2022/09/17 - 2022/09/18
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jh2fxvさん
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この旅行記のスケジュール
2022/09/17
この旅行記スケジュールを元に
『東日本大震災・原子力災害伝承館』を見た後は、そこから自動車で5分程の場所にある『震災遺構・浪江町立請戸小学校』に向かいました。
東日本大震災による福島県の被害だと、福島第一原子力発電所の事故ばかりクローズアップされがちですが、地震や津波の被害も受けていることを忘れてはならない。
2021年10月24日から一般公開として開館した、浪江町にある『震災遺構・浪江町立請戸小学校』は、大津波により小学校周囲にあった集落は消滅したが、当時通っていた児童93名(うち1年生11名は帰宅後で在校は82名)は、教務主任の迅速な判断と児童の協力により、奇跡的に全員無事避難することができたものです。
その大津波被害を受けた11年前当時のままの姿を保存しています。
震災遺構・浪江町立請戸小学校
https://www.tif.ne.jp/jp/spot.html?spot=7595
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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『原子力災害伝承館』を出て、津波で更地化した道を走る。
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復興で再建された建物はどれも真新しくきれいで、これだけ見たら、ここが悲劇の場所とは感じられない。
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ここから先は南下することができない。
ナビはここを進めって案内しますけど・・・この先には福島第一原発があります。 -
こういったバリケードや通行許可証が必要な道路は原発周辺の国道沿いや田んぼ道に数多くみられます。
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草むらに埋もれた線量計は0.080mSvを示してます。
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何もない北海道みたいな原野をドライブ・・・
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遠くで整地工事をされている景色を見ながら・・・
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堤防の上をランニングする人もいた。
民家もない広大な原野と海沿いの堤防・・・なぜか絵になる光景。 -
海に程近い原野の真ん中にポツンとあったのが『震災遺構・浪江町立請戸小学校』
小学校の周囲に人家は一軒も無く、この建物が無ければ、ここは何だったのかもわからない場所です。震災遺構浪江町立請戸小学校 名所・史跡
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福島県最初となる震災遺構で入館料は300円。
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平成10(1998)年2月定礎となってます。
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校舎は安全性に配慮しながら、被災当時の姿を保って保存されています。
2階のベランダには津波の高さを示す表示がありました。 -
それでは校舎内1階に入ります。
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校舎内は1階から2階へ廻る順路となります。
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通路左側は教室、右側は空間になっていて以前何があったのかはわからない。
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教室内にあった机やイスは流されてしまったようで何もない。
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大きな空間と天井が剥がされたむき出しの校舎内。
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壁はコンクリート向き出しになり、押し寄せた津波で剥がされてしまった感じ。
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壁に幾つも楕円形の模様があるが、これが内装を接着していた痕跡かと・・・
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放送室のミキサーが錆だらけで転がっていた。
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配電盤みたいな機械も倒れ掛かったまま。
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記録によりますと、2011年3月11日14時47分に『早く校庭へ出なさい』と校内放送があり、児童達は校庭に避難した。
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同14時54分、校内にいた2年生以上の82名全員が校庭に避難したことを確認後、教務主任の先導で避難場所に決めてあった大平山に向けて避難を開始したとある。
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先生と児童は懸命に走り、大平山の麓までたどりついたが、その先の道がわからなかった。
しかし、1人の児童が山への入口を知っていたことで全員山へ登ることができた。 -
給水タンクも大破したまま転がってます。
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水道の蛇口も先端が潰れて曲がっています。
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小学校の玄関、一般公開にあたり、瓦礫を撤去したとは思われるが、下駄箱は無事に残っている。
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2011年3月11日、体育館では2~6年生は学校にいて卒業式の準備などをしていた。体育館の床は穴があき、卒業証書授与式の看板がステージに付いたまま時間が止まっていた。
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破壊された給食室は残骸が積み上がり凄い状態になってます。
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2階の通路は天井はそのまま残っている。
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男子トイレの入口。
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津波が来る前の請戸地区の航空写真では半農半漁の集落だったことがわかる。
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それが大津波で請戸小学校や一部の建物以外は全て流された。
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大きな時計も変形して針も無くなってます。
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外の校舎の階段には瓦礫が残ったまま。
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津波避難用のモニュメントには校舎と同じく津波の高さを示す表示がありました。
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