2025/03/26 - 2025/03/26
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kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
「宣昌」のターミナルからバスに乗って、まずは市内の「酔愛我家」というレストランに入りました。かなり高級店のようで10人用のテーブルが1つづつの個室に分かれて入ります。ここでも船上の延長のようで決まったメンバーごとに分かれたようです。美味しい料理をいただいた後は再びバスに乗り込んで高速を飛ばして「荊州」に向かいます。車窓からは延々と続く菜の花畑がとてもきれいです。1時間ほど走った後に「荊州古城」のエリアに到着し、広大な城壁と掘割の間を散策します。ちょうどサクラや桃の花が咲く季節だったのは良かったと思います。巨大な城門まであるいて周辺を観光します。少し自由時間もあったので城門の上に登ると歴史上の様々な武将たちの争奪の地となり、特に後漢末期から三国時代にかけては激しい戦いが繰り広げられたことが頭に浮かんできます。荊州は長江中流の水運による交通と物流の拠点で戦略上の要地でもあり、「兵家必争の地」とされ、後漢末期の「赤壁の戦い」は荊州の東部の烏林で起こっています。ここまで来ていながら格安ツアーなので赤壁に行くことはありません。関羽に思いを馳せながら荊州の観光を終えて、バスは最終地の「武漢」を目指します。高速道路からの風景は再び延々と続く菜の花畑と時折見えるすっぽんと毛沢東の好きだった武昌魚の養殖池が見えます。午後8時頃にようやく「武漢」に着き、長江に架かる「武漢長江大橋」を渡ると美しい夜景が見えました。同じように美しい夜景だった重慶から始まった旅もここで終わりなのだなと感じます。その先にある「黄鶴楼」はプロジェクションマッピングで輝いていましたが、通過するタイミングで明かりが消えてしまったのが残念でした。ホテルに入る前に「国賓楼」という高級料理店で湖北料理をいただきました。ツアーの皆さんと一緒に食事をするのここれが最後です。遅い時間に「武漢最佳西方五月花大酒店(ベストウェスタンプレミア武漢メイフラワーズ)」にチェックインして、近所のスーパーで買い物をして長い1日が終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「宣昌」のターミナルからバスに乗って、まずは市内の「酔愛我家」というレストランに入りました。ここはかなり高級店の様な内装です。
宜昌・三峡空港 (YIH) 空港
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船を降りても円卓2つは変わらず、座るメンバーも同じような顔ぶれになります。ビールは1本20元で、今までのレストランの中では一番高かったです。
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ジャガイモの細切り炒めはよくありますが、ここでは賽の目切りになったものが炒められています。1皿目でこのレストランは美味しいと確信します。
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スルメのフライも唐辛子をかけていただきます。マヨネーズが無くても十分に美味しい料理でビールが進みます。
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湖に住む白魚は太湖白魚が有名でとても美味しいです。そんな魚の乗った茶碗蒸しです。醤油味が体に沁みるやさしい味です。
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鴨のローストは骨付きで皮目がカリカリでとても美味しいです。
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揚げ鶏を1羽丸々ぶつ切りにして煮込んだ料理も本格的で美味しいです。
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さっぱりとした薄い塩味の売りの煮込みは濃い味の料理が多い中で息抜きになります。トロトロで美味しい料理です。
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木綿豆腐をシンプルに炒めた料理。
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一番ご飯が進むのはこの豚肉とキュウリときくらげの旨煮です。キュウリを炒め物に使うのは日本ではあまり発想としてありませんが、シンプルに美味しい料理です。
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青菜炒めもシンプルに油通しした程度なので、シャキシャキしてニンニクも効いて美味しいです。
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蒸し魚(清蒸魚)は醤油味で見た目も美しいのですが、小骨が多いのでいつも手を付けません。湖北省は「千湖之省」というように、南部を中心に長江や洪湖のような河川と湖沼が多く、北部にも漢水が流れるため淡水魚を使った料理が発達しています。
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美味しい食事の後はバスに乗って「荊州」を目指します。「宜昌」の観光はありませんが歴史は長く、長江の三峡の入口として軍事的に重要な地でした。楚と巴の文化の発祥の地と言われ、詩人で政治家である屈原や中国四大美人の1人である王昭君の故郷とされます。また三国時代には「夷陵の戦いの戦場」となっています。
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王昭君については前の旅行記で書き込みましたが、屈原については「荊州」で石像と会うことになります。現在の「宜昌」は緑の多い美しい町でした。
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バスに乗るとガイドの陳さんから注意事項の説明があり、出入り口の脇にその紙が貼られました。多分阪急交通社からの指示なのだと思いますが、写真も撮らなければならないようです。
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今回はタクシーに乗る機会はありませんでしたが、最近はアプリで呼ぶことが多いようです。以前は流しのタクシーも多く、お土産に持って帰りたいと思うのがタクシーでした。
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「宜昌」の町を出ると風景は一変してカントリーサイドの懐かしさを感じます。
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湖北省に入っても菜の花の季節で、延々と黄色い絨毯が広がっているようです。
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バスで1時間ほど走ったところで「枝江停車区」というサービスエリアでトイレ休憩がありました。トイレよりも売店で売っているその地特産のものに興味があるのですが、ここでは面白そうなものはありませんでした。
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高速道路の脇には延々と送水管が見えていました。また街路樹はポプラのようで白い綿毛が舞っています。
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この日は「荊州」に立ち寄って、最終的には「武漢」を目指します。まだまだ先は長いようです。
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そして再び菜の花畑が続きます。
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「荊州」で高速を降ります。大抵がこのように屋根を乗せた牌楼のデザインになった料金所を通ります。
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このタイプの三輪車は中国の農村部ではよく見掛けます。小回りも効いて便利なのでしょうね。荷台一杯に果物や野菜を積んで、そのまま商売することも出来ます。
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到着したのは「荊州古城」の入り口です。ここでバスを降ります。
荊州博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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「旅客中心」でガイドさんがチケットを購入している間にクーラーの前で一休みします。旅行で天気が良すぎるのも考えものです。
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現在地はロの字になった荊州古城の濠の右上にいます。そのまま南に下って一番短い辺の中央にある東門の城楼「賓陽楼」まで往復するようです。南側の中央にある「関帝廟」へは参拝しないのが残念です。
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「荊州」は長江中流の水運による交通と物流の拠点で戦略上の要地であり、「兵家必争の地」とされました。後漢末期の「赤壁の戦い」は荊州市域の東部の「烏林」で起こっています。三国時代には魏・呉・蜀(蜀漢)三国の境界の地となった地です。
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208年曹操は南下して劉表の所に身を寄せていた劉備を追撃し当陽で徹底的に潰しましたが、赤壁の戦いでは孫権と劉備の連合軍に大打撃を受け、雨と泥の華容道を経て江陵に退却しました。曹操は曹仁や徐晃らに江陵城を守らせ、自身は許昌に帰りました。周瑜と程普は曹仁と対陣し、甘寧に夷陵を占拠させ、さらに呂蒙と周瑜がこれを助けて北岸に陣取り、ついに曹仁は退却し荊州は呉のものとなりました。209年の末に劉備は呉に荊州を借り、ホウ統を得て四川に入り、諸葛亮、張飛、趙雲、関羽らに荊州を守らせました。215年にホウ統が益州進攻中に亡くなると諸葛亮らは四川に向い、関羽のみが荊州に残りました。
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「劉備借荊州(劉備荊州を借りる)」、「関羽大意失荊州(関羽が不注意で荊州を失う)」なんて言葉が思い出されます。
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道端では大きな慈姑(クワイ)が売られていました。日本の物に比べると倍くらいはあるようです。
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それを包丁で剥いているのですが、大きさは半分くらいになっています。見るからにおいしそうです。
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濠を渡った所には大きな「屈原」の像が立っていました。「屈原」は楚の武王の公子瑕(屈瑕)を祖とする公族の1人で、家柄に加えて博聞強記で詩文にも非常に優れていたために懐王の信任が厚く、賓客を応接する左徒となりました。
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当時の楚は西の秦といかに向き合っていくかが主要な外交問題で、楚の外交方針については臣下は二分していました。「屈原」は秦は信用ならないと必死で説きましたが受け入れられず、心配どおり秦の謀略家張儀の罠に懐王が引っかかり、楚軍は大敗してしまいます。
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大敗の後に一層疎んぜられて、公族子弟の教育役である三閭大夫へ左遷され、政権から遠ざけられます。秦は懐王に縁談を持ちかけ秦に来るように申し入れ、屈原は秦は信用がならない、先年騙されたことを忘れたのかと諫めましたが懐王は親秦派の公子子蘭に勧められて秦に行き、秦に監禁されてしまいます。
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王を捕らえられた楚では太子横を頃襄王として立てました。頃襄王の令尹(丞相)として屈原が嫌いぬいた子蘭が着任したため、更に追われて江南へ左遷されてしまいます。頃襄王21年の紀元前278年に秦により首都の郢が陥落したことで楚の将来に絶望し、屈原は5月5日の端午に石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺しました。屈原の強烈な愛国の情溢れる詩は楚の詩を集めた「楚辞」の中で代表とされます。
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後に5月5日の命日には屈原の無念を鎮めるため、人々は楝樹(せんだん)の葉に米の飯を五色の糸で縛って、川に投げ込むようになりました。これがちまきの由来といわれます。また、伝統的な競艇競技であるドラゴンボート(龍船)は入水した屈原を救出しようと民衆が、先を争って船を出したという故事が由来であると伝えられています。
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ガイドさんにそんな話を教わりながら濠に沿った道を進みます。おりしも桜が満開の季節で、今年の桜は荊州でと洒落込みました。
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周囲は新しい町でビルが立ち並んでいますが、この城壁の周りは時間が止まったようです。
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柳の並木に風が通ります。一句読みたいところですがそんな才能は持ち合わせていません。
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貸衣装やの裏側の日影では麻雀が行われています。もう十数年遊んでいないことに気が付きます。一緒に遊んでいた人たちはそれぞれ退職して会うこともなくなりました。
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ようやく東側の門に到着しました。「荊州古城」は中国北方の城に似ておらず、方正で軸線が対称ではなく、地勢によって起伏し、湖池に沿って迂回し、婉曲していることが実感できました。
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荊州の古い城壁は三国時代に形成され、五代にわたって煉瓦城壁を修理し始め、現存する城壁は明清の城壁であり、王朝を越えて最も多く当初の土城から煉瓦が組み合う唯一の古い城壁と言われます。
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「荊州」には三国の遺跡がどこでも見られるほど数多く、また完全に保存されているようです。劉備は東南部の「公安門」に駐屯し、「荊州大北門金水橋」の外には「得勝街」という街があって、関羽が勝ち戦をしたら必ずこの道を通って戻ったそうです。そのほか「華容古道」「点将台」「馬跑泉」「落冒台」「卸甲山」「擲甲山」などの三国史由来の観光名所も残されています。
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最近はこういったコスプレが流行っているようで、単純な貸衣装の域を越えて、髪形やお化粧迄ばっちり行っています。そして、こういった場所で記念写真を撮るようです。これはこの旅の後に行った北京でもよく見掛けました。
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「賓陽楼」へ入場します。右は人間が昇り降りする階段ですが、中央の煉瓦の斜面は馬道です。左側は馬道を半分潰して、鉄製の階段を設置してあります。こんな急な斜面を馬で駆け上がれるのだろうかと思うほどです。城壁のレンガは古代のものが残さており、枠で囲まれた煉瓦には供給者の名前が刻印されています。
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青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)は中国における大刀の一種。で、名に「青龍」を冠するのは刃の部分に青龍の装飾が施されているためです。小説「三国志演義において、関羽が「冷艶鋸(れいえんきょ)」と呼ばれる青龍偃月刀を愛用していることから関羽を象徴する武器であり、中国語では関刀(ぐあんだお)とも呼ばれます。長い柄の先に湾曲した刃を取り付けたものですが、柄の長さは刃の大きさに対してやや短めになり、これは主に馬上で片手での取り回しの良さを考慮したためのようです。
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「賓陽楼」がある門は「寅賓門」と呼ばれ、城壁の上を一周することが出来ます。荊州城壁は清代の順治3年の1646年に再建された城壁が現在まで残されています。
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昔は中国の各都市に城壁があったようですだが、辛亥革命以後は城壁が持つ都市防衛の機能が薄れ、且つ街の拡大により撤去されていきます。また文革時代の「破四旧運動」で城壁も文化財も破壊されたことからも貴重な城壁と言えます。
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「賓陽楼」の楼閣に上がってみます。後から来るガイドさんは上には上がらなかったので先回りしておいて良かったです。
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上からは荊州古城内の古い通りが見渡せました。古城内には新しいビルもたくさん立ち並んでいるのであまり風情は感じられません。
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ここまで歩いてきた城壁の上は延々と歩けるようになっているのが分かります。個人旅行だったら「南紀門」にある「関帝廟」辺りまで歩きたいところです。こうやってみても西安の城壁の巨大さを改めて感じます。
西安の城壁:https://4travel.jp/travelogue/10442969 -
楼内には劉備玄徳、諸葛亮孔明、関羽と張飛などの像が並んでいます。
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ここで後からガイドさんとやって来た妻たちと合流しました。
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「賓陽楼」から下ると古代のコスプレ衣装の女の子たちが登ってきます。この日は汗ばむ日ほどの気温だったので見ていても気の毒そうでした。
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荊州古城の観光はここまでで、同じルートで駐車場まで戻ります。
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日本の扇子を持っていますが、城門の中のお土産屋にシルク刺繍風の丸うちわが売っていたので買って来ればよかったと思いました。コスプレする時間はありませんが、ちょっと遊べたと思います。
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楚の衣装を着て旅の写真を撮りましょうといった感じでしょうか。衣装は風になびいて風流に思えました。再びバスに乗って最終目的地の「武漢」に向かいます。
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ほんのさわりだけの「荊州」の観光でしたが、三国志と関羽を想いを馳せることは出来た気がします。
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町外れの料金所から高速に乗ります。「荊州」からはバスの2階の一番前の席に座りました。
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「武漢」までは179キロという表示が出ています。
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高速に乗ると再びポプラ並木と菜の花畑が続きます。
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この辺りでは魚の養殖も盛んで、特にすっぽんの養殖が有名だそうです。毛沢東の好きだった武昌魚の養殖池もあるとガイドの陳さんが説明してくれます。
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何でもない風景の連続ですが、中国の農村の風景は本当に美しいと思います。荒涼とした魔浮遊の風景でしたが、初めて行った上海から蘇州へ向かう列車から見た風景は忘れられないものでした。
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1999年の年末のことで、その当時は古い家屋の煉瓦の壁に共産党のスローガンがペンキで書かれていました。同じルートを列車で走っても同じ風景は見ることは出来ません。
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その当時の上海火車站も蘇州火車站も後年に行ったときは全く違った建物に変わっていました。
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菜の花で有名な羅平と美しい棚田が世界遺産にも登録されている元陽へも長年行きたいと思いながらまだ叶っていません。
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桃源郷のような風景の中をバスは走り抜けていきます。
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車線を越えるほどの過積載のトラックがのろのろ走っています。さすがにバスのドライバーさんも減速して追い抜いていきます。
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「仙桃サービスエリア」でトイレ休憩がありました。ここでも特に珍しいものはありませんでした。
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「武漢」近郊では「長江三鮮」と呼ばれる三大水産物の刀魚(エツ)とフグと鰣魚(ジギョ)という中国の固有種の繁殖も行われているようです。
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日が落ちてからようやく「武漢」の高速の料金所を通過しました。
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町の中心に差し掛かると光り輝くビルが現れました。
武漢長江大橋 現代・近代建築
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「宣昌」で離れた長江とここで再会です。「武漢長江大橋」を越えると同じように美しい夜景だった「重慶」から始まった旅もここで終わりなのだなと感じます。その先にある「黄鶴楼」はプロジェクションマッピングで輝いていましたが、バスが通過するタイミングで明かりが消えてしまったのが残念でした。
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ホテルに入る前に夕食となり「国賓楼」というレストランに入ります。ツアーでの食事はこれが最後になります。見た通りの高級店です。
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蓮根は湖北省の名産だったなと思います。蓮根の肉詰めを揚げた料理はビールに合います。このレストランは高級店でしたが、ビールは10元と良心的でした。
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鴨のローストはナムチムというタイの甘いソースが添えられています。
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北京ダックまで出てきたのには驚きました。ツアーの方の多くが食べ方を知らないというので同じテーブルの方の分を作りました。
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ジャガイモと豚肉の煮物はごはんによく合います。
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キャベツと豚バラ炒めも中国ではよくある家常菜です。
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スライスしたタケノコと腊肉(ラーロウ)を菜種油で炒めた料理も美味しいです。湖北省の人々は古くから華南や華北の料理を取り入れ、味も「酸」「甜」「麻辣」「清淡」とさまざまな味付けを受け入れています。
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これが毛沢東が好きだったという「武昌魚」の料理です。湖北料理である「清蒸武昌魚(チンジャンユー)」という魚料理で最もよく使われるようですが、ここでは揚げ煮で供されました。
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青唐辛子と豚肉の炒めたものもピリ辛で美味しかったです。
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鶏肉の細切りを唐揚げにして野菜と共に餡かけにした料理も甘辛で美味しかったです。美味しい料理とツアーの方々と旅の話で盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。
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食事の後はようやくホテルにチェックインします。既に午後8時になっています。
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「武漢最佳西方五月花大酒店(ベストウェスタンプレミア武漢メイフラワーズ)」というホテルでした。
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部屋に荷物を置いてロビーに降り、ガイドの陳さんと近くのスーパーへ買い物に出ました。午後9時前だったのですぐに店仕舞いになってしまいましたが、友人へのお土産は買えました。
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部屋に戻って最後に残しておいた檸檬堂を飲もうとしましたが、このホテルには冷蔵庫はありません。アイスペールが部屋にあったのでロビーまで降りて氷を貰おうとしたら部屋に届けますとのこと。部屋で待っているとドアがノックされて係りの人が来てくれえましたが、氷はありませんということでした。
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日本へは持って帰れない烏梨とブラッドオレンジはここで全部食べ切りました。楽しかった三峡下りの旅も後は帰国するだけです。
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