大足旅行記(ブログ) 一覧に戻る
重慶での夜が明けました。午前8時30分にホテルを出発なので、逆算していくと5時半には起きなければなりません。前夜はホテルに到着したのが午前1時過ぎだったので幾らも寝ることが出来ませんでした。出発のの準備をしてから1階のレストランに向かいます。さすがメリディアンだけあって大きなホールにライブキッチンのような設えになっています。ローカルのホテルチェーンだと食事は期待できませんが、このホテルの朝食はとても美味しかったです。重慶はこの日だけなので町中で自由になる時間もありません。ここのキッチンで「重慶小面」が食べられたのは良かったです。迎えに来たバスに乗って長江に架かる橋を渡ると朝霧の中の風景にジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌(三峡好人)」という映画を思い出します。20年くらい前までの中国映画はとても良いものが多く、それらの映画を観て実際に旅先を決めたことも何度もありました。日本ではあまりメジャーではありませんが、そんな映画の多くはオフィス北野で配給しているのにはびっくりです。巨大な重慶の街を抜けるとようやくカントリーサイドの風景が見えてきますが、思っていた通りに畑は菜の花で黄色く染まり、それ以外にも桃のピンク色の花も見え隠れしています。バスは途中「威龍服務区」でトイレ休憩を挟み、2時間ほどで大足の街に入ります。そのまま町を通り抜けて山の中にある「宝頂山石刻」が最初の目的地です。大足には大きく北山、宝頂山、南山、石篆山、石門山の5ヶ所に石刻が集まっていて、今回は一番の見どころでもある「宝頂山石刻」と「北山石刻」を見学します。ここへは故人で来ようと思っていたこともあり、かなり調べたこともおありましたので、長年の夢がかなった時でもありました。まずは1時間30分ほどかけて「宝頂山石刻」の見学がスタートします。<br />

トラピックス 長江三峡下りクルーズ(2)重慶から長年の夢だった大足郊外の宝頂山石刻の仏たちに出会う。

17いいね!

2025/03/23 - 2025/03/23

7位(同エリア37件中)

旅行記グループ 2025三峡下りクルーズ

0

147

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記のスケジュール

この旅行記スケジュールを元に

重慶での夜が明けました。午前8時30分にホテルを出発なので、逆算していくと5時半には起きなければなりません。前夜はホテルに到着したのが午前1時過ぎだったので幾らも寝ることが出来ませんでした。出発のの準備をしてから1階のレストランに向かいます。さすがメリディアンだけあって大きなホールにライブキッチンのような設えになっています。ローカルのホテルチェーンだと食事は期待できませんが、このホテルの朝食はとても美味しかったです。重慶はこの日だけなので町中で自由になる時間もありません。ここのキッチンで「重慶小面」が食べられたのは良かったです。迎えに来たバスに乗って長江に架かる橋を渡ると朝霧の中の風景にジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌(三峡好人)」という映画を思い出します。20年くらい前までの中国映画はとても良いものが多く、それらの映画を観て実際に旅先を決めたことも何度もありました。日本ではあまりメジャーではありませんが、そんな映画の多くはオフィス北野で配給しているのにはびっくりです。巨大な重慶の街を抜けるとようやくカントリーサイドの風景が見えてきますが、思っていた通りに畑は菜の花で黄色く染まり、それ以外にも桃のピンク色の花も見え隠れしています。バスは途中「威龍服務区」でトイレ休憩を挟み、2時間ほどで大足の街に入ります。そのまま町を通り抜けて山の中にある「宝頂山石刻」が最初の目的地です。大足には大きく北山、宝頂山、南山、石篆山、石門山の5ヶ所に石刻が集まっていて、今回は一番の見どころでもある「宝頂山石刻」と「北山石刻」を見学します。ここへは故人で来ようと思っていたこともあり、かなり調べたこともおありましたので、長年の夢がかなった時でもありました。まずは1時間30分ほどかけて「宝頂山石刻」の見学がスタートします。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
中国東方航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • 重慶での一夜が明けました。昨夜は夜中の到着だったので何も見えませんでしたが、周囲は高層ビルが立ち並んでいました。

    重慶での一夜が明けました。昨夜は夜中の到着だったので何も見えませんでしたが、周囲は高層ビルが立ち並んでいました。

    ル メリディアン チョンチン ナンアン ホテル

  • 午前8時30分の出発なので午前7時には1階のレストランに降りて朝食をいただきます。さすがメリディアンなので、ツアーでよく宿泊する中国資本のローカルホテルの朝食とは違います。

    午前8時30分の出発なので午前7時には1階のレストランに降りて朝食をいただきます。さすがメリディアンなので、ツアーでよく宿泊する中国資本のローカルホテルの朝食とは違います。

    ル メリディアン チョンチン ナンアン ホテル

  • スタンダードな中華料理のメニュー以外にも重慶ならではの料理もあります。このオープンキッチンでは「重慶小面」を作ってくれます。

    スタンダードな中華料理のメニュー以外にも重慶ならではの料理もあります。このオープンキッチンでは「重慶小面」を作ってくれます。

  • 火鍋と並び重慶で有名なのは小面と呼ばれる麺料理で、一般的に重慶で食べる麺はすべて重慶小面と呼ばれるようです。最も辛くないはずの微辣でも初めての日本人には十分辛いので要注意です。ここではカウンターに用意されたタレの中に茹で上がった麺を入れるだけなので辛さの調整は出来ません。

    火鍋と並び重慶で有名なのは小面と呼ばれる麺料理で、一般的に重慶で食べる麺はすべて重慶小面と呼ばれるようです。最も辛くないはずの微辣でも初めての日本人には十分辛いので要注意です。ここではカウンターに用意されたタレの中に茹で上がった麺を入れるだけなので辛さの調整は出来ません。

  • レタスなどの野菜と一緒に茹でた麺だけで、それ以外に具材は入っていませんが、これが一般的なようです。

    レタスなどの野菜と一緒に茹でた麺だけで、それ以外に具材は入っていませんが、これが一般的なようです。

  • 肉包子に青梗菜炒め蛋炒飯に蛋の入った米麺、麻婆豆腐。どれも美味しいけれど多くは麻辣を感じます。舌がヒリヒリするような唐辛子の辛さである「辣味」(らつみ)と、花椒の舌が痺れるような辛さである「麻味(まみ)」の2種類の異なった「辛さ」により構成され、慣れてくると忘れられない味になります。

    肉包子に青梗菜炒め蛋炒飯に蛋の入った米麺、麻婆豆腐。どれも美味しいけれど多くは麻辣を感じます。舌がヒリヒリするような唐辛子の辛さである「辣味」(らつみ)と、花椒の舌が痺れるような辛さである「麻味(まみ)」の2種類の異なった「辛さ」により構成され、慣れてくると忘れられない味になります。

  • 最後に皮蛋と搾菜を入れて好みの味付けにしたお粥もいただきます。この日は午後1時過ぎまでお昼を食べられないのでしっかりといただいておきます。

    最後に皮蛋と搾菜を入れて好みの味付けにしたお粥もいただきます。この日は午後1時過ぎまでお昼を食べられないのでしっかりといただいておきます。

  • 深夜にチェックインして早朝にチェックアウトでは、せっかくのメリディアンももったいない滞在です。

    深夜にチェックインして早朝にチェックアウトでは、せっかくのメリディアンももったいない滞在です。

  • ホテルを出発したバスは「鵝公岩大橋」の上で今回初めて見る長江を渡ります。どんよりとした雲とも朝霧とも区別のつかない風景を眺めるとジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌(三峡好人)」という映画の一場面を思い出します。

    ホテルを出発したバスは「鵝公岩大橋」の上で今回初めて見る長江を渡ります。どんよりとした雲とも朝霧とも区別のつかない風景を眺めるとジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌(三峡好人)」という映画の一場面を思い出します。

  • 郊外に出ると農村地帯は菜の花が満開です。8年前に浙江省の烏鎮と杭州から安徽省の宏村と屯渓と黄山を巡った旅の風景を思い出します。

    郊外に出ると農村地帯は菜の花が満開です。8年前に浙江省の烏鎮と杭州から安徽省の宏村と屯渓と黄山を巡った旅の風景を思い出します。

  • 今回の旅もその時を参考に同じ時期を選んでいました。宏村は映画「グリーン・デスティニー(臥虎蔵龍)」のロケ地でもあったので行きたかった場所でした。

    今回の旅もその時を参考に同じ時期を選んでいました。宏村は映画「グリーン・デスティニー(臥虎蔵龍)」のロケ地でもあったので行きたかった場所でした。

  • 高速道路を1時間ほど走った「威龍服務区」で一度トイレ休憩がありました。服務区はサービスエリアという意味です。

    高速道路を1時間ほど走った「威龍服務区」で一度トイレ休憩がありました。服務区はサービスエリアという意味です。

  • サービスエリアにはフードコートやコンビニ、お土産物売り場もありましたがこんな土鍋や茶器を売っている店もありました。

    サービスエリアにはフードコートやコンビニ、お土産物売り場もありましたがこんな土鍋や茶器を売っている店もありました。

  • ガイドさんによると重慶の人の実情が良く分かりました。まずスーパーなどでは野菜や菜種油や米や卵は買わず、親戚や知人を頼って農家から直接買うということでした。農家が販売用に作る野菜などは農薬の量が半端ではなく、人工の生卵まであるそうです。

    ガイドさんによると重慶の人の実情が良く分かりました。まずスーパーなどでは野菜や菜種油や米や卵は買わず、親戚や知人を頼って農家から直接買うということでした。農家が販売用に作る野菜などは農薬の量が半端ではなく、人工の生卵まであるそうです。

  • バスは「大足」の料金所で高速道路を降ります。

    バスは「大足」の料金所で高速道路を降ります。

  • 大足の町中には入らずに直接「宝頂山石刻」に向かいます。

    大足の町中には入らずに直接「宝頂山石刻」に向かいます。

  • 菜の花だけではなく桃の花も満開に咲いています。この辺りは桃が名産でもあるようです。陶淵明の「桃花源記」の世界を想像させます。

    菜の花だけではなく桃の花も満開に咲いています。この辺りは桃が名産でもあるようです。陶淵明の「桃花源記」の世界を想像させます。

  • ガイドさん曰く、このようなオート三輪は白タクなのだそうです。昔、蘇州郊外の太湖の東山半島をこんなオート三輪を1日チャーターして巡ったことを思い出します。1日100元だったのですが、別れ際に10元をチップで渡そうとしたら断られたことがありました。<br />太湖東山:https://4travel.jp/travelogue/10353730

    ガイドさん曰く、このようなオート三輪は白タクなのだそうです。昔、蘇州郊外の太湖の東山半島をこんなオート三輪を1日チャーターして巡ったことを思い出します。1日100元だったのですが、別れ際に10元をチップで渡そうとしたら断られたことがありました。
    太湖東山:https://4travel.jp/travelogue/10353730

  • バスは1軒の農家のようなところに停車して、ガイドさんはその家からイヤフォンガイドとマイクを借りて戻ってきました。そして「宝頂山石刻」の入り口に一番近いところまで進んでくれます。これはガイドさんの力量によるもののようです。

    バスは1軒の農家のようなところに停車して、ガイドさんはその家からイヤフォンガイドとマイクを借りて戻ってきました。そして「宝頂山石刻」の入り口に一番近いところまで進んでくれます。これはガイドさんの力量によるもののようです。

  • バスを降りて入り口に進みますが、まるで宮殿のような設えです。中国の観光地の再開発はすごいスピードで進んでいると思います。「瑞相橋」を渡って参道を進みます。

    バスを降りて入り口に進みますが、まるで宮殿のような設えです。中国の観光地の再開発はすごいスピードで進んでいると思います。「瑞相橋」を渡って参道を進みます。

  • ここの「牌坊(はいぼう)」は5本の梁と6本の柱という豪華なものです。牌坊は牌楼とも称する一列に立つ柱であり、空間を区別する建物です。

    ここの「牌坊(はいぼう)」は5本の梁と6本の柱という豪華なものです。牌坊は牌楼とも称する一列に立つ柱であり、空間を区別する建物です。

  • 中国全土で牌坊の総数は約3000個あると言われ、それらは中国の広範な地区に分布していますが特にかたまって見られる地域もあります。またこのような新しいものも増えているのでその数は把握できないのではないでしょうか。

    中国全土で牌坊の総数は約3000個あると言われ、それらは中国の広範な地区に分布していますが特にかたまって見られる地域もあります。またこのような新しいものも増えているのでその数は把握できないのではないでしょうか。

    大足石刻 史跡・遺跡

  • さらに「礼敬橋」を渡ると入り口が見えてきます。

    さらに「礼敬橋」を渡ると入り口が見えてきます。

  • 6本の牙を持った象の姿があることから上に坐する仏は普賢菩薩だということが分かります。梵名のサマンタバドラとは「普く賢い者」の意味で、法華経での普賢菩薩は六牙の白象に乗ってあらゆるところにあらわれ衆生を救うと説かれます。苦労して登った峨眉山の金頂(華蔵寺)の高さ48メートルの四面十方普賢金像が修復中で囲われていたのはショックでした。

    6本の牙を持った象の姿があることから上に坐する仏は普賢菩薩だということが分かります。梵名のサマンタバドラとは「普く賢い者」の意味で、法華経での普賢菩薩は六牙の白象に乗ってあらゆるところにあらわれ衆生を救うと説かれます。苦労して登った峨眉山の金頂(華蔵寺)の高さ48メートルの四面十方普賢金像が修復中で囲われていたのはショックでした。

  • 母に九塞溝や峨眉山に行った話しをしたら「私は九寨溝も黄龍にも行きたいとは思わないけれど、子供の頃に読んだ杜子春に出てくる峨眉山がどんな所か行ってみたかった。」と言われたことを思い出しました。<br />峨眉山:https://4travel.jp/travelogue/11130152

    母に九塞溝や峨眉山に行った話しをしたら「私は九寨溝も黄龍にも行きたいとは思わないけれど、子供の頃に読んだ杜子春に出てくる峨眉山がどんな所か行ってみたかった。」と言われたことを思い出しました。
    峨眉山:https://4travel.jp/travelogue/11130152

  • 入口のゲートが見えてきました。ここまででもかなりの距離を歩くことになります。ゲートでは荷物のチェックとパスポートが必要になります。

    入口のゲートが見えてきました。ここまででもかなりの距離を歩くことになります。ゲートでは荷物のチェックとパスポートが必要になります。

  • 脇にあった岩肌を見てなるほどと思いました。この辺りの地質は砂岩のようで、これならば材質も柔らかいので仏を刻むのには適しているなと感じます。

    脇にあった岩肌を見てなるほどと思いました。この辺りの地質は砂岩のようで、これならば材質も柔らかいので仏を刻むのには適しているなと感じます。

  • ゲートの先からは電動カートに乗って先へ進みます。これがまた結構な距離を走ることになります。

    ゲートの先からは電動カートに乗って先へ進みます。これがまた結構な距離を走ることになります。

  • こんな電動カートの前は電気バスがよく利用されていました。そんな環境を考慮した観光施設は20年以上前から各地にあって、日本とは大きな違いだなと感じました。

    こんな電動カートの前は電気バスがよく利用されていました。そんな環境を考慮した観光施設は20年以上前から各地にあって、日本とは大きな違いだなと感じました。

  • 電動カートは唐宋風韻建築様式の建築が美しい「大足石刻芸術博物館」の前を無情にも通過してしまいます。ここの常設展は大足地区に点在する多くの石刻のレプリカや、地域の文化と歴史に関する貴重な資料が展示されています。特に際立っているのは各石刻の歴史的背景とその制作過程に焦点を当てた展示です。

    電動カートは唐宋風韻建築様式の建築が美しい「大足石刻芸術博物館」の前を無情にも通過してしまいます。ここの常設展は大足地区に点在する多くの石刻のレプリカや、地域の文化と歴史に関する貴重な資料が展示されています。特に際立っているのは各石刻の歴史的背景とその制作過程に焦点を当てた展示です。

  • 大足石刻の起源は唐代末期から宋代初期にかけての時代に遡ります。この地域は当時の中国の政治的にも経済的にも文化的な中心地から離れていたため、独自の宗教文化が発展しました。特に南宋時代は大足石刻の制作が最も活発に行われた時期として知られています。これにより当時の社会情勢や信仰心を反映した多くの彫刻が残されています。

    大足石刻の起源は唐代末期から宋代初期にかけての時代に遡ります。この地域は当時の中国の政治的にも経済的にも文化的な中心地から離れていたため、独自の宗教文化が発展しました。特に南宋時代は大足石刻の制作が最も活発に行われた時期として知られています。これにより当時の社会情勢や信仰心を反映した多くの彫刻が残されています。

  • 大足石刻の制作は当時の地方政府や富裕な信者によって支援されました。彼らは仏教徒としての信仰心から、または功徳を積むために多額の資金を提供しました。これにより高度な技術を持つ職人たちが集まり壮大な彫刻群が誕生しました。

    大足石刻の制作は当時の地方政府や富裕な信者によって支援されました。彼らは仏教徒としての信仰心から、または功徳を積むために多額の資金を提供しました。これにより高度な技術を持つ職人たちが集まり壮大な彫刻群が誕生しました。

  • いよいよ石刻のエリアに到着しました。この階段を登ったところから驚異の世界が始まります。

    いよいよ石刻のエリアに到着しました。この階段を登ったところから驚異の世界が始まります。

  • 最初に現れたのは「寶頂」の文字と「福寿」の文字が見えてきます。どちらも拓本を取り過ぎたのか、文字の周りは真っ黒になっています。

    最初に現れたのは「寶頂」の文字と「福寿」の文字が見えてきます。どちらも拓本を取り過ぎたのか、文字の周りは真っ黒になっています。

  • 宝頂山摩崖石刻のなかで「大仏湾」はその規模の大きさと完全なまでに保存された場所として知られています。宋の名僧の趙智鳳の指揮のもと、南宋の淳熙年間から淳祐年間までの1174年から1252年の間の70数年にわたり次々と造営されて完成したものです。

    宝頂山摩崖石刻のなかで「大仏湾」はその規模の大きさと完全なまでに保存された場所として知られています。宋の名僧の趙智鳳の指揮のもと、南宋の淳熙年間から淳祐年間までの1174年から1252年の間の70数年にわたり次々と造営されて完成したものです。

  • 「正覚菩薩像」<br />この像は右手の上に左手を被せるような印を結んでいます。正覚とは一切諸法の真理を知った仏の真の覚りのことを意味します。

    「正覚菩薩像」
    この像は右手の上に左手を被せるような印を結んでいます。正覚とは一切諸法の真理を知った仏の真の覚りのことを意味します。

  • この像は研究によるとこの石刻を指揮した趙智鳳の師である劉本尊だそうです。二筋の光明の間に在家衆の姿の劉本尊の姿が現されています。

    この像は研究によるとこの石刻を指揮した趙智鳳の師である劉本尊だそうです。二筋の光明の間に在家衆の姿の劉本尊の姿が現されています。

  • 右側の2体の像は道教の神が彫られています。右側は道教の開祖である老子で、左側が伏虎山の神です。その両側の連句には「道教の開祖は牛に乗って岸に行き、伏虎山の神は橋頭保を守る」と書かれています。

    右側の2体の像は道教の神が彫られています。右側は道教の開祖である老子で、左側が伏虎山の神です。その両側の連句には「道教の開祖は牛に乗って岸に行き、伏虎山の神は橋頭保を守る」と書かれています。

  • 左面には玉皇大帝と太后です。この彫刻は近世のもので大足石刻における儒教と仏教と道教の融合の思想を体現したものと言われます。

    左面には玉皇大帝と太后です。この彫刻は近世のもので大足石刻における儒教と仏教と道教の融合の思想を体現したものと言われます。

  • 「円覚洞」<br />入口すぐにある大足石刻では珍しい石窟型になったところですが、残念ながら入り口の鉄扉が閉まっていました。これにはガイドさんも残念がっていました。

    「円覚洞」
    入口すぐにある大足石刻では珍しい石窟型になったところですが、残念ながら入り口の鉄扉が閉まっていました。これにはガイドさんも残念がっていました。

  • その入り口を護るように巨大な獅子の姿があります。バリ島のウブドで宿泊した「チャンプアン・スパホテル」という歴史あるホテルのスパにあった彫刻に似ているのに気が付きました。

    その入り口を護るように巨大な獅子の姿があります。バリ島のウブドで宿泊した「チャンプアン・スパホテル」という歴史あるホテルのスパにあった彫刻に似ているのに気が付きました。

  • 壁に穿たれた小さな仏の1つ1つの完成度の高さに目が留まってしまいます。彫られた仏には彩色が施されていますが、絵の具が剥離してしまっていても元々の造形の力強さに衰えを感じません。

    壁に穿たれた小さな仏の1つ1つの完成度の高さに目が留まってしまいます。彫られた仏には彩色が施されていますが、絵の具が剥離してしまっていても元々の造形の力強さに衰えを感じません。

  • 「牧牛図」<br />「牧牛図」は「牧牛道場」とも呼ばれ、もともと禅宗仏教は牛をもって心にたとえ、牧人をもって修行者にたとえます。

    「牧牛図」
    「牧牛図」は「牧牛道場」とも呼ばれ、もともと禅宗仏教は牛をもって心にたとえ、牧人をもって修行者にたとえます。

  • まじめに修行し、仏法をさとり、心持ちを整理するという内容を表す経変図(仏教説話図)が岩肌に生き生きと彫られています。

    まじめに修行し、仏法をさとり、心持ちを整理するという内容を表す経変図(仏教説話図)が岩肌に生き生きと彫られています。

  • 長さ30メートルの龕内に10人の牧人と10頭の牛がそれぞれの姿で山間のなかに表されています。牧人たちはムチを振り、縄を引き、笛を吹き、雑談しているようです。

    長さ30メートルの龕内に10人の牧人と10頭の牛がそれぞれの姿で山間のなかに表されています。牧人たちはムチを振り、縄を引き、笛を吹き、雑談しているようです。

  • 牛は駆けまわり、寝転び、水を飲み、草を食んでいます。生き生きとした牧歌的な生活風景がそこに構成されています。

    牛は駆けまわり、寝転び、水を飲み、草を食んでいます。生き生きとした牧歌的な生活風景がそこに構成されています。

  • 日本では十牛図として知られ、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したものとされます。「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人の姿で表されています。

    日本では十牛図として知られ、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したものとされます。「真の自己」が牛の姿で表されているため十牛図といい、真の自己を求める自己は牧人の姿で表されています。

  • 中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧の廓庵(かくあん)が描いたものが知られています。日本の禅宗は独自の解釈や提唱を示すことがあり、「尋牛」を自れを探求する大願、「見跡」を釈迦の正法/禅の大綱の会得、「見牛」を見性大悟、「得牛」を大悟徹底と聖胎長養、「牧牛」を悟後の修行、「騎牛帰家」を山の中の庵へと帰ること、「忘牛存人」を仏法を捨て切ること、「人牛倶忘」を一点の曇りもない澄んだ境地、「返本還源」を大円境地、「入鄽垂手」を遷化、とする説が唱えられています。

    中国北宋時代の臨済宗楊岐派の禅僧の廓庵(かくあん)が描いたものが知られています。日本の禅宗は独自の解釈や提唱を示すことがあり、「尋牛」を自れを探求する大願、「見跡」を釈迦の正法/禅の大綱の会得、「見牛」を見性大悟、「得牛」を大悟徹底と聖胎長養、「牧牛」を悟後の修行、「騎牛帰家」を山の中の庵へと帰ること、「忘牛存人」を仏法を捨て切ること、「人牛倶忘」を一点の曇りもない澄んだ境地、「返本還源」を大円境地、「入鄽垂手」を遷化、とする説が唱えられています。

  • 今年になって外祖父が描いた「十牛図」がヤフオクに出品されていて、お手頃な値段で落札できたのですが、ここ大足で同じ題材の石刻に出会えるとは思いませんでした。

    今年になって外祖父が描いた「十牛図」がヤフオクに出品されていて、お手頃な値段で落札できたのですが、ここ大足で同じ題材の石刻に出会えるとは思いませんでした。

  • 「護法神像」<br />「円覚洞」を出てすぐに見えてくるのが「護法神像」です。その名の通り、石刻を守るように宝頂山石刻の入口に立っています。仏を中央に8つの菩薩が周囲を固め、憤怒の表情をしている密教の仏像です。

    「護法神像」
    「円覚洞」を出てすぐに見えてくるのが「護法神像」です。その名の通り、石刻を守るように宝頂山石刻の入口に立っています。仏を中央に8つの菩薩が周囲を固め、憤怒の表情をしている密教の仏像です。

  • 護法神とは仏法とその信者を護る神のことで、仏と菩薩が降生して悪魔化したものです。仏教では仏と菩薩を覚醒衆生と呼び、悪魔を取り残す魔であるため怒った顔つきになっています。

    護法神とは仏法とその信者を護る神のことで、仏と菩薩が降生して悪魔化したものです。仏教では仏と菩薩を覚醒衆生と呼び、悪魔を取り残す魔であるため怒った顔つきになっています。

  • 四天王や十二神将は外敵との戦いに備えて甲冑を着ける姿に表わされます。夜叉や羅刹のように凶暴な鬼が仏教に取り込まれて、その強い力を仏法守護に注いだと信仰された例もあります。柔らかい砂岩を彫ったとはいえ甲冑や衣の襞など立体的な造形に見入ってしまいます。

    四天王や十二神将は外敵との戦いに備えて甲冑を着ける姿に表わされます。夜叉や羅刹のように凶暴な鬼が仏教に取り込まれて、その強い力を仏法守護に注いだと信仰された例もあります。柔らかい砂岩を彫ったとはいえ甲冑や衣の襞など立体的な造形に見入ってしまいます。

  • 技法としては主に「浮彫り(レリーフ)」、「高浮彫り(ハイ・レリーフ)」、「全彫り(フル・ラウンド)」の3種類が用いられました。浮彫りは背景からわずかに浮かび上がるように彫られ、高浮彫りはより立体的に彫刻されます。全彫りは完全に背景から独立した立体的な彫刻であり、これら3つの技法を巧みに組み合わせることで多様な表現が可能となりました。

    技法としては主に「浮彫り(レリーフ)」、「高浮彫り(ハイ・レリーフ)」、「全彫り(フル・ラウンド)」の3種類が用いられました。浮彫りは背景からわずかに浮かび上がるように彫られ、高浮彫りはより立体的に彫刻されます。全彫りは完全に背景から独立した立体的な彫刻であり、これら3つの技法を巧みに組み合わせることで多様な表現が可能となりました。

  • 「六道輪廻図」<br />別名を「六趣唯心図」とも言います。車輪のような輪の中の6つの部分は仏教の輪廻思想である「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六道を表しています。この世に生きるすべてのものは六道の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるという考えです。「六道」は生前の行為の善悪によって、死後に行き先が決まる6つの世界を表します。

    「六道輪廻図」
    別名を「六趣唯心図」とも言います。車輪のような輪の中の6つの部分は仏教の輪廻思想である「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の六道を表しています。この世に生きるすべてのものは六道の世界に生と死を何度も繰り返して、さまよい続けるという考えです。「六道」は生前の行為の善悪によって、死後に行き先が決まる6つの世界を表します。

  • ここでは「無常大鬼」が両手を広げて「六趣輪」を抱いています。これは仏教の教義の「因果応報」「輪回転生」「十二因縁」「善悪殊報」の形態化されたものです。中国で六道輪回図が刻された石窟はここにしかありません。昨年チベットで買い求めたタンカでは「無常大鬼」ではなく「チェプー(Cheppu)」という怪物が描かれています。インドから中後家へ仏教が伝わる過程を学んでいたのだと感じました。

    ここでは「無常大鬼」が両手を広げて「六趣輪」を抱いています。これは仏教の教義の「因果応報」「輪回転生」「十二因縁」「善悪殊報」の形態化されたものです。中国で六道輪回図が刻された石窟はここにしかありません。昨年チベットで買い求めたタンカでは「無常大鬼」ではなく「チェプー(Cheppu)」という怪物が描かれています。インドから中後家へ仏教が伝わる過程を学んでいたのだと感じました。

  • 続いては「華厳三聖像」です。ここにも寶頂山の文字が刻まれています。

    続いては「華厳三聖像」です。ここにも寶頂山の文字が刻まれています。

  • 手前から脇侍の「普賢菩薩」の姿です。

    手前から脇侍の「普賢菩薩」の姿です。

  • 本尊は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」で、奥には脇侍の「文殊菩薩」の姿もあります。

    本尊は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」で、奥には脇侍の「文殊菩薩」の姿もあります。

  • 「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」は大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊で、「文殊菩薩」とともに「釈迦如来」の脇侍として祀られることが多い仏です。梵名のサマンタバドラとは「普く賢い者」の意味であり、世界にあまねく現れ仏の慈悲と理智を顕して人々を救う賢者である事を意味します。

    「普賢菩薩(ふげんぼさつ)」は大乗仏教における崇拝の対象である菩薩の一尊で、「文殊菩薩」とともに「釈迦如来」の脇侍として祀られることが多い仏です。梵名のサマンタバドラとは「普く賢い者」の意味であり、世界にあまねく現れ仏の慈悲と理智を顕して人々を救う賢者である事を意味します。

  • 像と像の間は丸く穿たれた中にはそれぞれ違った印相を結ぶ仏の姿があり、この一面で密教の曼荼羅のように思えてきます。

    像と像の間は丸く穿たれた中にはそれぞれ違った印相を結ぶ仏の姿があり、この一面で密教の曼荼羅のように思えてきます。

  • 「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」は大乗仏教における信仰対象である如来の一尊で、華厳経において中心的な存在として扱われる尊格です。後の密教においては大日如来と同一視されます。史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)で、宇宙の真理を全ての人に照らし悟りに導く仏とされます。聖武天皇の発願により造られた東大寺大仏殿の盧舎那仏像と同じ仏です。

    「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」は大乗仏教における信仰対象である如来の一尊で、華厳経において中心的な存在として扱われる尊格です。後の密教においては大日如来と同一視されます。史実の人物としてのゴータマ・シッダールタを超えた宇宙仏(法身仏)で、宇宙の真理を全ての人に照らし悟りに導く仏とされます。聖武天皇の発願により造られた東大寺大仏殿の盧舎那仏像と同じ仏です。

  • 「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」は大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊で、一般に智慧を司る仏とされます。肩の上に掛けられた袈裟は膝までたれて両手を支え、両手で持った500キロはあるであろう仏塔を1000年以上支えています。

    「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)」は大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊で、一般に智慧を司る仏とされます。肩の上に掛けられた袈裟は膝までたれて両手を支え、両手で持った500キロはあるであろう仏塔を1000年以上支えています。

  • 三尊像の脇には「舎利寶塔」も置かれています。昨年行ったインドのエローラとアジャンタの石窟寺院も素晴らしかったですが、この大足の石刻も素晴らしいなと思えます。中国には他にも雲岡石窟、莫高窟、龍門石窟など、まだ訪れていないところがたくさんあります。

    三尊像の脇には「舎利寶塔」も置かれています。昨年行ったインドのエローラとアジャンタの石窟寺院も素晴らしかったですが、この大足の石刻も素晴らしいなと思えます。中国には他にも雲岡石窟、莫高窟、龍門石窟など、まだ訪れていないところがたくさんあります。

  • 三聖像はやや胴体を前に傾けた姿で彫られています。これは透視法によって引き起こされる像の変形を上手く避けているのだと感じます。手法は違っても胴体を長く描くことで祭壇を見上げた時の変化を避けたエル・グレコのマニエリスム絵画と同じだなと思います。

    三聖像はやや胴体を前に傾けた姿で彫られています。これは透視法によって引き起こされる像の変形を上手く避けているのだと感じます。手法は違っても胴体を長く描くことで祭壇を見上げた時の変化を避けたエル・グレコのマニエリスム絵画と同じだなと思います。

  • 宝頂山大仏湾の摩崖石刻はU字型に奥まった山あいに開かれています。谷間の西の入り口に大きな山峰が横たわっており、そこには封鎖された盆地が形づくられています。造像はこの山崖に沿って開かれており、全長約500メートルにわたっています。木々の先にまだ見ぬ仏の姿があります。

    宝頂山大仏湾の摩崖石刻はU字型に奥まった山あいに開かれています。谷間の西の入り口に大きな山峰が横たわっており、そこには封鎖された盆地が形づくられています。造像はこの山崖に沿って開かれており、全長約500メートルにわたっています。木々の先にまだ見ぬ仏の姿があります。

  • 第八号龕の断崖には世界でも最大級の摩崖千手観音像が彫り込まれています。宝頂山摩崖石刻の逸品と言われるこの観音像は高さ7.7メートル、幅12.5メートル、面積88平方メートルに達します。

    第八号龕の断崖には世界でも最大級の摩崖千手観音像が彫り込まれています。宝頂山摩崖石刻の逸品と言われるこの観音像は高さ7.7メートル、幅12.5メートル、面積88平方メートルに達します。

  • 観音菩薩は中国では誰しもが知っている菩薩で、衆生を一切の苦しみから救うことができると信じられています。衆生を一切の苦しみから救うのは共産党の役目かと思っていました。

    観音菩薩は中国では誰しもが知っている菩薩で、衆生を一切の苦しみから救うことができると信じられています。衆生を一切の苦しみから救うのは共産党の役目かと思っていました。

  • ガイドさんが一番きれいに見えるのは脇からということでしたが、その後は堂内に入って正面から参拝します。

    ガイドさんが一番きれいに見えるのは脇からということでしたが、その後は堂内に入って正面から参拝します。

  • 「千手千眼観音」は無限の法力と知恵を象徴しています。よく見られる「千手観音塑像」の多くは32本か又は48本の手で「千手」を象徴しています。たとえ千本に達するものでも、一般的にはわずかな塑像と多数の絵画を組み合わせるという方法を採っていることもあります。

    「千手千眼観音」は無限の法力と知恵を象徴しています。よく見られる「千手観音塑像」の多くは32本か又は48本の手で「千手」を象徴しています。たとえ千本に達するものでも、一般的にはわずかな塑像と多数の絵画を組み合わせるという方法を採っていることもあります。

  • しかし、この宝頂山大仏湾の千手観音はすべての腕が立体の彫像となっています。清代の頃にこの像に金箔を施すために手の本数を数えたところ合計1007本もあったといわれています。 手は1つずつ法具を持っており、手のひらには目が1つずつ付いています。千の手と手のひらの目で苦しんだり悩んだりする人を見つけ、手を差し伸べて救うとされています。

    しかし、この宝頂山大仏湾の千手観音はすべての腕が立体の彫像となっています。清代の頃にこの像に金箔を施すために手の本数を数えたところ合計1007本もあったといわれています。 手は1つずつ法具を持っており、手のひらには目が1つずつ付いています。千の手と手のひらの目で苦しんだり悩んだりする人を見つけ、手を差し伸べて救うとされています。

  • 通常の観音菩薩であれば眉間には白毫(びゃくごう)がありますが、この観音には仏眼(ぶつがん)と呼ばれる第3の目があります。ネパールへ行った際にはヒンドゥーの髪や仏教の仏についていろいろ学ぶ機会がありましたが、この像にはチベット仏教の影響を感じます。

    通常の観音菩薩であれば眉間には白毫(びゃくごう)がありますが、この観音には仏眼(ぶつがん)と呼ばれる第3の目があります。ネパールへ行った際にはヒンドゥーの髪や仏教の仏についていろいろ学ぶ機会がありましたが、この像にはチベット仏教の影響を感じます。

  • ちなみにこの菩薩は垂直の第3の目がありますが、唯一インドラ神だけが水平の第3の目を持っています。

    ちなみにこの菩薩は垂直の第3の目がありますが、唯一インドラ神だけが水平の第3の目を持っています。

  • 仏像の持ち物を持物(じぶつ)といいます。代表的な持ち物は蓮華、水瓶、薬壺、宝珠、錫杖、恵みをもたらす法輪、宝塔、羂索、金剛鈴、数珠、経巻、悪を退散させる寳剱、寶棒、金剛杵、寶戟、弓矢、鋮斧、払子です。ここにもその多くを見ることが出来ると同時に、印を結んだ指先も目で追ってしまいます。

    仏像の持ち物を持物(じぶつ)といいます。代表的な持ち物は蓮華、水瓶、薬壺、宝珠、錫杖、恵みをもたらす法輪、宝塔、羂索、金剛鈴、数珠、経巻、悪を退散させる寳剱、寶棒、金剛杵、寶戟、弓矢、鋮斧、払子です。ここにもその多くを見ることが出来ると同時に、印を結んだ指先も目で追ってしまいます。

  • 「釈迦牟尼涅槃図」は龕の長さ32メートル、高さ6.8メートルあります。仏教絵画に照らして上半身を露出させた釈迦牟尼像が頭を北に、足を南に、顔を西に、背を東に向けて龕内に横たわっています。余談ですが、これが後に一般の俗人が亡くなった時に「北枕」とされる由縁となりました。

    「釈迦牟尼涅槃図」は龕の長さ32メートル、高さ6.8メートルあります。仏教絵画に照らして上半身を露出させた釈迦牟尼像が頭を北に、足を南に、顔を西に、背を東に向けて龕内に横たわっています。余談ですが、これが後に一般の俗人が亡くなった時に「北枕」とされる由縁となりました。

  • 慧眼(けいがん)をわずかに閉じて、その表情は安らかです。

    慧眼(けいがん)をわずかに閉じて、その表情は安らかです。

  • 仏前には半身である20数人の弟子たちと菩薩、護法(神霊)などの像がうやうやしく立っており、いずれも粛然として厳かな雰囲気を感じます。

    仏前には半身である20数人の弟子たちと菩薩、護法(神霊)などの像がうやうやしく立っており、いずれも粛然として厳かな雰囲気を感じます。

  • 釈迦は悟りを開いてから45年の間に人々に教えを説き仏教を広めました。そして80歳でクシナガラ(インドのウッタル・プラデーシュ州)で亡くなりました。涅槃とは煩悩から解放された状態であり悟りの境地のことをいいます。

    釈迦は悟りを開いてから45年の間に人々に教えを説き仏教を広めました。そして80歳でクシナガラ(インドのウッタル・プラデーシュ州)で亡くなりました。涅槃とは煩悩から解放された状態であり悟りの境地のことをいいます。

  • 涅槃仏も素晴らしいのですが、周囲の菩薩の伏せた視線が印象深く感じました。

    涅槃仏も素晴らしいのですが、周囲の菩薩の伏せた視線が印象深く感じました。

  • よくある涅槃図では釈迦の周りで泣き叫ぶ羅漢や弟子の姿がありますが、この静かな雰囲気は初めて感じるものでした。

    よくある涅槃図では釈迦の周りで泣き叫ぶ羅漢や弟子の姿がありますが、この静かな雰囲気は初めて感じるものでした。

  • 「九龍浴太子図」<br />ゴータマ・シッダッタ(釈迦)は今から約2500年前の4月8日にマヤ婦人が里帰りの途中もネパールのルンビニの花園で釈迦牟尼は生まれました。その時に9頭の竜が現れ、冷暖二水を吐き沐浴させ、誕生を祝ったと言われます。

    「九龍浴太子図」
    ゴータマ・シッダッタ(釈迦)は今から約2500年前の4月8日にマヤ婦人が里帰りの途中もネパールのルンビニの花園で釈迦牟尼は生まれました。その時に9頭の竜が現れ、冷暖二水を吐き沐浴させ、誕生を祝ったと言われます。

  • 日本では誕生してすぐに七歩あゆみ、右手で天を指さし、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言われたという伝説が有名です。この旅の後の4月になってから身延山で花まつりの甘茶を掛ける機会があり、この時のことを思い出しました。

    日本では誕生してすぐに七歩あゆみ、右手で天を指さし、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言われたという伝説が有名です。この旅の後の4月になってから身延山で花まつりの甘茶を掛ける機会があり、この時のことを思い出しました。

  • 「孔雀明王経変相」<br />孔雀明王は仏教の信仰対象で、密教特有の尊格である明王の1つです。衆生を利益する徳を表すとされます。元来はインドの女神マハーマーユーリーで、「偉大な孔雀」の意味を持ちます。

    「孔雀明王経変相」
    孔雀明王は仏教の信仰対象で、密教特有の尊格である明王の1つです。衆生を利益する徳を表すとされます。元来はインドの女神マハーマーユーリーで、「偉大な孔雀」の意味を持ちます。

  • 憤怒の相が特徴である明王のなかでは珍しく慈悲を表した菩薩形をしています。孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されています。4本の手にはそれぞれ倶縁果、吉祥果、蓮華、孔雀の尾羽根を持っています。

    憤怒の相が特徴である明王のなかでは珍しく慈悲を表した菩薩形をしています。孔雀の上に乗り、一面四臂の姿で表されています。4本の手にはそれぞれ倶縁果、吉祥果、蓮華、孔雀の尾羽根を持っています。

  • この石刻は仏教の「漢密道場」となっていると感じます。密教はインドから中国に伝わり、各地で大きく2派に分かれて発展していきました。つまり、チベット地域に伝わったのが蔵密(チベット密教)で、漢族地域に伝わったのが漢密と呼びます。

    この石刻は仏教の「漢密道場」となっていると感じます。密教はインドから中国に伝わり、各地で大きく2派に分かれて発展していきました。つまり、チベット地域に伝わったのが蔵密(チベット密教)で、漢族地域に伝わったのが漢密と呼びます。

  • 漢密は一般には唐の開元年間の713~741年から、「開元三大士」と呼ばれる3人のインドの高僧、善無畏、金剛智、不空が中国でその教えを広めたとされます。その後さらに高僧の一行や恵果がつづいてその教えを広めていきます。唐の貞元20年の804年に日本の僧の空海が中国に渡り、師の恵果より密教を学び、教えを修めて帰国し、日本で「東密」を初めて興し、真言宗の開祖となりました。

    漢密は一般には唐の開元年間の713~741年から、「開元三大士」と呼ばれる3人のインドの高僧、善無畏、金剛智、不空が中国でその教えを広めたとされます。その後さらに高僧の一行や恵果がつづいてその教えを広めていきます。唐の貞元20年の804年に日本の僧の空海が中国に渡り、師の恵果より密教を学び、教えを修めて帰国し、日本で「東密」を初めて興し、真言宗の開祖となりました。

  • 「毘盧道場」と書かれた石窟の中です。石窟は高さ6.9メートル、幅8.0メートル、奥行きは5.0メートルあります。その中に287体の仏像が納められています。

    「毘盧道場」と書かれた石窟の中です。石窟は高さ6.9メートル、幅8.0メートル、奥行きは5.0メートルあります。その中に287体の仏像が納められています。

  • 左側の壁面のかなり傷んでいますが、右側の壁面の仏たちは色鮮やかな姿を遺しています。

    左側の壁面のかなり傷んでいますが、右側の壁面の仏たちは色鮮やかな姿を遺しています。

  • 毘盧遮那仏は塔のような建物の中で周りの仏たちに説法を説いているように見えます。

    毘盧遮那仏は塔のような建物の中で周りの仏たちに説法を説いているように見えます。

  • 「父母恩重経変相」<br />佛説父母恩重難報経は一般に「父母恩重経」または「父母恩重難報経」と呼ばれ、ひたすらに父母の恩に報いるべきという儒教的な人倫の教えを説く偽経です。

    「父母恩重経変相」
    佛説父母恩重難報経は一般に「父母恩重経」または「父母恩重難報経」と呼ばれ、ひたすらに父母の恩に報いるべきという儒教的な人倫の教えを説く偽経です。

  • 母親による託児出産と乳哺養育の恩を詳述し、孝養の実践を説くことで知られる「父母恩重経」は仏教と道教それぞれに類似した内容の経典が存在します。

    母親による託児出産と乳哺養育の恩を詳述し、孝養の実践を説くことで知られる「父母恩重経」は仏教と道教それぞれに類似した内容の経典が存在します。

  • 1「懐胎守護(かいたいしゅご)の恩」<br />始めて子を体内に受けてから十ヶ月の間は苦悩の休む時がないために、他の何もほしがる心も生まれず、ただ一心に安産ができることを思うのみです。

    1「懐胎守護(かいたいしゅご)の恩」
    始めて子を体内に受けてから十ヶ月の間は苦悩の休む時がないために、他の何もほしがる心も生まれず、ただ一心に安産ができることを思うのみです。

  • 2「臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩」<br />出産時の陣痛による苦しみは耐え難いものであるとされ、父も心配から身や心がおののき恐れ、祖父母や親族の人々も皆心を痛めて母と子の身を案じます。

    2「臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩」
    出産時の陣痛による苦しみは耐え難いものであるとされ、父も心配から身や心がおののき恐れ、祖父母や親族の人々も皆心を痛めて母と子の身を案じます。

  • 3「生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩」<br />出産後は父母の喜びは限りなく、それまでの苦しみを忘れ、母は子が声をあげて泣き出したときに、自分もはじめて生まれてきたような喜びに染まると説きます。

    3「生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩」
    出産後は父母の喜びは限りなく、それまでの苦しみを忘れ、母は子が声をあげて泣き出したときに、自分もはじめて生まれてきたような喜びに染まると説きます。

  • 4「乳哺養育(にゅうほよういく)の恩」<br />花のような顔色だった母親が子供に乳をやり、育てる中の数年間で憔悴しきってしまいます。

    4「乳哺養育(にゅうほよういく)の恩」
    花のような顔色だった母親が子供に乳をやり、育てる中の数年間で憔悴しきってしまいます。

  • 5「廻乾就湿(かいかんじつしつ)の恩」<br />水のような霜の夜も氷のような雪の暁にも乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝る母の愛情を示します。

    5「廻乾就湿(かいかんじつしつ)の恩」
    水のような霜の夜も氷のような雪の暁にも乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝る母の愛情を示します。

  • 6「洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩」<br />子がふところや衣服に尿するも自らの手で洗いすすぎ、臭穢をいといません。

    6「洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩」
    子がふところや衣服に尿するも自らの手で洗いすすぎ、臭穢をいといません。

  • 7「嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩」<br />親は不味いものを食べ、美味しいものは子に食べさせます。

    7「嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩」
    親は不味いものを食べ、美味しいものは子に食べさせます。

  • 8「為造悪業(いぞうあくごう)の恩」<br />子供のためには、「止むを得ず悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじます。

    8「為造悪業(いぞうあくごう)の恩」
    子供のためには、「止むを得ず悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじます。

  • 9「遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩」<br />子供が遠くへ行ったら帰ってくるまで四六時中心配します。

    9「遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩」
    子供が遠くへ行ったら帰ってくるまで四六時中心配します。

  • 10「究竟憐愍(くつきょうれんみん)の恩」<br />自分が生きている間はこの苦しみを一身に引き受けようとし、死後も子を護りたいと願います。

    10「究竟憐愍(くつきょうれんみん)の恩」
    自分が生きている間はこの苦しみを一身に引き受けようとし、死後も子を護りたいと願います。

  • 仏陀がラージャグリハの近くの「霊鷲山」と呼ばれる山中にいたときに多くの出家や在家の仏弟子たちに下記のように語ったとされます。

    仏陀がラージャグリハの近くの「霊鷲山」と呼ばれる山中にいたときに多くの出家や在家の仏弟子たちに下記のように語ったとされます。

  • 父には慈しみの恩あり、母には悲(あわ)れみの恩がある。人がこの世に生まれるのは前世の業を原因として、父と母の縁によるのである。気を父の胤にうけ、肉体を母の胎内にあずけるのである。この因縁をもつゆえに、悲母の子を思う心は世間に比べるものはなく、その恩は未だこの世に生まれぬ先にも及んでいるのである。

    父には慈しみの恩あり、母には悲(あわ)れみの恩がある。人がこの世に生まれるのは前世の業を原因として、父と母の縁によるのである。気を父の胤にうけ、肉体を母の胎内にあずけるのである。この因縁をもつゆえに、悲母の子を思う心は世間に比べるものはなく、その恩は未だこの世に生まれぬ先にも及んでいるのである。

  • 「大方便佛報恩経変相」<br />あるときインドのバラモンと呼ばれる身分の高い僧が、釈迦が出家したことは親を苦しめ、その恩を忘れた行ないであると非難しました。これに対してこの経では釈迦はすべての人びとを救済するために出家したのだから、それこそが父母の恩に報いうる「報恩行」であること、また釈迦が前世においてどれだけ親孝行を尽くしたかを説いています。<br />

    「大方便佛報恩経変相」
    あるときインドのバラモンと呼ばれる身分の高い僧が、釈迦が出家したことは親を苦しめ、その恩を忘れた行ないであると非難しました。これに対してこの経では釈迦はすべての人びとを救済するために出家したのだから、それこそが父母の恩に報いうる「報恩行」であること、また釈迦が前世においてどれだけ親孝行を尽くしたかを説いています。

  • 岩壁の中央には釈迦牟尼の巨大な半身像が彫られ、その左右には親孝行を表す12組の彫像が並んでいます。中央に向かって拍子木を叩く人に踊る人が続いています。

    岩壁の中央には釈迦牟尼の巨大な半身像が彫られ、その左右には親孝行を表す12組の彫像が並んでいます。中央に向かって拍子木を叩く人に踊る人が続いています。

  • その全てを写真に撮りきれませんでしたが、「わが身の肉を割って父母に供する」「我が身を虎の餌にする」「父の疾病を治療するためにわが眼と骨髄を取り出す」「親孝行をする鸚鵡」「挑担孝子」などの場面があるようです。

    その全てを写真に撮りきれませんでしたが、「わが身の肉を割って父母に供する」「我が身を虎の餌にする」「父の疾病を治療するためにわが眼と骨髄を取り出す」「親孝行をする鸚鵡」「挑担孝子」などの場面があるようです。

  • 左では螺髪(らほつ)の釈迦が父親を看病する姿も見えます。

    左では螺髪(らほつ)の釈迦が父親を看病する姿も見えます。

  • そして亡くなった父親の棺を担ぐ釈迦の姿も見ることが出来ます。自分の人生と重なってきて胸が締め付けられるような気分になってきます。

    そして亡くなった父親の棺を担ぐ釈迦の姿も見ることが出来ます。自分の人生と重なってきて胸が締め付けられるような気分になってきます。

  • 迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物です。一般的に迦陵頻伽の描かれた図像は浄土を表現していると理解され、同時に如来の教えを称えることを意図しています。水色の七宝紋は無限に連鎖する平和や円満を意味する輪の交叉から成る文様で、「無限の子孫繁栄」を表す吉祥紋として用いられます。

    迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物です。一般的に迦陵頻伽の描かれた図像は浄土を表現していると理解され、同時に如来の教えを称えることを意図しています。水色の七宝紋は無限に連鎖する平和や円満を意味する輪の交叉から成る文様で、「無限の子孫繁栄」を表す吉祥紋として用いられます。

  • 60歳を過ぎてここに来ることが出来ましたが、「父母恩重経変相」を見て両親への恩を改めて感じ、「大方便佛報恩経変相」ではちゃんと親孝行が出来たのだろうかと考えさせられます。

    60歳を過ぎてここに来ることが出来ましたが、「父母恩重経変相」を見て両親への恩を改めて感じ、「大方便佛報恩経変相」ではちゃんと親孝行が出来たのだろうかと考えさせられます。

  • 「観無量寿仏経変相」へと石刻は続いていきます。「観無量寿経 (略して観経) 」の所説に拠って描かれた阿弥陀浄土変相で観経曼荼羅ともいいます。極楽浄土の景観を描いた浄土変相図の左右や下縁に、観経の序文説話や十六観相の各場面を描き並べたものです。唐の善導の「観無量寿経疏」に基づいて構成されたものは、下縁に九品 (くぼん) 往生 (来迎) 観の各場面を配するところに特色があります。

    「観無量寿仏経変相」へと石刻は続いていきます。「観無量寿経 (略して観経) 」の所説に拠って描かれた阿弥陀浄土変相で観経曼荼羅ともいいます。極楽浄土の景観を描いた浄土変相図の左右や下縁に、観経の序文説話や十六観相の各場面を描き並べたものです。唐の善導の「観無量寿経疏」に基づいて構成されたものは、下縁に九品 (くぼん) 往生 (来迎) 観の各場面を配するところに特色があります。

  • 中央には阿弥陀仏、観音菩薩と大勢至菩薩が配され、西方三聖と呼ばれます。

    中央には阿弥陀仏、観音菩薩と大勢至菩薩が配され、西方三聖と呼ばれます。

  • 阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式で、その根拠は「無量寿経」やこの「観無量寿経」とされます。観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされます。

    阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式で、その根拠は「無量寿経」やこの「観無量寿経」とされます。観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされます。

  • ここに立ちながら右から左に向かって歩いていると経典を立体的にビジュアル化したものなのだと感じてきます。

    ここに立ちながら右から左に向かって歩いていると経典を立体的にビジュアル化したものなのだと感じてきます。

  • キリスト教教会でも文字の読めない人のためにフレスコ画やモザイクやステンドガラスでその教えや物語を表していますが、同じような考えがここに感じられます。

    キリスト教教会でも文字の読めない人のためにフレスコ画やモザイクやステンドガラスでその教えや物語を表していますが、同じような考えがここに感じられます。

  • 旧約聖書や新約聖書の場面はそこに表された場面や人物のアトリビュートから読み解くことはある程度できるようになりましたが、仏教についてはまだまだ知らないことが多いと思います。

    旧約聖書や新約聖書の場面はそこに表された場面や人物のアトリビュートから読み解くことはある程度できるようになりましたが、仏教についてはまだまだ知らないことが多いと思います。

  • 延々と続いた立体の経典「地獄経変像」に続きます。

    延々と続いた立体の経典「地獄経変像」に続きます。

  • 中央には地蔵菩薩の姿が見えます。地蔵菩薩は仏教の信仰対象である菩薩の一尊で、釈尊が入滅してから56億7000万年後に弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされます。

    中央には地蔵菩薩の姿が見えます。地蔵菩薩は仏教の信仰対象である菩薩の一尊で、釈尊が入滅してから56億7000万年後に弥勒菩薩が成仏するまでの無仏時代の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされます。

  • 現世に仏が不在となってしまうその間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされます。

    現世に仏が不在となってしまうその間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩であるとされます。

  • 地蔵菩薩の左右の上段には圓窓に彫られた仏の姿があり、その下には「十王」の姿も見えます。十王(じゅうおう)は道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官的な尊格を指します。

    地蔵菩薩の左右の上段には圓窓に彫られた仏の姿があり、その下には「十王」の姿も見えます。十王(じゅうおう)は道教や仏教で地獄において亡者の審判を行う10尊の裁判官的な尊格を指します。

  • 生前に十王を祀れば死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、それを「預修」と呼びました。十王は死者の罪の多寡に鑑み、地獄へ送ったり六道への輪廻を司るなどの職掌を持つため、畏怖の対象となりました。

    生前に十王を祀れば死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、それを「預修」と呼びました。十王は死者の罪の多寡に鑑み、地獄へ送ったり六道への輪廻を司るなどの職掌を持つため、畏怖の対象となりました。

  • 死者の審理は通常7回行われます。没して後に七日ごとにそれぞれ「秦広王」(初七日)「初江王」(十四日)「宋帝王」(二十一日)「五官王」(二十八日)「閻魔王」(三十五日)「変成王」(四十二日)「泰山王」(四十九日)の順番で1回ずつ審理を担当します。7回の審理で決まらない場合は、追加の審理が3回、「平等王」(百ヶ日忌)「都市王」(一周忌)「五道転輪王」(三回忌)となる。ただし、7回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質的な救済処置です。日本では閻魔王だけが突出して有名になっています。

    死者の審理は通常7回行われます。没して後に七日ごとにそれぞれ「秦広王」(初七日)「初江王」(十四日)「宋帝王」(二十一日)「五官王」(二十八日)「閻魔王」(三十五日)「変成王」(四十二日)「泰山王」(四十九日)の順番で1回ずつ審理を担当します。7回の審理で決まらない場合は、追加の審理が3回、「平等王」(百ヶ日忌)「都市王」(一周忌)「五道転輪王」(三回忌)となる。ただし、7回で決まらない場合でも六道のいずれかに行く事になっており、追加の審理は実質的な救済処置です。日本では閻魔王だけが突出して有名になっています。

  • その下では仏教が宣揚する「十八層地獄」の場面が描かれています。ここでは仏教で乱生とされた飲酒について描いています。

    その下では仏教が宣揚する「十八層地獄」の場面が描かれています。ここでは仏教で乱生とされた飲酒について描いています。

  • 飲酒や人に酒を勧める人は地獄に落ちると考えられています。宋時代の街角の酒屋の情景から戒めを描いています。

    飲酒や人に酒を勧める人は地獄に落ちると考えられています。宋時代の街角の酒屋の情景から戒めを描いています。

  • 古代中国の刑法制度では枷刑は長い間、一般的な刑罰手段として使用されてきました。 囚人が枷に入れられた後、通常は公共の場所に示され、罪状は枷に書かれています。 この形式の罰は囚人を肉体的に罰し、公の場で見せることを通じて精神的抑圧を与えました。

    古代中国の刑法制度では枷刑は長い間、一般的な刑罰手段として使用されてきました。 囚人が枷に入れられた後、通常は公共の場所に示され、罪状は枷に書かれています。 この形式の罰は囚人を肉体的に罰し、公の場で見せることを通じて精神的抑圧を与えました。

  • そして地獄絵図が広がります。「鉄輪地獄」など日本人でも知っている地獄の姿も描かれています。

    そして地獄絵図が広がります。「鉄輪地獄」など日本人でも知っている地獄の姿も描かれています。

  • 子供の頃に善光寺へ参拝した祖母がお土産に地獄について描かれた絵本を買ってきてくれたことがありました。それを読んで以降地獄について非常に興味深く思うようになりました。それ以降記紀のイザナギとイザナミの黄泉の国の物語やダンテの神曲の地獄篇と煉獄篇は愛読書になりました。

    子供の頃に善光寺へ参拝した祖母がお土産に地獄について描かれた絵本を買ってきてくれたことがありました。それを読んで以降地獄について非常に興味深く思うようになりました。それ以降記紀のイザナギとイザナミの黄泉の国の物語やダンテの神曲の地獄篇と煉獄篇は愛読書になりました。

  • さらに香港のタイガーバームガーデンやシンガポールのハウパーヴィラ (虎豹別墅)けと思いは広がりました。三島由紀夫の「美に逆らうもの}と形容された香港のタイガーバームガーデンはすでに失われていますが、シンガポールにある弟の遺しハウパパーヴィラは自分にとって天国のような場所でした。<br />ハウパ―ヴィラ:https://4travel.jp/travelogue/10897371

    さらに香港のタイガーバームガーデンやシンガポールのハウパーヴィラ (虎豹別墅)けと思いは広がりました。三島由紀夫の「美に逆らうもの}と形容された香港のタイガーバームガーデンはすでに失われていますが、シンガポールにある弟の遺しハウパパーヴィラは自分にとって天国のような場所でした。
    ハウパ―ヴィラ:https://4travel.jp/travelogue/10897371

  • 「柳本尊修業図」<br />色の鮮やかな部分は宝頂山の石刻建築を監督した趙智鳳の祖師である柳本尊の修行と説法を表現しています。

    「柳本尊修業図」
    色の鮮やかな部分は宝頂山の石刻建築を監督した趙智鳳の祖師である柳本尊の修行と説法を表現しています。

  • 柳本尊は唐の時代の855年に生まれた密教(川密)の伝道者で、大仏で有名な楽山出身の僧侶です。本名は柳居直といいますが激しい十の修行と説法をしたため。本尊の称号を得て柳本尊と呼ばれました。

    柳本尊は唐の時代の855年に生まれた密教(川密)の伝道者で、大仏で有名な楽山出身の僧侶です。本名は柳居直といいますが激しい十の修行と説法をしたため。本尊の称号を得て柳本尊と呼ばれました。

  • 柳本尊の行った苦行は香を指に付けて焼く「煉指」雪の上に立つ「立雪」足首を焼く「煉踝」目をえぐる「剜眼」耳を切る「割耳」心を精錬する「煉心」頭を精錬する「煉頂」腕を落とす「舍臂」陰を精錬する「煉陰」膝を精錬する「煉膝」というかなり激しいものだったようです。

    柳本尊の行った苦行は香を指に付けて焼く「煉指」雪の上に立つ「立雪」足首を焼く「煉踝」目をえぐる「剜眼」耳を切る「割耳」心を精錬する「煉心」頭を精錬する「煉頂」腕を落とす「舍臂」陰を精錬する「煉陰」膝を精錬する「煉膝」というかなり激しいものだったようです。

  • 本尊の下段には「十大明王」の姿もありますが、その凛々しい姿と躍動感には魅了されます。「十忿怒尊(じゅうふんぬそん)」とも呼ばれ、チベット密教を含む後期密教の尊格でもあります。

    本尊の下段には「十大明王」の姿もありますが、その凛々しい姿と躍動感には魅了されます。「十忿怒尊(じゅうふんぬそん)」とも呼ばれ、チベット密教を含む後期密教の尊格でもあります。

  • ①「馬首明王」②「降三世明王」③「憤怒不動明王」④「大威德明王」⑤「大火頭明王」⑥「大穢跡明王」⑦「大笑金剛明王」⑧「金剛明王」⑨「大輪金剛明王」⑩「?擲明王」の明王たちの像です。

    ①「馬首明王」②「降三世明王」③「憤怒不動明王」④「大威德明王」⑤「大火頭明王」⑥「大穢跡明王」⑦「大笑金剛明王」⑧「金剛明王」⑨「大輪金剛明王」⑩「?擲明王」の明王たちの像です。

  • 「大威徳明王」の梵名のヤマーンタカとは「死神ヤマをも降す者」の意味で、チベット仏教ではヴァジュラバイラヴァと呼ばれます。バイラヴァとはインド神話の主神の一柱であるシヴァ神の最も強暴な面「バイラヴァ」のことです。昨年9月にネパールでチベット仏教の仏やヒンドゥー教の神について学んだことが役に立ちます。

    「大威徳明王」の梵名のヤマーンタカとは「死神ヤマをも降す者」の意味で、チベット仏教ではヴァジュラバイラヴァと呼ばれます。バイラヴァとはインド神話の主神の一柱であるシヴァ神の最も強暴な面「バイラヴァ」のことです。昨年9月にネパールでチベット仏教の仏やヒンドゥー教の神について学んだことが役に立ちます。

  • 「降三世明王」はサンスクリット語でトライローキャ・ヴィジャヤといい、正確には「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」の意味があります。

    「降三世明王」はサンスクリット語でトライローキャ・ヴィジャヤといい、正確には「三千世界の支配者シヴァを倒した勝利者」の意味があります。

  • 「馬首明王」は観音菩薩の変化身の1つであり、梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意味があります。他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒相であるため、密教では「馬頭明王」とされます。

    「馬首明王」は観音菩薩の変化身の1つであり、梵名のハヤグリーヴァは「馬の首」の意味があります。他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒相であるため、密教では「馬頭明王」とされます。

  • 現在中国に残された「十大明王」の実例はこれしかないといわれます。また最下段が完成されていないのはこの石窟を建造しているときに、モンゴル軍が当地にも攻めてきたため中断せざるを得なかったということのようです。「与佛有縁」とは仏様とのご縁が有りますという意味です。

    現在中国に残された「十大明王」の実例はこれしかないといわれます。また最下段が完成されていないのはこの石窟を建造しているときに、モンゴル軍が当地にも攻めてきたため中断せざるを得なかったということのようです。「与佛有縁」とは仏様とのご縁が有りますという意味です。

  • 一番気に入ったのは「大穢跡明王」の憤怒の顔です。仏教では「眼」について深く考察していて、三眼とは「肉眼」「天眼」「慧眼」をいいます。肉眼とは遮るものがない可視的物質のみを見る眼、すなわち我々の持つ眼です。天眼とは遮られている可視的物質をも見ることができ、あるいは遥か遠くのものを見ることができます。

    一番気に入ったのは「大穢跡明王」の憤怒の顔です。仏教では「眼」について深く考察していて、三眼とは「肉眼」「天眼」「慧眼」をいいます。肉眼とは遮るものがない可視的物質のみを見る眼、すなわち我々の持つ眼です。天眼とは遮られている可視的物質をも見ることができ、あるいは遥か遠くのものを見ることができます。

  • 当初は1時間の予定の宝頂山石刻の見学でしたが、大きく予定を過ぎて終わりました。ガイドさんも熱心に説明してくれたのがよく伝わりました。

    当初は1時間の予定の宝頂山石刻の見学でしたが、大きく予定を過ぎて終わりました。ガイドさんも熱心に説明してくれたのがよく伝わりました。

  • 山中をぐるりと1周して元の場所に戻りました。

    山中をぐるりと1周して元の場所に戻りました。

  • 先ほど見学してきた「釈迦牟尼涅槃図」の手前にある曲がりくねった水路は「九曲連河」といいます。

    先ほど見学してきた「釈迦牟尼涅槃図」の手前にある曲がりくねった水路は「九曲連河」といいます。

  • 「九龍浴太子図」もまた違ったアングルで見下ろすことが出来ました。

    「九龍浴太子図」もまた違ったアングルで見下ろすことが出来ました。

  • 「孔雀明王経変相」も1000年もの間ここに坐しているのだと思うと、宋時代の人々の仏教に向けた信心の強さを改めて感じます。

    「孔雀明王経変相」も1000年もの間ここに坐しているのだと思うと、宋時代の人々の仏教に向けた信心の強さを改めて感じます。

  • 同じルートで表に出て電動カートに乗り込みます。

    同じルートで表に出て電動カートに乗り込みます。

  • 中国の整備された観光地は日本の比ではないと思います。近年の中国政府は国民に向けて国内旅行を奨励しているようですが、こんな電動カートは20年近く前からでき始めていました。

    中国の整備された観光地は日本の比ではないと思います。近年の中国政府は国民に向けて国内旅行を奨励しているようですが、こんな電動カートは20年近く前からでき始めていました。

  • 駐車場からはバスに乗り込んで大足市内に向かいます。お昼をだいぶ過ぎましたが、ようやくお昼ご飯にありつけそうです。

    駐車場からはバスに乗り込んで大足市内に向かいます。お昼をだいぶ過ぎましたが、ようやくお昼ご飯にありつけそうです。

  • しかし菜の花が盛りの美しい季節でした。

    しかし菜の花が盛りの美しい季節でした。

  • ここでもまだ高速鉄道の建設が進んでいるようです。いったい中国はどこまで鉄道網を広げるのでしょうか。

    ここでもまだ高速鉄道の建設が進んでいるようです。いったい中国はどこまで鉄道網を広げるのでしょうか。

17いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

2025三峡下りクルーズ

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 273円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP