2016/01/05 - 2016/01/05
201位(同エリア353件中)
杏仁豆腐さん
山手七福神巡り後半です。
2014年は深川七福神巡り
前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167
後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210
2015年は日本橋七福神巡り
http://4travel.jp/travelogue/10968967
2016年 山手七福神巡り前半
http://4travel.jp/travelogue/11091848
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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瀧泉寺を後にして、蟠龍寺に向かいます。
途中のたこ薬師に寄り道。
お静地蔵です。
徳川二代将軍秀忠公の側室 お静の方の発願で奉納されたものです。お静は江戸城大奥にあがり将軍の寵愛を受け「お腹さま」となることを願い、三体の観音像を納め奉り、その素願かない慶長16年(1611)に男子「幸松麿」が授かります。その後、秀忠公正室、浅井崇源院の威勢をを畏れながらもその恙ないご成育を祈り3体の地蔵を刻み納められます。そして再び願いが叶い、また家康公の側室見性院殿(武田信玄公の娘)の庇護もあり、保科正光公の養子となり、元服後、保科正之公となります。
元和年間、三代将軍家光公は、目黒で鷹狩のみちすがら、当山に参拝され、瞬興和尚(中興第15世)とのご法談の折、正之公との浅からぬ縁を知り、それにより寛永8年、正之公は信州高遠城主となります。お静は、大願成就の御礼として、阿弥陀如来像を納め奉りました。
正之公は後に山形城主、さらに正保元年会津藩二十三万石の城主となり、会津松平家の祖なります。また家光公の命により四代将軍家綱公の後見人として、幕政に力を注ぎ、善政を施されました。
お静地蔵はその由来により、古くから縁結び・子宝・子育て・出世・福徳・開運を願う人々の信仰を集めてこられました。 (HPより) -
蛸薬師(成就院)
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次に寄ったのが、五百羅漢寺。
「目黒のらかんさん」として親しまれている羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものです。五百体以上の群像が完成してからもう三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存305体)
(HPより) -
階段を上っていくと、庚申塔。
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立派な本堂。お釈迦さまが説法されている光景が再現されています。
羅漢堂には、たくさんの羅漢さんたち。見応えがあります。 -
8代将軍徳川吉宗が鷹狩りで五百羅漢寺に立ち寄った際に、腰をかけて休息したといわれる「将軍お腰掛石」。
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この日の羅漢堂の拝観料は無料でした。
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次に立ち寄ったのが海福寺。
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宝筺印塔「永代橋沈溺諸亡霊塔」は文化4年(1807)永代橋落死者供養のために建てられたものです。台座にはその由来と遭難者名が刻まれています。
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福寺四脚門は明治後期に新宿区上落合泰雲寺にあったものを移建したものです。
四脚門は中央にある親柱二本とその前後に二本ずつある四本の控柱からきた名称で日本建築の代表的な門の形式であり当四脚門はその細部絵様の様式において、江戸時代中期の特質
を備える貴重なものだそです。 -
梵鐘
近世の中国風の鐘に似ながら、日本上代の鐘の形態を手本にした特異な考案で、江戸時代の梵鐘の中でも類例の少ないものです。また、形状も端正で鋳技も精巧な優品です。天和2年(1682)鋳造で、東京都指定有形文化財に指定されています。 -
武田信玄の屋形に置かれてあったと伝えられる九層の塔。
何気なく立ち寄ったお寺ですが、なかなかのものです。 -
海福寺を出て、歩くとすぐ山手通り。
五百羅漢寺の案内があります。 -
蟠龍寺に着きました。七福神巡り、やっと二か所目です。
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財弁天お堂
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祠の中に石仏の弁財天があります。
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歩道橋で山手通りを渡ります。
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目黒川、太鼓橋を通過。
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目黒川を渡ると椎の木があります。
椎の木は、 浮世絵師歌川(安藤)広重(1757〜1851)の画、 江戸名所百景「目黒太鼓橋夕陽の丘」にも描かれていて、 水と緑に恵まれたここ一帯は遠く富士を望む美しい名勝の地として椎の木とともに親しまれてきたとのことです。 -
アルコタワー
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目黒雅叙園の入口脇にある「お七の井戸」
八百やの娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。
三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げた。
明王院という寺院は、現在の目黒雅叙園エントランス付近から庭園に架け明治13年頃まであった。
この明王院境内の井戸で西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられている。 -
雅叙園前の木が真冬の紅葉。
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行人坂を上ります。急坂です。
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大円寺に到着。
大円寺は、寛永年間に湯殿山の大海法印が行人坂を切り開いて創建したと伝えられています。 -
大円寺の三面大黒天像は、山手七福神の大黒天となっています。
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本堂
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七福神全ての神様が勢揃いしています。
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薬師如来像
身体の具合が悪い部分と同じ箇所に金箔を貼ると、病が癒えると言われています。貼るための金箔は購入します。 -
大円寺石仏群
「釈迦三尊」「十六大弟子」「五百羅漢像」からなる石仏群は、大火の犠牲者の方の供養のために造られました。 -
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清凉寺式釈迦像が拝観できました。
1958年に解体修理され、その際造像時のものおよび江戸中期の修理時の納入品がともに見つかりました。江戸期の修理銘札には鎌倉の杉本寺の別当の名があり、この像はもと杉本寺の仏像であったことが推測されます。
江戸時代の史料によれば、杉本寺には「天竺仏の釈迦」が安置されているとあり、その像はもと北条泰時が父義時追福のために鎌倉の釈迦堂谷につくられた釈迦堂の本尊であったと述べられているが、それがこの像である可能性があります。 -
今日は天気も良く、暖かいので、歩いていると汗をかきます。
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目黒川架橋供養勢至菩薩石像
宝永ほうえい元年(1704年)に僧の西運が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、その途中で人々の報謝を受け、これをもとに目黒川の両岸に石壁を造り、石製の太鼓橋たいこばしを架けました。 -
ホリプロ本社を通過。
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目黒駅を通過。
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妙円寺に到着。
寿老人尊・福禄寿尊が祀られています。 -
梅の花も咲いています。
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プラチナストリートを通過。
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瑞聖寺に到着。
雄宝殿(国指定重要文化財)です。
立派なお寺です。
白金にこんなに大きなお寺があるのを知りませんでした。 -
宇治萬福寺が本山の黄檗宗の寺院。江戸名所図会に見られるほど壮大な伽藍でしたが、火災などで消失。その後再建されました。
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魚椰
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布袋尊
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釈迦如来
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飛行機雲がきれいに見えます。
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入口とは別の山門から出ます。
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そこは桑原坂。
今里村の地名のひとつである。その起源について特別の説は残っていない。 -
この道を通ると、いつも気になるお宅。
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明治学院大学を通過。
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明治学院記念館を眺めながら、桜田通りを歩きます。
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覚林寺に到着。
山門です。
覚林寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)、清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。 -
清正公堂です。
正公堂及び山門は、港区指定有形文化財。 -
加藤清正の位牌を置き、江戸時代から「白金の清正公さま」として親しまれています。
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毘沙門堂
こちらで、七福神巡り終了です。 -
メゾンカイザー本店でパンなどを購入。
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こちらは久しぶりに来ました。
キッシュも購入しました。 -
高輪コミュニティーぷらざ2階のビストロキフキフで遅いランチです。
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たくさん歩いたので、喉が渇きました。
マンゴージュース。 -
ランチのスープ
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若鳥モモ肉のグリル
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デザートのガトーショコラ
遅いランチをゆっくりいただきました。
店内は満席でした。 -
七福神ダルマ
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今年の七福神巡りも無事に終了しました。
今年がよい年でありますように!
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