2025/06/18 - 2025/06/18
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fmi(ふみ)さん
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紫陽花を求めての度、その4回目。今度は神奈川県は湘南。神奈川県中郡二宮町、その中心、二宮駅前からすぐ、役場の裏側に鎮座する、名勝、吾妻山に紫陽花を求め登って来た。
山中中腹3か所に群落を発見、湘南の海が垣間見える陽射しの明るい紫陽花はまた別の趣があった。
梅雨とは思えない快晴の暑い中、山頂の展望所から見る相模湾と箱根山麓、その光景はまさに絶景。登った甲斐がありました。
帰りは小田原にいったん向かい、昼頃に小田原城の名物、紫陽花と菖蒲をゆっくり観光。急な暑さのためか、花が老化し始めていたが、何とか盛りに間に合った感じ。小田原城の斜面一面が紫陽花だらけ。まさに圧巻だった。
明るい夏の湘南を満喫した一日だった。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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朝ラッシュ時に差し掛かる直前の上野駅から、上野東京ライン高崎発国府津行きに乗車。高崎線から来る電車なうえ、品川や横浜まで直通するこの列車はグリーン車もデッキまですし詰めの混雑だったが、東京と品川で大量に乗客が降りたので、グリーン車に座ることが出来た。
高崎線のグリーン車は乗車率が高く、東海道直通は横浜あたりまで乗車する人が多い。東海道線内は戸塚や大船に大きな工場や事業所が集中してるため、大船に8時頃に到着する電車は下り列車も結構混雑する。上野東京ライン 乗り物
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朝8時半頃に、二宮駅に到着。上野駅から大体1時間10分ほどの所要。
夏の湘南らしい明るい駅だ。
ここより西に5分ほど行くと、目指す吾妻山登山口。二宮駅 駅
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吾妻山登山口から、二宮駅方向(南東)を望む。丘陵部が相模湾の傍まで迫っているのが、大磯から国府津までの地形のポイント。なので、もうこのあたりから湘南の海が見え始める。中央のコンクリートの建物は町立二宮小学校。
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吾妻山の麓にある、二宮町役場。
神奈川県中郡二宮町は、二宮駅周囲を中心としたこじんまりとした町で、隣は大磯町、北は中井町、西は小田原市(以前は国府津町)に接している。全体的に中井・大磯丘陵に覆われた町で、町域の中心を南北に流れる葛川沿いに平地があり、その周囲の丘陵は宅地開発されている。
海のそばを東海道線と国道1号が通り、浜辺ぎりぎりのところを西湘バイパスが、この吾妻山のすぐ北を小田原厚木道路と東海道新幹線が通る。小田急の秦野駅からは10kmくらい離れているが、神奈中バスが1時間に1本から2本、連絡している。
江戸時代、隣の大磯には宿場町があったが、ここ二宮には宿場は無かったようで、小田原藩領や旗本の知行地が混在していたようだ。 -
吾妻山は登山口から結構急な怪談が馬の鞍状になった所までずっと続き、所々に休憩するベンチがある。その中腹から撮った風景。このあたりで標高は70mを超え、東側に変貌が開けている。
写真の中央を、東海道線の電車が走行している。大磯の町や山も見える。 -
これは昨年春に行ったときのもの。注釈をつけるとこんな感じ。
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吾妻山は山塊が東西に平たく、役場河から登ると階段で一気に上まで行った後は、道がやや水平になり、緩く上がったり下ったりをしながら西側にある管理棟からまた一気に登り坂となりすぐに山頂の展望台に着く。
その山中は様々な木々や花が植えられており、特に桜とツツジが多い。その山中の南側斜面の日の当たる所に2か所ほど、紫陽花の群落がある。
これは役場の登山口から近い位置にある紫陽花群落。小規模。 -
イチオシ
湘南ブルーというか、紫いろっぽい花が多い。
ちょうど見ごろを迎えていた。 -
手入れが行き届いてます
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さらに西に登山路を進む。
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西へ山道を往くと浅間神社のすぐ下の斜面に、このように一面紫陽花だらけの大群落が見れる。
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様々な色の紫陽花が咲く。ここは広めだし紫陽花園の中に小道もある。見事な群落。
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イチオシ
房総の麻綿原高原もかくやという風景。小ぶりだけど。とにかく、陽当たりがよく、そして景色が良い。紫陽花の向こうに湘南の海が見え隠れする。
赤、紫、青とバリエーション豊富だが、白い紫陽花が多い。咲いたばかりなんだろう。
紫陽花は土壌が酸性だと青は花が咲き、アルカリ性だと赤い花が咲く。
また、紫陽花は開花したばかりの時は白か薄緑色で、その後徐々に赤や青に変化する、さらに日が経つと、青い花でも赤みを帯びてくる。赤みを帯びた花は老化状態でじきに枯れる。
今年のように、梅雨時なのに途中で晴れの日が続き、気温も急上昇すると、花が焼けてしまう。今年現在(6月23日)は、晴れて高温が一週間続いたので早く咲いたものはもう焼けて枯れ出しているが、ここは陽当たりの関係か、そのような株は無かった。 -
白い紫陽花とモミジ
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つつじの群落もある。つつじは吾妻山のあちこちに多く植えられており、5月頃は綺麗だろうと思う。桜の時季でもミツバツツジが咲いていた。
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紫陽花園の東側に、相模湾と大磯の浜が見える。
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ガクアジサイも咲いていた。ガクアジサイは自生してる物が多く、これが紫陽花の原種。
なお、紫陽花は樹木なので、挿し木で簡単に増えるらしい。 -
紫陽花園を過ぎ、浅間神社の前を通り、北西に進むと、吾妻山公園の管理棟に出た。ここまで来ると、山頂はすぐである。
管理棟には、給水器があり、自由に水が汲める。吾妻山公園 公園・植物園
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山頂が見えてきた
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吾妻山山頂の展望台。標高は136m。
展望台から北を見る。中井丘陵の向こうに丹沢の山々が見える。 -
イチオシ
南西を見る。国府津の街並みの向こうに、小田原の街並み、そのさらに向こうに、真鶴半島と伊豆半島がうっすらと見える。
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西をのぞむ。箱根の山が見える。手前の丘陵の中腹にある建物は、西湘テクノパークかな。
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春の吾妻山山頂。桜や菜の花、ミツバツツジが咲き乱れる。昨年の撮影。
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展望詳細。国府津の街。
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展望詳細。小田原市。
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麓をよく見ると、東海道線の電車が走っている。
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来た道を管理棟までもどり、今度は管理棟から南に降りる。
吾妻神社を通り九十九折を降りながら一気に南下し、吾妻口に出ることにした。 -
中腹の吾妻神社。ここは標高116m。
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ここから一挙に九十九折を下り、麓の吾妻口まで降り切った。目の前に東海道線が走る。ここは海抜20m。
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イチオシ
すぐ目の前を走る湘南電車。
二宮駅へは東へ700mほど。 -
二宮駅まで戻ってきた
二宮駅 駅
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二宮駅から望む吾妻山。これから小田原へ向かう。
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小田原駅に到着。今度は小田原城を目指す。
湘南電車の始発列車も多く、特急や新幹線も停まる。大雄山線と小田急線、箱根登山線も乗り入れるターミナル駅で、今も昔も箱根への玄関口である。小田原駅 駅
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駅前にはバスターミナルがあり、伊豆箱根バスと箱根登山バスが多くの路線を乗り入れている。箱根方面へ行くバスも何系統か出ている。
江戸時代は城下町と宿場町両方の街として栄えており。昭和になって東海道線(丹那ルート)と小田急線が開通すると尚栄えるようになった。オーバーツーリズムで混雑する by fmi(ふみ)さん箱根登山バス 乗り物
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何コレ。
万葉の湯? 巨大なスーパー銭湯? それとも箱根から湯をひいてるのかな?
かなり充実した日帰り温泉施設のようである。
小田原市は、駅から小田原城の間の市街地(小田原駅から南西)を再開発していた模様。万葉の湯 グルメ・レストラン
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小田原駅から南西へ歩いて10分程度で、小田原城二の丸のお濠端に着いた。
東海道線は小田原を出るとすぐにトンネルに入り、早川を渡るが、そのトンネルの真上を城山と言い、小田原城はその城山のもっとも東側の丘陵をそのまま城塞にした平山城形式の城である。
後北条の拠点として海側に堀を築き、小田原の街も含めて周囲を土塁で囲むと言う要塞とも言える城だった。
画像の赤い橋は学橋。天守から見てちょうど東側。 -
隅櫓と馬出門が見える。
難攻不落を誇った名城であるが、ここを攻めた豊臣秀吉は名うての戦略家。包囲戦を仕掛けることにした。毛利や長宗我部の艦隊を相模湾に展開させると言う徹底ぶりで、21万の大軍が小田原を包囲、長期戦を前提に、小田原の南、早川の対岸の山、石垣山に陣地を築きそこを本拠とした。茶会や湯治も可能な拠点だったらしい
。
さらに豊臣軍により関東が制圧され、伊達正宗が豊臣勢に参戦し、小田原一帯を望める石垣山を制圧されていたとなると、北条勢に動揺が進み、豊臣側の宣撫工作などもあり、とても籠城しきれないと観念したのか、1590年7月、5か月続いた戦いは北条氏の降伏で終結した。
江戸時代になると、小田原藩が成立し、小田原城はその藩庁となった。小田原城 名所・史跡
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小田原城二の丸の広場から見た天守。
この二の丸広場のあちこちに紫陽花並木があり、奥には菖蒲園、そして山の上の本丸までの斜面一帯に見事な紫陽花群落がある。
小田原藩は東海道の要衝なので、佐倉と同じく老中を勤める名門譜代大名が歴代藩主となった。その中でも長い治世を執ったのが大久保氏である。三河からの有力家臣、大久保彦左衛門が初代藩主。家光の時代に謀略にあい一度改易されるが、1686年の大久保忠朝の頃に小田原藩主に復帰、以降は明治まで藩主を勤めた。明治の元勲、大久保利通は遠縁らしい。大久保本家は現在も神奈川県内に居住すると言う。
18世紀初頭に、富士山の噴火に伴い、被害のあった地域を幕府に譲っている、地域復興の後、小田原藩に返還された。19世紀初頭、大久保忠真の代に財政難に陥り様々な藩政改革を行っている、その際に改革を指揮したのが、小田原市栢山の豪農、二宮金次郎である。 -
二の丸広場を囲むように、アナベル(西洋紫陽花)の群落が続く。
二宮金次郎は青年の頃、小田原家老服部家に奉公しており、そこで一家財政の立て直しに成功したことから認められ、藩の財政再建に取り掛かる。天保の飢饉にあえぐ小田原藩とその支藩の再建に成功したことから、幕府にも召し抱えられ、下総や下野各村の再建にあたったが、事業半ばに病に倒れ19世紀半ば、ペリー来航の騒然とした世相の中、70歳で病没。
天保の飢饉の際に、農学的な知見からそれを予測し対策を行ったり、改革に村民や役人が抵抗した際は自分に非があるのではと成田山新勝寺で断食修行をした結果。村民の方が折れたりと、逸話は、本を読みながら薪を背負うあの立像だけではない篤志家である。
明治になると、二宮の報徳思想は国によって奨励され、その結果が学校によくあるあの立像である。また、二宮は没後神格化され、神社も幾つか建立された。
勝海舟は、晩年の二宮に会ったことがあるそうだ。 -
二の丸広場の見事な紫陽花
小田原城は幾度となく起きた災害で大半の建築物を失っており、現在の建物の多くが昭和になって再建されたものである。天守も再建天守で昭和35年に再建。
小田原城は現在も修築や再建の途上にある。
小田原市は関東大震災で大きな被害を受けており、太平洋戦争でも戦争末期に数回の空襲を受けている(特に8月15日の空襲が被害が大きかった)。
江戸時代の小田原市は、譜代藩城下町と、東海道宿場町の双方の性格を備え栄えた。
東海道線や小田急の開通によってさらに市勢を拡大し、新幹線の駅も出来たため多くの企業や工場も立地している。人工は18万。鉄道のみならず道路のジャンクションでもあり、小田原厚木道路、西湘バイパス、箱根ターンパイクといった有料道路が集中する。市内の観光地はやかりここ、小田原城が中心で、また、箱根のゲートシティとして外国人観光客も多くやってくる。外国人はここまで新幹線の試乗も兼ねてる場合が多い。
有力政治家の河野一族はここ出身、ガンダムで有名な冨野監督も小田原出身である。 -
イチオシ
二の丸広場、菖蒲田とっ斜面の紫陽花
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二の丸の菖蒲田全景
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常陸木門と、斜面の紫陽花
小田原城 常盤木門(SAMURAI館) 名所・史跡
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菖蒲と紫陽花その2
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二の丸の一番奥の方は、残念ながら、暑さのせいか枯れ始めた花が目立った。
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本当に見事な紫陽花園だ。売出し中の開成や登山電車の紫陽花もいいが、ここは斜面が紫陽花だらけ。
結構見物客は多かったが、意外や外国人は少ない。 -
紫陽花の背景は、多分、常盤木門の櫓かな。
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同じく背景は常盤木門櫓
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同じく常盤木門
小田原城 常盤木門(SAMURAI館) 名所・史跡
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まさに小田原ブルー
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紫陽花斜面の上に、天守閣。
この天守を望む奥の方の紫陽花は日当たりが良いのが災いし、花の老化が進んでいた。
常盤木門周囲は見事なブルーだが、菖蒲田の奥(一番北西の斜面)は花の老化が進み、株によっては枯れ始めていた。
今年は梅雨の中休みに強烈な真夏日が一週間続いたため、関東一円の紫陽花が同じような状態になっている。小田原城天守閣 美術館・博物館
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色とりどりだね
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駅に戻る。
小田原城の真北、弁財天曲輪周囲は、空き地が多いのだが、多分今後何か再建するのだろう。二の丸の北側はこのようにアナベルが沢山植えられ盛りだ。 -
城の外側から二の丸を撮影。
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小田原城に別れを告げる
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弁財天通りに向かう小道から二の丸方向を望む。
見事なアナベル。 -
小田原駅周辺の新しい名所で買い物スポット、ミナカ小田原。和風建築っぽいビルが特徴。背景の白いビルが小田原駅。
小田原 吉匠 ミナカ小田原店 グルメ・レストラン
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疲れたので帰りは新幹線で帰ることにした。ちょうど「ひかり」が来た、しかもN700S系。これで品川まで乗って帰路につきました。
今年は紫陽花の旬が読めないです。場所によってはもう彼出してるかもしれませんが、陽当たりや標高、最多時期によって千差万別なのでまだまだ見ごろのポイントはあると思います。小田原駅 駅
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箱根から東京へ戻るのか、小田原からは外国人が大挙して乗ってくるのよね。しかもひかりやこだまはジャパンレールパスで乗れるから特に人気。
しかも荷物が多いうえ乗車する時間が遅い。そのため小田原をやや遅れて出発。後ろからのぞみが追いたててくるから急加速して280km超の連続走行だった。
のぞみはジャパンレールパスが使えず近いうちに全車指定に戻すらしいが、オーバーツーリズムの昨今を考えると、懸命な判断かもしれない。 -
乗ってないように見えて意外と外国人が乗っています。品川にもやや遅れて到着しましたが、乗り換えの総武線快速には乗り継げました。
おわり東海道新幹線 乗り物
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