2024/01/09 - 2024/01/09
62位(同エリア199件中)
杏仁豆腐さん
毎年行っている七福神巡りも今年で11年目となりました。
今まで、七福神の人形が授与される七福神巡りをしてきましたが、回り切ってしまったので、今年からはお賽銭のみで巡ることにしました。
今年は、「江戸最古の七福神」とされている「谷中七福神巡り」。寄り道をしながらの谷中七福神巡りです。
2014年は深川七福神巡り
前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167
後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210
2015年は日本橋七福神巡り
http://4travel.jp/travelogue/10968967
2016年は山手七福神巡り
前半http://4travel.jp/travelogue/11091848
後半http://4travel.jp/travelogue/11092422
2017年は千寿七福神巡り
https://4travel.jp/travelogue/11204484
2018年は東海七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11322500
後半https://4travel.jp/travelogue/11322570
2019年は新宿山ノ手七福神巡り
https://4travel.jp/travelogue/11446974
2020年は隅田川七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11585262
後半https://4travel.jp/travelogue/11585709
2021年下谷七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11672917
後半https://4travel.jp/travelogue/11673442
2022年浅草名所七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11734622
後半https://4travel.jp/travelogue/11735039
2023年は小江戸川越七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11802441
後半https://4travel.jp/travelogue/11803259
2024年は谷中七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11878295
後半https://4travel.jp/travelogue/11878851
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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JR田端駅で下車。
ここから、谷中七福神巡りのスタートです。 -
東覚寺坂
田端切通しにそって台地へ上る急坂で、昔は田端八幡神社の別当寺東覚寺墓地への参道で「東京府村誌」に「長さ二十間、広さ一間三尺」と記されています。 -
田端駅から5分ほど歩いて、東覚寺に着きました。
真言宗豊山派の寺院です。 -
六地蔵
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山門横の護摩堂の前には一対の仁王像があり、全身に赤い紙が貼られていることから、赤紙仁王と呼ばれています。
寛永18年(1641)8月21日、道如宗海上人が田端八幡神社に奉納したもので、
明治初年の神仏分離の際に、別当寺であった当山に移されました。 -
江戸時代初期に建立されたこの仁王像は、いつの頃からか赤紙(悪魔を消除する火の色)を患部と同じ箇所に貼って、病気の身代わりを祈願するのが慣わしとなりました。
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阿像から吽像の順にお参りし、祈願成就のあかつきには草鞋を奉納するそうです。
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本尊の不動明王は弘法大師の作とされてます。
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不動明王像
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鼓翼観世音菩薩(はばたきかんぜおんぼさつ)と愛染明王
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前庭
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本堂は昭和42年建立
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江戸時代中期以降、江戸各地で七福神詣が盛んに行われるようになりました。
その中で最も古い歴史を持つのが谷中七福神詣です。
福禄寿です。 -
七福神巡りの期間にあわせて、本堂裏の庭園が無料公開されています。
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こちらの庭には、七福神すべてが揃っているそうです。
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急斜面を使った庭となっています。
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福禄寿
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僧形八幡神
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布袋孫
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稲荷大明神
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なかなか見ることこの多い庭園です。
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錦鯉之塚
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鯉がたくさんいます。
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阿弥陀如来
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弘法大師の像
隣には、二宮金次郎像 -
谷中七福神巡りでは、特製の和紙の台紙を購入し、神様の名前の上に、参拝した寺院の御朱印をいただくことができます。
今回は、これも購入するのはやめ、お賽銭のみです。 -
東覚寺の隣にある田端八幡神社
神輿庫が連なっています。 -
文治5年(1189)源頼朝が奥州からの凱旋の途中この地に駐留し、鶴岡八幡宮を勧請して創建したと伝えられています。
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富士浅間社
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伏見稲荷神社
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本殿
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青雲寺に来ました。
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臨済宗妙心寺派の寺です。
江戸時代中期の宝暦年間(1751年~1764年)、佐倉藩主で老中首座の堀田正亮(ほったまさすけ)の中興。
江戸時代に花見の場所として賑わったそうです。 -
恵比寿神
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滝沢馬琴筆塚の碑
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日莫里繋舟松之碑(にっぽりのふねをつなぐまつのひ)
道灌山の頂上に、かつては遠くから見てもひときわ目立つ松の木があり、「舟繋ぎの松」と呼ばれていました。この石碑は、江戸時代にそのそばに建てられたもので、現在では、青雲寺の境内に移築されています。 -
修性院 (しゅしょういん)に来ました。
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寺の塀には、四季をモチーフにした布袋尊のイラストが描かれてあります。
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日蓮宗の寺院です。
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布袋尊「ひぐらしの布袋」を祀っています。
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富士見坂です。
この付近は、江戸の頃から観光の名所であり、この富士見坂は、通称「花見坂」または「妙隆寺坂」と呼ばれていました。
この富士見坂からは、天気のよい日には富士山を眺める事ができました。平成25年6月頃に建物により富士山は見えなくなりました。 -
南泉寺です。
臨済宗妙心寺派寺院です。大愚(寛文9年1669年寂)が開山となり元和2年(1616)に創建、将軍家光・家綱に仕えた老女岡野の遺言により貞享3年(1686)寺領30石の朱印状を拝領したそうです。 -
六阿弥陀道
平成4(1992)年に南泉寺が設置した六阿弥陀道の道標です。
「ろくあみたみち」
「左 たばた」
「右 やなか」とあります。 -
江戸時代、六阿弥陀を巡拝する風習がり、田端駅近くの与楽寺への案内の石碑です。
六阿弥陀とは、
①西福寺(豊島区)②恵明寺(足立区)③無量寺(北区)④与楽寺(北区)⑤常楽寺(台東区)⑥常光寺(江東区)だそうです。 -
夕やけだんだんに来ました。
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夕やけだんだんの横にある、福ベーグル 夕やけだんだん谷中銀座店。
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かぼちゃかぼちゃ、クルミ、アールグレイミルクティーの三種類を購入しました。
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経王寺です。
明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られています。旧谷中七福神のひとつです。 -
慶応4年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士がここへ隠れたため、新政府の攻撃を受けました。天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕が今も残っています。
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はっきりと残っています。
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佃煮の中野屋です。1923年(大正12年)創業です。
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いかあられ するめいかを甘く炊き上げています
わかさぎの佃煮 わかさぎの風味を生かしながら、食べやすく仕上がっています
小えびの佃煮 甘さが美味しいです -
川むらで昼食です。
2016年に建て替えで改装され、和モダンのきれいな店になっています。
明治のはじめに創業し、昭和21年からは谷中銀座の入口近くに店を構える老舗蕎麦屋です。 -
牡蠣そばをいただきました。
冬にいただく、牡蠣そばは美味しいです。
以前、川むらに来たのは、かなり前で古い店舗でした。 -
川むらを出て、天王寺に向かいます。
日暮里駅そばの細い階段の坂道が紅葉坂(もみじざか)です。 -
紅葉坂
坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいった。その命名由来は不詳。
江戸後期の国学者,山崎美成(よししげ)は「金杉日記」に,「天王寺うら幸庵坂下,又三しま社のほとり秋色尤もふかし,林間に酒を煖む」と記している。
この記事によると,幸庵坂 の名は江戸時代すでにあったことが知られる。
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