2024/12/03 - 2024/12/05
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fmi(ふみ)さん
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12月中旬になっても紅葉は楽しめる今年。
その12月上旬に、大阪、神戸、奈良、泉北などを三日かけて廻ってきました。その時の記録です。
今回は、今まで秋に訪れていない、奈良の平城宮跡を訪問、同時に沿線撮影を行っていなかった、近鉄京都・奈良線と、JR奈良線の鉄道写真撮影も行いました。
平城京跡の広大な空間の中を近鉄電車は横切っているので、好撮影地になっているのですが、今後、宮城跡は公園として整備と同時に、近鉄の路線や大和西大寺駅付近も立体交差化(地下化?)する予定があります。
大和西大寺駅は、2年前の2022年に発生した、「7.8暗殺事件」の現場でもあります。西大寺駅から平城宮公園へ行くには、必然的に、「その現場」を通ることになります。その場所には、小さな花壇がありました....
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
早朝の新大阪駅
ここからおおさか東線で久宝寺まで行き、そこで大和路線に乗り換える。新大阪駅 駅
-
東京よりやや遅い大阪の日の出。生駒山を背景に陽が登る。
JRおおさか東線 乗り物
-
大和路線201系普通。
どんどん数を減らしている。あと何年乗れるかな。
東京では既に引退しており、大阪でもここでしか見られない。久宝寺駅 駅
-
アクシデント発生。
大和路線で異常が発生、抑止遅延祭り。大阪に来ると毎回どこかしら運休遅延祭りに遭遇する。
大和郡山で降り、近鉄郡山へ逃げ、大幅に計画を変更する。
当初、JR奈良線と近鉄京都線を撮影してから西大寺に行くつもりだったが、まず最初に大和西大寺に行くことにした。
大和郡山駅の次は奈良駅だが、近鉄郡山駅から大和西大寺までは4駅先。
運よく急行が来た。通学客でごった返す。近鉄郡山駅 駅
-
大和西大寺駅で下車。
駅舎は、平成中ごろに建て替えられ、駅前の広場やバスターミナルが再整備されたのは、昨年のこと。
ここから平城宮跡へ徒歩で向かうが、その前に....大和西大寺駅 駅
-
この駅は、2年前の2022年7月8日、まさにここで発生した、あの暗殺事件によって、世界的に有名になってしまった。
大和西大寺駅北口ロータリー、当時駅前広場が整備工事中で、ちょうど北口へ入る交差点上に工事区画が島のようにあった。そこで遊説中に事件は起きた。
画像の奥、黒い車が停まっているその先の道路上、横断歩道のあたりが事件現場だ。 -
マピオン地図 https://www.mapion.co.jp/ から借用しました。
大和西大寺駅周辺の地図ですが、赤い丸で囲った所が、暗殺現場になります。
事件の簡単な経緯を示す。
2022年7月8日、参議院選挙の只中、午前11時半前後、自民党の参院候補、佐藤啓氏(奈良選挙区現在当選2回、元清和会)の応援遊説として、安倍晋三元首相が登壇、周辺は駅前広場整備の工事中で、交差点真ん中に島状に囲ってあった工事区画を遊説地点にしていた。
午前11時31分、安倍元首相の背後に40代くらいの男が近づき、カバンから取り出した手製の銃で2回発砲。発砲音に振り向いた安倍元首相を2回目に発砲した銃弾が首に命中。救急車とドクターヘリで直ちに病院に搬送し蘇生措置を行ったが、午後5時過ぎに死亡が確認された。 -
当初は、安倍政権に反対するいわゆる「アベガー」が行った政治テロだと安倍シンパたちは色めきだったが、殺害した男、山上容疑者が犯行に及んだ原因は、あの宗教団体に対する恨みであり、政治的な動機ではなかった。
霊感商法や合同結婚式などで世間を騒がしたが、過去のことだと思われていた宗教問題が、あらたに「宗教2世」と呼ばれる悲劇を携えて世間のもとに白日にさらされ、政権党がそれに深く関係していたという、その異常性に世の中は震撼した。 -
大和西大寺駅の北側のビルの下から撮影。
山上容疑者は、このあたりから、写真左側のバスがいる交差点あたりで遊説中の安倍元首相に近づき、発砲しました。
昭和の妖怪と呼ばれた岸信介の孫として生まれ、8年も政権を維持し、権勢をふるった男の最期はあっけないものでしたが、それは世間を揺るがすには十分でした。
安倍政権は「信者」ともいえる熱烈な支持者が多く、国会での勢力も圧倒的に強い一方で、嫌悪し、批判する人々も多かった政権でした。そして、お互いにネトウヨだのバヨクだのと罵り合い、深刻な社会分断を招いた政権でもあります。
はっきり言います。私は自分の経歴(地方公務員でした)と人生体験によって、門閥と言っていい政治家、特に薩長閥に好い印象を持っていません。それ以上に「忖度」とかいうものは役人崩れとしての矜持もあって嫌悪します。また「モリカケ騒動」にからみ、財務省の役人が自らの命を絶っています。
私は役人を消耗品扱いする政治家には、生理的な拒否を感じます、これは善悪とか美醜とか関係なく、自分自身の今までの人生から生じたもので、変えようがない、どうしようもありません。 -
写真手前、東側から現場をのぞむ。
横断歩道になっているが、ここが当時工事中で、遊説会場となり、現場となった。
バスが走ってる脇あたりか。
しかし、相手がどのような人物であれ、殺害していい理由には絶対になりません。世の中には「因果応報だ、天罰だ」と公に論じている人もいますが、私はそうは思いません。
「宗教2世」、「政治と宗教の癒着」、この点が白日にさらされ、結果として。世の中は暴力で「動いて」しまいました。そういうことは本来あってはならないんです。多少は、今年秋の総選挙にも影響しているはずです。結果的に、これは「テロ」ですよ。
「国葬義」の開催とか、「容疑者に減刑嘆願が1万以上、加えて多量の差し入れ」とか、こういうテロは、被害者だけでなく加害者も神格化します。人をいたずらに神格化してはいけないんです。 -
暗殺現場から一番近い歩道は、花壇として整備され、今もこのように花束がたむけられています。
暴力では結局、世の中は何も変わらないし、変えてはいけないんです、ヘルムート・ラコックとかヨブ・トリューニヒトみたいな事例は架空の世界だけで沢山です。
確かに私は安倍政権は好きではありませんでした。しかし、暴力はもっと嫌いです。
私は以前、成田市の郷土史の影として、ここで以下の拙文を書きました。
https://4travel.jp/travelogue/11748434
ここの冒頭、成田市青年会議所の一文を再び紹介します。
... 「人間なら話し合いをしてください」... -
大和西大寺駅、7.8テロ事件の地をあとにし、広大な平城宮跡にやって来た。
西大寺駅から予想以上に距離がある。駅から西側の入口まで700mはある。 -
ただただ広大な広場、というかススキの草原が広がっているこの平城宮跡。
「国定平城宮跡歴史公園」
我が国は法律上では「都」がどこにあるかは明記されてはいない。国内的にも国際的にも「東京(江戸)」が事実上の首都であると広く認められているが、これは、国家の象徴たる(外国では象徴≒元首である)天皇が、東京にお住まいだからである。
なので、西暦1868年に東京に遷都するまで、我が国の首都は「京都(平安京)」だった。平安京が首都と定められたのは西暦794年だから、1000年以上、都だったわけである。その前は、ここ、奈良、平城京が710年から784年まで74年ほど「首都」であった。
それ以前にも藤原京をはじめ「飛鳥時代」と言われる通り、少なくとも奈良盆地に我が国の首都は存在していたのである。平城宮跡 名所・史跡
-
所々で、往時の建造物を、当時の宮大工方式で復元を進めており、第一次大極殿や朱雀門など一部は完成しているが、敷地の大部分はこのような広場、というより草むら。発掘調査や工事があちこちで行われているので、歩いたりたちったりできる所は意外と少ない。所々はもはやススキなど草の藪と化している。
平城京は1998年にユネスコ世界遺産に登録され、2008年から都の復元事業が始まり、2010年に平城京遷都1300年を記念して大極殿が復元された。
そのほか朱雀門、東院庭園などが復元、そのほかも遺構が公開されているエリアがある。
見どころは大極殿と朱雀門を結ぶ朱雀大路よりも東側に集中し、近鉄の西大寺駅に近い西側は、湿地保全地区となり、葭原やススキの原野が広がる。
朱雀門の南側に記念会館などがある。
大和西大寺駅から朱雀門までは、ゆうに1.5km以上あり、歩いても20分はかかる。
国営平城宮歴史公園、東西は約1.3km、南北は約1.2kmある。実に広大。 -
帰りの伊丹発成田行き航空機から空撮した奈良盆地。
中央の広大な空き地に見える区画が、その平城宮歴史公園だ。 -
空撮写真に注釈を入れてみた。
広大さが分かると思う。
広大な広場である故、防災拠点としても活用でき、ヘリコプターの発着も可能。
実際、あの7.8テロ、安倍元首相はまず現場から救急車でここに搬送され、待機していたドクターヘリで空送、奈良市より南の橿原市にある奈良県立医科大付属病院に急きょ搬送したが、その時には既に、安倍元首相は心肺停止状態であった。 -
朱雀大路やや西から、若草山方向をのぞむ。
宮城跡周辺は、ため池が多いが、奈良というだけあって、古墳も宮城の周りを囲むように多く存在する。
大和西大寺駅に近い北西側から、孝謙天皇陵(女帝、718~770)、成務天皇陵(第13代、4世紀頃、実在したか定かではない)、平城天皇陵(774~824、薬子の変で有名)、仁徳天皇皇后磐之媛命陵... と並ぶ。南西には垂仁天皇陵(第11代、四世紀ごろ)、そして、南側には鑑真で有名な唐招提寺がある。 -
現在の平城京跡は、敷地内南側を近鉄奈良線が横切っている。ちょうど、朱雀門の真北すぐを通っており、鉄道写真撮影のスポットでもある。
朱雀門北の近鉄線上には、2010年に新設された「朱雀門踏切」があり、これは我が国では一番新しい本線踏切のひとつある。
踏切は、鉄道にとっても道路交通にとっても実は最大の弱点で、現在の道路交通法などでは設置を原則禁止している。ここの踏切はあくまでも例外措置として設置されたもの。 -
平城京内を突っ切って走る、近鉄奈良線の電車。阪神繊に直通する、奈良発三宮行き快速急行(阪神車使用)
-
西大寺と奈良の間は、京都からの特急が乗り入れてくるので、近鉄特急も結構よく見れる。
近鉄奈良線 乗り物
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近鉄奈良線の目の前、すぐ南側に鎮座する、朱雀門。
朱雀門 名所・史跡
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平城京内を走る「シリーズ21」
近鉄奈良線は、難波と奈良の間を、日中は快急3本、急行3本が走り、鶴橋から西大寺の間は通過駅もあるので、快速が15分間隔の大和路線より本数的に有利である。そのほか、毎時1本は京都発奈良行の急行が来る。そのかわり、現在は日中の奈良線は特急は走らず、京都からの特急のみか観光特急が奈良を発着する。
シリーズ21仕様のLCカーや最新鋭8A型のようなハイレベルの通勤車が優先的にやってくる感じ。京都線もそうだが、大半の電車が221系ロマンスカーになり、速度も速いJR線への対策もあるのだろう。
以前は近鉄の中でも特に混雑した路線で、10両編成運転も早かった。朝は10両編成全席指定の特急も走っていた。
好撮影地であるここ平城宮公園朱雀門前だが、将来的にはこの区間は地下化し、移転する予定。理由は、平城京の史跡の中を突っ切っているから。 -
お、朱雀門の前を観光特急「あをによし」が走ってる。
平城京に都が定めてから平安京に遷都するまでの間が「奈良時代」で、天平文化や遣唐使、奈良の大仏、聖武天皇の治世などが時代の目玉だが、平安初期や飛鳥期と同じく、皇族どおしの争いや各豪族間の抗争が少なくなかった時代でもある。
この平城宮と、近鉄西大寺駅の間に「秋篠川」という川が流れ、その西側に「秋篠」という地名があるのだが、ここ4トラの奈良県の紀行を読むと、当時の政権争いの曰くがある地のようである。近鉄観光特急 あをによし 乗り物
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再建中の大極殿南門。
いわゆる「律令体制」全盛の時代が奈良前期であるが、政権は安定していたとは言い難い。安定期と思われる聖武天皇の時代に「長屋王の変」という大きな政変が発生している。国分寺や薬師寺造営や大仏建立、唐招提寺などはその政変の後である。
飛鳥時代と同様、揺れる治世を仏教への信仰によって安定をもたらそうとしていたと思われる。
757年には橘奈良麻呂の乱、孝謙天皇の時代になると怪僧道教の台頭を背景に藤原仲麻呂の乱(764年)、770年には宇佐八幡信託事件による道教失脚。
桓武天皇の治世になり、ついに遷都を決断するも、最初の遷都先、長岡京での藤原種継暗殺などの変がおこり、ようやく794年に平安京に遷都となった。大極門(第一次大極殿院 南門) 名所・史跡
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行政の府であった第一次大極殿。
都が平安京に移った後も、政争は絶えなかった。特に大きかったのが、桓武天皇崩御後の810年に発生した「薬子の変」である。これは桓武天皇の息子であった平城天皇と嵯峨天皇の勢力争いである。病気を理由に一度平城天皇は弟だった嵯峨天皇に譲位するが、再び即位しようともくろみ、都を平城京に戻して政権奪取をもくろんだが、嵯峨天皇の対応は早く、810年9月11日に征夷大将軍坂之上田村麻呂が指揮する軍を派遣、平城天皇は仏門に入り許されたが、反乱をそそのかした藤原薬子は服毒自殺した。
弘法大師空海や伝教大師最澄は、ちょうどこの時代の高僧である。
平城天皇陵は、この平城京大極殿のすぐ北東に存在する。
この争いののち、大体40年は平穏な時代が続いたらしいが、承和の変が発生している。
平将門の乱は、それよりずっと後、935年から940年ころに発生、「光る君へ」の藤原道長は、それよりも後の人物である。第一次大極殿 名所・史跡
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大体1時間以上が経ってしまった、情報を見るといつのまにかJR奈良線の運行も再開していた。
平城宮を後にし、奈良交通のバスで奈良駅へ移動、そこから奈良線に乗って、鉄道撮影を行うことにした。
平城京の時代は政情は安定していたとは言い難く、この時期に繰り返された遷都は政情安寧を願ってのことでもあった。
この平城京や大和西大寺駅の周辺に、政変に縁のある土地があるためか、孝謙天皇の陵墓はじめ女性天皇の陵が複数あるためか、小林よしのりとかいう漫画家が、安倍元首相暗殺と皇室、新興宗教、そしてこの西大寺周辺の曰くを無理やり関係づけているが、要は安倍元首相に神罰がくだったと言いたいのだろう。ちょっと強引すぎると私は思う。
いずれにしろ、江戸時代の200年余りの平和や、昭和中期から現在の79年に及ぶ平和というのは、日本史の中でも稀な事例ではある。 -
JR奈良駅。
ダイヤはまだ乱れており、列車運休も発生していた。奈良駅 駅
-
JR奈良線の京都行普通電車が入線。この電車は意外とダイヤ乱れが少なかった。
面白い塗装の221系。昨年から奈良線で走っている「お茶の京都トレイン」と言うらしい。JR奈良線 乗り物
-
内装も一風変わっている。
奈良駅を北上し、関西線や片町線とのジャンクションになる木津駅は、京都府内。
奈良線は本来木津と京都の間が奈良線。要は奈良県内の区間は奈良線ではない。
奈良市というのは、奈良県全体で言うと、北端に位置している。奈良と木津の間に峠があり、そこが大和国と山城国(奈良県と京都府)の境になっている。 -
京都府綴喜郡井出町、玉水駅。
ここの付近は、開けた所や俯瞰できる所があり、そこで沿線鉄道写真を撮影。
JR奈良線は、複線化が完成した後に乗っていなかったうえ、沿線撮影も十分に行っていなかったため、最優先計画としてここでの撮影と、東福寺駅までの複線化区間試乗を今回行った。玉水駅 駅
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駅から北方600mの地点。県道321号が、高台を走り線路を陸橋で越え、国道24号に合流する地点付近。消防署が目印。
ここで京都行みやこ路快速を撮影。
ダイヤ乱れは相変わらず続いており、単線区間の存在する奈良線では運用変更だけでなく列車の間引きまで行っており、思うように写真は撮れず、まさに忍耐の2文字だった。 -
上記地点より数百メートル田んぼの中の道路を南下。
奈良行みやこ路快速を撮影。
撮影地点である玉水-山城多賀間は、城陽駅以南ではこの区間だけ複線化されている。本来のダイヤではこの区間で上下の快速や普通が離合できるようなダイヤになっている。
現在、奈良線はみやこ路快速なる速達列車が30分間隔、京都から奈良まで走破する普通電車が30分間隔、1時間当たり片道4本走る。単線区間が存在する路線としては結構過密な路線だ。
みやこ路快速は京都と奈良を44分で結ぶ。途中、京阪との乗換駅東福寺、地下鉄の終点六地蔵、宇治、ベッドタウンの城陽、そして玉水、木津と停車。
近鉄京都線の急行が同区間を47分で走り、間隔も30分間隔と大体同じだ。
それ以上にJR奈良線は外国人旅行客の利用が多く、京都から宇治の間、快速が特に混む。
4両編成を6両に増やしたが混雑は解消しないので、来年春ヵら、全ての奈良線快速に指定席(うれシート)を設置することになった。一番奈良寄りの先頭車の車両半分が指定席になる。 -
普通電車に使われる、元阪和線用205系。これもここ奈良線でした乗車出来ないのだが、いつまで走るだろうか。4両編成で、運転速度は120km/h対応車、普通に使用sるはずが、この日はダイヤ乱れで車両のやりくりがつかず、快速にも入っていた。最悪。
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普通電車はそんなに大きなダイヤ乱れはなく走っていた。これで宇治まで行き、快速に乗り換え、京阪の走る東福寺駅まで行った。
奈良線を全線走破する普通電車は、日中は宇治駅で快速と緩急接続する。そのため宇治駅は2面4線の機能的なホーム構造になっている。
電化はしたのにローカル線然として常磐線のお古ばかりが走ってた奈良線は平成初期に、117系2扉転換クロスシート車の4両編成を導入、1時間毎に快速の運転を開始した。当初は、途中駅が宇治駅と木津駅のみ、その際、城陽駅と黄檗駅に行き違い施設が設けられたが全線単線だった。駅構造が減速前提で路線最高速度も95km/hだったので当時は所要時間50分前後を要していた。
大きく変わるのが2001年の第一次改良工事で、宇治駅の改良、新駅設置、京都からJR藤森までと、宇治-新田間の複線化、これによって現在のダイヤの基本が組まれた。
そして、2023年春に、JR藤森-城陽間の完全複線化と、山城多賀-玉水間の複線化と行き違い駅の線形改良が行われ、当初の輸送力増強計画が完成した。
JR西日本では、国鉄時代は大阪や京都に直通するのにローカル線のままで都市圏交通に貢献していなかった、福知山線、山陰線(京都から園部)、片町線、奈良線の近代化が実現、利便性が大きく向上した。玉水駅 駅
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東福寺駅で京阪に乗り換え、いったん駅の外に出て隣の駅舎にまた入るタイプの乗換駅で丹波橋駅とは利便性が違う。
ここは、紅葉の名所東山東福寺の玄関だが、京阪は15分毎運転の準急しか停まらない。JRは全部の電車が停まる。
京阪で大阪方面に行くことにしたが、準急は途中の丹波橋などで特急の退避を行う。
そしてシーズン中のうえ下校時間帯と重なって、京阪特急は混雑状態だった。東福寺駅 駅
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さすがに疲れたので、金払って京阪特急名物のプレミアムカーに乗車。
2扉転換クロス車の混雑立席は極めて不快であるが、それとは雲泥の差である。終始空いていた。この車両、専務車掌が乗務し、車内でも指定券が買えるので助かった。京阪は、日中の特急と快急には全て、この指定席車が付いている。
阪急京都線は、プライベース車両が導入したばかりなので、まだ全ての特急には連結されてはいない。
これで快適に淀屋橋まで移動し、別旅行記で紹介している泉北高速鉄道へ鶏に行くのだった。
京都だけでなく、奈良も大阪も神戸も、インバウンドで外国人客による混雑が常態化している。こういう着席サービスや東日本の快速グリーン車に準ずる有料快適サービスはもっと普及してほしい。特に新快速と嵯峨野線は全ての列車にAシートを付けてもいいのではないか。
この後の旅行記は下記を参照ください。
https://4travel.jp/travelogue/11947770京阪特急 (京阪電気鉄道) 乗り物
-
最後に。
今年10月の総選挙公示前の、千葉県内での演説会風景。弁士は野田佳彦元首相。隣は立憲民主党の候補。脇に2名のSPがつき、元首相の真後ろに黒い防弾板、そして街頭ではなく車上演説となっている。
あの2022年7.8事件のあとも、昨年春の統一地方選挙の際、今度は和歌山で当時の岸田首相が襲撃される事件が起こった。幸い未遂に終わったが、それ以来、首相経験者や党首級の立会演説の警備は物々しくなっている。
再度繰り返しますが、暴力では何も変わりませんし、変えてはいけません、人間ならば、暴力に訴えず、話し合いをしてください。相手が応じずともあくまでも話し合いをする努力が肝心です。これは政治に限りません、ネット社会だからこそ、世の中すべてのことに当てはまるのではないかと思います。
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