2022/11/15 - 2022/11/15
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たびたびさん
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今日は、小樽の三日目。北運河の近くに取っていた宿を早朝に出発して。その近場からの散策です。
楽しみにしていた鱗友朝市の朝市食堂での朝飯が期待通りかなり上質。昨日の三角市場の滝波食堂の晩飯がイマイチだったのですが、これで完全に帳消しになって、朝からテンションが上がりました。
さて、散策の目的は引き続き小樽市指定歴史的建造物が中心ですが、やっぱり倉庫が多い。まあ、運河と倉庫は小樽の基本ですからね。
ここで、小樽のこと。北海道の歴史で考えると江戸時代の松前藩からの流れでいっても北海道の始まりは函館。幕末に開港されたこともありますけど、北海道の開拓が重要政策の一つとなった明治期の第一歩、北海道の行政は函館に置かれた箱館府からです。早くも明治4年には札幌に開拓使庁が置かれ、北海道の行政は札幌に移り、積極的な移民の奨励や屯田兵の制度などによって札幌を始め北海道の人口は急速に増えていきますが、それでも、明治期を通じて北海道で一番多い人口は函館でした。ちなみに、札幌が人口で函館を抜くのは1940年(昭和15年)。小樽を抜くのでも1920年(大正9年)のことです。つまり、官主導の開拓政策はあっても、実態としてはまずは人が住みやすい港町から開けていったことが窺われます。そして、改めて小樽ですが、小樽と札幌を結ぶ手宮線の開通は明治13年。北海道の炭鉱の走り、幌内炭鉱の開坑は前年。夕張炭鉱は明治25年です。もともとあった港町としての有利な立地に発展が加速し始めた札幌や炭鉱などとの関係が重なって、小樽が繁栄する基礎的な条件はもしかしたら函館以上に揃っていたような気もします。そして、それに目を付けたのが鉄道の敷設によって主役を奪われつつあった北前船の船主たち。失地回復の場として、小樽の倉庫業に進出したのは案外自然な流れだったのかもしれませんね。
ところで、初期の倉庫は木骨石造という骨組みは木で外壁が石というもの。石は小樽近郊で採れる軟石なので入手が容易。木骨は工期が短く建築費が低く抑えられることもあったようです。これに木骨煉瓦造が交じったり、大正中期以降はモルタル塗りやタイル貼り、鉄筋コンクリート造りが主流となる。その変遷を頭に入れて眺めるというのも面白いかもしれませんね。
ほか、心に残ったのは小樽文学館。小樽文学界の豊かさは小樽の繁栄に応じた人の流入の賜物なのですが、その一見華やかな動きの裏側には一攫千金を目論む思惑のほかに食い扶持を求め厳しい北海道に渡らざるを得なかった人々の苦悩もある。小林多喜二のルーツや石川啄木らにもそれと重なるものがあると知って、ちょっと考えさせられました。
そして、1日の最後は夜の小樽運河クルーズ。この時期は小樽ゆき物語で小樽運河が青の光で照らされる「青の運河」をやっていて、また一段とロマンチック。暗闇の中、波ひとつない静かな運河を滑るように進むクルーズ船には、周囲のライトアップされた倉庫群が次々と目の前に迫ってくるし、水面に揺れる光の影もほどよく幻想的。運河から小樽港の方に抜けて海に出るドキドキ感も意外で、ちょっと想像以上の楽しさでした。一方、栄光の時代に築かれた建物群が今度はこうして大きな観光資源ともなっている。小樽の街の幸運さにも思いを馳せました。
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今日も天気はイマイチですが、まあそんなことを考えていてはやってられません。とにかく、歩いて歩いて歩き倒しますよ~
まず訪れた旧日本郵船(株)支店長社宅は、一般の住宅地の中。奥まった場所の石垣の上に建っています。明治末期に建てられた木造1階建の建物は古風な和風の玄関部とその横に洋風の建物がくっついたミニマムな建物。小樽市指定歴史的建造物第57号ですが、正直、かなりボロボロです。 -
ここから鱗友朝市へ。この辺りは、北運河の北端エリア。
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観光の中心地からはけっこう離れているので、一般の観光客は少ないかもしれませんね。
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場内の朝市食堂で
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イチオシ
ホタテといくらのどんぶりをいただきます。鮮度も抜群だし繊細な仕上げ。やっぱりこうじゃないといけません。いくら北海道でも、大盛ドカーンならいいだろうというのは大きな間違いです。
市場は小さいですが、その分、落ち着いていただけるのもいいと思います。 -
ここからは北運河北端も倉庫群。
北側から、旧右近倉庫、旧広海倉庫、旧増田倉庫と三つの倉庫が並ぶ倉庫群の景観があって、これは一番北の旧右近倉庫。明治27年に作られた大型の倉庫で、小樽市指定歴史的建造物第65号。正面妻壁に「//」の印があって、北前船主、右近権左衛門の店印「一膳箸」なのだそうです。 -
旧広海倉庫は、真ん中。加賀に拠点を持つ海運商、広海二三郎が明治22年に建てたもので、小樽市指定歴史的建造物第66号。
屋根の中央と両側に段差を設けて採光する構造です。 -
旧増田倉庫は、一番南。明治36年に建てられた倉庫で、小樽市指定歴史的建造物第22号。この倉庫は褐色の石積がおしゃれだと思いますが、
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三つの倉庫はまあまあそれぞれが個性的です。
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少し進んで、これは運河公園。ここも北運河沿い。旧日本石油(株)倉庫や旧日本郵船(株)の小樽支店や倉庫に囲まれていて、この公園自体も石畳になっているので、石、石、石。公園の全体が石の構造物のような印象です。もしかしたら、かつては運河と一体になった荷物のヤードとかになっていて頑丈な造りになっているのかもしれませんけどね。
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運河公園の一角には、赤い靴 親子の像。
なんでこんなところに?という感じなのですが、モデルの「きみ」ちゃんの母が再婚した相手は鈴木志郎。その鈴木志郎が童謡「赤い靴」の作詞家、野口雨情と出会い、ここ小樽日報社で机を並べていたという縁。野口雨情はそこからきみちゃんの話を聞いて作品を作ったということですから、なかなかのゆかりですね。 -
旧日本石油(株)倉庫も運河公園の端っこ。
大正9年築、木骨石造1階建の倉庫。小樽市指定歴史的建造物第53号です。何棟か建っているのですが、中には新しく建て直された倉庫もあるみたい。また、内部を公開することもあるようです。 -
運河公園の奥、旧日本郵船(株)小樽支店の並びに建つ残荷倉庫。明治39年、日本郵船(株)小樽支店と同時に建てられ、小樽市指定歴史的建造物第54号。入口が大きく開いていたので中を覗いてみましたが、なんかがらんとしたもの置き場。なかなか活用は難しいような感じです。
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運河公園から北運河に出たところに、手宮仲通の案内板が建っていまして。
小樽運河の歴史が書かれていますが、結局、手宮仲通は北運河の西側に沿った通り。北運河は半分の埋め立てを逃れた場所なので、この手宮仲通の景観がかつては運河全体に見られたということ。そんな視点で眺める通りかなと思います。 -
今度は小樽運河を挟んだ海側。埋め立て地のエリアに移動して、これは色内埠頭公園。中央下水終末処理場の処理施設の上部を活用した公園のようですが、公園というより運動場みたいな感じ。広々としていてちょっと殺風景かな。それに、小樽市街からは運河を回りこむ必要があって、意外に遠いです。
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そこから見える旭橋です。
運河と海を結ぶ水路に架かるアーチの橋。この水路は、運河が隆盛だったころは多くの艀が行き来していたんでしょう。そんなことを思いながら眺めるとまた違った印象になると思います。 -
手宮仲通に戻ってきて。
北運河から南に向かいます。 -
北浜橋は、小樽運河に架かる4つの橋の一つ。北側から北浜橋、龍宮橋、中央橋、浅草橋の順。北浜橋だけは北運河の中なので小樽運河ができた当初の面影を残す橋ということになります。人道橋で北海製罐に向かう人が歩いて渡っていました。
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北浜橋を飾るのはカモメ呼ぶ少女像。小樽出身の彫刻家、斎藤吉郎さんの作品で、伊藤整文学賞の受賞者にはこのブロンズ像が贈られるのだとか。カモメの姿はありませんが、視線の先にはカモメがいるのでしょう。少女の伸びやかなスタイルが印象的です。
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北浜橋のたもとには、旧渋澤倉庫。明治25年頃に建てられた木骨石造1階建。小樽市指定歴史的建造物第20号です。
渋澤倉庫は、あの渋沢栄一の澁澤倉庫。浅草橋の近くにも澁澤倉庫があって、小樽には複数残っているのですね。こちらの方は、おしゃれなカフェとかが入る商業施設となっています。 -
北海製罐の建物を見ながら
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さらに南下。
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竜宮橋までやってきました。この橋は竜宮通りを通していて、浅草橋からこの橋までが運河が半分埋め立てられたエリアになります。北海製罐の倉庫があって、北海製缶の建物群もここで終わりです。
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対岸に建つ旧大家倉庫は、小樽市指定歴史的建造物第1号。明治24年、石川県出身の海産商、大家七平が建てた倉庫。外壁には札幌軟石を使用し、妻壁にはやましちの印。越屋根と入口部分の二重アーチもすっきりとしていて、まだまだ若々しい印象があるように思います。
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少し運河を離れて、市街の方へ。
田中酒造本店は、昭和2年に建てられた木造2階建ての建物で、小樽市指定歴史的建造物第36号。
もう100年近くたっているのでかなり古いはずなんですが、漆喰の白さがあるのでそこまでの古さは感じませんね。まだ営業前の時間だったので中には入れませんでしたが、中を見るとまた印象が変わったかもしれません。 -
ここで小樽市博物館に向かいます。
その前に、これは小樽イルポンテ。小樽市博物館の北隣りです。 -
ガラス工芸品のショップで、入口では金魚の泳ぐ水槽のガラス工芸がお出迎え。ショップの方ではかわいらしい系の商品が豊富にそろっています。
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奥に見えるのは吹きガラスの体験工房ですね。
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では、小樽市総合博物館 運河館へ。
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久しぶりの訪問ですが、ここでもう一度小樽について頭の整理をしたいと思います。
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小樽の歴史をアイヌ語から付けられたオタルナイの頃から、
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北前船の時代。
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北前船って、江戸時代のイメージが強いんですが、明治期に入って30年代くらいまで続きます。なおかつ、北前船の終点は江差だったのですが、それが小樽まで延伸されたのは明治3年のこと。江差は天然の良港ですが大型船には不向きだし、松前藩の政策もあっての繁栄。自由な競争原理のもとで小樽が着目されたのは当然のことだったかもしれません。
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小樽運河と倉庫群の登場、
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イチオシ
ニシン漁の活況や北のウォール街としての発展もコンパクトに解説しています。
ニシン漁のピークは明治30年ごろ。小樽の北前船が華やかなりし時代とぴったり重なります。 -
明治政府の政策で北海道には多くの移民や屯田兵もやってくる。また、北海道の開発が進むとその産物の交易も盛んになるという流れ。
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そして、そうした恩恵を最初に受けたのは港町である函館や小樽。
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札幌と鉄道が結ばれたり
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好条件が重なったことは冒頭にも触れたとおりです。
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ほか、動植物や
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イチオシ
縄文時代の土器なんかも美しく展示されていました。
ただ、一方で、北海道の開拓の歴史の中での札幌や函館と小樽の関係性とかについてはほとんど触れられていない。冒頭に述べたことも含め、別途、私的に補完したり整理してコメントしましたが、日本の中での小樽、少なくとも北海道の中での小樽という視点がないと、ただかつては信じられないくらいの栄光の時代があったというだけで終わってしまう。もう少し工夫の余地があるのではないかと感じました。 -
運河館から今度は小樽港へ。といっても小樽は町全体が港みたいなものですからね。これは中央通りからまっすぐ海の方に出た観光船乗り場のターミナル。冬場でもう営業はやっていませんでしたが、観光客にとっては小樽港の中ではここが最も関係する場所かなと思います。
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篠田倉庫は、小樽運河の東側。大正14年に建てられた木骨煉瓦造2階建の倉庫で、小樽市指定歴史的建造物第63号。入口に「半額専門店」と書かれた目立つ看板があって、飲食店も含む商業施設として活用されています。小樽運河の反対側の道路沿いは裏通りっぽい感じになっているので、こうした活用はもっと進められるといいなと思います。
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ここから日銀通りを上がって、市立小樽美術館へ。昨日は休館日だったんですよね。
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中村善策記念ホール、一原有徳記念ホールを拝見します。
いずれも小樽市ゆかりの作家。中村善策は風景画家。小樽の街並みとかを自然なまなざしで描いていて地元愛も感じる作品が多いですね。一原有徳は版画家。どこかの工場みたいなアトリエで生み出されたメカニックな作品はかなりくせが強いです。 -
そして、同じ建物の市立小樽文学館へ。
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入り口を入って、奥へ。
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イチオシ
小樽ゆかりの文学者を紹介していますが、その数の多さはちょっと驚き。小林多喜二、伊藤整の有名どころから、石原慎太郎、岡田三郎、早川三代治、左川ちか、石川啄木などなど。
これは石原慎太郎。 -
子どもの頃の手作り絵葉書。
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岡田三郎は松前町出身。徳田秋声に師事し、「巴里 叛逆者の告白」など。
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早川三代治は小樽出身。ドイツに留学。シュンペーターに面会、指導を受けた経済学者でも。
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小林多喜二に
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石川啄木は有名どころです。
文学館の人に「小樽って、尾道と似ているような気がしますね」と話しかけると、「いやいや、そんなに甘くはないですよ」と話が展開して。。小林多喜二であってもそのルーツを辿れば秋田県。食い扶持を求めて小樽に移ってきたという人の流れがあって、そうした中からゆかりの文学者が現れている面があるのですね。
尾道は出身の林芙美子だけではなく、志賀直哉とか街の魅力が目に留まりゆかりができるというものですが、確かにちょっと違うかな。
一方で、石原慎太郎と小樽はあまり意識したことはなかったですね。少年時代の絵を寄贈したりしてくれたのもそうですが、最後は裕次郎氏に小樽愛をちょっと対抗しているようなところもあったのではないかということでした。 -
これは松前町出身、伊藤整の仕事場。チャタレイ裁判は有名です。
ここで、小林多喜二の文学碑の話が出て、「天気も悪いし行かないつもりでいます」と話をしたら、「それはもったいない。小樽では一番大きな碑だし、是非」ということで行ってみることにしました。冬季は閉鎖されるので、行けるのは今日まで。それも何かの縁かなあと思いました。 -
ということで、小樽駅に向かいます。
その途中、旧丸ヨ白方支店へも。都通りアーケードの中ほど。現在の積丹町で創業した酒醸造店、丸ヨ白方の支店で、明治末期から昭和6年に建てられた一部木骨石造3階建の建物です。小樽市指定歴史的建造物第81号。二階と三階の窓を一体としたデザインでそれが連続的に配置されていることで、とても精緻な印象。かなり思いのこもった建物のように感じます。 -
小樽駅からバスで最寄りの駅、小樽商大前まで。そこから2キロ強あるのですが、さらに旭展望台に続く山道を登っていきます。
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イチオシ
小林多喜二文学碑は、旭展望台からすぐの駐車場脇の小高い場所。小樽ゆかりの文学者としては一番有名なだけに、この碑も大きくて立派なものでした。
レンガのように石を積んで、力強く顔がはめ込まれた独特のデザイン。「1933年2月20日築地警察署に逮捕され拷問をうけ死亡」の最後の碑文が重いです。プロレタリア文学の代表作「蟹工船」の世界を地で行くような感じですが、たぶん、人権という言葉もまだなかった時代。自由や民主主義も人権が守られなければ絵に描いた餅。あんまり政治の話はしたくないですが、野党の看板はこれであるべきなのに、例えばいじめの問題とかも野党はあんまり積極的ではないような。辻本清美とか蓮舫とか。せめてそういうところを必死でやってくれると共感されると思うんですけどね~ -
そして、これが旭展望台。標高190m。小樽市街を一望するには絶好の展望台です。
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小樽築港辺りから小樽駅や中央通りの中心部までの街並みや小樽港沖合の堤防まではっきりと確認できますね。
ただ、市街から地獄坂を経由して歩いてくるのはちょっと無理ですね。小樽商大前までバスで来たのは正解です。 -
しかし、帰りは下り坂なので歩いて。
地獄坂は、小樽市街から小樽商科大学へ向かう約1.5Kmの長い坂道です。
これは最後のところ。一直線になって市街に下りていく感覚がちょっと印象に残りました。 -
イチオシ
坂道の終わった辺りを脇道に入ったところ。小樽カトリック富岡教会です。
美しい外観ですが、昭和4年に建てられたゴシック様式を取り入れたデザイン。
正面の玄関部から上部の尖塔アーチ、八角小塔を積み上げた感じがちょっとドラマチック。それでいてカラフルな色調はメルヘンチックだし。いろんな要素を融合して、インパクトのある建物となっているように思います。 -
小樽市指定歴史的建造物第70号。ただ、外観に比して、内部は意外に質素で普通感がありました。
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ここから船見坂の方に移動します。
これは、旧島谷汽船(株)社長宅。船見坂からでもけっこう山の方。一般の住宅街の中にありました。石垣の上の敷地に上がると廃墟となった家屋が現れますが、玄関から二階建ての木造母屋は純和風で堂々としたもの。昭和2年に建てられ、小樽市指定歴史的建造物第55号です。 -
そして、これが船見坂。もう市街はすぐそこです。
小樽の街でも屈指の急坂。15°の勾配があるという標識が立っていて車の運転でも気を付けてということなんでしょう。市街から海に抜ける通りの眺めがいい感じ。ここで映画やドラマの撮影が行われるのもわかる気がします。 -
坂を下った先。線路を越えると龍宮神社です。
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イチオシ
こちらは、北海道開拓使の榎本武揚が創建した神社。社殿の正面には榎本武揚直筆の書。榎本武揚の金色の銅像にその生い立ちや人柄を紹介する駒札も。北海道の発展のために献身的に尽くした生涯。感謝する気持ちが湧いてきます。
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市街に入って。
渡邊酒造店は、昭和5年に建てられた木造3階建の建物。木造ですが、外壁に褐色のタイルを張っているので鉄筋コンクリートかなと思ってしまいます。酒造店らしからぬ建物ですね。角地に建ってけっこうな存在感。小樽市指定歴史的建造物第37号です。 -
なると屋の辺り。梁川商店街の通りです。
運河画廊 藤森茂男の店は、埋め立てられようとしていた小樽運河の保存に力を尽くした藤森茂男氏のお店。運動を続ける一方で、デザイナーとして描き遺した運河の原画の数々を拝見するとその思いは半端ではない。観光の街、今の小樽の恩人です。
この通りには、若鶏の半身揚げのなると屋もあるんですが、この日は、友和のパンをいただきました。シュガーの揚げパンがふかふかでした。 -
あともう少しですなんですが、
旧早川支店は、新潟出身の川又健一郎が茶、紙、文房具を商う早川商店から暖簾分けを受けて始めたもの。建物は明治37年築の木骨石造2階建。大火後の建物だけに、防火に視点を置いた重厚感のある外観。小樽市指定歴史的建造物第15号です。 -
旧磯野支店倉庫は、明治39年、佐渡出身の商人である磯野進によって建てられた煉瓦造2階建倉庫。明治37年の大火後の建物であり、煉瓦積み・瓦屋根も防火に配慮したもの。
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煉瓦の赤が今でも美しさをアピールできていると思います。
小樽市指定歴史的建造物第83号。 -
さて、これで予定していたところはすべて完了。旭展望台を加えましたが、なんとかかんとか行けましたね。
あとは、夜の小樽運河クルーズ。予約を済ませて、日没を待ちますよ~ -
で、その間に晩飯は、COTARU。
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スパイスの効いた普通においしいカレーでした。
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日が暮れてきました。
小樽運河クルーズの乗り場、中央橋からの眺めです。小樽運河の眺めは浅草橋からの眺めが一番有名ですが、あっちは澁澤倉庫がリニューアルされて風情がちょっと落ちました。今はこちらの方が雰囲気がいいような気がします。 -
さて、船に乗り込みます。
知床の事故がありましたけど、こちらは外洋には出ませんからね。安心感は全然違います。 -
暗闇の中を静かに船は進みます。
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クルーズ船は初めてですが、この感じはかなりいいですね。
未知の世界に向かって漕ぎ出す。ちょっとした探検にでも出かけるようじゃないですか。 -
旭橋をくぐって
運河から小樽港の中に移ります。 -
小樽港の中も波はなし。
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静かに進む船に変わりはありません。
なお、小樽の街の明かりを遠目に見れましたが、私は反対側の席に座っていたので写真はなしです。 -
再び運河へ。
北運河の方から南に向かいます。 -
あんまり意識したことはありませんでしたが、北運河の方の街灯は昔ながらのガス灯。
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暖かくぼうっと光って
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青いライトアップとのコラボが
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より映えるように思います。
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北運河を抜けると運河の幅は半分の20mとなります。
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ただ、北運河の方は船が係留されているので
それがない分、こちらの方がすっきりしているんですけどね。 -
ちなみに、この青いライトアップは小樽ゆき物語の期間中だから。
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今だけ見れるレアな眺めです。
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浅草橋までやってきて
船はここでUターン。 -
ググっと回って
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中央橋の方を向きました。
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イチオシ
もう終盤かな~
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ライトアップされた倉庫の方も
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イチオシ
レンガの壁が美しい。
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内部の光が漏れていますが、
中はレストランかな~ -
あ、もう終点です。
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ゆっくりと桟橋に横付けされて
無事に帰ってきましたよ~ -
ほどなく次の船も入ってきました。
お疲れ様です。 -
せっかくなので、夜の市街ももう少し。
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イチオシ
こちらは、ロマネスクイルミネーション。
日本銀行旧小樽支店ほか北のウォール街がライトアップされていて、これも定番中の定番です。 -
さて、今夜の宿は、グリッズプレミアムホテル小樽。日銀通りの上手です。
便利な場所だし、しゃれたロビーの明るさにもほっとします。 -
明日は水族館のある小樽の祝津地区から小樽市総合博物館、手宮公園ほか。最後は札幌に入ります。
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