2024/11/28 - 2024/11/28
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mistralさん
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坂本と明智光秀:
元亀二年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちでは、山上の延暦寺堂塔全て、坂本の町屋、日吉山王ニ十一社全てが焼き払われ、僧侶や町人、老若男女の区別なく約三千人が殺戮され、西教寺も全てが焼き尽くされたそうだ。
(最近の調査では比叡山全山には及ばなかった、などの報告もあるようだ。)
その後、信長は延暦寺の監視と滋賀県一帯の支配を明智光秀に命じ、光秀は坂本城を築城して城主となった。城内には琵琶湖の水を引き入れ、高層の大天守と小天守が聳える豪壮なお城だったそうだ。信長の安土城より4年早い着工で、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスも豪壮、華麗な城と記述しているそうだ。
しかし本能寺の変の後10年で、この城は落城。
今でも琵琶湖の渇水時には、普段は見ることのできない、当時の石垣が湖の中から姿を表すそうだ。
(表紙写真は西教寺、鐘楼と周辺の紅葉)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
11月28日、朝食後
宿の前にまっすぐに伸びている旧東海道(京町通)をしばらく散歩。
JR大津駅、北口からは6、7分の距離。
江戸時代、東海道五十三次の五十三番目にして最大の宿場町として
栄えた大津。
最盛期の町割りは100を超え、大津百町と称されたほど。
旧東海道は、ここ鶴里堂(かくりどう)さんの角を
直角に左折すると(札の辻)あとは京都を目指すのみ。
当日の歩いた順番は変わっていますが、この交差点近くの
お店から順番に載せることにしました。 -
大津菓子調進所 有限会社 鶴里堂 というようだ。
明治29年創業、太平洋戦争中、大津市内ではこのお店だけが
菓子の製造を許されて、砂糖の配給を受けていたそう。
三井寺御用達の菓子舗でもある。
小豆は丹波地方で採れる丹波大納言、
香川県と徳島県のごく一部の地域で生産される和三盆糖を使用
しているそう。
欅製一枚板の看板は
大津市景観重要広告物
「鶴里堂」の文字は京都で活躍された書家・山本竟山先生(1863~1934)
の書によるものだそう。 -
柴山商店
老舗の傘・提灯店
店舗兼住居は明治5年(1872年)に建築された。
昭和7年(1932年)には道路拡幅に合わせて、建物前面を1メートル撤去。
軒は短くなり、開口部にはアルミサッシがはめられた。
二世帯同居に当たり、夫妻ともに設計者の柴山さんご夫妻は、
3年かかってリノベート。
断熱改修を施し、外壁には色漆喰を、アルミサッシは木製建具にと、
現代版町屋を造り上げた。2000年のことだった。 -
提灯やさんではあるけれど
クリスマスの時期前のディスプレイとして
クリスマスのオーナメントも登場している。 -
提灯 柴山商店
の下には、寛延元年創業(1748年)とのさりげない文字が。
柴山商店の改修は、近隣の町屋に暮らす人々の関心を引いたようで
工事中から見物する人が引きも切らなかったそうだ。
壊さなくても、住みやすく美しくつくりかえられるという事実が
住み慣れた町屋に対する愛着へと変わっていった。 -
2008年には、有志による「まちなみ協定」が結ばれていた。
地元の大切な「大津祭」で「祭りちょうちんが似合うまちなみ」を
目指そうという協定だった。やがて大津市のアドバイスのもと、
協定の一部に、「地区計画」として一定エリア内での建築物への
ルールを定め、新築や外観改装の際には届け出を義務付けた。
2010年、マンションの建設計画が持ち上がった。
12階建てのマンション建設の計画だった。
協定に基づいて、マンションの事業主と交渉をもち
事業主も事業を一時中断し、まちなみ協定に賛同してくれた。
その結果、マンション高層部は道路から8メートル後退、道路面には
町屋風のエントランスと集会所を設けることとなったのが今の姿。
大津祭の折には住民はこの集会所から祭を眺められることとなった。 -
大津市では町屋の改修事業と並行して電線の地中化を進めてきた。
電線のケーブルを地下に埋設、道路は石畳風に舗装しなおし、
電柱・電線を撤去。5年がかりの工事となり2018年には終了した。
この通りに入ると途端に、空がくっきりと見える気がする。
同じ年、旧東海道ぞいに町屋を改修した宿が3棟開業した。
手掛けたのは「木の家専門店 谷口工務店」(本拠地は滋賀県竜王町)
他にも商店街に散らばる町屋4棟と合わせて7棟を改修。
まとめて「商店街HOTEL講 大津百町」と名付けた。
谷口さんに「商店街ホテル」のアイデアを提供したのが、雑誌
「自由人」編集長の岩佐十良さんだった。「自由人」は南魚沼市で
人気の「里山十帖」を経営していて、おあつらえ向きの出会いとなった。 -
商店街ホテル 講 「近江屋」の入口にある
文化庁の登録有形文化財の標識。 -
当日宿泊した「茶屋」
-
旧東海道の眺め
格子戸に犬矢来など、特徴的な商家が並ぶ。
現在犬矢来を取り外して改修工事中の家もあった。 -
ここは普通のお家?
-
前日の案内人の方とのお話し中に
この近くには大津事件の現場もあるんですよ、と話題に上がっていた
そのポイント。
石柱が立っていた。
「此付近露国皇太子遭難之地」とあるようだ。
1891年、ロシア皇太子ニコライ(後の皇帝・ニコライ2世)が大津訪問中、警備中の巡査・津田三蔵に切り付けられた事件現場に立つ碑。
その折には明治天皇も急遽お出ましになって事態の収集にあたられたという、国家の存亡をかけるような一大事となったようだ。 -
向かい側には
-
旬遊あゆら と言うお食事処
コース料理などもあるようだ。 -
御饅頭処 餅兵 (もちひょう)
宝暦年間(1751年~1763年)に東海道沿いに創業、
生菓子、赤飯や饅頭、創作菓子を販売。
ネットをみるとピスタチオ大福とかラフランス大福などもあって
絶賛されている方がおられ、10時の開店までにはまだまだ
時間があったことがとても残念だった。 -
風格ある看板。
どれだけ多くの人が、ここで一休みして
美味しいお饅頭をいただきひと息ついたことか、
と想いを馳せる。 -
餅兵の屋根でにらみをきかせている鍾馗さまを見つけた。
屋根の上の鍾馗さまのことが以前から気になっていたけど。
前日、商店街ツアーの案内人の方とお話ししていて
思いがけずその話題になって、長年の疑問が解消した。
想像していた通り、厄除けの守り神。
寺院の屋根には鬼瓦があるが、その鬼瓦によって払われた
邪気が降りかかってこないように、周辺の家々の屋根には
鍾馗さまを置くようになったそう。
更には、向かいの家からはじかれてきた邪気を払う場合も
あるようで、その場合は「お向かい鍾馗さん」と言い、
設置する際には向かい合わないように、睨み合わないように
するという(暗黙の?)ルールもあるそうです。 -
大津 「魚忠」(うおちゅう)
料亭。
大工・横井勝治郎の手によって明治38年、呉服商の住居
として建築された建物を20数年前に引き継いだそう。
国の登録有形文化財にも指定されている。
奥庭は、平安神宮、丸山公園などの名庭を手掛けたことで知られる、
明治近代庭園の先駆者、「植治」の屋号で知られる七代目
小川治兵衛の作庭。(奥庭を望むお部屋は特別室というそう。)
ランチには手かご弁当、大津百町ランチ、ひつまぶしなど
もあり、又夜の懐石コースも一万円ぐらいのコースがあり
行ってみたいお店の一つ。
このあたりまで歩いてきて、一旦宿に戻り
チェックアウトします。
といってもキャリーを手に、勝手に出ていくだけですけれど。 -
びわ湖浜大津駅まで向かう途中、
「大津祭曳山展示館」へ寄って、曳山を見ていこうと
やってきた。
入場料はたしか一人150円だったような。 -
内部には原寸大の模型が展示されていた。
別名を「桃山」とよばれている、丸屋町からでている曳山
「西王母山」(せいおうぼざん)。
西王母は古代中国の伝説上の仙女。長生不死を望む漢の武帝の前に
舞い降り、3000年に一度だけ咲いて実を結ぶ桃の花の枝を捧げて
長寿を祈るという能楽が伝えられているそう。 -
お二階からはこのように内部を覗きこめる高さに
なるようだ。
ボタンを押すとからくりが動くようになっていて
桃の実が出てきて開いていたようだ。 -
このような説明図があった。
-
様々な粽の展示と
大津祭の折の提灯 -
お祭りの様子がビデオで流れていた。
曳山の上からは厄除けの粽や手拭がまかれます、とのコメント。 -
「西行桜狸山」(さいぎょうざくらたぬきやま)
(鍛冶屋町)創建寛永十二年
神社に最も近く、塩屋治兵衛の狸面の伝承を持つ、
大津祭曳山発祥の山。そのため、「籤取らずの山」として毎年
巡行の先頭を行く。明暦2年(1656年)に、からくりが狸から
能楽の「西行桜」に替わった。曳山の発祥の象徴として屋根に
狸を乗せている。
と解説にある。 -
コーナーには曳山に関する
大津絵がたくさん描かれていた。 -
浜大津駅から坂本比叡山口までは京阪電車で15分ほど。
駅前にある坂本観光案内所のコインロッカーへキャリーを預け入れた。
坂本では日吉大社や旧竹林院はやはり紅葉の真っ盛りの折に見学して
いたので、今回の目的地は「西教寺」だった。
案内所でバスの時刻を伺うと、現在ではバスの本数はかなり減少。
丁度良い時刻のバスはないとのこと。
タクシー会社のご紹介をいただいたが、連絡をしてもすべて
出払っているとのこと。
しばらく通りで空車が通り過ぎないかと待っていたけれど結局
あきらめて歩き始めた。
西教寺までは上りの道が続くようだが、できるだけ楽で短距離に
なる道を選んでいただいたが、それでもずっと上りの歩きは
きつかった。
辿り着きホッとして門前の写真は撮り忘れたのでパンフより複写
しました。
唐門(上)と総門(下)になります。
総門は坂本城の城門を移築したもののようだ。 -
西教寺は正式には、天台真盛宗総本山戒光山兼法勝寺西教寺
という長い名前。
618年、聖徳太子が高句麗の僧恵慈の為に創建したと伝わる。
総門から勅使門までの約150メートルほどの参道は
「もみじ参道通り抜け」として有名なようだが、
今年の紅葉は今一つのようだった。
参道の左右には6ヶ寺の子院がずらりと並ぶ。 -
参道の突き当りにある勅使門
-
その左手には宗祖大師殿
階段を上って行った奥には
本堂、客殿、書院などが立つ中心伽藍があり
回廊で結ばれている。 -
唐門
最初にパンフから複写した唐門の写真を載せましたが、
ここは琵琶湖を望む絶景ポイントとなっている。
唐門の破風下には麒麟像が二体向き合っているそうだが
この写真では一部しか写っていない。 -
-
宝珠丸の像
宗祖真盛上人幼形像と書かれている。
上人は紀貫之の末裔、生誕は1443年。
母親が地蔵菩薩から宝珠を授かったとの夢をみて
身ごもったそう。 -
-
風が強い日だったが
琵琶湖も遥か下方にくっきりと見えている。 -
-
木漏れ日の中に佇む石仏たちの姿
-
どれも素朴で可愛らしいお姿
-
-
-
鐘楼と紅葉
-
阿弥陀如来二十五菩薩石像
400有余年間本堂前右側に雨露氷雪に耐えて祀られていたが
損傷が甚だしくなったので、平成16年にここへ移設された
とあった。
それぞれの菩薩のお顔が、柔らかく穏やかな表情となり
しばしみとれていた。 -
本堂
国の重要文化財
ご本尊は阿弥陀如来(平安時代作のもの)
その前には、大本坊から靴を脱いで入り、本堂、客殿、書院と見学してきました。
小堀遠州作の庭園、穴太衆による枯山水の庭園など、すばらしい庭園などを見学しながら周り、外へ出てきました。 -
-
左側隅にある小さいお墓が、明智光秀の妻、熙子のお墓のようだ。
-
妻、熙子(ひろこ)の墓前(斜め前になるけれど)には、
芭蕉の句碑があった。
「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」
芭蕉は貧しくくらす弟子の妻に、光秀の妻の話をしてきかせたそう。
光秀の妻は、出世前の光秀の催す連歌会のために、黒髪を売って費用
を賄い光秀を支えたという話が残っているそうだ。 -
聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像
阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、はるか浄土の世界から音楽を奏しながら来迎し、念仏者を極楽浄土に導きされるという浄土思想によって建立された。菩薩は鼓、琵琶、笛、しょうなどの楽器や幟・蓮華の花をもち、音楽を奏している。
(そばにある立て看板による説明より。)
旧ニ十五菩薩像は四百有余年の間、風化が進み破損がひどく現在は屋内に移して保存されている(五枚前の写真)。
新石仏は27名の方によって復元されたもので、平成16年4月に法要を行い開眼されたそう。 -
明智光秀一族のお墓
-
立て看板の全文を書き写しました。
坂本城主明智日向守光秀とその一族の墓
織田信長が元亀二年(一五七一)九月、坂本、比叡山 を中心に近江の国の寺院を始め大半を焼き討ちした。
西教寺も全山類焼の厄に遭った。すなわち元亀の平乱である、その後、再興に尽力したのは信長の将、明智光秀で、浜坂本に坂本城を築城。坂本城主として坂本一帯の復興に当たり、西教寺の大本坊(庫裡)を造築、 刻名入りの棟木も現存している。また天正二年(一五七四) 仮本堂を完成し、現在の本尊(重文丈六の阿弥陀如来)を迎えている。
それ以来、光秀との由縁はふかく、元亀四年(一五七三) 二月、光秀が堅田城に拠った本願寺光佐を討った時、 戦死者十八名の菩提のため、武者、中間のへだてなく供養米を寄進したと言われている。また早逝した内室 (燕子)の供養もされ、墓が安置されている。
天正十年(一五八二)本能寺の変のあと、山崎の合戦に破れて非業の最後をとげた時、光秀一族とともに当寺に葬られたと言われている。のちに坂本城の城門の一つも当寺に移されたと伝えられている。
爾来、当寺としては光秀の菩提為毎年六月十四日に光秀忌を営んでいる。この供養塔は左のように記されている。
秀岳宗光大禅定門
南無阿弥陀佛
天正十壬年六月十三日 -
明智光秀公辞世句
そばにあった立て看板によれば、この句は江戸時代の元禄六年(1693)に書かれた「明智軍記」に因るもので、山崎の合戦で敗れた光秀公が、この偈を従士の溝尾庄兵衛に託して自刃したと伝えられている。
公の顕彰会の20周年にあたり碑を建立したとのこと。
「修行の道には順縁と逆縁の二 つがある。しかしこれは二つに非ず、実は一つの門である。即ち、順境も逆境も実は一つで、窮極のところ、人間の心の源に達する大道である。
而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ。」という意に解せられ、光秀公の深い教養と人生哲学を表わしています。 -
手水舎近くから琵琶湖方向を眺めて。
-
このあたりの紅葉は見事だった。
-
ここ大津坂本では守護神としてお猿は重要な存在だそう。
唐門の脇の屋根にもいたようだが、本堂の屋根にも見かけた。
日吉大社でもお猿を神の使いとして祀っていたが、
ここ西教寺でも、お猿は「護猿」(ござる)と呼ばれ
縁がござる、福がござると考えられていて縁起が良いもの
として大事にされていたのかもしれない。 -
お寺までは大変なおもいをして辿り着いたので
帰りにはバスがあるのか調べてあった。
一日3本しかバスの運行はないようで、
折よく14時43分のバスがあるようなので、
そのバスで帰ろうと予定していた。
(比叡山坂本駅行きバスは、門前からは8:38、14:43、17:56の3本のみでした。) -
バスに乗車したら、あっという間に観光案内所近くまで
下りてきた。
コインロッカーからキャリーを引きだし、お茶の休憩。
16時に当日の宿泊先から坂本比叡山駅までお迎えに来ていただくよう
約束をしていたので、
時間つぶしにすぐ近くにあった「公人屋敷」(くにんやしき)を見学。 -
江戸時代、妻帯と苗字帯刀を認められた延暦寺の僧侶(公人)
が、治安維持や年貢などの収納の寺務を務めていたそうだが、
ここの公人屋敷、「旧岡本邸」は往時の姿を良くとどめていて
米蔵・馬屋なども当時の姿のまま残されている。
(写真は庭園からの眺め) -
米蔵、馬屋など
現存する蔵は、岡本家ではなく、比叡山延暦寺の紋の瓦が
使われていることから、公人として徴収した年貢米などを
蓄えておく延暦寺専用の蔵だった。
また馬屋は、滋賀院門跡等に挨拶のため坂本に訪れてきた
上級武家の馬を預かる施設であったようだ。 -
-
かまどが設置された天井の高い土間。
-
16時にお迎えに来ていただいた車で
あっという間におごと温泉に到着。 -
当日の宿は
「びわ湖花街道」という。
びわ湖が正面に見渡せるゆったりとしたお部屋だった。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- ももであさん 2025/01/17 21:08:20
- 坂本
- 坂本って、そ~なんですよねぇ かつては天下を獲ったかに見えた光秀さんのお城があった場所なのに、今ではそのことすら知らない人がほとんど。秀吉さんさえいなければ、今頃琵琶湖周辺には超高層ビル群が立ち並び、大津は日本の首都だったことでせう!?
…って以前も似たようなことを書いたような書かなかったような。琵琶湖の渇水期になると、毎年亡霊のように坂本城本丸の石垣が現れますが、光秀さんの意地なのでしょうか?
日吉大社止まりの人が多い中、西教寺とはまたオツですね。さすがmistralさん!! 静かな雰囲気、琵琶湖の眺め ぼくも大好きです。2024年の紅葉は今一つでしたか。それは残念でしたね。でも西教寺でぼくが一番好きな季節は、新緑の季節です。参道150mの新緑の美しさときたら、紅葉・桜のそれを凌駕するほど。自分の心には響きます チーン♪
それから、地元民にすらほとんど知られていない超穴場中の穴場ですが… Google mapをご覧ください。西教寺の北に、歩くと30分ほどかかりますが安楽律院というほとんど人を見ることもないお寺があります。
少し山道を歩きますが、周囲には比叡山の大阿闍梨のお墓があったりして、律院にたどり着くまでに、まずどっぷりタイムスリップした気持ちになります。そして秋には、たった一人で紅葉の絶景を堪能できます。実は映画「るろうに剣心」の撮影でも使われていたことがあるのですが、映画を見てこの場所に気づいた時にはびっくりたまげました!! おそらく映画見て気づいたのは、世界でも3人くらいではないかと(笑)
まず行く機会はないと思いますが、何かの縁で心の片隅にでも。
- mistralさん からの返信 2025/01/18 16:32:41
- RE: 坂本
- ももであさん
いつも滋賀愛あふれるコメントをいただき有難うございます。
滋賀を愛しておりますmistralとしましたら嬉しい限りです。
> 坂本って、そ~なんですよねぇ かつては天下を獲ったかに見えた光秀さんのお城があった場所なのに、今ではそのことすら知らない人がほとんど。秀吉さんさえいなければ、今頃琵琶湖周辺には超高層ビル群が立ち並び、大津は日本の首都だったことでせう!?
> …って以前も似たようなことを書いたような書かなかったような。
はい、同じようなコメント、確かにいただきました。
その折は、大海人皇子さえいなければ、琵琶湖周辺には超高層ビルが、、、と。
天皇の位をかすめ取られたわけですから、その反乱さえなかったのなら、
大津はいまでは京都よりも古い都の地位を誇れていたはずですね。
その後、同じようなことが起こっていたとは。
坂本訪問二度目にして、そのことに今更ながらに気づいたmistralでした。
坂本の地で、今でも大切に祀られている明智光秀さんのことを想ってみると、
もしかしたら、歴史で教えられてきた光秀像とはちがう姿が沢山あったのかもしれない、
などフト考えてしまいました。
琵琶湖の渇水期になると、毎年亡霊のように坂本城本丸の石垣が現れますが、光秀さんの意地なのでしょうか?
幻の城といわれる坂本城。その遺構は琵琶湖に沈んだまま残されていて
渇水期になるとその姿を現す。。。
光秀さんの無念さが伝わってきますね。
> 日吉大社止まりの人が多い中、西教寺とはまたオツですね。さすがmistralさん!! 静かな雰囲気、琵琶湖の眺め ぼくも大好きです。2024年の紅葉は今一つでしたか。それは残念でしたね。でも西教寺でぼくが一番好きな季節は、新緑の季節です。参道150mの新緑の美しさときたら、紅葉・桜のそれを凌駕するほど。自分の心には響きます チーン♪
一度目の坂本訪問では、西教寺までは時間切れとなり辿り着くことができませんでした。
今回は、目指せ西教寺!でした。
公共交通機関は一日3本のバスのみ、と知り、挫折しそうになりましたけれど
行ってみて良かったです。境内の佇まい、高台からの琵琶湖の眺めなどなど
疲れは瞬く間に癒されました。
更に格別の情報をありがとうございます。
新緑の時期はこれまたすばらしい景観となるんですね。
> それから、地元民にすらほとんど知られていない超穴場中の穴場ですが… Google mapをご覧ください。西教寺の北に、歩くと30分ほどかかりますが安楽律院というほとんど人を見ることもないお寺があります。
早速google map、開いてみました。
確かに辿り着くのが大変そう。
安楽律院、火事にあい本堂などは焼け落ちてしまったとか。
苔むした参道、穴太衆が築いたという石垣などなど、惹かれますね。
霊気?神秘感?などが漂っていますね。
> 少し山道を歩きますが、周囲には比叡山の大阿闍梨のお墓があったりして、律院にたどり着くまでに、まずどっぷりタイムスリップした気持ちになります。そして秋には、たった一人で紅葉の絶景を堪能できます。実は映画「るろうに剣心」の撮影でも使われていたことがあるのですが、映画を見てこの場所に気づいた時にはびっくりたまげました!! おそらく映画見て気づいたのは、世界でも3人くらいではないかと(笑)
> まず行く機会はないと思いますが、何かの縁で心の片隅にでも。
ももであさんからの超極秘情報、いつの日かご縁があったら、そこまで招かれるかもしれません。
更に、大阿闍梨さまのお墓なんて、そうお詣りすらできないような気がします。
又、るろうに剣心の撮影にはぴったりの場所のように想像します。
映画を見て、そのことに気づかれるなんて、ももであさんと恐らく撮影関係者以外にはいないのかもしれませんね。
mistral
-
- しにあの旅人さん 2024/12/23 17:11:40
- 電線がない!
- 大津は通り過ぎただけですが、ゆっくり回ればこういう奥ゆかしい町並みも残っているのですね。
いずれ行ってみたいと思いました。
ただ町並みを歩く旅もいいものです。
電信柱がないとか。
これだけで街が格段に美しくなります。
信濃追分の旧中山道は電線がありません。宇佐神宮の西参道も百体神社から呉橋までは電線のない空です。
大津では、マンションの事業主も市も景観に気を配っているのです。
電信柱がないとそれだけで道が両側合計1mくらい広くなるし、地震の時には電柱が倒れて道を塞がないのですよね。結局長い目で見ると街のためになるわけです。
いい感じです。
100年くらいかかるかもしれませんが、全市から電信柱を取ってもらいたいものです。
- mistralさん からの返信 2024/12/24 15:51:58
- RE: 電線がない!
- しにあの旅人さん
引き続いてのコメントをありがとうございます。
> 大津は通り過ぎただけですが、ゆっくり回ればこういう奥ゆかしい町並みも残っているのですね。
> いずれ行ってみたいと思いました。
> ただ町並みを歩く旅もいいものです。
普通でしたら、大津は通り過ぎるだけの街かもしれませんね。
きっかけは壬申の乱絡みの歴史に興味を抱き、滞在をしたことに始まりましたが
食べ物もお酒も美味しいし、良いお宿も多いし、何よりも観光客が京都に比べれば格段に少なく
そこもおおいに気に入っています。
商店街も今でこそ不燃材で覆われてしまっているけれど、取り払うと
昔ながらの町屋建築が現れるそうです。
> 電信柱がないとか。
> これだけで街が格段に美しくなります。
普段見慣れてしまっている電信柱と電線、
ただただメンテナンスがしやすいように空中を這わせているのは文化度が低いと思われます。
旧東海道のほんの一部分ですが、電線によって空が分断されていないのは、空が美しく感じられます。
> 信濃追分の旧中山道は電線がありません。宇佐神宮の西参道も百体神社から呉橋までは電線のない空です。
ところどころ景観に配慮しての電線がない通りが見られますね。
> 大津では、マンションの事業主も市も景観に気を配っているのです。
> 電信柱がないとそれだけで道が両側合計1mくらい広くなるし、地震の時には電柱が倒れて道を塞がないのですよね。結局長い目で見ると街のためになるわけです。
> いい感じです。
>
> 100年くらいかかるかもしれませんが、全市から電信柱を取ってもらいたいものです。
100年かかったとしても素晴らしい取り組みとなりますね。
mistral
-
- hot chocolateさん 2024/12/22 11:19:02
- 滋賀の旅
- mistralさま
こんにちは。
ご無沙汰しております。
今年の11月24日から27日まで、滋賀に行っていました。
今回は大津は素通りで、堅田から守山、近江八幡のラ・コリーナに行き、
長浜まで。木之本の鶏足寺で紅葉を楽しみました。
マキノのメタセコイヤの並木にも行きたかったのですが、
天気を考え、紅葉の鶏足寺を優先しました。
2022年12月に、西教寺に行きました。
私も間一髪で西教寺行きのバスを逃し、わずかに上り坂ですが西教寺まで歩きました。
帰りも旧竹林院まで40分歩きました。
疲れましたが、穏やかな日、のどかな歩きを楽しみました。
大津にはたびたび行くものの、大津の街歩きはしていないのですが、
昔ながらの情緒ある町並みが拝見できるのですね。
今度、ゆっくり歩いてみたいものです。
hot choco
- mistralさん からの返信 2024/12/22 22:08:00
- RE: 滋賀の旅
- hot chocolate さん
こんばんは。
こちらこそ、旅行記を拝見しながらコメントではご無沙汰しております。
> 今年の11月24日から27日まで、滋賀に行っていました。
> 今回は大津は素通りで、堅田から守山、近江八幡のラ・コリーナに行き、
> 長浜まで。木之本の鶏足寺で紅葉を楽しみました。
滋賀にはすれ違いでしたね。
訪問先はその時どきでズレていますが、琵琶湖周辺部をお互いにウロウロして(笑)
鶏足寺にはまだ行ったことがないように思いますが
ご本尊が安置されている己高閣では拝見した記憶があります。
> マキノのメタセコイヤの並木にも行きたかったのですが、
> 天気を考え、紅葉の鶏足寺を優先しました。
そうでしたか。
メタセコイア並木、実はチラッと考えたんです。
あと少し足を伸ばせば、、、だったんですが
今回はレンタカーではなかったせいもあり、諦めました。
> 2022年12月に、西教寺に行きました。
> 私も間一髪で西教寺行きのバスを逃し、わずかに上り坂ですが西教寺まで歩きました。
> 帰りも旧竹林院まで40分歩きました。
> 疲れましたが、穏やかな日、のどかな歩きを楽しみました。
西教寺の旅行記、もう一度拝見してきました。
同じところにいらっしゃった方の旅行記を拝見すると、見損なったところなども
わかり、楽しませていただけますね。
往復とも歩かれたのは素晴らしいですね!
たまたま帰りにはバスがあることを発見し、お寺の見学はバスの時刻に合わせました。
> 大津にはたびたび行くものの、大津の街歩きはしていないのですが、
大津の商店街歩き、旧街道沿い歩きがなかなか楽しいんです。
是非今度、お試し下さい。
続きの旅行記も楽しみにお待ちしてます。
mistral
-
- salsaladyさん 2024/12/14 09:28:34
- 商店街大津講。。。宝珠丸の母は日本版マリア様。。。
- ☆いよいよ「西教寺」への道が始まる訳ですね。ガイドブックより確かなmistral解説を愉しみながら、ふーむ、ほーそうだったのか~と大津に纏わるニコライ2世の事件なども思い出し~
☆信長の焼き討ち年1571年~明智光秀は信長の信頼ある弟子として西教寺建立?~11年後の本能寺の変で光秀は逆臣となって親分を。。。事実か小説か判らないけれどそうなる訳❣
☆聖徳太子の影も気になるけれど、小さな鍾馗様を飾るのは京都と同じ(先斗町でも同じような魔除けがあったことを想い出す)餅兵さん宅はそんな歴史を物語る店でもあるのですね。
☆色々な歴史を調べてから歩けば、まさに「生き字引」として役に立つ。。。けれどのんびり今の姿を堪能することも息抜きに良い場所ですね。まだまだ続く?凄い精神力~
- mistralさん からの返信 2024/12/14 19:51:22
- RE: 商店街大津講。。。宝珠丸の母は日本版マリア様。。。
- salsalady さん
コメント、ありがとうございました。
> ☆いよいよ「西教寺」への道が始まる訳ですね。ガイドブックより確かなmistral解説を愉しみながら、ふーむ、ほーそうだったのか~と大津に纏わるニコライ2世の事件なども思い出し~
これまで、西教寺はかなり離れたところに位置していて、訪問しにくくて後回しになっていました。
まさに、いよいよ、という感じです。
行ってみたら、やはり遠かった!です。
バスの便が大幅に減便となったこと、紅葉のシーズンでタクシーが皆、出払ってしまっていたこと、
などで一層苦労しました。
> ☆信長の焼き討ち年1571年~明智光秀は信長の信頼ある弟子として西教寺建立?~11年後の本能寺の変で光秀は逆臣となって親分を。。。事実か小説か判らないけれどそうなる訳?
光秀が西教寺再建に尽力されたようですが、もしかしたら比叡山焼き討ちを彼なりに後悔していたのかもしれませんね。
> ☆聖徳太子の影も気になるけれど、小さな鍾馗様を飾るのは京都と同じ(先斗町でも同じような魔除けがあったことを想い出す)餅兵さん宅はそんな歴史を物語る店でもあるのですね。
salsaさんも屋根の上の鍾馗さまを見かけておられたんですね。
私もこれまで京都や彦根などで見かけていて、ずっと気になっていましたが、今回そのいわれが
クリアになって良かったです。
>けれどのんびり今の姿を堪能することも息抜きに良い場所ですね。
現地ではけっこうのんびりと見て回っています。
帰ってきて旅行記を書こうと思って色々調べだすと、慌てることが多々あります。
あ〜、あれももっと良く見ておけば良かった、とか、あの写真を撮ってない、とかです。
滋賀県は観光客も京都と比べたら格段に少ないですし、のんびりできる格別なところですね。
mistral
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