2018/01/15 - 2018/01/15
376位(同エリア1290件中)
杏仁豆腐さん
今年の七福神巡りは東海七福神巡りです。5年目になります。
2014年は深川七福神巡り
前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167
後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210
2015年は日本橋七福神巡り
http://4travel.jp/travelogue/10968967
2016年は山手七福神巡り
前半http://4travel.jp/travelogue/11091848
後半http://4travel.jp/travelogue/11092422
2017年は千寿七福神巡り
https://4travel.jp/travelogue/11204484
2018年東海七福神巡り 後半
https://4travel.jp/travelogue/11322570
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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京急大森海岸駅を下車。
ここからスタートします。 -
磐井神社
敏達天皇の代に創建されたと伝えられ、延喜式にも記載された神社で、武蔵国における総社八幡宮であったとされています。 -
今日は15日なので、七福神巡りの最終日。七福神巡りの人も少ないです。
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弁財天にお参り。
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鈴石・鳥石と江戸文人の石碑群
鈴石は、社伝によれば延暦年間(782~806)に武蔵国の国司であった石川氏が奉納した神功皇后ゆかりの石とされる。これを打つと鈴のような音がしたことから、「鈴ヶ森」の地名の由来となったと伝えられている。
また烏石は、鳥の模様が浮き出た自然石で、江戸時代の書家、松下鳥石(?~779)が寄進した。鈴石・鳥石は、ともに屋内に保管されている。
江戸文人石碑群は、この鳥石の寄進の由来を記した鳥石碑をはじめ、松下鳥石の門人等が建立寄進したもので、向かって右から次のように並んでいる。
狸 筆 塚 文化六年(1809)
退 筆 塚 天明六年(1786)
竹岡先生書学碑 寛政八年(1796)
鳥 石 碑 元文六年(1741)
これらは、かつて弁天池周辺にあったが、神社の境内整備に伴って現在地に移された。 -
烏石碑と竹岡先生書学碑
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この井戸の水を飲むとき、心が正しければ清水、邪心があれば塩水、という伝えがあります。
第一京浜国道(昭和2年、1927年完成)として東海道が拡幅され、もとは境内地にあったものが、神社前の歩道に残ることになりました。 -
しばらく歩くと、鈴ヶ森刑場跡。
元々この付近は海岸線の近くにあった1本の老松にちなんで「一本松」と呼ばれていましたが、この近くにある鈴ヶ森八幡(現磐井神社)の社に鈴石があったため、いつの頃からか「鈴ヶ森」と呼ばれるようになったそうです。 -
鈴ヶ森処刑場では火炙りの刑に適していると言われていたそうです。鈴ヶ森処刑場が海に面していることと関係するらしいです。
風が強くて窒息できず、大森付近は海に近いため、風が強くなかなか窒息できず、長時間にわたってより苦しむからだとか。 -
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斬首した首を晒す前にここで血を洗ったと思われる井戸。
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平井権八や天一坊、八百屋お七といった人物がここで処刑されたそうです。
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火炙用の鉄柱や磔用の木柱を立てた礎石などが残されています。
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大経寺
鈴ヶ森刑場の無縁受刑者供養のため、鈴ヶ森刑場の開設前後に堂宇が建立されたと思われています。 -
旧東海道を歩きます。
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天祖・諏訪神社(てんそすわじんじゃ)。
浜川町と元芝の鎮守の氏神様として仰ぎ親しまれる天祖・諏訪神社は、古くは神明宮、諏訪社と称し、かつては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで並び祀られていました。
天祖神社の創建は、建久年間の大井郷之図や来福寺の記録から西暦1100年から1190年頃に遡るとも思われ、諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、江戸時代初期の寛永八年(1631年)以前の創建と思われます。両社は昭和四十年に合祀され天祖・諏訪神社と称されるようになったそうです。 -
福禄寿
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大きな鯉が泳いでいます。
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なみだ橋を通過。
鈴ヶ森刑場に護送される罪人の肉親がこの橋まで見送って涙で別れるので、そう呼ばれるようになったとか。。 -
坂本龍馬像
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鮫洲商店街を歩きます。
人もまばらです。 -
青物横丁商店街に入りました。
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品川寺(ほんせんじ)に到着。
地蔵菩薩坐像がお出迎え。 -
宝永5年(1708年)に造られた、江戸六地蔵の第一番です。
現存する江戸六地蔵像のうち唯一頭上に傘を載せていないそうです。 -
地蔵菩薩坐像の背面。
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山門
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樹齢600年の銀杏の木。
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本堂
品川寺は真言宗醍醐派の寺院です。 -
弘法大師空海を開山とし、大同年間(806-810年)に創建されました。
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本堂内天井
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役行者(えんのぎょうじゃ)
飛鳥時代から奈良時代の呪術者で、本名は役小角(えんのおづぬ)。
日本の山岳宗教である修験道の開祖とされています。山野を駆け巡って御修行されたことに由来し、足腰の弱い方を救って下さるそうです。。 -
鐘楼
この梵鐘はパリ万博に出品する名目でヨーロッパに渡った1867年以降一度行方不明となり、その後、ジュネーブにあるアリアナ美術館に所蔵されていました。昭和5年、60年ぶりに梵鐘が品川寺に戻り、平成3年感謝のしるしとして新梵鐘(レプリカ)をアリアナ美術館に贈ったことをきっかけに、品川区とジュネーブ市は友好都市となりました。 -
英霊堂
聖観音、軍馬、軍犬、軍鳩の像。 -
弁天堂
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弁財天像
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品川寺の隣りに大きなお寺がありました。
海雲寺
曹洞宗のお寺です。 -
平蔵地蔵
平蔵は鈴ヶ森刑場の番人で、2人の仲間と交代で乞食をしていたが、1860年頃の或る日大金が入った財布を拾い、正直に持ち主の仙台藩士に届けたところ、仲間の乞食に仲間外れにされ凍死したため、藩士が平蔵を悼んで建てたものだそうです。 -
鐘楼
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烏瑟沙摩明王
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千躰荒神堂の内部
拝殿の格天井には、火の安全を祈願して火消が奉納した纏の図案が施されている -
千躰荒神堂奉納扁額。
1861年(文久元年)のガラス製雌雄二鶏図、1935年(昭和10年)の広沢虎造夫妻奉納の文字額など全27面があり、品川区有形民俗文化財に指定されています。 -
千躰荒神堂から外の景色
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旧東海道をさらに進むとレトロな建物。
竹内医院です。
建物は築100年以上の木造建築。関東大震災と空襲を免れ、当時の趣を今に伝えています。 -
そろそろ昼食にします。
ビストロ ラパンドールで。 -
本日の魚コース。
サラダ -
真鯛のポアレ。
野菜がたくさん添えてありました。 -
ご夫婦で経営されているのでしょうか。
やがて満席になり、料理が出てくるまで時間がかかりました。
料理を待つ時間も大切です。ゆっくりしました。 -
珈琲でのんびりした時間を過ごしました。
七福神で巡ったのは三か所。まだ四か所残っていますが、それぞれの距離は近いです。
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