2025/11/19 - 2025/11/20
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ペコちゃんさん
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会津の旅・2日目は、「磐梯山温泉ホテルby星野リゾート」周辺の雪景色から始まります。
天気も良く、青空・純白の雪・紅葉と揃った景色は、なかなかお目にかかるものではありません・・・嬉しくなりました。
今日の観光は、猪苗代町にある会津藩の初代藩主だった保科正之を祀った「土津(はにつ)神社」、その後は福島銘菓・薄皮饅頭のお買い物、昼食後は会津武家屋敷の見学です。
写真は雪を被った猫魔ヶ岳と「ネコマ マウンテン」のゲレンデ・・・紅葉とのマッチングが素晴らしい眺めです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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2日目の朝・・・朝食前にホテルの外に出てみると、雪が・・・
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観光バスも、ズラリ!
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磐梯町の積雪量は平均で60cmだそうですが、星野リゾートは標高が700mなので、2m以上積もるそうです。
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猫魔ヶ岳と雪と紅葉・・・素晴らしい眺めです。
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良い時期に来ました。
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紅葉の落ち葉と雪・・・冬の訪れを感じます。
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ホテル駐車場前の池・・・その先の会津若松の街は雲海に包まれています。
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7時からロビーでは『会津の朝市』。
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会津の特産品がズラリと並んでいます。
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朝食会場は夕食と同じく『kisse kisse』。
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お勧めは「喜多方ラーメン」と「わっぱ飯」。
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手前の「わっぱ飯」のサンプルを参考に、自分なりのわっぱ飯を盛りつけます。
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イクラが山盛りのわっぱ飯と喜多方ラーメンなど・・・朝からこんなに食べて、大丈夫ですか?
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バスが出発すると、会津の旗を振りながら、スタッフの女性がお見送り。
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ホテルからは雲が懸かってよく見えなかった磐梯山も、車窓から美しい姿が見えました。
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2日目最初の観光は、猪苗代町にある「土津(はにつ)神社」・・・2代将軍・秀忠の子で会津藩の初代藩主だった保科正之(1611~1673)を祀った神社で、1675年に創建されました。
山道を500mほど登った奥之院には保科正之公のお墓があります。 -
「土津」とは、「万物の理(神道の奥義)を究めた会津藩主」という意味だそうで、正之公は晩年に至るまで神道を尊信しました。
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大きくて白い鳥居・・・鳥居は神社の象徴で、神さまの聖域と人間世界との境界を示し、白は清廉潔白、神聖さを表しています。
この大鳥居をくぐり、清々しい気持ちで拝殿へ。 -
これは、大正4年(1915)に野口英世(1876~1928〉が撮った写真・・・現在の大鳥居と違って木造です。
猪苗代町で育った英世は、よく土津神社に参拝していました。 -
「蛙石」・・・「福がかえる」「無事かえる」といった縁起の良い語呂合わせから、訪れる人々に親しまれています。
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境内に建つ大きな石碑は「土津霊神之碑」・・・神社境内に設置された石碑としては日本最大のもので、亀石と呼ばれる台座を含めた高さは約7.6m、重さは30tもあります。
保科正之の事績を記した竿石の碑文は、1665年に保科正之の師として迎えられた儒学者の山崎闇斎(1619~1682)の撰文で、能筆家の土佐左兵衛高庸が書き記した1,943文字を刻んでいます。 -
台座の亀石は、猪苗代湖を後ろにして正行公の墓に向いています。
最初は南向きに置かれていた亀石ですが、夜に亀が猪苗代湖に這い出したため北向きにしたところ、二度と這い出すことはなかったとか。 -
手水舎には綺麗な花手水が。
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石段を上って拝殿へ。
創建当初の神社は戊辰戦争の時に焼失しましたが、明治13年(1880)に現在の社殿が再建されました。 -
雪が残る中、参拝。
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拝殿の右側には犬張子・・・犬は出産が軽く、多産で子育てが上手なことから、子宝・安産などで江戸時代から親しまれている縁起物です。
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これは「こけし絵馬」・・・顔を自由に描き入れ、子宝成就や安産成就、子供の健やかな成長などを祈願します。
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本殿。
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境内には7つの末社があり、ここから奥の院に登って行くと保科正之の墓所がありますが、時間の関係でパス。
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紅葉に囲まれた駐車場に停まっているのが、今回お世話になった西武観光のバス。
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猪苗代町から会津若松に向かう途中、大きな観音像が見えました。
これは、国道49号線沿いにある「祈りの里 会津村」に建つ「会津慈母大観音像」・・・高さが57mもあり、赤子を胸に抱いて会津の土地を見守っています。 -
福島のお土産と言えば薄皮饅頭の會津柏屋に立ち寄ります。
嘉永5年(1852)、柏屋の初代・本名善兵衛は「病に薬がいるように、健やかな者に心の和みがいる」との思いから、奥州街道・郡山宿の薄皮茶屋で餡がタップリで皮の薄い饅頭を考案したのが柏屋・薄皮饅頭の始まりです。 -
東京・塩瀬総本家の「志ほせ饅頭」、岡山・大手饅頭伊部屋の「大手まんぢゅう」と共に「日本三大まんじゅう」と言われる柏屋の薄皮饅頭・・・厳選された北海道・十勝産小豆を使った、こだわりの自家製餡から美味しい薄皮饅頭が生まれます。
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店舗の左側に祀られた菓祖神「萬寿神社」・・・萬寿は、饅頭にも通じることから命名されたもので、萬(よろず)の寿(ことぶき)の意味を持ち、縁結びの神様として親しまれている神社です。
中には饅頭の形をした「大萬寿石」が奉献されています。 -
広々とした店内・・・薄皮饅頭などのお土産を購入しました。
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昼食は「会津武家屋敷」の一角にある「九曜(くようてい)亭」で。
因みに、武家屋敷には会津藩の家老だった西郷頼母の武家屋敷がありますが、「九曜紋」は頼母の家紋でした。 -
城を思わせる造り・・・石垣の壁を見ながら2階へ。
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会津牛に天婦羅、栗ご飯など、ビールと共に美味しく頂きました。
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昼食後は会津武家屋敷へ。
江戸時代、保科正之を藩祖とする会津藩(23万石)は、東北地方における外様大名の抑えとして栄えましたが、幕末の戊辰戦争で会津城下は戦火にさらされ、多くのものを失います。
それを惜しんだ地元の有志により、会津の歴史・文化・精神を後世に伝えるために造られたのが会津武家屋敷で、昭和50年(1975)に開園しました。 -
真っ赤なドウダンツツジに囲まれた門をくぐって、最初に「旧中畑陣屋」へ。
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天保8年(1837)に西白河郡矢吹町中畑に建てられた「旧中畑陣屋」。
明治維新後に陣屋が廃止されると、同地の岡崎家に譲渡され、住居として使われていましたが、昭和49年に岡崎家から「会津武家屋敷」に譲渡されて現在地に復元移築されました。 -
旧中畑陣屋は、陣屋として現存する県内唯一の建物で、また東北に残った最後の代官所でもあります。
当時の代官は5千石の旗本・松平軍次郎で、中畑村など7カ村を支配していました。
ここは「取り次ぎ」(玄関)。 -
「茶の間」。
建物は簡素ながらも書院造りの形態をとどめ、地域農民住居の手法も残しています。 -
「石風呂」・・・昔の一般家庭で広く使われていた据え風呂です。
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「台所」。
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「奥座敷」。
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茶室「嶺南庵」・・・千利休の子・少庵が鶴ヶ城本丸に造った茶室「麟閣」を再現したものです。
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日本からの招きで、753年に来日した「鑑真」の像・・・12年間・5度の失敗を乗り越えて日本に辿り着き、律宗を広めて唐招提寺を建立しました。
この鑑真像は中国彫刻界の第一人者の作で、中国との関係が深い当館館長が日中国交正常化10周年を記念して安置したものです。 -
「西郷四郎像」・・・大技「山嵐」を生み出し、小説『姿三四郎』のモデルになった柔道家・西郷四郎(1866~1922)は会津城下で生まれ、西郷頼母の長男・吉十郎が22歳の若さで病死したため、頼母の養子となりました。
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見事な菊の花に飾られた西郷頼母の『家老屋敷(西郷頼母邸)』の「表門」・・・西郷家は会津藩の家臣のひとりで、代々家老職を務め千七百石取りの家柄でした。
表門は、上級武士のみが通ることを許された門です。 -
かつて鶴ヶ城の北追手門前にあった西郷頼母邸は戊辰戦争で焼失しましたが、当時の屋敷の鳥瞰図(俯瞰図)が発見されたので、昭和50年にここに復元・建立されました。
敷地面積:2,400坪、建築面積:280坪の屋敷で、38室の部屋に畳328枚が敷き詰められ、藩主や重職者を迎え入れる御成り御殿、家臣たちの執務や警備をする部屋群、家族が使用する部屋群、女中、使用人の部屋群に分かれています。 -
表門から「式台玄関」へ・・・家老屋敷の正面に位置する表玄関です。
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「式台玄関」は公式の出入り口として、お客様の送り迎えや、挨拶の場として使われました。
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身分の低い私達(?)は、表玄関からの入場はNG・・・小さな引き戸から中へと入って行きます。
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「女中頭部屋」と「女中部屋」・・・女中部屋には、行儀見習いの女中達 (藩士の子女) 十数名が、相部屋で寝食を共にしていました。
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「子供部屋」。
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土間・溜まり・料理の間・配膳の間で構成された「台所」・・・ここで数十人の食事を作っていました。
太い柱と天井のない吹き抜けの構造が、雪国・会津の厳しさを物語っています。 -
家長の寝室だった「奥一の間」・・・書院造りの部屋で、飾られた人形は、父の寝室で遊んでいる子供達(三女・田鶴子、四女・常盤子)を、妻の千重子が叱っている場面です。
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祖母や子供たちの部屋だった「奥二の間」・・・戦国時代の「四季山水図屏風」や江戸時代の「山水図蒔絵書棚」が置かれています。
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家老の執務室として使われた書院造りの「表居間」・・・西郷頼母は会津藩最後の藩主・松平容保(かたもり 1836~1893〉が京都守護職を任命された時、時局の大勢を予見し、『薪を負うて火を救うにひとし』と再三にわたり反対し、職を解かれました。
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家老の応接間「客体の間」。
手前にあるのは「真鍮唐草文唐金大火鉢」・・・縁周りは76cmの大火鉢で脚部に唐子が彫られ、戊辰戦争までは鶴ヶ城・日新館内で使われていました。、
頼母は時局の急迫とともに家老に復帰しますが、和議恭順を主張し、交戦派から軟弱論として激しい反発を受け、城を去ります。 -
屋敷内警備の家来達が詰めていた部屋「番所」。
明治維新後、頼母は各地の神社の神官を務め、晩年は故郷・会津若松に戻り、城に近い『十軒長屋』に住んで、そこで亡くなりました。 -
玄関番が常時2~3名詰めていた「槍の間」・・・緊急事態に備えていた部屋です。
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「使者の間」・・・城からの使者が家老と会った部屋。
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「御成の間」・・・藩主や上級武士など身分の高い方々を迎えた部屋で、書院造りの「書院壱の間」「次の間」「茶室」「鎖の間」などから構成されています。
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「容保公接見」・・・家老屋敷を訪ねた藩主・松平容保に、屋敷の主人・西郷頼母が挨拶している場面です。
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「御成の間」専用の畳敷きの「厠」・・・床下には砂を敷した箱車が木製のレールの上に置かれ、使用後はこの箱車を引き出し、健康状態を調べた後、砂ごと後始末をしましたが、砂を使用しているため、砂雪隠とも呼ばれました。
殿さまへの気配り・・・大変なものですね。 -
「茶室」・・・「御成の間」の来客をもてなした部屋。
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大釘の頭を隠すための化粧金具「釘隠し」は通常は銅製ですが、茶室だけは瀬戸物です。
理由は、湯気で銅が錆ると緑青が発生し、体の害になるからです。 -
「御成の間」から「式台玄関」に繋がる「渡り廊下」・・・広い廊下で当時の姿が浮かんでくるようです。
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「渡り廊下」から見た「中庭」。
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江戸時代、武家屋敷は回りに長屋を設け、下級の家来を住まわせて警備に当たらせました。
この長屋は、表門の片側についていることから「片長屋」と言います。 -
「駕籠部屋」・・・中の駕籠は、江戸時代末期の物で、重さは約30kg。
当時は家老といえども特別な場合以外は使用できませんでした。 -
「家臣の居宅」・・・独身で持ち家の無い家臣が住んでいました。
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清酒を絞る際に使われた道具「酒槽(さかぶね)」・・・この中にモロミの入った酒袋を沢山入れ、押し蓋で酒袋を押すと、底の樋から搾りたての清酒が流れ出て、袋の中には酒の粕だけが残る仕組みになっています。
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戊辰戦争で使用された「四斤山砲」(複製)・・・四斤とは約4kgの弾丸を発射できる口径の表示で、山砲とは山地などで使用する場合に、分解して運搬できる火砲のことです。
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「西郷頼母一族の自刃」・・・新政府軍が会津城下に迫ってきた慶応4年(1868)8月、頼母の母と妻、二人の妹、五人の娘は親戚12人と共に「敵の辱しめを受けず」の覚悟から頼母の登城後に自邸で自刃しました。
薩摩藩士・川島信行が屋敷に入った時、逆さ屏風の前で死にきれずにいた長女・細布子(16歳)から介錯を求められ、涙ながらに応じた悲劇が再現されています。
西郷頼母の妻・千恵子が自刃の時に読んだ句『なよ竹の 風にまかする身ながらも たわまぬ節は ありとこそ知れ』・・・弱いなよ竹と同じように風に吹かれてしまう身だけれど、強風にも曲げられないように、私も節義に殉じてみせる、という強い意志と覚悟が感じられる句です。 -
西郷頼母の像と西郷四郎着用の柔道着(複製)。
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会津藩家老・山川尚江の末娘・山川捨松(1860~1919)の像。
明治4年(1871)、岩倉具視を全権大使とする欧米使節団一行が横浜港を出港しましたが、その中に山川捨松(11歳)津田梅子(6歳)ら幼い5人の少女が含まれていました。
この時、捨松の母はお国のために娘を「捨てたつもりで待つ」という心を込め、幼名「咲子」を「捨松」と変えて遙か異国の地に旅立たせました。
日本初の女子留学生として11年間のアメリカ留学生活を終え帰国した後、陸軍大将・大山巌の後妻となり、留学経験を活かして鹿鳴舘などで活躍して日米親善の先駆者となった女性です。 -
家老屋敷を出た所にある鶴ヶ城展望処から望む鶴ヶ城。
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全ての観光を終え、最後に羽生PAで休憩し、帰路に着きました。
あまり行くことがない福島・会津でしたが、どの寺社も特徴があって会津武家屋敷も興味深く、美しい紅葉・黄葉と共に、雪の磐梯山・猫魔ヶ岳も印象に残る、素敵な2日間の旅でした。
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