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《2022.April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅣ~又兵衛桜リベンジ編~<br /><br />昨年春に〝桜〟の開花情報を勘違いして、見頃過ぎはおろか〝散り果て〟状態の桜の名所を見て回った。元来〝花見〟の習慣がない私ではあるが、密にならない最小限の選択基準にしていることは〝屋外〟の施設と言うただ一つ。4月初旬と言えばやはり〝桜〟のシーズン。昨年は開花時期が早まったことからほぼ全滅に近い結果であったが、今年は例年並みだと新聞に掲載されていた。<br /><br />前回の休みは6日の水曜日。山科・嵐山・三井寺とソメイヨシノが満開だった。シフト制のため平日休みにあたることが多いが今日4月9日は土曜日である。当たり前だが観光地には人が集まるのは仕方がない。ならばと時間差攻撃すれば少しはマシだろうとあんちょこに考える。そして考えた目的地は〝奈良県宇陀市〟。市町村名で言えばわからないかも知れないが、女人高野として知られている〝室生寺〟のある場所と言えばわかるかも知れない。室生寺は昨年春に訪れているので今回は行かないが、是非とも見てみたい〝しだれ桜〟を今回の目的地に決めた。<br /><br />出発はいつもの如くスロースターターである。出発前のローソンでの一服を済ませ、ナビセットをしてからスタートする。土曜日だったことから休みのまーさんの車を借りたのでnoteクンが今日の相棒である。国道422号線をひた走り、信楽町宮尻を経て立石橋交差点を右折して南下して行く。三重県伊賀市に入り丸柱から伊賀コリドールロード・三田坂バイパスを経て、上野ICから名阪国道へと入っていくルートは定番だ。そして前回通過して気にかかっていた伊賀上野PAに立ち寄って一息入れる。トイレ・バス停は稼働しているようだが、店舗はよくわからない。どて焼き〝味のお福〟は空いているようだが人気がない。パーキング自体もひと眠りに利用している車がほとんどだったこともあり、適当に切り上げて出発する。奈良県へと入り針インターで名阪国道から下りて、国道370号線を走って行く。いつもであれば道の駅針テラスに立ち寄って一息入れるはずではあるが、時間の都合でそのまま走り続けることにする。30分ほど走ると〝又兵衛桜〟の矢印が出てくるようになるy。もうすぐなのはわかるのだが、脇道のような道を看板が指し示している。ナビとは異なってはいたが地元流儀の道案内であろうと軽く考えて矢印に従うことにする。結果これは失敗であった。というより18:00になろうという時間にも関わらず、これから〝又兵衛桜〟を目指す車の多いこと…。オマケに矢印に従った道がショートカットルートであったため、また駐車場待ちの車列に右折で入らなければならないという羽目になる。この場所は昨年来ていることもあり、花の季節は500円が相場であることは知っている。しかし桜のシーズン以外では駐車場スタッフもおらず、適当に車を停めて歩いて行くようにはなっていた。一部シーズンのみ利用できる〝個人貸し〟の駐車場が300円で利用できると言う情報が流れていることもあってか、遊歩道に最も近い駐車場にも入らず奥へと進もうとする車両が多いことには参ってしまった。〝タイムイズマネー〟、まさに日没時間との勝負なので、たまたま1台車が出て行った場所に駐車する。ポケットの中に入れていた500円玉を掴み損ねシートの下に落としてしまい、スタッフさんに〝ちょ~っと待ったぁ~〟と言うしかなかったことは予想外だった。<br /><br />ド田舎我が家から100km弱の距離を走った末に着いた場所がここ本郷の瀧桜、通称〝又兵衛桜〟である。戦国・江戸時代初期の武将後藤基次、またの名を後藤又兵衛は当初黒田家家臣として数々の戦で手柄を立てた。関ヶ原の戦いでは黒田長政配下の武将として東軍に属し、数々の戦功を挙げているもののその後黒田家を出奔する。そして大阪の陣の開戦にあたり大野治長の誘いを受け大坂城に入っている。冬の陣では戦功を挙げるも夏の陣では孤軍で奮戦し、敵方から賞賛を受けるが、霧によって真田幸村をはじめとする援軍の到着が遅れ、伊達政宗配下の片倉重長の鉄砲隊等10倍以上にも膨れ上がった徳川方軍勢の前に孤軍奮闘し、乱戦の中戦死したと言われている。享年56歳と言われている。この辺りの話は判官贔屓的な話が付いて回るのが定説だが、後藤又兵衛も例には漏れず生存説が囁かれていた。そのうちのひとつが戦場から逃れた又兵衛が、隠居するために隠れ住んだ場所がこの〝又兵衛桜〟の植わっている場所だと言う伝承がある。大阪夏の陣以降表に出ることなくひっそりと余生を過ごし、この地で亡くなったとの言い伝えが残っているが、又兵衛桜の樹齢は300年と言われていることから又兵衛が見ていた桜はこれではない。江戸中期頃に植えられたものと仮定すれば、この又兵衛桜は二代目と言うことになり、又兵衛所縁の初代は枯死してしまったことになる。現実的に考えれば矛盾が出てきてしまうのは仕方がないが、300年もの間季節や時代の移り変わりを見続けていた老木の大木の威厳は今でも十分に感じることが出来るものには違いない。又兵衛手植えのものではないにしろそれに近いものとして2年越しに花が咲いている姿に感動したのは私だけではないに違いないと思う。<br /><br />そんな又兵衛桜を色々なアングルから撮ってみる。しかし薄暗くなってきても観光客の数は思うように減らず、加えて又兵衛桜の〝写真〟を撮ることだけが目的と見える者達は、真正面の位置に三脚を構え視界から人が消える時を待っている。まぁ深夜早朝からそれだけを目的としているならば〝俄カメラマン〟でしかない私が偉そうに言うことでもないのかも知れないが、相変わらずこういった類の者達の〝譲り合い精神〟のなさにはため息しか出てこない。一枚の写真がそれを物語っている。三脚とカメラマンの間に割り込んで〝又兵衛桜〟を撮ってみた。写真の心得がないことは〝広角レンズ〟を多用している私の写真からも伝わってくる。しかしいくら20mmの広角レンズを使ったとて、三脚とその所持者が一枚のカットに移り込んでいるとは一体〝どれだけのスペース〟を独り占めできるのかと感心する以外なにものでもない。こいつらを避けながら歩かねばならないために時間も費やさなければならない。カメラが勝手に〝一枚〟を撮ってくれるデジタル一眼とは違い、アナログ一眼では〝最低限の明るさ〟がなければフィルムに当たる光量を得られないために真っ暗になってしまう。いろいろ考えた結果昨年シダレザクラの周りの様子はカメラに収めたので、今回は本郷川をはさんだ対岸からの又兵衛桜の全景と、背景に溶け込む姿をメインに静止画で切り取ることを心掛けることにした。川越しに捉えた又兵衛桜は大分薄暗くなりながらもなんとか長時間露光で画像として捉えることができた。その後シダレザクラの木々の周りにいた観光客数も減ってきたように見えたため、ちょっと歩いてみることにした。しかし光源が全くない環境ではアナログカメラは勿論、iPhone12Preのワイドナイトモードですら真面な画像が取れる状況ではなかった。誰の目にも〝日暮れ〟を認識できる暗さの中、人によってはスマホのライトを頼りに又兵衛桜の周辺を歩いていた者も居たようだが、お恥ずかしながらこの私今年1月に草津駅前で段差に躓いてひっくり返り、流血騒動を引き起こした者として無理は禁物。2年連続で来られたということは〝来年も来られるよね~〟なんてお気楽な考えで割り切り、夜の帳が下りた又兵衛桜を後にして帰路に付くことにする。<br /><br />昨年は宇陀の桜の名所を日暮れ後数ヶ所巡ってから帰った。その後信楽にも立ち寄ったりしていたために帰宅したのは深夜だった。勿論翌日が休みであったためにそんな無茶な行程を組めたのだが、生憎今年は単発の休みを利用しているために明日は仕事である。だからと言ってやりたいことを加減するような〝タマ〟ではないが、4連勤が始まることからちょっと考える。<br /><br />とにかく又兵衛桜を後にして行きに通ってきた道を戻って行く。名阪国道に入る前に道の駅針テラスに立ち寄る。一息ついていつもならば買うこともない〝お土産〟を買ってみる。特に誰にという訳ではないが、ビジュアルにひかれた〝奈良古都華くず餅〟なるもの。吉野葛や地元産イチゴを使って…なんて考えていると何となく食べたくなったことが理由である。ただこれが〝越県〟した〝証拠〟になってしまったことは何ともお粗末なことであった…。<br /><br />この道の駅針テラス、正式な表記は〝道の駅針T・R・S〟と書く。これを〝針トラックステーション〟といつも勘違いしてしまう私の思い込み。実際にはトラックステーションと道の駅は隣同士の位置関係にある〝別施設〟である。昨年利用した時にはトラックステーションに紛れ込んだ。今回も最初はそうだったが、車を停めたときに気付いて道の駅に移動した。そんな役割分担がされている施設ではあるので、道の駅にはトラックは停まってはいない。しかし地元のやんちゃ達のバイクが結構な台数停まっている。昼間はともかく夜になると結構冷え込んでくる。名阪国道を走る訳ではなさそうなので地元を走るだけなのかも知れないが、私にしみじみと若いって…という気持ちにさせた景色であった。<br /><br />名阪国道に乗る前に給油と洗車を済ませようとガソリンスタンドに立ち寄る。道の駅に立ち寄る前に見かけたJAのスタンドは157円/LでQRコード決済に対応していることは確認済みなので、満タンにしておこうと考えていたが、実際に立ち寄ったスタンドは〝うかいや〟の出光のスタンドであった。出光のスタンドはQR決済はできない。おまけにスマホ搭載のID等も相性が悪いのか使えない。仕方がないので現金払いにするが、生憎お札は夏目さんが一枚しかない。結局夏目さんをつぎ込んで給油を済ませる。洗車はID払いができたのだが理由が分からないままやることを済ませ車を走らせることにした。<br /><br />針インターから伊賀インター迄は約40km、30分程の主要時間で到着する。伊賀市内を走り抜け、伊賀コリドールロードを経て丸柱から信楽な立石橋へと到着する。大津に向かうには左折をするが、敢えて右折して寄り道をする。信楽高原鉄道信楽駅は、信楽高原鉄道の終着駅でもあるが、駅前の〝おめかしタヌキさん〟が有名だ。現行の〝桜バージョン〟は4月20日迄だと言うこともありそれも含めでカメラに収める。運が良いのかも知れないが、駅構内からディーゼルエンジンの音が聞こえている。信楽高原鉄道貴生川行き最終の550D列車が停留しているようだ。SKR401型レールバスが尾灯を点けて出発準備をしているが、ここ最近平日ても夜間にはSKR401・501型の2両編成で運行されることが多いようだ。単車運用されるSKR312型は信楽駅の留置線に停まっていることが多いためにそう判断出来るであろう。定時に出発するのを見送ってから出発することにした。<br /><br />信楽駅を出て次に立ち寄った場所は信楽町黄瀬だった。紫香楽宮跡等歴史的建造物の多いエリアではあるが、私が向かったのは信楽高原鉄道の線路脇にあるとある場所であった。新名神高速道路信楽インターを出てすぐの場所で、線路がカーブを描いている場所である。平成3(1991)年5月14日10時35分頃、当時の信楽町で行われていた〝世界陶芸祭セラミックワールドしがらき&#39;91〟に向かうための客を乗せたJR西日本の臨時快速〝世界陶芸祭しがらき号(キハ58・3両編成)〟と帰る客を乗せた〝信楽高原鉄道SKR200型レールバス4両編成〟がこの場所で正面衝突事故を起こした。国鉄時代に製造されたキハ58は鋼鉄車両で頑丈には作られているものだ。それに対し第三セクター化された路線に挙って投入されたレールバスは普通鋼製ではあるものの、製造基準は所詮バス。故に衝突等の鉄道事故対策は取られていなかった。事故の結果としてキハ581023の先頭車は前部が押し潰された上に全長のほぼ1/3が上方へ折れ曲がり、SKR200形は先頭車が2両目とキハ58形とに挟まれる形で原形を留めないほどに押し潰された。この事故でキハ581023とSKR200型2台の計3両が廃車、42名の死者と614名の負傷者を出すという大惨事に至った。31年前のことであると言ってしまうと若い方は〝知らない〟ことになってしまうのかも知れない。しかし平成17(2005)年4月25日9:18に起こった福知山線列車脱線事故の死者107名負傷者562名と変わらない人的被害を出した事故であることは、年月と共に風化させられるものではない。言ったら悪いがこんな田舎で起こった事故である。今は慰霊碑が立ちその忌まわしい出来事を今に伝えるだけになってはいるが、鉄旅を愛する私をはじめ全ての方々に訪れて欲しいと感じる場所でもある。私自身2回目の訪問ではあるがいずれも日没後の訪問で、事故が起こった様子を再現できていない無念さが残っている。改めて昼間に信楽を訪れる機会があれば必ず再訪したいと思いつつ、慰霊碑に手を合わせて車へと戻った。<br /><br />それなりの時間となり、大人しく帰宅すれば良いものを欲張ろうとしてしまう。確か昨年も同じように考えた記憶があるがやはり人間一年位では変わらないと痛感する。向かう先はやはり信楽町の畑集落、あの〝畑のしだれ桜〟であった。15km弱で20分程で到着する。昨年は連休だったこともあり、翌日に再訪したが見頃は過ぎていた。勿論又兵衛桜も花が終わっていたから期待もしてはいなかったが、今年は丁度見頃だった又兵衛桜のこともあり期待が膨らむ。<br /><br />駐車場は畑公民館となっているが、畑のしだれ桜が植わっている〝ふれあい広場〟前のやや広くなっている場所に車を停め、手短に〝桜見物〟をすることにした。ここには今まで数回訪れているが、ライトアップされていた時を除いて〝見頃過ぎ〟だった。しかし今年に限って言うならば予想通り〝見頃〟であった。畑のしだれ桜は野生種のエドヒガンザクラで、ソメイヨシノ等の〝園芸種〟に比べ樹木の寿命が長いとされている。しかし例え寿命は長くとも勢いは衰えてくるため、花のつき方や開花時期にも影響する。よって〝見頃〟という判断はweb情報等を参考に〝自分自身〟の判断に寄るかとも思う。そのような観点から私自身は〝見頃〟だと判断した。しかし記録に残っている〝畑のしだれ桜〟の姿には、今年のものが到底及ばないこともわかっている。<br /><br />400年もの間この地の歴史を見てきた〝畑のしだれ桜〟。歴史の生き証人が〝春〟を伝える姿を〝きっと来年も!〟という気持ちになって車へと戻ることにした。<br /><br />畑集落から石山方面に戻るには今来た道をそのまま戻るのが賢明である。ナビは距離を優先するため仙禅寺跡を経て朝宮に抜けるルートを示すが、この道は狭い上に昼間は運転に慣れない観光客がバックも出来ずに立ち止まり、どうしようもなくなってしまうことがしばしば囁かれていることである。加えて夜になるとほぼ間違いなく〝鹿〟と遭遇する場所でもある。元々スピードが出せる道ではないので、ぶつかることはないとは思うが、いきなり出会うとやはりびっくりする。そのような道を走り切り、朝宮に出ると国道307・422号線をひた走る。田舎の我が家には日付けが変わる少し前に到着した。200km弱走った今回の宇陀・信楽の旅も無事終了。もう一回位桜が見れるかな?と思いながら今日一日を振り返った私であった。<br /><br />  《終わり》

《2022.April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅣ~又兵衛桜リベンジ編~

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2022/04/09 - 2022/04/09

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《2022.April》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅣ~又兵衛桜リベンジ編~

昨年春に〝桜〟の開花情報を勘違いして、見頃過ぎはおろか〝散り果て〟状態の桜の名所を見て回った。元来〝花見〟の習慣がない私ではあるが、密にならない最小限の選択基準にしていることは〝屋外〟の施設と言うただ一つ。4月初旬と言えばやはり〝桜〟のシーズン。昨年は開花時期が早まったことからほぼ全滅に近い結果であったが、今年は例年並みだと新聞に掲載されていた。

前回の休みは6日の水曜日。山科・嵐山・三井寺とソメイヨシノが満開だった。シフト制のため平日休みにあたることが多いが今日4月9日は土曜日である。当たり前だが観光地には人が集まるのは仕方がない。ならばと時間差攻撃すれば少しはマシだろうとあんちょこに考える。そして考えた目的地は〝奈良県宇陀市〟。市町村名で言えばわからないかも知れないが、女人高野として知られている〝室生寺〟のある場所と言えばわかるかも知れない。室生寺は昨年春に訪れているので今回は行かないが、是非とも見てみたい〝しだれ桜〟を今回の目的地に決めた。

出発はいつもの如くスロースターターである。出発前のローソンでの一服を済ませ、ナビセットをしてからスタートする。土曜日だったことから休みのまーさんの車を借りたのでnoteクンが今日の相棒である。国道422号線をひた走り、信楽町宮尻を経て立石橋交差点を右折して南下して行く。三重県伊賀市に入り丸柱から伊賀コリドールロード・三田坂バイパスを経て、上野ICから名阪国道へと入っていくルートは定番だ。そして前回通過して気にかかっていた伊賀上野PAに立ち寄って一息入れる。トイレ・バス停は稼働しているようだが、店舗はよくわからない。どて焼き〝味のお福〟は空いているようだが人気がない。パーキング自体もひと眠りに利用している車がほとんどだったこともあり、適当に切り上げて出発する。奈良県へと入り針インターで名阪国道から下りて、国道370号線を走って行く。いつもであれば道の駅針テラスに立ち寄って一息入れるはずではあるが、時間の都合でそのまま走り続けることにする。30分ほど走ると〝又兵衛桜〟の矢印が出てくるようになるy。もうすぐなのはわかるのだが、脇道のような道を看板が指し示している。ナビとは異なってはいたが地元流儀の道案内であろうと軽く考えて矢印に従うことにする。結果これは失敗であった。というより18:00になろうという時間にも関わらず、これから〝又兵衛桜〟を目指す車の多いこと…。オマケに矢印に従った道がショートカットルートであったため、また駐車場待ちの車列に右折で入らなければならないという羽目になる。この場所は昨年来ていることもあり、花の季節は500円が相場であることは知っている。しかし桜のシーズン以外では駐車場スタッフもおらず、適当に車を停めて歩いて行くようにはなっていた。一部シーズンのみ利用できる〝個人貸し〟の駐車場が300円で利用できると言う情報が流れていることもあってか、遊歩道に最も近い駐車場にも入らず奥へと進もうとする車両が多いことには参ってしまった。〝タイムイズマネー〟、まさに日没時間との勝負なので、たまたま1台車が出て行った場所に駐車する。ポケットの中に入れていた500円玉を掴み損ねシートの下に落としてしまい、スタッフさんに〝ちょ~っと待ったぁ~〟と言うしかなかったことは予想外だった。

ド田舎我が家から100km弱の距離を走った末に着いた場所がここ本郷の瀧桜、通称〝又兵衛桜〟である。戦国・江戸時代初期の武将後藤基次、またの名を後藤又兵衛は当初黒田家家臣として数々の戦で手柄を立てた。関ヶ原の戦いでは黒田長政配下の武将として東軍に属し、数々の戦功を挙げているもののその後黒田家を出奔する。そして大阪の陣の開戦にあたり大野治長の誘いを受け大坂城に入っている。冬の陣では戦功を挙げるも夏の陣では孤軍で奮戦し、敵方から賞賛を受けるが、霧によって真田幸村をはじめとする援軍の到着が遅れ、伊達政宗配下の片倉重長の鉄砲隊等10倍以上にも膨れ上がった徳川方軍勢の前に孤軍奮闘し、乱戦の中戦死したと言われている。享年56歳と言われている。この辺りの話は判官贔屓的な話が付いて回るのが定説だが、後藤又兵衛も例には漏れず生存説が囁かれていた。そのうちのひとつが戦場から逃れた又兵衛が、隠居するために隠れ住んだ場所がこの〝又兵衛桜〟の植わっている場所だと言う伝承がある。大阪夏の陣以降表に出ることなくひっそりと余生を過ごし、この地で亡くなったとの言い伝えが残っているが、又兵衛桜の樹齢は300年と言われていることから又兵衛が見ていた桜はこれではない。江戸中期頃に植えられたものと仮定すれば、この又兵衛桜は二代目と言うことになり、又兵衛所縁の初代は枯死してしまったことになる。現実的に考えれば矛盾が出てきてしまうのは仕方がないが、300年もの間季節や時代の移り変わりを見続けていた老木の大木の威厳は今でも十分に感じることが出来るものには違いない。又兵衛手植えのものではないにしろそれに近いものとして2年越しに花が咲いている姿に感動したのは私だけではないに違いないと思う。

そんな又兵衛桜を色々なアングルから撮ってみる。しかし薄暗くなってきても観光客の数は思うように減らず、加えて又兵衛桜の〝写真〟を撮ることだけが目的と見える者達は、真正面の位置に三脚を構え視界から人が消える時を待っている。まぁ深夜早朝からそれだけを目的としているならば〝俄カメラマン〟でしかない私が偉そうに言うことでもないのかも知れないが、相変わらずこういった類の者達の〝譲り合い精神〟のなさにはため息しか出てこない。一枚の写真がそれを物語っている。三脚とカメラマンの間に割り込んで〝又兵衛桜〟を撮ってみた。写真の心得がないことは〝広角レンズ〟を多用している私の写真からも伝わってくる。しかしいくら20mmの広角レンズを使ったとて、三脚とその所持者が一枚のカットに移り込んでいるとは一体〝どれだけのスペース〟を独り占めできるのかと感心する以外なにものでもない。こいつらを避けながら歩かねばならないために時間も費やさなければならない。カメラが勝手に〝一枚〟を撮ってくれるデジタル一眼とは違い、アナログ一眼では〝最低限の明るさ〟がなければフィルムに当たる光量を得られないために真っ暗になってしまう。いろいろ考えた結果昨年シダレザクラの周りの様子はカメラに収めたので、今回は本郷川をはさんだ対岸からの又兵衛桜の全景と、背景に溶け込む姿をメインに静止画で切り取ることを心掛けることにした。川越しに捉えた又兵衛桜は大分薄暗くなりながらもなんとか長時間露光で画像として捉えることができた。その後シダレザクラの木々の周りにいた観光客数も減ってきたように見えたため、ちょっと歩いてみることにした。しかし光源が全くない環境ではアナログカメラは勿論、iPhone12Preのワイドナイトモードですら真面な画像が取れる状況ではなかった。誰の目にも〝日暮れ〟を認識できる暗さの中、人によってはスマホのライトを頼りに又兵衛桜の周辺を歩いていた者も居たようだが、お恥ずかしながらこの私今年1月に草津駅前で段差に躓いてひっくり返り、流血騒動を引き起こした者として無理は禁物。2年連続で来られたということは〝来年も来られるよね~〟なんてお気楽な考えで割り切り、夜の帳が下りた又兵衛桜を後にして帰路に付くことにする。

昨年は宇陀の桜の名所を日暮れ後数ヶ所巡ってから帰った。その後信楽にも立ち寄ったりしていたために帰宅したのは深夜だった。勿論翌日が休みであったためにそんな無茶な行程を組めたのだが、生憎今年は単発の休みを利用しているために明日は仕事である。だからと言ってやりたいことを加減するような〝タマ〟ではないが、4連勤が始まることからちょっと考える。

とにかく又兵衛桜を後にして行きに通ってきた道を戻って行く。名阪国道に入る前に道の駅針テラスに立ち寄る。一息ついていつもならば買うこともない〝お土産〟を買ってみる。特に誰にという訳ではないが、ビジュアルにひかれた〝奈良古都華くず餅〟なるもの。吉野葛や地元産イチゴを使って…なんて考えていると何となく食べたくなったことが理由である。ただこれが〝越県〟した〝証拠〟になってしまったことは何ともお粗末なことであった…。

この道の駅針テラス、正式な表記は〝道の駅針T・R・S〟と書く。これを〝針トラックステーション〟といつも勘違いしてしまう私の思い込み。実際にはトラックステーションと道の駅は隣同士の位置関係にある〝別施設〟である。昨年利用した時にはトラックステーションに紛れ込んだ。今回も最初はそうだったが、車を停めたときに気付いて道の駅に移動した。そんな役割分担がされている施設ではあるので、道の駅にはトラックは停まってはいない。しかし地元のやんちゃ達のバイクが結構な台数停まっている。昼間はともかく夜になると結構冷え込んでくる。名阪国道を走る訳ではなさそうなので地元を走るだけなのかも知れないが、私にしみじみと若いって…という気持ちにさせた景色であった。

名阪国道に乗る前に給油と洗車を済ませようとガソリンスタンドに立ち寄る。道の駅に立ち寄る前に見かけたJAのスタンドは157円/LでQRコード決済に対応していることは確認済みなので、満タンにしておこうと考えていたが、実際に立ち寄ったスタンドは〝うかいや〟の出光のスタンドであった。出光のスタンドはQR決済はできない。おまけにスマホ搭載のID等も相性が悪いのか使えない。仕方がないので現金払いにするが、生憎お札は夏目さんが一枚しかない。結局夏目さんをつぎ込んで給油を済ませる。洗車はID払いができたのだが理由が分からないままやることを済ませ車を走らせることにした。

針インターから伊賀インター迄は約40km、30分程の主要時間で到着する。伊賀市内を走り抜け、伊賀コリドールロードを経て丸柱から信楽な立石橋へと到着する。大津に向かうには左折をするが、敢えて右折して寄り道をする。信楽高原鉄道信楽駅は、信楽高原鉄道の終着駅でもあるが、駅前の〝おめかしタヌキさん〟が有名だ。現行の〝桜バージョン〟は4月20日迄だと言うこともありそれも含めでカメラに収める。運が良いのかも知れないが、駅構内からディーゼルエンジンの音が聞こえている。信楽高原鉄道貴生川行き最終の550D列車が停留しているようだ。SKR401型レールバスが尾灯を点けて出発準備をしているが、ここ最近平日ても夜間にはSKR401・501型の2両編成で運行されることが多いようだ。単車運用されるSKR312型は信楽駅の留置線に停まっていることが多いためにそう判断出来るであろう。定時に出発するのを見送ってから出発することにした。

信楽駅を出て次に立ち寄った場所は信楽町黄瀬だった。紫香楽宮跡等歴史的建造物の多いエリアではあるが、私が向かったのは信楽高原鉄道の線路脇にあるとある場所であった。新名神高速道路信楽インターを出てすぐの場所で、線路がカーブを描いている場所である。平成3(1991)年5月14日10時35分頃、当時の信楽町で行われていた〝世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91〟に向かうための客を乗せたJR西日本の臨時快速〝世界陶芸祭しがらき号(キハ58・3両編成)〟と帰る客を乗せた〝信楽高原鉄道SKR200型レールバス4両編成〟がこの場所で正面衝突事故を起こした。国鉄時代に製造されたキハ58は鋼鉄車両で頑丈には作られているものだ。それに対し第三セクター化された路線に挙って投入されたレールバスは普通鋼製ではあるものの、製造基準は所詮バス。故に衝突等の鉄道事故対策は取られていなかった。事故の結果としてキハ581023の先頭車は前部が押し潰された上に全長のほぼ1/3が上方へ折れ曲がり、SKR200形は先頭車が2両目とキハ58形とに挟まれる形で原形を留めないほどに押し潰された。この事故でキハ581023とSKR200型2台の計3両が廃車、42名の死者と614名の負傷者を出すという大惨事に至った。31年前のことであると言ってしまうと若い方は〝知らない〟ことになってしまうのかも知れない。しかし平成17(2005)年4月25日9:18に起こった福知山線列車脱線事故の死者107名負傷者562名と変わらない人的被害を出した事故であることは、年月と共に風化させられるものではない。言ったら悪いがこんな田舎で起こった事故である。今は慰霊碑が立ちその忌まわしい出来事を今に伝えるだけになってはいるが、鉄旅を愛する私をはじめ全ての方々に訪れて欲しいと感じる場所でもある。私自身2回目の訪問ではあるがいずれも日没後の訪問で、事故が起こった様子を再現できていない無念さが残っている。改めて昼間に信楽を訪れる機会があれば必ず再訪したいと思いつつ、慰霊碑に手を合わせて車へと戻った。

それなりの時間となり、大人しく帰宅すれば良いものを欲張ろうとしてしまう。確か昨年も同じように考えた記憶があるがやはり人間一年位では変わらないと痛感する。向かう先はやはり信楽町の畑集落、あの〝畑のしだれ桜〟であった。15km弱で20分程で到着する。昨年は連休だったこともあり、翌日に再訪したが見頃は過ぎていた。勿論又兵衛桜も花が終わっていたから期待もしてはいなかったが、今年は丁度見頃だった又兵衛桜のこともあり期待が膨らむ。

駐車場は畑公民館となっているが、畑のしだれ桜が植わっている〝ふれあい広場〟前のやや広くなっている場所に車を停め、手短に〝桜見物〟をすることにした。ここには今まで数回訪れているが、ライトアップされていた時を除いて〝見頃過ぎ〟だった。しかし今年に限って言うならば予想通り〝見頃〟であった。畑のしだれ桜は野生種のエドヒガンザクラで、ソメイヨシノ等の〝園芸種〟に比べ樹木の寿命が長いとされている。しかし例え寿命は長くとも勢いは衰えてくるため、花のつき方や開花時期にも影響する。よって〝見頃〟という判断はweb情報等を参考に〝自分自身〟の判断に寄るかとも思う。そのような観点から私自身は〝見頃〟だと判断した。しかし記録に残っている〝畑のしだれ桜〟の姿には、今年のものが到底及ばないこともわかっている。

400年もの間この地の歴史を見てきた〝畑のしだれ桜〟。歴史の生き証人が〝春〟を伝える姿を〝きっと来年も!〟という気持ちになって車へと戻ることにした。

畑集落から石山方面に戻るには今来た道をそのまま戻るのが賢明である。ナビは距離を優先するため仙禅寺跡を経て朝宮に抜けるルートを示すが、この道は狭い上に昼間は運転に慣れない観光客がバックも出来ずに立ち止まり、どうしようもなくなってしまうことがしばしば囁かれていることである。加えて夜になるとほぼ間違いなく〝鹿〟と遭遇する場所でもある。元々スピードが出せる道ではないので、ぶつかることはないとは思うが、いきなり出会うとやはりびっくりする。そのような道を走り切り、朝宮に出ると国道307・422号線をひた走る。田舎の我が家には日付けが変わる少し前に到着した。200km弱走った今回の宇陀・信楽の旅も無事終了。もう一回位桜が見れるかな?と思いながら今日一日を振り返った私であった。

  《終わり》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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