
2024/11/29 - 2024/11/30
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mistralさん
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4トラの皆さま 新春のお慶びを申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
まずは昨年のうちにアップしきれなかった滋賀県の旅、から始めさせていただきます。
比叡山から降りてきて
京阪電車で坂本比叡山口駅から石山駅まで周遊クーポンを使って乗車、
駅近のホテルに一旦チェックインした。
ホテルの名はラックホテル大津石山。駅近にこだわって探したホテル。
一休みした後、石山寺へタクシーで行ってみることにした。
翌日は旅の終わりの日。ミホミュージアムへ行く予定だったので、時間的には
この日しか余裕がなさそうだった。
乗ったタクシーの運転手さんから、ライトアップが始まっているため、当日の閉門は16時半と伺った。一旦閉門後、ライトアップの時間になると開門するようだった。
この旅行記の石山寺部分は、約40~50分ぐらいの短時間で早回りした
旅行記となります。帰る頃にはすでに門は閉ざされていて、ライトアップの
準備が始まっていました。
それでも今回の旅での一番の紅葉の光景に出会えて、駆け足だったとはいえ
行ってみて良かったと思えたことでした。
(表紙写真は石山寺、本堂)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 新幹線 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11月29日
比叡山下山後
坂本比叡山口駅から京阪電車に乗った。
石山駅までは周遊ティケットを使ってそのまま乗車。
ラックホテル大津石山に一旦チェックインをし
石山寺を目指してタクシーに飛び乗った。 -
タクシーは途中から、琵琶湖から流れ出ているという瀬田川沿いの道を走っていった。
ももであさんの、琵琶湖は湖ではない、とのご説明に納得。
石山寺 東大門に到着。
平安時代、京都の清水寺、奈良の長谷寺と並び三観音と
いわれた観音霊場。 -
「石山寺縁起絵巻」によれば
天平19年(747)聖武天皇の勅願により
奈良・東大寺の別当 良弁僧正により創建されたそう。
真言宗の大本山。
平安時代には、数多くの貴族、女流文学者が参拝する
「石山詣」が盛んになった。
NHKの「光の君へ」でもお馴染みとなった石山詣。 -
今年の
「あたら夜 もみじ」 のチラシ。
知っていて行ったわけではないけれど
行ってみたら、夜もみじのイベントの真っ最中だった。
もう一度出直すわけにはいかないので、
16時半閉門まで早回りで境内を歩いてきた。 -
境内マップ
-
赤い和傘とお庭に敷き詰められたような紅葉に
惹かれて覗いてみた。 -
参道左手にある「公風園」
中は立ち入り禁止のようだが
覗いてみると綺麗な庭園が広がっていた。 -
公風園入口の土塀のそばの溝にも
落ち葉が散り積もっていた。 -
参道の反対側にある
「大黒天」 -
内部は帰り際に立ち寄った。
12年に一度ごとの子年、秘仏の拳印大黒天のご開扉があるそう。
この大黒天さまは約千年前の後一条院の時代、
湖水より出現したとされる秘仏だそう。 -
お庭にちょこんと立たれていたのは
大黒天さま? -
参詣料をお支払いして中へ。
-
境内には至るところに巨大な硅灰岩(天然記念物)が
あり、世界的にも珍しいものらしい。
本堂や多宝塔もその上に建てられているそう。 -
天智天皇の時代には、この地は石切り場とされ、
石山寺の石が奈良、川原寺の本堂の基礎石として
使われていたことが、近年の研究で分かったそうだ。 -
紫式部供養塔と芭蕉の句碑が
並んで建っている。 -
平安時代、貴族の間で盛んになった石山詣。
当時の人々は京の都から逢坂の関を超え、
打出浜からは舟に乗って石山寺まで来たそうだ。
それからお堂に籠って、夜通し祈願したそうだ。 -
特に女性の間で流行した石山詣。
紫式部をはじめ、藤原道綱母、菅原孝標女など
数々の女流文学者に霊感を与えてきたそうだ。
霊験あらたかという石山の観音さまの功徳が大きかった
のかもしれない。 -
本堂周辺部も紅葉が綺麗で
折から灯り始めた提灯の灯りと共に
幻想的な雰囲気を醸しだしていた。 -
寛弘元年(1004)、紫式部は中宮の新しい物語を読みたいとの
リクエストを受け、石山寺に7日間の参籠をしていた。
その時に琵琶湖の湖面に生える十五夜の名月を眺めて、
都から須磨の地に流された貴公子が月を見て都を恋しく想う
場面を構想し、「今宵は十五夜なりけり」と書きだしたのが
源氏物語の始まりだったそうだ。
本堂の一角にある「源氏の間」は物語執筆の間といわれているそう。 -
塔の周囲の敷石の下には、四国八十八ヶ所霊場のお砂が
敷かれているそう。
なかなか歩く機会がないので、一周を丁寧に踏みしめてきた。 -
折から紫式部展も開催されていたようだ。
-
この辺りで境内をはや回りで一巡したので、
-
石段を降りて最初の参道まで戻っていきます。
-
早足で境内を巡ってきたつもりだったが
門はすでに閉じていて
ライトアップに向けての準備が始まっていた。 -
出遅れた参拝客は
向かって左手の門から退出。
この後、路線バスで石山駅まで戻って
夕食は駅の近くの食堂で簡単に済ませた。
美味しい食事ばかりが続くと、胃にも負担がかかるようなお年頃になり
時には粗食もありがたい。 -
翌11月30日、朝
キャリーはホテルに預かっていただきチェックアウト。
石山駅、3番乗り場から出る帝産バス、150系統
「ミホミュージアム」行きのバス、9:10、に乗車。
(料金は1000円、バス内で支払い可)
50分ほど揺られてやって来た。
写真は入り口のゲート。
ここからトンネル入り口までしだれ桜の並木が続く。
尚バスは春季・夏季・秋季の開館期間のみの運行だそう。
バス停からレセプション棟までは徒歩3~5分程度。 -
門の手前にあったレセプション棟。
ティケット売り場とレストランがある。
この広場から電気自動車の乗り降りをする。 -
美術館までは電気自動車で運ばれるのもよいが
まずは歩いて行ってみようと
トンネル内を吹き抜けて行く強風の中を
歩行中。
帰りの出口側(行きの際の入口側)トンネルは桜の時期には
トンネルに入るまで続いていた満開の桜のピンク色にそまるそうだ。
そんな時期にも歩いてみたいトンネル。 -
写真ではちょっと幻想的だけれど
かなりの強風! -
出口が見えてきている。
内部は光沢のあるパンチングパネルが張り合わされていて
間接照明に照らされて美しい。
その美しさを出すのには、カーブしていてしかも円形のトンネル内部で
継ぎ目がぐるりと通るように合わせて張り合わせるだけでも
大変な手間と技術らしい。 -
最初から美術館の建物を見せないで
トンネルを抜けて初めて
その全容が現れてくるというコンセプトが
なかなか素晴らしいと思った。 -
トンネルを振り返って。
このトンネルから美術館入口あたりまでを使って
Louis Vuittonのショーが行われた。
Women’s Cruise 2018 Show という動画をYou Tubeで見た。
歌舞伎風メイクをほどこした大勢のモデルさんがこの長い橋を
ランウェイに見立てて、ずんずんと歩いていた。
このような山奥深い地なのに、周辺には多くの外国人観客が
座っていたのが印象的な動画だった。 -
トンネルを抜けると、谷にかかるまっすぐ伸びた橋の先に
入母屋型の屋根をしたエントランスの
美術館棟が見えてくる。 -
内部はどんな空間が広がるかと
わくわくしながら近づく。 -
もう一度振り返ってトンネルを見て
-
いよいよ入場。
-
日本の伝統建築を
スチールとガラスで表現したような感じ。 -
内部へ。
-
エントランスから入って正面に広がる景観。
ここMIHO MUSEUMの誕生は、1997年11月、
建築設計はI.M.ペイ氏(1917~2019)
パリ・ルーブル美術館、ガラスのピラミッド、
ワシントンのナショナルギャラリー東館の設計などで
世界的にも有名な建築家。
設計のテーマは「桃源郷」だそう。
所有者:Syumei Culture Foundation
運営管理:公益財団法人秀明文化財団
入場料:大人 1,300円 高校生・大学生 1,000円
小・中学生:無料 -
テーマの桃源郷
パンフレットから複写したこの写真を見るとなるほどとうなづける。
当初、美術館の建設候補地は現在のレセプション棟あたりを考えていたそうだ。ところがその土地をペイ氏は気に入らず、すぐに帰国されてしまったそう。そこで再度ペイ氏のもとに飛んだ美術館創始者の小山氏、一つ山を越えた森林の中の土地はどうかと提案し、受け入れられた。
その折に小山氏は、そのあたりを「桃源郷」と漢字を書いて差し出された。
その漢字からペイ氏にはきっと様々なインスピレーションが浮かんできたのかもしれない。 -
美術館本館のテーマは「自然と建物と美術館」
「伝統と現代」「東洋と西洋」の融合がテーマだそう。 -
建築容積のの80%以上を地中に埋設、
建物の上にはコンクリートの覆いを元の山の形で施工、土をのせて
自然を復元しているそう。
80%以上が地中に?
と聞いて、最初は信じられなかった。
それほどどこにいても光が満ち溢れているように感じた。
それでも二つ上の写真を見てみると、地上に出ている部分が
随分少ないことがわかってくる。 -
北館へと向かう通路。
-
北館で開催されていた2024年秋季特別展、
二階で開催されていた。
テーマは 「うましうるはし 日本の食事(たべごと)」
日本人は食べることー食事(たべごと)に数千年の時間をかけて
おいしくてうつくしい料理文化を創造してきました。
そして今、うましうるはし日本の食事は
世界の憧れの的になっています。本展では
その歴史を様々な美術工芸品とともにたどります。
と、特別展のパンフに書かれていた。 -
特別展パンフより一部を撮影。
二章 神をもてなし、人をもてなす
三章 日々の食事から生まれた懐石
四章 和菓子の世界
五章 百花繚乱の食
などなど、解説とともに器の展示が続いた。 -
ガラスの屋根からは光が充分に降り注ぎ
ライムストーンの床、壁には
その光が躍る。
柔らかい蜂蜜色のライムストーンは、ペイ氏がルーブル美術館で
好んで使った石。
研磨のし方に工夫があり、近くで見る時と、遠くから眺める時とでは
質感が違って感じられるそう。
不思議なことに遠景はツヤツヤ、ピカピカした床のように見える。 -
トイレへの誘導路
-
今、行って来た、北館の眺め。
-
遠くに見えている建造物
この美術館の母体は神慈秀明会という宗教団体。
熱海のMOA美術館の母体である世界救済教から独立した宗派
だそうだが、教祖は同じ人だそう。
美術館から500mほど山奥に巨大な教団施設があるそうで、
それらが美術館からも頭だけ見えているようだ。
左のカリヨン塔はMIHO MUSEUMと同じくペイ氏による設計。
塔の方が竣工は早かった。
右側の教祖殿はNYのワールド・トレード・センターの設計者
のミノル・ヤマサキ氏。 -
少し早めにランチ休憩をしようと
カフェ Pine Viewのある南館へやって来た。
周辺には松がびっしりと植わっているようだ。 -
ここで使用する食材は
農薬や肥料を一切使用しない「秀明自然農法」で育てられた
食材を主に使用しているそう。
スープ、サラダ、パン、コーヒーをいただいた。 -
展示物の撮影は出来ないため、
ホームページに掲載されている写真をお借りしました。
エジプトの展示室へ向かうと、左手後方に見えてくる女神像
「アルシノエのステージ」
アルシノエという方はギリシャ人で、クレオパトラ7世の
200年ほど前のご先祖に当たる方だそう。
紀元前11世紀、御神体としてつくられた礼拝像もあった。30センチほどのホルス神像なのに純銀で16.5キロもの重さがある隼頭神座像は世界で恐らく唯一の礼拝像らしい。かつて大英博物館へも貸しだされたほどの逸品。
コレクションは、創立者・小山美秀子が40年以上にわたり集めてきた
茶道具、神道‘?仏教美術、書画、陶磁器、漆工から始まり
世界の古代美術へと広がっていったそう。 -
館内ご案内、パンフより撮影
仏立像 パキスタン・ガンダーラ 二世紀後半
この像の高さは2.5メートルあり、ガンダーラ様式の仏立像としては
最大とされる。
アレクサンドロス大王の東方遠征により、インド周辺にギリシャの技術や
文化を持った人々が定住するようになり、やがてギリシャのみならずイランや
ローマと様々な文化が、交易によって伝播された。
イラン系民族によって建国されたクシャーナ朝が、仏陀の姿を人間の姿で現すガンダーラ美術を花開かせた。初期の仏陀はギリシャ風の彫りの深い顔立ちで衣をまとっている。 -
ワンフロア下の吹き抜けから立ち上がって伸びている
ファイカス・ベンジャミンの大木。
その木をそこに、と決めたのは建築家のペイ氏。
六角形のライムストーンに囲まれた巨大な植木鉢が
用意されていた。
植えられて20年が経過。
今でも一週間に一度は雨が降ったと同じように、葉や幹に
満遍なく水をかけるそうだ。 -
ケヤキの一枚板のベンチが存在感を誇る。
樹齢350年のもの。
中村外二氏の資材置き場で眠っていたそうだ。
美術館の完成を祝って中村外二氏からプレセントされたもの。
息子さんが庭園設計に関わっておられるご縁か。
長さ5メートル58センチ、幅98.5センチ、厚さ25センチ
(1986年に竣工した神慈秀明会・祭事棟は、どのような建築物か
興味深いけれど、設計は吉村順三氏、施工は中村外二工務店
だそう。中村外二氏は数寄屋建築の大工として有名な方でその方
が造った建築物であれば素晴らしいものに違いないと思う。) -
「契り」(クサビのこと)
亀裂が深まらないよう手が加えられている。
中村外二氏による加工。 -
外二氏は450年前のルーブル王宮から出てきた床材を、
改修工事の折に手に入れられていた。
名工の目利きか。
それを今回のベンチの足として使われた。
ルーブルのガラスのピラミッドを設計されたペイ氏との不思議な出会い
がここにあった。 -
美術館を出て、もう一度ブリッジを渡ってみた。
-
-
トンネルを出てすぐの景観。
橋は斜張式張弦梁による橋だそう。
意味がさっぱりわからないが
ペイ氏が、構造技術者レスリー・ロバートソンと組んで設計した、
120メートルの長さのある吊り橋。国際構造学会で「優秀構造賞」
を受賞しているそう。
「橋の下の自然を保護しつつ、その明るく優雅な構造は建築美と
洗練された芸術感覚の典型となっている」と評されているそうだ。 -
美術館から出て右手にある「ロータリー」へと入っていく。
電気自動車の発着場所になっているようだ。
帰りは電気自動車に乗ってみたかった。 -
入っていってみて、これほど贅沢な空間が発着場所となっていることに驚いた。
八角形の壁が高く立ち上がった中心には四角の天窓。
恐らく雨の日には雨粒が、雪の日には雪の小片が舞い降りてくることだろう。
残響が5秒以上続くようなすばらしい空間なんだそう。
周辺に置かれた椅子に座って電気自動車がやって来るのをしばらく待った。
床には丁寧にピンコロ石が年輪のように張られていた。
周囲から張りはじめ、最後の中心になって石一個分のところ半個分ぐらいしかスペースが残っていなかった。その為最初から張り直していったそうだ。
こんなスペースにも手抜きがない。 -
帰りは電気自動車でレセプション棟まで帰ってきた。
帰りのバスは14時発、石山駅着は14時50分。
ホテルにキャリーを引き取りに戻り
16時30分発の新幹線に乗って帰ってきた。
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