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今年の5月にスペイン・ポルトガル旅行を計画していたところ、新型コロナウイルスの影響でツアーが中止。<br />予定が空いたので八幡平のドラゴンアイを見ようと計画したものの、こちらもコロナの影響でホテルがクローズして断念。<br />やむなく時期を半年ずらして秋に変更し、東北の名湯と紅葉を巡る旅を計画して、8泊9日のドライブ旅行に出かけてきました。(コロナ対策として密を防ぐため、しんどいけれどマイカーで出かけました)<br />ただ旅行時期を半年ずらしたおかけで、何とGoToトラベルキャンペーンが利用でき、お得に旅することができました。<br />今回の旅程は、<br />10月17日(土)マイカーで出発し、新潟県の新発田城を観光して村上市の瀬波温泉泊<br />10月18日(日)山形県鶴岡市内観光後、出羽三山神社参拝して休暇村羽黒温泉泊<br />10月19日(月)秋田県角館市内と田沢湖を観光後、乳頭温泉泊<br />10月20日(火)八幡平散策後、山形県の銀山温泉泊<br />10月21日(水)立石寺を観光後、福島県裏磐梯の五色沼散策して猫魔温泉泊<br />10月22日(木)大内宿、鶴ヶ城・飯盛山観光後、東山温泉泊<br />10月23日(金)新潟県に移動し、清津峡渓谷トンネル観光後、大湯温泉泊<br />10月24日(土)西福寺参拝後富山県に移動し、海王丸パークと高岡大仏・瑞龍寺観光し宿泊<br />10月25日(日)世界遺産の相倉・菅沼合掌造り集落観光後帰宅<br />今回の全走行距離は約2800Km。<br />一人で運転したので結構しんどかったけれど美味しいものをいただき、きれいな紅葉が眺めて、毎日温泉に入られたので疲れも緩和されました。<br />国内旅行にしては長い旅行だったので、14回の旅行記にまとめて紹介したいと思います。<br />今回は大内宿観光後に行った会津市内観光を紹介します。<br />飯盛山から見た鶴ヶ城が思ったより遠かったのでビックリしました。

東北の名湯と紅葉巡りの旅 11/14(鶴ヶ城・飯盛山観光)

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2020/10/17 - 2020/10/25

798位(同エリア1343件中)

旅好き長さん

旅好き長さんさん

今年の5月にスペイン・ポルトガル旅行を計画していたところ、新型コロナウイルスの影響でツアーが中止。
予定が空いたので八幡平のドラゴンアイを見ようと計画したものの、こちらもコロナの影響でホテルがクローズして断念。
やむなく時期を半年ずらして秋に変更し、東北の名湯と紅葉を巡る旅を計画して、8泊9日のドライブ旅行に出かけてきました。(コロナ対策として密を防ぐため、しんどいけれどマイカーで出かけました)
ただ旅行時期を半年ずらしたおかけで、何とGoToトラベルキャンペーンが利用でき、お得に旅することができました。
今回の旅程は、
10月17日(土)マイカーで出発し、新潟県の新発田城を観光して村上市の瀬波温泉泊
10月18日(日)山形県鶴岡市内観光後、出羽三山神社参拝して休暇村羽黒温泉泊
10月19日(月)秋田県角館市内と田沢湖を観光後、乳頭温泉泊
10月20日(火)八幡平散策後、山形県の銀山温泉泊
10月21日(水)立石寺を観光後、福島県裏磐梯の五色沼散策して猫魔温泉泊
10月22日(木)大内宿、鶴ヶ城・飯盛山観光後、東山温泉泊
10月23日(金)新潟県に移動し、清津峡渓谷トンネル観光後、大湯温泉泊
10月24日(土)西福寺参拝後富山県に移動し、海王丸パークと高岡大仏・瑞龍寺観光し宿泊
10月25日(日)世界遺産の相倉・菅沼合掌造り集落観光後帰宅
今回の全走行距離は約2800Km。
一人で運転したので結構しんどかったけれど美味しいものをいただき、きれいな紅葉が眺めて、毎日温泉に入られたので疲れも緩和されました。
国内旅行にしては長い旅行だったので、14回の旅行記にまとめて紹介したいと思います。
今回は大内宿観光後に行った会津市内観光を紹介します。
飯盛山から見た鶴ヶ城が思ったより遠かったのでビックリしました。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 10月23日(金)午前中に大内宿を観光した後、会津若松市内に移動して来ました。<br />大内宿では晴れてきたものの、市内に戻ると天気予報通りの曇り空。<br />まだ雨が降っていないので急いで観光します。<br />まず訪れたのがこの鶴ヶ城。<br />お堀も天守もある立派なお城です。

    10月23日(金)午前中に大内宿を観光した後、会津若松市内に移動して来ました。
    大内宿では晴れてきたものの、市内に戻ると天気予報通りの曇り空。
    まだ雨が降っていないので急いで観光します。
    まず訪れたのがこの鶴ヶ城。
    お堀も天守もある立派なお城です。

  • 会津の藩主は、葦名氏⇒伊達氏⇒蒲生氏⇒上杉氏⇒蒲生氏⇒加藤氏⇒保科氏⇒最後は松平氏に変わっています。<br />鶴ヶ城の天守が現在の5層になったのは加藤氏の時代です。

    会津の藩主は、葦名氏⇒伊達氏⇒蒲生氏⇒上杉氏⇒蒲生氏⇒加藤氏⇒保科氏⇒最後は松平氏に変わっています。
    鶴ヶ城の天守が現在の5層になったのは加藤氏の時代です。

  • 駐車場に車を停めて城内に入っていきます。

    駐車場に車を停めて城内に入っていきます。

  • この大きな石垣は、今から約370年前の加藤氏の時代に整備された石垣です。

    この大きな石垣は、今から約370年前の加藤氏の時代に整備された石垣です。

  • ここから5層の天守が望めます。

    ここから5層の天守が望めます。

  • これが鶴ヶ城の天守。<br />難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城して一ヵ月間、落城しませんでした。<br />その後、石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年。<br />そしてたくさんの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月だそうです。<br />さらに平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった日本で唯一の天守閣となりました。

    これが鶴ヶ城の天守。
    難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城して一ヵ月間、落城しませんでした。
    その後、石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年。
    そしてたくさんの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月だそうです。
    さらに平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった日本で唯一の天守閣となりました。

  • この天守閣と茶室麟閣、そしてちょっと離れたところにある御薬園の三つの施設に入れる共通入場券を買ってまずは天守閣に登ります。<br />天守閣には中央の門から登ります。<br />何となくエジプトのピラミッドの中に入るような感じです。

    この天守閣と茶室麟閣、そしてちょっと離れたところにある御薬園の三つの施設に入れる共通入場券を買ってまずは天守閣に登ります。
    天守閣には中央の門から登ります。
    何となくエジプトのピラミッドの中に入るような感じです。

  • 城内の各階には鶴ヶ城にまつわる展示がしてあり、それらを見学しながら天守閣に登ります。<br />この日は高校生の修学旅行生と一緒だったので城内はとても賑やかでした。<br />そして天守閣からの眺めがこれで、市内を一望できます。

    城内の各階には鶴ヶ城にまつわる展示がしてあり、それらを見学しながら天守閣に登ります。
    この日は高校生の修学旅行生と一緒だったので城内はとても賑やかでした。
    そして天守閣からの眺めがこれで、市内を一望できます。

  • これは飯盛山方面だったかな?

    これは飯盛山方面だったかな?

  • 眼下には次に訪れる茶室麟閣が見えます。

    眼下には次に訪れる茶室麟閣が見えます。

  • こちらは南走長屋と干飯櫓です。<br />この南走長屋は表門から続いていて、本丸への敵の侵入を防ぐ重要な施設だったそうです。<br />そして飯干櫓はその名の通り、糒(干飯)などの食糧の貯蔵庫として使われていたそうです。

    こちらは南走長屋と干飯櫓です。
    この南走長屋は表門から続いていて、本丸への敵の侵入を防ぐ重要な施設だったそうです。
    そして飯干櫓はその名の通り、糒(干飯)などの食糧の貯蔵庫として使われていたそうです。

  • 天守閣の見学を終えて下から天守を眺めるとこんな感じで、とても立派なお城です。<br />この日は天気があまり良くなく、赤瓦がくすんで見えるのがちょっと残念です。

    天守閣の見学を終えて下から天守を眺めるとこんな感じで、とても立派なお城です。
    この日は天気があまり良くなく、赤瓦がくすんで見えるのがちょっと残念です。

  • それにしても日本のお城はとても絵になります。

    それにしても日本のお城はとても絵になります。

  • そしてこちらが茶室麟閣。<br />入場券があるのでこちらにも入ります。

    そしてこちらが茶室麟閣。
    入場券があるのでこちらにも入ります。

  • こちらは茶道家、千利休の千家ゆかりのお茶室のあるお庭です。<br />もちろん園内ではお茶もいただけます。<br />

    こちらは茶道家、千利休の千家ゆかりのお茶室のあるお庭です。
    もちろん園内ではお茶もいただけます。

  • 天正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉の怒りを買い死を命じられました。<br />秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主 蒲生氏郷は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、千家の再興を願いでて、その結果、少庵は京都に戻って再興することができたそうです。<br />この恩義に報い、少庵が建てたのがこの『麟閣』と伝えられます。

    天正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉の怒りを買い死を命じられました。
    秀吉の怒りが千家一族に及び利休の茶道が絶えるのを惜しんだ、時の会津城主 蒲生氏郷は、利休の子少庵(しょうあん)を会津にかくまい、千家の再興を願いでて、その結果、少庵は京都に戻って再興することができたそうです。
    この恩義に報い、少庵が建てたのがこの『麟閣』と伝えられます。

  • 茶室麟閣の見学後、城外にある御薬園に向かいます。<br />こうやって見ると赤い瓦が良くわかります。

    イチオシ

    茶室麟閣の見学後、城外にある御薬園に向かいます。
    こうやって見ると赤い瓦が良くわかります。

  • ここのお堀も立派です。

    ここのお堀も立派です。

  • 鶴ヶ城から車で10分足らず移動して御薬園に到着。

    鶴ヶ城から車で10分足らず移動して御薬園に到着。

  • この庭園は、中央に心字の池を配した回遊式の借景園で、併設する各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来だそうです。

    この庭園は、中央に心字の池を配した回遊式の借景園で、併設する各種薬草を栽培する薬草園が御薬園の名前の由来だそうです。

  • この庭園は、室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだしたこの地に別荘を建てたのがはじまりと言われていて、昭和7年に徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されています。

    この庭園は、室町時代に葦名盛久が霊泉の湧きだしたこの地に別荘を建てたのがはじまりと言われていて、昭和7年に徳川時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されています。

  • 会津松平三代藩主 正容(まさかた)公が朝鮮人参の栽培に成功し、広く民間にも作付けを奨励したことから『御薬園』と呼ばれたそうです。<br />幕末の会津戦争では新政府軍の療養所として使用されていたため、焼失を免れたそうです。

    会津松平三代藩主 正容(まさかた)公が朝鮮人参の栽培に成功し、広く民間にも作付けを奨励したことから『御薬園』と呼ばれたそうです。
    幕末の会津戦争では新政府軍の療養所として使用されていたため、焼失を免れたそうです。

  • 名前は『御薬園』と薬草の庭のようですが立派な庭園でした。<br />もちろん庭園の隣には小さな薬草園もあります。

    イチオシ

    名前は『御薬園』と薬草の庭のようですが立派な庭園でした。
    もちろん庭園の隣には小さな薬草園もあります。

  • 紅葉はまだちょっと早いかな。

    紅葉はまだちょっと早いかな。

  • 『御薬園』の見学後、雨が降らないうちに急いで飯盛山に向かいます。<br />まずは隣接する無料駐車場に車を停めて、飯盛山に向かいます。<br />正面の小高い山が飯盛山です。

    『御薬園』の見学後、雨が降らないうちに急いで飯盛山に向かいます。
    まずは隣接する無料駐車場に車を停めて、飯盛山に向かいます。
    正面の小高い山が飯盛山です。

  • これが飯盛山の案内図。<br />正式にはこの矢印のように本参道から厳島神社、さざえ堂を経て飯盛山に登るようですが、私たちは逆のルートで向かいます。

    これが飯盛山の案内図。
    正式にはこの矢印のように本参道から厳島神社、さざえ堂を経て飯盛山に登るようですが、私たちは逆のルートで向かいます。

  • この土産物屋さんの前を通って一気に飯盛山に登ります。

    この土産物屋さんの前を通って一気に飯盛山に登ります。

  • 本来ならばこの石段を登って飯盛山に登るのですが、昨日までの疲れがピークに達していたので、右側のスロープコンベア(有料)で登ります。<br />ちなみに石段は山頂まで183段ですが、結構急な登り坂になっています。

    本来ならばこの石段を登って飯盛山に登るのですが、昨日までの疲れがピークに達していたので、右側のスロープコンベア(有料)で登ります。
    ちなみに石段は山頂まで183段ですが、結構急な登り坂になっています。

  • 今まで羽黒山、立石寺、五色沼散策などで毎日結構歩いたのでこの日は無理せずこのスロープコンベアを利用しました。<br />料金は250円です。

    今まで羽黒山、立石寺、五色沼散策などで毎日結構歩いたのでこの日は無理せずこのスロープコンベアを利用しました。
    料金は250円です。

  • これが動く坂道の『スロープコンベア』<br />とても楽ちんです。

    これが動く坂道の『スロープコンベア』
    とても楽ちんです。

  • ここが飯盛山の山頂。<br />この飯盛山は古墳で有り、神社仏閣の境内にあたり、霊山の一つです。<br />この広場には白虎隊の墓碑や慰霊碑があります。

    ここが飯盛山の山頂。
    この飯盛山は古墳で有り、神社仏閣の境内にあたり、霊山の一つです。
    この広場には白虎隊の墓碑や慰霊碑があります。

  • まずは白虎隊士自刃の地を目指します。<br />この正面が自刃の地です。<br />戊辰戦争時会津藩は、15歳~17歳の少年で『白虎隊』を編成し、その中でも、士中二番隊は会津藩校日新館に学ぶエリート隊でした。<br />彼らは明治元年(1868年)8月23日、戸の口原での戦いで新政府軍より決定的な打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びました。<br />その際ここから眺めた、戦闘による市中火炎の模様と黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと、いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。

    まずは白虎隊士自刃の地を目指します。
    この正面が自刃の地です。
    戊辰戦争時会津藩は、15歳~17歳の少年で『白虎隊』を編成し、その中でも、士中二番隊は会津藩校日新館に学ぶエリート隊でした。
    彼らは明治元年(1868年)8月23日、戸の口原での戦いで新政府軍より決定的な打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びました。
    その際ここから眺めた、戦闘による市中火炎の模様と黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと、いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。

  • これは白虎隊士の像で、この少年が指さしている方向に鶴ヶ城があります。

    これは白虎隊士の像で、この少年が指さしている方向に鶴ヶ城があります。

  • その少年の指している方向がこれで、この写真では鶴ヶ城がわかりません。

    その少年の指している方向がこれで、この写真では鶴ヶ城がわかりません。

  • ズームでアップすると中央の白いアンテナのようなものの後ろ側に何とか鶴ヶ城が見えます。<br />飯盛山から鶴ヶ城までこんなに離れていたとはビックリです。

    ズームでアップすると中央の白いアンテナのようなものの後ろ側に何とか鶴ヶ城が見えます。
    飯盛山から鶴ヶ城までこんなに離れていたとはビックリです。

  • これが白虎隊士自刃の地の慰霊碑です。

    これが白虎隊士自刃の地の慰霊碑です。

  • これはイタリー祈念碑。<br />1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑だそうです。<br />この碑の中心の円柱は、79年のヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから発掘した古代ローマ宮殿の柱だそうです。

    これはイタリー祈念碑。
    1928年に、白虎隊士をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリアの首相ムッソリーニから『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』と贈られた石碑だそうです。
    この碑の中心の円柱は、79年のヴェスヴィオ火山の爆発で埋没したポンペイから発掘した古代ローマ宮殿の柱だそうです。

  • こちらは白虎隊十九士の墓。<br />白虎隊は総勢343名(現在の推定)だったそうです。<br />そのうち戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名。<br />そしてその中の17名は無事に入城したのですが、残りの20名はこの飯盛山で自刃しましたが、飯沼少年1人のみその後蘇生したため19士の墓となりました。 <br />ただ一人生き残った飯沼少年は自分を責めてこの会津の地から離れ、二度とこの地に戻ることはなかったそうです。<br />ただ戊辰戦争における白虎隊の自刃に至るまでの詳細を飯沼少年が語ったことで、飯盛山で自刃された白虎隊の物語が世に知られることとなったそうです。<br />生き残った飯沼少年もつらかったと思います。

    こちらは白虎隊十九士の墓。
    白虎隊は総勢343名(現在の推定)だったそうです。
    そのうち戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名。
    そしてその中の17名は無事に入城したのですが、残りの20名はこの飯盛山で自刃しましたが、飯沼少年1人のみその後蘇生したため19士の墓となりました。
    ただ一人生き残った飯沼少年は自分を責めてこの会津の地から離れ、二度とこの地に戻ることはなかったそうです。
    ただ戊辰戦争における白虎隊の自刃に至るまでの詳細を飯沼少年が語ったことで、飯盛山で自刃された白虎隊の物語が世に知られることとなったそうです。
    生き残った飯沼少年もつらかったと思います。

  • そしてこちらは会津藩殉難烈婦の碑。<br />自刃した白虎隊は有名ですが、それ以外に戊辰戦争時、自刃または戦死した会津藩の婦女子230余名の霊を弔うために建てられた碑です。

    そしてこちらは会津藩殉難烈婦の碑。
    自刃した白虎隊は有名ですが、それ以外に戊辰戦争時、自刃または戦死した会津藩の婦女子230余名の霊を弔うために建てられた碑です。

  • こちらは吉田伊惣次氏篤志の碑。<br />飯盛山で自刃した白虎隊の遺骸は、戊辰戦争が終わっても朝敵とされたため、しばらく風雨にさらされていました。<br />近くの村に住む世話人の吉田伊惣次氏はこの惨状を見て、村人達と密かに遺体を飯盛山と近くの妙国寺に仮埋葬したそうです。<br />そのため新政府軍にそのとがめを受け投獄されましたが、自発的行為ということで許されたそうです。<br />いつの時代も心優しき人がいるものです。<br />この碑は、明治33年にその篤志を称える有志によって建てられたそうです。

    こちらは吉田伊惣次氏篤志の碑。
    飯盛山で自刃した白虎隊の遺骸は、戊辰戦争が終わっても朝敵とされたため、しばらく風雨にさらされていました。
    近くの村に住む世話人の吉田伊惣次氏はこの惨状を見て、村人達と密かに遺体を飯盛山と近くの妙国寺に仮埋葬したそうです。
    そのため新政府軍にそのとがめを受け投獄されましたが、自発的行為ということで許されたそうです。
    いつの時代も心優しき人がいるものです。
    この碑は、明治33年にその篤志を称える有志によって建てられたそうです。

  • 飯盛山の展望台から見た会津若松市内。<br />次は山頂を下りてさざえ堂を目指します。

    飯盛山の展望台から見た会津若松市内。
    次は山頂を下りてさざえ堂を目指します。

  • 正面の建物は宇賀神堂。<br />五穀豊穣の神、宇賀神(白蛇)をお祭りしています。

    正面の建物は宇賀神堂。
    五穀豊穣の神、宇賀神(白蛇)をお祭りしています。

  • 更に進んでさざえ堂を目指します。

    更に進んでさざえ堂を目指します。

  • これが国指定重要文化財の『さざえ堂』です。<br />正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』というそうです。<br />その形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。<br />拝顔料は400円で入ろうと思ったのですが、ここでも多くの修学旅行生が並んでいたので断念しました。

    これが国指定重要文化財の『さざえ堂』です。
    正しくは『円通三匝堂(えんつうさんそうどう)』というそうです。
    その形がさざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。
    拝顔料は400円で入ろうと思ったのですが、ここでも多くの修学旅行生が並んでいたので断念しました。

  • さざえ堂のそばにあるこれは『供養車』。<br />この車を廻せば悲痛な音を発し、これが冥途にとどいて白虎隊士の霊魂を慰めるものだそうです。<br />そのため供養車を回させていただきました。<br />また石の台には中国伝説の獏がいて、獏は良い夢を喰うので、その頭にのぼれば悪夢消滅の願いをかなえると言われているそうです。

    さざえ堂のそばにあるこれは『供養車』。
    この車を廻せば悲痛な音を発し、これが冥途にとどいて白虎隊士の霊魂を慰めるものだそうです。
    そのため供養車を回させていただきました。
    また石の台には中国伝説の獏がいて、獏は良い夢を喰うので、その頭にのぼれば悪夢消滅の願いをかなえると言われているそうです。

  • さざえ堂を正面から見るとこんな感じで、多角形のらせん状の造りになっているので不思議な感じがします。

    イチオシ

    さざえ堂を正面から見るとこんな感じで、多角形のらせん状の造りになっているので不思議な感じがします。

  • 入り口の彫刻もとても立派です。<br />これは白蛇?それとも白い龍かな?

    入り口の彫刻もとても立派です。
    これは白蛇?それとも白い龍かな?

  • こちらは厳島神社。<br />別名『弁天様』と親しまれるこの神社が、飯盛山の別名『弁天山』の由来にあたるそうです。<br />『飯盛山』という名も、このお堂建設に纏わる神話が由来しているそうです。

    こちらは厳島神社。
    別名『弁天様』と親しまれるこの神社が、飯盛山の別名『弁天山』の由来にあたるそうです。
    『飯盛山』という名も、このお堂建設に纏わる神話が由来しているそうです。

  • こちらは厳島神社の横にある『戸ノ口堰洞窟』。<br />天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴ですが、戊辰戦争のおり、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐったそうです。<br /> 現在でも農業や工業用水に使われています。<br />それにしても遠い猪苗代湖から水を引いてくるなんて、昔の人の技術もたいしたものです。

    こちらは厳島神社の横にある『戸ノ口堰洞窟』。
    天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴ですが、戊辰戦争のおり、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐったそうです。
    現在でも農業や工業用水に使われています。
    それにしても遠い猪苗代湖から水を引いてくるなんて、昔の人の技術もたいしたものです。

  • これは厳島神社の鳥居です。<br />宮島の鳥居ほどではないですが、それでも立派な鳥居です。

    これは厳島神社の鳥居です。
    宮島の鳥居ほどではないですが、それでも立派な鳥居です。

  • ここは白虎隊記念館。<br />中には戊辰戦争関係の史料が展示されているようですが、小雨が降り出したので中には入らずホテルに向かいました。

    ここは白虎隊記念館。
    中には戊辰戦争関係の史料が展示されているようですが、小雨が降り出したので中には入らずホテルに向かいました。

  • この日の宿は、飯盛山そばの東山温泉にある東山パークホテル新風月。<br />チェックインして部屋に向かうと和洋室のとても広い客室です。

    この日の宿は、飯盛山そばの東山温泉にある東山パークホテル新風月。
    チェックインして部屋に向かうと和洋室のとても広い客室です。

  • こちらはトイレと洗面所・浴室です。

    こちらはトイレと洗面所・浴室です。

  • 窓からの景色がこれで、山に囲まれた静かな温泉街です。

    窓からの景色がこれで、山に囲まれた静かな温泉街です。

  • この日の夕食は、飲み放題付きバイキング。<br />いろいろな料理とビールや地酒がいただけます。

    この日の夕食は、飲み放題付きバイキング。
    いろいろな料理とビールや地酒がいただけます。

  • このようなミニ丼のコーナもあります。

    このようなミニ丼のコーナもあります。

  • こちらはお寿司とお刺身のコーナ。<br />宿泊費は安かったのであまり期待していなかったのですが、思ったより良かったです。

    こちらはお寿司とお刺身のコーナ。
    宿泊費は安かったのであまり期待していなかったのですが、思ったより良かったです。

  • いただいたのがこの料理。<br />まず始めはビールをいただきましたが、2杯目以降は私の大好きな日本酒の地酒を沢山いただきました。<br />その後、大浴場のお風呂に入って休みました。<br />明日は新潟県の清津峡渓谷トンネルを観光する予定。<br />天気予報は雨だけど、トンネル内の観光なのであまり影響はなさそうです。<br />詳細は次の旅行記で紹介させていただきます。

    いただいたのがこの料理。
    まず始めはビールをいただきましたが、2杯目以降は私の大好きな日本酒の地酒を沢山いただきました。
    その後、大浴場のお風呂に入って休みました。
    明日は新潟県の清津峡渓谷トンネルを観光する予定。
    天気予報は雨だけど、トンネル内の観光なのであまり影響はなさそうです。
    詳細は次の旅行記で紹介させていただきます。

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