2022/05/16 - 2022/05/22
459位(同エリア3722件中)
薔薇の咲く庭さん
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ハウステンボスで異国情緒を満喫した後で、長崎にやってきました。目的はグラバー邸のコーヒーと軍艦島です。子供たちがまだ小学生だったころに訪ねて飲んだグラバー邸のコーヒーの味がとても美味だったようで、機会あるごとに「グラバー邸のコーヒーはおいしかった」パートナーが言います。それでは「もう一度飲みましょう」ということでグラバー邸を尋ねました。
軍艦島は以前から、草木の一本もない石炭を掘るためだけの島は本当にあるのだろうか?と疑問を持ち、一度訪ねてみたいと思っていました。季節を選ばないと上陸はできません。一番上陸できる確率が高い月は4月。5月も確率は悪くはありません。年間約100日は上陸できない日があることが行ってみてわかりました。訪れた日は無風の穏やかな快晴の日。ラッキーでした!
5月16日 ハウステンボス
5月17日 ハウステンボス
5月18日 大浦天主堂 グラバー園 オランダ坂 新地中華街
5月19日 軍艦島 出島 眼鏡橋 稲佐山展望台
5月20日 鳥栖駅 由布院
5月21日 辻馬車 人力車 金鱗湖 フローラルビレッジ
5月22日 由布院足湯
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- JALグループ JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ハウステンボス駅から快速に乗り、海岸に沿った線路を電車は凄いスピードで走ってきます。海がきれいです。
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1時間24分で予定通り長崎駅につきました。そこから路面電車に乗り換えて新地中華街駅まで来ました。中華街の門です。長崎の宿はJALシティー長崎です。荷物を置いて出かけました。
長崎新地中華街 名所・史跡
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路面電車に乗って7分、大浦天主堂駅から歩いて天主堂に向かいました。鹿児島の中学校の修学旅行生たちがたくさんいました。大浦天主堂の中に入るのには1000円かかりました。
大浦天主堂 寺・神社・教会
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聖母マリア様の道が入り口にあります。台座には日本の聖母と彫られていました。
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19世紀の開国後に居留地に来日した外国人宣教師によって1864年に建てられました。現存する最古のゴシック様式の教会です。今から約58年前。白亜の外壁が美しいと思いました。
1865年に2世紀以上にわたって密かに信仰を継承していた浦上村の潜伏キリシタンが神父に信仰を告白しました。信徒発見の舞台です。これを契機に潜伏キリシタンの宗教的伝統が終わりを迎えたそうです。 -
大浦天主堂を出て坂を下り、左に折れて坂を上るとグラバー園の入り口がすぐ近くにありました。アーチになっていて素敵な感じです。
グラバー園 名所・史跡
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前回来たときの記憶はほとんどありません。前方を見て驚きました。上りエスカレーターがあるのです。これがあると息を切らして坂を登る必要がありません。
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少し行った先にもエレベーターがあって、ずいぶん楽にグラバー園に上ることができるように変わっていました。前回尋ねたときにはエレベーターはありませんでした。
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もらった地図に、全部で10カ所の建物の見学場所が書いてありました。一番高い場所にあったのは旧三菱第二ドックハウスでした。前の庭に池があり、コイが泳いでいました。
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眼下には港が見える景色です。その庭にコイが泳いでいるとは、とても優雅だと思いました。
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ここへ来たのは旧自由亭で港を眺めながらコーヒーを飲む目的だったのですべての建物を見学する予定はありません。せっかくなので旧ウォーカー邸に入りました。
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グラバー邸が作られたのは1863年なので、この建物もその頃に建てられていると思います。建築された年は書いてありませんでした。
時は幕末です。ずいぶんモダンな建物だったと思います。 -
坂を下ってきたて、山の中腹辺りに旧自由亭がありました。事前に調べた結果ではここのコーヒーが一番評判がよかったのです。ここに入ることにしました。
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残念ながら港は写っていません。しかし、ここで港を見ながら飲むコーヒーの味は格別でした。ここまできた甲斐がありました。
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草野丈吉さんの説明がありました。日本で初めて西洋料理を開拓した人だそうです。
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自由邸の前に草野丈吉さんの銅像が置かれていました。写真に収めてきました。
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絵はがきになる建物グラバー邸。美しい建物です。前回来たのは30年位前ですが、全く変わっていないように思いました。維持管理がとても良いのです。
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ここでも着物姿のお嬢さんを見かけました。着物でエレベーターに乗って上がってきたんですね。下りのエスカレーターはありませんから下るのは大変かも?
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眼下に港が見えます。グラバーは毎日この景色を眺めてここで暮らしました。前回、ここに来て見たこの景色は記憶に残っていました。とても素敵な景色です。高台に家があるのはいいですね。
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建物の中の食堂です。グラバー邸は1863年に建築された現存する日本最古の木造洋風建築です。日本瓦や漆喰が使用されて、広い石畳のベランダにかかるアーチ型の欄間が特徴です。グラバーと息子の二代が暮らしました。
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入り口のすぐ脇の南側に温室ありました。グラバーは植物が好きだったんですね。
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ここは家族や知人が集う部屋だったそうです。スコットランド出身の貿易商だったグラバーは日本に西洋技術を伝え、当時の日本の主要産業の近代化に貢献しました。
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グラバーにはハナと言う名前の娘と富三郎の息子がいました。ここでくつろいでいる写真があります。
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ベランダで過ごす様子の写真もありました。長崎港が見える最高のロケーションです。
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ここは寝室です。
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グラバーの系図がありました。正妻ツルとの間に産まれたハナの子孫は現在に続いています。息子の倉場富三郎の子孫はいないようです。
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グラバーは大変有能でした。20代の時に日本にスコットランドから来ています、日本語が流暢で高い階級の日本人と友好関係にあり尊敬されていたそうです。
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説明書きです。
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グラバーは商売が上手であることに加えて日本の近代化のために、留学を援助して人材の育成をしています。
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グラバーはコミニュケーション能力がとても高かったんですね。出島にある「旧長崎内外クラブ」も作っています。明日出島へ行きますが、是非、入ってみたいレストランです。
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息子の富三郎はアメリカに留学しています。グラバーの後を継ぎ、日本国籍を取得し、「倉場」と名乗りました。
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息子の富三郎の偉業ついて書いてあります。顔立ちがグラバーに似ています。
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厨房から外へ出てみると、そこには花壇がありました。グラバーが住んでいた当時もここに花壇があったのかはわかりませんが、裏庭に花を植えるなんてなんて花好きな人なのでしょう! 娘の名前がハナですから。
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確かにきました。記念撮影
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グラバー邸を少し下ったところに見晴台がありました。ここからは何の障害物もなく長崎港を見ることができます。
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グラバー邸の坂を降りていくと、軍艦島デジタルミュージアムがあります。ここには軍艦島の様子が分かる資料が展示されています。30メートルの大画面に軍艦島に住んでいた人々が持っていた写真が投影されていました。
軍艦島デジタルミュージアム 美術館・博物館
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ビルの谷間の広場で催しが行われています。ずいぶん賑やかな感じがします。
島の大きさは南北に480m、東西に160mの小さな島です。 -
これはお祭りのようです。お神輿を担いでいます。表情が明るくて楽しそうです。
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軍艦島の建物は最初は木造だったそうですが人口が増加して狭い島で多くの人が生活するために1916年に日本初の鉄筋コンクリート造りの高層住宅が建設されました。この写真は台風か何かの影響を受けて木造の家が壊れているのをみんなで見ている写真ではないでしょうか?
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軍艦島は外海にあるために台風をもろに受けます。10メートルの高さの岸壁も波が乗り越えて島の中まで入ってきたそうです。
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炭鉱の中で働く人々の様子が写真に残っていました。楽しい表情で石炭を掘っているのですね。
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石炭があるのは海面が1000メートル以上の地点です。勾配がきつく、気温30℃、湿度95%と言う悪条件の下、ガス爆発など常に危険と隣り合わせの仕事で過酷だったそうです。
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ここで解説をしてくださった方は、軍艦島生まれで中学校まで軍艦島にいたと言う方でした。「遊ぶものがたくさんあって不自由した覚えは無い」とおっしゃっていたことが印象に残っています。
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出炭量が増加するにつれて人口も増加し、狭い島で多くの人が生活するため1916年には日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅が建設されました。最盛期には5300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度に達したそうです。
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軍艦島は日本一のテレビ普及率を誇っていました。日本の全国平均が10%の時に、軍艦島のテレビの普及率は100%です。竿が立っているように見えますが、すべてアンテナです。
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飲み水は最初は海水を蒸留して使っていたそうです。しかし人口が増えて足りなくなり海中ケーブルを通して水を引くようになりました。世界一長い海底水道施設です。
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昭和33年(1958年)に建設された小中学校は7階建てだったそうです。1階から4階までが小学校、5階と7階が中学校、6階に講堂、図書館、音楽室があったそうです。7階には理科室や特別教室がありました。給食も行われていたそうです。
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軍艦島には土がなかったので植物を育てる場所がありませんでした。そこでPTAなどが協力してアパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てました。これが日本初の屋上菜園だったと言われています。「緑なき島」にはしたくなかったのでしょうね。
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1916年(大正5年)に建てられた30号棟アパートは、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートと言われています。6畳一間でした。解説をしてくれた方は3階に住んでいたそうです。裕福な暮らしをしていて、お正月とお盆にはいつも新しい洋服を着ないと外に出ることができないと思っていたそうです。洋服はどこで買うんですか?と聞くと地下にお店があったそうです。何不自由なく、そういうものだと思って暮らしていたそうです。
小学校の運動会もやったそうですが、50mトラックが斜めにしか取れなかったとおっしゃっていました。 -
部屋の中にはテレビがありました。島にはパチンコ屋さんやバーもあったそうですが、やはり身近な娯楽として、テレビは必要不可欠なものだったのでしょう。
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炭坑に降りていく動画が上映されていました。確かに急斜面を滑り下りていく感じです。給料は一般会社員の3倍、アパート代は会社持ち、電気ガスも無料でかなり高給の魅力的な仕事だったようです。でも怖いですね。
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「ヤマの男」達は1891年から1974年の閉山まで約15,700,000トンの石炭を採掘しました。表情が精悍な感じがします。
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30号棟の模型がありました。7階建てになっています。各階に20軒の家族が住んでいたそうです。
明日は船に乗って軍艦島へ行きます。お天気が良さそうで上陸できると思います。
とても楽しみです。きっと想像を絶するような景色が見られることでしょう。 -
大浦天主堂の駅まで戻る道の途中、駅へ行く手前の通りをまっすぐ進むとオランダ坂へ出ることができます。
オランダ坂 名所・史跡
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この坂は何年も前からずっと、このままなんでしょうね。前回来た時と全く変わっていません。
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路面電車に乗って新地中華街まで戻ってきました。新地中華街の探検です。南の方角に行ってみました。「朱雀」と言われている門です。門の向かい側は湊公園で中国的な建物がありました。
長崎新地中華街 名所・史跡
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近づいて撮影
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次は青龍門?
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次は青龍門? 方角がよくわからず記憶が曖昧です。
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次は西の「白虎門」 神戸の南京町に比べると寂しい感じがします。
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神戸の南京町に比べると、どの通りも人通りも少なく、ひっそりとしていました。規模は半分もない感じがします。
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台湾料理の老季で夕食を取ることにしました。まずはビールで乾杯!
「今日もいい旅ができました!」老李 長崎中華街 総本店 グルメ・レストラン
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前菜
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コース料理です。考える必要がなくて楽なので。なかなかおいしいと思いました。
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エビマヨです。
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青梗菜の炒め
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水餃子
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全部で10品ありましたが割愛します。デザートの杏仁豆腐。
老季は長崎が本店で、日本橋にも支店があるそうです。 -
さて、次の朝、起きてみると天気は快晴。この天気なら絶対軍艦島に上陸できます。長崎港へと向かいました。
長崎港ターミナル 乗り物
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やまさ海運で予約がしてあります。マルベージャ号。今日乗る船です。知床で船が沈没した後なので緊張感があります。船員さんたちも、緊張感を持って乗客を迎えていました。
軍艦島上陸周遊クルーズ(マルベージャ) 乗り物
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午前9時、マルベージャは出港しました。長崎湾を進むと右側に三菱長崎造船所ジャイアントカンチレバークレーンが見えてきました。船舶用のプロペラの出荷に使用されているそうです。小高い山は稲佐山です。今夜あそこからの夜景を見に行く予定。
三菱長崎造船所 名所・史跡
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三菱造船所の外観です。大きなクレーンがあります。三菱のマークが見えます。ダイヤモンドプリンセスについていたマークを思い出しました。ダイヤモンドプリンセスはここの造船所で作られました。
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女神大橋の下をくぐりぬけます。
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進んでいくと白いマリア様の像が海岸に立ち、白亜の教会がある島が見えました。キリシタンの島でしょうか。
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やがて、船内放送で「軍艦島が見えてきました」とアナウンスが流れると、乗っていた人たちは皆、目を凝らして前方を見ました。確かに軍艦島です。ああ、これが軍艦島なんだー。
端島 名所・史跡
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船は軍艦島に迫り、着岸することができそうです。建物がたくさん見えます。ワクワクします。
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上の方を見ると、端島神社らしきものが見えました。祠の形を留めています。
危険と隣り合わせの行員たちにとって、神社は心の拠り所だったそうです。
毎年4月3日に山神祭を全島員で盛大に行ったそうです。 -
無事に着岸して、順番に下船しました。
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岸壁です。10メートルの高さがあります。水の色がきれい!
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このような感じで海に落ちないように策が作ってありました。左側に見える壁は石灰と赤土を混ぜた天川(あまかわ)と呼ばれる接着剤を使って石積みをしてあるそうです。この壁は島内の至るところに残っています。
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着岸している船の様子。
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何に使われていたのかは分かりませんが中に人が入れるます。しかし壊れ方が激しい。言葉が出ません。
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上の方にも建物が見えました。緑もあります。全く草木の生えない島と言う印象はここで変わりました。草が生えていました。
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なんと言葉にしたらよいのか分かりませんが、もう完全に壊れている廃墟です。1974年1月に閉山し、4月には無人島になったそうです。今から48年前です。48年でこんなに壊れてしまうなんて、よほど自然環境が厳しいのでしょう。
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島の中で入れる場所はごく限られた一部です。見学広場は3箇所ありました。見えているのは第一見学広場です。島の環境は東側は比較的条件がよかったそうです。しかし西側は厳しく、台風の時は風がもろにぶつかったそうです。
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第二見学広場に行く途中の景色です。
右側に階段が見えます。鉱山施設はほとんど崩壊していますが、かろうじて第二堅坑へ行くために設けられた昇降階段の部分が残っています。 -
ここの第二見学広場では、説明がありました。
船は島の東側にしか着岸できなかったために、住居へ行くための地下道が掘ってあったそうです。東側に炭鉱の様々な施設があったために地上を通ることができなかったからです。 -
第3見学広場へと向かいます。護岸堤防の高さは10メートル。世界遺産に認められる時に一番価値があったのはこの堤防だったそうです。拡張を繰り返し、周りを6回に渡って埋め立てることによって、島は現在の形になりました。明治30年から拡張工事が始まっているので歴史的価値があります。
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上のほうの四角いコンクリートの建物は貯水槽だそうです。かっては水を船で運んできて蓄えておきました。左側に見える白い灯台は島の中で一番新しい建物だそうです。ソーラーで動いています。現在も使われているそうです。しかし、石炭を掘っている頃は3交代制で24時間稼働していたので灯台は不要だったそうです。
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とても気持ちが込められた説明でした。もしかしたら、この方もここで過ごされたことがあるのかもしれません。
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第二堅坑へ行くために設けられた昇降階段の部分を第二見学広場から写しました。
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第3見学広場に行く途中に、護岸壁に穴の空いているところがあります。この穴は海底送水管を通した穴です。軍艦島では水の確保が大変だったようで給水制限が行われていましたが、この海底送水管を対岸の三和町から引くことによって給水制限はなくなったそうです。給水管の長さが6500メートル!
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弟三見学広場に出てきました。正面に見えているのが30号棟、左が31号棟のアパートです。昨日、軍艦島デジタルミュージアムで説明をしてくれた方は「30号棟の3階に住んでいた」とおっしゃってました。今は完全に廃墟です・・・。
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ここでも解説をされる方がいました。5月に入ってから天気が良くて軍艦島に上陸することができる日が続いているとおっしゃっていました。年間100日は上陸できないそうです。
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昨日の軍艦島デジタルミュージアムで見たテレビのアンテナの写真が出てきました。県下一の電化製品普及率を誇った軍艦島の生活について話してくれました。
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昭和33年に南部プールが作られたそうです。海水を使ったプールだそうです。白いタイルはコースを表示しています。たくさんの石がプールの中に入っていますが、すべて自然が運んできた石だそうです。
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こんなにたくさんの石がプールの中に入ってしまうなんて、どれほどの自然が猛威をふるっているのか想像がつきません。どこからこの石は来るのでしょう?海からしか考えられませんが。
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もう少しこの島にいたかったのですが後ろ髪を引かれる思いで第3見学広場を後にしました。時間制限があるようです。一番高いところに灯台が見えます。
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船に引き返します。違う角度から建物が見えるので、違う景色に見えます。
一番後ろを歩いていると、係りの方が「崩壊が激しいのは建築基準法がない時に建てられた建物でコンクリートの中に海水を混ぜたから崩壊が激しい。また、海の自然環境、潮風をもろに受けるので傷み方がひどいくなる」と話してくれました。
本当に崩壊の進み具合があまりにも凄いので絶句します。 -
奥の正面に見えるのが学校です。左側の建物は軍艦島で一番大きなアパート65号棟だそうです。
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高いところに見える建物は管理職用のアパートだそうです。小高い丘の上にあったんですね。
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建物の原型をとどめていないので何に使われていたのか想像できません。
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確かき来ました。記念撮影です。
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再び船に乗ると今度は軍艦島の南を通って西側へと船は旋回しました。
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岸壁が島全体を覆い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶその外観はまさに軍艦「土佐」に似ています。本当の名称は「端島」と言う名称だそうですが、軍艦島の方がふさわしいように思います。
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今日は波が穏やかで本当に上陸日和でした。台風の時は西側は海からの波を被って、建物の中にまで海水が入って来たそうです。そこで西側の建物の海側は廊下になっていたそうです。高度成長期の産業を石炭を掘って支えているという気概を持ち、きっとここで働くことを誇りに思っていたことでしょう。
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西側は岸壁が補修されています。補修されている様子を見ると、破壊され方がかなり激しいです。
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一番北側の端です。右側に見える白い壁が一部分残っている建物は病院です。軍艦島にはお墓を除いてすべてのものが揃っていたそうです。
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病院をアップしてみました。岸壁の壊れ方がすごいです。
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橋島神社の祠がくっきりと見えました。かっては拝殿の下に神殿もあったそうですが倒壊してしまったそうです。軍艦島デジタルミュージアムの中に、端島神社が作られていました。
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10メートルの岸壁の高さで島を守っていたとは言え、台風の時は水しぶきが灯台まで届いたそうです。何も遮るものがないのですから怖かったでしょうね。
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船は再び東側に戻り、軍艦島を後にしました。東側の方が波が穏やかなので東側の航路を取って長崎港に戻ります。次第に軍艦島が小さくなりました。
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マルベージャ号は思っていたより速い速度で長崎港へと引き返しました。
11時30分に長崎港に無事に着きました。 -
軍艦島から帰った後は、出島へ行ってみました。前回ここに来ていますが、ミニ出島を見ていません。また内外クラブで食事をしてみたいと思いました。富三郎が地域との社交のために作ったクラブです。
出島 名所・史跡
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1889年(明治32年)に外国人と日本人の交流のために作ったそのままの姿ではありませんが、落ち着いた雰囲気の中で食事をすることができました。歴史の中に入った感じがします。
長崎内外倶楽部 グルメ・レストラン
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内外クラブの建物の全景です。裏側から取りました。正面の入り口は反対側にあると思います。
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ここでの一番の名物料理はタコライス。オランダのミニ国旗が立っています。とんかつの下には出島の形をしたご飯が出てくると給仕の方が説明してくれました。
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食後のミルクセーキです。冷たくてほど良い甘さでおいしかったです。
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食後にミニ出島へ行ってみました。出島全体のイメージがつかめます。江戸時代を想像することが少しだけできました。やはり、全体を鳥瞰できるミニの模型は価値があります。
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出島を見学しました。歩くとかなり広いように思いました。とても疲れました。軍艦島へ行くために早起きをしていた理由もあるかと思います。
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この建物に出島の商館員たちは集まって皆で食事をしたそうです。また日本側の役人などとの応接や饗応の場として重要な役割を担っていた建物です。外階段があり2階へ直接上がることができます。三角屋根がおしゃれです。
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この大広間は35畳あり、格式を備えています。クリスマスをクリスマスという言葉で祝うことはできないので、「阿蘭陀冬至(あらんだとうじ)」という名称で祝ったそうです。その当時の祝宴風景です。
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大広間の説明
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結婚の記念写真を撮っているカップルを見ました。きっとコロナで披露宴をすることができず、たくさん写真を撮って親族や友人に届けるのでしょう。「結婚しました」と書いてあるプラカードが用意されていました。
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19世紀初頭にはオランダの貿易船が2隻来航していました。最初に来る船は一番船と呼んででいたようです。
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船長さんの部屋を再現していました。船長さんは出島のこのお部屋で過ごすことができましたが、船員たちは船の中で過ごしたそうです。
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眼鏡橋にやってきました。確かにメガネに見えます。中島川には橋がたくさんかかっていてそれぞれ名称があり、その中の1つが眼鏡橋であることがわかりました。
この中島川は出島の前を流れていきます。眼鏡橋 名所・史跡
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確かにきました。記念撮影
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橋の上はこんな感じです。石畳になっています。
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この日の夕食はロープウェーで稲佐山に登り、夜景を見ながら食事をする計画にしてあります。眼鏡橋でレストランに予約を入れました。
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稲佐山から見られる夜景は上海、モナコを加えて新世界3大夜景と言われています。どんな夜景が見られるのか楽しみです。長崎湾の形が香港のビクトリア・ピークから見える湾の形に似ています。どんな夜景が見られるか楽しみです。
稲佐山展望台 名所・史跡
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長男からメールが来て「卓袱料理を食べたらどうか」と提案がありましたが、お腹はあまり空いていませんでした。昼食に出島の内外クラブで食べたタコライスのボリュームがあり、卓袱料理は無理でした。次回にしたいと思います。
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ビーツのカルボナーラと言う名前の料理を食べました。
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何かちょっと物足りないというか、やはりデザートは別腹です。カステラがミルフィーユになっていました。
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暗くなってきました。眼下に夜景が広がっています。
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思っていたほど華やかな感じはしない夜景でした。香港の夜景を見ているので、ちょっと寂しい感じがしました。カメラの性能がイマイチです。実際はもっと明るくて綺麗です。
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カメラの性能の限界です。一部分の夜景しか写すことができません。もっと明るくて綺麗です。パノラマになると良いのですが・・・。
今日は盛りだくさんの一日でした。軍艦島に上陸できて本当にラッキーでした。
この世のものとは思えない異国情緒を味わいました。
明日は由布院へ行きます。
~旅は続きます~
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