2023/12/21 - 2023/12/21
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2023/12/21
この旅行記スケジュールを元に
「ザ・プラツィオ・グルガオン」の朝食は前日夜の夕食と同じレストランだったこともあり、食事も美味しかったです。見慣れない料理も並んでいますが、色々食べてみることにします。ツアー2日目から観光が始まりますが、この日は朝からデリーの観光です。気分的にはデリーに2日ほど滞在して大まかな観光ポイントは周りたいところですが、お昼を食べた後はジャイプールへ移動しなければなりません。まずは宿泊しているグルガーオンから市内に入るのですが、ITシティを左右に見ながら高速を降りるといきなり牛が歩き、路上生活者、オートリキシャ―が走り回るインドらしい風景を目の当たりにします。ツアーの観光バスの中と外では全く別の世界を感じますが、全てが目新しくて目を離せません。バスは「クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)」の前に停車して観光が始まります。チケットを買いに行っていたガイドさんが戻り、1人1人にトークンを手渡してくれます。トークンを最後に使ったのは2000年の上海の黄浦江の渡船だったかもしれません。最近は使うことが無いので懐かしく感じます。入り口は外国人とインド人女性、インド人男性、子供と細かく別れているのが面白いです。さらに料金はインド人と外国人では15倍の価格差が設定されています。今までも東南アジアを旅していて数倍の料金の差はありましたが、ここまで大きいのは初めてかもしれません。やはり2000年頃のベトナムでもフエの皇帝廟は10倍くらいの価格差があり、皇帝廟巡りのツアーボートの中でアメリカに亡命したベトナム人女性にベトナム語を教えてもらい安く入場しようと画策しましたが、4カ所の廟すべてで見破られた悲しい思い出があります。広大な公園のような「クトゥブ・ミナール」の敷地に入るとすぐに巨大な塔が見えてきます。美しく整備された遺跡はここがインドだということを忘れてしまいそうです。ガイドさんの説明を聞きながら朝霧の中を歩きますが、今から思えば朝霧だったのかPM2.5だったのかは定かではありません。この塔はインド最古のミナレットとされ、1200年ごろに奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられました。高さが72.5メートルあり、かつては世界で最も高いミナレットでした。地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100メートルほどの高さがあったというのは驚きです。以前は先端部まで上ることができたそうですが、修学旅行生の死亡事故があって以来登ることは出来なくなったそうです。同じような理由でジャイプールのジャンタルマンタルの階段も昇れなくなっていました。北インドの旅行ということで何となくムガール帝国については調べることはありましたが、奴隷王朝についての知識は皆無でした。実際に奴隷といってもマムルークというイスラム世界に存在した奴隷身分出身の軍人を指すようです。王朝を興したクトゥブッディーン・アイバクはマムルーク(奴隷軍人)としてゴール朝のシハーブッディーン・ムハンマドに仕え、元奴隷身分ながら新王朝を開きました。後継者の娘婿のイルトゥトゥミシュもまた解放奴隷であったことから、アイバクの開いたデリー・スルタン朝最初の王朝は奴隷王朝と呼ばれるそうです。塔の周囲を歩いた後はミナールの周囲のクトゥブ遺跡群を紺額します。ミナールの北東にあるクワット・ウル・イスラム・モスクは西暦1199年にクトゥブ・ウッディーン・アイバクによって建てられました。現存する最古のモスクでデリーのスルタンによって建てられました。回廊に囲まれた長方形の中庭で構成されており、27のジャイナ教とヒンドゥー教の寺院の彫刻された柱と建築部材で建てられています。モスクの中庭にある高さ7メートルの鉄柱は紀元3世紀から4世紀のゲプタ朝時代に建てられたもので、側面にはサンスクリット文字が刻まれるこの鉄柱は純度ほぼ100%の鉄製で錆びることは無いそうです。フリータイムも設けられ、ガイドさんが写真も撮ってくれるので近くだけの見学をしていたので、すぐ近くにある未完成の巨大なアラーイー・ミナールを見てこなかったのが悔やまれます。バスに乗って次の「フマユーン廟」に向かいます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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翌朝はホテルの朝食からスタートします。朝になってようやく周囲の状況が見えてきましたが、郊外の幹線道路沿いにあるので観光客が表に出て楽しめるようなものは何もありません。
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センスの良いインテリアです。バックパッカーでインドを旅した方には笑われるでしょうが、以前から持っていたインドのイメージが変わりました。
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ビュッフェの朝食のメニューはウエスタンがメインですが、ちょいちょいとインドらしさも入っています。
ザ プラツィオ ホテル ホテル
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左に積まれた「バトゥーラ(Bhature)」揚げパンで、油で揚げる点はプーリーと同じですが、こちらは精白した小麦粉から作られ、生地にダヒやバターを練り込み、一定時間寝かせるようです。プーリーはチャパティと同じ全粒粉の生地を薄い円形にのばし、油で揚げた揚げパンで、生地がよく膨らむまで油の中に沈めて揚げます。揚げたては風船のように大きく膨らんでいます。こちらの方が日本ではなじみがありますが、その違いはあまり分かりません。
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パンジャーブ風のヒヨコマメの煮込み料理「チャナマサラ」は「バトゥーラ」と一緒に食べるのがポピュラーなようです。正直インド人以外は説明がないと組み合わせ方など分かりません。
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南インド広域で朝食や軽食として広く食べられている「イドゥリ(Idli/idly)」は、ウラドダル(小豆の一種)と米のペーストから作られる発酵蒸しパンです。具材たっぷりの豆野菜カレーのサンバルやチャトニーというココナッツやトマトでできたペーストをつけて食べます。
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インドのホテルの朝食の飲み物はフレッシュジュース以外にもアイスコーヒーやミルクシェイクが多かったです。妻はスイカジュースがあるので大喜びです。
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そして甘いデザートが多いのもインドのホテルの朝食の魅力かもしれません。
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生野菜のサラダも種類が豊富です。野菜はどれも美味しかったです。フルーツもたくさん並んでいました。
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昨晩ガッツリ食べたばかりですが、旅先の朝はお腹がすくものです。
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午前8時にホテルを出発します。安いツアーですがポーターサービスが付いているので到着時にトランクは持たず、出発前に部屋の前に出しておくだけなので年寄りにはありがたいです。以前は嫌いだったツアーの旅行も最近はありがたみを感じます。
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バスの車窓からは昨晩は見えなかったインドの市井の人達の生活が垣間見られます。自転車を改造した屋台の種類は数知れず、たいていがプロパンガスを積み込んで何かしらの料理を提供するタイプです。
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オートリキシャ―は何かしらのルールがあって、集合する場所が決まっているようです。
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デリーの近くだけあって大きな道路が整備されています。インフラ整備も都市部は進んでいるようで、これからの発展が感じられます。帰国後にTATA系の投資信託を注文しました。
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人力の三輪車から少し進むとリヤカータイプの店に進化して、お金が貯まるとバイクやオート三輪になっていくのでしょうか。
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「デリー・メトロ(Delhi Metro)」は首都デリーとその近郊に路線網を持つ地下鉄で、9本の路線は総延長約348キロで駅は252という世界屈指の規模だそうです。地下鉄という名前ですがそのほとんどが高架と地平区間が多く、駅へ上がる階段を見掛けました。
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そんな駅への階段には物売りが集まり、オートリキシャ―が待機しています。
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2000年以降何度も旅した中国でも同じようなパワーを感じました。中国には投資する機会はありませんでしたが、ここ数年真面目に投資に取り組んでいるのでインドは面白そうです。
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出遅れた屋台がやってきました。こういった店で軽く朝ご飯を食べていくのでしょうか。一体いくらで食事が出来て、一日の稼ぎはどれくらいなのか…。12月のデリーは過ごしやすかったですが、暑い時期はどうしているのか…。いろいろなことが頭に浮かんできます。
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オートリキシャ―のスタンダードタイプはグリーンのボディに黄色い屋根ですが、よく見るといろいろなタイプがあるようです。リキシャ―の語源は日本の「人力車」ですが、日本由来で世界に受け入れられた数少ないものの一つですね。
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今回はツアーなので乗る機会はありませんでしたが、調べてみるとデリーでは営業エリアが決まっているためそのエリアの外までは行ってくれないようです。1キロ当たり20ルピー(約36円)が相場のようです。
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ようやく町中を歩く牛を見ることができました。インドに来るまでこれらの牛はボラ牛だと思い込んでいたのですが、実は放牧されているものがほとんどだということを初めて知りました。
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牛たちは早朝に自宅に併設された牛舎で搾乳された後に開けっ放しの玄関から自由に街へ出て行きます。昼間は道端や広場などで草などを食べたり、寝たりして過ごし、夕方になるとどこから呼ばれたわけでもなく、自然と飼い主の家に戻っていくそうです。
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インドで主流のヒンドゥー教では「牛は神聖な動物」とされているため、基本的に牛肉は食べません。以前スリランカに行ったときに2週間ガイドしてくれた方は京都に留学していた際に友人に連れられてマクドナルドに行ってしまったそうです。ハンバーガーを食べ終わったときにそれが牛の肉だと知り、数十年経っても悔いとして残っていると言っていました。
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通りがかった巨大な再開発の工事現場の入り口のゲートが面白かったので写真に撮っておきました。
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日本のゼネコンでも工事現場に入るためのルールはありますが、このようなイラスト入りのものは見たことがありません。ヘルメットのカーラーコードも面白いです。そして一番右側の女の子が合掌している姿もいいです。
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こういった縁台タイプの仮設店舗もよく見掛けました。店の什器や商品は毎晩持って帰るのだろうか謎が生まれてきます。また商品など一切並べずに座っているだけの人も多く見かけました。
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「クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)」の前でバスを降りて、チケットを買いに走ったガイドさんの戻るのをしばらく待ちます。
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走り回っているオートリキシャ―を眺めているだけでも楽しくなってきます。
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ガイドさんが戻ってきたので見学が始まります。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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インドの観光地の入場はどこも同じでしたが、出入り口は必ず外国人とインド人の女性とインド人男性と子供に分かれていました。この時は混雑していなかったのであまり感じませんでしたが、外国人の場合は料金が15倍くらいするのでファストトラックのような意味もあるのでしょうか。外国人の場合は男女を分けなくても良いからか1列だけです。チケットではなくコインのようなプラスチックのトークンを機械で読み取るのがインドではポピュラーなようです。
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昔の中国でも列車の切符を買う際には外国人の窓口は空いていて、3等硬座の窓口は長蛇の列だったことを思い出します。上海から蘇州までが1等で100円くらいで、3等が50円くらいでした。ベルベットに白いレースのカバーの付いた座席と3人掛けの板張りの座席の差が50円は信じられませんでした。
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昨晩着陸したインディラ・ガンジー国際空港への着陸航路上にあるようで、真上をたくさんの旅客機が通過していきます。
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クトゥブ・ミナール複合体は宗教家スーフィー聖者のクワジャ・クトゥブッディン・バクティアル・カキにちなんで名付けられた複合施設を表します。「クトゥブ・ミナール(勝利の塔)」の建設は後にマムルーク朝のデリーの最初のスルタンとなったクトゥブ・ウッディーン・アイバクによって始められました。
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建設は彼の後継者イルトゥトミシュによって引き継がれ、最終的に1368年にトゥグルク王朝のデリーのスルタンであるフィロズ・シャー・トゥグルクによって完成しました。
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現存するインド最古のモスクとされるクッバート・ウル・イスラーム・モスク(イスラム教のドーム)は、後にクワット・ウル・イスラムに改称され、クトゥブ・ミナールの隣に建てられました。
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着陸する航空機は上空を飛ぶものもあれば、かなり定休で侵入してくるものもあり、低空のものはその爆音とともに塔にぶつかるのではないかと心配になってしまいます。
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この塔は1190年頃に建てられたアフガニスタンのジャムの62メートルの全レンガ造りのミナレットと比較することができますが、これは「クトゥブ・ミナール」が建設される予定の10年ほど前に建設されました。
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両方の塔の表面は碑文と幾何学模様で精巧に装飾されています。「クトゥブ・ミナール」のシャフトの各階のバルコニー下の見事な鍾乳石ブラケットが刻まれています。 一般にミナレットはインドでの建設が遅く、またモスクから切り離されて建てられることが多かったそうです。
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回廊の奥には有名な「鉄の柱」が見えます。
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この柱は錆びない鉄の柱として有名で、何かのテレビ番組で紹介されているのを見たことがあります。
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これがインドで初めて見た建築遺跡ですが、その完成度の高さには驚かされます。
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12月下旬のデリーの早朝は肌寒いくらいの気温でした。
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ガイドさんは太陽光線などを考慮してこの後のツアー中も記念写真を撮ってくれたので翌年の年賀状に仕えそうな写真がたくさん残せました。
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朝霧だと思っていたのですが実際はPM2.5の濃度も高かったようで、妻は帰国後にひどい鼻炎になってしまいました。鼻から鼻水を垂らしている人を昭和が終わって以来初めて見ました。
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スリランカのキャンディの仏歯寺にも同じような石柱が並んでいたことを思い出します。この建物の回廊は後で見学しますがその彫刻は見事でした。
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ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっているのはおそらくヒンドゥー教やジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用しているからだろうという説明がありました。テラスのデザインはカタルーニャのアントニオ・ガウディの建築デザインも連想させます。
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塔が近づくにつれてそのディティールが目についてきます。かなり最近になっても修復が行われているのは色の薄いレンガを見ればわかりますが、どのように修理したのか皆目見当がつきません。
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唐草模様やアラビア文字の連続がとても美しいです。
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現在の高さは72.5メートルですが、かつては世界で最も高いミナレットだったそうです。地震や落雷などで先端が崩れた後に修復してあり、当初は100メートルほどの高さがあったといわれます。直径は基底部14.3メートルに対して先端部2.75めーとるしかないので正に尖塔という名にふさわしいです。
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細かく見ていくほどガウディのカサ・ビセンスのレンガやカサ・ミラの屋上の煙突やバルコニーの柵を思い出させます。
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内部には378段の階段があり、以前は先端部まで上ることができたそうです。1981年に落雷で照明が消えてパニックになった修学旅行中の少女たちが階段で折り重なって倒れ、十数名が死傷する惨事となり、この事故以来内部への立入りは禁止されたそうです。
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若い頃はイタリアにある塔を片っ端に階段で昇ったものですが、最後に自力で昇ったのはベルギーのブリュージュだったか。最近はエレベーターが無いと登りたくありません。唯一中国の西安の大雁塔に登らなかったことは後悔しています。
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少し大きめの鳥がたくさん飛んでいるので目で追うとインコだということが分かりました。あまり飛び方は上手ではないようです。
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遺跡のあちこちにとまってピーピー鳴いているインコは絵になります。たくさんいるのに糞で汚れていないのが不思議です。
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柔らかい砂岩ではありますが、透かし彫りが見事でした。このような透かし彫りは 「ジャーリー(Jaali)」と呼ばれます。穴のあいた石または格子状のスクリーンを指す用語であり、通常は幾何学的なパターンを使用して構築されています。
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ジャーリーは日差しと雨を最小限に抑えながら光と空気を取り込み、受動換気による冷却装置としての役割もあります。穴は石の厚さとほぼ同じ幅かそれより小さいことが多く、構造的な強度を保っています。
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「アライ・ダルワザ」は「クワット・ウル・イスラム・モスク」の南の玄関口にあたります。1311年にスルタン・アラウディン・ハルジーによって建てられ、赤い砂岩でできており、アーチ型の入り口と単一の部屋を備えた正方形のドーム型の門楼です。インド・イスラム建築においてイスラムの建築方法と装飾方法を用いて建てられた最初のインドの建物として特別な意味を持ち、世界遺産に登録されています。
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続く回廊には石柱が並びまた違った印象を与えます。初めはシンプルな角柱が林立しています。
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さらに進むとジオメトリックな柱へと変化していきます。この幾何学的な少食にも細かい意味があるのだと思いますが、そこまでインド・イスラム建築には精通していません。
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今まで見てきた日本や中国や東南アジアの木造建築やヨーロッパの石造建築とも違った美しさを感じます。コロナ禍が終わりを迎えつつある中で海外旅行を再開しましたが、今までの旅先とは違った場所へ行こうと思い、モンゴルに続きインドに来ることになり舞いsたが、まだまだ世界には見なければならないものがたくさんあると感じます。
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ヒンドゥー寺院から持ってきたまま放置されたような石彫も並んでいます。
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インドネシアのジャワ島へ行った際はジョグジャカルタ郊外のブランパナン遺跡でもヒンドゥー教のレリーフに魅了されたことを思い出します。
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仏教に由来するレリーフでもボロブドゥール遺跡の仏伝図の方広大荘厳経のレリーフをほぼすべて写真に納めましたが、ほとんどが読み解くことができませんでした。
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ガイドさんの説明に沿って見学を進めたせいもあり、フリータイムで「クワット・ウル・イスラム・モスク」の内部を見てこれなかったのが残念です。
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かなり破壊されていますが、この横並びのアーチがどのような建物の一部だったかが想像できません。今回のデリーとアグラとジャイプールの遺跡巡りの旅ではここだけが修復が終えられていないようでした。
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そのアーチを横に移動していくと「デリーの鉄柱」が見えてきました。
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「チャンドラヴァルマンの柱」とも呼ばれる錆びない鉄柱は純度99.72%という高純度な鉄(純鉄)で作られています。
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表面にはサンスクリット語の碑文が刻まれ、頂上には装飾的なチャクラがあしらわれています。直径は約4センチで高さは約7メートル、地下に埋もれている部分は約2メートルあり重さは約10トンだそうです。
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グプタ朝時代の紀元415年に建てられたといわれ、1500年以上のあいだ地上部分に限り錆が内部に進行していないことで知られています。錆びない理由としては鉄柱を覆うリン酸化合物の皮膜が存在することで錆に強い特性が生まれたと考えられているそうです。
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過去に何かのテレビ番組で観たことはありましたが、ここにあったことは全く忘れていました。
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アーチを囲むように回廊が設けられており、その石柱に施された彫刻は見事です。
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ここでガイドさんの説明は終わり、15分ほどの自由時間になります。交代でガイドさんに写真を撮っていただきます。
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皆さんの撮影が終わった後なので、何カ所かで写真を撮っていただけました。昔はインドを旅すると、インド人の型から一緒に写真を撮ってほしいと頼まれると聞いたことがありますが、スマートフォンが復旧した現在ではそんなことも無くなったようです。
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部分的には新しく修復されたものもあるようですが、見事な彫刻には差がありません。ただ、機会かは進んでいると思うので工程や作業効率は違うのかもしれません。
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古いレリーフの方が歴史を感じてしまいます。彫刻は全て同じではなく、それぞれ違うようです。
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赤い砂岩のアーチの所まで入ってみました。その奥に「アラーウッディーン・キルジー廟とマドラサー」という世界遺産を構成する遺跡があったのですが、この時は気が付かずに見落としていました。もっとも15分ではそこまで見ることは出来なかったと思います。
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砂岩のレリーフの上にはリスがいました。近づいても逃げないのが不思議です。
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「イルトゥトミッシュ廟」もこのアングルの左手にあったようですが、全く気が付きませんでした。さらにその奥には「クトゥーブ・ミナール」よりも大きな塔の台座が残っているのですが、それも見てきませんでした。年末はいくつもの旅行を予約して、帰国後に写真の整理と旅行記に忙しく、次の旅行の下調べがおろそかになっていたことが露呈します。
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再び列柱に戻ってきました。やはりこの柱は美しいと思います。以前に旅したスリランカのキャンディの仏歯寺にも同じような列柱が残っていました。ここまでのレリーフでは無かったのですが、1週間ほどの地にコロンボの「No,11」に宿泊した際にその石柱の拓本が飾られていました。
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ジェフリー・バワはインドを旅したのだろうかと余計なことを考えてしまいます。妻と2人で「No,11」と「ルヌガンガ」をはじめ幾つかのホテルにも宿泊し、バワにお設計したホテルの全てを見てきたのは忘れられない旅の1つです。
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これほど彫の深い彫刻では乾拓(紙の上から柔らかい墨を擦る方法)を取るのも大変そうです。中国の西安の「碑林博物館」で実際に拓本を取るのを見たときは時間も忘れて見入ってしまいました。紙や布を濡らして器物に密着させ、乾く前に上墨して拓影を得るものを湿拓といいますが、なかなか見る機会はないものです。
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今回のデリーでは「クトゥーブ・ミナール」と次に行く「フマユーン廟」の見学だけの予定です。「レッド・フォート」も「国立博物館」、ガンジーに関する博物館にも行きたいと思っているので再び来なければならなさそうです。
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出口では入り口で受け取ったトークンが再び必要になります。出口も外国人とインド人の男性と女性と子供に分かれていました。
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園内には菩提樹の木が何本も植わっていました。スリランカのアヌラーダプラの菩提樹の話でガイドさんと盛り上がりました。紀元前3世紀に当時インドで栄えていたマウリヤ朝アショーカ王の娘のサンガミッター長老尼がゴータマ・ブッダの菩提樹の枝をスリランカへ運び、デーヴァーナンピヤ・ティッサ王が当時の首都であったアヌラーダプラに植樹したと伝えられます。伝承によれば紀元前288年に植樹されたことになり、人間の手により植樹された樹木では最古のものです。また、インドのゴータマ・ブッダの菩提樹は枯れてしまったのでスリランカにしか残されていません。木の下で待っていると落ちてきた葉は皆に拾われてしまいます。何とか数枚拾って母のお土産にしました。
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