2011/12/31 - 2011/12/31
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MIUMIUさん
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このブログは、私たち熟年夫婦が撮りためた写真を旅の備忘録として整理し、アップしたものです。
コロナ禍で海外に行けない状況が続く中、
昔の旅行の写真を眺めながら過去の記憶を辿り、その記憶を整理をしていく事は、脳みその活性化を図る事にもなるかもしれません。(;^^
少しずつでも頑張ってアップしていければいいな、と思っていますが、
10年前の旅行なので記録が散逸し思い出せないことも多く、
つくづく、熟年夫婦が老年夫婦になりつつあるのか…と痛感させられます。
当時、冬のヨーロッパ旅行をどこにするか選ぶとき、先ず、寒過ぎない場所! という妻(超寒がり)のリクエストに応えて、
マドリッドとその近郊を選びました。
旦那は建築オタクのようなもので、歴史的な建築物を見る事ができればどこでもよかったのです。
年末年始のマドリッドは結果的には予想外に寒くはありましたが、
多少情報操作して妻に誤信させたかもしれません。
しかし、北欧・中欧・東欧に比べたら暖かいに決まってます。
年末年始にも関わらず、フィンエア-の格安航空券をゲットできたこともあり、期待感いっぱいで出かけることになりました。
== 全日程 ==
★2011/12/29
11:45 関空発 フィンランド航空
↓
15:10 ヘルシンキ バンター空港着
17:00 ヘルシンキ バンター空港発
↓
20:45 マドリッド バラハス空港着
【1】 https://4travel.jp/travelogue/11508125
◇12/30 マドリッド市内観光
【2】 https://4travel.jp/travelogue/11508127
◇12/31 アビラ & セゴビア 1日観光バスツアーに参加
【3】 https://4travel.jp/travelogue/11508141 ←今ここ
◇2012/1/1 トレド観光 トレド泊
【4】 https://4travel.jp/travelogue/11508149
◇1/2 午前トレド観光 → 午後マドリッド観光
【5】 https://4travel.jp/travelogue/11508154
◇1/3 アランフェス観光 → 夜マドリッドでフラメンコショー
【6】 https://4travel.jp/travelogue/11508157
◇1/4 10:10 マドリッド バラハス空港発 フィンランド航空
↓
15:30 ヘルシンキ バンター空港着
17:25 ヘルシンキ バンター空港発
↓
◇1/5 10:00 関空着
2023.09.02 EDIT
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
【12/31(土)】快晴 無風
今日は、アビラ&セゴビアの1日バスツアー。
ホテル・レジーナの前にあるセヴィーリャ駅からメトロに乗って
集合場所のスペイン広場に向かった。 -
スペイン広場駅に到着。
-
-
地上に出た。
昨日ここに来たのは、集合場所の下見がしたかったからでもある。スペイン広場 広場・公園
-
『スペインビル』 近くで見ると巨大だ。
-
まだ動いてない噴水。
-
まだクローズしている仮設店舗。
-
朝陽を浴びるマドリッド・タワービル。
-
ここが集合場所のフリアトラベル。
-
フリアトラベル内部。そんなに広くはない。
早めに着いたので、椅子に座って待機。
色々なツアー参加者でどんどん人数が増えていき、
バスが着く度にガイドが入ってきて大声でツアー名を連呼する。
呼ばれた人たちはバスに乗る為に出て行ったが
私達の乗るバスは時間を過ぎてもなかなか来なかった。
(スペインあるある) -
やっと私達のバス到着。
ちょっといかつい男性ガイドが勢いよく入ってきて
「アビーラ!セゴビーア!」と大声で連呼。(「ビー」に強いアクセントあり)
この声、未だにシッカリ耳に残っている。 -
10時頃 出発。
17人くらいのメンバー。日本人は私達だけ。
で、このいかつい男性ガイドさん、
凄いんです。
このツア-の解説を始めから終わりまで、
英語、フランス語、スペイン語(これは当然)で解説したんです。
3回同じ内容を違う言語で話すって、日本人のガイドでは知りませんよね。
どの程度達者なのかよくわからないけど、英語は聞き取りやすかった。
ツア-終了後のガイドの挨拶に、参加者から拍手喝采だった。
(数年後に行ったパリでは、更に日本語も加えて解説する強者がいて感動した)
英語だけで四苦八苦している自分とでは、頭の構造が違うように思える。 -
かなりのスピードでマドリッドをあとにして、一路セゴビアへ。
-
最前席に座ったので、このアングル。
窓越しに撮ると色が青みがかってしまいます。 -
凱旋門のような?
-
『セゴビア』 1時間45分ほどで到着。バスターミナルで下車。
セゴビアは、マドリッドから北西へ約95キロ、
グアマダラ山脈の北にあるカスティーリャ地方に位置する。
周囲は2つの川で切り立ち、天然の要塞として古くから栄えてきた。 -
旧市街は標高約1キロの岩山の上にあり、
中央にカテドラルがそびえ建っている。 -
登り坂の道をひたすら歩く。
-
セゴビアには古代から人が住んでいて、
11世紀にはカスティーリャ王アルフォンソ6世がトレドを征服後、
娘婿レーモンがセゴビアにキリスト教を広めた。
12世紀には内乱が起きたが、
移牧のルート上に位置していた為、羊毛や毛織物の取り引きで発展し、
中世期末には最盛期を迎えたという。
1520年にコムネーロスの反乱で敗北したが、経済的には発展、
しかし、15世紀に入るとカスティーリャ地方全体が衰退していった。
19世紀から少しずつ経済が持ち直していき、
今では人口も回復している。 -
サン・アンドレス門。
-
見張り塔のような門ですね。
-
門をくぐって振り返ったところ。
-
中世期から変わらない街並。
-
西の端っこに建つ『アルカサル』が見えてきた。
アルカサルの北側にエレスマ川・西側にクラモレス川が流れており、大地が削り取られたために北・西・南側は断崖絶壁。
お城のゲートである東側には深い堀があり、当時存在していた釣り上げ橋さえ上げてしまえば完全に要塞化できた。 -
結構深い谷川で、下を覗くのはちょっと怖い。
アルカサルの防御力は高く、約1000年にわたり形を変えながら、
度重なる火災に遭いながらも存在し続けている。
全体の保存状態では世界遺産アビラに劣るものの、
セゴビア旧市街北側・南側の城壁はきれいに保存されており、
城壁に沿うように遊歩道が整備されている。 -
アルカサルの門に到着。
このアルカサルのあった場所には、元々ケルト人の城があったそうだ。
セゴビアとは、ケルト語で「砦」を意味する。 -
入ったらすぐに目に飛び込んでくるこの大きな記念碑は
スペイン独立戦争の英雄ダオイースとヴェラルデの2人を支える女神の記念碑でした。下の白い像が女神でしょうね。
彼らが独立戦争で亡くなった100年後となる1908年に設置されたもの。
スペインの国旗をくわえる鷲は「鷲=フランス第一帝政の紋章」フランス軍を表現している。 -
このアルカサルは、ディズニー映画『白雪姫』の城のモデルとなったことで知られている。(知らなかった)
なるほど、そう言われればそんな感じかな。
白雪姫のストーリィは、白雪姫が森に行ってからがメインの展開になるので
魔女である継母が住む城はあまり印象に残っていないなぁアルカサル デ セゴビア 城・宮殿
-
美しく堂々たる外観。セゴビア城とも呼ばれているとか。
もともと古代ローマの要塞があった場所にあり(城の深くにローマ時代の基礎が残っている)、イスラム教徒からセゴビアを奪還した後の12世紀にアルフォンソ10世がアルカサルを宮殿に変えたのを皮切りに、
歴代のカスティーリャ国王・スペイン国王により拡張・大幅改修が繰り返され、最終的に現在の形となった。
現在のこの建物は、1862年の火災の後に再建されたもの。
中央の塔はフアン2世の塔で15世紀に追加されたもの。
塔の最上部にはカスティーリャ レオンの紋章が3箇所に見えます。
フアン2世の塔の屋上は、別料金でのぼれる展望台になっており、セゴビアの街を一望できるらしい。 -
城へ続く橋の両側にはお堀があり、深いうえに傾斜が急になっている。
この橋は当初跳ね上げ式で、侵入者を完全に遮断できる構造だった。 -
覗き込むと空堀になっていた。
チェコのチェスキ-クルムロフ城の空堀はもっと広く、
代々熊が飼われている。
ここはそれほど広くはない。 -
入場口。
-
中庭(武器のパティオ)を取り囲む回廊。
-
『武器のパティオ』フェリペ2世の時代に大幅改修された中庭のパティオ。
このパティオは独特の建築様式(スペインルネサンス様式)になっており、
最高峰のものがエレスコリアル修道院だそうだ。 -
ゆっくりと丁寧な説明を聞きながら回ることができた。
-
-
-
このような馬の鎧兜を時々見るけど、
ワケもわからず装着されても嫌がることはないのか?
重たくて窮屈だろうに・・・と思ってしまう。 -
暖炉の間。
ここには16世紀の調度品、フェリペ2世と寵愛した王女イサベル クララ エウヘニアのポートレートが展示されている。 -
そのほかにも聖母マリアの結婚式を描いたタペストリーもあったのだが
写真に写っていない。 -
玉座の間。
-
玉座。
2つの玉座と中央にカトリック両王の紋章が描かれる玉座がある。 -
玉座上の天井。
-
玉座の間にあるエンリケ4世のステンドグラス。
アルカサルのステンドグラスは中世ではなく近代に作られたものらしい、それぞれの王のストーリーが描かれていて興味深い。
因みにこのエンリケ4世は、ググると面白い話が出てくる。
頭にザクロが載っているのは「国を統治するのは甘くて苦いザクロのようだ」と言った彼の苦悩を表している。
彼の異母妹のイザベルが後を継いで、レコンキスタにも多大な貢献をした。
因みにザクロはスペイン語でグラナダという。 -
ガレー船の間 。
1474年にカスティーリャ王女イザベルが即位を宣言したり、
1570年にフェリペ2世が盛大に結婚式を挙げたのは、
この大広間だと思われます。 -
トラスタマラ朝になってから増築されたガレー船の間の由来は、
天井がガレー船の船底に似ていることから。
日本建築にも船底天井というのがあるが、いずれも空間を広く見せる効果があり、部屋全体に落ち着いた雰囲気を感じさせる。
日本の場合は、数奇屋造りの茶室など和室の天井として使われるので、規模も小さく質素な印象を受けるのに対し、こちらは大きな規模で豪華だ。 -
ガレー船の間の壁面。
-
エンリケ3世の王妃カタリーナのステンドグラス。
王妃カタリーナはガレー船の間の建築を命じた人物でもある。 -
窓からみた北側の眺望。
右下に見える教会は、ラ・ベラ・クルス教会。
13世紀にテンプル騎士団・あるいは聖ヨハネ騎士団によって建てられたといわれる12角形の教会。
丘の上にはサマラマラの町。 -
これは12世紀にアルフォンソ1世によって建てられた、サン・ミリャン教会?
-
この壁画は、エンリケ4世の死後、マヨール広場で即位を宣言するイサベラ1世を描いたもの。
描かれている市民の顔は、大人から子供まで絶望の表情を浮かべ、当時の世相を表現している -
松かさの間。
15世紀の調度品が置かれている。 -
松かさの間の天井。
天井にある松の実のモチーフはどれも異なる形状をしている。 -
エンリケ3世のステンドグラス。
-
王の寝室 。
コンパクトに見えるベッドだけど… -
近くで見ると結構大きい。
部屋が広いからですね。 -
ムデハル様式の天井。
ムデハル様式とは、レコンキスタ後にスペインとポルトガルで発展した建築様式で
イスラム建築とキリスト教建築が融合したつくりが特徴。
幾何学模様の装飾が基礎になっている。 -
諸王の広間。
ここは会議室のような? -
壁の上部には、歴代の王の肖像画ならぬ、彫像がずらりと並び
部屋を囲んでいる。 -
イタリアの女性画家ソフォニスバ アングイッソラが描いたフェリペ2世のポートレート
(エル グレコが描いた?という都市伝説もあるらしい)。
これもアップが撮れていない。 -
-
各国王の彫像の下には国王の功績がそれぞれ記されている。
アップが撮れていない。 -
この天井もムデハル様式だ。
タペストリーの説明を聞いているところですね。 -
先ほどより高い位置の窓からの景色。
-
セゴビアは毛織物の取り次ぎで発展したという事なので、その名残?
-
礼拝堂。
キリストの祭壇画がある。
ここでフェリペ2世と4番目の妻アナ デ アウストリアの結婚式が行われた。 -
礼拝堂の天井。
-
844年グラヴィホの戦いに降臨した聖ヤコブ(サンティアゴ)の祭壇画。
-
-
時計のパティオ。
対面の建物上部壁面に日時計がある。 -
時計のパティオ。
日時計の下にはスペイン国王であり神聖ローマ帝国皇帝のカルロス1世(神聖ローマ帝国皇帝としてはカール5世)の紋章がみえる。
カルロス1世は神聖ローマ帝国の「双頭の鷲」に加え現在のスペインの国章にも描かれている「ヘラクレスの柱」を初めて追加した人物。
スペイン王として、またローマ皇帝として、生涯かけてヨーロッパ全土を回り、北アフリカにまで足を伸ばしている。
多言語話者であったと言われており、カール5世の言葉として伝えられる有名なものに「スペイン語は神への言葉、イタリア語は女性への言葉、フランス語は男性への言葉、ドイツ語は馬への言葉」というものがある。 -
大砲?
-
釣鐘をさかさまにしてような短身の鋳造砲。
砲弾が本当に飛ぶのだろうか?
教会の鐘を鋳造する技術でこのような大砲も作られたらしい。
16世紀に鋳鉄製の大砲が登場する前の青銅製のもの。
青銅のことを砲金(gun metal)という由来ですね。 -
回廊に囲まれた武器のパティオに戻ってきた。
とても丁寧な説明で、ゆっくり見学できてよかった。
正面上の展望台のあるフアン2世の塔に上りたかったが、別料金なのでガイドコースには入っていなかった。 -
アルカサルの入り口脇にある階段を降りるとトイレがあり、さらに続く階段で下がっていくと古代ローマ時代に作られた基礎へつづく。
-
下の方には、写真に撮れてなかったけど、アルカサルが攻め落とされた場合に、逃げるために使う緊急時の脱出口の穴が見えた。
-
東側のファサード。
外壁はズグラッフィートという2層の対照的な色の漆喰を塗り
表面の湿った層を掻き落として線画を描く、という技法が使われている。
外壁の装飾は近くで見ないと気づかない。 -
アルカサルが白雪姫のお城のモデルになった最大のポイントが、このファンタジックな円錐形の屋根。
フェリペ2世の時代に大幅改修をした際、北ヨーロッパ風のスレート葺きとなった。 -
たまたま日本人のご夫婦と娘さん家族と、同世代の誼みなのか話す機会がありました。
ご家族はスペイン在住で、小旅行で訪れたらしい。
写真の撮りっこをしました。
ありがとうございました。 -
次は、街の中心部に向かう。
-
アルカサルからカテドラル方面の眺めが素晴らしい。
中世期に迷い込んだかのようだ。 -
中世期から変わらない狭い路地をテクテク…
-
まもなく『カテドラル』に到着。
マヨール広場に面するゴシック様式のどっしりした大聖堂だ。
「大聖堂の貴婦人」とも称される外観意匠が印象的な建物。セゴビア大聖堂 寺院・教会
-
1520年のコムネロスの乱で大聖堂が破壊された後、
1528年に建設が始まり、1768年に完成。
内部の写真がないので、撮影禁止だったのか?
多分、入場しなかったような。
今更だけど、アルカサルでの時間が長かったので
その時間の半分をこちらに回してもよかったのに… なんてね。 -
向かいのマヨール広場から全体が見える。
-
賑やかな路地をテクテク…
-
『サン・マルティン広場』
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12世紀に建てられた後期ロマネスク様式の『サン・マルティン教会』の鐘楼。
高さ53mの鐘楼とアーチが美しい。 -
サン・マルティン広場の周囲は、14世紀から15世紀の貴族の館が並ぶ。
-
サンマルティン教会全景。
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中央にはファン・ブラボ像。
-
ファン・ブラボは、1520年にカルロス1世の絶対主義に抗して反乱を起こし、
セゴビアで処刑された。 -
壁に幾何学模様の装飾がある建物が多い。
ムデハル様式ですね。 -
-
水道橋に向かいます。
-
-
水道橋が見えてきた。
セゴビア旧市街とローマ水道橋 旧市街・古い町並み
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視界が開けて『古代ローマ水道橋』の全貌が出現! 巨大!
こんな大規模な水道橋を見たのはこの時が初めてだった。ローマ水道橋 建造物
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紀元前80年にローマ帝国がセゴビア旧市街まで水を引く為、
15キロ以上離れたフェンフリア山脈など多くの水源からの水路を建設。
この水道橋は、その最終地点のもの。 -
全長728m、最も高い所で28m。
-
-
広場の中央部の橋脚に設けられた窪みに、聖母マリア像。
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セゴビアの玄関とも言える、このアソゲホ広場に水道橋はそびえ立っている。
-
水道橋を背にして広場を撮った写真。
-
ここでランチタイムとなった。
参加者5~6名程度ごとに円卓を囲んで昼食をとった。
昼食はオプション。
たいていこのようなツア-では昼食は申し込まず、
適当に済ませることにしているのだが、
この時はなぜか申し込んでいた。
料理がくるまで時間もあろそうなので、誰かが自己紹介をしようと言い出し、
自己紹介の後、自国の特徴の紹介を順番にしていった。
私達が日本の紹介をした時、UAEの若いカップルの男性が「イチロ-は有名で、
自分はファンだ」と言ったのを覚えている。
そして、イタリアの若い女性が「自分の国には誇るものが余りない」という趣旨の発言をし、みんなで全否定!
古代ローマ遺跡などが誇りと言えるこのセゴビアで、なぜそのようなこと言ったのか?
と、解せなかっったので強く印象に残っている。
(真面目そうな女性で、ジョークを言っているようには見えなかった) -
具だくさんのトマトスープ。
-
なんじゃこりゃ-ー! なんと食べかけ…
こんな写真しかないとは… (/▽\;)
同席した方達との国際交流に気を取られ、途中で慌てて撮ったのがバレバレ。
なんかの肉料理のパプリカ添え?
でも、様々な国の皆さんと和やかに会話(カタコト英語と身振り手振り)が楽しめて、いい思い出となった。 -
ランチ後、フリータイム。
-
もう一度、水道橋にやってきた。
-
水道橋の向こう側(東側)
-
-
2万個以上の花崗岩で構成されているそうですが
接合部にセメント・モルタルなどの接着剤ナシで2000年以上、崩れることないというのが驚きだ。
ローマ時代の土木技術がいかに高度だったかがわかる。
それに、崩れていないだけでなく、1884年まで使用されていたのだ。
1928年からは溝に水道管が通されたが、
現在もセゴビアの町に水を供給しているというのだから、驚くばかり。
1985年には「セゴビア旧市街と水道橋」として世界文化遺産に登録されている。 -
見上げると圧倒される。
1個はずれたら、総くずれ?? -
古代ローマ人、凄い!!!
そういえば、数年前に訪れたプロバンスにもポン・デュ・ガールがあった。
高さはポン・デュ・ガール(B.C.19年,長さ275m,高さ48m)の方が高かったが、長さと古さはこちらの方が上だ。
また、イスタンブ-ルにも同様のものがあったなぁ
ローマ帝国全盛期に彼らはヨーロッパ中に多くの水道橋を作り続けた。
その土木技術はエトルリア人が最も進んでおり、ローマ帝国は様々な文化を同化しながら繁栄を維持してきたのだろう。 -
謎の十字架。
-
集合場所がここなので、時間まで写真撮りまくり。
-
水道は旧市街に入ると地下を通り、最終的に旧市街の西端に建つアルカサルまで続いている。
-
撮影時は全く気が付かなかったが、よく見ると橋脚に設けられたニッチの聖母マリア像が、ちょうど妻の頭の上方にあたる。
これぞ神のなせる業かも?! -
この写真は、夫の頭の上からはマリア像はだいぶズレてますね。
前の写真との違いから、被写体より撮影者のほうに神が思し召しを与えた結果では? -
-
水道橋の前の広場には土産物屋が多い。
この辺の店で小さい水差しみたいな陶器を買った。 -
-
何時に集合だったかは記憶にないが、この辺に集合してバスターミナルに戻った。
-
バスターミナルの手前にある『サン・ミリャン教会』
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アラゴン王アルフォンソ1世によって12世紀に建造された。
-
この後、アビラに向かった。
-
『アビラ』到着。
アビラはマドリッドから西北西に約87キロに位置するアビラ県の県都。
標高が高く、海抜1キロ以上。
荒野の岩山の上に築かれており、長い冬は極寒で夏は短いという厳しい気候。
これは、アビラ旧市街の入口、サンタテレサ広場前の『アルカサル門』アービラの旧市街と塁壁の外の教会群 旧市街・古い町並み
-
旧市街は中世期の城壁に囲まれている。
アルカサル門前のサンタ・テレサ広場はほとんど駐車場。
バスを降りて入場し、ひたすら歩き回った記憶がある。 -
サンタ・テレサ広場にある小さなホテル。
-
アルカサル門に続く『アビラ城壁』
今も大切に残されている。 -
イスラム教徒から町を守るため12世紀に9年がかりで築きあげられたアビラ城壁。
東西約1.0km、南北約0.5kmのアビラ旧市街を覆うように囲う。
城壁の全長は2,516m。
87の小塔、9つの門がある。 -
入場。
-
アルカサル門を振り返ってみたところ。
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城壁も建物も茶色い花崗岩。
-
旧市街には司教座が置かれていた為、教会が多い。
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ホテルも多い。
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迷路のような路地を進んでいく。
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『メルカード・チコ広場』
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広場沿いの建物。
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『サンタ・テレサ修道院』
1636年に、聖女サンタテレサの生家跡に建てられた。
バロック様式に影響を受けたネオクラシック様式のファサード。
祭壇のスタイルで3層に分かれてデザインされており、
2階部分のニッチには花崗岩で作られた聖女の像が鎮座する。 -
-
サンタ・テレサ修道院のプレート。
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礼拝堂の中央にあるGregorio Fernándezによる木彫りの作品。
大きな写真がない。 -
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La Santaのチャペル。
こちらもGregorio Fernándezによる作品。 -
チャペル天井。
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-
この後、バスに戻ったのだが、一番の見どころであったアビラ大聖堂(カテドラル)には行かなかった。
時間の関係か、工事中だったのか?
いずれにしても外観すら撮れていないのはなぜなのか?
まったく記憶にない。 -
バスターミナルに戻った。
-
多分19時頃、マドリッド帰着。
-
どこもかしこもイルミネーションが華やか。
-
-
昼間とは比較にならないほどの人出。
-
フェルタ・デル・ソル広場に行くと巨大ツリーが点灯していて
昼間とは別の場所かと思うくらいの賑わいになっている。
カウントダウンに向けて盛り上がってきてる。 -
周りのお祭り騒ぎのテンションに感化されてしまったおばさん。
-
同上、のおじさん。
-
このカウントダウンの様子は毎年テレビ中継されているそうです。
-
昨日の昼間歩いた道を歩きながら、サン・ミゲル市場へ。
-
-
-
サン・ミゲル市場は、生鮮食品売り場以外の店は開いていた。
おいしそうなものを少しずつ買って、立ち食いするのがここのスタイル。
楽しそうなので、真似をすることに。 -
立ち食いする為のテーブルは、昼間よりは余裕があり
スペースが空いているところを見つけて確保。 -
人が集中しているブースの料理は美味しそうに見えて、食べてみることにした。
-
結局これが大晦日の夕食となった…(^^;
日本茶とお寿司。 両方ともかなりのお値段。
お寿司の味は・・・(*_*; -
市場のなかの別の店でサングリア、チーズとパン、ピンチョスをget。
チーズがとても美味しかった。
周りはワインやビールを楽しんでる人ばかりだけど、私達はサングリアだけ。
ま、雰囲気は味わえました(^^♪ -
マヨール広場にやってきた。
やはり夜はイルミネーションがキレイ! -
特に大晦日の夜は特別なんでしょうね。
-
-
プエルタ・デル・ソル広場に戻ってきたら、さっきより人が増えてました!
-
また、カウントダウンの頃に来ようか、とホテルに戻ることにした。
-
ホテル・レジ-ナ前で撮影。
振り向けば、夜空に三日月?半月?
このビルはホテル・フォーシ-ズンズ。 -
同じく道路向かい側の歴史的なビル。
オフィスビルのようだが、このような重厚なファサ-ドのビルがいくらでもある。 -
お月様を眺めながらホテルに戻るも、
私(妻)は部屋に戻るとドッと疲れが出てしまい
カウントダウンに行く気力も体力もゼロ。 バッテリー切れ。
結局、外の喧騒を感じながら、カウントダウンはテレビで見ましたとさ。
まぁね、こんな年越しもいいかも?
明日は元旦。高速列車でトレドに向かい、パラドールで一泊します。
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