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《2022.September》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅤ~風鈴の音に誘われて橿原おふさ観音編~<br /><br />南淡海の自宅を出て伊賀の廣禅寺風鈴祭を先ず堪能。その後上野ICから名阪国道を天理方面に向かって走行する。天理東ICから先を利用すると高速代金がかかるので、一般道に下りることにした。ナビの選ぶ道に翻弄されながらも京奈和自動車道を経て橿原市へと入ることに成功。この辺りは混雑状況によって通過する道路が頻繁に変わるが、ひたすらナビ任せて無事目的地に到着する。高野山真言宗十無量山観音寺、通称〝おふさ観音〟と言った方がわかりやすいだろう。江戸時代初期の慶安3(1650)年にこの界隈にあった鯉ヶ淵という池の中から〝白い亀〟に乗った観音菩薩が現れ、それを目にした近所に住んでいた〝おふさ〟という娘が小さな堂を現在の場所に建立し、比叡山延暦寺北谷にあった観音院の本尊〝十一面観音〟を譲り受けて祀ったことが始まりとされ、開基として〝おふさ〟の名前が挙げられている。歴史は比較的浅く、元禄3(1690)年に鋳造された梵鐘があったと寺伝に記録があるが、戦中の金属類回収令によって供出され、往時の物は現在残ってはいない。現在吊り下げられている梵鐘は昭和51(1976)年蜜門光範代に再鋳されたもので〝和の鐘〟と名付けられたものであると記されていた。また本堂も明治時代になって集められた庶民からの寄付を基にして作られたものであり、築150年程だと書かれていた。<br /><br />歴史が浅い寺院だから故と言えるのかはわからないが、このおふさ観音参詣者をもてなす目的でイングリッシュローズを中心に約3,800種・4,000株のバラ・クレマチス・ハーブ等の植物が境内で栽培・展示されている。ほとんどの花の鉢植えで管理され、バラまつり以外の行事期間前後は場所移動をしている。また鑑賞するだけではなく、近付いて香りも楽しめるように縦横に通路を配して展示されている。バラをはじめ四季折々のお花が楽しめるおふさ観音、〝美しいお花たちによって訪れる方々の心を少しでも安らげたい〟という思いで育てているうち現在の姿になったそうだ。花いっぱいの美しい境内が調和のとれた仏様の世界のようであることから、おふさ観音境内説明の一文に〝花まんだらのお寺〟いう呼称で呼んでいる旨が書かれていた。<br /><br />おふさ観音では大切にしていることが2つあるという。ひとつは庶民のお寺として〝身近な存在〟であること、そして何よりも〝元気が出るお寺〟でありつうけるということである。老いも若きも一人でも複数でも家族でも気軽にお参りでき、美しい花々や涼やかな風鈴の音や御仏のお慈悲に触れて頂き、そして心身をリフレッシュし毎日を生き生きと過ごす元気や活力を得て頂きたいという願いである。色とりどりのバラがあるように、色々な方がおふさ観音を訪れる。一人でも多くの方がここで心を癒し笑顔の花が咲くことを願っているとwebサイトには書かれていた。<br /><br />少し先に触れたことであるが〝歴史の浅いお寺〟という表現をおふさ観音に付している。それはこの〝庶民の寺〟という表現にも表れているのだが、現存する大きな本堂は〝明治時代〟に建立されたものであることからそう捉えたところもある。明治期に〝観音様のために大きな本堂を建立しよう〟という計画が持ち上がり、身分や仕事を問わず様々な者達が協力して寄付を集め、無事本堂建立にあたったという実話がある。完成した本堂には高野山からお坊さんを紹介して頂き、その後もおふさ観音は多くの人たちに愛され続け、現在の高野山真言宗・別格本山へと発展し現在に至っている。<br /><br />寺院というと確かに時の権力者や特別な地位の者達の寄付寄進によるところが多いといった歴史を持つ寺院が多い中で、ここおふさ観音は、そうではなく市井の人たちの手によって建てられ、守られて来たというある意味〝特殊〟な歴史を経てきた寺院でもある。そのことから日々の悩みや苦しみに寄り添う〝庶民信仰のお寺〟として今もあり続けていると紹介されている。<br /><br />そんなおふさ観音だが元々全国区で有名な寺院という訳ではない。どちらかというと〝地元のお寺〟という要素が強かった寺院であったと言われるが、それを全国区に引き上げるまでに至ったのは何を隠そうあの〝インスタ〟であることは有名な話である。言うまでもなく〝大和ぼけ封じ霊場〟等〝霊場〟として、また市井の人達の憩いの場として、そして〝花まんだら〟の寺院としては〝知る人ぞ知る〟寺院であったことは間違いないことであるが、SNSで取り上げられた〝風鈴まつり〟の模様が〝インスタ映え〟すると話題になり、一躍全国区で知られるようになった経緯がある。寺家のイベントとして家族がSNS発信を行って知名度を上げている様子は最近ではよく見られることではあるが、おふさ観音の場合圧倒的に〝参拝客〟の発信する割合が圧倒的に多い。花の寺〝だけ〟としてではそこまで多くの人々の心を掴むことは結構大変である。むしろ〝あら〟の部分を取り上げられて〝ネタ〟にされるリスクの方が高いようにも思う。しかしおふさ観音の場合は花卉を〝鉢植え〟で育てているために〝場所の移動〟が可能であり、バラまつり以外の行事期間前後はこまめに移動させている。また通路を縦横に明確にすることによって、花をただ鑑賞するだけでなく近づいて香りも楽しめるようにと工夫されている。その手入れは大変なことだと素人でもわかりそうなものではあるが、その苦労が参拝客の興味に繋がりバズることに繋がっているように私は思う。加えて〝関西・風鈴まつり〟とweb検索をかけるだけでもほとんど上位の検索結果を占める〝おふさ観音風鈴まつり〟の銘は、SNSなんて…という方であっても情報を得ることが出来る。例年風鈴まつりの期間は6月1日から8月31日までとなっている。敷地面積を考えれば2,500個の風鈴というと〝ぎっしり〟という程の個数ではない。ただアレンジが〝人の目を引く〟ものになっており、その特徴的なものが〝疎〟と〝密〟であると私は思う。疎の部分は特に理由はないようにも思うが、本殿の軒先にぎっしりと並んだ〝密〟の風鈴は正に圧巻そのものである。既訪の方がこの写真を見ただけで〝おふさ観音!〟と言い当てられるほどおふさ観音風鈴まつりの〝代名詞〟といっても過言ではないものである。また定番のガラスの風鈴の他に鋳物の他日本全国から集められた風鈴、そしてダルマさんやヒヨコ、スイカと言った〝子供受け〟するような品々が所狭しと並んでおり、珍しいものが固まって吊るされているのではなく、ポツンと吊るされたりしているので、発見して〝あっ〟と言って口元が緩むことまで考えられていることが素晴らしい。今年は休みの都合がつかなかったので訪れることが出来なかったのだが、風鈴まつり期間中の7・8月の第三週の土日に〝おふさ観音夜まつり〟が開催され、珍しい各地の風鈴の即売会なども行われる上に、閉門が通常の17:00から21:00になり、ライトアップされた幻想的な風鈴を楽しむことが出来るというイベントもある。風鈴まつりは今年の夏〝限り〟のテーマである筈であったが、どうやら来年も…となっているような気がする…いや間違いなくそうなっているってか変わってない筈!20年目の節目の年だから内容もきっと…だと思うので。<br /><br />まあ説明が長くなったが実際に境内に入ってみる。入ってすぐにある石灯籠。歴史あるものかと思いきや昭和32年の建立のようだ。茶坊おふさ10~16時開店中と〝昔ながらのかき氷始めました〟と宣伝がされていたが、それが石灯籠と一体化していることをみて〝商売熱心さ〟に脱帽する。また当たり前のことではあるが、ベビーカーや車椅子、身長が低く〝目線の低い〟方は〝バラのとげ〟が危険である旨の注意喚起がされている他、境内に於ける事故や怪我に対する責任は自己責任になるのでご注意下さいとも書かれている。風鈴まつりの風鈴に対しては特記されていないことから通年の物だろうと推測する。私の場合そこまで身長は低くはないのでむしろ風鈴の〝短冊部分〟に頭が触れることに対し注意すると言ったところである。<br /><br />バラを育てているからなのかはわからないが、つる性の植物を這わせる〝アーチ〟が随所にあり、それを利用して風鈴が掛けられているところもある。おふさ観音風鈴まつりの特徴かもしれないが、他の神社仏閣や観光施設に於いて風鈴まつりを行う際に欠かせないものとして〝風鈴棚〟がある。木製の組み立てたものであるが、人が通れる高さとすれ違える幅を持たせているものが多いためかなりの大きさであることが多い。必要不可欠なものでありながらイベント終了時には解体し、その後どうなるのかまではわからないが、リユースを考えているところは多くはないと思う。そのようなことを考えるとおふさ観音の風鈴まつりは理に適っている。エコを考えているというよりも〝境内展示を変える〟ディスプレイにはちょっと感心したりもした。<br /><br />お寺らしいお地蔵様もあるが、山門から本堂に至る短い道のりを飾っているのは花・傘・風鈴である。特に本堂は築年数だけ言えば新しいものではあるが、この本堂軒先の〝風鈴群〟はおふさ観音風鈴まつり〝ならでは〟の景色である。他社多様な風鈴が〝超密〟状態で風に揺れる様は、まず他では見られないものであろう。<br /><br />本堂で手を合わせて先に進む。本堂脇にあった社務所はお守りの授与所と本堂の拝観料を納める場所だったと今気付いた。ここで注釈を付けておくと、いつでもどこでも〝目的地〟として訪れた場所では、標準的な拝観時間を大幅に越えて見て回る性分の私が気が付かなかった理由は〝拝観時間〟の絡みである。私の手元資料が間違っており、拝観時間が16:00と記されていたために〝園内一周〟を最優先にした結果である。勘違いして貴重な時間をフイにしないように再掲しておくと、拝観入場は7:30~16:30迄で閉門は17:00というのが風鈴まつりの時期の参拝時間である。そのお顔が襖の間から見えており、本堂裏では殆どの場所から望むことができる。心の中が見透かされているようで〝悪いことはできないなぁ〟と改めて思う瞬間であった。茶房もまだクローズはしていないようだが、それより早く見て回らないとという概念が先に立ち、今回はパスして歩き続けることにした。<br /><br />花まんだらけ=花のお寺と思われがちだがおふさ観音には〝メダカのお寺〟という側面がある。風鈴が吊るされた風鈴棚の下に多種多様のメダカが飼育され、最近流行りの〝メダカの育成〟をしている者にとっては興味深いものであるようだ。事前情報にそこまで記されているものがなかったために行って初めて知ったことではあるが、興味のある者には他に例を見ない分だけ面白いのではないかと思われる。我が家でも亡き母がメダカを育てており、それをはるが引き継いでいる。外出が心置きなくできるようになれば一度連れてきてやろうかとふと思った。<br /><br />本堂裏側には〝提灯〟コーナーもある。模様があるものではない単色のものではあるが、下段には風鈴が吊り下げられており、その対比はなかなか面白いものであった。そして突き当たりには〝円空庭〟と〝茶房おふさ〟はこちらの看板がある。残念ながら今回は時間の都合でスルーする。この付近は風鈴棚を設ける形式ではなく、植えられている松の木に風鈴が吊るされる形で置かれているのだが、エアコンのなかった時代にはこんな感じだったのかもと想像が膨らむ風景が広がっていた。<br /><br />寺院奥に位置する〝円空庭〟と〝茶房おふさ〟は今回時間の都合で割愛し、一旦戻るルートを取る。本堂横の通路は一本しかないが、その後行きに利用した通路とは異なる道を歩いて行く。後ろを振り返ると明治期に植えられたという〝大銀杏〟の木があり、150年もの間参拝客とおふさ観音全体を見守って来たと書かれていた。少し歩くと〝めだかの学校〟と銘を打たれたエリアには多種多様のメダカが木枠の水槽で育てられていた。<br /><br />大師堂・恵比寿尊社・三宝荒神堂・西諸尊堂・鐘楼堂の脇を歩き、一旦門を出た。16:00閉門と聞いていたのでそうしたが、なぜかその頃にやって来る参拝客もいる様子。寺族さん達も通常通り作業されておられるようで何ら変わることがない様子。元々おふさ観音の風鈴まつりは8月31日迄の予定が9月25日迄延長されている。それに伴ってかと勝手に思いつつ再び2度目の拝観をはじめ16:30頃に一旦また門を出る。確かに動きはあったようで駐車場に〝終了〟を示す立て看板が立てられていた。規模の小さな寺院では、駐車場の〝終了〟看板=閉門時間であることが多いため、山門付近の撮り忘れた様子をカメラに収めた後車へと戻る。しかし閉門する気配はなく、また参拝を続けている者もいたようだ。自宅に戻ってから参拝時間を確認したところ、参拝は17:00迄出来る旨が書かれており、最終拝観受付が16:30となっていることを知った。結果論ではあるが後30分は滞在できる余裕があった。しかし一通りは歩いてきたのでまた再度参拝をするとなると、同じ景色を何枚も撮影することとなり、写真の整理が大変になることは経験上わかっている。そのような理由から今年のおふさ観音風鈴まつり巡りはここで終了し、もし撮り忘れなどを後から気づいた場合は来年また改めて訪問しようと決心する。滞在時間は1時間半、当初の予定が一時間だったため時間的に〝押す〟こととなってはしまったが、個々の施設はともかく〝風鈴まつり〟は満喫出来たので満足である。このようにおふさ観音の拝観を済ませ、出発することにした。<br /><br />  《続く》

《2022.September》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅤ~風鈴の音に誘われて橿原おふさ観音編~

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2022/09/07 - 2022/09/07

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

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《2022.September》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅奈良そのⅤ~風鈴の音に誘われて橿原おふさ観音編~

南淡海の自宅を出て伊賀の廣禅寺風鈴祭を先ず堪能。その後上野ICから名阪国道を天理方面に向かって走行する。天理東ICから先を利用すると高速代金がかかるので、一般道に下りることにした。ナビの選ぶ道に翻弄されながらも京奈和自動車道を経て橿原市へと入ることに成功。この辺りは混雑状況によって通過する道路が頻繁に変わるが、ひたすらナビ任せて無事目的地に到着する。高野山真言宗十無量山観音寺、通称〝おふさ観音〟と言った方がわかりやすいだろう。江戸時代初期の慶安3(1650)年にこの界隈にあった鯉ヶ淵という池の中から〝白い亀〟に乗った観音菩薩が現れ、それを目にした近所に住んでいた〝おふさ〟という娘が小さな堂を現在の場所に建立し、比叡山延暦寺北谷にあった観音院の本尊〝十一面観音〟を譲り受けて祀ったことが始まりとされ、開基として〝おふさ〟の名前が挙げられている。歴史は比較的浅く、元禄3(1690)年に鋳造された梵鐘があったと寺伝に記録があるが、戦中の金属類回収令によって供出され、往時の物は現在残ってはいない。現在吊り下げられている梵鐘は昭和51(1976)年蜜門光範代に再鋳されたもので〝和の鐘〟と名付けられたものであると記されていた。また本堂も明治時代になって集められた庶民からの寄付を基にして作られたものであり、築150年程だと書かれていた。

歴史が浅い寺院だから故と言えるのかはわからないが、このおふさ観音参詣者をもてなす目的でイングリッシュローズを中心に約3,800種・4,000株のバラ・クレマチス・ハーブ等の植物が境内で栽培・展示されている。ほとんどの花の鉢植えで管理され、バラまつり以外の行事期間前後は場所移動をしている。また鑑賞するだけではなく、近付いて香りも楽しめるように縦横に通路を配して展示されている。バラをはじめ四季折々のお花が楽しめるおふさ観音、〝美しいお花たちによって訪れる方々の心を少しでも安らげたい〟という思いで育てているうち現在の姿になったそうだ。花いっぱいの美しい境内が調和のとれた仏様の世界のようであることから、おふさ観音境内説明の一文に〝花まんだらのお寺〟いう呼称で呼んでいる旨が書かれていた。

おふさ観音では大切にしていることが2つあるという。ひとつは庶民のお寺として〝身近な存在〟であること、そして何よりも〝元気が出るお寺〟でありつうけるということである。老いも若きも一人でも複数でも家族でも気軽にお参りでき、美しい花々や涼やかな風鈴の音や御仏のお慈悲に触れて頂き、そして心身をリフレッシュし毎日を生き生きと過ごす元気や活力を得て頂きたいという願いである。色とりどりのバラがあるように、色々な方がおふさ観音を訪れる。一人でも多くの方がここで心を癒し笑顔の花が咲くことを願っているとwebサイトには書かれていた。

少し先に触れたことであるが〝歴史の浅いお寺〟という表現をおふさ観音に付している。それはこの〝庶民の寺〟という表現にも表れているのだが、現存する大きな本堂は〝明治時代〟に建立されたものであることからそう捉えたところもある。明治期に〝観音様のために大きな本堂を建立しよう〟という計画が持ち上がり、身分や仕事を問わず様々な者達が協力して寄付を集め、無事本堂建立にあたったという実話がある。完成した本堂には高野山からお坊さんを紹介して頂き、その後もおふさ観音は多くの人たちに愛され続け、現在の高野山真言宗・別格本山へと発展し現在に至っている。

寺院というと確かに時の権力者や特別な地位の者達の寄付寄進によるところが多いといった歴史を持つ寺院が多い中で、ここおふさ観音は、そうではなく市井の人たちの手によって建てられ、守られて来たというある意味〝特殊〟な歴史を経てきた寺院でもある。そのことから日々の悩みや苦しみに寄り添う〝庶民信仰のお寺〟として今もあり続けていると紹介されている。

そんなおふさ観音だが元々全国区で有名な寺院という訳ではない。どちらかというと〝地元のお寺〟という要素が強かった寺院であったと言われるが、それを全国区に引き上げるまでに至ったのは何を隠そうあの〝インスタ〟であることは有名な話である。言うまでもなく〝大和ぼけ封じ霊場〟等〝霊場〟として、また市井の人達の憩いの場として、そして〝花まんだら〟の寺院としては〝知る人ぞ知る〟寺院であったことは間違いないことであるが、SNSで取り上げられた〝風鈴まつり〟の模様が〝インスタ映え〟すると話題になり、一躍全国区で知られるようになった経緯がある。寺家のイベントとして家族がSNS発信を行って知名度を上げている様子は最近ではよく見られることではあるが、おふさ観音の場合圧倒的に〝参拝客〟の発信する割合が圧倒的に多い。花の寺〝だけ〟としてではそこまで多くの人々の心を掴むことは結構大変である。むしろ〝あら〟の部分を取り上げられて〝ネタ〟にされるリスクの方が高いようにも思う。しかしおふさ観音の場合は花卉を〝鉢植え〟で育てているために〝場所の移動〟が可能であり、バラまつり以外の行事期間前後はこまめに移動させている。また通路を縦横に明確にすることによって、花をただ鑑賞するだけでなく近づいて香りも楽しめるようにと工夫されている。その手入れは大変なことだと素人でもわかりそうなものではあるが、その苦労が参拝客の興味に繋がりバズることに繋がっているように私は思う。加えて〝関西・風鈴まつり〟とweb検索をかけるだけでもほとんど上位の検索結果を占める〝おふさ観音風鈴まつり〟の銘は、SNSなんて…という方であっても情報を得ることが出来る。例年風鈴まつりの期間は6月1日から8月31日までとなっている。敷地面積を考えれば2,500個の風鈴というと〝ぎっしり〟という程の個数ではない。ただアレンジが〝人の目を引く〟ものになっており、その特徴的なものが〝疎〟と〝密〟であると私は思う。疎の部分は特に理由はないようにも思うが、本殿の軒先にぎっしりと並んだ〝密〟の風鈴は正に圧巻そのものである。既訪の方がこの写真を見ただけで〝おふさ観音!〟と言い当てられるほどおふさ観音風鈴まつりの〝代名詞〟といっても過言ではないものである。また定番のガラスの風鈴の他に鋳物の他日本全国から集められた風鈴、そしてダルマさんやヒヨコ、スイカと言った〝子供受け〟するような品々が所狭しと並んでおり、珍しいものが固まって吊るされているのではなく、ポツンと吊るされたりしているので、発見して〝あっ〟と言って口元が緩むことまで考えられていることが素晴らしい。今年は休みの都合がつかなかったので訪れることが出来なかったのだが、風鈴まつり期間中の7・8月の第三週の土日に〝おふさ観音夜まつり〟が開催され、珍しい各地の風鈴の即売会なども行われる上に、閉門が通常の17:00から21:00になり、ライトアップされた幻想的な風鈴を楽しむことが出来るというイベントもある。風鈴まつりは今年の夏〝限り〟のテーマである筈であったが、どうやら来年も…となっているような気がする…いや間違いなくそうなっているってか変わってない筈!20年目の節目の年だから内容もきっと…だと思うので。

まあ説明が長くなったが実際に境内に入ってみる。入ってすぐにある石灯籠。歴史あるものかと思いきや昭和32年の建立のようだ。茶坊おふさ10~16時開店中と〝昔ながらのかき氷始めました〟と宣伝がされていたが、それが石灯籠と一体化していることをみて〝商売熱心さ〟に脱帽する。また当たり前のことではあるが、ベビーカーや車椅子、身長が低く〝目線の低い〟方は〝バラのとげ〟が危険である旨の注意喚起がされている他、境内に於ける事故や怪我に対する責任は自己責任になるのでご注意下さいとも書かれている。風鈴まつりの風鈴に対しては特記されていないことから通年の物だろうと推測する。私の場合そこまで身長は低くはないのでむしろ風鈴の〝短冊部分〟に頭が触れることに対し注意すると言ったところである。

バラを育てているからなのかはわからないが、つる性の植物を這わせる〝アーチ〟が随所にあり、それを利用して風鈴が掛けられているところもある。おふさ観音風鈴まつりの特徴かもしれないが、他の神社仏閣や観光施設に於いて風鈴まつりを行う際に欠かせないものとして〝風鈴棚〟がある。木製の組み立てたものであるが、人が通れる高さとすれ違える幅を持たせているものが多いためかなりの大きさであることが多い。必要不可欠なものでありながらイベント終了時には解体し、その後どうなるのかまではわからないが、リユースを考えているところは多くはないと思う。そのようなことを考えるとおふさ観音の風鈴まつりは理に適っている。エコを考えているというよりも〝境内展示を変える〟ディスプレイにはちょっと感心したりもした。

お寺らしいお地蔵様もあるが、山門から本堂に至る短い道のりを飾っているのは花・傘・風鈴である。特に本堂は築年数だけ言えば新しいものではあるが、この本堂軒先の〝風鈴群〟はおふさ観音風鈴まつり〝ならでは〟の景色である。他社多様な風鈴が〝超密〟状態で風に揺れる様は、まず他では見られないものであろう。

本堂で手を合わせて先に進む。本堂脇にあった社務所はお守りの授与所と本堂の拝観料を納める場所だったと今気付いた。ここで注釈を付けておくと、いつでもどこでも〝目的地〟として訪れた場所では、標準的な拝観時間を大幅に越えて見て回る性分の私が気が付かなかった理由は〝拝観時間〟の絡みである。私の手元資料が間違っており、拝観時間が16:00と記されていたために〝園内一周〟を最優先にした結果である。勘違いして貴重な時間をフイにしないように再掲しておくと、拝観入場は7:30~16:30迄で閉門は17:00というのが風鈴まつりの時期の参拝時間である。そのお顔が襖の間から見えており、本堂裏では殆どの場所から望むことができる。心の中が見透かされているようで〝悪いことはできないなぁ〟と改めて思う瞬間であった。茶房もまだクローズはしていないようだが、それより早く見て回らないとという概念が先に立ち、今回はパスして歩き続けることにした。

花まんだらけ=花のお寺と思われがちだがおふさ観音には〝メダカのお寺〟という側面がある。風鈴が吊るされた風鈴棚の下に多種多様のメダカが飼育され、最近流行りの〝メダカの育成〟をしている者にとっては興味深いものであるようだ。事前情報にそこまで記されているものがなかったために行って初めて知ったことではあるが、興味のある者には他に例を見ない分だけ面白いのではないかと思われる。我が家でも亡き母がメダカを育てており、それをはるが引き継いでいる。外出が心置きなくできるようになれば一度連れてきてやろうかとふと思った。

本堂裏側には〝提灯〟コーナーもある。模様があるものではない単色のものではあるが、下段には風鈴が吊り下げられており、その対比はなかなか面白いものであった。そして突き当たりには〝円空庭〟と〝茶房おふさ〟はこちらの看板がある。残念ながら今回は時間の都合でスルーする。この付近は風鈴棚を設ける形式ではなく、植えられている松の木に風鈴が吊るされる形で置かれているのだが、エアコンのなかった時代にはこんな感じだったのかもと想像が膨らむ風景が広がっていた。

寺院奥に位置する〝円空庭〟と〝茶房おふさ〟は今回時間の都合で割愛し、一旦戻るルートを取る。本堂横の通路は一本しかないが、その後行きに利用した通路とは異なる道を歩いて行く。後ろを振り返ると明治期に植えられたという〝大銀杏〟の木があり、150年もの間参拝客とおふさ観音全体を見守って来たと書かれていた。少し歩くと〝めだかの学校〟と銘を打たれたエリアには多種多様のメダカが木枠の水槽で育てられていた。

大師堂・恵比寿尊社・三宝荒神堂・西諸尊堂・鐘楼堂の脇を歩き、一旦門を出た。16:00閉門と聞いていたのでそうしたが、なぜかその頃にやって来る参拝客もいる様子。寺族さん達も通常通り作業されておられるようで何ら変わることがない様子。元々おふさ観音の風鈴まつりは8月31日迄の予定が9月25日迄延長されている。それに伴ってかと勝手に思いつつ再び2度目の拝観をはじめ16:30頃に一旦また門を出る。確かに動きはあったようで駐車場に〝終了〟を示す立て看板が立てられていた。規模の小さな寺院では、駐車場の〝終了〟看板=閉門時間であることが多いため、山門付近の撮り忘れた様子をカメラに収めた後車へと戻る。しかし閉門する気配はなく、また参拝を続けている者もいたようだ。自宅に戻ってから参拝時間を確認したところ、参拝は17:00迄出来る旨が書かれており、最終拝観受付が16:30となっていることを知った。結果論ではあるが後30分は滞在できる余裕があった。しかし一通りは歩いてきたのでまた再度参拝をするとなると、同じ景色を何枚も撮影することとなり、写真の整理が大変になることは経験上わかっている。そのような理由から今年のおふさ観音風鈴まつり巡りはここで終了し、もし撮り忘れなどを後から気づいた場合は来年また改めて訪問しようと決心する。滞在時間は1時間半、当初の予定が一時間だったため時間的に〝押す〟こととなってはしまったが、個々の施設はともかく〝風鈴まつり〟は満喫出来たので満足である。このようにおふさ観音の拝観を済ませ、出発することにした。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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