2025/03/02 - 2025/03/08
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nichiさん
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ホテルの朝食を終え、雨降る中、弘道館にやってきました。
水戸藩の第9代藩主徳川斉昭が創設した藩校です。
藩士の子弟が入学し、学問・武芸などを学んでいました。
江戸時代の後期、諸外国が日本に対して開国するよう強く要求してきました。日本は外国船を追い払おうとし、徳川斉昭も弘道館を設立し、優れた人材を育て、国を発展させることで外国の侵略から日本の独立を守ろうと考えました。
弘道館は、学問と武芸の両方とも大切と考え、学問では儒学、礼儀、歴史、天文、数学、地図、和歌、音楽をおしえ、武術では剣術、槍、柔術、兵学、鉄砲や大砲の射撃、馬術、水泳などを教えました。
医学を学ぶ医学館もあり、薬草から薬をつくったり、牛を飼い牛乳からバターをつくるなどいろいろな研究もしていました。
もう、総合大学ですね。
先生は約100人~150人
学生は約1000人だったそうです。
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よく朝!
2階にやってきました。
ココが朝食会場です。
飲み屋さんみたいですね。 -
ビュッフェ形式の朝食です。
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元々はバーの営業していたのかな?
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狭い所に色々並んでます。
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イクラにビックリ!
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いただきま~す!
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雨降る中、今日は水戸藩校弘道館に向かいます。
弘道館は三の丸にあるのですが、三の丸には他に庁舎や警察、図書館、小学校などの公共施設があるのですね。 -
大雨が降る中、弘道館にやってきました。
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ココが正門です。
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お邪魔しま~す!
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ここが弘道館の正門です。
この正門、天保18年(1841年)の創建時に建てられた門そのものです。
総檜づくりです。
左右の塀を含めて重要文化財に指定されています。 -
この写真、弘道館が県庁だったころの写真です。
明治維新後の明治5年(1872年)から明治15年まで県庁として使われていたのですね。 -
ココが史跡として指定されたのは大正11年です。
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弘道館の説明書きです。
天保12年(1841年)に創設された藩校です。
水戸藩第九代藩主だった徳川斉昭が行った藩政改革。
その中の一つがこの藩校をつくることでした。
藩校としては日本最大規模。
明治5年(1872年)の学制発布により、藩校としての役割を終えています。
明治から大正にかけてこの建物は、県庁や学校として活用されていました。
平成23年(2011年)の東日本大震災で甚大な被害を受けましたが、約3年に渡る復旧工事を経て、平成26年(2014年)に全面復旧しています。 -
江戸時代の弘道館の鳥瞰図です。
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平日の雨の中、お客さんがお見えになってますね。
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入場料は420円2名
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お邪魔してみましょう。
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大きな桜の木があります。
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この桜、「右近桜」と言って、徳川斉昭の正室が水戸家にお嫁にいらした際、仁孝天皇から頂いた桜なんだとか・・・
この木は3代目。
宮内庁からゆかりの苗を頂いて植えられたものです。 -
おっ!
梅が咲き始めていますね。 -
ここが正庁です。
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ボランティアガイドをお願いすることにしました。
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靴を脱いで正庁にお邪魔し、デジイチを持っていた私に、早速カメラの撮影ポイントを教えてくださいました。
「ここに寝転がって床を入れながら右近桜と門を入れると絵になりますよ」
なるほど。
桜が咲いているともっと素晴らしいでしょうね~ -
広い式台玄関です。
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玄関を入ってすぐの所にあるのが諸役会所。
来館者の控えの間です。 -
ココには「尊攘」という大きな掛け軸が掛かっています。
安政3年(1856年)に徳川斉昭の命により、水戸藩医で能書家として知られていた松延年が書いたものです。
左上には「命」という字が見えますが、これが徳川斉昭の命であったことを示しています。
尊王攘夷のことですね。
天皇を中心に人の心を一つにして、幕府の力を強化して、諸外国から日本を守るという意味ですね。 -
庭を見ながら奥に進みます。
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徳川15代将軍であった徳川慶喜もここで学んでいたのですね。
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廊下から広い庭が見えます。
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木々も冬仕様になってます。
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おっ!
梅が咲いてます。
昨日、咲き始めたそうです。 -
こっちも咲き始めたばかりだとか・・・
3分~4分咲きですね~ -
畳の廊下を奥へ進みます。
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部屋の中へ。
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ココが正庁正席の間です。
藩主が臨席のもと、諸儀式が行われた部屋です。
文武の試験も行われました。 -
床の間に掲げられているのは、弘道館の建学精神を刻んだ弘道館記碑の拓本です。
神儒一致
忠孝一致
文武一致
学問・事業一致
治教一致
この5つの建学の精神が示されています。 -
正席の間から隣に続く二の間、三の間は、儀礼的・公的な空間でした。
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畳の縁には徳川の紋。
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正席の間の目の前には対試場。
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ここは対試場といって、武術の試験などが行なわれたところです。
藩主が正庁正席の間から見ている中での試験だったようです。
今でもココで定期的に、茨木市指定無形文化財の北辰一刀流や剣道、なぎなたなどの武道演武が行われるようです。 -
庭の梅が咲き始めています。
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これが満開になったら綺麗だろうな~
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この梅の木はまだ咲いていませんが、
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「江南所無」と言って、実との六名木の一つなんだそうです。
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私たちシニア夫婦はガイドさんのあとについて行きます。
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ここは湯殿と便所。
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ここが湯殿。
湯が流れるように床は斜めになっています。
お湯をかけてサウナのような入りかたでしたので、湯船はありません。
心を清め、身体を洗う場所でした。 -
こっちがトイレ。
奥が大
真ん中が小
手前が手を洗う所です。 -
手前は手を洗う所ですね。
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このトイレ、いわゆる雪隠というやつですね~
大の部屋です。 -
ガイドさんに促されて奥へ。
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畳の廊下を進んで行きます。
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え~~
雨が雪に変わったぞ~ -
うっすら木々に雪が積もってますね。
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広い座敷に出ました。
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天井も高い!
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ガンガン雪降ってる!
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これにはビックリ!
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瓦のデザインにも徳川斉昭のこだわりがあって、
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争いが起こらないように穏やかな波をイメージしているそうです。
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紅白の梅の花に雪が降ってます。
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めっちゃ寒く、板の間を歩くのが少しきつい・・・・
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畳の上を歩くとホッとします。
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正庁から至善堂という建物にやってきました。
正庁が公的な施設であるのに対し、至善堂は藩主の休息所で、藩主やその子供たちが使うプライベート空間です。
ここは「御座の間」と言って、明治維新で将軍職を辞した徳川慶喜が朝廷の命を待った部屋です。 -
床の間には拓本。
徳川斉昭が詠んだ歌碑の拓本で、建学の精神を表しています。
私たちには全く読めませんが、「日本古来の道徳は永久に変わらないものであるから、日本人である者はこの道を踏みちがえることがあってはならない」という意味
なんだそうです。
散らし書きという手法で、さらに万葉仮名を使っているので、さっぱりわかりませんね。 -
「至善堂」
と書かれています。
これは徳川斉昭が描いたものを明治時代に模写したものだそうです。 -
御座の間から二の間、三の間が続いています。
御座の間には藩主がいて、ニの間、三の間では藩主の子供たちが勉強していました。
徳川慶喜は、5歳から11歳までこの二の間で学んでいました。 -
二の間から見える庭の景色です。
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奥まで行って、
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グルっと反対側に巡ってみました。
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ここで水戸藩の多くの若者が学んでいました。
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外を見ると雪降ってます。
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大きな長持ちがありました。
この長持ち、徳川慶喜が将軍職を辞し、上野の寛永寺から水戸にやってきた際に使用した長持ちだそうです。 -
象嵌?
立派な装飾の長持ちですね~ -
渋沢栄一について紹介されています。
渋沢は水戸藩の志士との交流があっただけでなく、15代将軍の徳川慶喜の家臣でしたね。
慶喜の弟である昭武に随行してパリ万国博覧会のため渡仏したのは有名な話です。
それだけ水戸藩と深いつながりがあったのですね。
渋沢栄一の直筆の書もありました。 -
これは藁人形という農人形です。
徳川斉昭は、「愛民謝農」の心で、自作の小さな農人形を食膳に置いて、食事の度に最初の一箸を初穂として農人形に供えてから食事したそうです。 -
長い畳の廊下を進みます。
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格子越しに梅が咲いてますね~
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おお~~
中庭で咲く、ほぼ満開の梅ですね~ -
雪降る中で見事に咲いてます。
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歩いてきた長い廊下を振り返ります。
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創建当時の瓦です。
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水戸黄門の大日本史ですね~~
本物です。 -
満開に咲く中庭の梅の花を反対側から・・・
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正庁の建物から、塀越しに水戸城の大手門が見えます。
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雪も止んだので、正庁から庭に出てみます。
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正庁を振り返ります。
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これが先ほど建物の中から見た対試場です。
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ここで武術の試験などが行なわれ、藩主は正庁から見ていたのですね。
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この辺りの梅も咲き始めていますね。
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この梅は6分~7分咲きでしょうか?
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庭を巡ってみましょう。
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雪が上がって良かったです。
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ココは多くの梅がある庭です。
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散策路の入口です。
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井戸の横を通ります。
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路には滑らないようにムシロが敷かれています。
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ココが満開になったら凄いだろうな~
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3分~6分咲きの梅の木々の中を進んで行きます。
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満開の時に再び訪れてみたい!
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咲いている梅の花をアップで!
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弘道館をあとにしましょう。
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入口に「徳川慶喜向学の地」に表記。
来たときは雨が酷くて気が付きませんでした。 -
水戸城の大手門に行ってみましょう。
つづく
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