2024/10/22 - 2024/10/22
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kummingさん
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この旅行記のスケジュール
2024/10/22
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セルチュクオトガリ
この旅行記スケジュールを元に
特に予定なく、Selcukの街歩き、突然近くのSirinceへ行ってみよかな♪
で始まり
その後Efes考古学博物館、Isabey Camiiなど廻りました。
途中の街歩き、公園でくつろぐおじちゃんたちとの絡み、など
観光以外で楽しい1日
写真も文字も多すぎm(._.)m
最後のおまけ、キャンセルされてたバスのrefund手続き、chat画面、あり
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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別に、「昼下がりのおじちゃんたちのたまり場」
ねらってたわけ、ぢゃない
でも
気付くとみんなカメラ目線ww -
セルチェクにゃん♪
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Efes 考古学博物館への道
道沿いに石棺が並んでた -
Efes Arkeoloji Musezi エフェス考古学博物館
入口階段には番犬ならぬ番猫のお出迎えにゃん♪ -
セキュリティチェックは有名無実化、トルコあるある
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入って正面のBookShop のみなさま
ヒマを持て余し? こうゆー構図になりましたww -
館内Map
と
エフェソス博物館は、考古学と民俗学(アラスタ)の2つの主要セクションで構成されている。先史時代(紀元前7000年)、ミケーネ時代、幾何学時代、古代、古典時代、ヘレニズム時代、ローマ時代、ビザンチン時代、セルジューク時代、オスマン帝国時代の様々な発見物が展示されており、いずれもアナトリア考古学にとって、特別な重要性をもっている。
博物館には、市内最古の集落チュクリチ丘の遺跡、古代世界の七不思議の1つであるアルテミシオンの遺物、市内で最も栄華を極めたヘレニズム時代とローマ時代の出土品、アヤスルク丘の要塞、ベレヴィイ廟、および付近で行われた発掘調査の出土品すべてが展示されている。
ただし、エフェソスで行われた発掘調査の初期に発見された出土品は、ロンドン、ウイーン、イスタンブール、イズミールの様々な博物館に所属されている。 -
ラエカニウス ヒドラクド チエイニオン(低温の泉)
ラエカニウス バッススによって寄贈され、2本のメインストリートの交差点に西暦80年に建てられた。ヒュドレクドケイオンとしても知られる。建物からは、ドミテイアヌス神殿のテラスが見渡せる。 -
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ポリオ記念碑とドミテイアヌスの泉
ポリオ記念碑はドミテイアヌス広場の東、国立アゴラの西側に隣接し、G.セクステイリウス ポリオの義理の息子によって、水道橋と国立アゴラのバジリカを寄贈した彼の貴重な寄付を称えるために、政府に指定されたエリアに建てられた。
記念碑は基礎部分だけ残っている。
碑文によると、ドミテイアヌスの噴水は、ポリオ記念碑の南に西暦92~93年に建てられ、ドミテイアヌス広場に面した噴水の正面には、他の記念碑から運ばれた多くの超像が飾られていた。
例えば、オデユッセウスとその仲間とポセイドンの息子ポリフェモスの戦いを描いた彫像軍、噴水の北と南の祭壇に置かれた川の神マルナスとクラセアスの彫像、西側中央祭壇に置かれたゼウス像など。 -
そこで発掘された彫像
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うー
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ぐー
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クレテス通りにある2階建ての記念碑的なトライヤヌスの噴水は、エフェソスで最も素晴らしい噴水の1つで、碑文によると、この噴水はトライヤヌス帝(西暦98~117)を称えて、アジア大主教テイベリウスクラウデイウスアリステイオンとその妻によって建てられた。
噴水の中央部分には2階建ての柱に囲まれたプールがあり、ファサードは数多くの彫像で飾られ、中央の壁龕にはトライヤヌスの巨大な像が立っていた。今では台座に奉納の碑文が刻まれた胸部と台座に立つ足の破片だけが残っている。足の間には地球の象徴的な像が表現されていた。 -
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エフェソスの水資源(給水)
古代エフェソスは、クシャダス方面のケンクリオス、チェムリク村方面のマルナス、キュチュク・メンデレス渓谷の水源から水道橋や地下水路を経由して水を供給していた。
エフェソスには様々な時代の記念碑的な噴水が数多くある。ローマ皇帝の名の下に建てられたもの、水道の寄付者の名の下に地方当局によって建てられたもの、などがある。街のメインストリートに建てられたこれらの噴水は、多くの柱や彫像で飾られていた。特に重要なのは、ラエカニウス・バッススの噴水、ポリオの噴水、トラヤヌスの噴水。 -
読めんけど
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テラスハウスでの日常生活
古代では、家族と家の中の炉は重要な要素だった。炉の守護神であるウエスタは、主要な神の1人で、家の中では神々の名において床にワインを注ぎ、香を焚くといった、いくつかの簡単な宗教儀式が執り行われた。
テラスハウスでは、居住空間の大きさに応じた大規模な家族グループが基本で、家系の継続を担う父親は、家庭内の神聖な地位を得た。教育は家庭で始まり、一定の年齢を超えると体育館で継続された。エフェソスの民家で発見されたソクラテスやプラトンなどの有名な哲学者の絵画や彫像が、その事実を裏付けている。
ダイニングルームは家の中で最も重要な部屋の1つだった。家族やゲストは部屋の壁際に置かれたソファに半分寄りかかってワインを飲み食事をした。豪華な装飾が施された脚のついた大理石やブロンズのテーブル、木製または藤細工のアームチェア、フットスツールが主な家具だった。
エフェソス近郊で豊富に採れるブドウ、イチジク、ザクロなどの果物や、市外の農場で得られる豚肉、鳥肉、魚などの動物が最も好まれる食物だった。
ワインは食事や宗教儀式に欠かせない飲み物で、市外のブドウ園で生産される高品質のエフェソスワインは当時非常に有名だった。
上質なオリーブ油は料理に使われ、低品質のものはオイルランプの燃料として消費されたり、体育館で運動選手が使用した。
市の行政に携わる男性は、アゴラや浴場で行われる会合に出席される会合に出席するため、1日の一定時間を家の外で過ごした。繊維生産は一日中家にいる女性の主な仕事だった。
子どもたの遊びは、今日の遊びと似ていて、ボール遊びや、くるみの殻を使ったり、おもちゃの荷車を引いたり、木馬に乗って遊んだ。コイン、サイコロ、骨を使った運試しの遊びは、あらゆる年齢の人々の大きな関心を惹きつける娯楽だった。 -
(*_*)(°_°)(・・?)
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哲人皇帝 マルクス・アウレリウス
第16代ローマ皇帝、五賢帝(ネルヴァ→トライアヌス→ハドリアヌス→)最後の皇帝
ストア哲学など学識に長け、戦場でも毎夜日記(自省)を欠かさず、軍事より学問を好んだ。「自省録」という著作を遺した
この方の生涯をみていると、けなげ、ひたむき、真摯すぎて胸が痛い -
↑ 上段 テイベリウス 紀元前1世紀
初代ローマ帝国皇帝アウグストスの跡を継いだローマ帝国2代目皇帝
↓下段左 リビア 紀元前1世紀
ローマ帝国皇帝 の妻 -
ブロンズ スネイク
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ソクラテス
西暦4世紀 -
象牙のフリース 紀元後2世紀
エフェソス遺跡のハウス2の火災層で発見された。ドアのまぐさ石か家具の一部と考えられるフリーズの場面は、ダキア人またはパルテイア人に対する戦いで勝利を収めたトライヤヌス帝とローマ軍が描かれている。 -
イルカに乗ったイカルス?
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エフェソスのエフェス・ヤマエス・エブラー・テラスハウス
エフェソスはローマ帝国時代にアジア属州の首都であり、アナトリアで最も人口の多い都市だった。この時代の都市の人口は20万人以上だった。裕福な支配階級は都市の中心部に住み、他の市民は周辺や市外に住んでいた。
テラスハウスはエフェソスの中心部、クレテス通りの南西、コレッソス山の斜面にあり、家々には狭い通りを通ってアクセスする。豪華な装飾と内装は、ここに住んでいた人々が庶民ではなかったことを示している。
テラスハウスは「ペリスタイルのある家」の最も優れた先進的な例で、家の中心の中庭(ペリスタイル)から新鮮な光と風が供給された。中庭は、隣接する部屋にある列柱に囲まれ、2~3階建ての家は、リビング、ダイニング、キッチン、トイレ、浴室がある居住区(ほとんどが1階)と、寝室で構成されていた。
使用された建築材料により、家は冬暖かく、夏は涼しく保たれ、豪華に装飾された噴水から出る温水と冷水、複雑なセントラルヒーテイングシステムなどの便利な設備もあった。
家々は大理石とモザイクで敷き詰められ、壁は豪華なフレスコ画で飾られていた。壁の装飾は、当時の人気のモチーフや人物、演劇や神話の場面が選ばれ、家主の建築への関心がうかがえる。 -
紀元前1世紀 震災後の修復期間
エフェソスに大規模な被害をもたらした地震
紀元前30~紀元後14 テラスハウスの建設工事の加速 -
紀元前355,358,368 3回の地震によりテラスハウスが甚大な被害を受け、エフェソスはかつての繁栄を失い始める
西暦2世紀 都市の繁栄期を反映する集中的な建設活動 -
西暦6世紀末 アラブの襲撃によるテラスハウスの破壊
西暦7世紀 廃材を使った迅速かつ簡単な家屋の -
西暦7世紀末 街は徐々に廃れ、家屋は使用できなくなった
西暦8世紀 テラスハウスの西側に水車の建設 -
アルテミス
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貨幣、硬貨
財政悪化するたびに、銀の含有量を下げたり、硬貨を軽く、小さくしたり
ローマ帝国も次第に財政逼迫、困窮の時代へ
下段 紀元前5世紀 -
装飾品、壺など
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装飾品、壺、
十字架 3~7世紀 イエスキリスト、マリアのレリーフなど -
紀元前319~281年 シリコマス王により、エフェソスの再建、アルキノシアと改名
シリコマス王がカルペデイオンの戦いで戦死、エフェソスはレウコス朝の統治下となる。
紀元前260年頃 エフェソスはプトレマイオス朝のフィラデルフォス1世の支配に入る
紀元前197年 セレウコス朝の王アンテイオコス3世がプトレマイオス朝の都市支配を終わらせる
紀元前48年 ユリウス・カエサルがエフェソスを訪問。アルテミシオンの掠奪は阻止された。
紀元前197年 セレウコス朝の王アンテイオコス3世がプトレマイオス朝の都市支配を終わらせる
紀元前260年頃 エフェソスはプトレマイオス朝のフィラデルフォス1世の支配下に入る
紀元前319~281年 シリコマス王により、エフェソスの再建、アルキノシアと改名
シリコマス王がカルペデイオンの戦いで戦死、エフェソスはセレウコス朝の統治下となる。 -
紀元前6世紀後半 ペルシアの伝統を崩壊させ、その支配下には入らなかった
紀元前466年 アテネ人とペルシア人の間でキモンの和約が結ばれ、エフェソスがアテネ=デロス同盟に加盟
紀元前356年 古代文献によると、アルテミス神殿はへロストラトスという狂人によって焼失した
紀元前334年 アレクサンダー大王がエフェソス来訪。彼のアルテミス神殿再建のための在世援助の提案を、エフェソス市民が拒否する -
紀元53~55
聖パウロが最初のキリスト教共同体を設立。両替商のデメトリオスが聖パウロに対する反乱を扇動。福音伝導者(福音書の筆者)ルカがエフェソスに来る
紀元113~114年 トライヤヌス帝がエフェソスを訪問
紀元124年 ハドリアヌス帝のエフェソス初訪問(8月29日) -
紀元後135/136 次期皇帝となるアントニヌス・ピウスがエフェソスのアジア総督となる
紀元後162/163 ルシウス・ウエルス皇帝がエフェソスに来る(パルテイア遠征)
紀元後262 エフェソスで大地震が起き、アルテミシオンは大きな被害を受け、ゴート族に掠奪された。市内のネオコロス称号と鋳造は終了 -
西暦431年
総主教メムノン参加のもと第3回エキュメニカル会議がエフェソスで開催され、聖母マリアはテオトコス(神の母、神の運び手)と宣言された
西暦654/655 ムーアウイア率いるアラブ人による最初の襲撃、聖公会の中心地は聖ヨハネ聖堂に移転
西暦1300年代 アヤスルクはアナトリアのセルジューク朝の手に落ち、アイドウム公国の首都となる。15世紀初頭、オスマン帝国の支配が始まる -
壺、テラコッタ、置物など
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ここで
一旦屋外へ -
ここも石棺や柱頭がずらり
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オリンピアスの墓碑 紀元前2世紀 大理石
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墓の石碑 ヘレニズム時代 大理石
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クーロス像 紀元前6世紀 大理石
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上段↑ 神々と女神のレリーフ ローマ時代 大理石
下段↓ 闘士のレリーフ ローマ時代後期 大理石 -
室内へ戻り
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左から
紀元前5750 (°_°)(*_*) 母なる女神
紀元前9世紀 ヒッタイト 戦い
紀元前9世紀 ヒッタイト 混乱
紀元前6世紀 ギベレ 母なる女神(フィリジアン) ボアズギョイ
紀元前6世紀 キベレ母なる女神(フィリジアン) ゴルでイオン -
アナトリア起源の母なる女神キベレ(キュベレ)は、豊穣と自然の力を象徴している。彼女は山、洞窟、肥沃な大地と関連し、発掘調査で得られた発見は、母なる女神の信仰が紀元前7000~6500年まで遡ることを証明している。
母なる女神は、太腿が太く、大きなお腹と垂れ下がった胸を持ち、玉座に座った姿で描かれることが多いが、時には出産している姿で笑顔こともある。彼女の体型とお腹の下の三角形の部分は、母性と豊穣を強調している。玉座の両側に立つ2頭のライオン、またはヒョウは、動物に対する女神の神聖な力を象徴している。
母なる女神の信仰は普遍的で、様々な社会や時代に受け継がれてきたが、その名前は文化によって変化し、クババ、キュべべ、キュベレー、へパトと呼ばれ、エフェソスではキュベレーはエフェソスのアルテミスに変化している。
彼女は自然と同一視されるため、崇拝する主な場所は山頂、洞窟、高い崖、水源などで、キュベレは崖で裸で暮らし、洞窟から出て祝福を与えたと信じられており、岩に彫られた象徴的な壁龕の彫像やレリーフによって崇拝されていた。 -
女神の小像 紀元前580年頃 金製
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紀元前8~7世紀 ブロンズ、置物、装飾品など
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エフェシアのアルテミス
ギリシア神話では、アルテミスはゼウスとレトの娘、アポロンの姉として知られている、荒野、森林、狩猟、月の女神。彼女は弟のアポロンより1日前に生まれ、母親の出産を助けた。出産時の母親の痛みを目の当たりにしたアルテミスは、処女の誓いを立て、結婚しないと誓った。兄のアポロンは太陽、アルテミスは月を表す。それぞれが太陽と月の光の象徴、シンボルと考えられている弓と矢を持っている。アルテミスは通常、神聖な動物である鹿と一緒に描かれている。
アルテミスの最も重要な信仰の中心地の1つは、 エフェソスにあるアルテミシオン(アルテミスの神殿)、アルテミシオンは「世界七不思議」の1つである。かつてアルテミス神殿に置かれていたこの信仰の像のローマ帝国時代の複製がエフェソス遺跡のプレタネウム発掘調査で発見された。現在エフェソス博物館に展示されている「偉大なアルテミス」と「美しいアルテミス」の像は、エフェソスのアルテミス(アルテミスエフェシア)とした知られており、キトン(短い機能的なチュニック)と流れるような服を身につけ、弓と矢筒を持って森をさまよう「狩猟の女神アルテミス」の図象とは大きく異なる。
世界7不思議の1つとな(°_°) -
アルテミス神殿(アルテミシオン)
アルテミス神殿は1869年イギリスの鉄道技師T.ウッドによって7年間の調査の末に発見、発掘が開始された。大英博物館の依頼で1904/5年に発掘を再開、1965年以降オーストリア考古学研究所によって発掘が続けられている。
アルテミス神殿は紀元前8世紀から信仰の中心地として建設され始め、紀元前6世紀半ばにクロイソス王によって建てられた。古代の資料によると、紀元前356年自分の名前を不滅にしたいと願ったヘラストラトスが、アレクサンダー大王が生まれたよるに神殿に火を放った。神殿は建築家の慎重な計画により再建するが、西暦263年にアルテミシオンはゴート族によって破壊され、信仰は消滅した。神殿に属していた建築要素は、聖ヨハネ大聖堂とイザベルモスクの建設に再利用された。神殿は何世紀にも渡って、何度も修復された。 -
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女神像、の置物 紀元前640~630 ゴールド
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美しいアルテミス像 西暦2世紀
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偉大なアルテミス像 紀元前1世紀
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皇帝崇拝
ローマ帝国時代、皇帝崇拝は帝国統一を生み出しそれを確保することを目的としていた。皇帝崇拝の寺院は、アルキヒエレウスと呼ばれる最高司祭によって監督され、皇帝の名の下に、4年に1回、様々な州で半宗教的な競技会が開催され、皇帝崇拝に関連の剣闘士競技や野生動物の闘いも行われた。
アナトリアの多くの都市と同様にエフェソスにもローマ皇帝に捧げられた神殿が建てられ栄誉ある特権として与えられた許可は都市間の威信争いへと発展した。エフェソスは、記念碑的建造物の大半がローマ時代に遡り、ネオコロス(領土内に皇帝に捧げる神殿を建てる権利をもつ)と4度宣言されたことで、サモス、ペルガモン、スミルナなど他の重要都市を凌駕した。
エフェソスが初めてネオコロスの称号を得たのはドミテイアヌス帝の治世中(紀元81~96)だったが、皇帝の死後、皇帝の名前を抹消する(ダムナテイオ・メモリアエ 記憶抹消罪)の決定が下され、ネオコロスの称号を失いかけたが、ドミテイアヌス皇帝の神格化された父ヴェスパシアヌスに神殿を奉献する、という賢明な行動により、この権利を保護した。
128年にハドリアヌス帝(117~138)がゼウス・オリンピオスという偽名でこの都市を訪れた際に、再びネオコロス称号を与えられた。カラカラが弟のゲタとともに皇帝になり、エフェソスは3回目のネオコロス称号を得るが、弟のゲタを殺害した後のカラカラはエフェソス人への手紙(212年)の中で、アルテミスを支持して神殿を放棄した、と書き、この称号は再び失われた。ヘリオガバラス帝(218~222)の名で再び獲得、エフェソスはヴァレリアヌス帝(253~260)に捧げられた神殿によりネオコロス称号を得た。 -
ハドリアヌス神殿
ハドリアヌス神殿はP.ヴェデイウス・アントニヌス・サビヌスによって
ハドリアヌス帝(117~138)に捧げられ、クレテス通りに面したヴァリウス浴場複合施設内に建てられた。
寺院の礼拝室の前で通りに面したコリント式の柱頭をもつ柱には、シリア風のペデイメントがあり、アーチの中央にはテイケの胸像がある。ドアのまぐさにはエフェソス市の建国伝説を描いたレリーフが飾られている。
デイオクレテイアヌス帝、コンスタンテイウス帝、マクシミアヌス ガレリウス帝の像の台座が現在も残っている。後に、マクシミアヌス(シニア)の像はテオドシウス1世の父の像に置き換えられた。
この記念碑は自身の被害を受けたが、オリジナルの建材を使って再建された。 -
神殿の装飾?
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ハドリアヌス神殿
たぶんこうーだったんじゃないか? -
インペラトール ドミテイアヌス
ドミテイアヌス帝の頭部と腕部 西暦81~96年
これ、かなりデカいです -
こっちと比べてを見ると
ドミテイアヌス帝の頭部の大きさ、わかるかな? -
パルテイア記念碑の碑文 西暦170年
ケルスス図書館の近くにあるパルテイア記念碑へ最も重要な記念碑の1つで、ケルスス宮殿の正面部分にある噴水でスポイエの材料として使われていたレリーフの破片として発見された。
レリーフはパルテイア人とマルクス・アウレリウスの戦いを描いている。展示されているオリジナルの部分を除くパルテイア記念碑に属する他の残りのレリーフは、すべてウイーンのエフェソス博物館に展示されている。
2、4、5ブロックの小さい部分はオリジナル、1、3、5(主要部分)はコピー
最初の部分は、ハドリアヌス帝の養子アントニヌス・ピウスが、ここでマルクス・アウレリウスとルキウス・ウエルスを養子にする場面 -
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それでは さよーならー♪
と、お見送り
ステファノス総領事 西暦6世紀 -
エフェソス遺跡と照らし合わせると、参考になる内容濃い展示の数々♪
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では、次へ
道路脇、大胆にお昼寝ing のわん、多し
隣のハマムの屋根が目を引く作りだった -
熱心な信者さんたちが外でお祈り中、のモスク
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この界隈、オサレなカフェ多い
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♪
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手前のここでトイレ休憩
めざといおばちゃんが出てきて、ちゃっかり料金徴収
この後、通りの角でチャイに誘われますが、どうやらギャラリーに連れ込み、何か売り付けられそー?な雰囲気に気づき
「明日の計画で宿で話し合いあるから、急いでま~」
嘘が呼吸するが如くスムーズに出たよww -
Isabey Camii イザベル・ジャーミイ 1375年
修復中、とわかっちゃいたが -
実際来てみて、やっぱり残念T_T
セルジューク朝~オスマン朝過渡期の建築らしい
大理石のレリーフやミフラープ、みたかったな
裏へ廻り -
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坂道上り坂、晴天、暑い
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At. Jian ( Aziz Yahya)Kilisesi
聖ヨハネ教会
追撃門(迫害の門)
エルサレムを追われたキリスト12使徒の1人ヨハネは聖母マリアと共にこの地を訪れ、晩年を過ごした。6世紀には皇帝ユステイニアヌスが教会に変えたが、14世紀初期にはジャーミイとして使われていたという記録が残っている。(オスマン帝国支配下)
正面入口の追撃門のほか、東西に門があり、中庭を通じて6つのドームをもつ本館が建っていた。
現在見ることができるのは、壁、円柱、床のモザイクだけで、白い大理石の一角はヨハネの墓所になっている。
↑
てことで、パス←遺跡疲れ -
こんな処にインフォ?
-
ビザンチン時代の水道橋
水道橋は、北のシリンジェ渓谷→セルチュク市中心部→アヤソルクの迫害の門の東の大きな水域に流れている。水道橋はビザンチンの居住地に水を供給していた。
古代の建築要素で作られた橋脚は現在の鉄道駅の近くに達しており、高さ15m、レンガ製のアーチを支えていた。 -
オスマン時代の建物?
現役のホテル、お店みたい -
晴天の下
戯れるわん -
お土産物屋さん
-
あ、この時わかった♪
宿泊先の近所にある城塞みたいな遺跡
ここと繋がっているんだ!
アルテミス像も鎮座 -
まっすぐ行くとホテル
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お部屋view は
聖ヨハネ教会 -
孫もいないのに買ってもうた↑
飾りに魔除けの目玉オヤジがいっぱい♪ -
また食べるんかい、キョフテ(-。-;
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ホテルのすぐそば
ここもピタパン、ピザがうりみたい
似て非なる、3軒目のレストランww -
件の
ココからはおまけ↓
来なかったバスの返金手続き
チャットで交渉
ヴァウチャーもらうまで -
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名前とBooking No. の部分は省略
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この後、さらに、ヴァウチャー→現金での返金手続きへww
は、またいつか? -
そろそろ、次の滞在地のお天気調べも
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