2025/02/07 - 2025/02/08
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たびたびさん
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2025/02/07
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今回は横浜から修善寺・三島・沼津ほかの旅6日間。それなりに回ったことは回ったところばかりなのですが、振り返って整理してみるとちょっと表面的だったようでイマイチ印象に残っていない。改めてちゃんと時間をかけて丁寧に回ってみようと思ったのが今回の旅です。
一・二日目の横浜は、けっこう久しぶり。前回が2018年9月ですから、ほぼ7年ぶりです。ただ、横浜の街はそれまでも何度も訪ねていますから、山下公園を中心に港の雰囲気や美しさは承知していますし、みなとみらい地区や山の手、中華街の素晴らしさも十分に理解しています。なので、今回の横浜は、そういったことをまた味わい直すという感じでしょうか。
で、そういう意味だと美しい横浜はいつもの横浜。これまでとまったく変わらずといった印象でした。しかし、少し考えてみると、それって、観光地としてはいいかもしれませんが、ここは現役の港町。それも日本を代表する港町ですからやはり問題なしとは言えないかも。もちろん見えていないところではちゃんと新しい開発や着実な進歩は出来ているのかもしれなくてそれならそれでよいのですが、つまり、アジアには既にハブ港と呼ばれる巨大な港が次々出現し、上海を始めとする多くの中国の港やシンガポール、釜山にも大きく後れを取ってきているのが今の日本の姿。本来であれば、日本のトップランナーである横浜には目に見えて街が変わっていくくらいのダイナミズムがないといけないような気もします。しかし、そうは言ってもこの街には豊かさや活気、満ち足りた感がないわけではないし、むしろ、十分にあって、これ以上何を望むのかというくらいのレベル感すらあると思います。この街を眺めていて日本が置いて行かれているかもしれないといった危機感を感じることはほとんど無理ですよね。また、一方で、少子化や人口減少で余計な箱モノは後世負の遺産ともなりかねないし、今の規模の施設さえ維持するのが難しい時期が来ないとも限らない。これも意外に難しい問題だと思います。
ところで、最近の若い人は日常の生活や人生の在り方について現状維持派がかなり増えてきているのかな。そうした若い人は円安による物価高とかを通じて日本が貧乏な国になってきているのをけっこう肌で感じてもいます。また、かつてなら、円安は輸出企業に大きな利益をもたらしていたのに、今はそうした構造も変化してしまって、資源小国の弱みがいっそう目立ってしまうような状況。より豊かになろうとしても、大きなハードルがあって意外に簡単ではない。失われた20年どころかかつての勢いすらだんだん忘れられてしまって寂しい時代になったようにも思います。
話は変わりますが、私は、その中で日本人が救われているものがあるとするとそれは価値観の多様性なのではないかと思っています。豊かさの基準が多様にあって、いわゆる勝ち組負け組といった区別はけっこう曖昧。一定の閉塞感はあっても社会のギスギス感が緩和されている大きな要因のひとつになっているのではないかと思います。中国や特に韓国と比べるとそれはとても大きな特徴ですね。
横浜の街歩きからちょっと脱線したかもしれませんが、そうした思いになったのもやっぱり横浜だから。横浜開港に関係する記念碑は多いし、○○発祥の地とかが続くとどこかで過去はもういいから!みたいな気持ちにもなってしまう。過去のノスタルジーに浸るだけではない日本の屋台骨を支える街として、横浜はこれからも輝く街であってほしい。日本各地には多くの港町がありますが、横浜にはそのあたりを特に強く期待したいものですね。
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横浜の街歩きは、神奈川県庁から。
本庁舎が建てられたのは昭和3年、地上5階建て。 -
これに対して、その横に建つ神奈川県庁新庁舎は昭和41年で、地上12階建て。レトロな外観の本庁舎と比べると遥かに近代的なビル。国立西洋美術館の設計にも関わったル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践したという坂倉準三の設計の設計ですからね。よく見ると前面の外壁のデザインはアートの匂いがしています。
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イチオシ
ここから、しばらく細々チェックです。
開通合名会社の煉瓦遺構は、明治時代に建てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部。関東大震災で大部分が倒壊し、復興建築が建てられたのですが、その復興建築を解体する際に、内部からこの遺構が発見されたという経緯。雰囲気もあるし、紆余曲折をたどった遺構です。数奇な運命をたどった遺構です by たびたびさん開通合名会社の煉瓦遺構 名所・史跡
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横浜市開港記念会館の敷地のみなと大通り側。横浜町会所跡には、しっかりとした説明板がありまして。
「明治7年(1874)4月に竣工した石造2階建屋上に高塔のある建物は、横浜市制施行の明治22年まで横浜の町政を執った町会所でした」「「時計台」の愛称で親しまれ」ともありました。写真だと今の横浜市開港記念会館のような建物ですね。 -
岡倉天心生誕の地もその隣り。
幕末の文久3年(1863年)にここで生まれたのですが、つまり、岡倉天心の父で元福井藩士であった岡倉勘右衛門が藩命によって生糸貿易を行っていた石川屋があったという場所なんですね。幼いころから英語を学んでいたこともその後の活躍につながっているようです。横浜市開港記念会館の敷地の道路側に大きな石碑 by たびたびさん岡倉天心生誕の地 名所・史跡
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横浜商工会議所発祥の地も同じ並び。
横浜商工会議所が設置されたのは明治13年。その前身である横浜商法会議所として町会所内に設置されたもので、外国商人に対抗し、横浜商人の自立・結束を高めるのが目的であったとか。説明書からは明治人の気骨が伝わってくるようです。 -
みなと大通りから西に進んで二本目の通りが関内桜通り。関内駅前から本町通まで続くオフィス街の道です。
冬場は枯れ木の状態ですが、しっかり枝は張っていて、これなら時期になれば十分に見応えのある桜並木になるように見えました。オフィス街の桜並木。とてもいいと思います。 -
北仲通りに移って。
獅子頭共用栓とブラフ溝は、もう少し大きいものを想像していたのでちょっと意表を突かれた感じ。しかし、何でもないビルの角に小さいですがよく見るとなかなかシャープなデザインの遺構が立っていました。ライオンの形をした蛇口。横浜の水道ができた明治20年に、その生みの親であるパーマーさんがイギリスから600基取り寄せたものだそうです。ただ、これは本物ではなくレプリカです。横浜の水道ができた明治20年に by たびたびさん獅子頭共用栓とブラフ溝 名所・史跡
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北仲通りから海岸の方に出ると象の鼻パークです。
象の鼻パークの中心部にあるレストハウスが象の鼻テラス。 -
明るくて広い内部にはずらりと椅子テーブル席が並んでいて、自由に出入り可能。木製の床も落ち着きがありますね。景色の良いロケーションだけではなくて、こうした施設があるとやっぱり助かる。観光客に優しい施設だと思います。
象の鼻テラスの中には、象の鼻カフェがありますが、まだ時間外です。 -
象の鼻パークの向かい側すぐには、象の鼻防波堤も見えています。石垣を組んだ防波堤ですが、この防波堤の形が象の鼻に似ているので「象の鼻」の名前はここから生まれました。こうして象の鼻パークから眺めるのもいいですが、夜はこの防波堤から横浜の夜景を眺めるのがまた一つの定番となっています。
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改めてですが、象の鼻パークは、横浜大さん橋の西側の臨海公園。横浜大さん橋の東側の山下公園に比べると規模が小さい分視界も狭く感じますが、まあ、それでもけっこう十分な開放感。横浜市街の高層ビル群をバックにした景色もきれいです。
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奥に進むと、一角にはたねまる記念碑。横浜開港150周年を記念して建てられたもの。ちなみに、たねまるは、開国博Y150のマスコットキャラクター。横浜市民から公募した絵やメッセージのタイムカプセルがあって、横浜開港200周年で開封される予定だそうです。
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象の鼻パークから横浜赤レンガ倉庫に向かうのに使うのが新港橋梁。旧横浜駅から始まる横浜臨港線を通す橋で、大正元年(1912年)に架設された日本における初期の国産トラス橋。もう100年以上経っていますが、今でも変わらず頑丈そうです。
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ただ、ここから横浜赤レンガ倉庫には向かわずに山下臨港線プロムナードを通って、東側の開港波止場まで戻ります。
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イチオシ
開港波止場にあるピア象の鼻 観光船乗り場が見えてきました。
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ここでプロムナードから開港波止場に降ります。
すぐにあるのは、鉄軌道及び転車台跡。
横浜税関の遺構で、横浜税関の敷地内に明治20年代後半に整備されたもの。敷地内の荷役作業を行うものだったようですが、横浜税関はこんなことまでする役所だったことの方に驚きます。 -
開港波止場の南東隅にあるのは、横浜港港湾労働者供養塔。横浜港で不慮の事故で亡くなった港湾労働者を供養するために、昭和49年に設置されたもの。塔には2,822柱の霊が祀られているというのですが、意外に多い数。それだけの犠牲を払って、整備された港湾ということですね。
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そのまま開港広場公園まで戻ってきて。
英一番館跡碑は、開港広場公園の通りを挟んだ向かい側。安政6年、(1859年)、横浜港が開港するとイギリス人、ウイリァム・ケスウィックが開港と同時に横浜に来航。ジャーディン・マセソン商会横浜支店を設立して貿易を開始。その建物がここにあった通称「英一番館」。碑には絵もあって、海に面して建つ堂々とした建物だったようです。 -
少し南に下がって、これは日本キリスト教会横浜海岸教会。
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その敷地の中にある日本基督公会発祥地碑です。開いた聖書をモチーフにしたデザイン。ちなみに、文久元年(1861年)に来日した宣教師ジェームス・ハミルトン・バラが明治元年、この地に小さな会堂を建てたのが始まり。会堂は、聖なる犬小屋と言われたそうです。
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もう少し南に下がって。
外国郵便創業の局は、横浜みなと郵便局の建物にプレートがありました。
明治時代に入ると前島密によって日本国内の郵便制度ができますが、外国郵便は明治8年、日米郵便交換条約を結んだことでその取扱いが可能となったもの。プレートはそれを記念するものです。 -
横浜みなと郵便局の南西側のはす向かい。
横浜地方検察庁入口に立派な石碑があって、電信創業の地。明治2年(1869年)、この場所で横浜電信局と東京電信局間の初めての電報が始まったというのを記念するもの。碑のデザインは、その電信を形にしたような感じ。雰囲気が出ています。 -
横浜地方検察庁の南隣は横浜地方 簡易裁判所。旧横浜地方裁判所の建物です。大正12年(1923年)の関東大震災で旧庁舎が倒壊焼失し、その後、昭和5年(1930年)に再建されました。旧横浜地方裁判所は、BC級戦犯裁判を始めとした裁判の歴史を伝える唯一の裁判所でもあったようです。
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そこから東側のブロックに移動して、横浜都市発展記念館へ。
横浜都市発展記念館と同じ建物内にある横浜ユーラシア文化館を訪ねます。考古学者で、東京大学名誉教授。文化勲章受章者でもある江上波夫から寄贈された2500点余の資料をベースとしていて、旧石器時代から現代まで、ユーラシア全域にわたる展示物はなかなかの内容です。世界は広いなあという実感が湧いてきます by たびたびさん横浜ユーラシア文化館 美術館・博物館
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モンゴルの衣装
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家「ゲル」の骨組みとか
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緑釉櫃
後漢1~3世紀 中国 -
藍釉押型人物騎馬文水差し
12~13世紀 イラン -
石製容器
紀元前2500~2300年 イラン -
朱雀文瓦当拓本
前漢 紀元前3~2世紀 中国 -
玄武文
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移動式羊頭付竈
紀元前第2000年紀 イラク -
緑釉獣脚付方盤
後漢1~3世紀 中国 -
三彩稜花盤
遼 10~11世紀 中国 -
花文白釉洗
金 12~13世紀 中国 -
青磁高坏
15世紀 タイ -
染付壷
18~19世紀 朝鮮半島 -
鉢
イラン -
ラスター彩人物星形タイル、ラスター彩人物像
12~13世紀 イラン、14~15世紀 イラン -
ヒンドゥー教神像拓本
元 14世紀 中国 -
皿
20世紀 ウズベキスタン -
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ガラス製香油瓶
紀元前5~3世紀 シリア -
首飾り
6~8世紀 イラン -
動植物文敷物
20世紀 イラク
それぞれが美しく見応えがあって、世界は広いなあという実感が湧いてきます。ところで、江上波夫氏が面白いのは騎馬民族征服王朝説。紀元前2世紀に朝鮮半島の南部に存在したとされる辰国が日本を統一し、ヤマト朝廷を創設したとするもの。辰国の存在が怪しいものだし、今は一風変わった説としての位置づけしかないと思いますが、ヤマト朝廷が大陸から渡って来た一族によって始まったという考え方という意味では、私もそう考える一人。つまり、①弥生時代は大陸からの人々の流入が滔々と続いていて、そこら中が渡来人だらけだったという状況。②弥生時代→古墳時代とか時代の激変はこうした人々の流入によるものと考えるのが自然。ヤマト朝廷の発生も同様。③小さなクニ→大きなクニ(邪馬台国)→ヤマト政権といった変化は文化を取り入れるといった生半可の要因では考えられないレベル。④4世紀の中国は五胡十六国時代。中原は乱れに乱れていて、その中から日本列島に逃れてくる有力な氏族がいてもおかしくない。
騎馬民族征服王朝説は、時代の激変が文化を取り入れて変わったというような生半可なものではないという指摘であり、ユーラシアの文化の多様性は多くの民族が移動したり興亡を繰り返した歴史を物語るものという認識からくるものではないかと思います。その辺りのセンスが考古学に広く浸透していかないのが私としては逆に不思議。ヤマト朝廷の起源と絡めた邪馬台国論争とかいい加減にしてほしいというのが私の願いなんですけどね。 -
さらに散策を続けます。今度は山下公園の方へ。山下公園の南側の大通りです。
旧英国七番館は、大正11年、イギリスの貿易会社として建てられた赤レンガの建物。二階部分の石造りの二つの出窓が意匠のポイントでしょうね。内部は戸田平和記念館となっていて、原爆の関係や反戦の展示があれこれ。ただ、ちょっと表面的な展示のような印象もなくはなくて、まあまあほどほど。ただ、生々しくないので、気軽に立ち寄れるということはあるかもしれません。 -
ここから山の手に向かいますが、その途中。
ヘボン博士邸跡は、安政6年(1859年)、横浜開港とともに医療・伝道活動を目的として来日したアメリカ人宣教師、ヘボンの邸宅跡。成仏寺の仮寓から、文久2年(1862年)、ここに移転しています。ヘボンの功績は、なんといってもヘボン式ローマ字の創始者であること。今でも日常的にお世話になっていて、素晴らしい功績だと思います。
なお、生麦事件で被害にあった四人のうち、マーシャルとクラークはアメリカ領事館として使われていた本覚寺へ駆け込みヘボン氏の手当てを受けたことも逸話です。 -
ヘボン博士邸跡から山の手に上って、エリスマン邸へ。
設計はチェコ出身の建築家アントニン・レーモンド by たびたびさんエリスマン邸 名所・史跡
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スイス人貿易商フリッツ・エリスマンの邸宅。設計はチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
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レーモンドは、帝国ホテル設計のための日本に行くフランク・ロイド・ライトに同行。ロイドの下で働くことになるのですが、その後も日本に留まり、多くのモダニズム建築を残しました。
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エリスマン邸は比較的初期の頃の作品です。
外観からして、装飾のない直線的構成を持つ立方体を特徴とするモダニズム建築らしさが強く感じられると思います。 -
もう時間も時間なので、併設されているカフェ エリスマンでランチにします。窓際の明るいサンルームの席は、窓越しに周囲の緑もよく見えますね。
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いただいたのは、ボロネーゼ 牛肉の赤ワイン煮添え。ちょっと家庭的で穏やかな味わい。静かに過ぎていく時間を楽しみました。
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昼飯を食べて少し落ち着きました。
隣りのベーリック・ホールを拝見して、中華街の方に戻ります。ベーリック・ホール 名所・史跡
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では、中華街へ。
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まず向かったのは、聚楽のマーラーカオ。
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店頭に一個だけ残っていて、ぎりぎりそれをゲットしました。話によると、いっぺんにたくさんはできないんだとか。少しづつ作って売っているようです。ちょっと変わった香りがほんのり。なんかいいですねえ。派手ではないですが、本物って感じです。
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春節祭の龍のランタンも拝見。
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せっかくなので、もう一軒。
安記は、創業昭和7年。中国人船員に朝飯を提供するところから始まったお店です。 -
名物のレバーのお粥をいただきました。
しっかりしたレバーが底の方から何枚も出てきて、歯ごたえもあるし、うまみもすごい。あっさりしたお粥との組み合わせがまたいいですねえ。じわりとおいしさが沁みてきます。じわりとおいしさが沁みてきます by たびたびさん安記 グルメ・レストラン
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中華街からは、横浜スタジアムへ。
横浜ベイスターズは、2024年の日本シリーズで福岡ソフトバンクホークスを破り、26年ぶり3度目の日本一に。横浜市民もしばらくのもやもやがすっきりしたと思います。ここは中華街からも近いし市街の中心にあって、関内駅にも近い便利のいい場所。近くにはベイスターズ通りなんかもありました。 -
そして、こちらの横浜ベイスターズ優勝記念モニュメントは、平成10年、球団としては38年ぶり、横浜ベイスターズとしては初めての日本一を達成した記念に建てられたもの。選手の手形がいっぱいありました。ただ、横浜スタジアムとは少し離れた場所ですが、どういうことなんでしょうね。
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今度は赤レンガパークにやってきました。
横浜の観光ならここも定番ですが、横浜赤レンガ倉庫のある海岸端の公園。まあ、公園というか石畳のただっ広い広場という感じかな。海に面していて、海に向かっては眺めもいい。なにもない開けた場所というだけですが、それがこのロケーションにはまた合っているような気がします。 -
横浜赤レンガ倉庫の方からまっすぐ海に出たところにはピア赤レンガ桟橋。赤レンガ倉庫一号館の先にある観光船の船着き場です。沖合には横浜港大さん橋も見えていて、ベンチに座って、ちょっと一服。
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辺りは散歩をしている人も多いし、山下公園と同じくらいのんびりできます。
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赤レンガ倉庫の北側にある旧税関事務所遺構です。廃墟のような煉瓦の遺構が芝生や植え込みの間に見え隠れしていました。
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ちなみに、旧税関事務所は、明治後期から大正初期にかけて造成された港湾施設の一つですが、関東大震災で壊滅的な打撃を受け、わずか9年の歴史を終えることに。しかし、これはとても雰囲気のある景色。一部であってもこうして保存されたことは幸いだと思います。
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赤レンガ倉庫の北側の同じ広場の一角にあるのは、旧横浜港駅 プラットホーム。
明治44年頃は横浜税関内の荷扱所として使われ、大正9年には東京駅からの汽船連絡列車も行き来していたという駅のプラットホーム。古いものですが、無駄のないフォルムは今でも映えていると思います。 -
さらに進んで、海上保安資料館横浜館を訪ねます。
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こちらは、日本周辺海域の現状や海上警備の重要性について理解を深めるための施設。で、特に圧巻なのは入ってすぐの中央に置かれた北朝鮮の工作船。
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平成13年に発生した九州南西海域工作船事件では銃撃戦となり、逃げきれずと見た工作船は自爆。海に沈みましたが、それを引き上げたのがこの展示。
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かなり大きな船で弾痕の跡も生々しい。日本の海を守る現場がいかに厳しいものであるかがひしひしと伝わってきます。
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海上保安資料館横浜館の少し西側に建つJICA横浜。そのの二階にあるのが海外移住資料館です。
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日本人の海外移住の歴史および移住者と日系人の現在を伝える施設ですが、けっこう規模が大きくて、予想外に活き活きとした展示内容でした。
海を渡った移住者は76万人。 -
ハワイのサトウキビ畑。
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サンフランシスコ湾岸地域に渡航した書生たちは、ちょっと変わった視点。
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ブラジルのコーヒー園。
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コーヒーの不況から、綿花への転換とか。
ブラジルから日本に戻ってきた日系二世や三世などが芸能人にもいたことでそれなりにその存在を知らなくはない世界ですが、翻って、今の時代を考えると日本人はますます内向きになっているような気がします。少子老齢化も進むし、いったいどうなってしまうのか。対する中国には華僑の巨大なネットワークがあったりしますからね。展示を見ていてもけっこう心配な気持ちが募りました。 -
JICA横浜から、今度はクィーンズスクエア横浜へ。ここからだとコスモクロック21もよく見えます。
横浜みなとみらい21のシンボルはランドマークタワーですが、このコスモクロック21もけっこうな存在感。全高112.5m、定員480名の世界最大の時計機能付き大観覧車です。一周すると約15分。ゆっくりゆっくりと回ります。 -
クィーンズスクエア横浜から、北仲ブリックへも行ってみます。
馬車道駅をあがって北すぐにある商業施設。二つの建物の間の通りには屋根があって、おしゃれな街並み風の構造があって目を引きます。お店もそれぞれいい感じ。 -
立派な構えのBoulangerie JEAN FRANÇOISでパンを買って、横浜の味を楽しみます。
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クロワッサンをいただきましたが、パリパリに焼きあがった層のおいしさはさすがですねえ。近代のパンの発祥は横浜のようですが、その伝統を標榜するに恥じない名店だと思います。
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ここから桜木町駅の方に向かいますが、その途中に建つ目立った建物。
ヨコハマ創造都市センターとなっていますが、今は空き家の状態。旧第一銀行横浜支店の建物がそのまま残っているというもの。ただ、本町通りとみなとみらい大通りが合流するY字路に建つ建物の意匠はインパクト十分。関東大震災の後、昭和4年に再建された建物です。 -
ほどなく、桜木町駅に到着。
桜木町駅は日本で最初の鉄道駅、旧横濱駅。 -
それにちなんで、当時走行していた110形蒸気機関車がここ旧横ギャラリーには展示されています。たぶん相当のメンテナンスをしたのでしょう。機関車はピカピカ。夢の世界に出てくるような姿です。
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なお、エドモンド モレルのレリーフは、旧横ギャラリーの中に設置されているのですが、これを見るためには外に出て、ガラス窓越しに見ないといけないのでちょっと分かりにくいかもしれません。ちなみに、エドモンド モレルはイギリスの技術者。明治政府に鉄道技術主任として雇用され、日本の鉄道の礎を築いた人物です。
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さて、晩飯は萬里へ。
萬里は餃子のお店だと思っていましたが、ずいぶん昔に来た時の記憶ではまあまあくらいの印象でしたね。 -
今回は餃子のほかに
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八宝菜とかほかの料理も食べてみると、これがかなりうまい。北京料理のお店ですが、優しい味わいで食べやすいし、ここはいろんなものを試すべきお店だなと思いました。
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今夜の宿の横浜マンダリンホテルは、桜木町駅から歩きます。野毛の繁華街を抜けて行ったりしたので程よい距離感。最後は少し坂を上ります。
建物はしっかりしているし、スタッフの対応もまずまず。部屋は普通のビジネスホテルといった感じで、狭くもないし、広くもなしといったところ。ただ、周辺は静かだし、落ち着いた環境。ここなら賑わいと少し距離を置いて、ゆっくり休めると思います。部屋は普通のビジネスホテルといった感じかな by たびたびさん横浜マンダリンホテル 宿・ホテル
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翌朝からも散策ですが、この日は息子の家を訪ねる予定があるので、時間があるのは昼過ぎまで。ちょっと手早く回りたいと思います。
美空ひばり像は、松葉寿しという寿司屋さんの前。今はないですが、美空ひばりが初めて舞台を踏んだという横浜国際劇場の近くということと美空ひばりが芸能活動をはじめた頃からここに通っていたのだという関係。銅像はこの店の主人の発案によるものですが、美空ひばり主演映画「悲しき口笛」の舞台も野毛の辺り。それなりの縁で結ばれた美空ひばり像です。 -
近くを流れる大岡川は、横浜市街を抜けて横浜港に注ぐ二級河川。中区の桜木町辺りの桜並木はちょっとした町の感じもあるし、弁天橋の辺りだとまるで運河のような景色。横浜の要所要所を貫いて流れる川。気が付くとそこを流れている的な存在ですね。
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日ノ出駅と黄金駅の間の大岡川沿いには、日ノ出湧水という湧水があります。街の真ん中で湧水というのは奇異な感じもするのですが、水源は野毛山だとか。けっこう勢いがあって、水は澄んでいてきれいです。今は特に利用はされていないようですが、かつては横浜港の船舶に飲料水を提供していたということです。
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伊勢佐木町の方にやってきました。
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お目当てだった伊勢佐木町ブルースの歌碑は、青江三奈の名曲を伊勢佐木町ブルースを記念するもの。確かに一世を風靡した感はあって、この歌で伊勢佐木町の名前は全国隅々まで知られることになったでしょう。グランドピアノに楽譜が貼られて、青江三奈の歌う姿のレリーフも。ボタンを押すと曲が流れてくるという仕掛けです。
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伊勢佐木町ブルースの歌碑から関内駅に向かって。
マリナード地下街は、そのすぐ手前。何でもないようなところに降り口があって、これは知らないと気が付きにくいと思います。規模は小さいですが、ちょっと雰囲気はありますね。朝はその店もシャッターが降りていましたが、通りを越える地下道の役目もあって人通りはそれなり。寂しくなる時間はあまりないようです。 -
少し戻って。
吉田橋の歩道途中に吉田橋関門跡の碑があります。吉田橋は、開港した横浜ヘ陸路である東海道から横浜路を開設した際の横浜路を通した橋。ここが交通の中心地となると、治安維持のためにここに関門を設け、出入りを取り締まります。この関門を境にして馬車道川を関内、伊勢佐木町川を関外と呼び、その関内の名前が今も残るという流れですね。 -
関内駅から桜木町駅の方に移動して。
横浜紅葉坂は、紅葉橋交差点から一直線に上って行く坂道。長さは340mけっこう長いし、急な坂道で、上るのはなかなか大変です。これを上りきると伊勢山ヒルズ。振り返ると桜木町駅辺りからランドマークのあるみなとみらい地区がよく見えます。 -
紅葉坂をほとんど上りきった場所にある神奈川奉行所跡。安政5年(1859年)、横浜の開港直後に置かれ、神奈川奉行は外交関係や税関業務を行っていた運上所とともに行政を担っていました。運上所とこの坂を馬で行き来していたようです。
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そこから回った掃部山公園は、横浜みなとみらい21を見下ろす高台。
地形は二段構造。高い方の場所に井伊直弼像が立っていて、低い方はまっ平らの広場のような公園。ここでラジオ体操とかしたらぴったりの場所ですね。 -
で、その井伊直弼像は、こちら。横浜港開港の決断をした人物ということでここに建てられたものだと思いますが、幕末の事情はとても複雑。井伊直弼の考え方は消極的開港論ということで、今は攘夷は行わないが将来的には攘夷を行うというとんでもなくいびつな考え方。松平春嶽や横井小楠のような積極的開港論とは基本的に異なりますから、開港を決断したと言っても評価は簡単ではないと思いますけどね。
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井伊直弼像から桜木町駅の方に下りつつ。
神奈川県立音楽堂は、昭和29年に開館した音楽専用ホール。イギリスのロイヤル・フェスティバル・ホールを参考に第二次世界大戦後の日本建築界をリードした前川國男が設計。優れた音響効果を持つホールとなりました。日本の近代建築20選にも選ばれて、雰囲気のある構えが素晴らしいと思います。 -
桜木町駅まで帰ってきて、北側に建つのはヒューリックみなとみらい。紅葉坂を下りてきたところに建つビルです。近くで見るとさほどでもないように見えますが、紅葉坂の方から見ると、ランドマークタワーとバランスが取れて美しい景色。意外に大きな建物です。
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桜木町駅から石川駅に移動して。
気になっていた喫茶店、エレーナを訪ねます。石川駅から大丸谷坂を上っていきましたが、けっこう大変ですね~
この白い建物の小さなお店です。 -
高台にあるので、店内からは横浜の市街がきれいに見渡せます。
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モーニングをいただきましたが、この珈琲のうまさは抜群ですね。私はもともとこういう酸味のある珈琲が好きなのですが、そういうことだけでなく、浅煎りのすっきりとした爽やかな仕上がりがとてもいい。この珈琲だけでも訪ねる価値があるように思います。
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せっかく山の手に上って来たので、気になるところもチェック。
桜道橋は、山手本通りから南に急な坂を降りて行った桜道を通す橋。大正12年の関東大震災の復興事業として、山手隧道とともに建設されました。石造りのがっちりした姿。「横浜市認定歴史的建造物」や「土木学会選奨土木遺産」のプレートが設置されていて、誇らしげです。 -
イチオシ
山手本通りに戻ってきて。
カトリック山手教会や -
イチオシ
末日聖徒イエス キリスト教会の美しい姿もチェックです。
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再び、中華街に戻ってきて。ここからは、昼飯とお土産の調達です。
お土産の第一弾、のり蔵は、中華街にある人気のパン屋さん。この日もちょっとした行列ができていました。 -
パンは、品ぞろえからするとスイーツ系がけっこう充実している感じですね。いただいたのは、ハード系のパンとかオーソドックスなもの。小麦の味わいがしっかりしていて、期待通りのおいしさでした。
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昼飯は、菜香新館で、ランチのコース。
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野菜の甘酢漬け広東風、チャーシュー
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にらまんじゅう
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小籠包
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干し貝柱入り大根蒸しぎょうざ
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蒸しスペアリブ 香港風
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ジャジン、ギョクチク、ハトムギの葉香健康スープ
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野菜のジュージュー土鍋
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レタス、チャーシュー入り炒飯
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杏仁豆腐
フルコースではないですが、かなり充実のラインナップ。定番の点心とかに加えて、蒸しスペアリブとかもちょっと驚きのうまさ。最後の方のチャーハンなんかもさすが老舗のお味。もうお腹はパンパンでした。
また、スタッフの応対がとてもフレンドリー。それも心が温まりました。 -
そして、お土産第二弾は、中華菜館 同發 本館の鶏肉の香味焼き。
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イチオシ
皮のところだけを食べるなら北京ダックという感じかな。八角とかでしょうか独特の香り付けもあって、こういうのを食べるとやっぱり中華料理の素晴らしさを強く感じます。目論見通り、息子たちにもけっこう受けたので、ホッとしました。
以上で、横浜の街歩きは終了。
明日以降は、修善寺・伊豆長岡、三島、沼津など。まだ旅は始まったばかりです。
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