2023/12/23 - 2023/12/23
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kojikojiさん
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ホテルで遅い昼食を摂った後は再びバスに乗って「タージ・マハル(Taj Mahal)」へ向かいます。ガイドさんの目論見としては午後の遅い時間の方が空いているとのことでしたが、いざ行ってみるとインド国内の旅行者で埋め尽くされている感じです。近くまでバスで行った後は電動カートの列に並び、カート出入り口まで移動します。ここでは外国人用の入り口に並び、靴カバーとミネラルウォーターを1本貰います。さらにセキュリティを通過するのですがこれがまた飛行場並みに厳しく、余計な物の持ち込みは禁止されています。午前中の「ファテープルシークリー」の見学の際に禁止事項の案内板の前でガイドさんから説明がありましたが、それでもライターやタバコを没収されている方がいました。ようやく敷地内に入ることができましたが、「ジラウカーナ(Jilaukhana )」と呼ばれる建物のゲートを通過するまでにかなり時間がかかります。ゲートを抜けると広大な庭園が広がり、その延長線上に真っ白なタージ・マハルの霊廟が浮かんでいるのが見えます。ここへ来てようやくインドへ来たのだという実感と感動が湧き上がってきました。コロナ禍以降は残された時間の中で見ておかなければならないと思える場所を優先して旅をしてきましたが、ここもその1つでした。圧倒的な存在感の霊廟に感動する半面そこへたどり着くまでの間に一体全体何人の入場者がいるのだろうという諦めにも似た感情も湧き上がってきます。ガイドさんに促されて先へ進み、霊廟の基壇にたどり着くまで20分、基壇の階段から上の段に並ぶこと30分ほどでようやく霊廟の中に入ることができました。中に入ってしまうと通路に沿って白い大理石で覆われた空間を順路に沿って歩いて表に出されるといった感じです。意外に広い空間が無いので建物の中で圧倒されるような感動はありませんでした。やはりこの霊廟は外から眺めるに限るなと思います。後ろ髪をひかれるような気分で庭園を抜けて、同じルートで表に出ます。ここからがまた大変で再びカートの列に並びます。辺りが薄暗くなるころにようやくバスに戻ることができ、その後は大理石工房の見学に行きます。白大理石に貴石を象嵌する工程や作業の細かさには驚かされますが、その出来上がったものが欲しいかというとそれは別で購買意欲は湧いてきませんでした。一度ホテルに戻った後はガイドさんがアレンジしてくれた「Karakuriti」という劇場のショーの見学に行きました。シャー・ジャハーンと皇妃ムムターズ・マハルの生涯の物語が演じられますが、中国各地で行われるショーのようでとても面白かったです。残念なのは写真撮影が出来ないことでしたが、ホテルに戻り遅い晩ご飯をいただきます。そして予約してあったホテル内のスパでアユル・ベーダも体験することができました。シロダラで頭部に温かさを感じているうちに記憶は無くなり、マッサージと共にあっという間の90分の極楽でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ホテルでの昼食から休憩を挟んで「タージ・マハル」の見学に出掛けます。長年見てみたいと思っていた霊廟なので気分も高揚します。
ジャイピー パレス ホテル&インターナショナル コンベンション センター ホテル
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「タージ・マハル」が近づくにつれて観光客用の馬車の姿が目に付いてきます。
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先ほどのMETROの支柱もインドの少数民族のアートが描かれていましたが、今度は先住民族ワルリーの人々の描くワルリー画が工事囲いに描かれています。
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ワルリー画はマハーラシュトラ州のターネー県に居住するインドに住む500に及ぶ部族のひとつ先住民族ワルリーによって描かれる壁画です。ワルリー族は農耕で生計をたてていますが、季節的に漁労や狩猟に携わる人々もいます。森羅万象に精霊が宿ると考え、万物を育む女神を拝みます。
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本来は赤茶色の砂壁に米をすりつぶした水を混ぜただけの真っ白な絵の具と竹を削ったペンを用いて、繊細でリズミカルな線描と三角形や矩形、円などの組み合わせで展開される自然との畏敬にみちた交感の世界は、写実によらないモダン・アートのようです。1972年にこの独特の表現を世に広め民俗画として育てようというインド政府の勧めで紙に描かれるようになり、70年代後半からは海外でも知られるようになりました。
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オートリキシャ―に観光用馬車の渋滞が始まると「タージ・マハル」がいよいよ近づいたと感じます。
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美しく飾られた馬車に乗ってみたい気になりますが、ほとんどの馬車が手持無沙汰です。
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さらにらくだが車を牽いていたり。いろいろな乗り物がありますが、さすがに象はいませんでした。エジプトでラクダに乗ったのが楽しかったのでまた乗りたいなと願っていたら2か月後に願いは叶いました。
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自家用車や観光バスはかなり手前までしか行けず、バスを降りて少し歩きます。
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少し歩いた先に電動カート乗り場があり、ここで長い列に並ぶことになります。その間にガイドさんはチケットを買いに走ります。乗っている時間はほんの数分ですが、途中に前の写真のような鉄製のゲートが置かれているのでスピードが出せません。
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カートを降りた後は入場券を買うための列に並びます。ここでもガイドさんが先に走ってくれます。我々は喧嘩しているサルを眺めて時間を潰します。チケット売り場ではミネラルウォーターと靴カバーが配られます。
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セキュリティのゲートではインド人の男性と女性、外国人の男性と女性の列に分かれます。
タージ マハル 史跡・遺跡
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午前中に見学した「ファテープルシークリー」にも同じような看板がありましたが、チェックはさほど厳しくはありませんでした。ただ「タージ・マハル」は厳しいから注意するようにガイドさんから注意がありました。
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男女が分かれているのはボディチェックがあるからで、ほとんど空港のセキュリティと変わらないです。
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注意されたにもかかわらずライターやタバコを没収されている方がいらっしゃいました。飲み物もチケット売り場で配られたミネラルウォーター以外は持ち込み禁止です。ガイドブックも禁止、ヘッドフォンも禁止、ほとんどカメラとスマホ以外は持ち込めません。
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園内にいる猿の注意事項です。目を合わせない、近づかない、写真を撮らない、立ち止まらないまでは分かりますが持ち込めない食べ物を与えないは矛盾しています。
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順路には古い写真パネルが飾ってありました。これは1874年の姿です。現在の姿とほとんど変わりありません。
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1892年になると庭園も含めかなり美しく修復されているようです。
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1901年になると現在と変わらい姿のように思えます。
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1987年頃は観光客の姿もまだまだ少ないようです。この頃自分も初めて海外旅行を始めたので親しみを感じます。
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ようやく公園内に入ると「ダルワザ・イ・ラウザ(Darwaza-i-rauza)」が見えてきます。この建物は象徴的に楽園を表す庭園への入り口で、「大楼門」とも呼ばれています。
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ガイドさんの説明を聞きながら先に写真を撮ってしまいます。
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この建物だけでも圧倒的な大きさです。幅41.20 x 34 メートルに高さ23メートルの長方形の建物です。この向こうに「タージ・マハール(Taj Mahal)」が隠れているのは分かりますが、その姿はここからは見えません。
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外観は両端の八角形の小塔があることからヒンドゥー建築の防御的な建物のように感じます。その間にある細い小塔、細身の11連のチャトリは反対側にも11個並び、合わせて22個になっています。これはこの霊廟が建てられた22年という年数になっています。
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ファサードは巨大なイーワーンとその中に小さなイーワーンが6つあります。1階部分の中央が霊廟への入り口になっています。
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イーワーンとはイスラーム建築によくみられる、一方が完全に開き、三方が壁で囲まれて、天井がアーチ状となっているホールまたは空間のことを指します。7世紀に滅んだサーサーン朝ペルシャの建築で顕著にみられ、11世紀から12世紀にかけてのセルジューク朝の時代にイスラーム建築の基本的な設計単位として定着しました。
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幾つもの賞蝕されたアーチを通過しますが、その美しさよりもその真正面に見えてくる霊廟で頭はいっぱいです。絶対のそれることなく中心線を進まなければなりません。
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何しろもの凄い観光客の数です。その多くがインド国内の人のようです。それだけインドの経済が発展して観光にお金を掛けられるようになったのでしょう。20数年前の経済発展が始まった時の中国のようです。
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「ダルワザ・イ・ラウザ(Darwaza-i-rauza)」を抜けたテラスも前の方には進めません。昔はここへ来るとインド人の家族に外国人が珍しがられ、一緒に写真を撮るのをせがまれると聞いたことがありますが、そんな時代は終わっています。
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ガイドさんが「立ち止まらないで左側に集まってください。」と叫んでいるのが聞こえますが、やっぱりここからの写真は撮りたくなります。フマユーン廟やアンベール城と同じく庭園には天上の4本の川をあらわす4本の水路が十字に流れ、この水路が交わるところには天上の泉を表す池が配置されています。これはペルシャ様式のチャールバーグ式を踏襲していますが、ここでは人に埋め尽くされてイメージするのが難しいです。
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人が途切れたところで順番に記念写真を撮ってもらいます。来年の年賀状の写真はこれになりそうです。
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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが謀反を起こした臣下ハーン・ジャハーン・ローディー討伐に付き従っていた遠征先のブルハーンプルで亡くなった妃のムムターズ・マハルのために建てた霊廟です。
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ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」や「宮廷の選ばれし者を意味する言葉で、義父である第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号です。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーグムとされます。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になります。
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ようやくここを訪れることができたと感慨深く眺める半面、その基壇の上に並ぶ黒い人の列に一抹の不安も感じます。
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白亜の霊廟というイメージですが全てが真っ白なわけではないようです。少し夕暮れの時間帯だったので余計にそう見えたようです。最上部にムガル建築の様式である三日月と水差しを重ねてあしらった頂華を備え、繋ぐ部分には蓮の花弁を象った飾りパドマコサを持つ丸屋根が乗っています。
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まずはガイドさんに促されて左手より霊廟の基壇下に向かいます。
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ここからはシューズカバーが必要です。途中で亡くしてしまう人がいて、ガイドさんが貰いに走ったりなかなか先へ進めません。エジプトのカイロの博物館でも同じようなシューズカバーを吐きましたが、その度に妻がドラえもんのように思えます。
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庭園奥には中央に高さ5.5メートルの基壇の上に建つ白亜の霊廟があり、四隅には4本の尖塔が建っています。基壇を昇る階段は庭側から見えない場所に設置されているようです。ムガル帝国の霊廟ではこの基壇周囲にはアーチ状の列柱とその後ろに小部屋が据えられ、一族や縁者の墓石を置きますがタージ・マハルの基壇にあるアーチは単なる浮き彫りであり小部屋もありません。これはタージ・マハルがあくまでムムターズ・マハルだけのために建設されたことを表しています。これも先にデリーでフマユーン廟を見学したから分かることです。
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長い列という表現が正確なのか分かりませんが、押し寄せる人が基壇下の階段に集中し、ようやく基壇の上に昇ることができました。20数年前に中国を旅した時は並ぶことを知らない人たちだと感じましたが、現在のインドでも同じようです。もっとも日本でも少し前の大阪では同じようでしたが。
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基壇の上に上がってしまうと美しいドームの姿を感じることは出来なくなりますが、真っ白な巨大な大理石の塊に圧倒されます。
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基壇の上から歩いてきた「ダルワザ・イ・ラウザ(Darwaza-i-rauza)」を振り返ってみます。ここでようやく十文字になった水路を確認することができました。
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霊廟を中心に左右には「タージ・マハル・モスク(Taj Mahal Mosque)」と「メフマーン・カーナ(Mehmaan khana)」という建物が配されています。モスクが建てられたのはイスラム教の戒律によって、建てられる霊廟にはモスクが付随しなければならないからです。
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モスクはタージ・マハルを挟んで反対側に建てられたゲストハウスである「メフマーン・カーナ」の対象を成し、霊廟の対称性を完成させています。このモスクはイサ・モハメッドによって建てられ、メッカのカアバ神殿の方向に向いています。モスクの外観は白い大理石で覆われた3つのドームと、4つのチャトリで飾られています。
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基壇に登ってから10分ほどでようやく南西のミナレットの足元まで来ました。ミナレットに入るための階段を3段ほど上がるとドームが見えることに気が付きました。
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入場できるまでは基壇に登ってから30分ほどかかりました。3列が2列になり、最後は1列になりますが、入り口で列はぐちゃぐちゃになります。
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巨大なイーワーンの真下まで来ました。これから「タージ・マハル」に入ると思うと気分は高揚します。
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妻にこれほどの霊廟を用意してあげられないのが残念です。
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イーワーンの下に入ってもこれだけのスペースがあります。床に敷かれた白大理石はきれいに掃除がされていますので、シューズカバーを履かせたくなる気持ちも分かります。本当なら靴を脱がせたいところでしょうが、それはそれで大変なことになりそうです。
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いよいよ中に入ります。内部は撮影禁止ですが、同じツアーの1人で参加しているおばあさんがスマホを取り出して写真を撮ろうとしたのには驚きました。ガイドさんと警備員が大声で注意して引っ込めましたが、悪びれた様子もありません。
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ようやく霊廟の内部を見学することができました。内部も同じ大理石で覆われ、その白大理石にはフィレンツェから呼び寄せられたピエトラ・ドゥラという大理石モザイクで飾られています。
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内部中央の八角形のホールには、その中心に白大理石にコーランの章句や草花の連続文様が装飾された衝立が囲うムムターズ・マハルの墓石があります。そしてその横には一回り大きな墓石がありますが、これは夫である皇帝シャー・ジャハーンのものです。
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シャー・ジャハーンは妃の霊廟である「タージ・マハル」と対を成す黒大理石で造られた自らの霊廟「黒いタージ」を建設する計画がありました。これは息子に幽閉されることにより潰えますが、結果としては愛する妻の横に眠ることができて良かったのではないでしょうか。
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基壇の高さからではドーム屋根がほとんど見えることができませんが四隅にあるミナレットの前にある3段ほどの階段に登ると写真映えすることに気が付きました。同じツアーのご夫婦の息子さんがインド勤務ということでツアー中のいくつかの観光ポイントで合流していました。息子さんのスマホを借りて3人の写真を撮ったらとても喜ばれました。
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霊廟を出てしまうと比較的自由に基壇の上を歩くことができます。奥に見えるのが「メフマーン・カーナ」ですが、モスクと同じデザインなのが分かります。
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ヤムナー川の対岸には「メフタブ・バーク(Mehtab Bagh)」が見えます。メフタブ・バーグは月光の庭という意味があり、ここもイスラム教の天上を表すチャールバーグ様式の庭園になっています。タージ・マハルと一直線に並ぶレイアウトになっていますが、雨季には部分的に浸水する氾濫原にあります。
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1665年にアーグラを訪れたジャン・バティスト・タヴェルニエというフランス人旅行者は彼の空想的な著作の中でブラック・タージの考えに初めて言及しました。タヴェルニエの著作によると、シャー・ジャハーンはこの場所にブラック・タージの建設を始めましたが、息子のアウラングゼーブによって退位させられたため、墓を完成させることができなかったといわれます。
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実際には建設途中のブラック・タージが残されているわけではないので、この話はフィクションで伝説とされています。対岸から眺める「タージ・マハル」はさぞ美しいだろうと想像してしまいます。
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モーパッサンはしばしば嫌いなエッフェル塔のレストランで昼食をとったといわれます。「パリで塔が見えないのはこの場所だけだ」とも言ったそうですが、アグラで「タージ・マハル」のドームが見えないのはこの基壇の上かもしれないと思いました。
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やはりこれくらい離れた位置から眺めるのが良さそうです。離れた位置からの方が白さが際立っています。
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基壇の上にはまだまだ長い列が出来ています。
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妻も大満足の「タージ・マハル」の見学でした。お互いに死ぬまでに行きたい場所のリストがあるので、1つ1つ消していかなければなりません。
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「チャールバーグ(Char Bagh)」の水路の反対側には「タージ博物館(Taj Museum)」の建物が見えます。時間の無いツアーでは立ち寄らないのが残念です。
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だいぶ日が傾いてきました。太陽が肉眼で見えるのは大気が汚れているからだと思います。絵私は昭和40年代の東京で光化学スモッグに慣れていますが、この旅が終わって日本に帰ってから妻はひどい鼻炎になりました。
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今回の北インドのゴールデントライアングルの旅の主だった観光はこれで終わりです。ムガル帝国の歴史を考えるとこの順番で旅してきて良かったと思います。同じようなツアーでも先にアグラを見てしまうと歴史をさかのぼることになってしまいます。
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気のせいか「タージ・マハル」も霞んできました。これが見納めになります。
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同じルートを通ってカート乗り場に向かいます。
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出口にもセキュリティがあるのでまた混雑していました。帰りのカートも行きと同じくらい混んでいて、ここでも20分ほど列に並んで待たされます。
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駐車場に戻ってバスに乗るとホッとします。
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観光が終わると大理石店に立ち寄るのはツアーのお約束です。入り口の階段の真ん中にはマットが敷かれて犬が寝ていました。ガイドさんの言うように犬はヒンドゥー教の中での地獄、冥界の王ヤマラージャの使いという信仰があり、魔除けの役割があるようです。
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ヒンドゥー教では家畜でもある牛が崇められていますが、その理由は昔から牛はミルクやバターを生み出したり、田畑を耕す時の貴重な労働力になったりと、人との生活にかかせず、尊敬される存在だったこと、ヒンドゥー教の最高神である破壊の神シヴァの使いとして描かれていることが上げられます。インドに陽とは牛乳を飲んで育つので母として見ていることもあるようです。動物に寛容なインドの人たちですが、唯一猫は嫌いだそうです。それはヒンドゥー教の神の使いであるのネズミを食べる存在だからだそうです。最近はインドでもペットを飼うことが人気だそうですが、犬は飼っても猫を飼う人は皆無だと聞きました。
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「ピエトラ・デュラ」は16世紀末にフィレンツェ人によって確立された大理石や貴石のモザイク加工技術で、インドへはムガル帝国の霊廟や宮殿の建設で呼び寄せられた職人によって伝わったようです。
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かなり原始的な道具を使っての加工の実演を見せてもらいます。説明はマネージャーさんが日本語で行ってくれます。この道具はジャイプールなどの宝石加工でも使われています。
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制作されているパーツは天然のラピスラズリやターコイズ、マラカイトやコーネリア、タイガーアイなどが使われるそうです。ここに来るまで「アグラ城」の宮殿や「タージ・マハル」で見てきた装飾なので興味は持っています。
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工房の見学の後は奥にあるギャラリーへ移動してショッピングとなりますが、大きくて細かいものはとても高くて手が出ません。小さいものだと見た目がプラスチックぽいのでほしいとは思えず買うには至りませんでした。
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店の前に置かれた大きな象と記念写真を撮って終わりです。
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「Akbar International」というショップでしたが、こんなビルが建つほど儲かるのだと感心します。
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前日ツアーの型から何かオプションが無いのかという声が上がっていて、ガイドさんがアレンジしてくれたの「Kakakriti」という劇場で行われるショーでした。
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中国各地を旅するとその町や人物の歴史をわかりやすく仕立てたショーがあるのですが、それが面白くて各地で観ていました。ここも同じような仕立てのように思いました。送迎付きで3,000円という値段も手ごろなので申し込みしました。
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中国だと写真撮影が可能なのですが、インドはダメだったのが残念です。ストーリーは皇帝シャー・ジャハーンと皇妃ムムターズ・マハルの物語で、最後に「タージ・マハール」が完成するというものでした。
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ほんの数時間前に実際の「タージ・マハル」を見たばかりだったので非常に面白く観ることができました。インドの劇場の場合は係員がメニューを持って座席を周り、飲み物や軽食が注文できるというシステムでした。注文したレモネードは美味しかったです。
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送迎バスでホテルに戻って遅い晩ご飯です。ショーを観に行ったのは20人中の6人くらいでした。
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冷たいキングフィッシャーで喉を潤します。小瓶で500ルピーもするので一気にグイっといけないのが残念です。
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前のバンとはメニューが違うので飽きることはありませんでした。この日はイタリアン系と中華が多かったです。ホテル内には中華レストランなどほかの店もあるので、そこから運ばれているようです。
ジャイピー パレス ホテル&インターナショナル コンベンション センター ホテル
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お昼はさっぱりした溶き卵のスープでしたが、晩ご飯は大好きな酸辣湯でした。
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これは我が家の大好物で、旅先で疲れたときは中華料理店を探してまで飲みたいスープです。
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すでに午後9時をまわっていますが、ここからアーユルヴェーダです。以前スリランカを2週間以上旅していながら体験できなかったので楽しみにしていました。90分でシロダラ付きのオイルマッサージでしたが、記憶があるのはシロダラが始まったところまでで、後半は気絶したように寝落ちしていました。
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