ベルン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
アインジーデルンのクリスマスマーケットを見学した後は再びバスに乗って約2時間のドライブです。午後2時30分にベルン市内に入り、U字型にカーブしたアーレ川の東側の「ニーデッグ橋(Nydegg Bridge)」の近くでバスを降ります。ベルンにはクリスマスマーケット用の駐車場は無いので、この辺りで下車と乗車をすることになっているようです。まずは橋のたもとにある「ベーレングラーベン」という熊公園のビール醸造所のレストランでトイレを借ります。熊公園の熊は冬季なので見ることは出来ませんでした。ベルンには1991年の秋に一度来たことがありました。スイスの旅の後半でグリンデルワルトに着いた際に駅前のホテル予約用の電話で出会った日本人のご夫婦との出会いがありました。大阪の伊丹空港からオーストラリアの空港へ出向していた方々で、任期が終わる前にヨーロッパを旅されていました。10月のグリンデルワルトは季節外れて、開いているホテルも少なく同じホテルになりました。そんなきっかけで一緒にユングフラウヨッホに行ったり、3日ほど一緒に行動していました。彼らが山を下りる際に別れがたくなって、予定を変更してベルンまで見送りに行くことにしました。スイスパスを持っているので特に電車料金もかからないこともありました。さらに最後はローザンヌまで一緒に行ってしまい、夜11時過ぎにグリンデルワルトに戻ることになりました。2時間ほど一緒にベルンの町を散策しただけで、ベルン駅とメインストリートにある時計塔といくつかの泉を見ただけでしたが懐かしさでいっぱいになりました。その方たちとは現在も年賀状だけですがお付き合いが続いています。「ニーデッグ橋」を渡るとベルンの旧市街が見えてきますが、前日の雪が残っていて美しい姿を見せてくれます。そのまま「ベルン大聖堂」の前を経由して、「アインシュタインの家」からメインストリートの「ケッツァー通り」に出ると懐かしい泉が続く先に「時計塔」が見えてきます。添乗員さんを先頭に時計塔の先の「ワイゼンハウス広場」のクリスマスマーケットまで進み、ここで解散になります。約1時間のフリータイムになりますが、ここでお昼も摂らなければならないので時間はありません。この日は日曜日だったので町中のショップは全て休みだったのは残念でしたが、もし空いていたらとてもではありませんが時間が足りなかったと思います。いくつかの泉のモニュメントを見ながら「ベルン大聖堂」まで戻り、大聖堂のマーケットを見てから大聖堂の中も参拝します。「ミュンスタープラットフォルム」というテラスのある公園にもマーケットの屋台がいくつか出ていて、ここでソーセージとパン、ホットアップルジュースにリキュールを入れてもらっていただきます。これが2人分で30SF(約5,000円)ですから気分は盛り上がりません。そのまま集合場所まで戻りましたが、気温が低くなったせいか妻の足が痛みだして数分集合時間に遅れてしまいました。お陰でその後は皆さんに心配していただくことになりましたが、皆さんの方が年上だったのでちょっと恥ずかしかったです。

トラピックス スイス・アルザス地方8つのクリスマスマーケット巡り(3)32年前の旅を思い出しながらベルンのクリスマス・マーケットを巡る。

16いいね!

2023/12/02 - 2023/12/02

133位(同エリア501件中)

kojikoji

kojikojiさん

この旅行記スケジュールを元に

アインジーデルンのクリスマスマーケットを見学した後は再びバスに乗って約2時間のドライブです。午後2時30分にベルン市内に入り、U字型にカーブしたアーレ川の東側の「ニーデッグ橋(Nydegg Bridge)」の近くでバスを降ります。ベルンにはクリスマスマーケット用の駐車場は無いので、この辺りで下車と乗車をすることになっているようです。まずは橋のたもとにある「ベーレングラーベン」という熊公園のビール醸造所のレストランでトイレを借ります。熊公園の熊は冬季なので見ることは出来ませんでした。ベルンには1991年の秋に一度来たことがありました。スイスの旅の後半でグリンデルワルトに着いた際に駅前のホテル予約用の電話で出会った日本人のご夫婦との出会いがありました。大阪の伊丹空港からオーストラリアの空港へ出向していた方々で、任期が終わる前にヨーロッパを旅されていました。10月のグリンデルワルトは季節外れて、開いているホテルも少なく同じホテルになりました。そんなきっかけで一緒にユングフラウヨッホに行ったり、3日ほど一緒に行動していました。彼らが山を下りる際に別れがたくなって、予定を変更してベルンまで見送りに行くことにしました。スイスパスを持っているので特に電車料金もかからないこともありました。さらに最後はローザンヌまで一緒に行ってしまい、夜11時過ぎにグリンデルワルトに戻ることになりました。2時間ほど一緒にベルンの町を散策しただけで、ベルン駅とメインストリートにある時計塔といくつかの泉を見ただけでしたが懐かしさでいっぱいになりました。その方たちとは現在も年賀状だけですがお付き合いが続いています。「ニーデッグ橋」を渡るとベルンの旧市街が見えてきますが、前日の雪が残っていて美しい姿を見せてくれます。そのまま「ベルン大聖堂」の前を経由して、「アインシュタインの家」からメインストリートの「ケッツァー通り」に出ると懐かしい泉が続く先に「時計塔」が見えてきます。添乗員さんを先頭に時計塔の先の「ワイゼンハウス広場」のクリスマスマーケットまで進み、ここで解散になります。約1時間のフリータイムになりますが、ここでお昼も摂らなければならないので時間はありません。この日は日曜日だったので町中のショップは全て休みだったのは残念でしたが、もし空いていたらとてもではありませんが時間が足りなかったと思います。いくつかの泉のモニュメントを見ながら「ベルン大聖堂」まで戻り、大聖堂のマーケットを見てから大聖堂の中も参拝します。「ミュンスタープラットフォルム」というテラスのある公園にもマーケットの屋台がいくつか出ていて、ここでソーセージとパン、ホットアップルジュースにリキュールを入れてもらっていただきます。これが2人分で30SF(約5,000円)ですから気分は盛り上がりません。そのまま集合場所まで戻りましたが、気温が低くなったせいか妻の足が痛みだして数分集合時間に遅れてしまいました。お陰でその後は皆さんに心配していただくことになりましたが、皆さんの方が年上だったのでちょっと恥ずかしかったです。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
交通
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
スイスインターナショナルエアラインズ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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  • アインジーデルンからベルンへの移動では日曜日ということもあり、家族連れが雪遊びしている姿を見掛けました。ブリュッセルの「王立美術館」で観たピーテル・ブリューゲルの「ベツレヘムの人口調査」という絵を思い出すような風景です。

    アインジーデルンからベルンへの移動では日曜日ということもあり、家族連れが雪遊びしている姿を見掛けました。ブリュッセルの「王立美術館」で観たピーテル・ブリューゲルの「ベツレヘムの人口調査」という絵を思い出すような風景です。

  • 区画整理された新市街は1900年代前半に建てられたであろう屋敷街のようでした。バスの中では添乗員さんからベルンの町の成り立ちの説明がありました。1191年にツェーリンゲン大公のベルトルト5世によってアーレ川沿いに創設され、伝承では市の名は「熊(ドイツ語の Bär)」に由来し、公爵が殺した熊に因んで名づけられたとされます。

    区画整理された新市街は1900年代前半に建てられたであろう屋敷街のようでした。バスの中では添乗員さんからベルンの町の成り立ちの説明がありました。1191年にツェーリンゲン大公のベルトルト5世によってアーレ川沿いに創設され、伝承では市の名は「熊(ドイツ語の Bär)」に由来し、公爵が殺した熊に因んで名づけられたとされます。

  • 1339年に西スイス貴族層の反発を「ラウペンの戦」での勝利で退けて初期のスイス連邦に加入し、新しい国家の主導的なメンバーとなっていきます。1415年に他の小さな領地と共にアールガウに侵攻し、1536年にヴォーを落とすによってアルプス以北で最も大きな都市国家となりました。1798年のフランス革命中はフランス軍によって占領され、この時にほとんどの領土を奪われました。1831年に街はベルン州の州都となり、地理的な優位性からも1848年にスイス連邦の首都となります。

    1339年に西スイス貴族層の反発を「ラウペンの戦」での勝利で退けて初期のスイス連邦に加入し、新しい国家の主導的なメンバーとなっていきます。1415年に他の小さな領地と共にアールガウに侵攻し、1536年にヴォーを落とすによってアルプス以北で最も大きな都市国家となりました。1798年のフランス革命中はフランス軍によって占領され、この時にほとんどの領土を奪われました。1831年に街はベルン州の州都となり、地理的な優位性からも1848年にスイス連邦の首都となります。

  • クリスマスマーケット時期に旧市街にはバスのパーキングは無く、町の東側のアーレ川近くの路上でバスを降りることになります。観光が終わった後は再びここにバスが迎えに来ます。

    クリスマスマーケット時期に旧市街にはバスのパーキングは無く、町の東側のアーレ川近くの路上でバスを降りることになります。観光が終わった後は再びここにバスが迎えに来ます。

  • 「アールガウエルシュタルデンの噴水(Brunnen Aargauerstalden)」の脇でバスを降りて、まずはトイレに向かいます。「ベーレングラーベン」という熊公園の「ビール醸造所」のレストランの地下に無料のトイレがあります。町中には公共トイレは見当たらないので、ここで行っておかないと街歩き中に困ることになります。

    「アールガウエルシュタルデンの噴水(Brunnen Aargauerstalden)」の脇でバスを降りて、まずはトイレに向かいます。「ベーレングラーベン」という熊公園の「ビール醸造所」のレストランの地下に無料のトイレがあります。町中には公共トイレは見当たらないので、ここで行っておかないと街歩き中に困ることになります。

  • スイスの横断歩道では車は停車してくれますが、バスやトロリーバスは停まってくれないので注意が必要です。

    スイスの横断歩道では車は停車してくれますが、バスやトロリーバスは停まってくれないので注意が必要です。

  • ベルンの町の名前の由来はツェーリンゲン大公のベルトルト5世が狩りをして最初の獲物の名前を町につけると考えたことに始まります。<br />後ろにある建物がビール醸造所の建物です。出来立てのビールを飲みたいところですが、そんな時間はありませんでした。

    ベルンの町の名前の由来はツェーリンゲン大公のベルトルト5世が狩りをして最初の獲物の名前を町につけると考えたことに始まります。
    後ろにある建物がビール醸造所の建物です。出来立てのビールを飲みたいところですが、そんな時間はありませんでした。

    ベーレングラーベン 地元の料理

  • 以前は彫のようなところに熊がいるだけでしたが、30年の年月と共に熊の地位も向上したようで、ちゃんと熊舎が出来ていました。冬場は寒いので熊野屋外展示は行われていないようです。

    以前は彫のようなところに熊がいるだけでしたが、30年の年月と共に熊の地位も向上したようで、ちゃんと熊舎が出来ていました。冬場は寒いので熊野屋外展示は行われていないようです。

  • 熊の餌の自動販売機だけが寂しく立ち尽くしています。熊もいないのでだれも見向きもしません。

    熊の餌の自動販売機だけが寂しく立ち尽くしています。熊もいないのでだれも見向きもしません。

  • アーレ川にかかる「ニーデッグ橋(Nydegg Bridge)」を渡ってベルンの旧市街に入ります。こちら側が旧市街の東の外れになります。

    アーレ川にかかる「ニーデッグ橋(Nydegg Bridge)」を渡ってベルンの旧市街に入ります。こちら側が旧市街の東の外れになります。

  • 橋の袂まで来るとU字型の渓谷に貼り付くように建つ建物と高台に建つ家並みがとても美しいです。粉砂糖のような雪が積もったお菓子の家のようにも見えます。

    橋の袂まで来るとU字型の渓谷に貼り付くように建つ建物と高台に建つ家並みがとても美しいです。粉砂糖のような雪が積もったお菓子の家のようにも見えます。

    ニーデック橋 建造物

  • ベルンに来るのは今回が2回目で、1回目は32年前の1991年の10月のことでした。8月下旬にソウルとパリを経由してウィーンに入り、イタリアを1が月周遊して、スイスに入って10日も過ぎたことでした。2カ月の旅の終盤にかかり、スイスも最後のグリンデルワルトに滞在していた頃です。

    ベルンに来るのは今回が2回目で、1回目は32年前の1991年の10月のことでした。8月下旬にソウルとパリを経由してウィーンに入り、イタリアを1が月周遊して、スイスに入って10日も過ぎたことでした。2カ月の旅の終盤にかかり、スイスも最後のグリンデルワルトに滞在していた頃です。

  • 当時はネットでホテルを予約することなどは無く、電話とFAXが主流で事前に宿泊料を振り込んだりカード番号を連絡する必要もありました。スイスの観光地の場合は駅前にホテルの案内看板と電話が置かれてあり、その場から部屋を予約するというスタイルでした。

    当時はネットでホテルを予約することなどは無く、電話とFAXが主流で事前に宿泊料を振り込んだりカード番号を連絡する必要もありました。スイスの観光地の場合は駅前にホテルの案内看板と電話が置かれてあり、その場から部屋を予約するというスタイルでした。

  • 同じ列車に乗っていた日本人のご夫婦がホテルの予約が終わった後に自分の番が回ってきましたが、10月下旬のグリンデルワルトでは営業しているホテルの数も少なく、予算的にも同じホテルしか選択肢はありませんでした。駅前のカフェで一緒にお茶を飲んでホテルに向かうことにしました。

    同じ列車に乗っていた日本人のご夫婦がホテルの予約が終わった後に自分の番が回ってきましたが、10月下旬のグリンデルワルトでは営業しているホテルの数も少なく、予算的にも同じホテルしか選択肢はありませんでした。駅前のカフェで一緒にお茶を飲んでホテルに向かうことにしました。

  • 大坂の伊丹空港から出向でオーストリアのシドニーの空港で仕事をされている方で、出向期間が終わる前に休暇を取ってヨーロッパを旅されているとのことでした。ホテルの部屋も向かい合わせだったので、その後も一緒に食事をしたり、ユングフラウ・ヨッホへも一緒に登りました。

    大坂の伊丹空港から出向でオーストリアのシドニーの空港で仕事をされている方で、出向期間が終わる前に休暇を取ってヨーロッパを旅されているとのことでした。ホテルの部屋も向かい合わせだったので、その後も一緒に食事をしたり、ユングフラウ・ヨッホへも一緒に登りました。

  • グリンデルワルトからうどんを食べにインターラーケンまで降りたり、楽しい数日を過ごすことができました。彼らの方が2日ほど滞在が短かったのですぐにお別れの時が来ましたが、別れがたい気持ちになって一緒についてきたのがこのベルンでした。

    グリンデルワルトからうどんを食べにインターラーケンまで降りたり、楽しい数日を過ごすことができました。彼らの方が2日ほど滞在が短かったのですぐにお別れの時が来ましたが、別れがたい気持ちになって一緒についてきたのがこのベルンでした。

  • ベルンの滞在はほんの2時間ほどだったので、駅から旧市街への途中に巨大な木彫りの熊が置いてあったのと、やはり巨大なチェスの駒、カジノの建物と時計塔とその通りに並ぶユニークな泉を見たくらいの記憶しかありません。その後ベルンでも別れられずに、ローザンヌまでついて行ってしまい、レマン湖のほとりで夕焼けを見ていたら妙に感傷的な気分になったのを覚えています。

    ベルンの滞在はほんの2時間ほどだったので、駅から旧市街への途中に巨大な木彫りの熊が置いてあったのと、やはり巨大なチェスの駒、カジノの建物と時計塔とその通りに並ぶユニークな泉を見たくらいの記憶しかありません。その後ベルンでも別れられずに、ローザンヌまでついて行ってしまい、レマン湖のほとりで夕焼けを見ていたら妙に感傷的な気分になったのを覚えています。

  • ローザンヌの駅ではグリンデルワルトへ戻る列車の方が早い出発で、逆に見送られての別れとなりました。戻る途中気が気でなかったのがホテルの入り口のカギのことでした。食事などで夜遅くなる際はフロント脇にかかっている鍵を持って出るように言われていましたが、元々遅くなる予定はなかったので持っていませんでした。グリンデルワルトに着くと午後11時近く、最悪の場合は別のホテルに泊まることも考えていました。ところが真っ暗な道を先に歩くご夫婦がホテルに入るところが遠くに見えたので急いで走りました。階段まで進んでいた2人をドアの扉を叩いて、入り口のドアを開けてもらうことができました。

    ローザンヌの駅ではグリンデルワルトへ戻る列車の方が早い出発で、逆に見送られての別れとなりました。戻る途中気が気でなかったのがホテルの入り口のカギのことでした。食事などで夜遅くなる際はフロント脇にかかっている鍵を持って出るように言われていましたが、元々遅くなる予定はなかったので持っていませんでした。グリンデルワルトに着くと午後11時近く、最悪の場合は別のホテルに泊まることも考えていました。ところが真っ暗な道を先に歩くご夫婦がホテルに入るところが遠くに見えたので急いで走りました。階段まで進んでいた2人をドアの扉を叩いて、入り口のドアを開けてもらうことができました。

  • 「ユンカーンガスブルネン(Junkerngassbrunnen)」は16世紀に建てられたベルンの旧市街の噴水の1つで、1756年から1757年にかけてライオンの噴水像が修復されされました。この獅子はベルンの貴族の家系フォン・ブーベンベルク家の紋章の付いたブロンズ製の盾と槍を持っています。

    「ユンカーンガスブルネン(Junkerngassbrunnen)」は16世紀に建てられたベルンの旧市街の噴水の1つで、1756年から1757年にかけてライオンの噴水像が修復されされました。この獅子はベルンの貴族の家系フォン・ブーベンベルク家の紋章の付いたブロンズ製の盾と槍を持っています。

  • スイスらしい外壁にフレスコ画の描かれた建物が現れてきます。最終日にはルツェルンへも行きますが、ここも外壁の美しい建物が多い町です。

    スイスらしい外壁にフレスコ画の描かれた建物が現れてきます。最終日にはルツェルンへも行きますが、ここも外壁の美しい建物が多い町です。

  • 「ベルン大聖堂」の尖塔が見えてきました。アーレ川の対岸から遠くに見えた塔なのでだいぶ歩いてきたのだということが分かります。

    「ベルン大聖堂」の尖塔が見えてきました。アーレ川の対岸から遠くに見えた塔なのでだいぶ歩いてきたのだということが分かります。

  • 地ある扉は地下につくられたケラーと呼ばれる貯蔵庫への出入り口です。閉ざされたものも多いですが、中にはショップとして営業しているものもありました。

    地ある扉は地下につくられたケラーと呼ばれる貯蔵庫への出入り口です。閉ざされたものも多いですが、中にはショップとして営業しているものもありました。

  • 「ベルナーミュンスター(Berner Münster)」というベルン大聖堂の下までやってきました。大聖堂前の広場でもクリスマスマーケットが開かれています。

    「ベルナーミュンスター(Berner Münster)」というベルン大聖堂の下までやってきました。大聖堂前の広場でもクリスマスマーケットが開かれています。

    ベルン大聖堂 寺院・教会

  • 添乗員さんともう1つのマーケットまで歩いて、その後解散となって自由行動になるのでそのまま素通りします。

    添乗員さんともう1つのマーケットまで歩いて、その後解散となって自由行動になるのでそのまま素通りします。

  • ゴシック様式の美しい尖塔の先には雪が積もって、装飾過多なデザインをより強調しているように見えます。

    ゴシック様式の美しい尖塔の先には雪が積もって、装飾過多なデザインをより強調しているように見えます。

  • ベルンのクリスマスマーケットのマップがありました。旅行前にスイスのマーケットのホームページは覗いてきましたが、地図などが見つからず仕舞いでした。

    ベルンのクリスマスマーケットのマップがありました。旅行前にスイスのマーケットのホームページは覗いてきましたが、地図などが見つからず仕舞いでした。

  • 地図によるとベルン旧市街には7つのマーケットがあるようです。<br />1)シャンツェ・シャンツェのスターマーケット<br />2)ワイゼンハウス広場のクリスマスマーケット<br />3)ミュンスター広場のクリスマスマーケット<br />4)ミュンスター広場のクラフトマーケット<br />5)コルンハウス・プラッツのシャレー・アルペンランド<br />6)リンゲンパークリのオスカルヘラジカ<br />7)ベルンジェネレーションハウス<br />があり、歩くルートも設定されています。

    地図によるとベルン旧市街には7つのマーケットがあるようです。
    1)シャンツェ・シャンツェのスターマーケット
    2)ワイゼンハウス広場のクリスマスマーケット
    3)ミュンスター広場のクリスマスマーケット
    4)ミュンスター広場のクラフトマーケット
    5)コルンハウス・プラッツのシャレー・アルペンランド
    6)リンゲンパークリのオスカルヘラジカ
    7)ベルンジェネレーションハウス
    があり、歩くルートも設定されています。

  • 細い路地を抜けてベルン旧市街のメインストリートに出ます。街中を東西に走るメインストリートは西側からシュピタル通り・マルクト通り・クラム通り・ゲレヒティクカイト通りと名を変えています。ベルンの町の特徴はこのアーケードで、全長6キロにも及ぶヨーロッパでも最大のものです。

    細い路地を抜けてベルン旧市街のメインストリートに出ます。街中を東西に走るメインストリートは西側からシュピタル通り・マルクト通り・クラム通り・ゲレヒティクカイト通りと名を変えています。ベルンの町の特徴はこのアーケードで、全長6キロにも及ぶヨーロッパでも最大のものです。

    アインシュタインの家 博物館・美術館・ギャラリー

  • そのクラム通りには1903年から1905年までの3年間アインシュタインが家族とともに過ごしていました。アインシュタイン・ハウスには一家が使っていた家具が当時の状態のまま再現され、研究資料や手記が展示されているそうです。ベルン時代のアインシュタインは特許庁に勤めると同時に自らの研究を進めており、1905年のいわゆる「奇跡の年」には「特殊相対性理論」を含む3つの偉大な発見の論文を発表しています。

    そのクラム通りには1903年から1905年までの3年間アインシュタインが家族とともに過ごしていました。アインシュタイン・ハウスには一家が使っていた家具が当時の状態のまま再現され、研究資料や手記が展示されているそうです。ベルン時代のアインシュタインは特許庁に勤めると同時に自らの研究を進めており、1905年のいわゆる「奇跡の年」には「特殊相対性理論」を含む3つの偉大な発見の論文を発表しています。

  • 32年前にジュネーブへ向かうご夫婦と一緒にこの町を歩いたことが懐かしく思い出されます。その時は鉄道駅からベルンに入ったので、この通りを反対側から歩いて往復するくらいの観光でした。

    32年前にジュネーブへ向かうご夫婦と一緒にこの町を歩いたことが懐かしく思い出されます。その時は鉄道駅からベルンに入ったので、この通りを反対側から歩いて往復するくらいの観光でした。

  • 思い出の深い町を再訪するとその時のことが鮮明に思い出されて、感情が溢れることがありますが、ベルンもそんな町の1つでした。そんな思い出の町を再び妻と訪れるのも自分にとっては重要なことに思えます。

    思い出の深い町を再訪するとその時のことが鮮明に思い出されて、感情が溢れることがありますが、ベルンもそんな町の1つでした。そんな思い出の町を再び妻と訪れるのも自分にとっては重要なことに思えます。

  • ベルンでは中世の頃から湧き水が豊富だったこともあり、住民や馬の水の供給源となった噴水が100以上残っています。これらのうち現在11の噴水が旧市街に残されていて、16世紀頃に設置されたカラフルな彫像を持つ柱がユニークです。

    ベルンでは中世の頃から湧き水が豊富だったこともあり、住民や馬の水の供給源となった噴水が100以上残っています。これらのうち現在11の噴水が旧市街に残されていて、16世紀頃に設置されたカラフルな彫像を持つ柱がユニークです。

  • 時計塔に近づくと見えてくるのは1535年建造のツェーリンガー噴水です。1191年にベルンの町を築いたツェーリンゲン公ベルヒトルト5世の記念碑で、よく見てみると鉄兜の中は人ではなく熊だということが分かります。

    時計塔に近づくと見えてくるのは1535年建造のツェーリンガー噴水です。1191年にベルンの町を築いたツェーリンゲン公ベルヒトルト5世の記念碑で、よく見てみると鉄兜の中は人ではなく熊だということが分かります。

  • 「時計塔ツィットグロッゲ(Zeitglockenturm)」までやってきました。12世紀から13世紀に建てられた中世都市のかつての城門が前身となった時計塔は、拡張をくり返した旧市街のほぼ中心に位置するランドマークとなっています。

    「時計塔ツィットグロッゲ(Zeitglockenturm)」までやってきました。12世紀から13世紀に建てられた中世都市のかつての城門が前身となった時計塔は、拡張をくり返した旧市街のほぼ中心に位置するランドマークとなっています。

    時計塔 建造物

  • 「ツィットグロッゲ」は「時の鐘」をベルン地方のスイス・ジャーマニーで読んだもので、ドイツ語では「ツァイトグロッケ(Zeitglocke」になります。以前ベトナムのホーチミンの中央郵便局で出会った男の子のドイツ語が変わっているのに気が付いた弟がお母さんに尋ねると「スイス・ジャーマニーなのよ。」と教えてくれました。

    「ツィットグロッゲ」は「時の鐘」をベルン地方のスイス・ジャーマニーで読んだもので、ドイツ語では「ツァイトグロッケ(Zeitglocke」になります。以前ベトナムのホーチミンの中央郵便局で出会った男の子のドイツ語が変わっているのに気が付いた弟がお母さんに尋ねると「スイス・ジャーマニーなのよ。」と教えてくれました。

  • 時計塔は1218年から1220年にかけて町を囲む外壁の西門として建てられました。1405年の大火により塔は破壊されましたが、その後大鐘が取りつけられて1530年にゼンマイ式時計が取りつけられるまでは手で鳴らされていました。1610年に踊る熊が仕掛けに追加されてベルンの町のシンボルとなります。時を知らせる鐘、塔の時計、仕掛け、天文時計はすべて1つの装置によって作動しており、時刻の他に曜日、日にち、月、星座、月に位相も表示しています。基本的に石の重さによって5つのメイン歯車が28時間動き続ける仕組みで、約450キロの石は毎日ひきあげられます。脇にある熊の兵士や鶏、王などの人形仕掛けは、毎時の時間が変わる数分前から動き出します。

    時計塔は1218年から1220年にかけて町を囲む外壁の西門として建てられました。1405年の大火により塔は破壊されましたが、その後大鐘が取りつけられて1530年にゼンマイ式時計が取りつけられるまでは手で鳴らされていました。1610年に踊る熊が仕掛けに追加されてベルンの町のシンボルとなります。時を知らせる鐘、塔の時計、仕掛け、天文時計はすべて1つの装置によって作動しており、時刻の他に曜日、日にち、月、星座、月に位相も表示しています。基本的に石の重さによって5つのメイン歯車が28時間動き続ける仕組みで、約450キロの石は毎日ひきあげられます。脇にある熊の兵士や鶏、王などの人形仕掛けは、毎時の時間が変わる数分前から動き出します。

  • 塔の下の通路には17世紀半ばからここに設置されている長さの測定器を見ることができます。中世の頃のスイスでは長さや重さの単位が統一されておらず、これによって誰でもがサイズを確認することができたと添乗員さんが教えてくれました。

    塔の下の通路には17世紀半ばからここに設置されている長さの測定器を見ることができます。中世の頃のスイスでは長さや重さの単位が統一されておらず、これによって誰でもがサイズを確認することができたと添乗員さんが教えてくれました。

  • この日は日曜日なのでアーケードに並ぶショップのほぼ全てが休みです。「MAMMUT- マムート」とというアウトドアのショップもあったので見たかったです。

    この日は日曜日なのでアーケードに並ぶショップのほぼ全てが休みです。「MAMMUT- マムート」とというアウトドアのショップもあったので見たかったです。

  • メインストリートは広い石畳なのですが、かなりのスピードでトラムが走っているので歩くのには注意が必要です。特に通りの中央部にある泉の写真を撮る際は要注意です。

    メインストリートは広い石畳なのですが、かなりのスピードでトラムが走っているので歩くのには注意が必要です。特に通りの中央部にある泉の写真を撮る際は要注意です。

  • ベルンの旧市街のデコレーションは通りの泉だけではなく、建物の壁に置かれた彫像も魅力的です。これらの多くは布地や石工、皮革業、レンガ職人のギルドを表しています。

    ベルンの旧市街のデコレーションは通りの泉だけではなく、建物の壁に置かれた彫像も魅力的です。これらの多くは布地や石工、皮革業、レンガ職人のギルドを表しています。

  • ギルドとは中世より近世にかけて西欧諸都市において商工業者の間で結成された各種の職業別組合のことです。ラトビアのリガを旅した時もギルドに関わる見事な建築や彫刻を見る機会がありましたが、その当時の職人組合の力の強さを感じます。

    ギルドとは中世より近世にかけて西欧諸都市において商工業者の間で結成された各種の職業別組合のことです。ラトビアのリガを旅した時もギルドに関わる見事な建築や彫刻を見る機会がありましたが、その当時の職人組合の力の強さを感じます。

  • ベルンでは時計塔以外にもいくつもの時計を持った棟があります。「聖霊福音改革派教会」はベルンの街のランドマークの1つでもあり、その名前は聖霊の騎士団に由来しています。教会の礼拝に加えてイベントスペースとしての役割もあり、この建物の向こう側にベルンの鉄道駅があります。

    ベルンでは時計塔以外にもいくつもの時計を持った棟があります。「聖霊福音改革派教会」はベルンの街のランドマークの1つでもあり、その名前は聖霊の騎士団に由来しています。教会の礼拝に加えてイベントスペースとしての役割もあり、この建物の向こう側にベルンの鉄道駅があります。

  • 「ベーレンプラッツ」にある「BERNER WEIHNACHTSMARKT」の会場まで来ました。ここで解散になる自由行動を楽しんだ後にバス乗り場で再集合になります。

    「ベーレンプラッツ」にある「BERNER WEIHNACHTSMARKT」の会場まで来ました。ここで解散になる自由行動を楽しんだ後にバス乗り場で再集合になります。

  • ここまで来て青空が見えてきました。比較的大きなマーケットですが、売っているものはドイツやオーストリアのマーケットに比べると地味なものが多いと感じました。

    ここまで来て青空が見えてきました。比較的大きなマーケットですが、売っているものはドイツやオーストリアのマーケットに比べると地味なものが多いと感じました。

  • 広場の一番奥には大きな飲食店があり、とても仮設の建物とは思えません。これだけのものを造り込んでもペイできるということなのでしょう。ここだけはお客で賑わっていました。

    広場の一番奥には大きな飲食店があり、とても仮設の建物とは思えません。これだけのものを造り込んでもペイできるということなのでしょう。ここだけはお客で賑わっていました。

  • 広場の南側には「連邦院(Bundeshaus)」の建物が見えます。改めてベルンがスイスの首都だったことを思い出します。こちら側の広場ではクリスマスの飾り付け用のもみの木が売られていました。

    広場の南側には「連邦院(Bundeshaus)」の建物が見えます。改めてベルンがスイスの首都だったことを思い出します。こちら側の広場ではクリスマスの飾り付け用のもみの木が売られていました。

  • 妻が欲しがったのはヤドリギです。城意味が付いているのでセイヨウヤドリギだと分かります。日本で買い求めるとかなり高いですが、1SFが174円の現在ではヨーロッパで買ってもかなり高額です。

    妻が欲しがったのはヤドリギです。城意味が付いているのでセイヨウヤドリギだと分かります。日本で買い求めるとかなり高いですが、1SFが174円の現在ではヨーロッパで買ってもかなり高額です。

  • マーケットの近くには「 マンデル・ベーリ(Mandelbärli)」という熊の形をしたお菓子を売る店があるのですが、日曜日ということでお休みでした。

    マーケットの近くには「 マンデル・ベーリ(Mandelbärli)」という熊の形をしたお菓子を売る店があるのですが、日曜日ということでお休みでした。

  • 「牢獄塔(Käfigturm)」を見てそろそろ戻ることにします。1256年に敵の攻撃や火事を知らせる要塞として機能してきましたが、1345年にベルンの町の西端が「聖霊教会(Heiliggeistkirche)」まで伸びると、要塞としての機能は失われました。1405年以降の塔は現在の名の由来となる「牢獄」として使用されることになります。牢獄としての使用は1897年まで続くことになります。

    「牢獄塔(Käfigturm)」を見てそろそろ戻ることにします。1256年に敵の攻撃や火事を知らせる要塞として機能してきましたが、1345年にベルンの町の西端が「聖霊教会(Heiliggeistkirche)」まで伸びると、要塞としての機能は失われました。1405年以降の塔は現在の名の由来となる「牢獄」として使用されることになります。牢獄としての使用は1897年まで続くことになります。

  • 古い塔があった場所に建設された1644年竣工の塔は高さ49メートルのシンプルなバロック様式の塔で、こちらも時計と鐘楼で有名です。その手前にはまた新たな泉が現れます。

    古い塔があった場所に建設された1644年竣工の塔は高さ49メートルのシンプルなバロック様式の塔で、こちらも時計と鐘楼で有名です。その手前にはまた新たな泉が現れます。

    牢獄塔 建造物

  • 泉の柱には青い服を着た若い女性が水タンクを手に持ち、慎重に水をもう一方の手で皿に注いでいます。1546年に建てられたこの泉は牢獄の塔に隣接しているため、当初は「囚人の泉」と呼ばれていました。ベルンの医療衛生事業に貢献をしたアンナ・ザイラーを記念して、19世紀になって現在の名称に変更されました。彼女の遺言によりベルン市政府は寄付された不動産やその他の財産で1354年にベルンで最初の病院で、13の病床を持つ病院を設立しました。<br /><br />全て表示

    泉の柱には青い服を着た若い女性が水タンクを手に持ち、慎重に水をもう一方の手で皿に注いでいます。1546年に建てられたこの泉は牢獄の塔に隣接しているため、当初は「囚人の泉」と呼ばれていました。ベルンの医療衛生事業に貢献をしたアンナ・ザイラーを記念して、19世紀になって現在の名称に変更されました。彼女の遺言によりベルン市政府は寄付された不動産やその他の財産で1354年にベルンで最初の病院で、13の病床を持つ病院を設立しました。

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    アンナ ザイラーの泉 建造物

  • 「シュッツェンブルンネン」は元々木製の噴水でしたが1527年に石造りの噴水に置き換えられました。1543年の噴水像はハンス・ギエンの作とされています。装甲ライフル兵の右手にはライズムスケテン射撃協会が掲げている射撃手協会の旗を持って、左手には剣を下げています。両足の間から子グマが東屋にライフルを向けています。

    「シュッツェンブルンネン」は元々木製の噴水でしたが1527年に石造りの噴水に置き換えられました。1543年の噴水像はハンス・ギエンの作とされています。装甲ライフル兵の右手にはライズムスケテン射撃協会が掲げている射撃手協会の旗を持って、左手には剣を下げています。両足の間から子グマが東屋にライフルを向けています。

    マルクト通り 散歩・街歩き

  • コッドピースとは14世紀から16世紀末にかけて流行した股間の前開き部分を覆うための布のことで、フランスではブラゲットと呼びます。小物などを入れる用にも充てたため、日本語では股袋(またぶくろ)と訳されます。

    コッドピースとは14世紀から16世紀末にかけて流行した股間の前開き部分を覆うための布のことで、フランスではブラゲットと呼びます。小物などを入れる用にも充てたため、日本語では股袋(またぶくろ)と訳されます。

  • 1558年には剣を修理が行われ、1670年には柱と噴水の土台が職人アブラハム・ドゥンツの指揮下で交換されました。1890年と1939年に泉は2回移動され、後者の移動では噴水が180度回転し、台座と図の一部が取り替えられました。さらに2013年4月に噴水が移設されたときに像はひどく損傷しており、多額の費用をかけて修理する必要がありました。

    1558年には剣を修理が行われ、1670年には柱と噴水の土台が職人アブラハム・ドゥンツの指揮下で交換されました。1890年と1939年に泉は2回移動され、後者の移動では噴水が180度回転し、台座と図の一部が取り替えられました。さらに2013年4月に噴水が移設されたときに像はひどく損傷しており、多額の費用をかけて修理する必要がありました。

  • だいぶ戻ってきたつもりですが、「時計塔」まではまだまだ距離があります。フリータイムの残り時間がだんだんと気になってきます。

    だいぶ戻ってきたつもりですが、「時計塔」まではまだまだ距離があります。フリータイムの残り時間がだんだんと気になってきます。

  • 32年前の旅は妻の勤めていた広告代理店に出向をしていて、年間の休みが十数日しかないというプロジェクトでした。自分の会社へ戻る前に休日出勤を全部取得しようと思ったら90日を越えてしまい、とりあえず60日の休みをもらってオーストリアとスイスとイタリアの3か国を巡りました。

    32年前の旅は妻の勤めていた広告代理店に出向をしていて、年間の休みが十数日しかないというプロジェクトでした。自分の会社へ戻る前に休日出勤を全部取得しようと思ったら90日を越えてしまい、とりあえず60日の休みをもらってオーストリアとスイスとイタリアの3か国を巡りました。

  • 今から思えば人生のターニングポイントになった旅で、その後会社を辞めて30年間フリーランスで仕事を続けましたが、仕事の途切れることはありませんでした。その時の旅は4トラベルの旅行記に下書き状態になったままなので、そろそろアップしようかと思います。

    今から思えば人生のターニングポイントになった旅で、その後会社を辞めて30年間フリーランスで仕事を続けましたが、仕事の途切れることはありませんでした。その時の旅は4トラベルの旅行記に下書き状態になったままなので、そろそろアップしようかと思います。

  • ミッテルローウェンのギルドハウスには王冠を被った赤いライオンが槍を持っています。金の鷲と銀色のウサギにも意味があるのだと思いますが、そこまでは調べ切れませんでした。

    ミッテルローウェンのギルドハウスには王冠を被った赤いライオンが槍を持っています。金の鷲と銀色のウサギにも意味があるのだと思いますが、そこまでは調べ切れませんでした。

  • 時計塔まで戻ってきました。裏側はシンプルなデザインですが、右下にはアダムとイブが描かれていますので、左側は大天使ミカエルだということが分かります。12時の方向には窯を持った死神の姿も見えます。

    時計塔まで戻ってきました。裏側はシンプルなデザインですが、右下にはアダムとイブが描かれていますので、左側は大天使ミカエルだということが分かります。12時の方向には窯を持った死神の姿も見えます。

  • 塔にへばりつくような土産物店がありますが、かなり古い建物だと分かります。ドイツ語ではシュバイツァー タッシェンメッサーというアーミーナイフも売っています。本来の意味は「スイスの鞄ナイフ」です。

    塔にへばりつくような土産物店がありますが、かなり古い建物だと分かります。ドイツ語ではシュバイツァー タッシェンメッサーというアーミーナイフも売っています。本来の意味は「スイスの鞄ナイフ」です。

  • これまで30年以上も両親宛に絵葉書を書き続けています。両親が亡くなってしまっても続けている習慣ですが、今年の秋のクルーズ旅から心が折れてしまいました。絵葉書が1?で切手が2.2?では1枚が500円にもなってしまいます。スイスでは絵葉書が1枚1.5SFに切手が1.9SFなので600円にもなってしまいます。

    これまで30年以上も両親宛に絵葉書を書き続けています。両親が亡くなってしまっても続けている習慣ですが、今年の秋のクルーズ旅から心が折れてしまいました。絵葉書が1?で切手が2.2?では1枚が500円にもなってしまいます。スイスでは絵葉書が1枚1.5SFに切手が1.9SFなので600円にもなってしまいます。

  • 熊を連れた騎士のフレスコ画がありました。片側の足の黄色と水色のパンツのデザインはバチカンのスイス傭兵を連想させます。バチカン市国とローマ教皇を警護する衛兵のことで、スイス傭兵を使用したことから「スイス衛兵」「スイス傭兵」などと言われます。現在のスイスは傭兵を禁止していますが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されています。派手なストライプ柄はユリウス2世の紋章の色にちなみ、彼が寵愛したミケランジェロが配色を担当したとの伝説もあります。

    熊を連れた騎士のフレスコ画がありました。片側の足の黄色と水色のパンツのデザインはバチカンのスイス傭兵を連想させます。バチカン市国とローマ教皇を警護する衛兵のことで、スイス傭兵を使用したことから「スイス衛兵」「スイス傭兵」などと言われます。現在のスイスは傭兵を禁止していますが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されています。派手なストライプ柄はユリウス2世の紋章の色にちなみ、彼が寵愛したミケランジェロが配色を担当したとの伝説もあります。

  • 約6キロ続く「ラウベン」と呼ばれるアーケードは雪深いベルンで冬季でも快適に買い物などを行えるように造られました。このアーケードはヨーロッパ最長のショッピング・プロムナードとして知られています。日曜日で店のほとんどが閉まっているのが残念です。

    約6キロ続く「ラウベン」と呼ばれるアーケードは雪深いベルンで冬季でも快適に買い物などを行えるように造られました。このアーケードはヨーロッパ最長のショッピング・プロムナードとして知られています。日曜日で店のほとんどが閉まっているのが残念です。

  • 32年前の自分の写真と見比べてみると年月の流れを感じます。

    32年前の自分の写真と見比べてみると年月の流れを感じます。

  • 「シムソンブルネン(Simsonbrunnen)」<br />1544 年に造られたこの噴水のサムソンは、旧約聖書の士師記13章~16章に登場する人物で、古代イスラエルの士師の1人で怪力の持ち主として有名です。

    「シムソンブルネン(Simsonbrunnen)」
    1544 年に造られたこの噴水のサムソンは、旧約聖書の士師記13章~16章に登場する人物で、古代イスラエルの士師の1人で怪力の持ち主として有名です。

    ベルン旧市街 旧市街・古い町並み

  • サムソンは20年間のあいだ士師としてイスラエルを裁いました。その後ソレクの谷に住むデリラという女性を愛するようになったため、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密を探ろうとしました。サムソンはなかなか秘密を教えませんでしたが、とうとう頭にかみそりをあててはいけないという秘密を話してしまいます。デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ人の手に落ちました。彼は両眼をえぐり出されてガザの牢で粉をひかされるようになります。この像はサムソンの若い頃にあるペリシテ人の女性を妻に望み、彼女の住むティムナに向かった途上、主の霊がサムソンに降り、目の前に現れたライオンをまるで子山羊でも扱うかのように裂いたという場面です。

    サムソンは20年間のあいだ士師としてイスラエルを裁いました。その後ソレクの谷に住むデリラという女性を愛するようになったため、ペリシテ人はデリラを利用してサムソンの力の秘密を探ろうとしました。サムソンはなかなか秘密を教えませんでしたが、とうとう頭にかみそりをあててはいけないという秘密を話してしまいます。デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ人の手に落ちました。彼は両眼をえぐり出されてガザの牢で粉をひかされるようになります。この像はサムソンの若い頃にあるペリシテ人の女性を妻に望み、彼女の住むティムナに向かった途上、主の霊がサムソンに降り、目の前に現れたライオンをまるで子山羊でも扱うかのように裂いたという場面です。

  • 「ベルナーミュンスター(Berner Münster)」まで戻ってきました。ここまで戻って、時計塔の近くにある「キンドリフレッサーブルンネン(Kindlifresserbrunnen)」という意にが子供を食べている泉を見てくるのを忘れたことに気が付きました。

    「ベルナーミュンスター(Berner Münster)」まで戻ってきました。ここまで戻って、時計塔の近くにある「キンドリフレッサーブルンネン(Kindlifresserbrunnen)」という意にが子供を食べている泉を見てくるのを忘れたことに気が付きました。

    ベルン大聖堂 寺院・教会

  • 以前撮った写真が残っていました。32年の年月ではその姿は変わってはいないと思います見なければならない泉は地図にマークしておいたのですが…。他にも「プファイファーブルネン(Pfeiferbrunnen)」というバグパイプを吹く男の泉などもあります。

    以前撮った写真が残っていました。32年の年月ではその姿は変わってはいないと思います見なければならない泉は地図にマークしておいたのですが…。他にも「プファイファーブルネン(Pfeiferbrunnen)」というバグパイプを吹く男の泉などもあります。

  • 大聖堂の前にはマークしていなかった像がありました。見た瞬間にモーゼの像だということが分かります。「モーゼスブルネン(Mosesbrunnen)」はモーゼが神から与えられたとされる10の戒律の掛かれた2枚の石板を持った姿です。ヘブライ語で書かれた旧約聖書の原文では「カーラン」という言葉が使われていますが、「光を放つ」と「角のある」の両方の意味があります。この像ではモーゼの頭からは光が発せられていますが、ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会のミケランジェロの像は角が生えています。

    大聖堂の前にはマークしていなかった像がありました。見た瞬間にモーゼの像だということが分かります。「モーゼスブルネン(Mosesbrunnen)」はモーゼが神から与えられたとされる10の戒律の掛かれた2枚の石板を持った姿です。ヘブライ語で書かれた旧約聖書の原文では「カーラン」という言葉が使われていますが、「光を放つ」と「角のある」の両方の意味があります。この像ではモーゼの頭からは光が発せられていますが、ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会のミケランジェロの像は角が生えています。

  • ロンドンのビクトリア―&アルバート博物館にはミケランジェロの像から型取りした像が置かれてあります。この博物館のカスト・コートのコレクションは驚異の世界だと思います。<br />ビクトリア&アルバート博物館:https://4travel.jp/travelogue/11049004

    ロンドンのビクトリア―&アルバート博物館にはミケランジェロの像から型取りした像が置かれてあります。この博物館のカスト・コートのコレクションは驚異の世界だと思います。
    ビクトリア&アルバート博物館:https://4travel.jp/travelogue/11049004

  • クリスマスマーケット巡りできたベルンですが、いつもマニは泉巡りと彫刻巡りのような気分になってきました。大聖堂はゴシック様式で建てられ、1421年に建設が始まりました。高さ100.6メートルの塔は1893年に完成し、スイスで最も高い大聖堂でもあります。

    クリスマスマーケット巡りできたベルンですが、いつもマニは泉巡りと彫刻巡りのような気分になってきました。大聖堂はゴシック様式で建てられ、1421年に建設が始まりました。高さ100.6メートルの塔は1893年に完成し、スイスで最も高い大聖堂でもあります。

  • 大聖堂の西側の3つの入り口には3つの大きなポータルの奥にあります。各ポータルは高さが異なり、形状や装飾も異なっています。扉の閉じられた中央の入り口は「最後の審判」を表す一連の彫像で飾られています。最上段中央にはイエス・キリストの像が置かれ、その左右に聖母マリアと洗礼者ヨハネ、その左右の各6人の聖人はそれぞれのアトリビュートを持った十二使徒だと分かります。

    大聖堂の西側の3つの入り口には3つの大きなポータルの奥にあります。各ポータルは高さが異なり、形状や装飾も異なっています。扉の閉じられた中央の入り口は「最後の審判」を表す一連の彫像で飾られています。最上段中央にはイエス・キリストの像が置かれ、その左右に聖母マリアと洗礼者ヨハネ、その左右の各6人の聖人はそれぞれのアトリビュートを持った十二使徒だと分かります。

  • 中央では大天使ミカエルが剣をかざした独立した彫像で表されています。キリスト教をはじめユダヤ教やイスラム教に登場する「四大天使」とされている4人の天使は、神の意思を伝えるとされる「ガブリエル」、病気やケガを癒し巡礼者など旅人の庇護者である「ラファエル」、天使の最高位「熾天使」も兼ねる「ウリエル」、そして大天使たちのリーダー的存在であり、すべての天使たちの総司令官のような任務を果たしているのが「ミカエル」です。<br /> 

    中央では大天使ミカエルが剣をかざした独立した彫像で表されています。キリスト教をはじめユダヤ教やイスラム教に登場する「四大天使」とされている4人の天使は、神の意思を伝えるとされる「ガブリエル」、病気やケガを癒し巡礼者など旅人の庇護者である「ラファエル」、天使の最高位「熾天使」も兼ねる「ウリエル」、そして大天使たちのリーダー的存在であり、すべての天使たちの総司令官のような任務を果たしているのが「ミカエル」です。
     

  •  ミカエルは天使の中でも神に最も近い存在として崇拝され、「天使の中の天使」とされています。その名前の意味は「神に似た者」ですが、他にも「神の御前のプリンス」「慈悲の天使」「正義の天使」「聖別の天使」など、様々な称号がつけられています。 

    ミカエルは天使の中でも神に最も近い存在として崇拝され、「天使の中の天使」とされています。その名前の意味は「神に似た者」ですが、他にも「神の御前のプリンス」「慈悲の天使」「正義の天使」「聖別の天使」など、様々な称号がつけられています。 

  • 神の意思を遂行する「ミカエル」の重要な任務の1つに死者を冥界に導く役割があり、死者が天国に行けるか地獄に落ちるか判決を下すのがミカエルとされています。「最後の審判」の中でキリストの足元に立ち、死者の魂を量りにかけて天国行きか、地獄行きかを決めています。

    神の意思を遂行する「ミカエル」の重要な任務の1つに死者を冥界に導く役割があり、死者が天国に行けるか地獄に落ちるか判決を下すのがミカエルとされています。「最後の審判」の中でキリストの足元に立ち、死者の魂を量りにかけて天国行きか、地獄行きかを決めています。

  • れ利府の右側半分が地獄の場面になっています。この地獄の場面が個人的に好きで、ヨーロッパ各地の教会のモザイクやフレスコ画やレリーフ、美術館の絵画や彫刻にとても惹かれます。

    れ利府の右側半分が地獄の場面になっています。この地獄の場面が個人的に好きで、ヨーロッパ各地の教会のモザイクやフレスコ画やレリーフ、美術館の絵画や彫刻にとても惹かれます。

  • この「最後の審判」の彫刻はプロテスタントの宗教改革の偶像破壊を生き延びた唯一の彫像といわれます。47体の大きな自立型彫像はレプリカでオリジナルはベルン歴史博物館に所蔵されています。中央の170体の小型像はすべてオリジナルです。 これらの作品はヴェストファーレン州シュタットローン出身の彫刻家エアハルト・キュングの作品とされています。

    この「最後の審判」の彫刻はプロテスタントの宗教改革の偶像破壊を生き延びた唯一の彫像といわれます。47体の大きな自立型彫像はレプリカでオリジナルはベルン歴史博物館に所蔵されています。中央の170体の小型像はすべてオリジナルです。 これらの作品はヴェストファーレン州シュタットローン出身の彫刻家エアハルト・キュングの作品とされています。

  • 中央の2つの扉の間には、2人の天使に挟まれた正義の女神が置かれています。その足元には1421年に礎石が置かれたことを記念する巻物があります。剣と天秤を持つ正義の女神の姿は司法や裁判の公正さを表す象徴とシンボルとして、古来より裁判所や法律事務所など司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきました。目隠しをした像が主流ですがここでは笑みを浮かべた姿で表されています。

    中央の2つの扉の間には、2人の天使に挟まれた正義の女神が置かれています。その足元には1421年に礎石が置かれたことを記念する巻物があります。剣と天秤を持つ正義の女神の姿は司法や裁判の公正さを表す象徴とシンボルとして、古来より裁判所や法律事務所など司法関係機関に飾る彫刻や塑像、絵画の題材として扱われてきました。目隠しをした像が主流ですがここでは笑みを浮かべた姿で表されています。

  • 大聖堂の参拝を終えた後は広場のクリスマスマーケットを覗き、「ミュンスタープラットフォルム(Münsterplattform)」のテラスからアーレ川を眺めてみます。

    大聖堂の参拝を終えた後は広場のクリスマスマーケットを覗き、「ミュンスタープラットフォルム(Münsterplattform)」のテラスからアーレ川を眺めてみます。

    Münster Plattform 散歩・街歩き

  • アーレー川にかかるキルヒェンフェルト橋を行くトラムの姿が可愛らしいです。

    アーレー川にかかるキルヒェンフェルト橋を行くトラムの姿が可愛らしいです。

  • テラスのある公園はほぼ大聖堂と同じ幅があり、その周囲を西洋菩提樹の木が囲んでいます。葉が落ちた姿は不気味な感じもしますが、ヨーロッパに来たと実感できる景色でもあります。ベルギーのブリュージュでは並んだ菩提樹の枝のコブが繋がって、広場全体の木が一体化していたのを思い出しました。

    テラスのある公園はほぼ大聖堂と同じ幅があり、その周囲を西洋菩提樹の木が囲んでいます。葉が落ちた姿は不気味な感じもしますが、ヨーロッパに来たと実感できる景色でもあります。ベルギーのブリュージュでは並んだ菩提樹の枝のコブが繋がって、広場全体の木が一体化していたのを思い出しました。

  • 夕方になって空が晴れ渡って夕日が差し込んできました。

    夕方になって空が晴れ渡って夕日が差し込んできました。

  • 眼下のアーレ川に沿った家並みが同じデザインなのが面白いです。

    眼下のアーレ川に沿った家並みが同じデザインなのが面白いです。

  • さすがにお昼ご飯を食べていないのでお腹が空いてきました。テラスの脇にあったスタンドでソーセージとホットアップルジュースを注文しました。グリューワインが無かったのでジュースにはシュナップスを入れてもらいました。

    さすがにお昼ご飯を食べていないのでお腹が空いてきました。テラスの脇にあったスタンドでソーセージとホットアップルジュースを注文しました。グリューワインが無かったのでジュースにはシュナップスを入れてもらいました。

  • ソーセージにパンを付けますかと言われたので、マスタードと一緒にお願いしました。お腹も空いていましたがこれはとても美味しかったです。

    ソーセージにパンを付けますかと言われたので、マスタードと一緒にお願いしました。お腹も空いていましたがこれはとても美味しかったです。

  • カップのデポジットは1個2SFでしたが、それを差っ引いてもこれで31SFなので日本円にして5,400円です。周りの欧米人は当たり前のように食べていますが…。カップを戻したら2SF硬貨と小さい0.5SFコイン4枚が帰ってきました。細かい方はチップを期待してなのはわかっていますが…。

    カップのデポジットは1個2SFでしたが、それを差っ引いてもこれで31SFなので日本円にして5,400円です。周りの欧米人は当たり前のように食べていますが…。カップを戻したら2SF硬貨と小さい0.5SFコイン4枚が帰ってきました。細かい方はチップを期待してなのはわかっていますが…。

  • 大工のギルドハウスにはこのような彫像が置かれてありました。左手には差し金、右手にはのこぎりを持っています。腰には怪我の防止用に皮を巻いています。

    大工のギルドハウスにはこのような彫像が置かれてありました。左手には差し金、右手にはのこぎりを持っています。腰には怪我の防止用に皮を巻いています。

  • 1321年にベルンの石工のマスターと職人が力を合わせて石工のギルドを結成しました。芸術家は初期キリスト教時代に才能のある模倣者として「神の猿」と呼ばれたことからこのようなモチーフになりました。

    1321年にベルンの石工のマスターと職人が力を合わせて石工のギルドを結成しました。芸術家は初期キリスト教時代に才能のある模倣者として「神の猿」と呼ばれたことからこのようなモチーフになりました。

  • ムーア人の像は布地労働者のギルドを表しています。

    ムーア人の像は布地労働者のギルドを表しています。

  • ベルンには現在も合計14の協会とギルドがあります。1676年にそのメンバーのために貧しい人々の後見と世話を任されました。この2つの義務は今日まで彼らの最も重要な任務に発展し、市民をコミュニティに統合するためにギルドが提供する社会的側面は非常に重要でした。普段は宿屋でもあるギルドハウスでは商談のほか酒や宴会が行われました。

    ベルンには現在も合計14の協会とギルドがあります。1676年にそのメンバーのために貧しい人々の後見と世話を任されました。この2つの義務は今日まで彼らの最も重要な任務に発展し、市民をコミュニティに統合するためにギルドが提供する社会的側面は非常に重要でした。普段は宿屋でもあるギルドハウスでは商談のほか酒や宴会が行われました。

  • 大聖堂の「正義の女神」は目隠しをしていませんでしたが、この泉の女神は目隠しをしています。彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、正義と力が法の両輪であることを表しています。目隠しは彼女が前に立つ者の顔を見ないことを示し、法は貧富や権力の有無に関わらず、万人に等しく適用されるという「法の下の平等」の法理念を表します。

    大聖堂の「正義の女神」は目隠しをしていませんでしたが、この泉の女神は目隠しをしています。彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、正義と力が法の両輪であることを表しています。目隠しは彼女が前に立つ者の顔を見ないことを示し、法は貧富や権力の有無に関わらず、万人に等しく適用されるという「法の下の平等」の法理念を表します。

    正義の女神の泉 建造物

  • 正規の女神はギリシア神話の女神テミスに由来します。この1543年にハンス・ギエンによって作られたベルンのテミス像は剣と鎧で武装し足に悪魔を踏んでいます。この像が最初の目隠しをした姿の像といわれます。

    正規の女神はギリシア神話の女神テミスに由来します。この1543年にハンス・ギエンによって作られたベルンのテミス像は剣と鎧で武装し足に悪魔を踏んでいます。この像が最初の目隠しをした姿の像といわれます。

  • ようやく「ニーデッグ橋(Nydegg Bridge)」まで戻ってきましたが、冷えたせいか妻の足が痛くなってきて歩けなくなってきました。集合時間まで残り5分も無いので走らなければ間に合いませんがこれでは無理です。

    ようやく「ニーデッグ橋(Nydegg Bridge)」まで戻ってきましたが、冷えたせいか妻の足が痛くなってきて歩けなくなってきました。集合時間まで残り5分も無いので走らなければ間に合いませんがこれでは無理です。

  • 足元も滑るので急がせて転んで怪我でもしたら大変なので、気持ちは焦りますがなかなか進めません。この後バーゼルまで移動するのでトイレにも行っておきたいところなのですが…。

    足元も滑るので急がせて転んで怪我でもしたら大変なので、気持ちは焦りますがなかなか進めません。この後バーゼルまで移動するのでトイレにも行っておきたいところなのですが…。

  • 頑張って急ぎましたが5分近く遅れてしまいました。バスに戻って大きな声で「すいません。」と言って乗り込みます。これ以降妻の足の具合を皆さんに心配していただけましたが、皆さんは妻より幾つも年上の方ばかりです。

    頑張って急ぎましたが5分近く遅れてしまいました。バスに戻って大きな声で「すいません。」と言って乗り込みます。これ以降妻の足の具合を皆さんに心配していただけましたが、皆さんは妻より幾つも年上の方ばかりです。

  • 夕日に浮かぶベルンの旧市街は幻想的な美しさでした。もう少し早く戻れていたら、この辺りからちゃんと写真が撮りたいところでした。

    夕日に浮かぶベルンの旧市街は幻想的な美しさでした。もう少し早く戻れていたら、この辺りからちゃんと写真が撮りたいところでした。

  • バスはベルン市内を抜けて高速道路に戻ります。

    バスはベルン市内を抜けて高速道路に戻ります。

  • 高速道路に入ると右側の車窓にアルプスの山々が夕日に染まって見えました。残念あガラどの辺りの山なのかまでは分かりませんでした。

    高速道路に入ると右側の車窓にアルプスの山々が夕日に染まって見えました。残念あガラどの辺りの山なのかまでは分かりませんでした。

  • 北に向かうにつれて霧が掛かったりと景色がどんどん変わっていきます。

    北に向かうにつれて霧が掛かったりと景色がどんどん変わっていきます。

  • 2週間前には雪の積もったモンゴルの草原でうんざりするほど羊の写真を撮っていましたが、ところが変わるとまた同じような写真を撮ってしまいます。バスはバーゼルまで1時間30分ほどかけて走り抜けます。

    2週間前には雪の積もったモンゴルの草原でうんざりするほど羊の写真を撮っていましたが、ところが変わるとまた同じような写真を撮ってしまいます。バスはバーゼルまで1時間30分ほどかけて走り抜けます。

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