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今年の七福神巡りは浅草名所七福神巡りです。9年目になります。<br />浅草名所七福神は九社寺です。<br />「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来したことによります。<br />浅草名所七福神は一年を通して受付されていますが、やはり年度初めに行いたいものです。<br />9カ所のうち、初めての訪問は2カ所でした。<br /><br />2014年は深川七福神巡り<br />前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167<br />後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210<br /><br />2015年は日本橋七福神巡り<br />http://4travel.jp/travelogue/10968967<br /><br />2016年は山手七福神巡り<br />前半http://4travel.jp/travelogue/11091848<br />後半http://4travel.jp/travelogue/11092422<br /><br />2017年は千寿七福神巡り<br />https://4travel.jp/travelogue/11204484<br /><br />2018年は東海七福神巡り <br />前半https://4travel.jp/travelogue/11322500<br />後半https://4travel.jp/travelogue/11322570<br /><br />2019年は新宿山ノ手七福神巡り<br />https://4travel.jp/travelogue/11446974<br /><br />2020年は隅田川七福神巡り<br />前半https://4travel.jp/travelogue/11585262<br />後半https://4travel.jp/travelogue/11585709<br /><br />2021年下谷七福神巡り<br />前半https://4travel.jp/travelogue/11672917<br />後半https://4travel.jp/travelogue/11673442<br /><br />2022年浅草名所七福神巡り<br />前半https://4travel.jp/travelogue/11734622<br />後半https://4travel.jp/travelogue/11735039<br />

浅草名所七福神巡り(前半)☆浅草神社~橋場不動尊☆2022/01/11

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2022/01/11 - 2022/01/11

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

今年の七福神巡りは浅草名所七福神巡りです。9年目になります。
浅草名所七福神は九社寺です。
「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来したことによります。
浅草名所七福神は一年を通して受付されていますが、やはり年度初めに行いたいものです。
9カ所のうち、初めての訪問は2カ所でした。

2014年は深川七福神巡り
前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167
後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210

2015年は日本橋七福神巡り
http://4travel.jp/travelogue/10968967

2016年は山手七福神巡り
前半http://4travel.jp/travelogue/11091848
後半http://4travel.jp/travelogue/11092422

2017年は千寿七福神巡り
https://4travel.jp/travelogue/11204484

2018年は東海七福神巡り 
前半https://4travel.jp/travelogue/11322500
後半https://4travel.jp/travelogue/11322570

2019年は新宿山ノ手七福神巡り
https://4travel.jp/travelogue/11446974

2020年は隅田川七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11585262
後半https://4travel.jp/travelogue/11585709

2021年下谷七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11672917
後半https://4travel.jp/travelogue/11673442

2022年浅草名所七福神巡り
前半https://4travel.jp/travelogue/11734622
後半https://4travel.jp/travelogue/11735039

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
  • 東武鉄道浅草駅で下車し、浅草七福神巡りのスタートです。

    東武鉄道浅草駅で下車し、浅草七福神巡りのスタートです。

  • 浅草新仲見世商店街<br />Netflixの浅草キッドで話題です。

    浅草新仲見世商店街
    Netflixの浅草キッドで話題です。

  • 仲見世商店街<br />10時前で、人も少ないですが、社会見学の小中学生が目立ちます。

    仲見世商店街
    10時前で、人も少ないですが、社会見学の小中学生が目立ちます。

  • 浅草名所七福神巡りの案内がありました。<br />名所は、「めいしょ」ではなく、「などころ」と読みます。

    浅草名所七福神巡りの案内がありました。
    名所は、「めいしょ」ではなく、「などころ」と読みます。

  • 宝蔵門と五重塔

    宝蔵門と五重塔

  • 三社祭で名高い通称「三社さま」として知られる浅草の総鎮守です。<br />檜前兄弟(ひのくまきょうだい)の網にかかった観音像を土師中知が自宅を改めた寺に祀まつったのが浅草寺の始まりです。その三人を祀ったのが三社権現社(現在の浅草神社)です。

    三社祭で名高い通称「三社さま」として知られる浅草の総鎮守です。
    檜前兄弟(ひのくまきょうだい)の網にかかった観音像を土師中知が自宅を改めた寺に祀まつったのが浅草寺の始まりです。その三人を祀ったのが三社権現社(現在の浅草神社)です。

  • 手水舎<br />葉牡丹が並んでいます。

    手水舎
    葉牡丹が並んでいます。

  • 現在の浅草神社は、寛永19年(1642)に浅草寺諸堂とともに焼失したのち、慶安2年(1649)に完成しました。

    現在の浅草神社は、寛永19年(1642)に浅草寺諸堂とともに焼失したのち、慶安2年(1649)に完成しました。

  • 私の従弟が浅草神社で結婚式を挙げた時に、中に入ったことがあります。<br />こちらで、福笹と七福神絵馬(恵比寿)をいただきました。

    私の従弟が浅草神社で結婚式を挙げた時に、中に入ったことがあります。
    こちらで、福笹と七福神絵馬(恵比寿)をいただきました。

  • 浅草神社の裏手には、被官稲荷神社があります。<br />安政元年(1854年)、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の妻が病気になりました。新門辰五郎は、浅草の町火消の親分でした。<br />新門辰五郎は、京都にある伏見稲荷大社にお祈りすると、彼の妻の病気が治り、伏見稲荷大社に感謝しました。<br />安政2年(1855年)、新門辰五郎は、伏見稲荷大社から稲荷大神を浅草に勧請しました。それが被官稲荷神社です。

    浅草神社の裏手には、被官稲荷神社があります。
    安政元年(1854年)、新門辰五郎(しんもんたつごろう)の妻が病気になりました。新門辰五郎は、浅草の町火消の親分でした。
    新門辰五郎は、京都にある伏見稲荷大社にお祈りすると、彼の妻の病気が治り、伏見稲荷大社に感謝しました。
    安政2年(1855年)、新門辰五郎は、伏見稲荷大社から稲荷大神を浅草に勧請しました。それが被官稲荷神社です。

  • 夫婦狛犬<br />狛犬は外部からの厄災を退ける役割があり、一般的に一対が参道を挟み向き合って設置されるものです。<br />この狛犬は江戸初期に作られ、形状が珍しく大変貴重なものであり、その寄り添って佇む様相から「良縁」「夫婦和合」「恋愛成就」のご利益があるとされています。

    夫婦狛犬
    狛犬は外部からの厄災を退ける役割があり、一般的に一対が参道を挟み向き合って設置されるものです。
    この狛犬は江戸初期に作られ、形状が珍しく大変貴重なものであり、その寄り添って佇む様相から「良縁」「夫婦和合」「恋愛成就」のご利益があるとされています。

  • 久保田万太郎句碑<br />浅草出身の小説家、劇作家、俳人です。<br />『竹馬やいろはにほへとちりぢりに』<br /><br />川口松太郎句碑<br />小説家。久保田万太郎に師事し、数多くの時代小説や恋愛小説を書きました。<br />『生きるということむずかしき夜寒かな』

    久保田万太郎句碑
    浅草出身の小説家、劇作家、俳人です。
    『竹馬やいろはにほへとちりぢりに』

    川口松太郎句碑
    小説家。久保田万太郎に師事し、数多くの時代小説や恋愛小説を書きました。
    『生きるということむずかしき夜寒かな』

  • 浅草寺本堂(観音堂)に来ました。<br />浅草寺の本堂はご本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれています。<br />国宝に指定されていた旧本堂は昭和20年(1945)3月10日ました。<br />本堂には、直径4.5mの大提灯が掲げられています。<br />大提灯に「志ん橋」という文字が書かれています。「志」の文字は「し」と読み、これは「変体仮名」と呼ばれる字体で「新橋」です。浅草寺の大提灯には実は奉納した人が好きな文字を書くことが出来る。「新橋」と書かれた大提灯は、新橋の人達がお金を集めて奉納したものだそうです。

    浅草寺本堂(観音堂)に来ました。
    浅草寺の本堂はご本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれています。
    国宝に指定されていた旧本堂は昭和20年(1945)3月10日ました。
    本堂には、直径4.5mの大提灯が掲げられています。
    大提灯に「志ん橋」という文字が書かれています。「志」の文字は「し」と読み、これは「変体仮名」と呼ばれる字体で「新橋」です。浅草寺の大提灯には実は奉納した人が好きな文字を書くことが出来る。「新橋」と書かれた大提灯は、新橋の人達がお金を集めて奉納したものだそうです。

  • 扁額に彫り込まれた「施無畏(せむい)」は、不安や恐怖を取り除く浅草寺本尊・観音菩薩の力を表しています。

    扁額に彫り込まれた「施無畏(せむい)」は、不安や恐怖を取り除く浅草寺本尊・観音菩薩の力を表しています。

  • 影向堂(ようごうどう)<br />影向とは、神仏が姿かたちとなって現れることです。影向堂には、生れ年(干支)ごとの守り本尊八体(影向衆)を祀っています。<br />こちらで、七福神絵馬(大黒天)をいただきました。

    影向堂(ようごうどう)
    影向とは、神仏が姿かたちとなって現れることです。影向堂には、生れ年(干支)ごとの守り本尊八体(影向衆)を祀っています。
    こちらで、七福神絵馬(大黒天)をいただきました。

  • 奥山おまいりまち<br />この時間は、人がいません。

    奥山おまいりまち
    この時間は、人がいません。

  • 浅草今半 国際通り本店

    浅草今半 国際通り本店

  • どぜう飯田屋

    どぜう飯田屋

  • かっぱ橋道具街通りに出ました。

    かっぱ橋道具街通りに出ました。

  • 矢先稲荷神社に着きました。<br />寛永19(1642)年、三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、この地に三十三間堂を建立しました。<br />

    矢先稲荷神社に着きました。
    寛永19(1642)年、三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、この地に三十三間堂を建立しました。

  • 拝殿の格天井には、神武天皇の御世から今日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されています。<br />こちらで、七福神絵馬(福禄寿)をいただきました。

    拝殿の格天井には、神武天皇の御世から今日にいたる「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されています。
    こちらで、七福神絵馬(福禄寿)をいただきました。

  • 三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。元禄11(1698)年、浅草を中心とした大火で焼失し、三十三間堂は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。<br />

    三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけられました。元禄11(1698)年、浅草を中心とした大火で焼失し、三十三間堂は深川に移転を命ぜられてしまいましたが、その鎮守である当社は信仰心の篤い町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。

  • かっぱ河太郎像<br />東京合羽橋商店街振興組合が、平成15年に「合羽橋道具街」が誕生してから90年を迎えるにあたり、これを記念してシンボル像「かっぱ河太郎」を建立しました。

    かっぱ河太郎像
    東京合羽橋商店街振興組合が、平成15年に「合羽橋道具街」が誕生してから90年を迎えるにあたり、これを記念してシンボル像「かっぱ河太郎」を建立しました。

  • 歴史と文化の散歩道

    歴史と文化の散歩道

  • かっぱ橋の由来が書かれています。<br />

    かっぱ橋の由来が書かれています。

  • 鷲神社に来ました。

    鷲神社に来ました。

  • 古来この地に天日鷲命が祀られており、その神社に日本武尊が東征の折に戦勝を祈願したとされていますが、実際は隣接する長国寺に祀られていた鷲宮に始まると言われています。江戸時代中期から酉の市で知られ、足立区花畑の大鷲神社の「おおとり」に対し、鷲神社は「しんとり」と称されました。

    古来この地に天日鷲命が祀られており、その神社に日本武尊が東征の折に戦勝を祈願したとされていますが、実際は隣接する長国寺に祀られていた鷲宮に始まると言われています。江戸時代中期から酉の市で知られ、足立区花畑の大鷲神社の「おおとり」に対し、鷲神社は「しんとり」と称されました。

  • こちらで、七福神絵馬(寿老人)をいただきました。

    こちらで、七福神絵馬(寿老人)をいただきました。

  • 茅の輪

    茅の輪

  • なでおかめ<br /><br />鷲神社「なでおかめ」の云われ<br /><br />おでこをなでれば賢くなり<br />目をなでれば先見の明が効き<br />鼻をなでれば金運がつく<br />向かって右の頬をなでれば恋愛成就<br />左の頬をなでれば健康に<br />口をなでれば災いを防ぎ<br />顎(あご)から時計回りになでれば物事が丸く収まると云う

    なでおかめ

    鷲神社「なでおかめ」の云われ

    おでこをなでれば賢くなり
    目をなでれば先見の明が効き
    鼻をなでれば金運がつく
    向かって右の頬をなでれば恋愛成就
    左の頬をなでれば健康に
    口をなでれば災いを防ぎ
    顎(あご)から時計回りになでれば物事が丸く収まると云う

  • 吉原神社に来ました。

    吉原神社に来ました。

  • こちらで、七福神絵馬(弁財天)をいただきました。

    こちらで、七福神絵馬(弁財天)をいただきました。

  • 龍燈鬼と天燈鬼の像

    龍燈鬼と天燈鬼の像

  • 吉原神社から近い、吉原弁財天本宮に寄りました。

    吉原神社から近い、吉原弁財天本宮に寄りました。

  • 関東大震災によって亡くなられた方の慰霊のために造られた観音像。

    関東大震災によって亡くなられた方の慰霊のために造られた観音像。

  • 愛護地蔵尊

    愛護地蔵尊

  • 吉原弁財天の本宮

    吉原弁財天の本宮

  • 仲之町通り<br />吉原の南北を貫く通りがメインストリートの「仲之町通り」です。<br />かつては通り沿いには、登楼前の遊客をもてなす「引手茶屋」などが並んでいました。<br />

    仲之町通り
    吉原の南北を貫く通りがメインストリートの「仲之町通り」です。
    かつては通り沿いには、登楼前の遊客をもてなす「引手茶屋」などが並んでいました。

  • よし原大門

    よし原大門

  • 見返り柳

    見返り柳

  • 石碑には、「新吉原衣紋坂 見返り柳」と刻まれています。

    石碑には、「新吉原衣紋坂 見返り柳」と刻まれています。

  • アサヒ商店街を歩き、橋場不動尊を目指します。

    アサヒ商店街を歩き、橋場不動尊を目指します。

  • 歩いていると、お化け地蔵がありました。

    歩いていると、お化け地蔵がありました。

  • お化け地蔵<br />    台東区橋場二丁目五番三号 松吟寺<br /> お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ三メートル余の並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。<br /> この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刹総泉寺の境内地であった。門前一帯を浅茅ヶ原といい、明治四十年刊「東京名所図会」には 「浅茅ヶ原の松並木の道の傍らに大いなる石地蔵ありしを維新の際並木の松を刈りとり、石地蔵は総泉寺入口に移したり」とあり、「当寺入口に常夜灯あり、東畔に大地蔵安置す」とも記している。<br /> お化け地蔵の台石によれば、この石仏は享保六年(1721)の建立。関東大震災で二つに折れたが、補修し現在にいたっており頭部も取りかえられている。常夜灯は、寛政二年(1790)に建てられた。<br /> 総泉寺は、昭和四年板橋区へ移転した。「お化け地蔵」近くにある「元総泉寺境内諸仏供養の為」の碑は移転に際し建てられたものと思われる。

    お化け地蔵
        台東区橋場二丁目五番三号 松吟寺
     お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ三メートル余の並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。
     この辺りは、室町時代以来、禅宗の名刹総泉寺の境内地であった。門前一帯を浅茅ヶ原といい、明治四十年刊「東京名所図会」には 「浅茅ヶ原の松並木の道の傍らに大いなる石地蔵ありしを維新の際並木の松を刈りとり、石地蔵は総泉寺入口に移したり」とあり、「当寺入口に常夜灯あり、東畔に大地蔵安置す」とも記している。
     お化け地蔵の台石によれば、この石仏は享保六年(1721)の建立。関東大震災で二つに折れたが、補修し現在にいたっており頭部も取りかえられている。常夜灯は、寛政二年(1790)に建てられた。
     総泉寺は、昭和四年板橋区へ移転した。「お化け地蔵」近くにある「元総泉寺境内諸仏供養の為」の碑は移転に際し建てられたものと思われる。

  • 常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられたものです。<br /><br />歩いていると、偶然にも珍しいものに出会います。

    常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられたものです。

    歩いていると、偶然にも珍しいものに出会います。

  • 古い家屋も残っています。

    古い家屋も残っています。

  • 世界救世教教祖生誕之地<br />岡田茂吉が誕生した場所です。<br />岡田茂吉(1882-1955年)は、宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家。救世熱海美術館(現:MOA美術館)等を創設しました。

    世界救世教教祖生誕之地
    岡田茂吉が誕生した場所です。
    岡田茂吉(1882-1955年)は、宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家。救世熱海美術館(現:MOA美術館)等を創設しました。

  • 教祖産湯の井戸

    教祖産湯の井戸

  • 橋場不動尊に着きました。<br />正確には砂尾山橋場寺不動院といい、天平宝字4年(760)寂昇上人によって開創されました。<br />こちらで、七福神絵馬(布袋尊)をいただきました。

    橋場不動尊に着きました。
    正確には砂尾山橋場寺不動院といい、天平宝字4年(760)寂昇上人によって開創されました。
    こちらで、七福神絵馬(布袋尊)をいただきました。

  • 本堂脇には、御授地蔵尊。<br /><br />ここから石浜神社はすぐです。

    本堂脇には、御授地蔵尊。

    ここから石浜神社はすぐです。

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