2025/03/24 - 2025/03/24
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/03/24
この旅行記スケジュールを元に
豊都の港を出た「ビクトリアカタリナ号」は夕方には次の忠県の港に停泊します。夕食は午後5時30分からで、オープンに合わせてレストランに向かいます。アルコール類は小瓶のビールが25元といい値段です。コーラやスプライトは無料で置かれているのでそれで済ませてしまいました。船内ながら食事の質は高く、料理はどれも美味しかったです。早々に食事を終えて午後6時30分には下船口に集まってガイドの陳さんと一緒にバスに乗って「烽煙三国」というショーを観に行きます。これは船のエクスカーションでしたがトラピックスからは紹介も無く、船内のパンフレットにあったものを見つけて申し込みました。我が家は中国を旅すると各地にある劇場をかたっぱしに見に行っていたのでこれは外せません。我々が騒いだので参加したいという方も増えて、ツアーの半数くらいになったのでガイドの陳さんも来てくれることになりました。バスは町を離れてかなり郊外の何もないようなところで我々を下ろします。劇場までも少し歩きましたが、ようやく着いた劇場の規模の大きさにはビックリしました。過去に張芸謀(チャン・イーモウ)のプロデュースした「印象-劉三姐」や「印象-麗江」なども壮大な借景の舞台でしたが、ここもすごい巨大な屋外劇場でした。ここで水上を馬が疾走し、「三国志」の世界が展開されました。これは見つけて良かったと思いましたし、同じツアーの方からもよくぞ見つけてくれたとおほめ頂きました。1時間20分のショーを堪能して、再びバスに乗って真っ暗な山の中を走り、船に戻ると午後10時になっていました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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豊都を出港した「ビクトリアカタリナ号」は夕方には次の忠県の港に到着しました。
ホリディ イン エクスプレス 重慶 忠県 by IHG (重慶忠県智選假日酒店) ホテル
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「豊都」と同じような形をした港には大きく「忠県」の文字が見えます。
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港の脇には「中県長江大橋」の真っ赤な橋脚が見えています。
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対岸の丘の上には「三峡留城忠義之州」と書かれています。この辺りから三国志について記憶をたどっておかないとならないなと思います。
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プリンセスクルーズのカラーリングに似た船が入港してきます。
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川下から遡って来た船も停泊する場合は船首を川下に向けなければならないので大きくターンします。そして我々の「ビクトリアカタリナ号」の後方に停泊しました。
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同じように大きくターンしてきたクルーズ船は港にスペースが無いのでその脇に停泊するようです。
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先ほどの船の右舷側に停泊しました・このスタイルはナイル川のクルーズでも同じで、何艘もの船の中を通過して自分の船に戻ることもよくありました。
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だいぶ日が傾いてきました。船長主催のパーティーが終わってしまうと夕食まですることはありません。
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持って来ていた檸檬堂は500ミリリットルが1日2本確保してあります。冷蔵庫から1本取り出してバルコニーで飲むのは最高に気持ち良いです。
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午後5時30分から夕食になりました。同じテーブルの同じような席が定着してきました。ランチより重厚なメニューが並んでいますが、日本人の口にも合うような辛さと味付けなので困ることはありませんでした。どの料理もとても美味しかったです。やっぱりホラン千秋のお弁当のような色合いになってしまいます。
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夕食が終わるとツアーの約半分の方がデッキに集まりました。ガイドの陳さんからこのカードを貰って出発します。中国のツアーの方も一緒で、船のエクスカーションなので地元のガイドさんも別についてくれます。
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午前中と同じように鋼鉄の桟橋と浮橋を渡って階段を登ります。
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「万港紅星客運埠頭」の前からバスに乗って40分ほどのドライブです。
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午後6時30分の出発時には太陽が沈んで空が赤く染まってきれいでした。「烽煙三国」の劇場は長江の対岸にあるので、部屋から見えた「中県長江大橋」を渡りました。
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街を抜けて長江の支流に沿ってバスが走ると周囲は黄色い菜の花で覆われました。
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薄赤い空に黄色い花が映えてこの世の景色とは思えません。
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帰りも同じバスなので必ず写真を撮っておきます。これはもう習慣になっています。
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駐車場から劇場はかなり離れていますが、広大な敷地に造られているということは感じられます。長い参道の先には巨大な門が設えてあり、烽煙三国と文字が刻まれています。
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ここでも大阪からのご夫婦の奥さんが写真を撮ってくださいました。もちろん奥さんの写真も撮って差し上げましたが、中国の方なのでポーズをとるのが上手です。
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門の先を右に進むと巨大な広場に巨大な「鼎(かなえ)」が置かれています。丸い胴体に三脚が特徴的な鼎は足ごと火にかけて肉入りのスープを煮るために用いられました。周の時代では身分によって所有できる鼎の数に制限があったとされ、そこから権威の象徴としての性格もそなえるようになります。これらの青銅器の中には「爵(しゃく)」という酒器があり、ここから爵位が生まれています。
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文様は「饕餮文」だと思ったのですが、饕餮(とうてつ)は殷時代のもので、周時代は「金文」が刻まれているので違うとガイドの陳さんに教わりました。
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広場からさらに先には映画「キングダム」に出てきそうな宮殿の門があります。
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さらに先に進むとようやく劇場の入り口がありました。既に他の観客の方は劇場内に入っているようです。
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「烽煙三国」についてはほとんど情報が無いので入り口にあった案内板の写真を撮っておきます。夏場は午後8時30分から冬場は午後8時開演ですが、上演しているのは月曜日と水曜日と金曜日の週に3回だけのようです。
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序章は「乱世英雄」から始まり、第一幕は「桃園結義」なので、「三国志演義」などの序盤に登場する劉備と関羽と張飛の3人が宴会にて義兄弟となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話だということが分かります。
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第二幕は「下邳之戦」です。下邳の戦い(かひのたたかい)は中国の後漢末に向けた198年冬から199年2月にかけて曹操と劉備の連合軍に対する呂布の軍との間で行われました。この戦いは曹操と劉備の勝利で終わり、続いて呂布が処刑されました。
第三幕は「身陥曹営」で身在曹營心在漢からきた言葉なので、「体は曹穎にあり、心は漢にある」という慣用句は、一方の側にいる人々の心はもう一方の側にあることの比喩です。 -
第四幕は「千里走単騎」で三国志演義の関羽が一時仕えていた曹操のもとを出奔して旧主である劉備にもとへ帰った故事「六将を斬りて五関を過ぐ」のことです。
第五幕は「火焼赤壁」なので、文字通り赤壁の戦いの場面だと分かります。 -
第六幕は「単刀赴会」で魯粛(ろしゅく)と関羽(かんう)による会見です。益州を得た蜀の劉備と呉の孫権との間で、荊州南部の帰属をめぐる紛争に決着をつけようというものです。
第七幕は「水淹七軍」で、関羽が魏の樊城を水攻めして于禁ら七軍を破る場面です。 -
結尾は「忠義昭千秋」で終わります。お昼ご飯と晩ご飯の料理が茶色かったのでホラン千秋を思い出していましたが、ここでも千秋の文字を見てびっくりしました。大体の舞台構成を頭に入れてから席に向かうことにします。
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チケットの改札のあとでトイレに行っておきます。トンネルを潜って座席に向かうと座席の裏側にすごい精巧に作られた宮殿がありました。
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なんでこんな見えないところに精巧な宮殿を作ったのだろうかと疑問に感じましたが、何幕か進んだ後に壮大な仕掛けがあって驚くことになりました。
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座席は一番安い290元の「一般席」でしたが、実際の座席は「貴賓席」でした。ステージの中心辺りの席だったのも良かったですし、空いていて後ろに他のお客さんがいないので気兼ねなく写真を撮ることが出来ました。
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夕暮れの青味の残っていた空が真っ黒になるといよいよ開演の時間になりました。
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5本立っている柱に「烽煙三国」の文字が浮かび上がりました。
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座席の前は池のようになっていたのですが、そこが浅いということは馬が疾走して水しぶきをあげることで初めて分かりました。
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序章は「乱世英雄」で、群雄割拠の時代の武将たちが次々と馬に乗って巨大な水面を疾走してきます。浅い水面は鏡のように静まり返っていますが、馬が駆け抜けると水しぶきが上がりすごい迫力です。
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三国志は後漢の末期から三国時代にかけて群雄割拠していた180年頃から280年頃の約100年に亘る興亡史であり、蜀と魏と呉の三国が争覇した三国時代の歴史を述べた歴史書でもあります。
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三国志の戦乱と激動の記録は後世の特に唐や宋の文人の詩想を大いに刺激しました。三国志をモチーフにした詩詞としては杜甫「蜀相」、杜牧「赤壁」、蘇軾「赤壁賦」、陸游「書憤」などが特に名高く、午前中に行った豊都の「雙桂山」では蘇軾を想いました。
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「三国志」は歴史書で「三国志演義」は小説で、西晋の陳寿が著した「三国志」は、国家公認の正統な歴史書である「正史」の一つに数えられます。三国の英雄豪傑の物語は古くから民間で伝承されていて、北宋の都の開封や南宋の都の臨安などでは「説三分」と呼ばれる三国志語りが講釈師によって語られていました。
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自分が三国志を知ったのは家にあった吉川英治の「三国志」だったと記憶しています。そして世代的には北方謙三の「三国志」、そして横山光輝の漫画の「三国志」ですね。
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香川県を旅した際に行った「栗林公園」の庭園には「赤壁」が再現されていましたし、中世の日本でもその影響は大きかったのだと置見ます。
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現代においてはジョン・ウー(呉宇森)監督の「レッドクリフ」が記憶に新しいです。今回のクルーズでも最後の武漢でもう1日あれば「赤壁」を見てみたかったと思います。
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騎馬の武将たちは観客席の前に立ち並びました。「羽扇(うせん)」を持つ諸葛亮孔明の姿が凛々しいです。
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武将たちは再びステージの後方へと走り去っていきます。
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第一幕「桃園結義」
舞台は有名な三国志演義などの序盤に登場する劉備と関羽と張飛の3人が宴会にて義兄弟となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話をもとにしています。 -
ステージである池の上にはワイヤーが何本も張られているのには気が付いていましたが、その1本1本に桃の木が吊られているとは思いませんでした。
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さらに桃木と飛天が降りてくると鏡面になった水面に映り込んでその数が倍になって見えます。本来は満開の桃の木の中で宴会を開いたということなので、このような演出は必要ないのですが圧倒されます。
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そこへ3人の武将が現れるのですぐに意味が分かります。これが長兄となる劉備玄徳です。劉備は後漢末期から三国時代の武将で蜀漢の初代皇帝で、字は玄徳(げんとく)。黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、献帝や曹操に仕え、各地を転戦しました。曹操の下から離れた後は諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して蜀漢を建国していきます。
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黄巾軍対策の義兵を募集している高札の前で劉備がため息をつくと、「大の男が世のために働かず、立て札の前でため息とは情けない。」と声をかけてきたのが身長八尺(約184cm) 豹頭環眼 燕頷虎鬚 聲若巨雷 勢如奔馬という男で、名を張飛といいました。劉備が自分がため息をついたのは己れの無力に気付いたためだと言うと、張飛はそれなら自分と一緒に立ち上がろうと酒に誘います。
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訪れた酒場で彼らは身長九尺(約208cm) 髭長二尺(約46cm) 面如重棗 唇若塗脂 丹鳳眼 臥蠶眉 相貌堂堂 威風凛凛という赤ら顔と見事な髯を持つ1人の偉丈夫と出会い意気投合します。名を関羽といいました。
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張飛の屋敷の裏の桃園で義兄弟の誓いを交わした3人は彼らの呼びかけに応じた者達と酔いつぶれるまで酒に興じました。その翌日に人が集まったは良いが軍馬が無いことに気づきますが、偶然近くを訪れた馬商人の張世平と蘇双に馬や軍資金などを援助してもらいます。そして劉備は雌雄一対の剣、関羽は八十二斤(48kg)の冷艶鋸(れいえんきょ)と呼ばれる青龍偃月刀、張飛は一丈八尺(約4.4m)の点鋼矛(てんこうぼう)を鍛冶屋に造らせた後、彼らは集まった約500の手勢を率いて幽州太守劉焉のもとに馳せ参じました。
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「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし。」
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第二幕「下邳之戦」
下邳の戦い(かひのたたかい)は中国の後漢末に向けた198年冬から199年2月の曹操と劉備の連合軍に対する呂布の軍との間で行われました。 -
曹操が徐州の陶謙を攻撃しに行っている間に部下の陳宮と張邈が反乱を起こし、呂布が兗州の基地を攻撃するのを助けました。
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100日以上かかる兗州の戦いで最高潮に達しながら曹操は徐州侵攻を諦め、呂布攻撃に戻ることになりました。
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195年までに曹操は兗州の全ての都市を取り戻し、巨野で呂布を破りました。呂布と従者は徐州の州牧として陶謙の後任になった劉備を頼って東に逃げることとなります。
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196年に曹操は洛陽の廃墟で献帝を発見し、新しい首都と宮廷が置かれることになる許昌に連れて行きます。同年に呂布は劉備から徐州の支配を奪い取りながら徐州の首都である下邳を手に入れようとする劉備と袁術の紛争で優勢に立ちます。劉備は呂布に徐州の支配権を明け渡し、沛県近くの都市に移住せざるを得ませんでした。間もなく呂布は劉備の存在を脅威に感じ、劉備を攻撃しようと部隊を率いました。劉備は呂布に敗れ、曹操に頼るしか選択肢はありませんでした。
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198年になると呂布は袁術と再び和睦し、下邳の劉備を攻撃するために高順将軍を派遣しました。曹操は劉備に援軍を送るために軍と共に夏侯惇を派遣しましたが、それにも関わらず高順に敗れてしまいます。下邳は198年10月に呂布軍の手に落ち、劉備は逃れましたが妻は捕らえられてしまいます。
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曹操が澎城に達すると陳宮は呂布に曹操軍は許昌からの長征で疲れているから曹操を攻撃するよう求めます。しかし呂布は下邳に留まり、攻撃よりも曹操を待つことを主張します。陳宮が曹操に寝返り、広陵郡から下邳に部下を率いると呂布は自ら敵と交戦するために部隊を率いましたが敗れ、撤退せざるを得なくなり下邳に戻り、前進することなく堅固に下邳を防衛しました。
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最終的に部下の裏切りもあり、呂布は降伏することになります。呂布と部下は縛り上げられ曹操と劉備の前に連れて来られます。呂布は曹操に仕えると言うと葬送は考え込みますが劉備は反対します。曹操は呂布を絞首刑に処すと決め、呂布や陳宮、高順等の遺体を斬首し首を許昌に送るように命じ、その後埋葬されました。第二幕が終わると観客席が中央から割れて回転を始めます。そして背後から先ほど見た宮殿が現れます。
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第三幕「身陥曹営」
徐州を得た劉備は呂布と争い曹操を頼って逃れました。建安3年の198年に曹操が呂布を破った時に関羽は張飛と共に戦功を認められ、曹操から中郎将に任命されました。 -
建安4年の199年に劉備は献帝から密命を受けた董承と結び、曹操に叛旗を起こし徐州刺史の車冑を殺害し、徐州を占拠しました。この時に張飛は劉備と共に小沛に戻り、関羽は下邳の守備を任され、太守の事務を代行しました。
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建安5年の200年に劉備が東征してきた曹操の攻撃を受けて敗れ、下邳に撤退せず北上し袁紹の元に逃げると、関羽は夏侯博や劉備の妻子と共に曹操に捕らわれました。曹操は献帝を庇護しており献帝の下にあり、関羽は劉備の元へ帰るまでの期間「漢王朝(献帝)に降る」という名目の上で、曹操に降伏するのではなく一時的な賓客となり、漢王朝より偏将軍に任命されました。
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漢王朝側の曹操と袁紹の戦争である「官渡の戦い」に関羽も漢王朝側の武将として参加し、関羽は呂布の降将の張遼と共に白馬県を攻撃していた袁紹の将の顔良の攻撃を命じられました。関羽は顔良の旗印と車蓋を見ると馬に鞭打って突撃し、顔良を刺殺してその首を持ち帰りました。この時に袁紹軍の諸将で相手になる者はいなかったといいます。曹操は即刻上表して関羽を漢寿亭侯に封じました。
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曹操は関羽の人柄と武勇を高く評価していましたが、関羽は一貫して劉備への忠義を貫き、曹操を拒否しました。曹操は関羽が自分に降伏する可能性は無いと思い、張遼に依頼して関羽に質問させましたが、関羽は劉備を裏切る事は無い事と曹操への恩返しが済んだら立ち去る心算である事を述べます。それを張遼から聞いていた曹操は関羽の義心に感心したといいます。
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2つに割れた観客席は90度ほど開き、後方から現れた宮殿が舞台となります。そこには漢時代の優雅な衣装を着た女性たちが舞い踊ります。
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チャン・イーモウ(張 芸謀)監督の映画「LOVERS(十面埋伏)」でチャン・ツィイー(章子怡)が演じる盲目の踊り子「シャオメイ」の舞を思い出します。
https://www.youtube.com/watch?v=Tk9tqFd5sGI&t=8s -
舞の後は空に三日月と女性が降りてきます。エアリアルティシューはクルーズの旅の夜の劇場ショーでも必ず演じられるものです。
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建安5年の200年に劉備が東征してきた曹操の攻撃を受けて敗れ、下邳に撤退せず北上し袁紹の元に逃げると、関羽は夏侯博や劉備の妻子と共に曹操に捕らわれています。この女性が劉備の妻なのかは分かりませんでしたが、時系列でいうと甘夫人か糜夫人(びふじん)でしょうか。
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もしくは関羽が呂布の部将の秦宜禄の妻を娶る事を曹操に願い出ましたが、秦宜禄の妻を見た曹操は自分の側室としてしまったというくだりかもしれません。
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第四幕「千里走単騎」
三国時代の英雄の関羽が曹操の元から義兄の劉備の下へ帰還する際に5つの関所を突破する物語です。「三国志演義」で描かれるこのエピソードは、関羽の忠義と武勇を象徴する名場面として知られています。 -
徐州の戦いで劉備が曹操に敗れて離散する中、関羽は曹操に捕らえられるのは第三幕で、曹操は関羽の武勇を高く評価し、関羽は「いずれ劉備に戻る」という条件で一時的に曹操に仕えます。
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劉備の生存を知った関羽は劉備の正妻の甘夫人と側室の糜夫人を連れ、従者とともに許昌をあとにしました。
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「千里走単騎」という言葉を彷彿とさせる場面です。乗っている馬は有名な「赤兎馬」ということになります。「赤兎馬」は、はじめ董卓が持っていましたが呂布とその養父の丁原を離間させるために李粛の策で呂布に贈られました。呂布はその見返りに丁原を殺し董卓に仕えましたが、「赤兎馬」は後に呂布を討った曹操の手に移ります。しかし気性が荒く誰にも乗りこなせずにいました。当時の曹操は関羽を自分の部下にしたいがために様々な贈り物を与えていました。しかし一向に効果がなかったため「貴殿なら乗りこなせるだろう」と赤兎馬を与えたところ見事にそれを乗りこなしました。それまで何を贈っても喜ばなかった関羽が大喜びしたので、曹操はその理由を尋ねます。関羽は「この馬は1日に千里を駆けると知っております。今幸いにこれを得て、もし兄(劉備)の行方が知れましたら、1日にして会うことが出来ましょうぞ」と答えたために曹操は愕然として後悔しました。関羽が処刑された後は呉の馬忠に与えられましたが、馬草を食わなくなって死んだといいます。
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ステージのバックの壁には「東嶺関」の文字が浮かび上がります。関所の門番の孔秀が「ここは通さん!」と叫ぶと「ならば通るまで。」と関羽は一言だけ返します。赤兎馬が風を切り、青龍偃月刀が月光を裂くと孔秀はその場に屍を晒すことになります。
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次に現れたのは洛陽の関所です。ここには韓福と孟坦が待ち構えていました。「関羽は曹操殿に恩を受けながら、裏切って逃げ出す非道な者」と韓福は弓を引き絞り、矢を放とうとします。関羽はそれより早く青龍偃月刀が稲妻のように閃き、韓福を真っ二つにし、孟坦もまた数合持たずに地に伏しました。「忠義とはただ恩を返すことにあらず。己が主を貫くことである」というのが関羽の答えでした。
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三つ目の関所は汜水関でした。待ち受けていたのは巧妙な罠で、卞喜が関羽を寺に招き、もてなすふりをして毒殺を企てます。持て成される中で1人の老僧が密かに関羽に毒が盛られていることを伝えます。杯を置いた関羽は卞喜に「貴様の忠義は、誰のためのものだ?」と問いますが、返事を聞くことなく、刀がうなりを上げました。
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四つ目は滎陽関で守将の王植は夜襲を企てます。しかし配下の胡班が密かに関羽に「王将軍は夜討ちするつもりです。私はあなたの忠義に心打たれました。」と警告を入れます。関羽は敵陣へ突撃し混乱の中で王植を斬り、胡班には一言の礼を残して去りました。
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劇中には全くセリフもありませんが、過去に読んだ「三国志」の場面が浮かんできます。それが目の前でこのような姿で現れるので感動します。風のない穏やかな日で良かったと思います。風が吹いて波が生じたり、ましてや小雨でも降った日にはこの感動は味わえなかったと思います。
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そして最後の難関は黄河の渡口です。対岸には劉備の勢力圏が広がっていますが、その目前で待っていたのは曹操配下の秦琪です。ここで互いの忠義が激突します。赤兎が舞い、関羽の刀が火花を散らしたその瞬間に秦琪は膝をつき、関羽は無言で黄河を渡ります。
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第五幕「火焼赤壁」
長江の赤壁において起こった曹操軍と呉の孫権と劉備連合軍の間の戦いです。ジョン・ウー(呉宇森)監督の「レッドクリフ」が最初に頭に浮かんできます。当初は一作のみの予定でしたが5時間を超える長編になってしまったために2部構成となりました。やはり三国志はエピソードが多く、省けない場面が多すぎるのでしょう。 -
これまで壁だと思っていた5本の柱が赤く染まりました。いきなりこれが赤壁かと思っていると驚く仕掛けがありました。
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壁が突然に開き始めます。何が始まるのだろうと注視していると。
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中からは曹操の軍船が出てきました。そして松明を持った兵士が居並ぶと本当にその戦いの場に立ち会っているような気分になってきます。
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数十万とも言われる兵と朝廷の権威を擁する曹操の大軍勢を前に、孫権の陣営は恐れを抱き、張昭らは降伏を説いきます。しかし魯粛だけは抗戦を説き、鄱陽に出ていた周瑜を呼び戻させました。周瑜は 「中原出身の曹操軍は水軍による戦いに慣れておらず、土地の風土に慣れていないので疫病が発生するだろう。それに曹軍の水軍の主力となる荊州の兵や、袁紹を下して編入した河北の兵は、本心から曹操につき従っているわけではないのでまとまりは薄く、勝機はこちらにある」 と分析し、孫権に抗戦を説きました。
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諸葛亮孔明が孫権との同盟を献策し、劉表の弔問に来ていた魯粛を伴って孫権と面会します。 諸葛亮は曹操の兵が強行軍で疲弊していること、荊州の人間が曹操に心服していないことを挙げ、関羽が指揮を執る精兵の水軍と劉琦が指揮を執る江夏軍が、孫権軍に協力すれば必ずや曹操を破ることができると説きます。
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孔明の発言に大いに喜んだ孫権は即座に周瑜と程普らが指揮する水陸2万の兵を派遣し、劉備と周瑜らは併力して疫病に悩まされていた曹操軍を赤壁と烏林で撃破して敗走させたとされています。戦いの無い諸葛亮孔明との出会いの「三顧の礼」の場面は無いようです。
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第六幕「単刀赴会」
建安20年の215年に益州を手に入れた劉備でしたが、荊州を巡る孫権との争いが激化したことにより、ついに武力衝突に発展していきます。その戦役のある局面において関羽と魯粛との会談の場が設けられました。彼らはそれぞれ劉備と孫権の名代として荊州の管理を任されていました。 -
関羽は荊州南部襲撃の真意を質し、講和のための条件を引き出すという目的を、魯粛は荊州の領有権を強く主張して孫権の信頼を回復するという目的を以って、会談は始められました。
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この会談は譲歩しつつ妥協点を探ろうとした関羽を魯粛が取り合わずに終わりました。双方が荊州について譲らぬ形で意思を伝えることになったようです。
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映画のインターミッションのように急に女性たちが現れて舞が演じられます。
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ステージ奥のレーザー光線の中から関羽が現れます。
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今回の三峡下りは三峡ダムのある「秭帰」でクルーズ船を降り、クルーズ会社のバスで三峡ダムを観光した後に「宜昌」まで送迎があります。その後に「武漢」までツアーのバスで移動する途中で「荊州」に立ち寄り「荊州古城」を見学することになっています。
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赤兎馬に乗った関羽は劉備玄徳の前に近づきます。
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そして勅書のような巻物を受け取ります。
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それを青龍偃月刀に乗せて走り去っていきます。
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そして再び曹操軍との戦いが始まります。まずは騎馬軍団がステージを駆け回ります。
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槍を持った歩兵は走るのが大変そうです。
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そして槍で水面を叩き、水しぶきをあげます。これは素晴らしい演出だと思いましたが、このような水面を使った演出は「桂林」で観たチャン・イーモウ(張 芸謀)の「印象-劉三姐」を彷彿させます。北京オリンピックの開会式の演出も素晴らしかったですが、桂林郊外の川辺の棚田に座って観たこのショーは感動しました。
印象-劉三姐:https://4travel.jp/travelogue/10350039 -
チャン・イーモウ(張 芸謀)監督と三国志を重ねると高倉健が主演した「単騎、千里を走る(千里走単騎)」というという映画がありました。高倉健演じる父親が病気の息子に代わって「麗江」から仮面劇(儺戯)の撮影に行くというものでした。政務所まで役者を訪ねますが、その劇は貴州省で普通に見ることが出来るものだったり、やたら携帯電話が使われると思ったらドコモがスポンサーだったりがっかりしたことがありました。
仮面劇:https://4travel.jp/travelogue/10354383 -
第七幕「水淹七軍」
樊城の戦い(はんじょうのたたかい)は後漢時代の建安24年の219年に起こった劉備軍の関羽と曹操軍並びに孫権軍の合戦です。定軍山の戦いで劉備は曹操に勝利して漢中を奪い、それにより関羽も前将軍に任命され、荊州における軍権も与えられました。 -
荊州南陽郡は当時は曹操の支配領でしたが、ここの太守である東里袞が曹操に認められようとして領民に過酷な賦役を課していました。それに不満を抱いた侯音が関羽と通じて反乱を起こします。
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当時の樊城は曹仁が、襄陽は呂常が守っていましたが、曹操は関羽の進軍を知って于禁を大将にした七軍を援軍として派遣し、曹仁も龐徳を遊軍として城外に出して関羽と戦わせます。しかし折からの長雨で漢水が氾濫し、七軍は水没してしまいます。于禁自身は難を逃れましたが関羽が大船に乗って攻撃してきたために降伏しました。
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結尾「忠義昭千秋」
忠義千秋とは関羽の忠義を讃える言葉です。 -
樊城の戦いでは関羽は船団を指揮して攻撃をかけ、于禁と彼が指揮を執っていた3万の兵を降伏させ、さらに樊城の北に駐屯していた龐徳を斬りました。このとき荊州刺史の胡修と南郷太守の傅方らが関羽に降ってます。関羽は樊城を完全に包囲し、別将を派遣して呂常が守る襄陽までも包囲します。さらに関羽は方々に印綬をばら撒き、曹操領内の群盗などが一斉に蜂起して中原は震動します。
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曹操はこの事態に狼狽し遷都まで考えるほどでしたが、これ以前に和議を結んでいた孫権を利用して、長江の南を領有することを条件に関羽を背後から攻撃させる策を提案し、曹操は孫権と密約を結びます。
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これにより関羽は逆に曹操と孫権の両軍に挟撃されてしまうことになります。関羽は孫権への備えを当初はおこたらずに長江沿いに守備兵を置いていたが、呂蒙が病気と称して前線を離れたこと、さらに後任として陸口に派遣されてきた陸遜の謙った手紙にあっさり煽てられ警戒を解き、兵や物資を前線に送ってしまいます。
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音もなく降りてきた軍団に1人立ち向かいます。「忠義昭千秋」とは関羽の忠義を讃える言葉ですが、ここに立つ白い衣の人物は先ほどまでの関羽の姿とは違います。
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孫権は呂蒙や陸遜らに命じて関羽への攻撃を開始します。劉備は糜芳に南郡を、士仁に公安を守備させていましたが、両者は関羽との仲に隙があり、其処に着目した呂蒙は両者に誘いをかけ寝返らせ、関羽の拠点たる江陵と公安を奪います。その後も陸遜らの働きで荊州の劉備領は次々に攻略されていきます。結果として関羽は襄陽と樊城を落とせぬまま徐晃に攻撃を受けて敗れ、樊城の包囲を解くことになります。
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その後の孫権は関羽軍の輜重を奪いましたが、それを聞いた関羽は襄陽の包囲も解き、撤退した関羽は使者を何度も呂蒙の元に送り連絡をとろうとしましたが、呂蒙はそのたびごとに関羽や関羽の部下の妻子たちを捕虜にして厚遇していることを使者に知らせます。使者の口からこのことを知った関羽の部下たちは敵対心を失い、やがて関羽の軍は四散して大半の将兵が孫権軍に降伏していきます。
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関羽は当陽まで引き返したのち、孫権が江陵に自ら軍を率いてきていることを知り、西の麦城に逃走します。そして劉備に使者を送ります。
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孫権から降伏を勧告する使者が派遣されてくると、関羽は降伏を受けるふりをして逃走します。しかし219年12月に臨沮において関羽は関平らと共に退路を断たれ、捕虜となり斬首されました。
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ステージ上の「三国志」はここで終わります。実際の三国は220年に曹操が死去して後漢滅亡し魏が建国されます。221年に蜀が建国されますが223年には劉備が亡くなります。229年に呉が建国されますが、241年の二宮事件の後に呉はごたごたが続き252年には孫権が亡くなります。
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1時間20分ほどのショーでしたが、とても見ごたえがありました。また三国志に由来する土地でこれを見るというのもとても良かったと思います。何しろ翌日の午前中は「白帝城」を観光するのですから。
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最後に登場人物がステージの前方に集まります。
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三峡下りのクルーズ船に乗るまで全く知らない「烽煙三国」のショーでしたが、船内のパンフレットで見つけて良かったです。トラピックスではオプションとして案内していませんが、他社ではオプションとして扱っているところもあります。
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大満足のうちに楽しい時間は終わってしまい、トイレに寄ってから駐車場に戻りました。同じバスに乗って戻りますが道路は真っ暗で街灯の1つもありません。
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「万港紅星客運埠頭」でバスを降りて船までまた歩かなければなりません。MSCクルーズは中国でも有名で、昨年行った深圳はMSCクルーズの出港地になっていました。
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中国人のおばさんに「MSC乗ったのね。」と声を掛けられました。この日は2人お揃いのジャンバーを着ていました。MSCのショップでは何度も見ていましたが、サイズが合わなかったりでなかなか買えませんでした。春に行ったドバイ発着のクルーズで2着買うとかなり安くなっていたのでようやく手に入れました。
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この時間にこの埠頭にいるのは同じ「烽煙三国」のショーを観た人たちです。エクスカーションのバスの乗客が階段に降りてしまうと早々に門が閉められていました。
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午後10時過ぎに船に戻るとすぐに出港して、再び三峡下りのクルーズが始まります。
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