2025/03/25 - 2025/03/25
76位(同エリア83件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1761冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,463,152アクセス
- フォロワー169人
この旅行記スケジュールを元に
「奉節港」に戻ると我々の乗っている「ビクトリアカタリナ号」の後に停泊した船がどんどん先に出港していきます。小さな埠頭では後から来た船は先に停泊している船に横付けして、乗下船はその船の中を通過していきます。これはエジプトのナイル川クルーズと同じです。我々の番が来て出港すると船のデッキにお客が集まり出します。ここからが三峡クルーズの一番の見どころである両岸に岩壁の迫る「瞿塘峡」を通過するからです。まずは先ほど見学した「白帝城」の姿が見えてきます。李白の筆下「朝辞白帝彩雲間、千里江陵一日還」なんて詩が頭に浮かんできます。10元札の裏側の「夔門」の風景の中を進むと蘇州から杭州へ夜行フェリーで西湖に着き、ボートの上から眺めた1元札の「三潭印月」、泰山の山頂まで登った「「五嶽獨尊」」の5元札、桂林から陽朔へ下り、路線バスで興坪へ行き、さらに歩いて探した「黄布倒影」の20元、残るは50元札のチベットのラサのポタラ宮です。100元札の北京の「人民会堂」もすでに何度か訪れています。「瞿塘峡(くとうきょう)」は全長は8キロと三峡の他の峡谷に比べると際立って短いのですが、その川幅は三峡の中で最も狭く、風景の雄大さは三峡の中でも際立っています。出港して1時間もすると雄大な風景は終わり、そろそろランチの時間です。今回のクルーズでは2つのテーブルに分かれての食事になりますが、なんとなく座る位置もメンバーも固定化されてきます。食後は再びデッキに上がり、赤いアーチの「巫山長江大橋」を越えると「巫峡(ふきょう)」に差し掛かります。全長キロは「長江三峡巫峡長、猿啼三声涙沾裳」と謳われた三峡中屈指の風景名勝を誇り、かつては狭い峡谷でしたが現在は三峡ダムの建設により急流という意味では風景が一変したようです。「巴東長江大橋」を越えて、船は「神女溪」を通過します。岩壁の岩の上に立つ小さな岩を人物に見立てていますが、これは中国に行くと見ることの多い奇岩の1つです。ここで桟橋に着岸して、小さな小船に乗り換えて「小三峡」のクルーズです。往復2時間ほどのコースですが、地元ガイドさんの歌があったり景色も良いので楽しい時間が過ごせます。これでメインイベントは全て終わり、船に戻るとすぐに夕食になります。昨日歓迎パーティーがあったばかりですが、今夜はお別れパーティーで、船のスタッフの「孔雀舞」や「変臉」が披露されました。寝る前にトランクをロビーに出し、フロントで精算も終えます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
「奉節港」に戻ると我々の乗っている「ビクトリアカタリナ号」の後に停泊した船がどんどん先に出港していきます。
-
自由になった「ビクトリアカタリナ号」も追うように出港し、下流に架かる「新橋溝大橋」を潜ります。
-
部屋に一度戻って荷物を置いて、カメラだけを持って急いで屋上のデッキに向かいます。三峡下りの一番のハイライトなのでほぼ全員の人がいたと思います。すぐに先ほど通過した「白帝城」の手前にあるチャン・イーモウ(張 芸謀)がプロデュースした「帰来三国」のステージが見えてきます。
-
屋上デッキの手摺りの周りはたくさんの人で鈴なりです。
-
その横には「風雨廊橋」も見えます。あそこを歩いたんだという感慨深い気持ちと、クルーズ船が出港してしまうと誰も歩いていないことに愕然とします。
-
先ほど歩き周った「白帝城」が島のように見えます。現在は実際に島になっていますが、三峡ダムで水没する前は半島だったところです。
-
島の半分が手に取るように分かります。白帝城灯台の脇まで歩きました。
白帝城 城・宮殿
-
「白帝廟」の中にある白亜の洋館は「白楼」で1913年に建てられました。陜軍第一師の師長である張鈁が軍隊を率いて奉節に駐留していた時に建てようとしましたが完成せず、1918年に靖国連合軍豫軍第一指令の李魁元が完成させて両親を住まわせました。
-
先ほど10元札を持って記念写真を撮った「夔門観景台」もガラガラです。
-
対岸の「江峡渡口」の先には「赤甲楼」が見えてきます。背後の山の名前が赤甲山ということから名付けられた3層の木造の楼閣です。楼閣の一番下のバルコニーのような場所は砲台の跡です。
-
「瞿塘峡(くとうきょう)」のは北側の「赤甲山」と南側の「白塩山」に分かれ、北側は岩が赤く人が背中を露出したように見え、南側は山の色が白い岩塩のように見えたことから名付けられたようです。
-
南側は時間的に逆光になってしまうのでうまく写真が撮れません。岩には「夔門天下雄」と刻まれていたり、その他多くの書家らによる文字が刻まれ、最古のものは宋朝にまで遡るようです。
-
北側の写真ばかりを撮っていたのは日当たりが良いのと手摺り際の場所を確保しておくためでした。肉眼では影になったところは確認できないので、先ほど博物館で見た「懸棺」ないだろうかと期待してシャッターを押しましたが見当たりませんでした。
-
李白の「早発白帝城」は意図せずして反逆罪に問われ流罪になっていた59歳のころ、「白帝城」で恩赦の知らせが入り、喜び勇んで戻ろうとする時の詩と言われています。標高の高い白帝城から低い江陵まで一気に戻るそのスピードには喜びの気分が後押ししているのかもしれません。
-
李白が50代の半ば過ぎだった唐王朝では「安史の乱」という反乱が起きます。この乱の中でかの楊貴妃は殺されてしまうのですが、その後に玄宗皇帝は蜀に逃亡し、上の息子を北に下の息子を南にやって反乱軍と戦わせます。その過程で上の息子が周りから推されて即位し「粛宗」となり、下の息子の永王は兄から反逆者の嫌疑を受けてしまいます。
-
事がここに至る前に李白は永王に幕僚として招かれており、これが原因で粛宗に対する反逆者としてとらえられました。流罪の刑を受けた李白は辺境の地の夜郎(やろう)に向かいますがすでに60近く、体力気力が衰える年齢で流罪ととなり、大詩人の李白の人生は決して順調で華やかなものではありませんでした。
-
こうして「白帝城」辺りまで来て恩赦の知らせを受けたようです。「早発白帝城」の詩がこの時であれば喜びが舟の旅のスピードを速めたことがよく分かります。当時李白は59歳になっており、62歳で亡くなる3年前のことです。
-
妻が死ぬ前に見たいと言っていた「兵馬俑」を見る西安の旅では幻想皇帝と楊貴妃についても多少は知ることになりました。傾城傾国の美女と言われた楊貴妃はどれほどの美人だったのでしょうか。白居易の「長恨歌」が思い出されます。妻も我が家を傾けそうで、今回も成田空港でレザーブレスレットを買ってました。ここではただの渓谷のおばさんですが。
-
20代の頃に京都の清水で陶器店を営む伯母の店に清風与平という陶芸家の方が作品を売りに来たことがありました。叔母がまとめて何十点か買い上げていましたが不思議な人でした。ろくろを使わずに手びねりした肌合いと緻密に描かれた中国の古典に倣った絵付けには惹かれました。
-
30代になってから30年ほどその人の作品を買い求めているのですが、描いている内容が「長恨歌」だったりするので、そこから漢詩に興味を持つようになりました。以前はヤフオクで嘘みたいに安く手に入った作品はとんでもなく高くなってしまいました。美術商の方から聞いた話では中国のお金持ちが集め出したようです。
-
「瞿塘峡(くとうきょう)」の雄大な眺めが過ぎてしまうとお昼ご飯になります。今日も美味しいホラン千秋のお弁当のような色合いの中華料理です。ピリ辛のナスの煮込みやカリカリの鶏のから揚げ、塩味の焼きそばなど箸が止まりません。
-
その反面スープはほとんど味がしません。塩コショウで味を調えていただきます。湯葉とキュウリの酢の物は美味しいので茶碗に盛ってきました。これでも中国の人の半分くらいの量です。
-
デザートの焼きプリンにスイカ。デザートも美味しかったです。
-
食事が終わるころに船内のアナウンスが入り、「巫峡(ふきょう)」に差し掛かったことを知らせてくれます。
-
「巫山長江大橋」の下を通過します。帰国後に「長江哀歌(三峽好人)」という重慶を舞台にした映画を撮ったジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の新しい映画の紹介を見ているとこの橋が映っていてびっくりしました。今回の旅でも重慶の夜景を見ていて思い出されたのは「長江哀歌」で、三峡ダム建設により水没する「奉節」も舞台になっていました。
-
「新世紀ロマンティクス(風流一代)」という新しい映画は初期の傑作「青の稲妻」「長江哀歌」やドキュメンタリーを含む2001年から撮り溜めてきた映像素材を使用し、総製作期間は22年に及ぶものです。主演のチャオ・タオは監督の妻で、22年の年月がそのまま反映されている映像は驚異的です。早く観なければと思いながら…。https://www.youtube.com/watch?v=E7sdYn2zPLQ
-
李白の五言古詩「三峽を上る」
巫山夾青天 巫山 青天を夾み
巴水流若茲 巴水 流るること茲の若し
巴水忽可盡 巴水は忽ち盡すべくも
青天無到時 青天は到る時無し
三朝上黄牛 三朝 黄牛を上り
三暮行太遲 三暮 行くこと太だ遲し
三朝又三暮 三朝 又三暮
不覺鬢成絲 覺えず 鬢絲と成るを -
巫山が青天をはさんでそそり立ち、巴水はその名のごとく曲がりくねって流れている。巴水はやがて通り過ぎることができるが、青天は到達することができぬ。
三たびの朝に黄牛山を上り、見たびの暮を迎えたが遅々として船は進まぬ。三朝、又三暮、気がついたら鬢が白糸のようになっていた。
-
夜郎に向かう途中、三峽に差し掛かったとき、巫山では両岸絶壁が川においかぶさり、そのため空が挟まれて見える。また黄牛山は尽きるともなく連なっているので、それを過ぎるのには数日かかるといわれた。
-
そんな古典の詩の中に身を置いているとベタな表現ですが、山水画の中に紛れ込んだようです。それにしても天気が良すぎると感じるほどの晴天でした。まさに「巫山夾青天」の境地です。
-
「巴東長江大橋」が見えてきました。「巴水流若茲」はこの辺りを詠んだのでしょうか。
-
「ビクトリアカタリナ号」は滑るように「巫峡」を通過していきます。
-
「長江黄金3号」が長江を遡っていきます。水の流れに逆らう分、下流から重慶へ向かう場合は1日余計にかかるようです。
-
峡谷の途中には新しく移された町がいくつも見えました。その1つ1つにジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督の映画の世界が詰まっているのだろうなと感じます。
-
現在は運行していませんが、以前の旅で蘇州から杭州まで夜行のフェリーに乗ったことがありました。京杭運河の最後の辺りをフェリーの中で1泊するのですが、これは貴重な経験でした。その時もこんな風に大きな貨物船が何艘も行き交っていました。その風景があまりに強烈で一晩中部屋の前のデッキに出て景色を眺めていました。
京杭運河:https://4travel.jp/travelogue/10353804 -
そんな旅に比べると我が家の旅もだいぶラグジュアリーになってきた気がします。元々は個人旅行以外は考えられなかったのですが、ツアーを利用するようになったのも格安の中国ツアーを知ってからのことでした。
-
この船には屋上以外にも1フロア下に船首だけのデッキがありました。ここからだと前方の景色が眺めやすいので「巫峡」はここから景色を眺めることにしました。
-
険しい峡谷の断崖にも僅かに傾斜の緩い場所があり、そこは美しい菜の花畑になっていました。こんなところまで車が走れる道路があるのだろうかといらぬ心配をしてしまいます。
-
貨物船の乗組員はこんな景色を見ても日常になっていて何も感じないのでしょうね。
-
「神女溪游客中心」とあるので「神女溪」に着いたのだと分かりました。
-
三峡では四川盆地を出た長江が盆地の東を塞ぎ、東西方向へ走る巫山などの細長く険しい褶曲山脈を貫いて流れていいます。
-
「長江の両側に高い山が聳え立ち、時に霧や雲が立ち込め、風景は山水画のように雄大である。」として知られたところですが、天気が良し義手そんな風情委は朝晩にしか感じられません。
-
三峡独特の景観である峡谷部分は石灰岩が多く、風化には極めて強いのですが水には溶食されやすく、水の流れる部分だけが深く削られてゆくようです。また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく、水が亀裂の中に入ることでその底部を侵食していきます。
-
谷が深くなると両岸の岩が平衡を失い、垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため、両岸が切り立った崖になります。砂岩や頁岩の多い地域は浸食がより進むため、うってかわって広い谷が形成されているようです。
-
船の位置が変わって、ようやく「神女峰」が姿を現しました。大きくとがった岩の陰に見える小さな人影のようなものです。
-
「巫山神女峰」についてはこのような伝説があります。楚の宋玉の「高唐賦」の序に楚の懐王が楚の雲夢沢にあった高唐という台館に遊んだ際も疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女性が現れて王の寵愛を受けたという記述があるそうです。
-
彼女は立ち去る際に王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、夕べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」と告げました。
-
この故事から「巫山の雲雨」あるいは「朝雲暮雨」は、男女が夢の中で契りを結ぶこと、あるいは男女の情交を意味する故事成語として用いられるようになりました。
-
「巫山神女峰」の対岸には「神女渓遊客服務站」が見えています。この浮埠頭に着岸して、小型船に乗り換えての遊覧が始まります。
-
下船時にはこのようなカードを渡され、小舟に乗るときに渡します。
-
かなり長い桟橋の上を歩きます。
-
周囲の絶景には圧倒されます。それにしてもツアー中の天気は最高に良かったです。
-
前方に建物のようなものが見えてきました。
-
「神女渓遊客服務站」の建物の赤はお土産物売り場になっていますが、あまり商売する気が無いのか商品はあまり並んでいません。
小三峡 山・渓谷
-
建物の先でずらりと並んだ小舟に乗り込みます。このような黄色い屋根の乗った小舟は中国各地の湖などで乗る機会が多いです。
-
舟の中は小三峡の眺めを楽しむためにガラス張りの屋根になっています。後方にはデッキがあって表に出ることが出来ますが、最初の5分くらいと折り返し地点には監視員がいるので、それまでは中にいなければなりません。
-
前方からは戻って来る小舟が何艘か見えます。船頭さんと地元のガイドさんが1組で運行しています。ガイドさんは赤いジャンバーがユニフォームのようです。
-
杜甫の七言律詩に「負薪行」というものがあります。
キ州處女髪半華 キ州の處女は髪半ば華なり
四十五十無夫家 四十五十にして夫家無し
更遭喪亂嫁不售 更に喪亂に遭ひて嫁售れず
一生抱恨長咨嗟 一生恨を抱いて長(とこしへ)に咨嗟す
土風坐男使女立 土風男を坐せしめ女をして立たしむ
男當門戸女出入 男は門戸に當たり女は出入す
十猶八九負薪歸 十猶八九薪を負ひて歸り
賣薪得錢應供給 薪を賣り錢を得て應に供給す -
キ州の女性は白髪混じりの者が多く、四十五十になっても嫁ぐことがなく、その上に騒乱ともなれば男も少なくなり、一生恨みを抱いて暮らすはめになる
この地方の風習では男は座り、女はかいがいしく働く、男は家を護り、女が働きに出かけるのだ、十八十九ともなれば背中に薪を負って帰り、その薪を売って銭をかせぎ家族のものを養う -
至老雙鬟只垂頸 老に至るも雙鬟只だ頸に垂れ
野花山葉銀釵並 野花山葉銀釵並ぶ
筋力登危集市門 筋力危ふきに登って市門に集り
死生射利兼鹽井 死生利を射て鹽井を兼ぬ
面妝首飾雜啼痕 面妝首飾啼痕を雜へ
地褊衣寒困石根 地褊にして衣寒く石根に困しむ
若道巫山女粗醜 若し巫山の女は粗醜なりと道(い)はば
何得此有昭君村 何ぞ此に昭君の村有るを得ん -
年をとってもお下げ髪を首に垂らし、銀のかんざしとともに草花を飾りにつける、力を絞って危険な場所にも上り、そこで取ってきたものを市場に運ぶ、命がけで井戸の塩水を汲んだりもする
化粧をした顔には涙の後が混じり、土地は痩せて衣は粗末、岩の上で休息をとる、もしも巫山の女は醜いなどというものがあれば、王昭君のような美女を出した村があるのはどうしたことだ -
「負薪行」は一生を働きずくめで報われることの少ないこの地方の女性を歌ったもので、薪を背負いながら一生を終える彼女たちにはなんの楽しみもなく、また結婚して子どもを持つことのできないものも多かったようです。
-
ここに出てくる王昭君は前漢の元帝の時代に漢の南郡秭帰県(現在の中国湖北省宜昌市興山県)の山村に生まれました。その美貌から宮中に官女として召し出されることになります。その後、匈奴(モンゴル)分裂時代の東匈奴の君主たる呼韓邪単于が入朝し、漢の婿となることを求めたところ、宮女の中から王昭君が選ばれました。
-
後世の創作によると宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師に賄賂を贈っていましたが、王昭君はただ1人賄賂を贈らなかったため、似顔絵師は王昭君の似顔絵をわざと醜く描き、王昭君は絶世の美女でありながら元帝の目に留まることがなかったそうです。
-
元帝は宮女たちの似顔絵を見て、最も醜い女を匈奴へ送ることにしました。その結果で王昭君が匈奴への嫁として選ばれましたが、皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は王昭君の美しさに仰天します。この段階になって王昭君を匈奴へ贈る約束を撤回すれば関係が悪化することは明らかだったため、元帝は悔しがりながらもしぶしぶ王昭君を匈奴へ送り出しました。
-
その後の調査で宮女たちから多額の賄賂を取り立てていた似顔絵師の不正が発覚したため、元帝は似顔絵師を斬首の上で棄市(さらし首)に処したと言われます。
-
王昭君というと50年ほど前に初めて観た安田靫彦のこの絵画が思い出されます。中学生の当時は安田靫彦について全く知らないまま国立近代美術館へ行ったことは今も鮮明に覚えています。そして10年ほど前に同じ美術館で再会することも出来ました。ある意味自分にとってもファムファタールなのかもしれません。
安田靫彦展:https://4travel.jp/travelogue/11133522 -
ここまで菜の花が美しかった重慶と三峡でしたが、新緑の季節でもありました。峡谷の合間から差し込む午後の光がよりその美しさを強調しています。
-
突き当りかと思った岩壁の隙間から小舟が現れました。
-
小舟が写っていないとその岩壁の巨大さが伝わらないかと思います。
-
そして対岸の影が映り込むとその峡谷の狭さがより感じられます。
-
三峡ダムが出来て水位は40メートルも上がったということですが、それ以前はどんな風景だったのだろうかと思います。
-
仕事帰りの西武池袋線の地下改札の横にあった西武鉄道の旅行会社の入り口で見た「三峡下りツアー」のパンフレットを思い出します。その頃から考えると漠然と行きたいと思ってから40年近い時間が過ぎています。
-
「手掌峰」などいくつかには名前が付いたものもありました。なるほど言われてみればそう見えてきます。
-
30分ほど進んだところでUターンして1時間ほどのクルーズでした。復路はガイドさんの歌があったり、岸壁の上で採れたお茶の販売があったり。ここはガイドさんの顔を立ててチップ代わりにお茶を4本買い求めました。効能が血圧を下げると聞いたこともありましたが。
-
小舟でのクルーズを終えて「ビクトリアカタリナ号」に戻ります。
-
観光に出ていた乗客が船に戻るとすぐに出港になります。
-
埠頭でもありますが、実際は鋼鉄製の川船としてここまで曳航されてきたのだろうと思います。そんな施設は寄港した町の埠頭と共通したものでした。
-
「巫山神女峰」を過ぎると同じような風景が続きます。興味は風景よりも岩壁の堆積層の複雑な傾斜に移ってきます。どれだけの圧力が加わって複雑な傾斜になったのだろうか想像してみます。
-
だいぶ日が傾いてきて、船尾の方向から穏やかな日が射しています。景色を眺めるのも少し飽きてきました。
-
しばらく昼寝をすることにします。こんな時船旅は便利だと思います。
-
ガイドさんから聞いていた時間にサロンに行ってみると夕方からのショーはすでに始まっていました。30分ほど伝えられていた時間が遅かったようです。レストランのテーブルを担当してくれていた男の子の演目は終わっていました。
-
ちょうどエンディングの「変臉」が始まったところでした。役者が顔に手を当たり自身が着ている衣装の大きくて長い袖や大型の扇子で顔を隠す瞬間に「瞼譜」が変わります。
-
ウー・ティエンミン(呉 天明)監督の「變臉 この櫂に手をそえて(變臉)」という映画を思い出します。「変面王」と呼ばれる大道芸人の王(ワン)の話で、子供のいないワンは一子相伝の芸を伝える後継者を求めて違法な幼児売買で男の子を買い、狗娃(クウワー)と名付けます。
-
クウワーが実は性別を偽って売られた女の子であることを知って、伝統的に芸は男にしか伝えられないものとされており、怒ったワンはクウワーを追い出そうとしますが、必死に食い下がり召使いとして置いてもらうことになります。
-
クウワーは誤ってワンの住まいである船を火事にしてしまい、罪の意識からワンの元を逃げ出したクウワーは償いのつもりで幼い男の子を密かにワンの元に連れてきます。そのせいでワンは誘拐犯の罪を着せられて逮捕されて死刑を宣告されてしまいます。
-
クウワーはワンの友人の有名な京劇俳優のリャンに助けを求め、その客である軍の要人の前で命を捨てようとします。クウワーの覚悟を見て初めは警察に口出しすることを渋っていた要人も重い腰を上げ、その助力の甲斐もあってついにワンは釈放され、クウワーの自分を慕う気持ちに心を打たれたワンは彼女に芸を伝えることを決め、2人は仲よく旅を続けていきます。
-
久し振りにDVDを出してきて観直してみよう思いました。以前の中国映画にはとても良いものが多かったのですが、最近の物はアクションやCGなどが前面に出たものばかりになってしまったようで面白くなくなりました。
-
最期は「孔雀舞」でした。これにも思い入れがあり、妻と2人で旅した雲南省の旅では数日昆明に滞在しました。その目的の1つが「昆明会堂」で催されていたヤン・リーピン(楊麗萍)プロデュースの「雲南映像」を観に行きました。当時はまだネットでチケットなど買うことが出来ない時代でしたし、そもそも「昆明会堂」の場所の検索もグーグルなど無い時代でした。
雲南映像:https://4travel.jp/travelogue/10352974 -
ヤン・リーピン(楊麗萍)は渋谷のオーチャードホールでも「シャングリラ」と「覇王別姫 ・十面埋伏」という演目の物を観に行ったことがあります。孔雀舞を最後に舞うということでこれは見に行かないわけにはいかないと思いました。
シャングリラ:https://4travel.jp/travelogue/11122555
シャングリラ:https://www.youtube.com/watch?v=y_RebNvJv1M&t=5s -
三峡下りもいよいよ最後の晩となりました。冷蔵庫で冷やした檸檬堂と上海浦東空港のセブンイレブンで買ってきたおつまみを食べながら夜は更けていきます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2025三峡下りクルーズ
-
前の旅行記
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(6)劉備玄徳終焉の白帝廟を参拝し、瞿塘峡を望み1元札から20元札をコンプ...
2025/03/25~
重慶直轄市
-
次の旅行記
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(8)ビクトリアカタリナ号を下船し、広大な三峡ダムの敷地を歩き、その規模の...
2025/03/26~
湖北省
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(1)ビザ免除で久し振りの中国へ。中国東方航空に乗って何故か上海経由で初め...
2025/03/22~
重慶
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(2)重慶から長年の夢だった大足郊外の宝頂山石刻の仏たちに出会う。
2025/03/23~
大足
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(3)北山石刻の仏を訪ねた後は重慶市内で火鍋を食べて、ビクトリアカタリナ号...
2025/03/23~
大足
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(4)豊都に上陸し双桂山で蘇軾を想い、孔子廟に参拝して福の字を授かる。
2025/03/24~
重慶直轄市
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(5)船のオプションの烽煙三国ショーを観に行き、壮大な仕掛けの中に三国志を...
2025/03/24~
重慶直轄市
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(6)劉備玄徳終焉の白帝廟を参拝し、瞿塘峡を望み1元札から20元札をコンプ...
2025/03/25~
重慶直轄市
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(7)白帝城を後に三峡下りの醍醐味の瞿塘峡、巫峡、神女溪を巡り小型船で小三...
2025/03/25~
重慶直轄市
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(8)ビクトリアカタリナ号を下船し、広大な三峡ダムの敷地を歩き、その規模の...
2025/03/26~
湖北省
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(9)宜昌から関羽ゆかりの荊州古城で桜を愛で、満開の菜の花の中を武漢を目指...
2025/03/26~
荊州
-
トラピックス 長江三峡下りクルーズ(10)旅の終わりは無駄に広い武漢天河国際空港から中国東方航空で成田空港へ...
2025/03/27~
武漢
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2025三峡下りクルーズ
0
91