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「ファテープルシークリー(Fatehpur Sikri)」を訪ねた後は再びアグラへと戻ります。予定では食事のために宿泊しているホテルに戻るのですが、次の観光地である「アグラ城(Agra Fort)」の近くを通過するので先に見学することになります。アグラ市内は慢性的な渋滞が続き、わずか数キロ移動するのにもかなりの時間がかかっていました。城塞の前でバスを降りて入場者の列に一度は並びますが、ガイドさんが現地の係員とうまく話を付けてくれて、並ばずに入場することができました。これだけでも30分以上の時間短縮になるので、ツアーで良かったと思う一瞬です。何しろこのアグラ城と次に行くタージ・マハールの混雑はものすごく、インドにも確実に国内旅行ブームが来ていると感じます。「アマルシン門(Amar Singh Gate)」から内部に入り、「ジャハーンギール宮殿(Jahangir Palace)」の見学に移ります。アグラ城はその多くが軍事施設としても使われているので、見学できるのは1/4ほどですが、それでも広大な宮殿を歩き回ることになります。やはり印象に残るのは皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成させ、その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となったということと、アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔(ムサンマン・ブルジ)」に幽閉したという物語の舞台だということです。残念ながら昼間もヤムナー川の川辺は霧がかかっていて、タージ・マハルを見渡すことは出来ませんでした。前の日の晩にホテルの土産物屋で偶然見つけて買い求めたシャー・ジャハーンと皇妃ムムターズ・マハルの細密画を買うことができて良かったとつくづく思いました。城塞の見学の後はホテルに戻り、中華レストランでの遅い昼食となりました。そして今回のツアーのハイライトでもある「タージ・マハール」の見学へ出発します。

トラピックス 魅惑のインド6日間(9)巨大なアグラ城を彷徨い歩き、幽閉されたシャー・ジャハーンに想いを馳せる。

18いいね!

2023/12/23 - 2023/12/23

293位(同エリア1059件中)

旅行記グループ 2023北インドの旅

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kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

「ファテープルシークリー(Fatehpur Sikri)」を訪ねた後は再びアグラへと戻ります。予定では食事のために宿泊しているホテルに戻るのですが、次の観光地である「アグラ城(Agra Fort)」の近くを通過するので先に見学することになります。アグラ市内は慢性的な渋滞が続き、わずか数キロ移動するのにもかなりの時間がかかっていました。城塞の前でバスを降りて入場者の列に一度は並びますが、ガイドさんが現地の係員とうまく話を付けてくれて、並ばずに入場することができました。これだけでも30分以上の時間短縮になるので、ツアーで良かったと思う一瞬です。何しろこのアグラ城と次に行くタージ・マハールの混雑はものすごく、インドにも確実に国内旅行ブームが来ていると感じます。「アマルシン門(Amar Singh Gate)」から内部に入り、「ジャハーンギール宮殿(Jahangir Palace)」の見学に移ります。アグラ城はその多くが軍事施設としても使われているので、見学できるのは1/4ほどですが、それでも広大な宮殿を歩き回ることになります。やはり印象に残るのは皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成させ、その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となったということと、アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔(ムサンマン・ブルジ)」に幽閉したという物語の舞台だということです。残念ながら昼間もヤムナー川の川辺は霧がかかっていて、タージ・マハルを見渡すことは出来ませんでした。前の日の晩にホテルの土産物屋で偶然見つけて買い求めたシャー・ジャハーンと皇妃ムムターズ・マハルの細密画を買うことができて良かったとつくづく思いました。城塞の見学の後はホテルに戻り、中華レストランでの遅い昼食となりました。そして今回のツアーのハイライトでもある「タージ・マハール」の見学へ出発します。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
ANA
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
利用旅行会社
阪急交通社
  • アグラ郊外の「ファテープルシークリー(Fatehpur Sikri)」から戻るとすでにお昼時間ですが、市内の交通渋滞もあるので先に「アグラ城(Agra Fort)」の見学をすることになります。

    アグラ郊外の「ファテープルシークリー(Fatehpur Sikri)」から戻るとすでにお昼時間ですが、市内の交通渋滞もあるので先に「アグラ城(Agra Fort)」の見学をすることになります。

    アーグラー城 城・宮殿

  • まずはその巨大な城塞の圧倒的な迫力に圧倒されます。「ファテープルシークリー」と同じシークリー砂岩の山のようです。城壁の色から「赤い城」を意味するラール・キラー( Lal Qila)とも呼ばれるそうです。デリーにも同名の城塞がありますが、今回のツアーでは見学から外れていたのが残念です。

    まずはその巨大な城塞の圧倒的な迫力に圧倒されます。「ファテープルシークリー」と同じシークリー砂岩の山のようです。城壁の色から「赤い城」を意味するラール・キラー( Lal Qila)とも呼ばれるそうです。デリーにも同名の城塞がありますが、今回のツアーでは見学から外れていたのが残念です。

  • そして周囲を囲む壕を渡る橋の上の人の数にも圧倒されます。朝一番に見学した「ファテープルシークリー」の優雅さのカケラもありません。

    そして周囲を囲む壕を渡る橋の上の人の数にも圧倒されます。朝一番に見学した「ファテープルシークリー」の優雅さのカケラもありません。

  • ムガル帝国の2代皇帝フマユーンはこの砦で戴冠しました。その後の1565年からムガル帝国の3代皇帝アクバルによって改装され、現在の構造は1573年に完成しました。首都がアグラからデリーに移った1638年まで、ムガル王朝の支配者の本邸として機能しました。

    ムガル帝国の2代皇帝フマユーンはこの砦で戴冠しました。その後の1565年からムガル帝国の3代皇帝アクバルによって改装され、現在の構造は1573年に完成しました。首都がアグラからデリーに移った1638年まで、ムガル王朝の支配者の本邸として機能しました。

  • アクバルの孫である4代皇帝のシャー・ジャハーンは妻のムムターズ・マハルを偲んでタージ・マハルを建てました。祖父の霊廟であるデリーで見てきた「フマユーン廟」とは異なりシャー・ジャハーンは白い大理石で作られた建物を好みました。息子たちの中でアウラングゼーブが勝利を収めると、1658年に父のシャー・ジャハーンを砦の中に幽閉した話は有名です。

    アクバルの孫である4代皇帝のシャー・ジャハーンは妻のムムターズ・マハルを偲んでタージ・マハルを建てました。祖父の霊廟であるデリーで見てきた「フマユーン廟」とは異なりシャー・ジャハーンは白い大理石で作られた建物を好みました。息子たちの中でアウラングゼーブが勝利を収めると、1658年に父のシャー・ジャハーンを砦の中に幽閉した話は有名です。

  • 「アマルシン門 (Amar Singh gate)」と「アクバル門(Akbar gate)」が城内への入口になっていますが、長蛇の列になっています。入るまでにどれだけ時間がかかるだろうと心配になります。

    「アマルシン門 (Amar Singh gate)」と「アクバル門(Akbar gate)」が城内への入口になっていますが、長蛇の列になっています。入るまでにどれだけ時間がかかるだろうと心配になります。

  • ところがガイドさんがアグラ城のガイドさんに話しを付けてあったので、長い列には並ばずに脇から入ることができました。並んでいるのはインド国内の観光客が多く、彼らの入場料は40ルピーですが、外国人は15倍の600ルピーを支払っています。インドに納税しているわけではないので料金が高いのは納得できますので、他の観光施設のように外国人ゲートを設けてほしいと思います。

    ところがガイドさんがアグラ城のガイドさんに話しを付けてあったので、長い列には並ばずに脇から入ることができました。並んでいるのはインド国内の観光客が多く、彼らの入場料は40ルピーですが、外国人は15倍の600ルピーを支払っています。インドに納税しているわけではないので料金が高いのは納得できますので、他の観光施設のように外国人ゲートを設けてほしいと思います。

  • アクバルは1568年から1569年の間に「デリー門」を建設しました。ここはアクバルの時代には正面玄関だったので、治安のために堀を渡るための跳ね橋が作られました。跳ね橋は外側の門と内側の門の間で90度折れ曲がっています。これは入り口からの侵入を防ぐために設けられました。

    アクバルは1568年から1569年の間に「デリー門」を建設しました。ここはアクバルの時代には正面玄関だったので、治安のために堀を渡るための跳ね橋が作られました。跳ね橋は外側の門と内側の門の間で90度折れ曲がっています。これは入り口からの侵入を防ぐために設けられました。

  • 「ハティ・ポル」は内側の玄関口で、両側には警備のために見張り台が1つずつ置かれています。その位置は非常に高く、侵入者は一方的に上部からの攻撃にさらされることになると思います。

    「ハティ・ポル」は内側の玄関口で、両側には警備のために見張り台が1つずつ置かれています。その位置は非常に高く、侵入者は一方的に上部からの攻撃にさらされることになると思います。

  • 攻撃のための施設ではありますが、シンメトリーの非常に美しい門となっています。

    攻撃のための施設ではありますが、シンメトリーの非常に美しい門となっています。

  • 入り口は非常に狭くなっているので大人数が攻め込むのを拒んでいるかのように思えます。昨年行った姫路城と同じような考えが城塞のあちこちに仕掛けられているように思えます。こういった城塞を見学する際は自分が攻め手になった気持ちで見るといろいろなものが見えてきます。

    入り口は非常に狭くなっているので大人数が攻め込むのを拒んでいるかのように思えます。昨年行った姫路城と同じような考えが城塞のあちこちに仕掛けられているように思えます。こういった城塞を見学する際は自分が攻め手になった気持ちで見るといろいろなものが見えてきます。

  • 門を抜けると狭くて急なスロープが現れます。ここを一気に登る場合はスピードが落ちると思います。両側の塀の上部から攻撃されると一網打尽です。

    門を抜けると狭くて急なスロープが現れます。ここを一気に登る場合はスピードが落ちると思います。両側の塀の上部から攻撃されると一網打尽です。

  • このレンガを積んだ壁には仕掛けがあって、両手をパンと打ち鳴らすと反響音が返ってきます。人が多くても反響してくるのが面白いです。

    このレンガを積んだ壁には仕掛けがあって、両手をパンと打ち鳴らすと反響音が返ってきます。人が多くても反響してくるのが面白いです。

  • 見学が始まる前に一度全員でトイレに行っておきます。ここまで1時間以上とこの後の見学1時間の間にトイレに行けるのはこのタイミングだけです。

    見学が始まる前に一度全員でトイレに行っておきます。ここまで1時間以上とこの後の見学1時間の間にトイレに行けるのはこのタイミングだけです。

  • 「ジャハーンギール宮殿(Jahangir Palace)」1565年にアグラ城の建設に着工したアクバルはイスラム王朝でありながらヒンドゥー教徒の妃をめとり、他宗教との融和をはかりました。嫡子のために城内に建てたジャハーンギール宮殿は左右対称のファサードと上部の両端に巨大なチャトリを戴いています。

    「ジャハーンギール宮殿(Jahangir Palace)」1565年にアグラ城の建設に着工したアクバルはイスラム王朝でありながらヒンドゥー教徒の妃をめとり、他宗教との融和をはかりました。嫡子のために城内に建てたジャハーンギール宮殿は左右対称のファサードと上部の両端に巨大なチャトリを戴いています。

  • 柱や梁に木彫のようなレリーフを施すなどイスラム建築とヒンドゥー建築の融合が見られます。<br />

    柱や梁に木彫のようなレリーフを施すなどイスラム建築とヒンドゥー建築の融合が見られます。

  • インド北部を流れるヤムナー川の西岸に建つアグラ城は16世紀からの約300年間、隆盛を極めたムガル帝国の歴代皇帝が君臨した居城です。宮殿はアクバルがヒンドゥー教徒の妻のために建てたものです。アクバルの治世に現存する最古の建物の1つです。

    インド北部を流れるヤムナー川の西岸に建つアグラ城は16世紀からの約300年間、隆盛を極めたムガル帝国の歴代皇帝が君臨した居城です。宮殿はアクバルがヒンドゥー教徒の妻のために建てたものです。アクバルの治世に現存する最古の建物の1つです。

  • 両端に載せられた巨大なチャトリが印象的な建物です。

    両端に載せられた巨大なチャトリが印象的な建物です。

  • とても石材に彫刻したとは思えない緻密な建築です。シークリー砂岩の赤さとフレームに使われた白大理石の組み合わせが美しいです。近くで細部を眺めたいところですが、ガイドさんの後に続かなければなりません。

    とても石材に彫刻したとは思えない緻密な建築です。シークリー砂岩の赤さとフレームに使われた白大理石の組み合わせが美しいです。近くで細部を眺めたいところですが、ガイドさんの後に続かなければなりません。

  • 宮殿の正面側から入場するようです。その正面には「ハウズ・イ・ジャハンギリ(Hauz-i-Jahangiri)」と呼ばれる1つの石の塊で出来た巨大な鉢があります。

    宮殿の正面側から入場するようです。その正面には「ハウズ・イ・ジャハンギリ(Hauz-i-Jahangiri)」と呼ばれる1つの石の塊で出来た巨大な鉢があります。

  • ローズウォーターを入れた容器ともいわれますが、ガイドさんの説明では沐浴のための風呂ということでした。確かに中に入るためのステップも設けられています。何代皇帝かは失念しましたが、この容器いっぱいに金の粒を入れて妹の婚礼に持たせたそうです。

    ローズウォーターを入れた容器ともいわれますが、ガイドさんの説明では沐浴のための風呂ということでした。確かに中に入るためのステップも設けられています。何代皇帝かは失念しましたが、この容器いっぱいに金の粒を入れて妹の婚礼に持たせたそうです。

  • 写真に集中しているとツアーの流れから取り残されて迷子になりそうです。特に混雑した建物の中では数秒で妻を見失います。

    写真に集中しているとツアーの流れから取り残されて迷子になりそうです。特に混雑した建物の中では数秒で妻を見失います。

  • ようやく近くでシークリー砂岩の細かい彫刻と白大理石の組み合わせを見ることができました。

    ようやく近くでシークリー砂岩の細かい彫刻と白大理石の組み合わせを見ることができました。

  • 門のデザインを観ると一昨日デリーの「フマユーン廟」の門で見たのと同じデザインだと気が付きます。洋の東西を問わず六芒星には魔除けの意味合いが込められているようです。

    門のデザインを観ると一昨日デリーの「フマユーン廟」の門で見たのと同じデザインだと気が付きます。洋の東西を問わず六芒星には魔除けの意味合いが込められているようです。

  • 外部と違って内部の方が傷んでいるようですが、ドーム天井や周囲の装飾に目が止まります。

    外部と違って内部の方が傷んでいるようですが、ドーム天井や周囲の装飾に目が止まります。

  • 門を抜けると正方形の中庭に出ます。4面共に2階建ての同じデザインになっています。

    門を抜けると正方形の中庭に出ます。4面共に2階建ての同じデザインになっています。

  • ここでも屋根や回廊を支えるデコラ―ティブなブラケットは目を惹きます。必要以上に大きい気もしますが、砂岩による石造建築の場合はこれくらいの大きさが必要だったのではないでしょうか。

    ここでも屋根や回廊を支えるデコラ―ティブなブラケットは目を惹きます。必要以上に大きい気もしますが、砂岩による石造建築の場合はこれくらいの大きさが必要だったのではないでしょうか。

  • ブラケットを多用することによって荷重を分散させて、細いブラケットをリズミカルに見せているように感じます。今回の旅ではインドの石造建築に魅了されました。

    ブラケットを多用することによって荷重を分散させて、細いブラケットをリズミカルに見せているように感じます。今回の旅ではインドの石造建築に魅了されました。

  • 宮殿を抜けてヤムナー川に面したテラスに出ました。ここは3面が建物に囲まれ、川に面した側は窓を設けた壁になっています。

    宮殿を抜けてヤムナー川に面したテラスに出ました。ここは3面が建物に囲まれ、川に面した側は窓を設けた壁になっています。

  • ここも白大理石に縁どられた彫刻が美しいです。

    ここも白大理石に縁どられた彫刻が美しいです。

  • この庭も4分割されて、細い水路は設けられその中心部には小さなプールが設けられています。

    この庭も4分割されて、細い水路は設けられその中心部には小さなプールが設けられています。

  • 残念ながら美しく加工されたプールは修復工事中のようでした。

    残念ながら美しく加工されたプールは修復工事中のようでした。

  • このテラスはシンメトリーに造られており、左右には2層になったチャトリが見えます。チャトリ(chatri)は4本以上の柱の上に屋根が乗っただけの東屋的な建築で、インド建築の特徴的な要素といえます。アーチやドームなども使われますが、柱梁構造でできていることからも、インド建築の源流が木造建築であることをよく示しています。

    このテラスはシンメトリーに造られており、左右には2層になったチャトリが見えます。チャトリ(chatri)は4本以上の柱の上に屋根が乗っただけの東屋的な建築で、インド建築の特徴的な要素といえます。アーチやドームなども使われますが、柱梁構造でできていることからも、インド建築の源流が木造建築であることをよく示しています。

  • インドに来てこの細密画のような建築の中に身を置いていると水木しげるの妖怪漫画の中に迷い込んだような気がしてきます。それは雨のアンコールの遺跡でも思ったことですが、彼の漫画の背景画の凄みに似たものを感じます。

    インドに来てこの細密画のような建築の中に身を置いていると水木しげるの妖怪漫画の中に迷い込んだような気がしてきます。それは雨のアンコールの遺跡でも思ったことですが、彼の漫画の背景画の凄みに似たものを感じます。

  • 出来る事ならばインドでも雨の中で人が少ない時間帯であればなおさら良いのですが、短期間のツアー旅行者では雰囲気を感じるだけにとどまります。

    出来る事ならばインドでも雨の中で人が少ない時間帯であればなおさら良いのですが、短期間のツアー旅行者では雰囲気を感じるだけにとどまります。

  • 順路に沿って小さな開口部から脇の建物に入ると小さなドーム天井があります。鍾乳石細工とまではいきませんが、幾何学的に分割されたドームは美しいです。

    順路に沿って小さな開口部から脇の建物に入ると小さなドーム天井があります。鍾乳石細工とまではいきませんが、幾何学的に分割されたドームは美しいです。

  • ドーム天井には明り取りの細工があります。これはガイドさんに教えてもらわないと見落とすポイントです。内部から観ると明り取りになっていますが。

    ドーム天井には明り取りの細工があります。これはガイドさんに教えてもらわないと見落とすポイントです。内部から観ると明り取りになっていますが。

  • 表から見るとただのニッチにしか見えません。

    表から見るとただのニッチにしか見えません。

  • そのまま先へ眼をやると今までの赤い砂岩とは違った空間が広がっています。

    そのまま先へ眼をやると今までの赤い砂岩とは違った空間が広がっています。

  • 床から建物の全てが大理石で覆われた白亜の空間です。この空間を造営したのはムガル帝国の第5代皇帝であったシャー・ジャハーンでした。

    床から建物の全てが大理石で覆われた白亜の空間です。この空間を造営したのはムガル帝国の第5代皇帝であったシャー・ジャハーンでした。

  • シャー・ジャハーンの時代はインド・イスラーム文化の最盛期であり、美術や建築などの華が咲いたとされます。シャー・ジャハーンは妃のムムターズ・マハルの墓廟であるタージ・マハルの建造者としても有名な人物です。当時のヨーロッパから訪れた旅行者はシャー・ジャハーンを「壮麗王(the Magnificent)」として称えました。

    シャー・ジャハーンの時代はインド・イスラーム文化の最盛期であり、美術や建築などの華が咲いたとされます。シャー・ジャハーンは妃のムムターズ・マハルの墓廟であるタージ・マハルの建造者としても有名な人物です。当時のヨーロッパから訪れた旅行者はシャー・ジャハーンを「壮麗王(the Magnificent)」として称えました。

  • ムムターズ・マハルが亡くなるとシャー・ジャハーンは側室を増やし、多数の家臣の妻と関係を持つようになります。20年以上にわたりこのような生活を続けたため、1657年に重病となります。その病状に回復の見込みがないとわかると4人の息子は帝位をめぐり激しく争うこととなります。

    ムムターズ・マハルが亡くなるとシャー・ジャハーンは側室を増やし、多数の家臣の妻と関係を持つようになります。20年以上にわたりこのような生活を続けたため、1657年に重病となります。その病状に回復の見込みがないとわかると4人の息子は帝位をめぐり激しく争うこととなります。

  • シャー・ジャハーンは長男ダーラー・シコーを後継者としていましたが、次男のベンガル太守だったシャー・シュジャー、三男のデカン太守アウラングゼーブ、四男のグジャラート太守ムラード・バフシュはこれを認めませんでした。結局1658年に勝利したアウラングゼーブが皇位を継承し、シャー・ジャハーンはアグラ城塞に幽閉され、亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら1666年に74歳で死去しました。

    シャー・ジャハーンは長男ダーラー・シコーを後継者としていましたが、次男のベンガル太守だったシャー・シュジャー、三男のデカン太守アウラングゼーブ、四男のグジャラート太守ムラード・バフシュはこれを認めませんでした。結局1658年に勝利したアウラングゼーブが皇位を継承し、シャー・ジャハーンはアグラ城塞に幽閉され、亡き愛妃の眠るタージ・マハルを眺めながら1666年に74歳で死去しました。

  • アウラングゼーブはデリーで即位式を挙行し帝位を宣しました。彼は「世界を奪った者」を意味する「アーラムギール」を名乗りましたが、これは父の「シャー・ジャハーン」の名前の意味が「世界の皇帝」であったことに関係していると思われます。

    アウラングゼーブはデリーで即位式を挙行し帝位を宣しました。彼は「世界を奪った者」を意味する「アーラムギール」を名乗りましたが、これは父の「シャー・ジャハーン」の名前の意味が「世界の皇帝」であったことに関係していると思われます。

  • 白大理石をこよなく愛したシャー・ジャハーンが娘ロシュナラ・ベグムとジャハラナ・ベグムのために高貴な休息場所を意味するカース・マハルの両脇に黄金の館を建てました。

    白大理石をこよなく愛したシャー・ジャハーンが娘ロシュナラ・ベグムとジャハラナ・ベグムのために高貴な休息場所を意味するカース・マハルの両脇に黄金の館を建てました。

  • ちょうどドレスアップした女性が写真を撮っていたのですが、きっとこんな感じに娘たちはこの宮殿に住んでいたのでしょう。

    ちょうどドレスアップした女性が写真を撮っていたのですが、きっとこんな感じに娘たちはこの宮殿に住んでいたのでしょう。

  • 驚くのはこの2人の娘のためにそれぞれ宮殿を建てたということです。

    驚くのはこの2人の娘のためにそれぞれ宮殿を建てたということです。

  • ニッチのアーチは幾何学的に割り付けられ、それぞれの綿が金銀で美しく縁どられています。完成当時の美しさを想像すると溜息が出てきます。ジャイプールでアンベール城を先に見ておいて良かったと思います。

    ニッチのアーチは幾何学的に割り付けられ、それぞれの綿が金銀で美しく縁どられています。完成当時の美しさを想像すると溜息が出てきます。ジャイプールでアンベール城を先に見ておいて良かったと思います。

  • 薄く加工された白大理石は花の模様が太陽光線に浮かび上がっています。ものすごい大理石の加工技術が電動工具も無い400年前に完成されていたのだと感じます。

    薄く加工された白大理石は花の模様が太陽光線に浮かび上がっています。ものすごい大理石の加工技術が電動工具も無い400年前に完成されていたのだと感じます。

  • 病に伏した皇帝シャー・ジャハーンの最後の数日間は彼の最愛の娘である王女ジャハラナ・ベグムは父親の世話の中心的な役割を果たしたと言われています。彼女は常に皇帝に仕え、彼の健康や医療、精神的なケアをしました。しかし息子のアウラングゼーブの統治下での愛する3人の息子たちの死と幽閉は耐え難いものであり、すでに体調を崩していた皇帝の虚弱な健康に大きな打撃を与えました。

    病に伏した皇帝シャー・ジャハーンの最後の数日間は彼の最愛の娘である王女ジャハラナ・ベグムは父親の世話の中心的な役割を果たしたと言われています。彼女は常に皇帝に仕え、彼の健康や医療、精神的なケアをしました。しかし息子のアウラングゼーブの統治下での愛する3人の息子たちの死と幽閉は耐え難いものであり、すでに体調を崩していた皇帝の虚弱な健康に大きな打撃を与えました。

  • 長方形の「シャー・ブルジュ・パビリオン」は平らな大理石の天井をシャー・ジャハーンの建築家がデザインしたピエトラ・ドゥラの特徴をあしらった美しい白い大理石の柱が支えられています。

    長方形の「シャー・ブルジュ・パビリオン」は平らな大理石の天井をシャー・ジャハーンの建築家がデザインしたピエトラ・ドゥラの特徴をあしらった美しい白い大理石の柱が支えられています。

  • このパビリオンの壁は豊かな花と幾何学的なデザインからなるピエトラ・デュラの象嵌細工の最高の展示品の1つです。息を呑むようなこのパビリオンの最もロマンチックな特徴の1つは中央に位置する長方形の噴水です。

    このパビリオンの壁は豊かな花と幾何学的なデザインからなるピエトラ・デュラの象嵌細工の最高の展示品の1つです。息を呑むようなこのパビリオンの最もロマンチックな特徴の1つは中央に位置する長方形の噴水です。

  • 英語では「フローレンス・モザイク」と呼ばれますが、イタリア語の「ピエトラ・デュラ」は直訳すると「固い石」という意味で、大理石だけでなく宝石をカットしてはめ込んだり、石の表面に丸みを持たせ表面に凹凸を出したものも含まれます。

    英語では「フローレンス・モザイク」と呼ばれますが、イタリア語の「ピエトラ・デュラ」は直訳すると「固い石」という意味で、大理石だけでなく宝石をカットしてはめ込んだり、石の表面に丸みを持たせ表面に凹凸を出したものも含まれます。

  • 16世紀にイタリアのフィレンツェで生み出された技法が遠く離れたインドの城塞に施されているのも脅威だと思います。

    16世紀にイタリアのフィレンツェで生み出された技法が遠く離れたインドの城塞に施されているのも脅威だと思います。

  • これらの技法は現在も受け継がれ、アグラの伝統工芸の1つになっています。夕刻になってその工房を見学させてもらいましたが、その細かさには驚かされました。その手間を考えたら人件費の比較的安価な現在のインドでなければ残って行かないと思いました。

    これらの技法は現在も受け継がれ、アグラの伝統工芸の1つになっています。夕刻になってその工房を見学させてもらいましたが、その細かさには驚かされました。その手間を考えたら人件費の比較的安価な現在のインドでなければ残って行かないと思いました。

  • 幽閉されたシャー・ジャハーンはどんな気持ちで対岸に見えるタージ・マハルを眺めていたのでしょうか。この日は残念ながら霞んでいてその白亜の建物はここからは見えませんでした。

    幽閉されたシャー・ジャハーンはどんな気持ちで対岸に見えるタージ・マハルを眺めていたのでしょうか。この日は残念ながら霞んでいてその白亜の建物はここからは見えませんでした。

  • シャー・ジャハーンがタージ・マハルを眺めた八角形の「ムサマン・ブルジュ」がわずかに見えます。

    シャー・ジャハーンがタージ・マハルを眺めた八角形の「ムサマン・ブルジュ」がわずかに見えます。

  • 最愛の妃だったムムターズ・マハルが亡くなった後に側室を増やしたりという真逆の行為は現代人では理解できないことではありますが、同じ時代の徳川家康と比べてみてもこの時代では普通のことだったのかもしれません。

    最愛の妃だったムムターズ・マハルが亡くなった後に側室を増やしたりという真逆の行為は現代人では理解できないことではありますが、同じ時代の徳川家康と比べてみてもこの時代では普通のことだったのかもしれません。

  • ただ物語としての美談ばかりが残されているので今回の旅ではちょっとしたギャップも感じました。この日の夜に劇場で観たショーもシャー・ジャハーンが最愛の妃をなくすという宝塚調の演出になっていました。

    ただ物語としての美談ばかりが残されているので今回の旅ではちょっとしたギャップも感じました。この日の夜に劇場で観たショーもシャー・ジャハーンが最愛の妃をなくすという宝塚調の演出になっていました。

  • 歴史のことを考えながら見学を進めていますが、建築的なことも気になって目が留まってしまいます。この枠に対して扉がどう納まっているのだろうと不思議でしたが、よくよく考えると普通に四角い観音開きの扉に枠に合わせて縁だけ付けていると分かりました。押して開くと扉で消して手前に引くことは出来ません。

    歴史のことを考えながら見学を進めていますが、建築的なことも気になって目が留まってしまいます。この枠に対して扉がどう納まっているのだろうと不思議でしたが、よくよく考えると普通に四角い観音開きの扉に枠に合わせて縁だけ付けていると分かりました。押して開くと扉で消して手前に引くことは出来ません。

  • 回廊を周って「アングリ・バーク」までやってきました。ここは現在は幾何学模様の庭園になっていますが、昔はブドウが植えられていたようです。左手に見えるチャトリがシャー・ジャハーンがタージ・マハルを眺めたという八角形の「ムサマン・ブルジュ」という東屋です。

    回廊を周って「アングリ・バーク」までやってきました。ここは現在は幾何学模様の庭園になっていますが、昔はブドウが植えられていたようです。左手に見えるチャトリがシャー・ジャハーンがタージ・マハルを眺めたという八角形の「ムサマン・ブルジュ」という東屋です。

  • 今回はインドに残る中世の建築のほんの一部を見ただけですが、その高度な技術と壮大なスケールには驚かされました。昔買ったTOTO出版の「インド建築案内」という分厚い本があるのですが、厚さ3センチある本の数ページにしかみたない見学でした。行きたい場所は数多くあり、そう顔が得ると後納戸インドに来なければならないのか…。残りの人生を考えると気が付くのが遅かった…。

    今回はインドに残る中世の建築のほんの一部を見ただけですが、その高度な技術と壮大なスケールには驚かされました。昔買ったTOTO出版の「インド建築案内」という分厚い本があるのですが、厚さ3センチある本の数ページにしかみたない見学でした。行きたい場所は数多くあり、そう顔が得ると後納戸インドに来なければならないのか…。残りの人生を考えると気が付くのが遅かった…。

  • 宮殿から表に出ると再び赤い砂岩の世界に戻りました。広大な芝生の広場が目の前に広がっています。

    宮殿から表に出ると再び赤い砂岩の世界に戻りました。広大な芝生の広場が目の前に広がっています。

  • 片隅に置かれた芝刈り機が1台。これでこの広大な庭園を管理できるのでしょうか?その疑問よりも手作り感漂う芝刈り機に興味が湧きます。

    片隅に置かれた芝刈り機が1台。これでこの広大な庭園を管理できるのでしょうか?その疑問よりも手作り感漂う芝刈り機に興味が湧きます。

  • 「ディワーニ アーム」はムガル帝国時代の大きな謁見ホールで、1630年代にシャー ジャハーンによって建てられました。訪問した高官や一般の人々がその大きさと壮大さに畏敬の念を抱いたと思われます。このホールではシャー・ジャハーンが公開集会を開き、彼らの不満に耳を傾けた場所でもありました。

    「ディワーニ アーム」はムガル帝国時代の大きな謁見ホールで、1630年代にシャー ジャハーンによって建てられました。訪問した高官や一般の人々がその大きさと壮大さに畏敬の念を抱いたと思われます。このホールではシャー・ジャハーンが公開集会を開き、彼らの不満に耳を傾けた場所でもありました。

  • 連続するアーチがとても美しいです。かなり傷んでいるようで修復作業が行われていました。

    連続するアーチがとても美しいです。かなり傷んでいるようで修復作業が行われていました。

  • 「ディワーニ アーム」と対峙するようにジョン・ラッセル・コルヴィンの墓があります。彼はイギリスの東インド会社の行政官であり、1853年から1857年のインド反乱でコレラで亡くなるまで北西部の副総督を務めました。1857年のインド反乱が始まったときコルヴィンはアグラにいましたが、イギリス軍の弱い連隊とわずかな砲台だけで反乱軍に勝つには十分な兵力はありませんでした。

    「ディワーニ アーム」と対峙するようにジョン・ラッセル・コルヴィンの墓があります。彼はイギリスの東インド会社の行政官であり、1853年から1857年のインド反乱でコレラで亡くなるまで北西部の副総督を務めました。1857年のインド反乱が始まったときコルヴィンはアグラにいましたが、イギリス軍の弱い連隊とわずかな砲台だけで反乱軍に勝つには十分な兵力はありませんでした。

  • 人の流れに沿って先へ進むとゲートにたどり着きました。実際のアグラ城はもっと広大ですが、現在はインド軍がその多くを利用しているので見学できるのはここまでです。このゲートを抜けたところが最初にトイレに行った場所でした。

    人の流れに沿って先へ進むとゲートにたどり着きました。実際のアグラ城はもっと広大ですが、現在はインド軍がその多くを利用しているので見学できるのはここまでです。このゲートを抜けたところが最初にトイレに行った場所でした。

  • 最後に「ジャハーンギール宮殿(Jahangir Palace)」の真正面からの写真を撮っておきます。

    最後に「ジャハーンギール宮殿(Jahangir Palace)」の真正面からの写真を撮っておきます。

  • 同じルートで出口へ向かいます。ムガル帝国の時代にこの城が責められることは無かったようです。ただ1803年から1862年の間に東インド会社のイギリス軍によって兵舎を建てるために城内の建物の多くは破壊されました。

    同じルートで出口へ向かいます。ムガル帝国の時代にこの城が責められることは無かったようです。ただ1803年から1862年の間に東インド会社のイギリス軍によって兵舎を建てるために城内の建物の多くは破壊されました。

  • ムガル帝国の映画を知るとともに東インド会社の足跡を知ることにもなりました。すっかり忘れていましたが、スリランカを旅した際も南端のゴールの町の城塞に英国の紋章が掲げられてありました。イギリス領のセイロンは1815年から1948年の間でした。

    ムガル帝国の映画を知るとともに東インド会社の足跡を知ることにもなりました。すっかり忘れていましたが、スリランカを旅した際も南端のゴールの町の城塞に英国の紋章が掲げられてありました。イギリス領のセイロンは1815年から1948年の間でした。

  • 東インド会社にとっての日本は中国貿易を獲得できた後の渡航.先としての二次的な目的地に過ぎなかったと言われますが、欧米の植民地にならなかったのは先人のおかげだと思います。

    東インド会社にとっての日本は中国貿易を獲得できた後の渡航.先としての二次的な目的地に過ぎなかったと言われますが、欧米の植民地にならなかったのは先人のおかげだと思います。

  • 「アマール・シン門」の入り口はさらに長蛇の列になっていました。お昼を後にして見学を先にして良かったと思います。

    「アマール・シン門」の入り口はさらに長蛇の列になっていました。お昼を後にして見学を先にして良かったと思います。

  • 何となくムガル帝国の輪郭がつかめてきたような気がしますが、もう少し学ばなければならないと思いました。

    何となくムガル帝国の輪郭がつかめてきたような気がしますが、もう少し学ばなければならないと思いました。

  • 「チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ像」<br />シヴァージー・ボーンスレーはマラーター(インドの民族の1つでカースト集団の1つ)の指導者にして、マラーター王国の創始者かつ初代君主の像です。

    「チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ像」
    シヴァージー・ボーンスレーはマラーター(インドの民族の1つでカースト集団の1つ)の指導者にして、マラーター王国の創始者かつ初代君主の像です。

  • 1707年に6代皇帝アウラングゼーブが死去すると間もなく、マラーター王国はムガル帝国の領土を占領し始めました。マラーター王国は第2次および第3次英マラーター戦争でイギリスに敗北するまで、インドで傑出した勢力であり続けました。

    1707年に6代皇帝アウラングゼーブが死去すると間もなく、マラーター王国はムガル帝国の領土を占領し始めました。マラーター王国は第2次および第3次英マラーター戦争でイギリスに敗北するまで、インドで傑出した勢力であり続けました。

  • 「アグラ城」の見学が終わり、腹ペコ状態でホテルに戻ります。この日の昼食はホテルの中華レストランです。

    「アグラ城」の見学が終わり、腹ペコ状態でホテルに戻ります。この日の昼食はホテルの中華レストランです。

  • 建設中のアグラのメトロの高架の支柱は1本1本が美しくペイントされています。そこに描かれているのがミティラー画などインドの民族特有の絵画だったりします。

    建設中のアグラのメトロの高架の支柱は1本1本が美しくペイントされています。そこに描かれているのがミティラー画などインドの民族特有の絵画だったりします。

  • チェンナイのタラブックスの絵本のような魚のイラストもあります。

    チェンナイのタラブックスの絵本のような魚のイラストもあります。

  • これが数十本っ連続しているので1本1本じっくり見てみたくなりますが、悲しいツアー観光客は車窓から眺めるだけです。インドの公共におけるアートの多さには驚かされる連続でした。

    これが数十本っ連続しているので1本1本じっくり見てみたくなりますが、悲しいツアー観光客は車窓から眺めるだけです。インドの公共におけるアートの多さには驚かされる連続でした。

  • ホテルのセキュリティのおじさんがお帰りと迎えてくれます。ナマステポーズで記念写真を撮らせてもらいます。

    ホテルのセキュリティのおじさんがお帰りと迎えてくれます。ナマステポーズで記念写真を撮らせてもらいます。

    ジャイピー パレス ホテル&インターナショナル コンベンション センター ホテル

  • ガネーシャにも新しい「マーラー」が掛けられています。

    ガネーシャにも新しい「マーラー」が掛けられています。

  • スリランカのジェフリー・バワの設計したホテルのオブジェにも鳥の燈明台がありました。実際に使われているのはこのホテルで初めて見ることができました。

    スリランカのジェフリー・バワの設計したホテルのオブジェにも鳥の燈明台がありました。実際に使われているのはこのホテルで初めて見ることができました。

  • 昼食は1階の「CHINE」で朝食と夕食夕食をいただいている「The GRAND」と向かい合わせの店です。

    昼食は1階の「CHINE」で朝食と夕食夕食をいただいている「The GRAND」と向かい合わせの店です。

  • メニューを見てみますが、セットになった料理が出てくるだけです。飲み物はビールが小瓶で500ルピーとそれなりのお値段です。

    メニューを見てみますが、セットになった料理が出てくるだけです。飲み物はビールが小瓶で500ルピーとそれなりのお値段です。

  • 時間が遅かったせいかお客は我々だけです。すでに午後2時近くになっています。

    時間が遅かったせいかお客は我々だけです。すでに午後2時近くになっています。

  • テーブルは4人掛けでツアーの方と同席でいただきます。ブログのためにと断りを入れて写真を撮らせてもらいます。最近は皆さん写真を撮られるので気が楽になりました。ローストしたピーナッツとキムチでビールが空になりそうです。

    テーブルは4人掛けでツアーの方と同席でいただきます。ブログのためにと断りを入れて写真を撮らせてもらいます。最近は皆さん写真を撮られるので気が楽になりました。ローストしたピーナッツとキムチでビールが空になりそうです。

  • 溶き卵とコーンのとろみのあるスープが体に沁みわたります。これまでが血のインド料理ばかりの体が中華味を求めています。

    溶き卵とコーンのとろみのあるスープが体に沁みわたります。これまでが血のインド料理ばかりの体が中華味を求めています。

  • 揚げ春巻きが2本。後から追加もいただけました。

    揚げ春巻きが2本。後から追加もいただけました。

  • 細麵の塩焼きそばは甘い唐辛子が掛かっていてとても美味しいです。トルコでよく使われるプルビブレという唐辛子を思い出します。

    細麵の塩焼きそばは甘い唐辛子が掛かっていてとても美味しいです。トルコでよく使われるプルビブレという唐辛子を思い出します。

  • インディカ米のパラパラチャーハンが絶品です。

    インディカ米のパラパラチャーハンが絶品です。

  • カシューナッツと鶏肉炒め。インドなので牛肉料理が出てこないのが残念です。

    カシューナッツと鶏肉炒め。インドなので牛肉料理が出てこないのが残念です。

  • 給仕の方がついてお皿に盛ってくれるので気兼ねなくおかわりも出来て大満足の昼食でした。部屋で少し休憩してから今回のツアーのハイライトの「タージ・マハル」の見学に向かいます。

    給仕の方がついてお皿に盛ってくれるので気兼ねなくおかわりも出来て大満足の昼食でした。部屋で少し休憩してから今回のツアーのハイライトの「タージ・マハル」の見学に向かいます。

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2023北インドの旅

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