2023/12/04 - 2023/12/04
189位(同エリア986件中)
kojikojiさん
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- フォロワー169人
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リグヴィルを出たバスはアルザス・ワイン街道を走り抜け午後3時にストラスブールに到着しました。まずは乗降が決められた場所でバスを降りてトイレを済ませます。ストラスブールでのツアーバスの乗降は1カ所と決まっているようです。添乗員さんの誘導でまずは旧市街の中心部に向かいます。マルシェ・オー・ポワッソン通りで再集合場と時間を確認します。ストラスブールは町が大きいので約3時間の滞在時間となりました。そのまま通りを進み右手に目をやるとメルシェール通りの先に巨大な「ノートルダム大聖堂」が見えました。この姿は圧巻でゴシック様式の聖堂のファサードが覆い被さってくるような迫力です。まずは大聖堂の見学をするので列に並びます。15分ほどで見学を終えた後はフリータイムになります。実際は15分では見学が終わらず、10分ほど遅れて表に出るとツアーの方の姿はありませんでした。ここから2時間30分ほどはフリータイムなので妻と2人で街歩きを楽しむことができます。まずは添乗員さんのおすすめのフォアグラサンドのスタンドに立ち寄ります。大きなフォアグラの挟んだシミットが1個9ユーロと安くはありませんが買い求めました。これはホテルに持ち帰ってワインと一緒に夜食にすることにします。ストラスブールのマーケットの情報は事前に調べてあったので、作ってきたマップをもとに「タンブル・ヌフ広場(Place du Temple Neuf)」のマーケットから「クレベール広場(Place Kléber)」の巨大なマーケットに向かいます。ここで空腹を満たすべくヴァン・ショー(グリューワイン)を飲みながらシュークルートをいただきました。ソーセージとネズの実の効いたキャベツが美味しいです。腹ごしらえも出来たので更に散歩を続け、「ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette Strasbourg)」のウインドウを眺めてから「ラ・プティット・フランス(Quartier de La Petite France)」まで足を延ばします。ここにも木造の家並みが続き、クリスマスマーケットも出ていていい雰囲気です。「グーテンベルク広場(Place Gutenberg)」のマーケットから「ノートルダム大聖堂」に戻りかかる通りにはバカラの照明が吊られています。ライトアップした大聖堂を眺めた後は「トリビエール広場(Place des Tripiers)」のベンチに座って一休み。最後は「La Nouvelle Douane」というスーパーを覗いてみます。ここの奥にはきれいなトイレがあって、ここが使えたのはありがたかったです。3つのマーケット巡りを終えてバスでミュールーズのホテルに戻ると午後8時30分でした。部屋でワインを飲みながらフォアグラサンドを食べて、さらに持ってきたカップ麺を食べて長い1日が終わりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ストラスブールに着きました。イル川のほとりの駐車場でバスを降ります。市の中心部には観光バスは買いれませんし、この場所に停車しておくことも出来ないようです。
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ストラスブールに近づくにつれてバスの車窓からも見えた大聖堂の尖塔も近くになってきました。大聖堂のファサードを左右対称にするためにもう1つの尖塔が計画されていましたが、結局独特な非対称の形状になったために1本の尖塔しかありません。見通しがきく場所なら30キロの距離から塔が見え、ヴォージュ山脈からシュヴァルツヴァルトまでライン川沿いで見えるそうです。
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ストラスブールの木組みの家コロンバージュ(Colombage)はこれまでとデザインが違っているようです。
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町中のポスターボードはクリスマスマーケットのマップになっていました。これを写真に撮っておいて後の自由行動時の参考にします。
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イル川に沿ったサン・二コラ通りを添乗員さんと一緒に歩きます。再集合場所と時間を確認しないと自由行動には移れません。
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「バトーラマ(ボートツアー)・ロアン宮殿桟橋」が見えてきました。レイブン橋を渡って旧市街に入ります。
ストラスブール市歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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クリスマスマーケットの案内板も見えてきました。
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「キャピタル・デ・ノエル(Capitale de Noël)」の入り口にはゲートが設けられています。夜になるとイルミネーションがきれいなのだと思います。集合場所はここで、再集合時間は3時間30分後の午後6時半になりました。
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近くの「トリピエ広場(Place des Tripiers)」もクリスマスの装飾が施されています。
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カラフルで巨大なトピアリーやワイン樽が並んでいますが、無情にも添乗員さんは大聖堂に向かって進んでしまいます。
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「メゾン・ボリンジャー(Maison Bollinger)」というお土産物屋さんの角まで来ました。写真の撮り方が悪いのではなく建物は本当にこれくらい歪んでいます。
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その角からメルシエール通りに目をやると唐突に「ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame)」が現れます。
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セーヌ川沿いの大きな空間に単独で建つパリのノートルダム大聖堂と違って旧市街の建物に囲まれた大聖堂を見るのは初めてです。モネの描いたノルマンディー地方のルーアン大聖堂の絵画を思い出しました。
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フランスには何度も来ていますがアルザス地方を旅するのは初めてです。シャモニーにスキーだったり、今回のアルザスのマーケット巡りだったり、バラバラと旅はしているのですが、改めてじっくりと旅したい国ではあります。
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ストラスブール大聖堂またはノートルダム・ド・ストラスブール大聖堂は高さ142メートルで、1647年から1874年まで世界一の高層建築でしたが、1874年にハンブルクの聖ニコライ教会に抜かれました。現在は教会としては世界第6位の高さとなっています。
ストラスブール ノートルダム大聖堂/尖塔/カラクリ時計 寺院・教会
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その大部分はロマネスク建築ですが、一般にゴシック建築の代表作とされています。ヴィクトル・ユーゴーが「巨大で繊細な驚異」と評したように、レースのように施されたゴシック装飾が見事です。アルザス平原のどこからでも見え、遠くはヴォージュ山脈やライン川の反対側にあるシュヴァルツヴァルトからも見えるそうです。この建物もヴォージュ産の砂岩を建材としたため、独特なピンク色をしています。
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数千の彫刻で装飾された西側のファサードはゴシック時代の傑作とされています。尖塔は当時最先端の技術を駆使したもので、石が高度な技術で直線的に積まれているためにあたかも一個の石のように見えます。ストラスブール大聖堂のファサードは事前設計なしでは建設不可能で、ケルン大聖堂と共に設計図を用いた初期の建築物とされています。
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ティンパヌムには磔刑像の背後にイエスの後半生が描かれた彫刻で覆われています。下段には「最後の晩餐」と「イエスの捕縛」、その上の段には「茨の冠のキリスト」、十字架を担がされてゴルゴダの丘まで歩んだヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の場面、「磔刑図」と「ピエタ」などが読み取れます。
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添乗員さんに連れられてここまで来ましたが、聖堂内部はガイドが出来ないので15分後に出口で待ち合わせになります。
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飾り迫縁(かざりせりぶち)またはアーキヴォールト(archivolt)はアーチに沿って付けられた装飾用の繰形で、ここでは数々の聖人の像が飾られています。
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ティンパヌムには上段に「イエスの誕生」、中段左には「ヘロデ王による幼児虐殺」と右には「エジプトへの逃避」、下段には「東方三博士のヘデロ王に会う場面とイエスへの礼拝」の場面が彫られています。
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大聖堂への入場にはかなりの人が並んでいましたが、10分ほどで中に入ることができました。時間がかかる理由はセキュリティで持ち物の検査があるためでした。ここ数年のヨーロッパではクリスマスマーケットを狙ったテロが何度かありました。2000年のクリスマスの時期にアルカイダがこの大聖堂に隣接する市場を爆破する計画を立てていましたが、フランスおよびドイツ当局がそれを阻止しています。
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第2次世界大戦中にストラスブール大聖堂は連合軍とナチスドイツの両陣営から象徴とみなされた。アドルフ・ヒトラーは1940年6月28日にストラスブールを訪問し、大聖堂を「ドイツ人民の国家的聖域」にしようと考えました。1941年3月1日にフランス軍のフィリップ・ルクレール将軍は「クフラの誓約」として「ストラスブール大聖堂の上に再び我々の美しい国旗がたなびくまで、決して武器を置かない」と誓います。
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ドイツ軍はストラスブール大聖堂のこれらのステンドグラスを74枚取り外し、ドイツ本国のハイルブロン近郊の岩塩鉱山に隠しました。戦後になってアメリカ軍がこれを発見して大聖堂に返還しました。
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ステンドグラスはその多くが14世紀のもので、一部は12世紀後半(北の翼廊)や13世紀初め(北の側部身廊の「皇帝の窓」)のものであり、また一部は20世紀のもの(南の翼廊、クワイヤ)もあります。
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ステンドグラスに描かれた人物は神聖ローマ帝国のオットー1世、2世、3世、コンラート2世、など歴代皇帝の肖像が描かれています。よく見るとそれぞれ眼鏡をかけているようです。
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神聖ローマ帝国はかつて中央ヨーロッパに存在したローマ王(ドイツ王)たる神聖ローマ皇帝によって統轄された諸領域の呼称で、現在のドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部・フランス東部を中心に存在していた多民族国家、もしくは国家連合で、9世紀から10世紀に成立して1806年まで存続していました。
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中央身廊の北西にはHans Hammer作による華麗な装飾の講壇がありました。
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南側には14世紀のステンドグラスの窓があり、聖母とキリストの生涯のシーンを眺めることができます。トリフォリウムのステンドグラスの窓にはルカの福音書の系図に従ってキリストの先祖が描かれています。
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東側の側廊の辺りはカトリックの大聖堂とは思えないシンプルなデザインです。祭壇画の扉には聖セバスティアヌスが描かれています。この聖人の矢に射られた姿を見ると三島由紀夫を思い出してしまいます。三島由紀夫の小説「仮面の告白」の中で主人公はグイド・レーニ画のセバスチャン(セバスティアヌス)殉教図を見て性的興奮および文学的感興を催します。後に三島由紀夫は自らがこの構図そっくりのポーズをとった写真を篠山紀信に撮影させています。
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堂内に入るのは時間がかかりましたが、堂内はそれほどの混雑ではありませんでした。クロスする横断アーチが美しいです。
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身廊には1640年から1657年にかけて、フィリップ・ド・シャンペーニュとシャルル・ポアソンがパリのノートルダム大聖堂のために描いた「聖母の生涯」をテーマにした14枚のタペストリーが収められています。1730年に売りに出され、1739年にアルマン・ド・ロアン・スービーズがストラスブール大聖堂のために購入しました。これらのタペストリーは大きさと作品の保護から大聖堂に恒久的に展示することはできず、クリスマスの時期にたまにしか吊るされないようです。
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シンプルな模様だけのステンドグラスはシュタインバッハのエルヴィンによって16枚の花びらでデザインされました。パリのノートルダム大聖堂に12年前に行った際には内陣の装飾をかなり細かく写真に残してきました。その後の火事のことを考えると写真を撮る枚数が増えてしまいます。
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ロマネスク様式のクワイヤのドーム天井は黄金のモザイクで覆われているようですが、ネットで覆われていて詳しく見ることができないのが残念です。十二使徒の姿と空に舞う天使の姿は確認できますが、肝心な中央部分はかすれています。
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両腕を広げた聖母マリアと膝の上野幼子イエスのステンドグラスの両脇には20人の聖人の姿がありますが、上段右のノアと下段左で石板を持つモーセくらいが馴染みのある人物でした。
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1230年頃に建てられた「天使の柱 (Pilier des anges)」は南の翼廊の天文時計の隣にあり、12の美しい彫刻で飾られています。最初の4人は伝道者を表し、その上にはトランペットを演奏する天使が乗っています。上段には受難の道具を携えた天使たちに囲まれて座るキリストがいます。同じエリアには欄干にもたれかかった男の像があります。伝説によると彼は当時の建築の偉業である天使の柱を建てた建築家と競い合った建築家でした。彼は1本の柱ではこれほど大きなヴォールトを支えることはできず、全体が崩壊するのを待っているといわれています。
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大聖堂の南の翼廊に高さ18メートルの天文時計があり、世界最大の天文時計の1つとされています。かつては現在の時計とは反対側の壁に1352年から1354年に作られた 「3人の王の時計(Dreikönigsuhr)と呼ばれる時計があったそうです。
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現在の時計は1838年から1843年に作られたもので、時計本体は1842年に完成しましたが天球儀は1843年に完成します。以前の時計の外装をそのまま使い、中身をジャン=バプティスト・シュウィルジュらが製作しました。
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複雑なグレゴリオ暦にしたがって復活祭の日を計算できるコンプトゥスという機構を備えており、ストラスブール大聖堂の時計にもそれが組み込まれました。復活祭は325年の第1ニカイア公会議で「3月21日当日あるいはそれ以降の最初の暦上の満月を過ぎたあとの最初の日曜日」と定義されている。
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天文学的部分は非常に正確で、閏年や分点など様々な天文データを計算でき、単なる時計ではなく一種の複雑な計算機になっているそうです。
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生き生きした人形たちが毎日違った時刻にムーブメントの中に出てくそうで、。ある天使は鐘を鳴らし、別の天使は砂時計をひっくり返すそうです。別の一連の人形は子供から老人までの一生を表現しており、死神の前を行進します。また十二使徒がキリストの前を通り過ぎていきます。
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この時計は公式の時刻だけでなく太陽時も示すようです。他にもそれぞれ伝説の神で表現された曜日、月、年、黄道十二星座、月の満ち欠け、いくつかの惑星の位置まで示します。全てのオートマタは午後12:30に一斉に動き出すそうです。
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伝説によればこの時計を作った人物は完成後に自分の目を抉り出し、再び同じものを作れないようにしたそうです。同様の伝説はプラハの天文時計などにも残っています。
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南の翼廊には他にもいくつかの祭壇がありました。ゴシック様式の尖塔の下には木製の素朴なピエタ像が納められています。
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ピエタとはイタリア語の「哀れみ・慈悲」などの意味で、主にキリスト教美術における聖母子像のうち「死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)」の彫刻や絵画などの作品を指します。
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何の説明もありませんがジャンヌ・ダルクの像だということが分かります。パリのノートルダム大聖堂にも両手を合わせて祈る姿のジャンヌの像がありましたが、先の火事でどうなってしまったのか心配です。
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参拝のルートではこの後一度表に出るのですが、その近くのステンドグラスは新しく造られたもののようです。イエスの視線と目が合ってしまいちょっとびっくりしました。
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一度表に出ると新鮮な冷たい空気に当たって身が引き締まったような気になります。
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南面には夕日が当たりガーゴイルたちが生き生きとして見えました。
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1439年に完成した北塔の尖塔は地上142.11メートルの高さで、中世に建てられた尖塔の中で現在まで残っている最も高い塔です。ジャック・ウィンプフェリングはこの後期ゴシック様式の塔を「世界の8番目の不思議」と呼んでいます。ストラスブール大聖堂はフランスで唯一のゲルマン建築の典型的な尖塔を持っています。八角形の塔は、ウルム大聖堂の塔も設計した棟梁ウルリッヒ・デンシンゲンによって設計され、2つの建物は非常によく似ています。
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再び大聖堂の南の側廊に入るとたくさんの人が巨大なプレセビオを観ています。なかなか先に薦めないので再集合時間には間に合わないなと思います。その後はフリータイムなので、このまま見学を続けることにします。
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大天使ガブリエルによるマリアへの受胎告知から場面はスタートします。
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子羊を肩に背負った洗礼者ヨハネの姿も見えます。
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イエスの誕生した一番有名な場面です。我が家にあるプレセビオもこの場面の木像ですが、ここに並ぶ像の大きさには敵いません。
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ラクダに乗った東方三博士が礼拝にやってきた場面です。ザルツブルグで買ったラクダに乗ったバルタザールとメルキオールとカスパールの3体の大きな燭台をよく壊さずに持ち帰ったと思います。今年のクリスマスには時間があったので、ちゃんと飾ることができました。
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東方で星を見た彼らはヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」と尋ねます。ヘロデ王は祭司長たちや律法学者たちを集めて問いただすと、彼らはそれがベツレヘムであることが預言書に書かれていると答えました。星が先立って進み博士たちは家に入り、母マリアと一緒にいた幼子イエスを見て拝み、乳香と没薬と黄金を贈り物としてささげます。ヘロデは幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼んでいましたが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデのもとを避けて別の道を通って自分たちの国に帰ったため、ヘロデによる幼児虐殺に繋がっていきます。
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ようやく表に出ることができましたが、プレセビオの辺りが混んでいたためにタペストリーを見てくることができませんでした。これはちょっと残念でした。最後に南側のポータルの彫刻を見ておきます。
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南側の入り口は13世紀末に制作されたもので、「十人の処女たちのたとえ」が描かれています。天国が花婿を花嫁の家の門の内に迎えるために、ともし火を与えられた10人の乙女に喩えられています。そのうちの5人は愚かであり、5人は賢かったとされます。5人の愚かな乙女たちは油を用意せずに、ともし火だけを持っていましたが、5人の賢い乙女たちは壺に油を入れて用意して、ともし火を持っていました。愚かな乙女たちは花婿が到着した際に油が切れて、ともし火を灯して迎える事が出来ませんでした。すぐに油を買い求めに行ってから花婿の家にかけつけましたが門は閉ざされてしまっていました。閉ざされた後で愚かな乙女たちは門を開けるように求めたが、花婿の家の主人から「わたしはお前たちを知らない」と言われました。
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再集合には間に合いませんでしたが、添乗員さんお薦めのフォアグラサンドのスタンドの場所は覚えていました。
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アルザス名物のプレッツェルに大きなフォアグラがサンドされています。1個9ユーロと安くはありませんがフォアグラは大好きなので買い求めます。
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フォアグラというとハンガリーのブダペストを思い出します。プラハに1週間、ウィーンに1週間、ブダペストに1週間滞在した旅では「グンデル」というレストランと「パゴイヤール」という姉姉妹店の両方で思いっきりフォアグラを食べました。
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フォアグラサンドはホテルにも持ち帰り、夜食にもいただくことにしました。ほてるにはスイス航空で貰ったレマン湖沿いのラヴォ―のワインも冷やしてあります。
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このままおしゃれなレストランに入って食事してしまおうかとも考えてしまいます。フリータイムの残り時間はまだ2時間ほどあるので、それも可能ですが、問題のクリスマスマーケット巡りは出来なくなってしまいます。
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小雪が舞っていたストラスブールでしたが、夕方になって日が差してきました。ヴォージュ産の砂岩を建材としているために元々ピンクがかった姿をしていますが、夕日を浴びて黄金色に輝いて見えました。
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クリスマスのイルミネーションの美しいアルバート通りを抜けて「タンプル・ヌフ広場(Place du Temple Neuf)」のマーケットに向かいます。
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古書店のウインドウには「1789 Liberte Egalite Fraternite」と書かれたフランス革命の自由と平等と友愛を掲げたフランスを擬人化した女性のポスターがありました。これちょっと欲しかったです。
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大聖堂で天文時計を見てきたばかりなので時計屋のウインドウも気になってしまいます。ヨーロッパに来ているということもあるのかアンソニー・バージェスの「時計じかけのオレンジ」という小説を思い出しました。子供の頃に家にあったものを読んだのですが、なぜその本が家にあったのかは謎のままです。後にスタンリー・キューブリックの映画も観ましたが、10代の頃に衝撃を受けた作品の1つでもあります。https://www.youtube.com/watch?v=T54uZPI4Z8A
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「タンプル・ヌフ広場(Place du Temple Neuf)」のクリスマスマーケットは規模は小さいですが雰囲気はなかなか良かったです。
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広場に面した「ポルカス(Porcus)」というシャルキュトリー&レストランのクリスマスの飾りは肉屋だけにピンクの豚でした。ブリュッセルの「デリリウム」というビアホールでは飲み過ぎるとピンクの象が現れるということですが、ここでは肉を食べ過ぎるとピンクの豚が現れるのでしょうか。
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広場の横には名前の由来にもなっている「タンプル・ヌフ教会(Église du Temple-Neuf)」が建っています。こちらはカトリックの大聖堂とは違い、プロテスタント教会です。
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「タンプル・ヌフ広場(Place du Temple Neuf)」からドミニケンという細い路地に入るとこんなグラフティがありました。JAEK EL DIABLOという人が描いたもののようです。
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路地を抜けて「クレベール広場(Place Kléber)」に出るとそこは別世界のような巨大なクリスマスマーケットの会場でした。
クレベール広場 広場・公園
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巨大なクリスマスツリーが広場にいろどりを添えています。ちょうど日も暮れてきました。
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焼き栗屋のおやじは何となくロートレックの描くシャンソン歌手のアリスティド・ブリュアンを思い出させる雰囲気です。
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クリスマスマーケットにつきもののカルーゼルがありました。2011年にナントまで行って、ラ・マシン・ド・リルの海洋生物のカルーゼルと巨大な象を観に行きましたが、そのカルーゼルに数年後にブリュッセルのクリスマスマーケットで再会しました。今年はどこのマーケットに行っているのだろうかと思いました。
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かなり巨大なツリーですが広場が巨大すぎて小さく見えてしまいます。
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広場は1753年にストラスブールで生まれたフランス革命の将軍ジャン・バティスト・クレベールにちなんで名付けられました。広場にはクレベールの像があり、クリスマスツリーと対峙しているようです。この地下には彼の遺骨を収めた廟があるそうです。
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ここにはおいしそうな料理を出すスタンドが軒を並べているのでその中の1軒で軽く食事することにしました。ちょうど同じツアーの1人参加の方と一緒になったので話をする機会もありました。
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話しをしていて料理の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、大きなソーセージとザワークラウトとポテトの煮込み料理などをいただきました。熱々で美味しかったです。ここではグリューワインもいただきます。ようやく体が温まりました。トレーやフォークはプラスチックは使用されていません。カップもプラスチックで返却するとデポジットの金額が戻されます。
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お腹もふくれて元気も出てきたのでさらに街歩きを続けます。広場の先のトラム通りにはギャラリー・ラファイエットが見えました。
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妻はパリのギャラリー・ラファイエットの巨大なドーム空間にこいのぼりを吊ったことがあります。もう何十年も前の「フランスにおける日本年」のイベントの1つだったと思います。2000年の年末、ミレニアムのカウントダウンはパリで迎えたのもいい思い出です。
ギャラリーラファイエット (ストラスブール店) 百貨店・デパート
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キャノピーや軒下のイルミネーションはギャラリー・ラファイエットらしい演出です。ストラスブールであの時の年末の雰囲気を味わえるとは思いませんでした。
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夕暮れの「11月22日通り」歩きます。この通りの名前は何度も変わっています。1912~14年にかけて建設されたこの通りは最初「新大通り」と命名されました。1918年に「11月22日通り」に名前が変わりますが、1940年には「6月19日通り」と改名され、さらに1944年にはまた「11月22日通り」に戻ったという歴史を持っています。
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「新大通り」が建設された当時はストラスブールはドイツ領でしたが1918年に第1次世界大戦によってフランスがドイツに勝利し、凱旋記念日の11月22日が通りの名称となります。また戦争が始まり1940年6月19日にナチスのドイツ軍がストラスブールに進駐して「6月19日通り」となり、第2次世界大戦で再びフランスが勝利して「11月22日通り」に戻るという半世紀に4回も名前が変わるという憂き目にあっています。
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「明日から母国語が使えなくなります」という授業の模様を描写したドーデの小説「最後の授業」は1871年普仏戦争でプロイセンがフランスに勝利してフランス語が禁止される前日の授業の物語で、これもアルザス地方が舞台でした。「星の王子様」の作者サン・テグジュベリがストラスブールの第2飛行連隊に入隊した時に住んでいたのもこの辺りでした。
Pavillon REGENT PETITE FRANCE ホテル
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「ラ・プティット・フランス(Quartier de La Petite France)」と呼ばれるエリアに出ました。この辺りから古い通りを散策しながら戻ることにします。
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「ラ・プティット・フランス(Quartier de La Petite France)」と名付けられたアエリアはストラスブールの町中にぽっかりと残された中世の街並みのように見えます。
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グランド・リュー通りとフォセ・デ・タナール通りの交差点にはクリスマスのイルミネーションが吊られていました。
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若い女の子たちがスマホのシャッターを押してもらっているのは若い警察官たちで、テロを警戒しながらもひと時の休息といった感じです。
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グランド・リューからフォセ・デ・タナール通りを少し歩いてみることにします。
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「ダマン・フレール(DAMMANN FRÈRES)」は1692年にルイ14世から国内における紅茶の独占販売権を与えられて以来、フランス随一のティーブランドです。塩沢ときを思い出させるようなイラストのおばさんと記念写真。
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通りの先には小さなクリスマスマーケットがありました。ちょうど日が沈んで空が青く染まる時間帯なのでとても雰囲気が良かったです。
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青くそなった空にイルミネーションが映えます。人通りも少なく異世界に迷い込んだような気分です。少し先に人通りの多い通りがあるので行ってみることにします。
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「バンジャマン・ジックス広場(Place Benjamin Zix)」からバン・オ・プラント通りには、木骨造りの家々が驚くほど均質に並んでいます。かつて皮なめし職人が営んでいたこの通りではどの家も真っ白で、さまざまな形状のハーフティンバーと、皮を乾かすための大きく開いた屋根が特徴です。
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再び「11月22日通り」に戻るとイルミネーションにも明かりが灯り雰囲気も良くなっています。
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そしてギャラリー・ラファイエット。仲も覗いてみたい気はしましたが、あまりゆっくりもしていられません。集合時間をいつも気にしなければならないのがツアーの残念な点です。
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「クレベール広場」の中には入らずにグランド・アルカード通りに向かいます。
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懐かしい「ハビタ(Habitat)」というインテリアのショップがありました。最後にこの店を見たのはアントワープだったかな。昔は池袋西武の明治通りを渡った前にハビタ館というものがありました。その事務フロアに出向していた会社があったので1年ほど通ったことがありました。学生時代の友人がインテリア・デザイナーとして勤めていたり懐かしいブランぢです。
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「クレベール広場」のクリスマスツリーも群青に染まった空にイルミネーションが輝いています。
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グランド・アルカード通りに戻るとイルミネーションが灯り、ストラスブールのメインストリートでもあるのですごい人出です。夕方になって仕事終わりの人たちが家族や友人と連れ立っているようです。
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前日のスイスのバーゼルのクリスマスマーケットは2カ所ほどしかなかったので物足りませんでしたが、ストラスブールの町はマーケットがいくつもあって楽しいです。
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「グーテンベルグ広場(Place Gutenberg)」までやってきました。広場の名前は活版印刷を発明したヨハネス・グーテンベルクから撮られており、広場には彼の像が置かれてあります。
グーテンベルグ広場 広場・公園
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1439年頃にヨーロッパで初めて活字による印刷を行ったとされ、それまでヨーロッパでの本の生産は手書きでの「書き写し」か木版印刷であり、活版印刷はヨーロッパでの本生産に一大変革を起こしました。活版印刷具は急速にヨーロッパ各地に普及し、さらに世界中に広まり、印刷技術は羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の1つにあげられます。1434年以降10年ほどストラスブールに住んでいたようです。
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アルバルト通りの四角い箱に入ったシャンデリアはバカラ製だと後になって添乗員さんが教えてくれました。雨や雪のせいもあるのでしょうが、その良さが生かされていない気がします。
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ようやく大聖堂の近くまで戻ってきました。
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大聖堂の周囲はさらに人が多くなってきているようです。
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ライトアップされた大聖堂は夕日を浴びた時よりも美しく感じました。
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正面まで出て見上げてみます。ピンク色の砂岩が黄金色に見えています。
ストラスブール ノートルダム大聖堂/尖塔/カラクリ時計 寺院・教会
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ストラスブールの大聖堂がこれほど素晴らしいとは思いませんでした。まだまだ世の中には知らないところがたくさんあります。妻と2人の旅はまだまだ続きそうです。
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日中には気が付かなかったバラ窓の上のイエスと周囲の天使たちと聖人の姿が見えました。
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メルシエール通りにはそんな外壁の彫刻を見るための双眼鏡が置かれてありました。
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再集合場所まで戻ってきましたが、まだ時間が残っています。
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ジンジャークッキーたちと記念写真。
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そして10月のトリエステでコートを買って以来気になっているGEOXにも入ってみます。イスタンブールからのMSCスプレンディダのクルーズの添乗員さんが同じコートを探しているのですが、ここにもありませんでした。ペネロペ・クルスが着ているポスターがあったほどですから人気があったのでしょうね。
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「ストラスブール市立歴史博物館」にも入ってみたかったのですがすでに営業時間を過ぎているので、裏通りからマカロン通りをぶらぶらしてみます。
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この辺りも古い木骨造りの建物が数多く残されて、クリスマスの飾りを施しているのでとても美しいです。
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「アルサトラックス(ALSATRUCS)」というアルザスの工芸品を扱う店に入ってみます。
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この店の入っているん建物の木骨組もとても美しかったです。
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木工芸品が多く並んでいましたが、どれもかなりのお値段なので欲しいとは思えませんでした。クリスマスのグッズはドイトやオーストリア、中欧の国で買い求めるのが良さそうです。
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あと2時間自由時間があったら入ってみたいレストランがたくさんありました。
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自力でホテルに帰るにしてはミュールーズは遠すぎます。駅周辺のホテルなら良いのですが、ホテルは郊外にあるので正確な場所すら分かりません。
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いる川沿いの倉庫群はリノベートされていて、一番前は「La Nouvelle Douane」というファーマーズ・マーケットになっていました。ここも一応覗いてみましたが、どうしても買いたいと思えるものは見つけられず。この店の奥にはきれいなトイレがあったのでお借りしました。
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以前にホーチミンからメコンデルタ2泊のシン・カフェのツアーに参加した時に、上海に駐在しているフランス人家族と一緒になりました。その家族のお父さんのカメラのレンズの調子が悪くて、手持ちのあまり使わないレンズを2日間かしてあげたことがありました。その時の会話でキャノン(CANON)はカノンで大砲って意味だったなと改めて思いました。ニコンもナイコンと言われると不思議な感じがしたのを思い出しました。
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残りの15分ほどは「トリピエ広場(Place des Tripiers)」のベンチに座って時間を潰しました。今まで妻と2人で公演のベンチに座ったことがあっただろうかと思い出してみても記憶にありませんでした。
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賑やかなストラスブールのクリスマスマーケットでしたが、この公演は静かで雰囲気も良かったです。「tripes(トリップ)」の名前の通り、この公演お名前の由来は昔肉屋があったことに寄るようです。現在もレストランが周囲に多いのはそれが理由のようです。
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再集合した後はバスに乗ってホテルまで2時間のドライブでした。マーケットでしっかり食事したつもりでしたが、ホテルに着く前にはお腹が減ってきました。
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今回はこのカップとバーゼルの陶器製のカップだけをお土産に持ち帰りました。スイス航空の機内でいただいたワインとやはり機内で配られた強炭酸水でスプリツァーを作りました。
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そして持ち帰ったフォアグラサンドを妻と半分づつ分けます。これだけではお腹はいっぱいにならないので家から持ってきたカップヌードルもいただいてお腹も落ち着きました。
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