷えてきたので駅舎に入ることにする。一応バリアフリーは考えてはいるようでエレベーターは完備してはいるが、その代わりエスカレーターはない。乗り場は2階なので筋肉痛にならないかとヒヤヒヤしながら階段を上がって行く。駅とは言っても発券窓口があるだけで後は乗り場の入口だけ。数年前にJRでの指定券発売を止めてからQRコードで乗車するようになったが、カードリーダーはトロッコ嵯峨駅で事後改札が行われるのみとなっており、トロッコ亀岡駅では一切チェックはない。自ら指定席に座れということで処理される仕組みになっている。この辺りは指定席ルールを知る者〝だろう〟との判断であろうが、その習慣のないC国民なんかは大丈夫なのかと思う。まぁ乗れれば良いことなので深入りはしないでおこう。10月後半ということで修学旅行のシーズンでもある。若かりし頃東北の高校の修学旅行を引率してこちらにやって来たことはあるが、バスでの観光+夜の班ごとの自由行動の定番は、ほとんど見かけなくなった。近年のオーバーツーリズムの絡みで京都への修学旅行が敬遠されていることも影響はあるとは思う。ただこの〝トロッコ列車〟の乗車体験が団体行動の枠で取られていることを初めて知る。ただ呑気なのか添乗員がわかっていないのかはわからないが、乗車ぎりぎりまで生徒を駅構内に入れず、バスでの待機をするという。トロッコ駅の収容キャパのこともあるが、寒いからという発言にはびっくりする。列車の折り返し時間は僅かに5分、その時間内で定刻出発ができるのかと他人事ながら心配になって来る。結局生徒達と顔を合わすまでにホームへの入場案内が始まり、団体枠で押しやられた1号車の乗り場へと向かう。そのうちに〝嵯峨野〟号のヘッドマークを付けた車両が入線してきた。トロッコ列車と言っても機関車を付け替える設備もないために、プッシュ・プルで走っているのだ。つまり機関車は京都方面に付いているので、亀岡行きは〝客車〟が先頭で運行されている。一応先頭客車であるSK200型には〝運転台〟が付いており、遠隔制御はできるとはあるが、動力はあくまでも機関車である。この辺りは〝観光鉄道〟として運行するにあたり〝必要最小限〟に収めているのかも知れない。まぁそれはそれで興味深いようにも思える私であった。嵯峨野観光鉄道で使用されている車両は、元国鉄の貨物用の無蓋貨車である。種車はトキ25000形というものであるが、敢えて〝トロッコ感〟を強調するために、運行時の振動が伝わるようになっている。物は考えようだと改めて思う。モーターリゼーションの変化で鉄道貨物が減る中、貨車の〝第二の人生〟として日本全国で運用されているトロッコ列車の種車になるとは思ってもいなかったろう。そんな車両が入線し、嵯峨からの乗客が下車する。中に残っているものもいたが、勿論往復乗車を考える者はいる訳で不思議ではない。指定席が満席でも当日〝立席券〟が発行されることがある。しかしあくまで〝指定席〟を入手している乗客優先となっており、立席で乗車できる場所はステップ付近に限られている。これは通常の列車のように座席の隣に立っている客がいると、眺望が遮られてしまうためである。実際に私自身も方向を勘違いしてしまっており、より多いライトアップやイルミネーションが飾り付けられている進行方向左ではなく、右の窓際の座席を押さえてしまっていた。まぁ初めてなので何事も経験だと割り切って席に座る。学生がどうなったのかは知らないが、定刻の17:43にトロッコ亀岡駅を出発し、一路トロッコ嵯峨駅を目指して行った。<br /><br />やはり方向は逆だったようで、反対側の車窓に飾られたイルミネーションが多く並んでいた。それでもなんとか乗客の肩越しに景色を望むことはできた。しかしこちらは走っている列車。故にナイトモードが起動すると〝流し撮り〟になってしまう。かといって通常モードで撮影すると、明るい部分だけしか写らない。悪戦苦闘しながらスマホを弄っていると、子連れの隣の客がベビーカーを持って立ち上がった。子供の泣き声は聞こえてはいたが、そのようなことを気にしている余裕もなかったのが本当である。ただ立たれたことによって視界の半分が遮られてしまう。そこでC国語の会話を聞いた。そこで現実に帰ってしまった気がする。やはり周りが見えていない民族だなと…。トロッコ保津峡を経てトロッコ嵐山に到着した。この界隈は嵐山の〝ライトアップエリア〟ではないことを車内放送でも言っていたようだが、我が4席のボックスシートは私だけになった。確かに駅付近は何もないために暗いのは確かだが、ライトアップの〝有料エリア〟に向かうにはやはり嵐山駅で降りた方が近いようだ。この辺りは観光客の方が良く知っている。今回私は〝乗り鉄〟客でもあるので、予定通りトロッコ嵯峨駅まで嵯峨野観光鉄道〝完乗〟を優先する。<br /><br />そうこうしている間に終点に到着。下車してホームを歩いて行く。車両の写真を撮ることはこの混雑では不可能と考え、人の流れに沿って改札方面へと向かって歩く。ただ〝これだけは〟という思いで、牽引機関車の写真は撮りに向かった。DE101104は昭和46(1971)生まれの54歳。福知山で仕事をしていたらしい。平成3(1992)年の嵯峨野観光鉄道開業時からの本務機として、トロッコ嵯峨~トロッコ亀岡間を走っている。確か山陰線はDD51が牽引していたので乗ってはいないと思うのだが定かではない。それよりも幾度も病院通いをしながらも業務を遂行している姿には勇気を貰うことができる。機械も人間も年を取ることは避けられない。ただいかにして〝元気〟でいることこそ大切なのだと訴えかけてくる。ともに写真を撮りながら、私自身もそうやって年を取って行こうと決意をした次第である。<br /><br />DE10と共にカメラに収まり、次の目的に移ろうかと思う。改札ではQRコードをかざして乗車処理をするが、やはり物足りない気がする。私自身普段遣い以外の交通機関の利用時は、記録に残す意味を込めて〝切符〟を利用しているので尚更だ。確かに経費削減は必要だろうが、そう頻繁に利用することができない嵯峨野観光鉄道故に切符の発行はして貰いたいと思った。今更文句を言っても始まらないのでスマホをかざして改札を出た。トロッコ嵯峨駅は交通機関というよりも博物館的な要素があり、京都ゆかりの歴史的物品等が展示されている。また日本最大級の鉄道ジオラマである〝ジオラマ京都JAPAN〟も併設しており、元乗り鉄からすると見てみたい気持ちはあるが、残念ながら時間的理由により見ることができなかった。この界隈であればそう苦労なく訪れる事ができるので、再訪予定場所記録ノートにメモして今日のところは我慢する。<br /><br />トロッコ嵯峨駅前にはイルミネーションが飾られていた。規模は小さいが時期を押さえた〝ハロウィンバージョン〟となっており、トロッコ列車旅の最後を締め括る展開になっていた。トロッコ嵯峨駅はJR嵯峨野線嵯峨嵐山駅の脇にあり、約2時間をかけて亀岡まで往復したことになる。辺りはすっかり夜の帳が下りている。次は〝嵐山月灯路〟。元々〝嵐山花灯路〟として令和3(2021)年まで17年間に渡り嵐山の冬の風物詩として開催されていたものである。それが4年ぶりに復活したのが〝嵐山月灯路〟となる。以前とは少し趣向を変えて、野宮神社向かい付近の竹林内にライトアップ作品を集めた〝有料セクション〟を設けて再出発したものだ。その場所に向かうまでに無料エリアがあるので、そちらを散策しながら歩いて行くことにする。嵯峨嵐山駅に繋がる道にも行灯が飾られている。嵐山月灯路には有料セクションの他に灯籠エリアと灯籠&竹林ライトアップエリアがあるのだが、有料エリア付近の灯籠&竹林ライトアップエリアは抜きにして、灯籠エリアとされている部分はイベントへの協賛の有無のこともあり、すべての店前に灯籠が飾られている訳では無い。その絡みで行灯が点いていないところもあるので注意が必要だ。<br /><br />この灯籠エリアとして最も規模の大きい展開を行なっているのが嵐電嵐山駅付近である。初めての訪問ではないのだが、数十年ぶりに訪れた場所は全くその様子を思い出すことができない場所となっていた。改札を通らなくても四条大宮方向にある踏切から駅構内に入ることが可能になっており、こんなザルみたいな管理で良いのかとオーバーツーリズムを良く思わない観光客は疑問に感じてしまう。駅舎を含むエリアに竹筒を模した〝灯り〟が数多く灯されていた。一基当たりもそれなりの費用がかかってそうな〝竹あかり〟は何とも言えない雰囲気を醸し出しており、会場の一角を担っている。勿論そんな場所故に観光客の集まりもあり、人が写り込まないように〝自撮り〟を決めるに結構手こずった。<br /><br />そんな嵐電嵐山駅付近の会場を通り過ぎ左手へと進む。渡月橋、嵯峨嵐山のランドマーク的存在の建造物は、平安時代に架橋されたことに始まるとされているが、一説には奈良時代に行基が架橋したとも言われている。当初現在地よりも上手にあったと言われているが、大堰川の急流に流されることもしばしばあったことに加えて応仁の乱で兵火にかかり焼失したこともある。幾度となく流出しては架橋されるということを繰り返し、現在の橋は昭和9(1934)年にコンクリートを用いたものとして架橋された。その後も自動車事故等で一部損壊等はあったようだが、修復を加えながら現在に至っている。そんな渡月橋だが〝嵐山花灯路〟開催時にはライトアップされていたこともある。渡月橋は夜になるとライトアップされていると誤解されがちだが、実際近年では〝冬の時期〟、つまり嵐山花灯路の時期だけライトアップされていた。4年間の休止期間を経て〝嵐山月灯路〟として秋に開催されることになった今年は、主催者側の案内には〝渡月橋ライトアップ〟については書かれてはおらず、やっていなかったのではないかと思われる。例年のように冬の時期に行われるのかも知れないが、今のところ告知はされてはいない。まあ運が良ければ見ることができるだろう…と思いながら行くことができればガッカリすることもないだろうと思うしかない。とにかく私が訪れた時にはその姿を確認はしてはいない。加えて〝月灯路〟で記されている〝灯籠エリア〟にも渡月橋は入ってはいなかったのだが、実際のところ歩道には〝行灯〟が置かれていることは確認した。<br /><br />しかし元々ライティング設備を備えていない渡月橋故に行灯の灯火程度の光では、写真としてカメラで切り取るには無理がある。よって歩道で1枚と、横断歩道上から1枚と2枚を参考までに撮影して〝嵐山月灯路〟に於ける〝渡月橋〟の様子を上げておくことにする。<br /><br />そんな感じで渡月橋迄行ってから、来た道を戻り嵐電嵐山駅へと戻って来た。<br /><br />  《続く》

《2025.October.》秋冬の風物詩ライトアップを訪ねる旅京都そのⅠ~嵯峨野トロッコ列車初乗車編~

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歳を取ると本当に時間の経つのが早く思えて仕方がない。間もなく11月を迎えるということはあと二ヶ月しか残っていないことになる。ならば今年もいろいろとやらかしながらいろいろな場所を訪れた~と思い出に浸っている筈だが、なんやかんやと休みの日に用事が入り不完全燃焼の日が多いな~と例年通りの〝ボヤき〟しか出てこない。しかし時間を止めることなど凡人が出来る技ではないので、ひとつでも多くの〝思い出〟を作らねばと焦り始めてしまう。そこで晩秋のイベントとして検索した結果出てきたのは、4年ぶりの開催となる嵯峨嵐山の竹林ライトアップイベント〝嵐山月灯路〟であった。嵐山花灯路という名称で初冬に行われていたが、何らかの理由により令和3(2021)年を最後に開催されなくなった。それが本年令和7(2025)年の10月に〝嵐山月灯路〟として開催されている報をwebで得る。オーバーツーリズムで悪名高くなってしまった嵐山ではあるが、我が街からも手軽に行くことが出来る場所であることに加え、実家があった場所ということもあり私的には〝観光地〟とも言い難い身近な場所でもあることも背景にあった。勿論夜のイベントであるために、界隈の〝旬〟を加えたいと考えたのが嵯峨野観光鉄道の〝トロッコ列車〟であった。本来は昼間の運行のみであるが、紅葉前の時期から年末まで〝光の幻想列車〟というサブタイトルを掲げた夜間の臨時便が運行される。乗り鉄曰くの〝8X号〟という臨時列車であるが、今年は10月25日から運行が始まることを知る。ならばと言うことでトロッコ列車の亀岡から嵯峨迄の〝トロッコ82号〟の乗車と〝嵐山月灯路〟の組み合わせを数日前に決め、指定席を確保した。行き帰りも公共交通機関の利用を考えるが、JR嵯峨野線の混雑も無視できない状況なので、行きに旅行貯金のための郵便局立ち寄りも考え車での移動を決める。以前はただ同然で駐車出来たのだが、このご時世故に叶わぬことを悟り駅チカの予約ができる安い駐車場も予約を入れることができたために、行くしかない状況を珍しく事前に作り出した。外野はその話をすると〝混雑しているところにわざわざ〟と陰口も叩かれたが、そんなものは行ってみないとわからないと自論で対抗し行動に移すことにする。確かにSNSやweb情報から判断すればそうなるが、旅というもの〝行ってみないとわからない〟。その信念を貫いて行動に移す。さあ結果はどのようになったのであろうか?そして当日を迎えるのであった。

【令和7(2025)年10月30日木曜日】

夜のイベントなので昼からの出発でのんびりする。一時半過ぎに自宅を出発し、例に漏れずローソン大津大平一丁目店で一服しながらナビのセットをする。高速を使うメリットもないので一般道を走り、国道1号線から三条通という定番ルートを走って行く。タ途中京都中数珠屋町・京都東本願寺前・京都花園・京都常盤・京都広沢・京都愛宕郵便局と立ち寄って旅行貯金を行い、16:00になったために終了して予約した駐車場へと向かう。近年コインパーキングが値上がりする中で、空いている自宅の駐車場を貸し出しているところが増えた。今回利用したのもそのひとつである〝嵯峨天龍寺瀬戸川町宮川駐車場〟もそのひとつなのだが、嵯峨嵐山駅迄歩いて7分程なのでロケーションは抜群である。おまけに料金は24時間手数料込みで575円と格安であった。私は車を利用する際は距離関係なくmoveクンを利用する。高速料金等が安いこともあるが、何より小回りがきくのがその理由である。ということで今回の相棒もmoveクンなのだが、今回はその〝小回りが効く〟ことに助けられた。というのも駐車場そのものは小型車迄OKだったが、駐車場前の道路がそれ程広くはないために、まーさんのNOTEクンでは多分切り返しに苦労した可能性が高かったと思えるからである。そこはmoveクンの特性を最大限に活かすことが出来てことなき事を得た。

車を停めて駅へと向かって歩く。この界隈も子供の頃によく歩いた筈なのだが、全く覚えてはいない。それよりも山陰線が電化されて大きく変わったことが大きな理由であるだろう。まあ今では〝スマホナビ〟なるものがあるために迷うことなく嵯峨嵐山駅に到着することが出来た。

昔は山陰線と言えば列車一本乗り遅れると結構待ち時間が生じたが、今ではそんなこともない。しかしトロッコ亀岡駅に向かうには馬堀駅で下車するために快速には乗ることが出来ない。という訳で予定通り16:29発の普通亀岡行きに乗車。所要時間7分で目的の馬堀駅に到着する。

私は京都の高校に通っていたために京都府下在住の同級生が多かった。亀岡も例に漏れず在住者が多かったので、遊びに行くこともあったが当時の山陰線はDD51が牽引する客車であった。当時の路線が今のトロッコ列車の路線になっている訳だが、往時を思い出すと口元がどうしても緩んでしまう。亀岡在住=京都府民とは言うが、私からすると滋賀県下の駅より時間がかかるのによくそんなことが言えるものだとバカにしていたためである。私が通学する時間帯にも草津線から直通の同じくDD51牽引の列車があったが、こちらは50系客車という〝赤色〟の客車であったが、山陰線は走行中でも扉が閉まらない旧型客車が走っていたのである。そんな山陰線も電化されるにあたり、保津川に沿って走っていた旧線区間がトンネルを利用して直線化された新線に置き換わる。確かに早くはなったが風情は無くなった。その旧線区間を観光用にしたものが現在の嵯峨野観光鉄道である。人間というものは本当に自分勝手な生き物である。山陰本線を〝やまかげほんせん〟と揶揄していた者が観光のためにトロッコ列車に乗るのだから・・・。

まあそんなつまらない思い出話は置いておいて、なぜ往復観光鉄道を利用しなかったかと問われると、単なるトロッコ亀岡駅で写真を撮りたかったという理由に他ならない。ライトアップ区間は徐行して楽しんで貰うとは書かれてはいるが、実際に車内からライトアップされている景色を撮るには停車中以外は不可能である。フィルム時代のように〝感度〟を気にしながら写真を撮る時代ではなくなったが、やはりライトアップ程度の光量ではナイトモードを使用しなければならず、結果として〝流し撮り〟のような写真しか撮れないのである。おまけにトロッコ嵯峨からの列車はトロッコ亀岡で5分の停車時間の後に出発するために、列車の写真を撮る時間など取ることが難しいのが現実である。という理由から先にトロッコ亀岡駅に前乗りし、入線時を狙うという方を選んだ訳である。

という理由で馬堀駅に到着後、喫煙スペースで一服した後にトロッコ亀岡駅へと向かって歩いて行く。所要時間は7分程度なので苦痛にはならない。現在の路線に沿って歩いて行くと何やら茶色の建物が見えてくる。それがトロッコ亀岡駅であった。

元々何があったのかは知らないが、トロッコ列車の駅として駐車場やトイレ等利用客向けの設備は整ってはいる。しかし嵯峨から往復する乗客に対し亀岡から往復する客数が多いとは到底思えない。基本トロッコ列車の運行自体がトロッコ嵯峨を拠点とした運行がなされているために、ただ乗車するだけだとトロッコ嵯峨駅での待ち時間が出来てしまう。もしかするとその時間を嵯峨嵐山を観光して・・・という含みがあるのかも知れないが、その程度の時間でどこに行くことが出来るのかは私にはわからない。元々既存の施設を利用しているために〝鉄板〟のプランはないとは思うが、施設の利用方法を考えて時間を潰した暇人がいた事実だけが残るのだろう。

そんな暇な事を考えてはいたが、さすがに冷えてきたので駅舎に入ることにする。一応バリアフリーは考えてはいるようでエレベーターは完備してはいるが、その代わりエスカレーターはない。乗り場は2階なので筋肉痛にならないかとヒヤヒヤしながら階段を上がって行く。駅とは言っても発券窓口があるだけで後は乗り場の入口だけ。数年前にJRでの指定券発売を止めてからQRコードで乗車するようになったが、カードリーダーはトロッコ嵯峨駅で事後改札が行われるのみとなっており、トロッコ亀岡駅では一切チェックはない。自ら指定席に座れということで処理される仕組みになっている。この辺りは指定席ルールを知る者〝だろう〟との判断であろうが、その習慣のないC国民なんかは大丈夫なのかと思う。まぁ乗れれば良いことなので深入りはしないでおこう。10月後半ということで修学旅行のシーズンでもある。若かりし頃東北の高校の修学旅行を引率してこちらにやって来たことはあるが、バスでの観光+夜の班ごとの自由行動の定番は、ほとんど見かけなくなった。近年のオーバーツーリズムの絡みで京都への修学旅行が敬遠されていることも影響はあるとは思う。ただこの〝トロッコ列車〟の乗車体験が団体行動の枠で取られていることを初めて知る。ただ呑気なのか添乗員がわかっていないのかはわからないが、乗車ぎりぎりまで生徒を駅構内に入れず、バスでの待機をするという。トロッコ駅の収容キャパのこともあるが、寒いからという発言にはびっくりする。列車の折り返し時間は僅かに5分、その時間内で定刻出発ができるのかと他人事ながら心配になって来る。結局生徒達と顔を合わすまでにホームへの入場案内が始まり、団体枠で押しやられた1号車の乗り場へと向かう。そのうちに〝嵯峨野〟号のヘッドマークを付けた車両が入線してきた。トロッコ列車と言っても機関車を付け替える設備もないために、プッシュ・プルで走っているのだ。つまり機関車は京都方面に付いているので、亀岡行きは〝客車〟が先頭で運行されている。一応先頭客車であるSK200型には〝運転台〟が付いており、遠隔制御はできるとはあるが、動力はあくまでも機関車である。この辺りは〝観光鉄道〟として運行するにあたり〝必要最小限〟に収めているのかも知れない。まぁそれはそれで興味深いようにも思える私であった。嵯峨野観光鉄道で使用されている車両は、元国鉄の貨物用の無蓋貨車である。種車はトキ25000形というものであるが、敢えて〝トロッコ感〟を強調するために、運行時の振動が伝わるようになっている。物は考えようだと改めて思う。モーターリゼーションの変化で鉄道貨物が減る中、貨車の〝第二の人生〟として日本全国で運用されているトロッコ列車の種車になるとは思ってもいなかったろう。そんな車両が入線し、嵯峨からの乗客が下車する。中に残っているものもいたが、勿論往復乗車を考える者はいる訳で不思議ではない。指定席が満席でも当日〝立席券〟が発行されることがある。しかしあくまで〝指定席〟を入手している乗客優先となっており、立席で乗車できる場所はステップ付近に限られている。これは通常の列車のように座席の隣に立っている客がいると、眺望が遮られてしまうためである。実際に私自身も方向を勘違いしてしまっており、より多いライトアップやイルミネーションが飾り付けられている進行方向左ではなく、右の窓際の座席を押さえてしまっていた。まぁ初めてなので何事も経験だと割り切って席に座る。学生がどうなったのかは知らないが、定刻の17:43にトロッコ亀岡駅を出発し、一路トロッコ嵯峨駅を目指して行った。

やはり方向は逆だったようで、反対側の車窓に飾られたイルミネーションが多く並んでいた。それでもなんとか乗客の肩越しに景色を望むことはできた。しかしこちらは走っている列車。故にナイトモードが起動すると〝流し撮り〟になってしまう。かといって通常モードで撮影すると、明るい部分だけしか写らない。悪戦苦闘しながらスマホを弄っていると、子連れの隣の客がベビーカーを持って立ち上がった。子供の泣き声は聞こえてはいたが、そのようなことを気にしている余裕もなかったのが本当である。ただ立たれたことによって視界の半分が遮られてしまう。そこでC国語の会話を聞いた。そこで現実に帰ってしまった気がする。やはり周りが見えていない民族だなと…。トロッコ保津峡を経てトロッコ嵐山に到着した。この界隈は嵐山の〝ライトアップエリア〟ではないことを車内放送でも言っていたようだが、我が4席のボックスシートは私だけになった。確かに駅付近は何もないために暗いのは確かだが、ライトアップの〝有料エリア〟に向かうにはやはり嵐山駅で降りた方が近いようだ。この辺りは観光客の方が良く知っている。今回私は〝乗り鉄〟客でもあるので、予定通りトロッコ嵯峨駅まで嵯峨野観光鉄道〝完乗〟を優先する。

そうこうしている間に終点に到着。下車してホームを歩いて行く。車両の写真を撮ることはこの混雑では不可能と考え、人の流れに沿って改札方面へと向かって歩く。ただ〝これだけは〟という思いで、牽引機関車の写真は撮りに向かった。DE101104は昭和46(1971)生まれの54歳。福知山で仕事をしていたらしい。平成3(1992)年の嵯峨野観光鉄道開業時からの本務機として、トロッコ嵯峨~トロッコ亀岡間を走っている。確か山陰線はDD51が牽引していたので乗ってはいないと思うのだが定かではない。それよりも幾度も病院通いをしながらも業務を遂行している姿には勇気を貰うことができる。機械も人間も年を取ることは避けられない。ただいかにして〝元気〟でいることこそ大切なのだと訴えかけてくる。ともに写真を撮りながら、私自身もそうやって年を取って行こうと決意をした次第である。

DE10と共にカメラに収まり、次の目的に移ろうかと思う。改札ではQRコードをかざして乗車処理をするが、やはり物足りない気がする。私自身普段遣い以外の交通機関の利用時は、記録に残す意味を込めて〝切符〟を利用しているので尚更だ。確かに経費削減は必要だろうが、そう頻繁に利用することができない嵯峨野観光鉄道故に切符の発行はして貰いたいと思った。今更文句を言っても始まらないのでスマホをかざして改札を出た。トロッコ嵯峨駅は交通機関というよりも博物館的な要素があり、京都ゆかりの歴史的物品等が展示されている。また日本最大級の鉄道ジオラマである〝ジオラマ京都JAPAN〟も併設しており、元乗り鉄からすると見てみたい気持ちはあるが、残念ながら時間的理由により見ることができなかった。この界隈であればそう苦労なく訪れる事ができるので、再訪予定場所記録ノートにメモして今日のところは我慢する。

トロッコ嵯峨駅前にはイルミネーションが飾られていた。規模は小さいが時期を押さえた〝ハロウィンバージョン〟となっており、トロッコ列車旅の最後を締め括る展開になっていた。トロッコ嵯峨駅はJR嵯峨野線嵯峨嵐山駅の脇にあり、約2時間をかけて亀岡まで往復したことになる。辺りはすっかり夜の帳が下りている。次は〝嵐山月灯路〟。元々〝嵐山花灯路〟として令和3(2021)年まで17年間に渡り嵐山の冬の風物詩として開催されていたものである。それが4年ぶりに復活したのが〝嵐山月灯路〟となる。以前とは少し趣向を変えて、野宮神社向かい付近の竹林内にライトアップ作品を集めた〝有料セクション〟を設けて再出発したものだ。その場所に向かうまでに無料エリアがあるので、そちらを散策しながら歩いて行くことにする。嵯峨嵐山駅に繋がる道にも行灯が飾られている。嵐山月灯路には有料セクションの他に灯籠エリアと灯籠&竹林ライトアップエリアがあるのだが、有料エリア付近の灯籠&竹林ライトアップエリアは抜きにして、灯籠エリアとされている部分はイベントへの協賛の有無のこともあり、すべての店前に灯籠が飾られている訳では無い。その絡みで行灯が点いていないところもあるので注意が必要だ。

この灯籠エリアとして最も規模の大きい展開を行なっているのが嵐電嵐山駅付近である。初めての訪問ではないのだが、数十年ぶりに訪れた場所は全くその様子を思い出すことができない場所となっていた。改札を通らなくても四条大宮方向にある踏切から駅構内に入ることが可能になっており、こんなザルみたいな管理で良いのかとオーバーツーリズムを良く思わない観光客は疑問に感じてしまう。駅舎を含むエリアに竹筒を模した〝灯り〟が数多く灯されていた。一基当たりもそれなりの費用がかかってそうな〝竹あかり〟は何とも言えない雰囲気を醸し出しており、会場の一角を担っている。勿論そんな場所故に観光客の集まりもあり、人が写り込まないように〝自撮り〟を決めるに結構手こずった。

そんな嵐電嵐山駅付近の会場を通り過ぎ左手へと進む。渡月橋、嵯峨嵐山のランドマーク的存在の建造物は、平安時代に架橋されたことに始まるとされているが、一説には奈良時代に行基が架橋したとも言われている。当初現在地よりも上手にあったと言われているが、大堰川の急流に流されることもしばしばあったことに加えて応仁の乱で兵火にかかり焼失したこともある。幾度となく流出しては架橋されるということを繰り返し、現在の橋は昭和9(1934)年にコンクリートを用いたものとして架橋された。その後も自動車事故等で一部損壊等はあったようだが、修復を加えながら現在に至っている。そんな渡月橋だが〝嵐山花灯路〟開催時にはライトアップされていたこともある。渡月橋は夜になるとライトアップされていると誤解されがちだが、実際近年では〝冬の時期〟、つまり嵐山花灯路の時期だけライトアップされていた。4年間の休止期間を経て〝嵐山月灯路〟として秋に開催されることになった今年は、主催者側の案内には〝渡月橋ライトアップ〟については書かれてはおらず、やっていなかったのではないかと思われる。例年のように冬の時期に行われるのかも知れないが、今のところ告知はされてはいない。まあ運が良ければ見ることができるだろう…と思いながら行くことができればガッカリすることもないだろうと思うしかない。とにかく私が訪れた時にはその姿を確認はしてはいない。加えて〝月灯路〟で記されている〝灯籠エリア〟にも渡月橋は入ってはいなかったのだが、実際のところ歩道には〝行灯〟が置かれていることは確認した。

しかし元々ライティング設備を備えていない渡月橋故に行灯の灯火程度の光では、写真としてカメラで切り取るには無理がある。よって歩道で1枚と、横断歩道上から1枚と2枚を参考までに撮影して〝嵐山月灯路〟に於ける〝渡月橋〟の様子を上げておくことにする。

そんな感じで渡月橋迄行ってから、来た道を戻り嵐電嵐山駅へと戻って来た。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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