2025/07/17 - 2025/07/20
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binchanさん
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最初に「義民廟」について書きます。あくまでも私が調べた範囲の認識ですが、書いておかないと調べたことを忘れてしまうので…。(読まなくても大丈夫です。)
台湾を旅していると時々「義民廟」に出会います。義民という人々を祀った廟なのですが、この「義民」を私は全く誤解していました。外来勢力、古くはオランダとか清、日本等の圧政に抵抗し戦って亡くなった人が「義民」だと思っていたのです。
これは一部は正しいのです。ウィキペディアでの即席学習による知識ですが、抗日戦争で亡くなった方は「義民」の一例なのだそう。それと台湾内部での原住民族との争い、分類械鬥(後述)による死者も「義民」。そして最も一般的な意味での義民は、清代に起こった反乱時に自らを守るために戦って亡くなった人々のことなのです。
つまり、外来勢力との戦いとは関係ない人々がメインということ。
分類械鬥についてちょっと説明。
清代の台湾には原住民族・漳州人・泉州人・客家人という4つの勢力がありました。それぞれも決して一枚岩ではありませんでしたが、もめ事があると勢力ごとに力を合わせて対抗勢力と戦ったのです。その戦いが分類械鬥(大雑把に言うと)。
この分類械鬥の勢力争いが清政府への反乱時にも発動します。清代の台湾三大反乱を例にとると、朱一貴の乱では漳州・泉州連合の反乱軍VS客家人。林爽文の乱と戴潮春の乱では漳州人の反乱軍VS客家・泉州連合という構図なのだそう。つまり、外来勢力への抵抗ではなく、反乱軍によって自分たちのテリトリーが侵されないことが重要だったわけです。
そして、反乱軍に対抗して亡くなった人が「義民」になりました。清に対して反乱した側ではなく、それを鎮圧する清軍に組する形になった側が「義民」なのです。これは私の理解とは真逆でした。考えてみれば、反乱軍兵士を祀る廟がこんなに立派なわけはないのです。清政府が「建てていい」と言うから堂々と建てたに違いありません。
義民信仰が盛んになったのは乾隆年間に起こった林爽文の乱鎮圧後とされています。犠牲者数がそれだけ多かったということ。清軍にも多大な犠牲者が出ました。この時は清政府が対抗勢力に褒賞の扁額を贈りました。泉州義民には「旌義」、平補族義民には「效順」そして客家義民には「褒忠」。そういうわけでこの義民廟は「褒忠亭義民廟」と言うのです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月19日土曜日 旅行三日目
12:56、義民廟バス停で下車。
このバス停もほかの路線は「百慕達景觀休閑花市」というバス停名です。(「閑」の「木」は本来は「月」) -
まずは「雲岫 夏目漱石」という高級住宅地へと向かいます。行く理由はただの好奇心。
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なぜ夏目漱石という名前なんでしょう。日本人にとっては人名ですが、中国語では何か別の意味があるのか?
後に台湾在住のnatchanpapaさんに伺ったところ、「ぜんぜん意味なんかないでしょう」とのこと。 -
それにしても「漱石」は「漱石枕流」という漢文が由来なだけに何か意味があるように思ってしまう。
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住宅街の入口はしっかり警備されています。
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丘の上に位置していて眺めがいいです。
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かわいらしい花が落ちていました。日本女貞というプレートが付いていましたが、検索すると違う花が出てきます。本当は何ていう花?
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義民廟前へやってきました。
義民第一家というお店で「柿餅」について質問。すると実物を持ってきて教えてくれました。「日本にもあるでしょ?」といって見せてくれたのは干し柿。なるほどね、餅っちゃ餅みたい。柿餅園の棚の謎も解明。
そういえば縣史館にも何か果物を干している写真があったなあ。あれ柿だったんだ。 -
お礼がてら仙草茶を購入。暑いときにはコレ。
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新埔褒忠亭義民廟
門牌が工事中なので壮麗さに欠ける写真になってます。 -
台湾で最も有名な義民廟です。
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石燈のようなものもあります。
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お参りに来ている家族連れ。
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右の扁額に「褒忠揚義」と書かれてますが、これが皇帝から賜った扁額かな?
客家義民軍を率いた人物の一人が林先坤で、朝見てきた客家文化園區の集落を作った一族です。扁額も当初は六家(当時は六張犂)に掲げられていたそう。
戦死した義民の骨は牛の引く車に乗せて故郷へ運ばれ、ここから数キロ離れた現在の湖口郷の辺りで埋葬されるはずでした。ところが車を引く牛がここで動かなくなってしまったため、ここに廟を建て埋葬したとのこと。
林爽文の反乱軍が彰化から新竹(竹塹)に侵攻した際、桃園・新竹・苗栗一帯の客家・泉州人・平補族が連合して抵抗しました。それだけ広い範囲の義民がいたのです、こんな神話を作らないといけないくらいどこに埋葬するかで揉めたのでしょうか。この廟には客家以外の義民も祀られているのだそう。 -
それにしても、反乱軍の首領も林氏、客家義民軍を率いた一人も林氏。
もしかして台湾で一番多い姓?と思って調べてみたら、最も多いのは陳さんだった。
この建物も1895年には日本軍によって破壊されています。1904年に再建されました。また第二次世界大戦中には財産没収の危機がありましたが陳情により免れています。 -
林爽文事件で清軍に協力したのは客家義民だけでなく、道卡斯族の竹塹社も力を貸しました。それによって竹塹社は地位を上げ、清の統治間は経済的に守られていたんだそうです。
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廟の中にあったすご~く大きな豚の写真。義民節の時に神豬(豚)を選ぶコンテストがあるらしい。一番重い個体が受賞するみたい。同時に神羊(ヤギ)コンテストもあるのですが、そっちは角の大きさで選ばれるとのこと。
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義民廟自体も壮大ですばらしいのですが、その背後にある広大な公園にも興味がわきます。
これからそちらへと向かいます。 -
大きな水鳥に導かれて、
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仙人が遊ぶ池へ。
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橋を渡って先へ進みたいのですが、水鳥のフンを踏まないように歩くのが至難。鳥とは思えない大きなフンなんだなこれが。
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墓標が見えてきました。
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附塚
1862年の戴潮春の乱の義民墓。一度ならず反乱軍と戦ったんですね。 -
「福神」と書かれた碑。
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義民塚
林爽文の乱で戦死した義民の墓。 -
「后土」と書かれた墓碑。后土は土地の神様のことらしいです。
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坂を上ってきたので眺めがよくなってきました。屋根越しに新竹の高層ビル群が見えます。
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公園の奥へと進みます。
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休憩所などがあり、散歩している人もいました。
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龍斯耐樂園という看板
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10年くらい前まではこの先に遊園地がありました。小さなジェットコースターとかゴーカートがあったらしい。ホテルも併設されていて、それなりに賑わっていたみたいです。
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割と新しい休憩所。上が展望台になっているので上がってみましたが、樹木に阻まれ眺望はありませんでした。
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このあたりから庭園っぽくなってきました。
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手の込んだ庭っぽいんですけど、樹木と雑草が伸び放題。
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池も干上がってる。
奥の階段を上ると、 -
目に入ったのは謎の洞窟。
「居庸關」と書かれていますが…。なにこれ? -
入口には義民廟創建200年の活動に献金した人々の名簿。
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銭湯の洗い場のような謎の空間。奥にある扉のようなものはどこにつながっているの?
画像を処理しているので明るく見えますが、肉眼ではかなり暗い洞内。入っていく勇気はありませんでした。
調べてもわからなかったのでAIに聞いてみると、万里長城にある居庸關を模しただけで利用目的はないとのこと。意味なくこんな大きな空間を?絶対防空洞だと思ったんだけどな。 -
長城の擁壁は危機的状態。
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義民廟の謂れが書かれた石碑。
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古そうですね。
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ところどころ休憩所がありますが、利用している人はおらず。
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突然現れる鹿の像。
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そして虹の橋。
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近くへ行ってみます。こういう橋も信用ならんよね。
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手すりみたいなものがあるけど…
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渡れるようになっていたんだ。登るのはよくても、下るときは怖すぎるだろ!さすがに登れないようガードしてあるけどね。
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義民廟創建200年記念に造られたんですね。
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焼肉は禁止。
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吊橋も登場。怖いから渡りません。
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吊橋を避けたいなら、こんな道を通らないと先へ進めません。
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ファンタジーな龍が躍る干上がった池。
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噴水があったらしき痕跡。
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道なき道を進む。
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そして細い石橋。
両側、地面に見えますが実は沼です。落ちても死なないかもしれないけど、絶対落ちたくない。この公園について調べていたら2024年夏は高温のために池の魚が大量死し、腐臭を放ったとか…。 -
無事渡り切った。
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道に寝ている犬。牛かと思った。
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石橋の下も芝生のように見えますが、水草びっしりの水面です。
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魚のえさの自動販売機。今はもう鯉の形じゃないんだ。
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石橋も渡っときますか。
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水がきれいだったらいい景色だと思うのですが。
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義民廟観光花園、期待以上の見どころでした。
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14:04、そろそろバス停へ向かいます。
写真奥の宮殿のような建物は警察署。 -
下車したのと同じバス停ですが、今度乗るのは快捷5號なのでバス停名は「百慕達景觀休閑花市」です。(「閑」の「木」は本来は「月」)
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バス停名にもなっている花市ものぞいてみました。大きな園芸ショップです。
これにて本日の観光は終了。台北へと向かいます。
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