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《2022.August》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅和歌山そのⅠ~風鈴の音に誘われて~海南風鈴まつり・伊勢部柿本神社編~<br /><br />夏を迎えるにあたり人と交わらないようにすることは絶対条件として、今年の〝旅のテーマ〟を考えた結果〝花〟という結論に至った。そんな理由で6月は定番の〝あじさい〟とすることに決定したが、7月になると思うように行かないことは明らかになる。バスや睡蓮というところが定石だが、見頃が午前中という〝絶対条件〟の下行動開始が午後から始まる私にとってかなり辛いこととなる。せっかく無理をして午前中から行動しても、休みの日に限って荒天となることも少なくない。それもリアルタイムにHPやブログ等で告知されていれば良いが、行って初めてわかることがあった。振り替える場所が近くにあればともかく、そう上手くはいかないこともある。転機になったのは近場で探した〝風鈴祭り〟を行っている施設であった。たまたま訪れた宇治田原町の正寿院で撮影を頼まれたお姉さんがupしていた〝インスタ〟だった。この類のものには興味が無かった私ではあったが、インスタで知った〝風鈴祭り〟が行われている施設のことを知り、急遽テーマを〝風鈴祭り〟に変えることにした。しかし有名処は人も多いことを知り、敢えてイレギュラーな時間を狙うことにする。知名度や訪れる手段が手軽と言えないなど無理くり自分の中で選択基準を作ることにした。<br /><br />そんな中で遠征2度目の目的地に選んだのは和歌山県の海南市。和歌山市であれば大阪から快速1本だが、きのくに線の海南迄は特急の利用か和歌山駅での乗り換えが必要となる。おまけに滋賀から行くならば尚更だ。たまたま海南市の風鈴祭りは一律8月15日迄という条件もあったために、最終日が休みとなっていたことも踏まえて行き先を決めた。ただ我が家から海南迄は約150km、一般道を使うには時間がかかり過ぎる。という訳で名神大津ICから海南東IC迄高速を利用する。それなりに高速代金もかかるが致し方ない。ということでいつものローソン大津大平1丁目店で行き先を最終決定して出発することにした。さあ一ヵ月ぶりとなる高速道路の走行は如何なものになったのであろうか?<br /><br />令和4(2022)年8月15日火曜日<br />取り敢えず家を出ていつものローソンで一服しながら行き先を考える。今日まで開催の文字が頭の中から離れないことから、予定通り和歌山県の海南市を目指すことにする。京滋バイパス石山ICを利用するのが最速だが、少しケチって名神高速道路大津ICを利用することにした。<br /><br />石山から大津へと名神の側道を走り、大津ICから名神高速道路に入る。苦手なETCゲートを通過して本線へと進んで行く。途中京都府に入るといきなりの雨、おまけにかなり強い。この先も雨が続くのかと気を揉むが、大阪に近付くに連れて晴れ間が出てきて少し安心する。吹田JCTから近畿・阪和自動車道へと入り岸和田SAにて一息入れる。はるのお供で訪れたのは7年前、よって久々感がハンパない。先を急ぎたいのでサービスエリアの散策は程々にして出発し、海南東ICを経由して伊勢部柿本神社に到着する。<br /><br />高架になっている紀勢本線の脇に鎮座する伊勢部柿本神社。どう走れば良いのかわかり辛い場所にある神社であった。神社呼称の頭に付いている伊勢部というのは〝元伊勢〟伝承に由来しているという。元伊勢と言うのは、伊勢の神宮が現在の三重県伊勢市に鎮座する前に皇祖〝天照大御神〟の御霊代(みたましろ)である八咫鏡(やたのみかがみ)を祀るのに相応しい場所を求めて、天皇の皇女が天照大御神の御杖代(みつえしろ)となって各地を巡幸し、一時的におまつりされた由緒のある土地や神社のことを指している。そんな由緒ある元伊勢の伝承をもつ由緒ある神社となったのは、第10代崇神天皇の御代に巫女的な女性として伝わる豊鍬入姫命がこの地に八咫鏡を祀ったという伝承が残されていることに起因する。伊勢神宮の鎮座伝承を記した〝倭姫命世記〟には、豊鍬入姫尊が八咫鏡を奉じて大和の笠縫邑(かさぬいのむら・奈良県桜井市)を出発し、丹波の国に巡幸され、吉佐宮(よさのみや)に4年、再び大和の伊豆加志本宮(いつかしのもとのみや)に8年、次に紀伊国奈久佐濱宮(なくさのはまのみや・和歌山市濱宮神宮付近)に3年間、吉備国名方濱宮(なかたのはまのみや)に4年間八咫鏡を祀ったとされている。吉備国と言えば岡山であるが、畿内を巡るこの移動経路から岡山が唐突に出てくることは不自然だと言うことと、地名の呼称からこの名方濱宮が海南市日方にあった藺引ノ森(いびきのもり)であると古くから語り継がれているそうだ。その後4年が経過し八咫鏡は再び豊鍬入姫尊が奉じて倭の弥和乃御室嶺上宮(みわのみむろのみや)に遷り、時を経て、豊鍬入姫命の意志を継いだやはり崇神天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が各地を巡幸した末、伊勢の地に至り伊勢神宮として鎮座し現在に至っているとされている。その一方で鎮座候補地として豊鍬入姫命が訪れた藺引ノ森では、豊鍬入姫命が去った後も大神宮御鎮座の大宮処として天照大神を祀っていたが、当初の場所は高波や津波の恐れがあることからいつの頃からかこの日方(ひかた)東山の中腹、すなわち現在の地に遷座し従四位伊勢部柿本大神と讃え祀られ社殿壮麗を極めたということが社伝に残っているらしい。<br /><br />往時の社殿は残念なことに天正13(1585)年の豊臣秀吉による紀州攻めの際に焼失してしまった。その後15年間仮宮で祀ることを続けたが、慶長9(1605)年に近隣に鎮座していた妙見社と熊野社を遷し、三社殿がこの地に再興され〝里神社〟として呼ばれ崇敬されて現在に至るという。以上由緒書きからの転記ではあるが〝当たり前〟ではない表記もあり一概には伝承の域を超えられない部分があることは私にもわかる。ただ伊勢神宮遷座に繋がる〝元伊勢〟の第五と記載されていることは史実かどうかを抜きにして歴史の魅力を掻き立てるものであり、山奥ではなく海辺に鎮座したものの高波や水害の危険性があることから山手に遷したという伝承は理に適ったことであるから興味をそそる。詳細は不明というところが妥当なのかも知れないが、折角遠方から訪れたこともあり〝歴史ロマン〟に浸ってみようと感じた私であった。<br /><br />近隣の神社を遷して来たということは現在でも伺い知ることができ、境内社として若宮八幡宮・妙見神社・金毘羅神社・秋葉神社・住吉神社・稲荷神社・山王神社・蛭子神社と数多く鎮座されている。8,000平方メートルの敷地があるとは言え参拝できる場所としては広くはなく、鳥居を潜った場所にある広場兼駐車場で行事が行われるようになっており、参拝には急な石段を上る必要がある。両脇に石灯籠が建つ階段を登り切ったところに鎮座する拝殿・本殿、そして左手に進むと若宮八幡宮があり、次いで金毘羅神社・秋葉神社・住吉神社とひとつの建物内に収まっている。山王神社・戎神社迄が本殿と同じ高さにあり、戎神社参道と言われる石段を降りて行くと神楽殿を経て石段を下りて元に戻るという感じだ。広場奥の一段高い場所に御神木のなぎの木があり、地元ならではの忠魂碑が建立されていた。社務所を兼ねた参集殿は結婚式場も兼ねている。そして祭典の際に利用される齋館で神社建物は全てとなる。<br /><br />今回この伊勢部柿本神社を訪れたのは数年来8月に行われている〝風鈴祭り〟を堪能することにある。昨年迄の3年間は8月1日から15日迄の2週間程の行事であったが、今年は7月10日から8月15日迄の一ヵ月強となっている。昨年迄がコロナ禍の影響なのかどうかは確認していないのでわからないが、今年に限っては開催日が延長されている。おまけに訪れることができたのは最終日である8月15日、これもなんかの縁だと私はお気軽に考える。もっともその日狙いで行き先を決めていることが事実であるのだが…。<br /><br />参拝を済ませいざ風鈴まつりに浸ることにする。風鈴祭りの規模としては風鈴を吊るした棚がひとつあるだけで大規模なものとは決して言えないものである。しかし少数精鋭そのものの風鈴が軽やかな音色を奏でていることに気付くのに時間はかからなかった。伊勢部柿本神社の風鈴は紀州漆器の伝統技法を用いた色付けがなされているとのことだった。この様な風鈴でも流行りや新種と呼ばれるものがある様だ。気になる今年の新種は、特産品の桃をイメージした淡い桃色の〝紀州桃〟と和歌山マリーナシティの夕焼けをイメージした赤と青のグラデーションの〝夕暮れ〟をデザインしたものであるそうだが、それぞれピンク一色と赤と青のツートンカラーの色付けがなされている。基本的に風鈴作成にはソーダガラスという比較的低温で加工できるガラスを用いている。それに色素を加えて着色するという手法が使われているが、機械的に作ると特徴のあるものではなく、皆同じような仕上がりになり色むらもない。その過程において漆器を作るように〝塗る〟作業を加えるためによく見ると個々の風鈴に特徴があることがわかる。所謂〝味がある〟ものができる訳だ。そのため個性的な風鈴たちが並ぶことになり、その価値がわかるのだが、紀州桃はともかく〝和歌山マリーナシティの夕暮れ〟という場所の限定までする必要があったのだろうかと首を傾げてしまいたくなる。私ならば〝本州最南端串本橋杭岩の夕暮れ〟というネームバリューを優先したくなるのだが如何なものだろうか?考えようによってはネーミングよりも実際の〝品物〟の出来だけで良いのでは…とバッサリ言われてしまうのかも知れないかなと思いつつ…。<br /><br />まあ内容はともかく規模としては小さいので、一枚のベストショットを撮影するより数を撮ることで後から選べば良いと思ってしまえば要件は済んでしまう。敢えて海南までやって来た理由は近隣にも風鈴まつりをやっている場所があるからに他ならないため、様々な角度やシチュエーションでの写真を撮り終えたら次の目的地に移動することとなる。向かう先は春日神社、距離にして1.6km、2分という近い場所である。本来ならば休憩を取るための立ち寄りもしない距離ではあるが、なんせこの暑さである。出掛けに購入したお茶も既に飲み切っている。なので水分補給という〝大前提〟を抱えつつも一服できるセブンイレブン海南井田店に立ち寄る。後付けの理由ではあるが若くない私にとって熱中症は死活問題である。そんなことからまたお茶を購入する。本当かどうかはわからないが、ミネラル分の補給には〝麦茶〟が一番と聞いたので、それを信じて麦茶を購入して一服する。そのままナビの示す通り走って行き、春日神社を目指すことにする。<br /><br />  《続く》

《2022.August》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅和歌山そのⅠ~風鈴の音に誘われて海南風鈴まつり・伊勢部柿本神社編~

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2022/08/15 - 2022/08/15

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《2022.August》あみんちゅなにげに関西街歩きの旅和歌山そのⅠ~風鈴の音に誘われて~海南風鈴まつり・伊勢部柿本神社編~

夏を迎えるにあたり人と交わらないようにすることは絶対条件として、今年の〝旅のテーマ〟を考えた結果〝花〟という結論に至った。そんな理由で6月は定番の〝あじさい〟とすることに決定したが、7月になると思うように行かないことは明らかになる。バスや睡蓮というところが定石だが、見頃が午前中という〝絶対条件〟の下行動開始が午後から始まる私にとってかなり辛いこととなる。せっかく無理をして午前中から行動しても、休みの日に限って荒天となることも少なくない。それもリアルタイムにHPやブログ等で告知されていれば良いが、行って初めてわかることがあった。振り替える場所が近くにあればともかく、そう上手くはいかないこともある。転機になったのは近場で探した〝風鈴祭り〟を行っている施設であった。たまたま訪れた宇治田原町の正寿院で撮影を頼まれたお姉さんがupしていた〝インスタ〟だった。この類のものには興味が無かった私ではあったが、インスタで知った〝風鈴祭り〟が行われている施設のことを知り、急遽テーマを〝風鈴祭り〟に変えることにした。しかし有名処は人も多いことを知り、敢えてイレギュラーな時間を狙うことにする。知名度や訪れる手段が手軽と言えないなど無理くり自分の中で選択基準を作ることにした。

そんな中で遠征2度目の目的地に選んだのは和歌山県の海南市。和歌山市であれば大阪から快速1本だが、きのくに線の海南迄は特急の利用か和歌山駅での乗り換えが必要となる。おまけに滋賀から行くならば尚更だ。たまたま海南市の風鈴祭りは一律8月15日迄という条件もあったために、最終日が休みとなっていたことも踏まえて行き先を決めた。ただ我が家から海南迄は約150km、一般道を使うには時間がかかり過ぎる。という訳で名神大津ICから海南東IC迄高速を利用する。それなりに高速代金もかかるが致し方ない。ということでいつものローソン大津大平1丁目店で行き先を最終決定して出発することにした。さあ一ヵ月ぶりとなる高速道路の走行は如何なものになったのであろうか?

令和4(2022)年8月15日火曜日
取り敢えず家を出ていつものローソンで一服しながら行き先を考える。今日まで開催の文字が頭の中から離れないことから、予定通り和歌山県の海南市を目指すことにする。京滋バイパス石山ICを利用するのが最速だが、少しケチって名神高速道路大津ICを利用することにした。

石山から大津へと名神の側道を走り、大津ICから名神高速道路に入る。苦手なETCゲートを通過して本線へと進んで行く。途中京都府に入るといきなりの雨、おまけにかなり強い。この先も雨が続くのかと気を揉むが、大阪に近付くに連れて晴れ間が出てきて少し安心する。吹田JCTから近畿・阪和自動車道へと入り岸和田SAにて一息入れる。はるのお供で訪れたのは7年前、よって久々感がハンパない。先を急ぎたいのでサービスエリアの散策は程々にして出発し、海南東ICを経由して伊勢部柿本神社に到着する。

高架になっている紀勢本線の脇に鎮座する伊勢部柿本神社。どう走れば良いのかわかり辛い場所にある神社であった。神社呼称の頭に付いている伊勢部というのは〝元伊勢〟伝承に由来しているという。元伊勢と言うのは、伊勢の神宮が現在の三重県伊勢市に鎮座する前に皇祖〝天照大御神〟の御霊代(みたましろ)である八咫鏡(やたのみかがみ)を祀るのに相応しい場所を求めて、天皇の皇女が天照大御神の御杖代(みつえしろ)となって各地を巡幸し、一時的におまつりされた由緒のある土地や神社のことを指している。そんな由緒ある元伊勢の伝承をもつ由緒ある神社となったのは、第10代崇神天皇の御代に巫女的な女性として伝わる豊鍬入姫命がこの地に八咫鏡を祀ったという伝承が残されていることに起因する。伊勢神宮の鎮座伝承を記した〝倭姫命世記〟には、豊鍬入姫尊が八咫鏡を奉じて大和の笠縫邑(かさぬいのむら・奈良県桜井市)を出発し、丹波の国に巡幸され、吉佐宮(よさのみや)に4年、再び大和の伊豆加志本宮(いつかしのもとのみや)に8年、次に紀伊国奈久佐濱宮(なくさのはまのみや・和歌山市濱宮神宮付近)に3年間、吉備国名方濱宮(なかたのはまのみや)に4年間八咫鏡を祀ったとされている。吉備国と言えば岡山であるが、畿内を巡るこの移動経路から岡山が唐突に出てくることは不自然だと言うことと、地名の呼称からこの名方濱宮が海南市日方にあった藺引ノ森(いびきのもり)であると古くから語り継がれているそうだ。その後4年が経過し八咫鏡は再び豊鍬入姫尊が奉じて倭の弥和乃御室嶺上宮(みわのみむろのみや)に遷り、時を経て、豊鍬入姫命の意志を継いだやはり崇神天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が各地を巡幸した末、伊勢の地に至り伊勢神宮として鎮座し現在に至っているとされている。その一方で鎮座候補地として豊鍬入姫命が訪れた藺引ノ森では、豊鍬入姫命が去った後も大神宮御鎮座の大宮処として天照大神を祀っていたが、当初の場所は高波や津波の恐れがあることからいつの頃からかこの日方(ひかた)東山の中腹、すなわち現在の地に遷座し従四位伊勢部柿本大神と讃え祀られ社殿壮麗を極めたということが社伝に残っているらしい。

往時の社殿は残念なことに天正13(1585)年の豊臣秀吉による紀州攻めの際に焼失してしまった。その後15年間仮宮で祀ることを続けたが、慶長9(1605)年に近隣に鎮座していた妙見社と熊野社を遷し、三社殿がこの地に再興され〝里神社〟として呼ばれ崇敬されて現在に至るという。以上由緒書きからの転記ではあるが〝当たり前〟ではない表記もあり一概には伝承の域を超えられない部分があることは私にもわかる。ただ伊勢神宮遷座に繋がる〝元伊勢〟の第五と記載されていることは史実かどうかを抜きにして歴史の魅力を掻き立てるものであり、山奥ではなく海辺に鎮座したものの高波や水害の危険性があることから山手に遷したという伝承は理に適ったことであるから興味をそそる。詳細は不明というところが妥当なのかも知れないが、折角遠方から訪れたこともあり〝歴史ロマン〟に浸ってみようと感じた私であった。

近隣の神社を遷して来たということは現在でも伺い知ることができ、境内社として若宮八幡宮・妙見神社・金毘羅神社・秋葉神社・住吉神社・稲荷神社・山王神社・蛭子神社と数多く鎮座されている。8,000平方メートルの敷地があるとは言え参拝できる場所としては広くはなく、鳥居を潜った場所にある広場兼駐車場で行事が行われるようになっており、参拝には急な石段を上る必要がある。両脇に石灯籠が建つ階段を登り切ったところに鎮座する拝殿・本殿、そして左手に進むと若宮八幡宮があり、次いで金毘羅神社・秋葉神社・住吉神社とひとつの建物内に収まっている。山王神社・戎神社迄が本殿と同じ高さにあり、戎神社参道と言われる石段を降りて行くと神楽殿を経て石段を下りて元に戻るという感じだ。広場奥の一段高い場所に御神木のなぎの木があり、地元ならではの忠魂碑が建立されていた。社務所を兼ねた参集殿は結婚式場も兼ねている。そして祭典の際に利用される齋館で神社建物は全てとなる。

今回この伊勢部柿本神社を訪れたのは数年来8月に行われている〝風鈴祭り〟を堪能することにある。昨年迄の3年間は8月1日から15日迄の2週間程の行事であったが、今年は7月10日から8月15日迄の一ヵ月強となっている。昨年迄がコロナ禍の影響なのかどうかは確認していないのでわからないが、今年に限っては開催日が延長されている。おまけに訪れることができたのは最終日である8月15日、これもなんかの縁だと私はお気軽に考える。もっともその日狙いで行き先を決めていることが事実であるのだが…。

参拝を済ませいざ風鈴まつりに浸ることにする。風鈴祭りの規模としては風鈴を吊るした棚がひとつあるだけで大規模なものとは決して言えないものである。しかし少数精鋭そのものの風鈴が軽やかな音色を奏でていることに気付くのに時間はかからなかった。伊勢部柿本神社の風鈴は紀州漆器の伝統技法を用いた色付けがなされているとのことだった。この様な風鈴でも流行りや新種と呼ばれるものがある様だ。気になる今年の新種は、特産品の桃をイメージした淡い桃色の〝紀州桃〟と和歌山マリーナシティの夕焼けをイメージした赤と青のグラデーションの〝夕暮れ〟をデザインしたものであるそうだが、それぞれピンク一色と赤と青のツートンカラーの色付けがなされている。基本的に風鈴作成にはソーダガラスという比較的低温で加工できるガラスを用いている。それに色素を加えて着色するという手法が使われているが、機械的に作ると特徴のあるものではなく、皆同じような仕上がりになり色むらもない。その過程において漆器を作るように〝塗る〟作業を加えるためによく見ると個々の風鈴に特徴があることがわかる。所謂〝味がある〟ものができる訳だ。そのため個性的な風鈴たちが並ぶことになり、その価値がわかるのだが、紀州桃はともかく〝和歌山マリーナシティの夕暮れ〟という場所の限定までする必要があったのだろうかと首を傾げてしまいたくなる。私ならば〝本州最南端串本橋杭岩の夕暮れ〟というネームバリューを優先したくなるのだが如何なものだろうか?考えようによってはネーミングよりも実際の〝品物〟の出来だけで良いのでは…とバッサリ言われてしまうのかも知れないかなと思いつつ…。

まあ内容はともかく規模としては小さいので、一枚のベストショットを撮影するより数を撮ることで後から選べば良いと思ってしまえば要件は済んでしまう。敢えて海南までやって来た理由は近隣にも風鈴まつりをやっている場所があるからに他ならないため、様々な角度やシチュエーションでの写真を撮り終えたら次の目的地に移動することとなる。向かう先は春日神社、距離にして1.6km、2分という近い場所である。本来ならば休憩を取るための立ち寄りもしない距離ではあるが、なんせこの暑さである。出掛けに購入したお茶も既に飲み切っている。なので水分補給という〝大前提〟を抱えつつも一服できるセブンイレブン海南井田店に立ち寄る。後付けの理由ではあるが若くない私にとって熱中症は死活問題である。そんなことからまたお茶を購入する。本当かどうかはわからないが、ミネラル分の補給には〝麦茶〟が一番と聞いたので、それを信じて麦茶を購入して一服する。そのままナビの示す通り走って行き、春日神社を目指すことにする。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
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