2018/01/26 - 2018/02/01
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ミズ旅撮る人さん
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「マルタ共和国」という小さな島国が地中海のど真ん中にあります。
イタリアのブーツが蹴飛ばしたシチリア島の南、約100kmに位置する国で、
淡路島の半分、東京23区の半分の面積しかありません。
ツアー4日目。午前中はマルタ島の南部観光で、
ブルーグロットとハジャーイム神殿に行きました。
お昼は首都ヴァレッタに戻って半日観光です。
「聖ヨハネ大聖堂」と「騎士団長の宮殿」を見学し、
アッパー・バラッカ・ガーデンに行く予定になっています。
私は2カ所の見学をした後は、ツアーを離団しましたが、その内容は次々回になります。
どの見学地も内容が盛りだくさんなので、ヴァレッタの半日は相当長くなります。
今回は、「聖ヨハネ大聖堂」です。
16世紀にマルタ島に本拠地を定めたヨハネ騎士団、後のマルタ騎士団の
心の拠り所として重厚かつ豪華絢爛に建てられました。
大聖堂の付属する美術館には、カラヴァッジョの「聖ヨハネの斬首」と
「聖ヒエロニムス」が掲げられています。
大聖堂の中は、普通の教会と違って、騎士団の出身地毎に礼拝堂が設置されています。
あまりに豪華絢爛な内装なので、自分の位置が分からなくなります。
ものすごく力のこもった大聖堂をご覧あれ。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
首都ヴァレッタに戻りました。シティゲートを入って、
国会議事堂の前を歩いています。
正午を過ぎたところで、人の姿が増えています。 -
メインストリートのリパブリック通りを歩いて行きます。
屋台が出ていて、軽食をここでとっても良さそうです。
今、見て来たハジャーイム神殿の女性像、あながち空想の産物ではなく、
モデルがいたのかも・・・ -
国立考古学博物館です。
リパブリック通りから直接入るようになっていて、
あまり大きな入口ではないので、うっかり見過ごしそう。
目印は「マルタの女神」の幟旗。
「マルタの女神」は、ハジャーイム神殿で出土しました.
「16世紀マルタ騎士団のプロヴァンス地方出身者のオーベルジュ(宿舎)を利用し、紀元前5200-2500年のマルタ考古学上
とても貴重な遺跡を展示している博物館」だそうです。国立考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
「聖ヨハネ大聖堂」です。
外観は、至って簡素なのですが、中に入ってびっくり。聖ヨハネ大聖堂 寺院・教会
-
金で埋め尽くされたアーチと、その向こうの天井画。
これは、すごい教会だぞ。 -
この天井、キンキラ過ぎて、何が見えているのかわかりません。
-
青い壁に「NC」の文字とマルタ十字と王冠に、植物?
よくもここまでびっしり散りばめたものです。なんだか息もつけない。 -
お兄さん、いい所で立ち止まってくれたなあ。
ツアーで見学中だから、どくまで待てないんですう。 -
「聖ヨハネ大聖堂」は、床に嵌め込まれた色彩豊かな大理石板が、
見事なことでも有名です。
おいおい紹介して行きます。 -
正面玄関付近の天井。
一見フレスコ画に見えますが、石の表面に直接絵が描かれています。
イタリア人画家マティア・プレッティの作品です。 -
こちらが内陣方向。
マティア・プレッティは、1660年にマルタ騎士団に入団し、
以後ほとんどマルタで暮らしました。
ヴィットリオーザの聖ローレンス教会の祭壇画は、
彼の最大の作品と言われています。 -
直接、油絵の具で描いているから、なんとなく変な感じがするんですね。
そうしてみると、フレスコ画というのは、すごいなあ。
見栄えが全然違う。 -
これらが、出身地別の礼拝所。
中央祭壇に向かって左に5つ、右に3つ、計8室あります。
何故左右に4つずつじゃないんでしょうね。
礼拝堂として使われていない空間もあるので、
長い歴史の間に変化があったのでしょう。
アーチ毎に別室になっているので、奥から順に紹介します。
奥が、騎士団の出身地とは関係のない「聖フィレルモの礼拝堂」です。
その手前が、「オーベルニュの礼拝堂」、次が「アラゴンの礼拝堂」、
一番手前が「カスティーリャ・レオン・ポルトガルの礼拝堂」です。 -
反対側は一番手前が(写っていませんが)「ドイツの礼拝堂」で、
その隣が使われていない空間、その隣が「イタリアの礼拝堂」
次が「フランスの礼拝堂」、「プロヴァンスの礼拝堂」と続き、
見えない部分に「イングランドの礼拝堂」があります。
一番奥が主祭壇です。 -
中央祭壇は、御本尊がちょっと他の教会とは違います。
-
「キリストの洗礼」という彫刻作品が御本尊です。
ジョゼッペ・マッツォーリという18世紀を代表する彫刻家の作品です。
「聖ヨハネ大聖堂」は16世紀に建てられたのに、
御本尊は18世紀なの? -
天井から吊り下げられているランプには、両側に天使が掴まっています。
これはおもしろい。天使が運んでいるようなシチュエーション? -
ついつい天使の足を引っ張ってみたくなる・・・
-
天井のアーチには、マルタ十字。
マルタ十字の特徴である、4本の先が2つに割れているのは、
騎士団を構成する出身地の数である8を表していると書いている
ガイドブックもあります。
他のHPでは、これは騎士団の心得を表していて、
名誉・敬虔さ・率直さ・勇敢さ・忠誠心・弱者の庇護・教会への敬意・
死を恐れないこと の8つです。 -
主祭壇の脇にあるパイプオルガン。
両脇にあるので、連弾ができますね。
新旧で2つあることはあるけれど、そもそも2つ並んでいるのは
珍しいと思います。 -
マルタに来れば、どこででも目にするマルタ十字。
マルタ共和国が発行する1ユーロ、2ユーロ硬貨は
マルタ十字が描かれています。
他に、1、2、5セント硬貨はイムナイドラ神殿、
10、20、50セント硬貨はマルタの国章(紋章)が描かれています。 -
主祭壇の前にあるテーブルには、非常に精緻な彫刻が為されています。
中央は「最後の晩餐」です。 -
右は、牛と鷲と剣。
-
左は天使と羽のあるライオンと鍵。
-
ここはフランスの礼拝堂です。
壁一面に百合の紋章・王冠・十字が描かれています。 -
青地に金の紋章などが配置されている壁が多いのですが、
フランスの壁は百合の紋章が目に付くし、
全体的にすっきりとしているので、却って目立ちます。 -
絵画ではなく、周りの装飾を見て欲しくて、斜めの構図になっています。
絵はマティア・プレッティの「聖パウロの改宗」です。
絵画の脇を飾る装飾は、金一点張りの他の部分とは異なり、
薄彫りの白い彫刻になっています。
優美で品があって、さすがフランスと思えます。 -
騎士団長の記念碑には、槍や斧などの武器がいっぱい。
左右に大砲まで備えています。 -
フィリップ1世が、マルタに滞在中に亡くなった
弟のボージョレ伯を偲んで設置しました。
ヨーロッパの王家からの十字軍への参加は多かったようです。
ガイドブックには「弟ボージョレ」と書かれていますが、
ボージョレはブルボン家などの所領で、最後にルイ14世の弟の
フィリップ1世(オルレアン家初代当主)に贈られ、
オルレアン家にボージョレ伯の称号が出来ました。
ボージョレはワインの産地として有名です。 -
イングランドの礼拝堂。
主祭壇の左脇にあり、元は聖遺物を格納する場所でした。 -
絵画の下には、聖クリメントの遺骨が安置されています。
-
ここは聖母マリアに捧げられています。
-
この大聖堂がここまでこってりと豪華なのは、
十字軍に選ばれるということが大変な名誉であり、
そのために貴族の子弟がこぞって参加し、寄進したからなのです。
隣の礼拝堂より、見劣りがすることは許されなかったことでしょう。 -
プロヴァンスの礼拝堂。
バロック様式で、大天使ミカエルの祭壇画が目を惹きます。 -
ヨーロッパ中の金持ちが、競って豪華に飾り立てたので、
もう、ずっしり重くて、見ているだけで疲れます。 -
最初に見た壁とは意匠が異なり、
リースと花紋とマルタ十字です。 -
それぞれの礼拝堂は、通路で繋がっています。
ここはアラゴンの礼拝堂で、4人の騎士団長が安置されています。 -
その1つ。この礼拝堂は、聖ゲオルギウスに捧げられています。
祭壇画を撮り損ねました。 -
そして、もう1つ。この上のアーチには、マティア・プレッティの
「聖ローレンスの生涯」が描かれています。 -
アラゴンの礼拝堂と、カスティーリャ・レオン・ポルトガルの礼拝堂との
間には、なぜか豪華だけれど、礼拝堂にはなっていない空間があります。
ここが大聖堂の出口になっています。 -
ドイツの礼拝堂です。
ヨーロッパの国の中ではドイツという国は歴史が浅いと思うのですが、
礼拝堂がありました。
でもやはり後から作られたようで、
ここは元・イギリスの礼拝堂だったそうです。
イギリスは聖遺物保管所に礼拝堂を移しました。
それなら、ドイツがそこに作れば良かったのに?
北欧やオーストリア・オランダの騎士団の礼拝堂でもあったと
ガイドブックには書かれています。
プロテスタントであるオランダがカトリックの教会に礼拝堂を置くの?
オランダで宗教改革が起きたのは17世紀のことなので、
それまではカトリックなんですね。
現在でもカトリックの方が多く、2015年オランダ中央統計局の
調べではカトリック24.4%、プロテスタント15.8%
なんだそうです。 -
右側面のアーチです。
-
左側面です。こちらはイエス誕生のシーンですね。
-
普通なら、目立つはずの説教壇も、金色の中に埋もれてしまって、
目を凝らさないとわかりません。 -
ドイツの礼拝堂の隣には、聖具保管庫があります。
ここだけが金ピカの装飾が無くて、落ち着けます。 -
カスティーリャ・レオン・ポルトガルの礼拝堂。
前二者は、スペインの王国です。
これにアラゴンが加わって現在のスペインになります。
1469年、カスティーリャの女王イザベルとアラゴン国王フェルナンドが結婚し、1479年からスペイン王国を共同統治します。
あれ?この聖ヨハネ大聖堂が建立されたのは、
1572~77年で、既にスペインだったのでは?
ああ、歴史って難しい・・・
つまりは「言語・出身地」であって、「国」ではないのですね。
祭壇画はマティア・プレッティの「聖ジェームス」・・・
え?スペインの守護聖人なのに英語名?
ガイドブックってひどい!
スペインの守護聖人は「サン・ティアゴ」と言えばご存知の筈。
有名な巡礼地サンチャゴ・デ・コンポステーラの「サンチャゴ」です。
これの生来の名前はヤコブ、これがスペイン語でティアゴ、
フランス語でジャック、英語でジェームスとなります。 -
カスティーリャ・レオン・ポルトガルの礼拝堂の側面にある
騎士団長の記念碑。
この隣には白い記念碑があり、そちらはマノエル騎士団長だそうです。
でも、キンキラキンの中で、黒い記念碑の方がインパクトがあったので、こちらを撮りました。 -
礼拝堂の床には、色大理石で作られた騎士団員の墓碑が
敷き詰められています。 -
丸ポチ目の可愛いおじさんが、
「RF.O. IN DO」と書かれた紙を持っていて、
その背には羽が生えています。おじさんの天使は珍しい。
そのおじさんの下に、おじさんの物にしては長過ぎる足があります。
右側には死の狩人が持つ大鎌。 -
骸骨はヨーロッパで好まれる画題。
-
骨の描写がかなり正確ですね。既に解剖学が発達していたんでしょうね。
-
さて、カスティーリャ・レオン・ポルトガルの礼拝堂の隣には、
小礼拝堂(オラトリオ)があり、現在は美術館になっています。
この床の先には、 -
マルタで最も有名な絵画「洗礼者聖ヨハネの斬首」があります。
-
画家カラヴァッジョの本名はミケランジェロ・メリシ。
1571年、北イタリアで生まれました。
彼はティツィアーノの信望者であり、マヌエリスムの画家である
シモ-ネ・ペテルツァーノに弟子入りしました。
1592年母親が亡くなり、ローマへ。
枢機卿などの強力なパトロンを得て、活躍します。
1600年に聖ルイジ・デ・フランチェシ聖堂の
コンタレッリ礼拝堂のために「聖マタイの殉教」を描き、絶賛されます。
しかし、彼の気性は苛烈を極め、1606年殺人事件を起こして
ローマから逃亡、ナポリに到着。
翌年マルタ島に渡って、騎士団に入りました。
マルタ島では5つの作品を描いたようですが、
マルタに現存しているのは2作品だけです。
フィレンツェのピッティ宮殿に収蔵されている「眠るキューピッド」は、
1608年にマルタで描いたものと言われています。
しかし、再び事件を起こし、シチリア島のシラクーザに逃亡します。
それによって彼は騎士団を追放されました。
メッシーナ・パレルモと移動し、1609年にナポリに戻り、
教皇の恩赦を待ちましたが、1610年に亡くなっています。
享年38歳でした。 -
「洗礼者ヨハネの斬首」
騎士団が旗印に掲げる聖ヨハネを、ヘロデ王が娘サロメへの褒美として、
斬首させる場面。
左は、ヨハネの首を載せるための盆を持つ女性です。
平然とそんなものを載せられるものでしょうか。
その隣の老女は顔を覆って残酷な場面におののいていますが、
何故彼女はここにいるのか?
青いマントを羽織った男は看守で、盆を持つ女に指示を出しています。
看守の衣装はトルコ風で、当時敵対していたオスマン・トルコ帝国を
暗示しています。
ヨハネを押さえつけているのが、死刑執行人。
その奥の格子の嵌った窓から覗き込む他の囚人たち。
ヨハネの後ろに回した右手は、大聖堂の聖遺物になっています。 -
ヨハネの首から流れ出る血の先に、
カラヴァッジョの生涯で唯一の本名のサインがあります。
「F ミケランジェロ」Fは、騎士の意味で、
本名のミケランジェロとサインをしています。
カラヴァッジョは、騎士であることにたいへん誇りを感じていた
そうです。
騎士団に入るには莫大な寄付と、貴族のコネが無ければ
ならなかったので、平民の彼にとっては夢だったのでしょう。
騎士団員としての誇りを描き示したかったのでしょう。 -
「洗礼者ヨハネの斬首」の前にある祭壇に嵌め込まれているレリーフは、
絵画の次の場面を表しています。
切り落としたヨハネの首を盆に載せています。
絵画に合わせて、このモチーフをここに嵌め込んだのでしょうか。
この後、ヨハネの首はどうなったか。
首を要求したヘロデ王の娘サロメの元に運ばれました。
サロメは、舞踏の報酬にヨハネの首を要求しました。
聖書にも書かれている話ですが、当初はサロメの母が、
娘に指示したことでしたが、サロメの戯曲などで、サロメこそが
悪女(ファムファタール)として描かれるようになりました。
この場面は芸術家の好む題材で、
ギュスターヴ・モローの「出現」をはじめ、
カラヴァッジオ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
ビアズリー 「踊り手の褒美」
ティツィアーノ 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
ルーカス・クラナハ(父) 「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
など、非常に多くの作品が描かれています。 -
「洗礼者ヨハネの斬首」の上のアーチ天井の部分です。
彼は何故カラヴァッジョと呼ばれるのか。
幼少期を過ごした北イタリアのカラヴァッジョ村の名前で
呼ばれたようです。
エル・グレコがスペインで「ギリシャ人」を意味する「エル・グレコ」と呼ばれたのと同じですね。
彼の本名はドメニコス・テオトコプーロスです。
カラヴァッジョは、この絵の前で罪を問われ、
ヴィットリオーザの聖アンジェロ砦に投獄されました。 -
アーチの真ん中には、7本のナイフを突き立てられた女性像。
どういう女性なんだろう? -
天井のアーチ部分、右側です。
-
左側です。
-
「洗礼者ヨハネの斬首」の右側に飾られている絵です。
これまで、恐ろしく豪華なキンピカの内装でしたが、
さすがに美術館になると、いきなり簡素になりました。 -
こちらが左側の絵です。
-
この部屋には、聖人達の絵と、窓が描かれています。
-
天井です。
-
聖人画の1枚です。
-
こちらは、如何にもありがたそうな聖人。
-
これが大聖堂にあるもう1枚のカラヴァッジョ。
「執筆する聖ヒエロニムス」です。
この絵は、ヨハネ騎士団ナポリ支部団長マラスピーナのために
描かれました。右下に、彼の紋章が描かれています。
マラスピーナとは、カラヴァッジョがナポリからマルタに来る途中、
船の中で知り合いました。
当時のマルタは、ヴィットリオーザからヴァレッタに都市の中心を
移している最中で、
騎士団長ヴィニャクールは、喜んでこの凶暴な画家を取り立てました。
そのため、この絵のモデルは、ヴィニャクールであるとされています。
絵をもらったマラスピーナの死後、この絵は大聖堂のイタリア礼拝堂に
飾られ、現在はオラトリオ(この美術館)に展示されています。 -
オラトリオを出て、大聖堂の反対側に来ました。
各出身地の礼拝堂の外に、1つの記念碑があります。
ゾンダダリ騎士団長のモニュメントで、
イタリア礼拝堂に設置する筈でしたが、
大き過ぎて入らないため、ここに置かれたのだとか。 -
さて、この先には「聖具保管庫」があります。
-
さぞかし、お宝がいっぱいと思いきや、意外とガランとした部屋です。
-
聖職者の着替えをするための部屋だったそうで、
騎士団長の肖像画などが展示されています。 -
壁に嵌め込まれていたこのモチーフは、なんかいいなあ。
-
イタリアの礼拝堂です。
他の礼拝堂より、金の占有率が低くなり、
代わりに芸術的に優れた装飾が取り巻いています。
やはり色大理石の使い方は、産地のイタリアが秀でていますね。 -
このモニュメントの精巧なこと!これは見事です。
-
色大理石をモザイクタイルのように使っています。
-
よく似た壁の装飾ですが、出身地ごとに違います。
ここには双頭の鷲の紋章があり、王冠は2種類、文字はRとC? -
イチオシ
ようやく、気に入ったモチーフを見つけました。
-
なかなか気に入ったものが見つけられないのは、
ここが各国の寄せ集めで、ゴテゴテと飾り立てることばかり考えて、
手前勝手な空間だったからのようです。
ここは、豪華な集会所だったのでしょう。 -
イチオシ
この大聖堂の中で、こんな風に真摯な目をして祈っていた騎士が
どれほどいたのでしょうか。 -
丸窓がおもしろいですね。一瞬、障子かと思いました。
マティア・プレッティによる天井画は、
聖ヨハネの生涯を1区画に3つずつ18場面に亘って描かれています。
彼は生涯の殆どをマルタで過ごしたため、
その作品はマルタ国内に数多く残されています。 -
オーベルニュの礼拝堂です。
聖セバスチャンに捧げられた礼拝堂です。
ラングエ地方の紋章である冠を被ったイルカが壁に描かれています。 -
オーベルニュとは、フランス中南部で、
1666年にフランス王領になっています。
ワインの山地でもありますが、
ミネラルウォーターの水源が109もあるそうです。
ボルヴィックのラベルに書かれていた山が、
オーベルニュで有名なピュイ・ド・ドームという火山です。 -
大聖堂での最後の1枚だと言うのに、ああ、またしても立ちはだかる彼。
さあ、外に出ましょう。 -
正面玄関です。ファサードの上にあるベランダは、
しばしば騎士団長の晴れ舞台となりました。
大聖堂は、1572~77年に、マルタ人建築家の
ジェラーロモ・カッサールが設計し、
ラ・カシエル騎士団長の銘によって建てられました。 -
玄関の右脇にある鐘楼。
ここを建てた頃は、オスマン・トルコを撃退して、
血気盛んだったことでしょうが、この内部を見てもわかるように、
たいへんな資金をつぎ込んで豪華さを競い、
それを続けているうちに、騎士団としての意識も能力も失って、
1798年ナポレオンに占領されてしまいました。
聖ヨハネ騎士団は、1834年に本拠地をローマに移し、
現在でも世界各国に13,000人の団員がいると言われています。
次回は「騎士団長の宮殿」です。ここでは衛兵交代が見られます。
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