2025/03/24 - 2025/03/24
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/03/24
この旅行記スケジュールを元に
重慶を出港した翌朝に目が覚めるとエンジン音も振動も感じません。部屋の窓のカーテンを開けると夜明けの薄く赤みを帯びた空が見えました。「ビクトリアカタリナ号」はすでに停泊していますが、ここがどこだかは分かりません。今回の船室は左舷で、基本的に停泊する港は右舷側ばかりでした。対岸には三峡ダムの建設に伴い移動させられた街がシルエットになり、山の向こう側から太陽が昇ってきます。2月はペルシャ湾に浮かぶ石油ギグの炎と真っ赤な朝日を眺めましたが、しっとりした中国の長江の夜明けも素晴らしいものです。午前7時の朝食の時間に合わせて2階のレストランに降りますが、この時間から遅れると乗船しているお客の8割の中国の人たちに料理は根こそぎ持っていかれてしまいます。もちろん列にちゃんと並ぶという習慣はあまり徹底されていません。テーブルは10人掛けの円卓2つが我々ツアー専用になっています。これは朝昼晩と最後まで決められています。さすがにこの決められたテーブルに割り込んでくる人はいませんでした。午前8時45分に下船口に集合して、ガイドの陳さんと地元のガイドさんと一緒に船を降ります。このグループには中国のツアーの人も一緒になります。船を降りてもそこは革の上の浮桟橋で、延々と歩いてから階段を上がります。ここからは電動カートに乗り込んで「双桂山国家森林公園」に向かいます。ツアーの予定表を見るとこの日の午前中の観光については詳しく書かれておらず、オプションとしての「鬼城観光」を申し込まないとならないのかと思っていましたが、行き先は違いますがちゃんとツアーによる観光はありました。カートを「双桂山旅客接待中心」で降りて階段を昇って行くと「双桂山」と書かれた牌坊が見えてきます。ここから坂を上ると寺院が現れ、その中へと進みます。ここは伝説によると蘇軾とその父と息子の3人が訪れたと言われ、白い鹿が木々の間を跳ねているのが見えたそうです。そんな3人の像や白鹿の像が並び、崖には碑林が続いています。中には蘇軾が書いたと言われる「福」の文字もありました。続いて「鹿鳴書院」の扁額が掲げられた門から孔子を祀った「大成殿」を参拝します。これらの寺院も三峡ダムによる増水の後に移築されたり造られたもののようです。その脇には人だかりがあるので行ってみると蘇軾の書いた福の字の拓本が作れるという場所でした。これは面白く1人20元でしたが、2人でそれぞれ作りました。「九龍壁」などを巡り、再び電動カート乗り場へと戻ります。ここでは近所の農家のおじさんがミカンを売りに来ています。大きなビニール袋一杯で10元という安さで、この辺りの名産でもあるので買い求めます。午前中の観光はここまでで船に戻り、お昼ご飯になります。その後は午後3時15分から5階のシアターで船長主催の歓迎パーティーと船のスタッフによるショーを楽しみました。そのうちに船は出港して次の港へと向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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早朝に目が覚めてバルコニーに出てみるとクルーズ船はすでに港に停泊しているようです。港は右舷側なので様子は分かりませんが、左舷側からは日の出の様子を見ることが出来ました。
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夜明け前だというのにすでに航行しているクルーズ船が見えます。クルーズ船のグレードはピンキリで、我々の乗っている比較的きれいで設備の良いものから格安の中国の団体用の船までいろいろあるようです。
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大型遊覧船はビクトリア・クルーズ(Victoria Cruises)、総統クルーズ(President Cruises)、新世紀クルーズ(New Century Cruises)、長江黄金クルーズ(Yangtze Gold Cruises)、長江クルーズ(Changjiang Cruises、中国外運 Sinotrans & CSCによる)などが運営しています。
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誰もいない船内を歩き屋上のデッキに向かいます。ようやく豊都の港の雰囲気が分かりました。着岸しないで沖に浮かぶ鋼鉄製の桟橋から浮橋を渡って上陸するスタイルはこの後の港に共通するものでした。
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山の上には「鬼城」の塔などが見えています。西晋から明代にかけて大小の寺院が建立されたことから地獄の閻魔庁として広く民間伝承され、「陰曹地府」と称されました。鬼国や鬼神などの民間伝承も豊都周辺には多く残され、歴史上の文献や文学作品などにおいて豊都は霊魂の帰着するところとされています。
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ツアーの案内を読むとこの日の午前中の観光について何も書かれてありませんでした。さらに「鬼城」のオプションについて説明があったのでガイドさんに尋ねてみると、午前中は「双桂山」の観光が付いているのでわざわざオプションで高いお金を支払う必要はありませんということでした。
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ようやく空が赤く染まってきました。これまで中国には十数回旅行に来ていますが、ようやく長江の日の出を見ることが出来ます。妻と2人で路線バスを乗り継いでいった雲南省の旅ではタクシーの運転手を雇って麗江から「三江併流」の辺りを旅したことを思い出します。
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2人とも全く中国語も話せず、メモ帳と鉛筆だけでどこへでも行けそうな気がしていました。英語も通じずに筆談だけの世界に身を置くのは楽しい旅でした。そして旅が面白い方向に転がっていくのを感じました。
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鬼城の対岸の新しい町のビル群の向こう側から太陽が昇ろうとしています。ツアーの観光も魅力ですが、こういった自然の光景にも心奪われます。
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太陽が昇るとビル群は強いシルエットになって浮かび上がり、これが鬼城なのではないだろうかと思えてきます。
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今回のガイドさんはとても面白い方で、A4サイズのコピー用紙にマジックで書かれた予定表が配られていました。午後6時30分からのオプションは「烽煙三国ショー」という船のオプションで、これは旅行会社からの案内には入っていません。我が家は中国の地方独自のショーが大好きで必ず観に行くことにしています。ガイドさんとワイワイ騒いでいたのを見ていた方が申し込まれ、ツアーの半分の方が参加することになり、急遽ガイドさんも同行してくれることになりました。
鬼城 城・宮殿
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食事は船尾にある大きなレストランで、大きな10人掛けの円卓2つが我々ツアーの指定席でした。なるほどツアーの上限が20人だった理由が分かりました。中国の旅の場合朝食の関取は熾烈なので指定席はありがたいです。
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料理のメニューはバラエティーに富んでどれも美味しかったです。饅頭も蒸したばかりのもので糯米焼売も熱々です。欧米人のツアーも乗っているのでウエスタンのメニューも豊富です。
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中国に来たら朝ごはんにお粥は欠かせません。自分好みの具材を入れて味つけも上手になりました。
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午前8時半にレセプション前に降りると中国の団体さんで埋まっていました。地元のガイドさんがマイクを持って「何番から何番までは私が担当です。」といって30人くらいのグループに分けていきます。我々ツアーも20人ほどなので中国の団体10人くらいと一緒のグループになります。
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外洋を航行するクルーズ船だと自分のクルーズカードなりメダルで乗下船をチェックしますが、三峡下りでは下船時に首から下げるカードを受け取り、乗船時に戻すという昔のシステムのままでした。クルーズを始めた30年くらい前のことを思い出します。
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鋼鉄製の浮桟橋から浮橋を渡っての上陸なので結構時間がかかります。
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上陸地点は1カ所ですが、これだけのクルーズ船が数珠つなぎです。ここでは縦列に停泊でしたが、港によっては船が何艘も重なることもありました。ナイル川のクルーズのように他人の船の中を横切っていくスタイルです。
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豊都鬼城には古い中国の伝説にある「奈何橋」「鬼門関」「十八層地獄」がすべてあるようで、地獄の裁判官や地獄の王の人形からこのような地獄に落ちないように善行を積んで悪行を避けよと説く古代中国の伝統的な考え方が伝わってくるようです。地獄好きとしては行った方が良かったかなという思いが残りました。
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上陸地点は延々と階段が続いています。斜行エレベーターのような設備もありますが壊れてボロボロでした。ここからすでに鬼城の雰囲気が始まっています。
鬼城 城・宮殿
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浮橋は1人がやっと通れるほどの幅しかなく安定もよくありません。
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延々と下船する人の行列が出来ています。
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これに乗れば地獄へ行けそうな気がします。
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登り切った所には天秤棒と野菜が置いてありました。昨晩は重慶の風物詩でもある「棒棒(バンバン)」の人の姿を見たばかりなので目に留まりました。持ち主がいたら担がせてもらって写真が撮りたかったです。
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豊都の港からはこのような電気カートに乗って目的地へ移動します。地元のガイドさんに促されてカートに分乗します。
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我々の目的地は「鬼城」ではなく「双桂山国家森林公園」です。
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山間の農村の広場のようなところで電動カートを降りて、ここからは山道を歩くことになります。まずは牌楼が出迎えてくれます。
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「雙桂山」と書かれた扁額があります。ここは北宋の嘉祐年間の西暦1059年に文豪の蘇軾とその息子が双亀山を訪れ、白鹿を眺めて有名な「仙都山鹿」を歌ったことから有名になったところです。
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まずは蘇公祠摩崖題刻を見ていきます。蘇軾は景祐3年の1037年に生まれた北宋の政治家で、政治家としての活躍の他に宋代随一の文豪として多分野で業績を残しました。文学以外では書家、画家として優れ、音楽にも通じました。
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この地での蘇軾に関わることを詠んだ古い碑文が壁に埋め込まれています。号は東坡居士(とうばこじ)、字は子瞻(しせん)で、号から蘇東坡(そとうば)とも呼ばれました。蘇洵の長男で弟は蘇轍、この3名に韓愈、柳宗元、欧陽脩、曽鞏、王安石を加えた8人を「古文」の唐宋八大家といいます。
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洞天福地(どうてんふくち)とは道教において神仙が住む洞窟の地「洞天」と仙人が修行した地「福地」の総称です。名山勝境の奥深くにあって、永生を得た仙人たちが安楽に棲んでいると信じられていました。洞天と福地は本来は別系統の場所だったとされていましたが、唐代になって道教的聖地として統合されました。
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「蘇公祠」に向かいます。ここは1368年に建立されましたが1868年に再建されました。宋代の蘇氏の偉大な詩人の蘇軾と息子の蘇哲を祀っています。
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園内には蘇軾と父の蘇洵と息子の蘇哲の3人の像が置かれています。その脇には白鹿の姿も見えます。
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彼ら親子がこの地へ来た際にそれを白鹿が鳴いて知らせたという故事があるとガイドさんが教えてくれました。
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蘇軾22歳の嘉祐2年の1057年で弟の蘇轍とともに進士となります。このときの科挙は欧陽脩が試験委員長を務め、時流にとらわれない達意の文章のみ合格させるという大改革を断行した試験であり、蘇軾と蘇轍と曽鞏の3名のみ合格しました。合格後は地方官を歴任し、英宗皇帝の時に中央に入ります。
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最初の追放は元豊2年の1079年で蘇軾44歳の湖州知州の時代でした。国政誹謗の罪を着せられて逮捕され、厳しい取り調べを受ける事になります。この時の御史台の取り調べの際に蘇軾が残した供述書は後に「烏台詩案」と呼ばれ、この「烏台詩案」を書き残した時は死を覚悟していましたが、神宗皇帝の特別の取り計らいで黄州へ左遷となりました。左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗り、黄州での生活は足かけ5年にも及び、経済的にも自ら鋤を執って荒地を開墾するほどの苦難の生活でしたが、彼の文学は一段と大きく成長することとなります。
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元豊8年の1085年に神宗が死去し哲宗が即位すると、幼い哲宗に代わって宣仁太后高氏の垂簾朝政が8年間続きます。彼女の後押しも有って名誉を回復され、50歳で中央の官界に復帰します。紹聖元年の1094年に59歳で再び左遷され、恵州からさらに62歳の時には海南島にまで追放されます。66歳の時に哲宗が死去し、徽宗が即位するとようやく許され、都に向かう途中病を得て常州で亡くなります。
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李白の雑言古詩「蜀道難し」
あぁ危険でかつ高峻なことよ、蜀道の困難なことは青天に登るよりも難しい、(蜀の古王)蚕叢と魚鳧が国を開いて以来48000年になるが、その間秦の国とは人煙も通じなかったのだ
西の方太白山には鳥が通う道があるが、峨眉山の頂までは通じていない、地が崩れ山は砕けてそこを行く兵士たちはことごとく倒れた、それ故人々は天へと上るための梯子と吊橋を作ったのだ -
赤壁賦(せきへきのふ)は元豊5年の1082年、北宋の蘇軾が烏台詩案にかかる流罪の地、黄州に在って作った前後2篇の賦です。そのため「前赤壁賦」と「後赤壁賦」と分けて称せられます。散文的文章で書かれ、黄州城外の長江辺りにある赤鼻磯を赤壁の地を三国時代の古戦場に見立てて書かれています。
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前篇の「前赤壁賦」は黄州で3度目の秋を迎えた元豊5年の1082年7月の作で、友人と赤壁の下に舟を浮かべて清遊した時に詠んだとされます。楚辞の詩風を取り入れつつ、蘇軾が得意とする造物を用い、問答形式で人として世にあるべきことの深い喜びを語っています。
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後篇の「後赤壁賦」は前篇の3か月後の冬10月の赤壁の夜遊を材としています。前篇とは異なり遊記に似ています。天地と一体として存在していることに感得していることが読み取れます。
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蘇軾が眉陽で書いた福の字がありました。ここは中国の人に人気の場所のようで皆さん列をなして写真を撮っていました。
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「蘇公祠」と言いながら敷地には2層の東屋があるだけでした。
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紹聖元年の1094年に再び左遷され、恵州に流された際の8月に寧遠軍副太守に降格され、徽州に配属されましたが公文書への署名は認められませんでした。
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「徳有隣堂」は「徳は孤ならず、必ず隣有り」という論語の里仁篇から出ている言葉だと思いましたが、詳しいことは分かりませんでした。
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眉山蘇軾書と書かれた碑文が建物にも埋め込まれています。
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「酔翁亭記」は欧陽修の遺したものです。名は永叔、号は酔翁、また晩年は六一居士と号しました。現在の江西省である吉州の永豊の人で、北宋仁宗から神宗期の政治家、詩人、歴史学者て唐宋八大家の1人に選ばれたのは先に記した通りです。また蘇軾は欧陽修の門下生でもありました。欧陽修の死後は師の遺した766篇の詩文を整理して業績を讃えています。
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地元のガイドさんとツアーのメンバーは先に行ってしまいましたが、いくつかの碑文の写真を撮っていて遅れてしまいました。トラピックスのガイドさんは我々が興味を持っていることが嬉しいようでした。
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一時江南の古鎮を数多く訪ねた時のことを思い出すような風流な塀に沿って歩きます。
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塀の先には「鹿鳴書院」の扁額を掲げた門がありました。ここは「孔子廟」「夫子廟」「文廟」としても知られています。豊都孔子廟は明朝の洪武の初期に建てられ、清朝の同治年間に破壊されましたが光緒の初期に再建され、新中国の建国まで残りました。
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文化大革命で破壊されたのちは三峡プロジェクトの建設により旧県庁所在地が浸水したため県政府は元の豊都孔子廟を移転してこの地に再建しました。
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「漢磚壁」は文字通り漢時代の煉瓦を積み上げた壁です。正方形や長方形の厚い平板で、中国の周時代に始まり、漢代に発展して城壁や墓室などに用いられました。磚の特徴は、材料に石を使うことと強還元炎で焼かれたその黒色にあります。
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「九龍壁」とは9匹の龍のレリーフが描かれた壁のことで、明時代から清時代に盛んに製作され、王宮や庭園の門の前に目隠し用の塀として建てられました。中国三大九龍壁というものがあり、「大同の九龍壁」は中国に現存する最大かつ最古の九龍壁とされ、14世紀の明の初代皇帝朱元璋の十三男の代王朱桂の邸宅前に建てられました。
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「故宮の九龍壁」は故宮博物院内にある皇極門の向かい側にある瑠璃装飾の壁で、18世紀の乾隆帝37年の1772年に建造されました。同じく北京の「北海公園の九龍壁」は故宮の北西に位置する庭園内にある全長27メートルの両面ガラス張りの壁です。この2つは見たことがあるので、大同へは平遥古城と共に行ってみたいと思っています。
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立派な「孔子廟」も再建されています。立派な御路が設けられていますが、北京の紫禁城の大和殿の物のような材は使われていないようです。元々の御路は皇帝だけが利用するものとされましたが、後には儒教寺院でも使用されました。
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縁起の良い雲と龍が刻まれ、口からは宝珠を吐き出しているようです。
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16年前に初めて海外旅行のツアーを利用したのは青島から曲阜の三孔(孔府・孔廟・孔林)と泰山を巡るものでした。再建されたこの「大成殿」は曲阜の孔廟を倣ったものだと分かりました。
曲阜の孔廟:https://4travel.jp/travelogue/10357866 -
中央に祀られたのが孔子です。孔子は紀元前550年頃の春秋時代の中国の思想家で哲学者で儒家の始祖とされる人物です。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)で、孔子は尊称としての呼び名です。
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孔子は旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周の末期に魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げました。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代に儒家となって諸子百家の一家をなしました。孔子の死後約400年かけて孔子の教えをまとめ、弟子達が編纂したのが「論語」です。
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優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられていいます。論語古義によると徳行は、言語・政事・文学の三者を兼ね、顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学に子游・子夏があげられます。その他に孝の実践で知られ、「孝経」の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で「中庸」の作者とされる子思がいます。
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孔子の死後は孟子や荀子といった後継者を出しましたが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るいませんでした。しかし前漢から後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化されます。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となっていきます。
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孔子の生まれた魯の国は周公旦を開祖とする諸侯国で、周公旦は周王室の有力者で殷を滅ぼした武王の弟とされます。周公旦は武王の子である成王を補佐し、克殷直後の周を安定させたと伝えられている。周公旦は周王朝の礼制を定めたとされ、礼学の基礎を築き、周代の儀式・儀礼について「周礼」「儀礼を著したとされます。
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旦の時代から約500年後の春秋時代に生まれた孔子は魯の建国者の周公旦を理想の聖人と崇めました。論語の伝えるところによれば孔子は常に周公旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかったので「年を取った」と嘆いたと言うほどでした。
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そんな孔子について初めて知ったのは高校生の頃の少年ジャンプに掲載されていた諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という漫画でした。その前には「暗黒神話」に衝撃を受けていました。
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中学から高校に掛けて受けた諸星大二郎の著作は現在に至っても深く心に残り、中国を旅するようになっても最初に選んだのは曲阜の三孔を訪ねるツアーでもありました。
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「大成殿」を参拝した後は人で賑わっている建物に入ってみました。するとそこでは先ほど見た蘇軾の書いた福の字を拓本のように紙に写せる施設がありました。
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これは1枚20元なので約400円でした。唐紙(とうし)を鉄板で福の字を抜いたものに挟み込んで朱のタンポで叩くように色を乗せていきます。
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これがなかなか楽しく、かなり真剣に作業してしまいます。これは欧米の観光客にも人気のようで皆さん楽しそうでした。田の字は下に十文字があるので、様子を見ながら叩かないと妻のように潰れてしまいます。
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三峡下りの観光客が去ってしまうと「鹿鳴書院」の境内は閑散としてしまいます。
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近代に造られたとはいえ風情のあるところでした。この辺りは温暖なのか芭蕉が植えられていました。
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境内にはガジュマルの樹も植えられていました。やはり温暖な気候なのだと思います。この白い塗料は主成分は生石灰や塩、石硫を混ぜて水で溶いたものが一般的な配合のようです。これを塗ると虫が越冬のために樹皮に卵を産み付けるのを防止できるらしいです。
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境内には「木化石」というものもありました。急速に地中に埋もれた樹木が高圧で低温、酸素が欠乏した状態で数億年という地質学的時間を経てこのような化石になるようです。
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どうも隣の山上にある「鬼城」が気になってしまいます。
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2時間ほどで「雙桂山」をぐるりと回って電動カートを降りた場所に戻ってきました。
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電動カートに乗って港に戻る途中には「鬼城」への入り口が見えました。
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西遊記にも出てくる「鬼城」を見てみたかった気もしますが蘇軾について知ることも多かったので「雙桂山」の観光で良かったと思います。この辺はトラピックスに案内をしっかりしてもらいたいポイントです。
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そんな観光客を目当てにここでも近隣の農家の方が柑橘類を売りに来ていました。重慶では柑橘類が有名で、雲陽紅橙など有名な種類もあります。ビニール袋に入った甘いミカンが1袋10元だったので買い求めてツアーの方にお裾分けしました。それでも3泊では食べきれないほどでした。
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再び電動カートに乗って港に戻ります。出港時間はまちまちなので上陸する時ほど混雑はしていません。
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鋼鉄の浮桟橋では早くもお昼が始まっているようです。
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浮き桟橋は鋼鉄の塊のような造りで、ペンキなども塗られていないので武骨な感じがします。
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乗船時間が過ぎるとビクトリアカタリナ号は音もなく出港していきます。
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しばらくは穏やかな風景が続き、三峡下りといった風情は感じられません。
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このタイプの巨大なフェリーには何度もすれ違いました。現在も長江が一大交通の要衝なのだと感じます。実際に長江を下って上海まで行くことも可能です。初めて上海に行った1999年の暮れには長江を下って黄浦江に入って来る船を見たことがありました。乗客がデッキに鈴なりになった古い貨客船を見て、中国は奥が深いなとなじました。
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岸辺には水位を表す表示がいくつもありました。これで水深を確認して航行する位置を確かめるのでしょう。
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12時30分から昼食になります。ビールは1本25元と大足のレストランに比べると倍くらいの値段です。2本買うと缶ビールが1本おまけになるようでした。
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昼食も朝食と同じ円卓でいただきます。何となく座るメンバーは固定化されていきます。
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白ご飯をベースに美味しそうなおかずを持っていきましたが、見た目がホラン千秋のお弁当のような茶色い見た目になってしまってちょっとがっかりです。料理はどれも美味しかったです。
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スイカは日によって甘かったり水っぽかったり微妙です。飲み物はコーラとスプライトが飲み放題なのであえてビールは注文しませんでした。
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食後はコーヒーや紅茶もサービスされます。数テーブルごとに専用のスタッフが付いてくれるので気軽にお願いできます。
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午後3時30分から船長主催のパーティーがあるので早めに会場に向かいます。入り口では軽食も振舞われます。
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そして一升瓶に入ったスパークリングワインも振舞われます。
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ステージに一番近いテーブルのある席を確保しました。少し後に来られた大阪からのご夫婦の姿が見えたのでお誘いして椅子を埋めました。中国の人が来たら占領されてしまいそうなので、同じツアーの方の方がいいですから。
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昨晩買った緑のパンダのポシェットはスマホを入れるのにちょうどいい感じです。
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大阪からのご夫婦の奥さんは中国の方で、何かにつけて我々2人の写真を撮ってくださいました。
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最初に船長からの歓迎の言葉がありショーが始まります。この日はウェルカムパーティーですが、明日にはサヨナラパ-ティーになります。3泊4日ではちょっと物足りない三峡下りのクルーズです。
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最初に始まったのは「千手観音」です。元々は中国障がい者芸術団が始めたもので、21名の方の完璧な動きで有名になった演目です。これは横から見ていてはダメです。
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真正面の通路に移動して他の方の邪魔にならないように座って写真を撮りました。皆さん同じことを考えるようで気が付いたら周りにはたくさんの方がいました。
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指には清朝の後宮の女性が使っていた指甲套(しこうとう)を付けているので余計に指先が長く見えます。
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演じているのは船のスタッフたちなので動きについては多少ご愛敬的な所はありました。でも実務の合間に練習をして、ショーで演じなければならないので大変だと思います。
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「千手観音」が終わって一安心といった感じが伝わってきます。
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その後は古代中国から少数民族の衣装を着た船のスタッフがかわるがわるステージに上がってきます。ここ数年中国ドラマの沼にハマってしまった妻は大喜びです。
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唐時代の貴族の正装は長袖のシルクのローブでした。この時代は男性も女性も髪を長くして男性は髪を引き上げて頭上に団子を作りましたが、女性の髪形は複数の団子や三つ編みや螺旋やループなどいろいろだったようです。
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明時代の衣装は寸劇も交えて、セリフは無くても笑えました。まずは侍女が現れます。
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そこへ良家の令嬢が現れます。
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令嬢を見初めた男性が侍女にお願いして間を取り持ってもらいます。
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最期はハッピーエンドで終わります。
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清時代の妃選びもコミカルで面白かったです。まずは宦官が現れます。
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皇帝について払子を振り回しています。どうやら「選秀女」のシーンのようです。
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お妃候補の女性が艶やかな衣装を着て舞いを見せてくれます。
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清朝時代の女性の髪型「両把頭(りょうはとう)」は髪を額中央から左右に分けてまとめて横に倒す髪型です。清朝後期になると「旗頭(大拉翅)」と呼ばれる板状の装身具になっていきます。年代を追うごとにだんだんとエスカレートしたようです。妻のおかげでいろいろなことを学びました。
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民国時代の女性の衣装でしょうか。まだチャイナドレスと呼ばれるようなタイトな姿にはなっていないようです。
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傘を使った可愛らしいファッションショーのような演出でした。
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後半は中国の少数民族の民族衣装が披露されます。最初はチベット族の物のようです。チベット族の衣装を初めて観たのは昆明の昆明会堂の楊麗萍(ヤン・リーピン)演出の「雲南映像」だったと思います。
雲南映像:https://4travel.jp/travelogue/10352974 -
その後渋谷のオーチャードホールで「シャングリラ」と名前の変わった同じ舞台も見ました。さらに同じヤン・リーピン演出の「蔵謎」も観に行きました。
シャングリラ:https://4travel.jp/travelogue/11122555
蔵謎:https://4travel.jp/travelogue/11129820 -
中国には55の少数民族が暮らしているので全ての衣装を把握しているわけではありませんがモンゴル族の衣装のようです。モンゴル族と一括りにしてもその中ではまた細かく分かれていきます。
モンゴルの民族衣装:https://4travel.jp/travelogue/11868188 -
黒い四角い頭巾は雲南省を旅した時にシャングリラの道端で見掛けたイ族の女性を思い出しましたが、似たような黒い頭巾は他の部族にもあるので違うかもしれません。
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こちらは雲南省の白族の民族衣装のようです。昆明からスタートした雲南省の旅行では麗郷と香格里拉で当時のビザなし2週間の渡航がギリギリになってしまい、大理を外してしまったのが悔やまれます。
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こちらも雲南省の少数民族だと思いますが、今まで見たことがありません。
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先ほど「千手観音」を先頭で演じていた女性も着替えて再登場です。
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30分ほどの時間で入れ代わり立ち代わり美しい民族衣装を見ることが出来て大満足です。少数民族を訪ねる旅が好きで今までにも何度も中国を訪ねています。漢字が書ければ中国の旅は何とかなるのがありがたいです。
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フィナーレでは皆さんが再びステージに上がって衣装を披露してくれました。
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貴州省の「石頭寨」で出会った布依族のおばさん。
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長角苗族の村では頭の大きなおばさんにも出会いました。
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季刀苗塞では婚礼衣装を着たおばさんにも出会いました。
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短裾苗族というミニスカートを履く村でも婚礼衣装を着たおばさんに出会いました。
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過去に一番楽しかった旅と聞かれると一番にこの時の貴州省の旅が思い出されます。
貴州省:https://4travel.jp/travelogue/10354383
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旅行記グループ 2025三峡下りクルーズ
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