2025/07/17 - 2025/07/20
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binchanさん
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この10年ほどでタクシーは配車アプリで呼ぶものになってきましたよね。流しがめっきり減りました。電話でもいいのですが、言葉がままならない外国ではそうもいきません。鉄道駅やバスターミナルになら必ず数台のタクシーが待機していたものですが、それも少なくなったと感じています。
台湾でもやっぱり配車アプリだよなと思い調べてみても、台湾の携帯電話番号が必要とか、都市部でしか呼べないとかでどれを使えばいいのかわからず。迷っていないで片っ端から使うしかない?皆さんはどうしているのでしょう。日本の携帯番号で、田舎でも配車できるタクシーアプリといえばどれでしょう?
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー 徒歩
-
7月18日金曜日 旅行二日目になりました。
4:15起床、5:00ホテル出発。
竹中站への道々にある朝食店もまだ準備中。この時間は涼しいので、夏の台湾で歩き回るなら午前4:00~7:00がゴールデンタイム。 -
竹中5:19の始発便に乗車。
やってきた列車に乗り込むとまず目に入ったのがコレ。なんですか?竹中駅 駅
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この車両は台鐵局長専用の会議室仕様特別車両だったもの。使う機会が少なく支線用の車両も逼迫していたため、改装して支線に投入することになりました。その際車両番号DSC1001にちなんで「mr.ten miss one」というキャラクターを設定して観光車両化。彼らは宇宙人のバックパッカーで、台湾を気に入って滞在しているとのこと。
mr.ten(上の写真のマスコット)がいるんだからmiss oneもきっとどこかにいるはず、と探したのですが見当たらず。後日調べてみたらmiss oneはこの車両の反対側(先頭)にいたのでした。
2015年から運用されているこの車両は、台鐵の3大支線で交替で運行しているそうです。 -
外側もラッピング仕様。
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5:34、竹東站到着。駅訪問は後の旅行記で。
ここからはタクシー移動の予定。駅に一台もいなかったらどうしようと心配していましたが、一台だけいました。助かった!
行き先は、目印になるものと言えばバス停くらいしかない田舎。一発では通じないだろうと想定しつつ「花草林バス停(公車站)へ」と言うと、何も聞かず、ナビを調べることもなく「わかった」と出発しました。
いやいやいや、絶対わかってないっしょ。日ごろ車やバイクで移動している人が、山中のバス停知ってますか?なんか勘違いしてるでしょ、と思い、「あの、ここなんですけど」と地図を見せました。「ああ、何にもない、人の家もないようなところだよ。何しに行くの?」と私こそ何か勘違いしてる人ではないかと心配されました。
このバス停の近くにある小型のダムを見に行きたいのですが、ダムとか滝に行くってすご~く心配されるんですよね。どうやら入水とか事故を連想するみたいなんです。
安心してください。ただの水利インフラ好きです。 -
5:58、無事に目的地付近に到着。
すんなり行き先が通じたのも道理、運転手さんはこの集落のご出身でした。「この先が実家」と言ってました。
タクシー代は250元(約1,400円)。
実際はタクシーを降りたこの場所から観光を始めたのですが、説明しやすい順番で進めたいので、この先の見どころから先に書きます。 -
少し歩くと道沿いに人家が。
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看板によるとここは「矮店/隘店」と呼ばれた商店街で、清代から日治時代は山中の原住民族と平地に住む漢人との交易の場として賑わったのだそう。食料や日用品などあらゆるものを売る店があったとのこと。
へ~、ここがね。
建物が小さかったので矮店と呼ばれ、防衛の要衝でもあったため隘店とも呼ばれたそう。 -
軟橋慈母宮。
小さいながら新しく建て直されていますね。 -
昔はこんな感じのレンガ造りの家が立ち並んでいたのかな。そういうの想像するのが楽しい。
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最初の目的地はこちら、上坪攔河堰。
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上坪河(溪)を攔(さえぎ)って作った堰(小型ダム)です。
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上坪溪は雪山山脈を源流に新竹縣を南から北へと流れ、頭前溪に合流して台湾海峡へと注ぐ川です。左岸側(写真右)にダムの取水口があります。
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ダム堤には近づけません。
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堰は1981年と1997年にそれぞれ寶山ダムと寶山第二ダムの取水地として整備されたもの。二つのダムはいずれも離槽式ダムで、ここで取水した水を遠く離れた寶山に貯水しています。寶山には貯水に適した窪地はあるが水源がない、上坪溪は水源はあるが貯めておく土地がない、ということでしょうか。
流れを堰き止めて灌漑に使うということは昔から行われていて、木や竹で編んだ籠を使った「圳頭」や「埤頭」と呼ばれるものがあったそうです。 -
軟橋という地名の由来は諸説あるらしいです。
吊橋が由来というものや、渡河用の飛び石に架け渡された籐や竹の橋が撓む様子からなど。
こういった説明はこれらの看板の裏側に書かれています。このあたりの子供たちはそれを巡りながら校外学習をしたりするのかな? -
移動途中にあったタケノコの皮。これを剥いたのが熊でありませんように。
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熊が怖いと言いつつなぜか細い方の道を選んでしまう…。
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しかし、そっちの道では次の目的地に行けないので途中から本道へ。
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そのあたりにあった古そうな家。私の身長くらいしかない高さです。矮店と呼ばれていたころの家はこんな感じだったのかな?
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最初にタクシーを降りた場所に戻ってきました。
取り入れた水をここで休ませ泥や砂を沈殿させます。 -
写真奥から水が入ってきます。
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それを細く分かれた広い池に導いて、重力で沈殿させます。
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沈殿池とは関係ないけれど、足元には排水のための穴が所々開いています。これってほかの場所でもよく見かけますが、指輪とか落としても絶対戻ってこないよね~。ちっちゃいハムスターとかも要注意。
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その後、分水。
奥の水路は寶山第二ダムへと続く暗渠。
左に分かれていく水はこの先にある水力発電や地域の灌漑に使われます。 -
次の目的地へと歩きます。
家庭菜園かな。プリプリの茄子が実ってます。 -
これは何という作物?
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擁壁の上にお墓。
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分かれ道にあった「土地界樁」の石標。「樁」は「杭」という意味。このあたりでいくつか見かけましたが土地の利権が複雑な地域なのかな。
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広がる水田。
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棚に実るカボチャ。
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道の左側をずっと用水路が流れていましたが、その対岸に説明看板発見。
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1925(大正14)年に水力発電設備を作り、竹東地区や山間部(五峰地区)へ電力を供給するようになりました。それでこの用水路を「電燈圳」と呼んでいたそうです。五峰方面への電力は「防隘電網」に使われたんだそうで、どういう意味かよくわからないのですが看板のイラストから推測するに、害獣(熊や猪?)が集落や農耕地に入り込むのを防ぐ電柵でしょうか。
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この地域は民家を絵で飾る「彩繪」がさかんで、こういった壁をよく見かけます。この先に古い土角建築の豚小屋があるらしいのですが見逃してしまいました。
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展望台を発見。
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その下が「洗衫坑」(洗濯場)でした。
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圳(用水路)沿いにはいくつか洗濯場があったようです。ここはまだ現役かな?
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蘇卡達象龜(ケヅメリクガメ)というプラカードが打ち捨てられてます。
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はは~ん、ここで飼われてたんだな。
今はいないのかな。長寿のイメージだけど…。 -
展望台に上って見ると、下はかつて池だったみたいですね。
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道沿いに「保力達B」の空き瓶。ここで飲みながら語らった人がいるんでしょうね。保力達Bはアルコール8%の薬酒。エナジードリンクのように飲む人もいるとのことだけど、瓶は持ち帰らないとね。
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ここには別種の「界標」。やっぱ土地の利権が複雑なのか。
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この先には「桂山發電廠 軟橋分廠」という水力発電所があります。
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前池區
水路の水が貯められ砂などを沈殿させます。発電タービンが損傷するのを防ぐためだそう。高い位置に貯水槽を設けて位置エネルギーを蓄える役割もあります。 -
下って振り向くとこんな感じ。この高低差(有効落差7.7m)で発電できるんですね~。圧力もかけてるんでしょうけど。
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こちらが発電所の建物。タービンとかが設置されていると思われます。
1912年に新竹北門の鄭家が設立した新竹電燈株式会社によって二台のフランス式横軸水輪発電機(100kw)が設置されたのが始まり。その後使われていない時期を経て1992年に軟橋發電廠として再開し、2001年から桂山發電廠の分廠となったそうです。
説明パネルが設置された当時、台湾で最も発電容量の小さな無人操作発電所だったとのこと。 -
発電に使われた水は減ることなく出てきます。水力発電ってエコ。
この尾水路を通って再び灌漑用水として流れていきます。 -
こんな感じで竹東圳方面へと流れていきます。
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この地図が大変わかりやすい。紙ベースで欲しい。
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地図を眺めていたら工事車両に乗ったおっちゃんに「この先行けないよ」と言われました。なんか工事中ですね~。
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おっちゃんありがとう。でも安心してください、私が行くのはこっちの道「千歳歩道」です。
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花火の跡?それにしては地面が焼け過ぎているような…。
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千歳歩道もなかなか厳しい路面状況。
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地上を流れる「明渠」、地下を流れる「暗渠」。日本語と同じ言い方するんですね。私個人としては明渠より開渠の方がなじみがありますが。
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ここまでが明渠で、ここから暗渠。
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その後別の水路を虹吸工(サイホン管)で越えます。
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小川の下をサイホン管が通っているはず。
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水の力を利用するといえば水車もそうですね。何に使っているのかは不明。
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こんなところにスニーカー。
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畑に人がいました。土で汚れるから脱いでるのかな。じゃあ裸足で作業?
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拙茁家園農場
被支援者も支援に参与して運営する福祉を実践する農場だそうです。 -
こちらがその農場。水資源の利用を追って説明看板が設けられていると思っていたけれど、思ったより哲学的な歩みだったようです。
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水路はさらに続きます。
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バナナも実ってます。
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広い道に出ました。この下が寶山第二ダムへの暗渠。
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暗渠はこの水門の先に続いています。寶山ダムの水は半導体産業を含む新竹の科學園區の水資源を支えているとのこと。ロマンだなあ。
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暗渠の下をクロスして竹東圳が流れています。
この先に日本時代に造られた水路用トンネルがあるのですが、こちらからは行けないようです。 -
この辺りはストリートビューも所々しかなくてあまり予習ができなかったからなあ~。お、駐車場の案内看板があるということは大きな通りに出る道ってことですね。
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出られました。
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バス停もあるしね。
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駐車場もトイレもある。
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またも沈殿池かと思ったら、
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釣り堀だった。ここの水だって竹東圳から引いているはず。
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大通り沿いに水路が続いています。
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その水路が流れる先は、
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竹東圳第一隧道。
日本時代に造られた用水路のトンネルです。
1924年に竹東圳開鑿の計画が始まるも資金不足で工事が難航。林春秀をはじめとする地主らが会社を設立して資金を集め工事を再開し、1928(昭和3)年に竣工しました。ここで活躍した林春秀の一族は渡台一代目から大活躍で、春秀の設立した会社があった邸宅(竹東九牧第)も文化財となっています。
扁額には工事期間について「民國十五年十月起工」「民國十七年一月竣功」とありますが、当然竣工当時は大正と昭和の年号だったはず。ご丁寧にそれを書き替えていますね。ほかの部分はたぶん当時のまま。
竹東圳は地域を潤しつつ最終的には隆恩圳につながって海へと注ぐそうです。長い道のりですね。
この後は水路を離れ史蹟を見学します。
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