2020/12/26 - 2020/12/26
42位(同エリア4347件中)
たびたびさん
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都外に出る気にもならないし、電車にもできるだけ乗りたくない。連日千人単位の新規感染者が発表されるコロナ禍の東京で悶々とした日々を送るしかない状況でしたが、リスクの少ない街歩きならなんとかなるかな。基本的な予防対策をしつつ、自宅から歩ける範囲でということで、上野から浅草、スカイツリー辺りまでと、これまで何度かは歩いたコースですが、改めてチャレンジしてみることにしました。
このルートには基本的には目新しいものはないのですが、フォートラベルに登録のあるマイナースポット巡りなら、それでも何か新しい発見はあるかもしれません。めぼしい先はほとんど回っているたびたびとしては、かなり外れの確率が上がるのは承知のうえのコースです。まあ、天気もいいみたいだし、体力維持の方の目的も考えれば悪くないはず。今回は、そんな合わせ技的な考えで、計画した町歩きの一日です。
ところで、東京のこと。東京と一言で言っても、たぶん、それぞれの人でそのイメージする場所はけっこう違うのではないかと思います。山手線内、東京23区、東京都、首都圏。私は、これまで三鷹、駒込、浦安、今の日暮里と4か所で住んだことがありますが、それを踏まえたイメージで言うと山手線内くらいが東京なのかな。で、その場合、大きく分けると東側と西側で分かれる感じですね。
上野駅、東京駅や有楽町辺りまでの東側を生活圏として暮らしている感覚だと西側はけっこう遠くて普段は行く気にならない。それに、池袋、新宿、渋谷って町がごちゃごちゃしていて人が多いし落ち着きがない。ちょっと歩いただけで疲れるんですよね。いくら賑やかでも、同じ賑やかさなら銀座の賑やかさの方がずっと心地よいし、浅草に匹敵する観光エリアも東側にはあんまり思い当らないという感覚ですね。
一方で、もう少し広域の東京。首都圏まではいかないにしても、それに近い範囲で東西を考えると、今度は横浜とか神奈川や埼玉、千葉といった関係が出てきます。そうすると都心へのアクセスの良さや住む場合のインフラの蓄積具合とか西側の方がたぶん圧倒的に便利です。東側は、通勤路線が不通になると代替手段がほとんどないといった状態になるのがしばしばですからね。
つまり、三鷹と浦安に住んだ頃は、その東西格差の中でいかに西側が恵まれているかを思い知らされたのに、その後、駒込や日暮里に住んでしまうと東側がいかに恵まれているかに気づかされる。たぶん、そういったことに限らず、いろんな人がいろんな視点で東京という街を捉えているんでしょうが、やっぱり、私なりに、かつて認識していた以上に多様な東京という街がだんだんと実感として分かってきたような気がします。
今回の上野・浅草・向島は、古い歴史を持ちながら、ひとつのかたまりとして今時点でもいきいきとした魅力を発信し続けるエリア。それはそれで間違いないことなんですが、ついでにこの際、歴史・グルメ・芸術・景観等、たびたび的な視点から言って興味深い東京の魅力度ランキングもご披露してみたいと思います。細かな説明は省きまして、フォートラベルのエリア区分でのランキングです。
1位 銀座・有楽町・日比谷(築地)
2位 浅草
3位 日本橋
4位 神楽坂・飯田橋
5位 三田・田町・芝浦
6位 上野・御徒町
7位 麻布
8位 品川
9位 早稲田・高田馬場
10位 神田・神保町
あまりにも乱暴でこれで伝わるものがあるかどうかも分かりませんが、むしろ、これが東京の多様性の所以。何かを感じてもらえたらうれしいと思います。
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上野駅から浅草通りを中心に浅草を目指しながら周辺のマイナースポットをチェックします。
広徳禅寺遺趾は、台東区役所隣接地に整備された公園のような一角。この地は、「びっくり下谷の広徳寺」と言われるほど広大な敷地を持つ広徳寺のあった場所。会津藩主松平氏、柏原藩織田氏、阿波藩蜂須賀氏等の菩提寺であり、江戸屈指の禅林とされていた寺なんだそうです。
ということで、実は台東区役所もその敷地跡に建っているんですね。 -
廣徳禅寺遺趾石碑というのがあって。広徳寺が小田原城の落城とともに焼失、当地で徳川家康が再興したとか経緯が書かれていました。
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上野駅から浅草に向かって行く浅草通りの一本北の道。台東区役所を過ぎてすぐの日蓮宗の寺、蓮城寺です。
コンクリートの塀からすぐ裏側が本堂なんですが、人けがなくて時代劇でよく虚無僧が住処にしているお堂みたいな感じかな。ちょっと変わった雰囲気です。 -
少し進んで、こちらは宗源寺。浅草通りの北側に入り口があるのですが、奥まっているのでちょっと気が付きにくいかな。もともとは、江戸期の初め頃、下谷黒門町に創建された浄土宗のお寺。建物は鉄筋コンクリートの二階建て。二階が本堂ですね。ただ、全体から受ける感じは古いアパートみたい。見どころはほとんどありません。
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願寿寺は、浅草通りの南側二本目の通り。稲荷町駅の近くです。墓地の中に本堂のような納骨堂のような鉄の扉の変わった建物が建っていて、それが目立っています。真宗高田派のお寺のようです。
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妙経寺は、これも浅草通りの南側二本目の通りにある日蓮宗の寺。
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境内に入るとすぐ左手の高い場所に銅鐘があって、台東区有形文化財。宝暦13年(1763)4代西村和泉守藤原政時によって鋳造されたようですが、上部のイボイボの勢いがすごいです。
ちょっと外れが続いたので、これで少し気を取り直します。 -
善慶寺は、浅草通りの松が谷一丁目の交差点を南に降りて行く通り沿い。日蓮宗のお寺です。門が締まっていましたが、脇から境内には入れます。
個人住宅の玄関みたいな感じですが、二階に花頭窓のデザインがあってお寺だと分かります。まあ、それくらいですね。 -
延命寺も同じエリア。
荒川辺八十八ヶ所霊場84番、御府内二十一ヶ所霊場14番札所でもある真言宗智山派のお寺です。
入口の参道を進むと少し広いスペースに出て、意外に本格的な本堂が現れます。なお、院号は地蔵寺なので、正式には地蔵院延命寺。ちょっと紛らわしいです。 -
大乗院も同じエリア。
荒川辺八十八ヶ所霊場81番、御府内二十一ヶ所霊場16番札所でもある真言宗智山派のお寺です。通りの一角にいきなり今風の都会的な建物が建っています。 -
正福院も浅草通りの南側のブロックなんですが、入口は分かりにくいかな。
御府内八十八ヶ所霊場61番札所。こちらも真言宗智山派のお寺です。
千鳥破風に両側は華頭窓のデザイン。本来、華頭窓は禅宗の寺に多いんですが、細かいことはいいでしょう。あんまり目立たないお寺です。 -
広大寺は、浅草通りの松が谷一丁目の交差点そば。北側のブロックです。
元和7年(1621)に創建した浄土宗のお寺。迫力ある石柱の門を入ると、どうかすると青い瓦がお城の屋根のような本堂。周囲には打ち水もしてあって、手入れがよく行き届いています。 -
光桂寺は、浅草通りの松が谷一丁目の交差点を北に上がった二つ目のブロック。
慶安元年(1648)、神田に創建した真宗大谷寺院派の寺です。
高いブロック塀のすぐ向こうに本堂。しかし、規模が小さいので、頑張っているんですが、ちょっと痛々しいかなという印象です。 -
皆鷹寺は、さらに浅草の方に進んで。浅草通りの元浅草四丁目の交差点を北に上がった二つ目のブロック。
元和元年(1615)、もともとは、下谷黒鍬町に創建された真宗大谷寺院派のお寺です。周囲の石造りの塀と柱は鉄筋かな立派な山門が目立っています。ただ、入ってすぐが本堂なのでここも境内はほとんどありません。 -
続いては公園、松葉公園です。浅草通りの北、二本目の通り沿い。街中にある普通の都市型公園といったところなんですが、ただ、それなりに広いし、平地のエリアと児童遊具のエリアがちゃんとあるので安全度は高いかなと思います。
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ラジオ体操中継放送再開発祥の地記念という案内板もありました。
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長善寺は、浅草通りの松が谷一丁目の交差点を北に上がった三つ目のブロック。慶長年間の頃に創建された真宗大谷派のお寺です。
コンクリートの高い塀のすぐ先に本堂。正面に二つの太い柱があって頑張った構えなんですが、なにせ規模が小さいので迫力がイマイチなのは否めません。 -
養蓮寺は、さらにしばらく北に進んだエリア。
正保年間(1645-1648)に創建された浄土真宗系の単立寺院というのですが、通りにへばりつくように建っていて、境内も何もない。これではどうにもならない寂しいお寺です。 -
このエリアがちょっと続きますが。
源隆寺は、江戸時代初期に創建された真宗大谷派のお寺。こげ茶一色のずんぐりした建物が本堂でしょう。通りから見えるのは後ろ側。しかし、石の参道とかちゃんとした雰囲気は備えています。 -
涼源寺は、元和6年(1620)、もともとは湯島に創建された浄土宗のお寺です。
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イチオシ
山門から境内、境内奥の本堂と、東京にしては喧騒を離れてちょっと本格的な寺院の風情が楽しめます。
これといった歴史はないようですが、この雰囲気は悪くない。やっとここで息を付けた感じですね。今日久しぶりの当たりといった感じです。 -
長徳院は、臨済宗妙心寺派のお寺です。入口を入ると通りに面して左手に個人住宅みたいな建物が並んでいて、その一つ。よく分からない境内です。
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長円寺は、江戸時代前期に創建された浄土宗のお寺です。
ちょっとひなびた山門を入ると近代的な建物が現れてそれが本堂だと思いますが、そこからでは全景がよく分からない。しかし、まあまあ立派そうな建物です。 -
秋葉神社は、秋葉原の名前に由来する神社。
創建は、明治天皇の勅命により、東京大火災後の明治3年、鎮火三神である火の神火産霊大神、水の神水波能売神、土の神埴山毘売神の三柱を勧請したもの。それを秋葉さん、社域を「秋葉の原」または「秋葉っ原」と称したというのです。 -
赤い社殿はスキッとシャープな感じ。まだ若々しい雰囲気がある神社です。
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かっぱ橋道具街の北の端辺りまでやってきて、これは金竜公園。金竜の名前は、浅草寺の山号が「金龍山」であることから。ただ、浅草寺からはそう近くもないかな。いわゆる都市型公園。それなりに広さもあるし、滑り台、ブランコの児童遊具もゆったり整備されています。
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やっと国際通りの方までやってきました。
寿仙院は、国際通りから少し西に入ったところ。慶長8(1603)年、もともとは日本橋小伝馬町に創建された日蓮宗の寺。境内の右手にどうかすると旅館みたいなこぎれいで立派な建物が建っていて、それが変わった印象。観光地だし、檀家の人や関係者を泊めるためなのかなとか。勝手に想像しました。 -
萬隆寺は、国際通り沿い。通りからでも、山門から奥に広がる境内やその奥の高い場所。石造りの壇上に建つ迫力ある本堂がよく見えます。
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出羽の国で創建された寺で、その後、湯島から明暦の大火後当地へ。曹洞宗の寺のようですが、これだけの構えはこの辺りの寺の中でもなかなかない。相当の名刹ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
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天嶽院は、これも国際通りから西に入った閑静な一角。天正18年(1590)に創建された浄土宗のお寺。明暦の大火で当地に移転してきました。周囲は石の塀で囲まれていて中が見えませんでしたが、
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くぐり戸から入らせてもらうと中はとてもよく整備された境内じゃないですか。美しい路地庭園や休憩所のような数寄屋造りの建物などちょっと別世界ですね。とても清々しい気持ちになりました。
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境内には細井平洲墓がありまして。
この細井平州というのは、江戸後期の儒学者。米沢藩、上杉家で後の鷹山の訓育にあたった人物。鷹山の生涯の師といわれ、藩政改革の教学面を指導したということです。天嶽院は、出羽で創建された寺ですから、やっぱりいろんな関係があったんだと思います。この寺はやっぱり何か違う寺なんでしょうね。 -
東光院は、ちょっと前後しますが、かっぱ橋道具街通りの中ほどから少し東に入ったところ。通りから少し奥まった場所に門があって、
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イチオシ
それを入ると菊の紋章みたいなマークの入ったいわくありげな本堂が現れます。
かつて、浅草寺、 観理院と並ぶ江戸天台3か寺のひとつと言われ、末寺108ヶ寺を有する総本寺。浅草薬師のお寺として知られていたようです。なるほど、なるほど。
ちょっと当たりが続いてきたかな。。 -
イチオシ
浅草の日枝神社は芝崎日枝神社といって、近くにある東光院が丸の内付近にあった頃、その境内に祀られていたということ。明暦の大火により、一緒に浅草に移転してきたようです。
総二階のビルのような建物の端っこに向拝が設けられていて、最低限の神社の威厳を保っています。 -
かっぱ通りに戻ってきて。お鍋の博物館は、かっぱ橋道具街通りの中ほど。名前からすると何か資料館のようなものを想像していましたが、鍋をたくさん揃えた普通のお店でした。
それでもと思って見ていたら、親子丼ぶりを作る専用の小さな鍋を発見。なるほど、これで作るとおいしくできそうな感じ。食堂でも、これで一人前ずつ作ったら違うかもしれないなと思います。 -
浅草三十三間堂跡は、矢先稲荷神社の境内に説明版が立っていました。
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三十三間堂と言えば京都の三十三間堂ですが、徳川家光の時代、それを模した堂をここに建立し、通し矢を行い武芸を磨いたのだとか。なお、矢崎稲荷はもともとその三十三間堂の守護のために祀られたものということです。
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行安寺は、少し南に下ったところ。
慶長9年(1604)、もともとは神田柳原に創建された浄土宗の寺。洋風の鉄柵の門を入るとちょっと粗末な本堂が建っていました。特に見るべきものはないですね。 -
そして、気になっていたのは、田原町駅のほど近くの等光寺。
境内に入ってすぐの右手奥のなんでもないところにひっそりとある石川啄木の歌碑なんですが、「浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の一首が刻まれています。
この寺は、啄木の親友、土岐善麿の生家。啄木の葬儀、一周忌もここで行われたという縁です。どうでしょう。意外に知られていない隠れたお宝スポットなのではないかと思います。 -
光円寺は、田原町駅の北側、二つ目のブロックにある小さな真宗大谷派のお寺。ビルの二階が本堂ですが、限られた場所いっぱいに建てられた姿は都会ならではですよね。ただ、特に見どころはなし。この辺りには寺が多いなということくらいです。
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仁丹塔跡の仁丹塔というのは、かつて浅草に建っていた仁丹の広告塔。凌雲閣を模したもので高さは約45m。しかし、第二次世界大戦のための金属回収により解体されたようです。
それにしても、それを記録した金属プレートは風雨にさらされて劣化が激しい。近くでじっくり見ないと判読はできません。 -
雷門通りに出て、これで前半戦は終了。一区切りかな。
これは雷門通り沿いの櫻田。基本は居酒屋さんなんでしょうが、みたらし団子の看板があって、それならと入ってみました。店内の渋い雰囲気はさすがですね。 -
と、出てきたみたらし団子はたれが皿からあふれていて豪快です。柔らかめのお団子もいい感じ。お店の雰囲気とみたらし団子の甘辛さで、すっかり寛がせてもらいました。
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そして、お昼は麦とろへ。
浅草で麦とろって言うとここなんですが、私としてはとろろ汁とくれば丸子宿の丁子屋ですからね。それをぱくったようなものを食べてもなあとこれまで敬遠していたんですよね。さあ、いかがでしょうか。 -
麦飯にとろろを掛けたのはまあ同じなんですが、このしゃれた味付けはすごいですね。
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イチオシ
とろろの野性的な味わいをすんなり素直な味わいに変えて、こんな風にできるんだというような。ちょっと感動。ベースの出汁に工夫があるんでしょうが、とろろのおいしさをこのレベルまで持ってきたのはすごいです。
その他のおかずもメリハリがあって、ここまでくれば、浅草ならではの別物ですね。十分オリジナルになっています。お見それいたしました。 -
落ち着いたところで、ここからは後半戦です。
浅草観音戒殺碑は、浅草寺の本尊・聖観世音菩薩を檜前兄弟が陸揚げした川べりに建立されたという駒形堂の境内。生類憐みの令で知られる五代将軍綱吉の時代に、浅草寺本尊が現れたこの地を霊地として禁漁にしたということを記録した碑です。けっこうボロボロですね。 -
江戸通りは、言問い橋から浅草橋まで隅田川の西側を通る道。今回は、吾妻橋から江戸通りを行って、そこから駒形橋を渡って墨田区側に入ります。浅草寺から離れていくことになるので大通りではありますが、少しさみしげになっていきます。
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イチオシ
駒形橋を渡ります。スカイツリーとアサヒビールが見えています。この眺めは吾妻橋から見るのが一般的ですが、こっちからの眺めもまあまあですね。
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イチオシ
浅草から駒形橋を渡ってすぐの大通り沿いの、これは隅田川ブルーイング。アサヒビール本社ビルに隣接するレストラン&ビールバー。独立した建物はそれ自体が目を引くほど目立っていて、ついふらりと寄ってみたくなる存在ですね。雰囲気抜群のお店です。
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如意輪寺は、アサヒビール本社の裏手に回ったところ。嘉祥2年(849年)、慈覚大師の創建と伝えられる天台宗の古刹であり、聖徳太子像を祀ったお堂があるので、牛島大師堂とか中ノ郷大師堂とも。表札には牛島太子堂とありました。ただ、境内はざっとした感じ。近所の人が何かあった時に集まる場所みたいな感じです。
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ここでふと芋きんが看板商品の満願堂。さつま芋を使った金つばなんですが、焼き芋とか本物の芋よりもはるかにうまい。初めて食べた時はこんなおいしいものがあるかなとちょっと感動しました。
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久しぶりの芋きんですが、この時期、あまびえの焼き印を押した芋きんがありました。早く平和な暮らしを取り戻せればと思います。
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こちらは、塩パン屋。塩パン屋って、今ではあちこちで見かけますが、パン・メゾンは堂々とそれを看板商品としたパン屋さん。いったいどんな塩パンなんでしょうか。期待が高まります。
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イチオシ
なるほどー。塩パンは焼き上がりが軽くて、シンプルな塩味が小麦粉のおいしさを引き立てるのが特徴なんですが、ここのはそれに加えて。バターかな。脂分がしっかりあって、芳醇さが加わりますね。おししさがぐんと増しているような気がします。
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本所吾妻橋駅の近くまでやってきました。大通り沿いで目立つのは福厳寺。高い塀・建物と真っ赤な門に守られたちょっと近寄りがたい感じの構えのお寺です。赤穂浪士大石内蔵助の縁者大石三平や原田きぬの墓があるようですが、そういうことで容易に拝見はできないのかなと思います。
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少し進んで妙縁寺。正和元(1312)年頃に創建されたという日蓮正宗のお寺です。いわゆる公家寺として知られ、朝廷との関係も深く、大檀那の日野家というのは藤原北家の一族です。
大理石の石柱の門から正面の建物とかどうかすると名門の学校みたいな印象もありました。 -
その妙縁寺の境内に入ってすぐの右側にある夜寉井銘の碑です。これは、江戸時代に本所の名水といわれた井戸の傍らに建てられたもの。さざれ石のような自然石の肩に古びた石板が埋め込まれたような変わった形。清水を得るのが難しかった本所地域では余計に価値があった井戸なんですね。
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今度は北十間川の水門の辺り。北十間川は、総延長3.24kmの荒川水系の一級河川。江戸時代初期に開削された運河で、隅田川と旧中川に接続します。今だとスカイツリーの眺めがよい場所として注目される存在かな。水量が豊富で穏やかな水面が印象的です。
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少し歩いて、隅田公園です。
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イチオシ
大名庭園のような光景ですが、それもそのはず。ここは、水戸徳川家小梅邸跡ですからね。
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イチオシ
格式の高い雰囲気とこれまたスカイツリーの取り合わせがいいですね。
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ここから隅田川沿いに北に向かいます。
饗庭篁村旧居跡は、かなり分かりにくい場所ですね。
マンションの敷地みたいなところに説明版がありまして。
篁村は、明治時代の小説家、劇評家、新聞記者。安政2年(1855)、下谷竜泉寺町の質屋に生まれた。読売新聞社に入社し、のちに小説「当世商人気質」を連載して大人気を博し、その名を不動のものにしたとありました。 -
長命寺桜餅の辺りにやってきました。ここまで来たのはけっこう久しぶりです。
三浦乾也旧居跡窯跡は、長命寺桜餅の隣りの空き地。若くして乾山焼の六代を襲名。谷文晁にも絵を習い、蒔絵や彫刻も学ぶ。一方で、黒船来航に驚き、幕府に造艦を建白、勝海舟とともに長崎で建造技術を学び、実際に仙台藩の要請により開成丸を建造したとか。多彩な才能を発揮した人物だったようです。 -
その隣りは、正岡子規仮寓の地。向島周辺の景色を好んだ子規は、この長命寺桜もちの2階を3か月ほど借り、月香楼と名付けて滞在したのだそう。
花の香を 若葉にこめて かぐはしき 桜の餅 家つとにせよ
当時の子規の溌剌とした暮らしぶりが窺われるような歌だと思います。 -
さらに進んで、これは墨堤植桜の碑。殺風景な場所に建つ、なんか勿体のある碑。説明版も隣りにあって、墨堤の桜は享保2年、八代将軍吉宗による植樹がその始まり。碑は明治20年に建立され、その由来が書かれているとありました。なお、碑の題字は榎本武揚によるものです。
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通りを挟んで向かい側。
隅田公園少年野球場は、世界のホームラン王、王貞治選手ゆかりの野球場。墨田区に生まれた王選手は、少年時代、この野球に明け暮れる。王選手の放ったホームランボールが隅田川に飛び込む度に、それを虫取り網で拾っていたという逸話が残ります。
入り口ゲートがちょっとレトロですが、よく見ると王選手の一本足打法のレリーフがあって、当時をしのぶものとなっています。 -
長命寺の境内です。
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勝川春英翁略傳の碑は、 浮世絵師の勝川春英を顕彰するために建てられた石碑。長命寺の境内にはあるのですが、植え込みの奥の方に隠れるように建っていて、かなり分かりにくいです。
碑文には春英の人となりを伝える二つの逸話が記されているということですが、なかなか読みにくいかな。役者絵、相撲絵とかが人気だったようです。 -
榎本武揚旧居跡は、向島のごちゃごちゃした住宅地の一角。マンションの敷地の中に説明版がありました。ここで暮らしたのは明治38年から41年。73才で没するまで。墨堤を馬で毎日散歩する姿が見られたとありました。
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曳舟駅の方に向かいながら。。
この辺りは、道が分かり辛いし、どうかすると方向感を失う感じ。町歩きはけっこう疲れるエリアです。
秋葉神社は、正応2年(1289)創建。江戸時代には鎮火の神として崇敬され、大奥からも厚く信仰されたと言います。
太い柱の石鳥居。石畳の参道からその両側には区の登録文化財に指定されているという石灯籠が並び、なんか歴史を感じる構えです。 -
高木神社は、旧寺島村新田の鎮守。高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祀っているので、むすびの神。「おむすび」の神社としても知られるよう。
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ただ、神社の構えはそれなりに威厳を感じるもの。境内は限られますが、社殿の威厳はなかなかです。
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裏手に回って。
正円寺は、応仁2年(1468年)に創建された天台宗の寺。隣接する高木神社の別当寺だったようです。
門のところから奥を眺めると静かな佇まいですが、観光客を受け入れるという雰囲気はないので、ちょっと敬遠してしまいます。 -
引き続き、細い道を行って。
見えてきたのは飛木稲荷神社の境内に立つ大イチョウ。樹齢500~600年と言われ、墨田区内では最古の木。 -
もともとこの神社の由来として、どこかから飛んできた銀杏がこの地に刺さり、それが立派に育ったのでそれを瑞兆として神社を祀ったという言い伝えがあるよう。戦災にあっても、また復活。今なお力強く立っています。
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円通寺は、その飛木稲荷の奥の方。境内が続いているような感じですが、二つは特に関係はない。幅広の立派な山門を入るとすっきりと開けた境内。
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奥にこれもすっきりした本堂です。
応仁元年(1467)に創建された天台宗の寺。祀られている地蔵尊は、明治初年に曳舟川底から出土したもので、脚気に効験があるとされています。 -
正観寺は、天正20年(1593年)浅草寺の忠尊和尚が開基となって創建。南葛八十八ヶ所霊場67番、新葛西三十三所観音霊場20番というのですが、
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入口から細い参道を入った奥に小さな本堂。限られた境内の窮屈な感じは否めないかな。あまり見ごたえもないと思います。
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なんかぐるぐる回っている途中にあった小さなお団子屋さん、ながしま。いい感じです。
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窓口でおばちゃんからみたらし団子を受け取って、道端でいただきます。柔らかくて、タレもふんわりした甘い系の優しいお団子です。ほっこりした気持ちになりました。
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今度はしばらく歩いて、押上の先。
法性寺は、明応元年(1492年)創建の日蓮宗の寺。通り沿いにあって、鉄筋コンクリート造りのしっかりした建物は迫力がありますね。 -
北辰妙見大菩薩信仰が盛んで、葛飾北斎も度々参詣していたことで有名になったのだとか。ビルの一階奥に妙見堂というのがあって、ちょっと覗けます。
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ここからスカイツリーに向かいます。
西十間橋は、北十間川に架かる橋。川に映りこむスカイツリーの撮影ポイントとして知られる十間橋のひとつ西側。スカイツリーの方に近い側になります。ここからでも、スカイツリーと北十間川に映りこむスカイツリーが眺められます。まあ、川はちょっとカーブはしていますけどね。 -
ここまで来れば、もうスカイツリーのおひざ元です。
四世鶴屋南北の墓は、墓というのですからもっと日陰のような場所にあると思ったら、春慶寺の正面の表通りに面して堂々と立っていました。南北は「於染久松色読販」や「東海道四谷怪談」などで圧倒的な支持を得た江戸時代の狂言作者。今でもこうして、人の目が向かう場所に墓があるって、よほど目立ちたがり屋なのかもしれません。 -
押上天祖神社は、南北朝時代の延元年間(1336~1340年)の創建。石の鳥居から、本殿の前にはまだ新しい感じの石燈籠が二つ並んでいます。全体には古びていますが、石燈籠の新しさと白い幟りとかで、今でも尊崇を受けている感じはしています。
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おしなり橋までくれば、もう到着です。スカイツリーのほぼ真南。北十間川に架かる橋なんですが、橋へ向かう坂はきれいな石段となった人道橋。橋の幅が広いのでちょっとしたスペースも感じます。一帯と一緒になって公園的な雰囲気もあるような気がします。
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なんとか日の暮れる前に到着。よかった、よかった。
ただ、帰るのにやっぱり電車には乗りたくない。結局、帰りもまた歩くことに。上野駅に戻った時にはすっかり暗くなってましたけど、まだこんなに歩けるんだなと自信が持てたような気がします。
さて、早く以前のような旅が再開できますように。。
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