2026/01/25 - 2026/01/25
-位(同エリア4718件中)
かっちんさん
函館山の麓には函館湾に向かって19本もの坂道があります。
坂道巡りは一番遠い魚見坂から上がり、坂の上の横道を歩きながら14本の坂を通り、南部坂から十字街へ下ります。
坂の上から見渡す雪景色は、広大な函館湾、保存されている青函連絡船摩周丸、対岸の北斗市など素晴らしい眺望です。
函館市電は大正2年(1913)開業以来、100年にわたり市民の足として走り続けています。
昭和30年代に登場した700形800形などは車体更新をしながら7000形8000形となった車両もあり、現役として活躍しています。
函館朝市エリアや回転ずしでは北海道の海の幸をいただきます。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・「駅二函館朝市」のHP
・函館洋菓子スナッフルスのHP
・函館市のHP、函館市電、山内家住宅、公共下水道のカラーマンホール蓋について
・函館どつくのHP
・たびらい「函館どつく 観光を楽しめる周辺情報を紹介」
・Sitakke【函館の立ち飲み文化】もっきりやがあった頃
・はこぶら「幸坂」「姿見坂」「常盤坂」「弥生坂」「東坂」「これが王道!元町散策」「明治天皇御上陸記念碑」「八幡坂」「大三坂」「二十間坂」
・函館・みなみ北海道観光ガイド「坂の風景」
・FB、中尾仁彦の「函館ぶら探訪」
・ニッスイ「ファインケミカル事業」
・北海道ファインケミカルのHP
・青函連絡船記念館「摩周丸」のHP
・函館市地域まちづくり交流センターのHP
・ノーブルジョーカーのホームページ(トップナンバー/函館市電7001)
・ウィキペディア「函館市交通局8000形710形800形3000形」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「函館駅周辺の地図」
函館駅前には食事や買い物ができる「函館朝市駅前市場」があります。
標高334mの函館山の麓には、函館湾に向かっていくつもの坂道があるので、函館市電の終点「函館ドック前」から「坂道巡り」が楽しめます。 -
「雪景色の函館駅前」
青函連絡船時代の面影が今はない「函館駅」(左側)。
今晩の宿は「ルートイン グランティア函館駅前」(右側)。 -
「笑顔で迎えてくれるイカポスト」(函館駅前)
函館名物の「イカくん」をモチーフにした郵便ポストです。 -
「函館朝市へようこそ!」(函館駅前)
朝市や市場を歩くと、海産物・農産物の買い物や食事ができます。
今は13:00過ぎ。食事処は探せば開いているところがあります。 -
「黄色い消火栓」
函館市内の消火栓はどこも黄色。 -
「どんぶり横丁市場」
海鮮丼が自慢の店が並びます。 -
イチオシ
「朝市仲通り」
店先に海産物が並ぶ通りです。 -
「駅二市場」
活いか釣堀、海産物・農産物の市場、食堂などがあります。
「駅ニ(えきに)」の名前は、函館駅の近くにある、駅から二番目のエリア(駅前の中心地)から名付けられました。 -
「海産物の並ぶ市場」(駅二市場)
-
「噴火湾の毛ガニ」が待ってます(駅二市場)
-
昼食は「イカ刺丼」(食堂二番館)
駅二市場の2階にある食堂です。
新鮮な「イカ刺」の甘みとねっとりした食感。 -
希少部位の「ハラス」(食堂二番館)
鮭の腹部分にある脂が濃厚な味わい。
イカ刺丼に鮭のハラスを付けた定食セットで1,200円。
お腹がいっぱいになったので、これから「函館の坂道巡り」に出かけます。 -
「函館市電の路線図」(函館駅前)
一番遠くの坂道へ行くため、「函館駅前」から「函館どつく前」まで市電に乗ります。
造船業の「函館どつく」は明治29年(1896)に創業し、青函連絡船などを建造しました。 -
「湯の川行き」と「函館どつく前行き」(函館駅前)
どちらも函館市交通局8000形。 -
続いてやって来た「湯の川行き」(函館駅前電停)
こちらは昭和34年(1959)に登場した710形。
前面窓上の行先表示が「方向幕」で、昭和の雰囲気が漂う車両。 -
「市電の信号」(函館駅前交差点)
自動車は赤信号で止まり、電車専用「→」が点灯しているので市電が交差点を進めます。 -
交差点を曲がる「湯の川行き」(函館駅前交差点)
車体の広告ラッピングは、函館の人気洋菓子店「スナッフルス」。 -
「函館どつく前行き」市電(函館駅前電停)
中央の乗車扉から交通系ICカードを使って乗ります。 -
帽子の上に「運賃表示器とICAS案内」(車内)
函館市電が発行している交通系ICカードは「ICAS nimoca(イカすニモカ)」です。 -
電車乗換停留場「十字街」(車内)
谷地頭方面へ行く場合の乗換駅です。 -
「ロングシートの車内」
最初は混んでいましたが、終点近くの乗客は3人だけ。 -
製造銘板「アルナ工機」(車内)
元々は昭和37年(1962)「新潟鐵工所」で製造された801形。
平成5年(1993)に「アルナ工機」にて車体更新し8004形となりました。 -
「市電案内図」(車内)
市電は市民の足になっています。
「函館どつく前」に到着し電車を降ります。 -
「函館どつく前周辺の地図」
この辺りはかつて「函館どつく」とともに貿易の拠点であったことから、函館の中でも早くから栄えた場所です。
函館が国際貿易港として開港したと当時は、外国人居留地にも指定され、現在でもハイカラな建物が残っています。
これから「魚見坂」を上がり、下から6本目の横道を左に曲がり「幸坂」方面へ向かいます。
「魚見坂」の高低差は19m。
「函館どつく前」の住所は函館市「入舟町」。近くに函館漁港があります。 -
標柱「魚見坂(うおみざか)」
「魚見坂」は函館で一番西にある坂で、坂の上から湾岸に押し寄せる魚群の発見に便利なところだったことが名前の由来といわれています。 -
雪景色の坂道「魚見坂」
雪が積もった歩道を歩いて上がります。 -
「川守田商店」(魚見坂)
昭和20~40年代まで好況に湧いた「函館ドツク」。
この近くには酒屋の「立ち飲み」(北海道では「もっきりや」と呼ぶ)が賑わいをみせていました。
夕方5時過ぎ、仕事を終えた函館ドックの労働者がこの「川守田商店」(もっきりや)に来ていたといいます。
看板をよく見れば「田川守田」とも読めますが。。。 -
「庇から垂れ下がるツララ」(魚見坂)
-
「外囲いした土蔵」(魚見坂)
土蔵の外側に雪や風から守るための外囲いがあります。 -
「窓から見える土蔵」(魚見坂)
外囲い窓の内側には、土蔵の重厚な扉が見えます。 -
坂の上からの眺望「函館湾(西方向)」(魚見坂)
魚群は見えませんが、大きな船が見えます。
ここの住所を調べると、函館市「船見町」でピッタリ! -
ここは「魚見坂の中ほど」
-
「上り坂の坂道」
ここで下から6本目の横道に入ります。
山麓を横断する「坂道巡り」がはじまります。 -
最初の坂は「千歳坂」
明治12年(1879)の大火以後にできた坂。
坂の東側に神社があり、ここに松の木があったので「千歳の松」が名前の由来。 -
イチオシ
「雪国の住まい」(横道)
ストーブの煙突、屋根の雪下ろしに使う梯子など、雪国の住まいです。 -
スキージャンプ台のような「幸坂(さいわいざか)」
明治8年(1875)、坂下の湾を埋め立てた場所が幸町だったことが名前の由来。
函館山麓に走る坂のなかでも一二を争う長さといわれる難所です。 -
「坂の上側」(幸坂)
坂を見上げた先には神社の鳥居がかすかに確認できます。 -
イチオシ
「函館の坂道から眺める絶景」(姿見坂付近)
歩いて来た横道を振り返ると、函館湾の沖合とはるか遠くに北斗市上磯町が見られます。
ここは標高36mです。 -
イチオシ
真っ白な雪に埋もれる「姿見坂」
港の西埠頭へまっすぐ伸びる「姿見坂」。
除雪した雪が道の両脇に積まれ、車の行き来が少ないせいか真っ白な坂道。
坂の名前はかつて存在した遊郭の女性たちを見ることができたことから。 -
落ち着いた雰囲気の「常盤坂」
江戸時代後期、商人だった大石忠次郎の屋敷がこの坂の上に建っていました。
近隣では有名な巨木だった「義経腰掛けの松」がその邸門に植えられていたため、縁多き「常盤の松」にちなんで、坂名がつけられました。
また別名に「芝居町の坂」「見返り坂」などもありました。 -
「山内家住宅」(常盤坂付近)
坂の角地に建つ大正11年建築(1922)の住宅で、当初は網元の居宅として建てられたものです。
外壁は下見板張りで、1階部分は出窓、2階部分は縦長の上げ下げ窓で、建物全体は洋風でまとめられていますが、正面の1階部分だけは和風の出格子窓となっていて、上下和洋折衷様式を取り入れています。
また、門柱や塀にも和風の要素が見られます。 -
「愛宕団地」(弥生坂付近)
ここは、明治41年(1908)「北海道立函館商船学校」として建てられました。
その後学校関係の建物になり、昭和52年(1977)愛宕中学校が閉校となった跡地に道営「愛宕団地」がつくられました。 -
坂道の標柱「弥生坂」にとまる「ヤマガラ」
ヤマガラは函館市の「市の鳥」です。 -
家の周りを「除雪中」(弥生坂)
-
見晴らしのいい「弥生坂」
「弥生坂」は函館山山麓にある主要な坂で、道程が約720mで最長。
坂の下にある塔が建つ建物は、大正15年(1926)に水上警察署として建築され、後に「旧函館西警察署庁舎」として使用。
現在の建物は2007年に建設初期の外観を忠実に復元しました。
かつて坂は2本から成り、一方を弥生小学校敷地の西側に称名寺が建っていたことから「称名寺坂」「西の坂」、または「寺町の坂」。
もう一方は、明治4年(1871)まで坂上にあった遊郭から帰る人を冷やかしてか、「改心坂」と呼ばれたとか。
明治12年(1879)の大火後、現在のように1本に整備された際、地域の繁栄・発展を祈念し、春を意味する「弥生」が用いられたとのこと。 -
「上の坂」(弥生坂)
上の坂は、函館山を構成する各頂へ通じる道にちなんで「薬師坂」または「七面坂」と呼ばれていました。
右側に「函館聖マリア教会」があります。 -
「弥生坂からの眺望」
函館湾北埠頭に北海道ファインケミカル工場の、海外から調達した魚油の備蓄施設(タンク)とタンカーが見えます。
ここではイワシの魚油EPAが、さまざまな健康食品の原料になります。 -
イチオシ
目と口の大きい「雪男ポスト」(弥生坂付近)
-
「東坂(あずまざか)」
明治12年(1879)の大火までは弥生小学校の東半分に浄玄寺(現東本願寺別院)があり、その下に坂が二本ありました。
西側の坂を「浄玄寺坂」、東側の坂を「東の坂」または「白鳥坂」ともいいました。
大火後、坂は一本になり上まで通され、今の「東坂」はその名残りです。 -
急坂の「上の坂」(東坂)
最大斜度は14.36度と厳しい坂です。 -
視界が広がる「元町公園」
横道の下は公園なので視界が広がります。
元町エリアは異国情緒あふれる洋館や教会が集まっているところです。 -
傾斜を利用して「親子でソリ遊び」(元町公園)
デコボコ斜面なのでソリがひっくり返っても、すぐに直して楽しんでいます。 -
青函連絡船記念館「摩周丸」(元町公園より)
昭和63年3月13日(1988)の青函連絡船最後の日まで運航していた「摩周丸」。
函館駅の実際の乗り場だった岩壁に係留・保存・公開しています。 -
「海上保安庁の巡視船」が停泊(元町公園より)
対岸中腹に見える雪面は北斗市「きじひき高原」。
その下の広い雪面は「新函館北斗駅」辺り。 -
イチオシ
「函館市電の通過」(元町公園より)
市電が基坂(もといざか)下を通る瞬間を待ち構えていました。
電車は平成5年(1993)に登場した3000形です。
後ろに見える羽を広げた鳳凰は「明治天皇御上陸記念碑」。
明治9年(1876)明治天皇が巡幸の折りに「旧函館税関」の桟橋から上陸したのを祈念して建てられました。
「旧函館税関」は現在「海上自衛隊函館基地隊」となり、電波塔のある建物です。 -
次の「白い電車は8000形」(元町公園より)
-
「旧函館区公会堂」(元町公園より上のエリア)
この建物は北海道の代表的な明治洋風建築物で、左右対称形になっており、2階にはバルコニーを配し、屋根窓を置き、左右入口のポーチの円柱に柱頭飾りがあるなど、特徴的な様式です。
国の重要文化財に指定。 -
「元町公園周辺の地図」
「元町公園」から「南部坂」まで歩き、「地域交流まちづくりセンター」がある十字街へ向かいます。 -
「日和坂(ひよりざか)」
坂の上から港の景色を一望でき、空模様をよく判断できるということからこの名がつきました。 -
「八幡坂(はちまんざか)」
坂の名前は函館八幡宮があったことに由来します。
函館で1,2を争う人気の高い坂で、写真を撮る順番待ちの状態。
海に向かって真っすぐのびる道で、海には「青函連絡船摩周丸」が見えます。 -
イチオシ
雪の舞う函館「国鉄 摩周丸」(八幡坂より)
煙突に「JNRマーク」を付けた青函連絡船に何回もお世話になりました。 -
思い出の記憶「最後の青函連絡船の旅」(昭和63年3月5・6日)
行きの昭和63年3月5日(1988)は、東京-盛岡間を東北新幹線、盛岡-青森間を特急「はつかり」に乗り、青森-函館間を青函連絡船9便(19:50-23:45)に乗船。
函館に1泊し、翌日の帰りは青森まで桧山丸に乗船しました。
まだ幼い子供たちを引き連れた思い出の連絡船です。
スタンプは以前乗船した「国鉄(JNR)」のものと、当日「JR」のものを並べました。
そして、1週間後の昭和63年3月13日青函航路の運航は役目を終えました。 -
坂下を走る「函館市電」(八幡坂)
「マッコウクジラ」がラッピングされている8007号です。 -
「大三坂」
坂名は、地方から奉行所へ公用でやって来る人たちのため、坂の入口に建てられていた郷宿(ごうやど)の家印(屋号)が「大」に「三」という文字であったことに由来されています。
雪道でわかりませんが、石畳の美しさと異国情緒あふれる建物群によるエキゾチックな雰囲気が高い評価を受け「日本の道100選」に認定されました。
左側の建物は「サングラスをかけたヒゲおやじ」に見えます。。。 -
「デザインマンホール」
函館市の魚「イカ」が描かれたマンホール。
手(足ですが)を振ってくれているようです。 -
幅広い「二十間坂(にじゅっけんざか)」
明治12年(1900)の大火後、防火帯としてて整備された坂は、道幅が二十間(約36m)あります。 -
「南部坂」坂の下
幕府は、外国船の蝦夷地(北海道)近海への出没や、ロシアの南下など多難になってきたため、寛政11年(1799)蝦夷地を直轄し、防衛のため奥羽諸藩に警備を命じました。
警備にあたった南部藩の元陣屋がこの坂上にあったので「南部坂」と呼ばれました。 -
ドーム型屋根の「函館市地域まちづくり交流センター」(南部坂下)
大正12年(1923)、丸井今井百貨店函館支店として、展望台付き、3階建て鉄筋コンクリート構造により建築され、昭和5年(1930)には5階建てに増築。
昭和9年(1934)の函館大火により内部を全焼。
その後、強度を増した改修工事を行い、最新のエレベータが取り付けられ、同年11月に営業を再開し驚異的な復興を果たします。
昭和45年~平成14年(1970-2002)まで市の分庁舎として使用。しかし老朽化による安全性の問題により大規模改修工事を実施しました。
外観の意匠は創建当時を忠実に復元し、東北以北最古のエレベーターを保存するため塔屋部分は5階建のまま残しました。
現在は西部地区の振興を果たす目的で「函館市地域まちづくり交流センター」が開館しました。 -
イチオシ
キノコ型の建物「操車塔」
「操車塔」は昭和14年(1939)に、交差点での電車信号現示とポイントの切り替えを手動による遠隔操作をするために建てられたものです。
高さが5.4m、制御室直径が1.9mあります。
塔内へは、外側の梯子をのぼり、横に移動して扉を開けるので慣れてないと危ないです。
現存する路面電車の「操車塔」では国内最古といわれています。
平成7年(1995)まで電車信号機の制御装置が置かれ、使用されていました。 -
南部坂に近い「十字街電停」
ここから函館駅前まで市電に乗ります。
電車は7000形です。
昭和34年(1959)登場の710形が老朽化してきたため、令和2年(2020)車体を新製し、製造された車両です。
停車している時の行先表示は、中国語、日本語、韓国語です。 -
「7000形のお見送り」(函館駅前)
屋根に積んでいるのは駆動を制御する抵抗器。
低床式車両のため抵抗器を屋根に移しました。 -
夕食は回転寿司「根室花まる」(函館駅前)
人気の店で1時間ほど待ちました。 -
「やりいか 真たい 寒ぶり」(根室花まる)
-
函館の「トロにしん」(根室花まる)
-
おすすめの「二階建てほたて」(根室花まる)
海の幸を握り寿司で堪能できました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
函館(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
75