2022/11/25 - 2022/11/26
184位(同エリア1616件中)
mistralさん
- mistralさんTOP
- 旅行記283冊
- クチコミ23件
- Q&A回答19件
- 384,619アクセス
- フォロワー111人
琵琶湖疏水を観光船で京都まで下ることができるという。
「びわ湖疏水船」は平成30年になって約70年ぶりに復活したのだそうだ。 春と秋の観光シーズンには船上からの綺麗な桜と紅葉を見ることができるとあって大人気らしいが、船一隻に乗れる定員は14名ほど。かなりティケットの取得は厳しそうだった。
疎水周辺の自然風景とともに、明治期の偉人が寄せたトンネル出入口にある「扁額」や赤レンガ造りの国登録有形文化財「旧御所水道ポンプ室」などの見学や、更には全長2,436mに及ぶ第1トンネルでは、ほとんどの作業を人力で行った先人たちの苦労を肌で感じることができるとあって、春か秋のシーズンには乗船したいと思っていた。
この8月、秋の乗船ティケットの売り出し開始日の数日後、サイトを覗いてみたらまだまだティケットが残っていたのです。
今秋?それとも来春に?と迷ったものの、来年に行けるかどうかはわからないからと、思わずポチッと押してしまっていました。
(表紙写真は、乗船前のひと時、乗る順番や注意点をガイドさんから説明を受けている。すぐ先には第一トンネルがポッカリと口を開けている。)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11月25日
宿をチェックアウトし、京阪・三井寺駅へやってきた。
コインロッカーへ荷物を預け
疎水船に乗船する前に三井寺に参拝。
紅葉のハイシーズンで、空きコインロッカーがあるのやら
心配していたが、滋賀県ではこれまで無事に預け入れが
できている。 -
途中までは疎水に沿って歩き
三井寺の案内のままに境内へ。
円城寺(三井寺)は、天台寺門宗の総本山で
古くから日本四箇大寺の一つに数えられているお寺。
(四箇大寺:東大寺、興福寺、延暦寺、園城寺) -
伝承では、壬申の乱で天武天皇との戦いに敗れた
大友皇子(弘文天皇)の息子である大友与多王が
父の供養のために天智天皇が持っていたとされる
弥勒像を本尊として寺の建立を発願したとされるそうだ。
寺伝によれば朱鳥元年(686年)、敵対していた
天武天皇の勅願がなされ建立が許可されたとある。
「園城 おんじょう」という寺号は、大友与多王が自分の
「荘園城邑」(田園屋敷)を投げうって一寺を建立しよう
とする志に感じて名付けたものという。 -
三井寺と俗に呼ばれるのは
天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、
「御井(みい)の寺」と呼ばれていたことに由来するそう。
受付の方に、疎水船に乗船する時間(12時45分)をお伝えし
こんなコースで回ったらよいでしょうとアドバイスいただき
そのコースにそって歩いていった。
ずっと続く観音堂までの石段を登っているところ。 -
観音堂
1689年の再建。
西国十四番札所
本尊は如意輪観音で、33年毎に開扉される秘仏。 -
内部に掛けられていた大津絵のみ撮影。
-
観月舞台
-
高台にあるため琵琶湖や大津市が見渡せる地。
-
手水舎
-
百体観音堂
西国札所の三十三観音像を祀っており、右には
坂東三十三箇所、左には秩父三十三箇所の本尊を安置、
併せて百体の観音像を安置している。 -
入口にかかる大津絵は
「鬼の寒念仏」というそうだ。 -
毘沙門堂(1616年建立)を左に見て、
-
紅葉のトンネルの道をまっすぐ進むと
微妙寺が左手にある。 -
本尊は十一面観音。
-
広い境内で時間も気になってきたので
まっすぐ進んだところにある
総本堂となる金堂まで進んだ。
天智天皇ゆかりの寺であり、7世紀の創建ののち
伽藍の焼失、再建を幾度となく繰り返してきた。
現在に残る金堂は、北政所によって1599年に再建
されたもので、桃山時代を代表する名建築。 -
金堂の本尊は秘仏の弥勒仏
用明天皇のときに百済より渡来したものと伝わる。
ことに天智天皇が念持仏とされていたものを、
三井寺創建に当たって本尊としてお迎えしたもの。
以来、1300余年にわたって一度も開帳されたことのない
絶対秘仏として信仰されてきたようだ。 -
金堂内の百体観音が特別に拝観できるということで
セットの入場券を購入してあった。
本堂内から内陣(?)へ入る際には、僧侶の方が
一人一人にお経を唱えてくださった。 -
鐘楼
1602年の再建。
梵鐘は近江八景「三井の晩鐘」で有名。
宇治の平等院、高雄の神護寺と共に日本三銘鐘に
数えられるもの。 -
鐘楼と紅葉のコラボが綺麗だった。
-
唐院
三重塔と灌頂堂(寺院の密教を伝承する道場) -
唐院
大師堂 -
一切経蔵
-
経蔵内部には高麗版一切経が
回転式の「八角輪蔵」に納められている。 -
最初はゆっくり歩いていたが
だんだん広大な境内に焦りだして、最後は駆け足での
見学となった。
仁王門は遠くから眺めただけだった。 -
各所でいただける御朱印の種類が決まっていて、
その一部を載せました。 -
三井寺駅に戻ってきて、コインロッカーからバッグを回収。
疏水船の集合場所近くまでやって来たが
施設内に入れるのは12時半からとのことで
疏水を眺めながら待機中。
(因みに疎水船の関連施設のある敷地は京都府とのことだった。) -
大津閘門(こうもん)は現在工事中。
将来は琵琶湖から乗船して、そのまま疏水を下ることができる
ようになるのかも。
閘門は石と煉瓦で造られた本格的洋風閘門とのこと。
(閘門:水位の高低差の大きい運河や河川などで、船舶を
通過させる為に水量を調節する役割を持っている。) -
閘門は工事中の為、水をせき止め、水の増減する様を見ること
ができずに残念。
トゥールーズでは運河の水量の調節をずっと飽きずに
見ていたことを思い出す。 -
三井寺周辺の地図。
-
川岸には桜並木が続いていて、春の、桜が満開の折にはさぞやきれいなことと想像。
「北国橋」より撮影。 -
ガイドさんと共に、先ほどの橋の辺りから川岸沿いの通路を
観光船の待つところまで歩いてやって来た。 -
3隻の船が待機していた。
-
座席は背中合わせにニ列のみ。
乗り込むのは予約順に前から座っていくとのこと。
グループどうしは横並びとなる。
その中の一隻に、バランスが崩れないよう1人ずつ慎重に乗船。 -
すぐ先には、最初のトンネルの入り口がポッカリと
口を開けている。
乗船前の説明のビデオでは、トンネルの各入口には「扁額」
が掲げられているとの説明があった。揮毫(きごう;毛筆で文字を
書くこと)したのは明治の元勲たちで、そのことからこの工事が
国家規模の大事業だったことが分かる、との説明だった。
大津側は文字を掘り下げた「陰刻」、京都側は文字が浮き出る
「陽刻」とデザインにも変化がつけられていた。
第一トンネル 東側の扁額
「気象萬千」
揮毫者:伊藤博文(初代内閣総理大臣など歴任) -
全長2,436mの長さ。
長距離におよぶトンネルなので寒さ対策をしておくよう、
重ね着をする場合は、ライフジャケットを腰に巻くので、
その下に着用をしておくようにとの説明を受けていた。 -
真ん中あたり、進行方向右側に
第三代京都府知事だった「北垣国道」の扁額があった。
「寶祚無窮」(ほうそむきゅう:皇位は永遠である。)
疎水実現の功労者なのに、ひっそりと内部に扁額をかけられた
北垣氏のお人柄がわかるような。
扁額の上部には、工事責任者となった「田邊朔朗」をたたえる
刻印もあったそうだ。
先に黒ずんだ輪っかが見えてきているが
上部には竪坑があけられていて、そこから水がふりそそいでいる
為、周辺部は常に湿った状態となっているとのこと。
この竪坑は、山上から垂直に穴を掘り、そこからも両側にトンネル
を掘り進めて工期を早める「竪坑方式」を日本で初めて採用した
為にできている坑道。(深さは約47メートルだそう。) -
一瞬で通過した竪坑の真下。
船の屋根に降り注ぐ水を撮影。 -
出口近く。
(夫が撮影) -
イチオシ
「素晴しい光景が待ってますよ。」とガイドさん。
期待して出口へ。 -
第一トンネルを出て、久しぶりに明るい世界へ。
西側の扁額
「廓其有容」(かくとしてそれいるるところあり)
疎水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている。
揮毫者:山縣有朋(第3・9代内閣総理大臣) -
阪神淡路大震災の経験から、大地震によって堤防が決壊
した場合に備えて、水流を自動的に停止する為に設置
されたゲートを間もなく通過。 -
琵琶湖疏水に架けられた最初の橋、藤尾橋。
当時のまま残るレンガと石造りの橋の土台部分の
あたりを通りすぎる。 -
四ノ宮舟溜
かつての船の荷下ろしや船頭の休憩場所。
今は東山自然緑地として紅葉やイチョウが美しい。 -
諸羽トンネル入口近く。
このトンネルは昭和45年に造られたもので、扁額はない。
東海道線と平行して走る湖西線を通すためもとの疏水は
埋め立てられた。 -
mistralの座った席は、最前列の左側の席で
(夫が最初にそこに席についたが、出発前に交換して
もらった。)前方の見晴らしは抜群だった。
すぐそばにはガイド氏が座られ、熱心な説明も
もらさず聞くことができた。
(記憶に残ったかは別ですが。) -
この辺り、左側に見えている石柱は
増水した際、水の氾濫を防ぐ為の
板を差し込むためのもの(との記憶) -
-
安祥寺橋
疎水は等高線にそって開削されているそうだ。
その為、どちらかというと等高線に垂直に流れる自然の河川
とはぶつかってしまう。そこで川をまたぐ水道橋が作られた
ようだ。 -
上部が琵琶湖疎水
下を流れるのは安祥寺川。
レンガ造りのアーチも当時のままだそう。)
(google mapの写真をお借りしました。) -
左手、山科の一帯には天智天皇(中大兄皇子)の陵があるようだ。
古墳時代終末期のものだそう。
正八角形の形をしている。
一説によれば、天智天皇は山科の森へ狩猟に出かけてから消息不明
になり、沓が発見された場所に墓が築かれたという。
よく知られている説によれば、天智天皇は病床へ弟・大海人皇子を
呼び寄せ後を頼んだが、皇子はそれを出家すると言って断り、
吉野へ向かったとされる。
その後に起こったのが壬申の乱。
陵の入り口には日時計があるそうだが、天智天皇が日本で最初の
水時計を作ったと伝わることに因むようだ。 -
この辺りは、木々の紅葉が美しく
のんびりと周囲の景観を楽しみながら進む。 -
-
見えてきた、疏水を斜めに渡る朱塗りの鮮やかな橋は
本國寺正嫡橋。
本國寺は日蓮上人ゆかりのお寺。
山科エリアはお寺も多く、疎水沿いを歩きながらの
寺院めぐりも楽しそう。 -
-
第二トンネル 東側の扁額
「仁以山悦智為水歓」
(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ」
揮毫者:井上馨(農商務、外務、内務、大蔵大臣)
第二トンネルは水路上で最も短く124m。 -
第二トンネル 西側
「随山到水源」(やまにしたがいて、すいげんにいたる」
揮毫者:西郷従道 (海軍大臣、内務大臣など) -
第11号橋
小さな橋だが、日本で最初に造られた
鉄筋コンクリート製の橋と言われる。
今では左右に手すりが取り付けられている。 -
↑の橋をくぐると間もなく第三トンネルに入っていく。
第三トンネル東側
「過雨看松色」(かうしょうしょくをみる)
時雨が過ぎると、いちだんと鮮やかな松の緑をみることができる。
揮毫者:松方正義(第4・6代内閣総理大臣) -
扁額を近くでの撮影に初めて成功。
第三トンネルは総延長850mだった。 -
扁額の撮影にやっと慣れたころには終着点に着いてしまった。
-
旧御所水道ポンプ室。
防火用水を御所へ送る目的で明治45年(1912年)竣工。
ネオルネッサンス様式。設計は片山東熊。 -
西側扁額
「美哉山河」(うるわしきかなさんが)
揮毫者:三条実美(太政大臣) -
下船してから改めて疎水を見てみると
大津から蹴上までの約9キロの難工事をなしとげた
明治の先人の努力に敬意を表します。 -
「琵琶湖の水を京都に引く」という願いは、江戸時代から京都の人々が抱き続けてきた願いだったそうだ。
それが実現に向けて動き出したのは、尊王討幕の志士としても活躍した、京都府第三代知事・北垣国道と、幕臣の家に生まれ、工部大学校(東京大学工学部)で土木工学を学んでいた田邊朔朗と出会いからだった。
東京遷都によって産業が衰退した千年の都を琵琶湖の水で再生したい、と北垣は政治家として奔走し、田邊は琵琶湖疎水に関する卒業論文を書いていた。
(写真はそれまで暗渠を通っていた第二疎水が右手から現れて合流するあたり。) -
幕末だったら敵味方に分かれていたかもしれない二人が、京都の再生という目的で出会った。
北垣は、当時の内務省土木関連予算100万円の時代に、125万円の巨費をかけた大工事を、弱冠21歳の工学士・田邊朔朗に託したのだった。
明治18年(1885年)に着工された疎水建設は、資金面、技術面などで多くの困難を抱え、特に当時の日本では最長となる2436メートルの第一トンネルは、地盤の硬さ、湧水の多い地質など難工事の連続だった。
田邊は日本で初めてとなる竪坑方式を採用し、山の両側だけでなく4方向からの掘削をするという新工法で、この難工事を完成させた。 -
琵琶湖と蹴上船溜の水位差は約4m。
約8kmの距離を平均2000分の1という緩い勾配で水を流しているそうだ。
その為に必要な高度な測量技術、さらには施行上の技術も要求された。
さらに完成直前になって、米国視察に行っていた田邊が帰国後、水力発電に切り替えることを北国に提案。発電によって生まれた電気は更に、近代京都の発展の推進力となっていった。 -
-
ここまでたどり着いた船は
この台車に載せられて -
緩やかな勾配の
蹴上インクラインを下っていったようだ。
行かなかったけれど「琵琶湖疎水記念館」ではジオラマなど
からその様子を見ることができるようだ。 -
田邊朔朗の銅像がすぐ近くにあった。
朔朗は生後すぐ父を亡くし、叔父・田邊太一の支援を受けて工部大学校に進んだ。
叔父は幕府、明治政府の外交官で、岩倉具視の米使節団に同行していたため先見性があったのかもしれない。大学校では最先端の土木工学をグラスゴー大学から来たイギリス人の教授から英語で学んでいた。北垣が知事に就任した当時、田邊は学術調査のため京都へ派遣され、琵琶湖疎水の測量調査を行う。卒業論文としてまとめた後校長の紹介で北垣と出会い、卒業と同時に23歳で工事責任者となった。 -
田邊は疎水完成後、北垣の長女・静子さんと結婚。
媒酌人は榎下武揚だったそう。その後の田邊は、東京・京都の帝国大学教授を歴任。
その後北垣の要請で北海道の鉄道開発に携わり、第二疎水、関門トンネルの建設にも関わっている。
明治27年(1894年)日清戦争が始まった年、英国土木学会からテルフォードメダルを授与された。これは土木学会の最高賞であり、日本人で受賞したのは田邊一人だそうだ。 -
京都に出てきて、観光客の多さにびっくり。
南禅寺まで歩くパワーも無くなってしまい、
特に夕食までは予定は考えてなかったので、
地下鉄の蹴上駅から四条烏丸駅近くのホテルに
このあと向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
近江の旅
-
前の旅行記
紅葉の真っ盛りに、琵琶湖疎水を下り京都まで行ってきた。 その2,大津の町屋
2022/11/24~
大津
-
次の旅行記
紅葉の真っ盛りに、琵琶湖疏水を下り京都まで行ってきた。 その4、歩かなかったきぬかけの路。
2022/11/25~
今出川・北大路・北野
-
ようおまいりやす、こんな大雪の中。 <十一面観音さん詣り>
2021/12/29~
長浜
-
夕方になってしまった近江八幡~雪に埋もれた歩道を苦労して歩いた彦根。
2021/12/29~
彦根
-
大雪で入場を阻まれた彦根城へ、いざリベンジの旅。
2022/10/14~
彦根
-
町の再生を目指してのプロジェクト、職人さんが全国から駆けつけてくれて完成した「ホテル 講 大津百町」
2022/10/14~
大津
-
建築家は、コリーナ(丘)のイメージから、屋根全体に草を生やしたかった。
2022/10/15~
近江八幡・安土
-
湖北の観音さまを尋ねてレンタカーを走らせた1日。
2022/10/16~
木之本・余呉
-
紅葉の真っ盛りに、琵琶湖疏水を下り京都まで行ってきた。 その1、坂本
2022/11/24~
滋賀
-
紅葉の真っ盛りに、琵琶湖疎水を下り京都まで行ってきた。 その2,大津の町屋
2022/11/24~
大津
-
紅葉の真っ盛りに、琵琶湖疎水を下り京都まで行ってきた。 その3、いよいよ乗船。
2022/11/25~
大津
-
紅葉の真っ盛りに、琵琶湖疏水を下り京都まで行ってきた。 その4、歩かなかったきぬかけの路。
2022/11/25~
今出川・北大路・北野
-
大津は来るたびに新しい発見に出会う町。
2024/11/27~
大津
-
坂本といえば比叡山の門前の町であり、明智光秀の足跡が今に残る地。
2024/11/28~
大津
-
比叡山延暦寺って?比叡山全域が境内となっている寺院だそうです。
2024/11/29~
雄琴温泉
-
紅葉真っ盛りの石山寺を駆け足で見学、翌日はミホミュージアムへ。
2024/11/29~
石山寺周辺
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (6)
-
- hot chocolateさん 2023/02/10 23:59:00
- 琵琶湖湖水
- mistralさま
こんばんは。
暦の上ではもう春! とはいえ今日の雪交じりの雨は、体に堪えます。
早く暖かい季節になって欲しいものです。
去年の春、桜の満開時に琵琶湖湖水と三井寺を歩きました。
滋賀が気に入って去年の12月にもまた大津に行ってしまいました。
琵琶湖湖水から観光船で京都まで! 優雅な船旅ですね。
単なる船旅かと思っていたら、トンネルの入口には「扁額」
が掲げられていて、明治のそうそうたる元勲たちが書いたのですね。
この工事が本当に国家規模の大事業だったことが分かります。
幕末だったら敵味方に分かれていたかもしれない北垣氏と田邊氏の二人が、
京都の再生という目的で出会ったのですね。
弱冠21歳という若者に、このような大工事を任せる北垣氏の胆力にも
脱帽です。
hot choco
- mistralさん からの返信 2023/02/11 06:17:04
- Re: 琵琶湖湖水
- hot chocolateさん
おはようございます。
ご挨拶がおそくなりましたが、、今年もどうぞよろしくお願いします。
滋賀はいいですよね。
私もhot chocolateさんの旅行記を拝見した折に、わ~同じだわ、と思いました。
今所用もあって京都に来ていますが、京都に始まり
奈良、明日香へと興味が移り、滋賀へ私もたどり着いています。
大津には何度でも滞在したい気分です。
hot chocolateさんの桜の琵琶湖疏水の旅行記を拝見した折
一年間は待てないから秋の疏水船に乗ろうと思いました。
三井寺あたりを電車で通ると疏水が見えてきて
そこを船で京都まで下れると思ったらワクワクしていました。
おっしゃるように、そこにトンネルを通して琵琶湖の水を
京都に、と決断してやり遂げた明治の先人の方々がおられたからこそ、今もこうして恩恵が受けられることを思うと
ただただ感謝しかないです。
是非とも疏水船を体験されて下さい。
mistral
-
- 川岸 町子さん 2023/01/04 17:36:39
- いつもながら素敵な行程です!
- mistralさん、こんにちは
毎回mistralさんがお選びのお宿やお食事(特に和食)を楽しみに拝見します!
今回もやはり期待通りです~
前回よりも秋が深まり、お食事内容も晩秋になり、目や舌で味わう季節ですね。
お宿の町家、お書きのようにパーキングにされず、残されて本当に良かったです。
壊すのは簡単でも、残す方が手間もかかるけど。
蹴上までの舟旅、お写真拝見すると、水面に紅葉した木々が映り見事です!
ご主人さまとお席をかえっこなさった甲斐がございましたね(笑)
ガイドさんのご案内に耳を傾けながらの、穏やかな移動時間は、なかなかできるものではなく、チケットが取れて、本当に良かった良かった\(^o^)/
三井寺は参拝したいお寺の一つです。
1つ目の旅行記にありました、景色が床に映る庭園、多分私もお気に入りに入れている所だと思います。
滋賀はあまり知られていないのに、魅力あるれる土地ですね!
町子
- mistralさん からの返信 2023/01/04 22:54:23
- Re: いつもながら素敵な行程です!
- 町子さん
こちらにもコメントをありがとうございます。
10月に引き続き、再び近江へ。
自分でも、なんだかなあ、など思いながらの旅でした。
思えば、この疏水船の方の予約が先だったんです。
なんと言っても、一度に乗れる人数には限りがありましたから。
まだ予約ができると知って、すかさず押さえましたが。
実際は、自分でも忙しい中での旅で大変でした。
その後になって、10月の近江が割り込んだ次第です。
確かにおっしゃるように、1ヶ月ちょっとの間に季節は進み、
同じお店に行っても食材も違えば、調理法も変わり、
目と舌と、五感全てで味わったお料理、楽しめました。
京都からすぐの距離にある滋賀県。
観光客は全然少ないですし、お食事は美味しいし、もちろん
食事代もお安いし、はまってしまっています。
改修されてお宿になった町屋もまだまだありそうですし
又行ってみたいなあ、など、
これではきりがないですね(笑)
mistral
-
- 唐辛子婆さん 2022/12/16 12:50:15
- 充実の旅行記
- mistralさん
こんなにも充実した(しかも簡潔で読む人を飽きさせない)旅行記があるでせうか!
私もこのルートで旅をしたとして
詳しくはこちらでとURLを張り付けさせていただいて楽をしたい^^。
「幕末だったら敵味方に分かれていたかもしれない二人が、京都の再生という目的で出会った。
北垣は、当時の内務省土木関連予算100万円の時代に、125万円の巨費をかけた大工事を、弱冠21歳の工学士・田邊朔朗に託したのだった。
明治18年(1885年)に着工された疎水建設は、資金面、技術面などで多くの困難を抱え、特に当時の日本では最長となる2436メートルの第一トンネルは、地盤の硬さ、湧水の多い地質など難工事の連続だった。
田邊は日本で初めてとなる竪坑方式を採用し、山の両側だけでなく4方向からの掘削をするという新工法で、この難工事を完成させた。」
20代の若者に大工事をゆだねてそれに応えて全うした二人の胆力に瞠目以外の何ものでもありません。
三井寺はお能の演目のひとつであり、ぜひ訪れたいと思っていました。
mistralさんの旅行記の追っかけをするうちに生涯を終えるのは至福のことです。
唐辛子婆
- mistralさん からの返信 2022/12/16 17:13:14
- Re: 充実の旅行記
- 唐辛子さん
嬉しいコメントをありがとうございました。
唐辛子さんの「若き薩摩の群像」にもありましたように
密航してまで旅立っていった若者たちも20歳そこそこ、
大学卒業間もなくの若者が、卒業論文で琵琶湖疏水の工事について書いていたからといって
すぐそれを実践してしまうには胆力がなければ
到底出来なかったことでしょう。
途中で困難を極めたからといって投げ出さない粘り強さなど、
いまどきの若者とは人種が違っていたかのようです。
ただ廃仏毀釈など、誤った判断もあったかも知れませんね。
疏水船のパンフには、なるほどなあ、素晴らしいなあ、
と感激してしまうような文章が散りばめられていて
パンフの想いを引用させていただいたり、もしかしたら
魂まで乗り移ってしまっていたかもです。
三井寺は歴史も古く、一時期天智天皇の息子さん、大友皇子を追いかけていたこともあって
ゆかりのお寺でもあり一度は行ってみたいと思いつつ
今回やっと実現しました。
唐辛子さんにとっても三井寺は興味深いことでしょうね。
是非ともご主人さまに協力していただき
疏水船とのコースをご堪能下さいね。
mistral
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
大津(滋賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 近江の旅
6
72