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《2023.June》三年ぶりのTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その参~サガリバナを見る編~<br /><br />なんとなく目が覚めた。しかし身体が重い。疲れが残っているのは仕方がないが、走っているうちに回復するだろう。そう思いなおして着替えを済ませ一階へと下りていく。朝食は和定食、昨晩が洋食系だったので朝もかな?と思っていたがなんとなくホッとした。昨日は早々に寝てしまったので、ちょっと館内を散策する。2階にある洗濯機は無料で利用できるのだが、なんとここに喫煙所があった。灯台下暗し…。<br /><br />娘さんは学校だろう。朝には顔を合せなかった。天候が崩れるとの予報から伊江島に渡れなかった理由にする。次回は朝食抜きにしようと。今日の行程の概略だけを決めて荷物をまとめる。この界隈の郵便局・備瀬のフクギ並木・スタバのプリカ・シーサー・サガリバナetc。今回は個人的にお土産をリクエストされたのでそれを頭に置いておく。それ以上はなるようになる。車に荷物を積んで近くを歩くと〝今帰仁村指定文化財(記念物)仲宗根垣畑原のナハキハギ群落〟と書かれた看板を見つける。マメ科の植物らしいが群生の北限がここ今帰仁のこの辺りらしい。昨晩道なき道を走ることで精一杯だったので気にもしていなかったが、確かに可愛らしい白い花が咲いていた。<br /><br />改めて昨晩走った海沿いの道を走って行く。視界が広がるとまるでビーチを走っているような錯覚すら覚える道であった。海が荒れたらどうなるんだろう…なんて野暮なことを考えながら走っていると県道に出て一安心する。<br /><br />走ること数分で到着したのは今帰仁郵便局。旅行貯金をするためだ。ただこちらには平成26(2014)年に一度訪れた記憶がある。なにをするために訪れたのかは残念ながら覚えてはいない…。でもこの写真ガラケーものなのでまともに見ることができない。時代を感じてしまう私であった。入金を済ませ向かいのローソン今帰仁村役場前店に立ち寄って改めてモーニングドリンク(笑)。そのまま本部半島を反時計回りに回って上本部郵便局に立ち寄って、オキナワハナサキマルシェへと向かう。こんなのいつできたの?と思いつつスターバックスコーヒー沖縄本部町店に向かう。なんでも沖縄ローカルのスタバプリカがあるらしくそれを買って来いとのこと。まぁたまには良いかと思い引き受けたが、普段やらないことをすることは仕事を含めてやはり苦痛だ。その後海風(ウミカジ)マーケットに立ち寄ってシーサーを見る。なぜここで〝お土産〟なのと思われるだろうが、沖縄の地域振興クーポンは宿泊日翌日までの有効となっており、今日中に使わねばならない。加えてスーパーやコンビニ等では使えないとあり、結構不便な代物だ。ということで先に頼まれたものを探す。最強シーサーの名前に惹かれ同僚と我が家に1ペアずつ。これで使い切った(汗)。<br /><br />オキナワハナサキマルシェは階段状に造られていることから、高いところに上がれば今回断念した伊江島のシンボル城山(タッチュー)を眺めることが出来る。本部港からフェリーで30分の距離だが心理的な距離はある。数年前に美ら海水族館から眺めた城山、今回も上陸出来なかったが、三度目の正直を期待したいと思う。<br /><br />ともかく心理的ストレスになることは終わらせた。さあ出発しようかと車に乗り込みエンジンをかけると同時に土砂降りの雨が降ってきた。南国のスコールレベルのものではなくワイパーをつけても前が見えないレベルのものだった。これで車を走らせるのは危険と判断、スマホで情報検索タイムを取る。そんなことをしながら伊江島行かなくてよかったかもという気持ちが沸々とわいてきた。歩くことを前提にする伊江島巡りなので、この雨の中車に籠もっているしかないのは悲しい限りだ。<br /><br />そんな妄想をしていると雨が小降りになって来た。それを見計らって車を走らせる。先ずは本部郵便局で旅行貯金をする。そして向かった先は備瀬のヒルギ並木である。<br /><br />沖縄北部地域の有名処の観光地ではあるが、時間的なこともあり初訪問が叶った。しか~し車の外は切れ目のない雲と土砂降りの雨。暫く車の中で佇んでいたが、時間も過ぎるしどうするか?と思案した結果、ここまで来たら行ってしまえと勢いで傘を指しながら車外へと出た。それなりの長さがあり、来訪者の多さから様々な店が開いてはいるが、ほぼ開店休業状態。序を言えば歩いているのも私他数名位の様子だった。濡れる覚悟はして出たがまだ舗装路は良い。しかし多くは地道であるがために水溜りならぬ小さな池と化している。アナログカメラは勿論デジタルカメラでも雨粒が見られる状況だった。夫婦フクギ等名木もあるのだが、頭を振ることが精一杯でカメラを向ける余裕もない。そんな状況でも歩いていたが、流石に道が水没している状況を進むだけの気力はなく、途中で引き返すことにした。小一時間程度は歩いたであろう。車に戻って一息つくが靴とズボンは勿論シャツまでが湿っていた。乾かすにも冷房か暖房にするならば暖房を選ぶしかない状況下で、6月の沖縄でまさかの30℃の暖房をかける。見た目は悪いが足をハンドルに引っ掛けてちょっとでも乾くように努力する。しかし多分期待する程の効果は得られないと判断。濡れたズボンが車の運転の妨げにならない様になったところで出発することにした。こうして私の初備瀬のフクギ並木訪問は終わったのであった。<br /><br />行きに走った本部の市街地を通過して名護市に入る。国道449号線バイパスから屋部西交差点を右折したところにあるセブンイレブン名護屋部店に立ち寄って一服休憩を取る。相変わらず雨足は強いままなので、止むまでは車移動を続けようと思う。屋部郵便局に立ち寄って旅行貯金を済ませると、名護市の残りの局を回るルートを取る。一旦国道58号線迄出てから北上し、仲尾次交差点を右折ししばらく進み羽地郵便局に到着する。見た感じ旧集配局のようだが今は特定局となっているようだ。<br /><br />再び国道58号線に戻り北上し真喜屋の交差点を左折し西進する。屋我地島迄走るルートは昨日走ったルートである。名護市役所屋我地支所内にある簡易郵便局であった。ここから時間の都合で先に目的地を目指す。向かった先は国立療養所沖縄愛楽園、何の療養所かは後回しにして先に済井出簡易郵便局を探す。でもわからなかったので職員さんに訪ねて購買棟だということを知り最徐行で目的地を目指す。小さな簡易郵便局だが観光客が荷物を発送している。そのため待ち時間が少し発生したが、外部の利用者が尋ねる簡易郵便局だと言うことを知れば、業務継続のためありがたいと思う。集荷時刻と被ったので局員氏も慌てていたようだが、こういう場合は全然優先して頂いて構わない。そして私自身の要件も済ませて車に戻り、車を走らせる。入口付近に何やら顕彰碑が建立されていたので車から降りて謂れ書きを読んで見る。そしてこの沖縄愛楽園はハンセン氏病の療養所だったことを知る。言うまでもなく癩病患者を隔離していた訳だが、沖縄にもそのような施設があったことを初めて知る。勿論らい病は現在治療法が確立されており、不治の病ではない。しかし長年に渡り隔離されていたことが患者の自立を妨げ、現在でも施設暮らしを余儀なくされていることは内地の施設と同様だ。戦跡には興味を示した私ではあるが、もうひとつ日本の歴史の陰迄は考えていなかった。改めてここでも差別があったという史実を知り心を痛める。多分旅行貯金に方向を切り替えなければわからなかったことであろう。私自身の力ではどうしょうもないことではあるが、唯一沖縄にあるらい病施設のことを知って貰えればと思いここに書き記した次第である。<br /><br />16:00を過ぎ本日の旅行貯金は終了する。時間の関係で郵便局訪問を優先したので、いくつかスルーした場所を再訪する。先ずは名護市役所屋我地支所敷地内にある屋我地慰霊碑と絆の鐘だ。地区の慰霊碑は令和2(2020)年に移設されたものらしい。絆の鐘は琉球王朝時代にフランスからやって来た軍艦の乗組員の内、滞在中に病死した2名を埋葬したオランダ墓に関するもの。決して恋人の聖地ではない。その後真喜屋運動公園で一息ついた後、写真を取り忘れた羽地郵便局に向かった。<br /><br />局舎の写真を撮り直し、南部へと向かって走って行く。名護の市街地へと向かうべく国道58号線を南下するが、ここで冷や汗をかく目にあった。交差点手前のイエローゾーンで右側を走っていた車がいきなり車線変更をしてきたのだ。思わず急ブレーキとクラクションを鳴らす。沖縄運転のあるあるだが、それすらも気付いていない様子。横断歩道手前で歩行者を横断させるために停車すると追い越しをかけることが当たり前だから、未だに歩行者側が注意をしなければならないことがわかる一瞬だった。<br /><br />単独事故でもど派手にやってくれる県民性なので、改めて自衛運転を心掛けつつ名護市街へと入って行く。目指す場所は名護郵便局なのだが、バックを荷物として送るためのビニールの袋を手に入れたいためである。立ち寄った特定局でも聞いては見たが全ての局で置いていないと言われた。特定局でないのは仕方がないが、沖縄北部の中核局である名護郵便局ならばあるだろうという気持ちだったのだが、ここでもまさかのありませんとの回答。こうなると置いている局があるのだろうか?と考えてしまう。敢えて規模の大きな郵便局に立ち寄っているのにそこでないのは如何なものであろうとふと思った私であった。<br /><br />結局購入を諦めて南下を続ける。本来ならば一般道を利用するならば国道58号線を使うのであるが、ちょっと思うところがあり国道329号線を走って行く。宜野座村に入りJA系列のガソリンスタンドであるセルフ宜野座SSに立ち寄った。<br /><br />昨今ガソリン代の値上がりは深刻だ。8月ほどではないにしろ沖縄でも然りでレンタカー返車時に指定給油所とされているスタンドでは175円/Lが相場だった。最後には絶対に利用しなければならないのだが、今回私の旅路に於いては、沖縄等の北中南部をコースとして設定をしているため、手間の部分を除けば小まめな給油も可能である。そこでピックアップしたのがこのSS、観光客の方が知っていることかも知れないが沖縄イチガソリン価格が安いスタンドなのである。本日の価格151円/Lは那覇のガソリン価格より20円以上安い。ここ迄で254km走っている。結果論だが4日間で450km走った。つまり半分強走ったところでの給油はそれなりの量は給油できそうだ。17.1Lで2,567円・・・、飲み物2本分が浮いた計算になる(ニヤリ)。<br /><br />現実論の話として同一県内でもガソリン価格の地域格差があるところはなにも沖縄だけではない。和歌山県は関西の人間ならば知っている話ではある。大した距離を走らなければそれ程の差も出ないのだが、沖縄の場合以前はホワイトブランドのスタンドが格安だと言われていたことがある。那覇・浦添・豊見城ならばまず間違いない事実であった。しかしレンタカー会社が最終給油スタンドを指定するようになってからそうでもなくなった。たいていのレンタカー会社は元売り会社のスタンドを指定したために、ホワイトブランドのスタンド格安競争に入り込めなくなった。そのため仕方なしに値上げをするしかなかったというのが理由である。そんな理由から手間を嫌う観光客は普通に高い金額で給油して返車するようになった。しかし私のように手間を掛けても安く上げたい考えの持ち主ならば、宜野座迄は行かなくても良いが、レンタカー返車前日辺りに郊外のスタンドで給油することをお勧めする。因みに私の場合翌日にも八重瀬町のスタンドで給油したのだが、こちらでも156円/Lであった。ここですら約15円安い。因みに最後の給油は175円/L、この差をどう取るかは個人個人の価値判断だろう。<br /><br />だいぶガソリン価格で脱線したが無事給油を済ませ、再び走り始める。宜野座村総合運動公園でトイレ休憩と一服タイムを取る。ほぼ1時間走り続けサンエー高原店に立ち寄り、一服タイムとお土産をちょっと見るが、どうやら紅芋が不作のようでタルトがメーカーから入ってこないらしい。ないものはないで仕方がないので車に戻り、再び走り出す。西原町のローソン西原東中学校前店に立ち寄り、私の吸っているタバコを見つけ二箱購入する。そして本日最終目的地の内間御殿に辿り着く。<br /><br />内間御殿は第二尚氏王統の始祖尚円王が内間地頭に任ぜられた際の旧邸宅跡に没後建てられた神殿(東江御殿)を中心とした祭祀施設のことを言う。所謂拝所ではあるが現在そういった歴史とは関係ないことで有名になっている。サワフジ、つまりサガリバナの名所であるということだ。入ってすぐの緑地エリアに西原町の天然記念物となっているサワフジの巨木がある。樹齢400年とされる老木だ。これがお目当てだったと言っても過言ではないが、この内間御殿敷地内に照明がない。後で調べたところは懐中電灯必携と書いてあった。<br /><br />流石に真っ暗な中進むだけの根性はなかった。そのため入口付近にある鳥居界隈のサワフジをターゲットとする。ただその辺りは住宅地であるがために、どうしても人工物が写り込んでしまう。そのためサワフジの記録写真にしかならないことは仕方がない。しかしアナログカメラでは光が当たらない・発光しないものは写すことができない。そう理由をこじつけて内間御殿のサワフジを撮影出来なかったことにする私であった。<br /><br />20分程滞在してサワフジをカメラに収めて出発する。国道329・331号線を走ること30分。海を渡る小さな橋を渡るとやはり小さな島に辿り着く。南城市の奥武島である。天ぷらで有名な小さな島だが、私にとっては来沖時に必ず宿泊する場所でもある。入島後は反時計回りに島の外周を暫く走ると見慣れた一軒のお宅が見えてくる。ゲストハウスりゅうかく。こちらに初めてお世話になったのは、戦後70年沖縄戦全戦没者追悼式に参列した際なので平成27(2015)年のことになる。お茶目なおばぁとファンキーなおじぃ、そして看板犬銀の虜になったのがきっかけだ。その後お銀は内地の若いお姉さんを追っかけて家出をしてしまった。そのお銀の座をミドリガメにしたおばぁ。毎年何かネタを提供してくれるご夫婦だが、予想だにしなかった3年間のブランクで何が待っているのが楽しみにしながらやって来た。取り敢えずピンポーンで到着を告げる。2階でチェックイン手続きをするところまではいつも通り。最近人気宿になりつつあるので、今回は同宿者がいるようだがまだ帰って来ていないらしい。お二人と話しているとなにやら小さな缶缶を手にしている。実は灰皿がこれに変わったとのこと。前の火鉢は~と聞いたらオタマジャクシの家に変わったそうだ。最近敷地内の禁煙を全面に出す宿も増えて来た。そんなご時世故に灰皿を撤去したと言われても仕方がないのだが、年に一泊のお客に対してちゃんと考えて貰えるところが嬉しい。いつもならば1年間の話だが、今回は3年分の積もり積もった話をしていると時間等あっと言う間に過ぎてしまう。<br /><br />そんな宿で今回は202号室ツインルームを使わせて頂く。こちらを利用するのは2回目となるが、勝手が分かっているだけに寛ぐことができる。翌日6月23日は沖縄慰霊の日であるため、昼頃の平和祈念公園訪問と午後からヌヌマチガマ入洞は決まっている。その繋ぎの時間をどうするかである。旅行貯金とお土産の購入というざっくりした予定だが、今年に限っては足の向くまま気の向くままで行動しているので詰める必要もない。朝ご飯の時間を8:00と決めただけで終わりにする。天気とか時間とかは当日決めれば良いと考えて寝ることにした。そうして旅2日目の夜が過ぎて行ったzzz。<br /><br />   《続く》

《2023.June》三年ぶりのTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その参~サガリバナを見る編~

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《2023.June》三年ぶりのTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅その参~サガリバナを見る編~

なんとなく目が覚めた。しかし身体が重い。疲れが残っているのは仕方がないが、走っているうちに回復するだろう。そう思いなおして着替えを済ませ一階へと下りていく。朝食は和定食、昨晩が洋食系だったので朝もかな?と思っていたがなんとなくホッとした。昨日は早々に寝てしまったので、ちょっと館内を散策する。2階にある洗濯機は無料で利用できるのだが、なんとここに喫煙所があった。灯台下暗し…。

娘さんは学校だろう。朝には顔を合せなかった。天候が崩れるとの予報から伊江島に渡れなかった理由にする。次回は朝食抜きにしようと。今日の行程の概略だけを決めて荷物をまとめる。この界隈の郵便局・備瀬のフクギ並木・スタバのプリカ・シーサー・サガリバナetc。今回は個人的にお土産をリクエストされたのでそれを頭に置いておく。それ以上はなるようになる。車に荷物を積んで近くを歩くと〝今帰仁村指定文化財(記念物)仲宗根垣畑原のナハキハギ群落〟と書かれた看板を見つける。マメ科の植物らしいが群生の北限がここ今帰仁のこの辺りらしい。昨晩道なき道を走ることで精一杯だったので気にもしていなかったが、確かに可愛らしい白い花が咲いていた。

改めて昨晩走った海沿いの道を走って行く。視界が広がるとまるでビーチを走っているような錯覚すら覚える道であった。海が荒れたらどうなるんだろう…なんて野暮なことを考えながら走っていると県道に出て一安心する。

走ること数分で到着したのは今帰仁郵便局。旅行貯金をするためだ。ただこちらには平成26(2014)年に一度訪れた記憶がある。なにをするために訪れたのかは残念ながら覚えてはいない…。でもこの写真ガラケーものなのでまともに見ることができない。時代を感じてしまう私であった。入金を済ませ向かいのローソン今帰仁村役場前店に立ち寄って改めてモーニングドリンク(笑)。そのまま本部半島を反時計回りに回って上本部郵便局に立ち寄って、オキナワハナサキマルシェへと向かう。こんなのいつできたの?と思いつつスターバックスコーヒー沖縄本部町店に向かう。なんでも沖縄ローカルのスタバプリカがあるらしくそれを買って来いとのこと。まぁたまには良いかと思い引き受けたが、普段やらないことをすることは仕事を含めてやはり苦痛だ。その後海風(ウミカジ)マーケットに立ち寄ってシーサーを見る。なぜここで〝お土産〟なのと思われるだろうが、沖縄の地域振興クーポンは宿泊日翌日までの有効となっており、今日中に使わねばならない。加えてスーパーやコンビニ等では使えないとあり、結構不便な代物だ。ということで先に頼まれたものを探す。最強シーサーの名前に惹かれ同僚と我が家に1ペアずつ。これで使い切った(汗)。

オキナワハナサキマルシェは階段状に造られていることから、高いところに上がれば今回断念した伊江島のシンボル城山(タッチュー)を眺めることが出来る。本部港からフェリーで30分の距離だが心理的な距離はある。数年前に美ら海水族館から眺めた城山、今回も上陸出来なかったが、三度目の正直を期待したいと思う。

ともかく心理的ストレスになることは終わらせた。さあ出発しようかと車に乗り込みエンジンをかけると同時に土砂降りの雨が降ってきた。南国のスコールレベルのものではなくワイパーをつけても前が見えないレベルのものだった。これで車を走らせるのは危険と判断、スマホで情報検索タイムを取る。そんなことをしながら伊江島行かなくてよかったかもという気持ちが沸々とわいてきた。歩くことを前提にする伊江島巡りなので、この雨の中車に籠もっているしかないのは悲しい限りだ。

そんな妄想をしていると雨が小降りになって来た。それを見計らって車を走らせる。先ずは本部郵便局で旅行貯金をする。そして向かった先は備瀬のヒルギ並木である。

沖縄北部地域の有名処の観光地ではあるが、時間的なこともあり初訪問が叶った。しか~し車の外は切れ目のない雲と土砂降りの雨。暫く車の中で佇んでいたが、時間も過ぎるしどうするか?と思案した結果、ここまで来たら行ってしまえと勢いで傘を指しながら車外へと出た。それなりの長さがあり、来訪者の多さから様々な店が開いてはいるが、ほぼ開店休業状態。序を言えば歩いているのも私他数名位の様子だった。濡れる覚悟はして出たがまだ舗装路は良い。しかし多くは地道であるがために水溜りならぬ小さな池と化している。アナログカメラは勿論デジタルカメラでも雨粒が見られる状況だった。夫婦フクギ等名木もあるのだが、頭を振ることが精一杯でカメラを向ける余裕もない。そんな状況でも歩いていたが、流石に道が水没している状況を進むだけの気力はなく、途中で引き返すことにした。小一時間程度は歩いたであろう。車に戻って一息つくが靴とズボンは勿論シャツまでが湿っていた。乾かすにも冷房か暖房にするならば暖房を選ぶしかない状況下で、6月の沖縄でまさかの30℃の暖房をかける。見た目は悪いが足をハンドルに引っ掛けてちょっとでも乾くように努力する。しかし多分期待する程の効果は得られないと判断。濡れたズボンが車の運転の妨げにならない様になったところで出発することにした。こうして私の初備瀬のフクギ並木訪問は終わったのであった。

行きに走った本部の市街地を通過して名護市に入る。国道449号線バイパスから屋部西交差点を右折したところにあるセブンイレブン名護屋部店に立ち寄って一服休憩を取る。相変わらず雨足は強いままなので、止むまでは車移動を続けようと思う。屋部郵便局に立ち寄って旅行貯金を済ませると、名護市の残りの局を回るルートを取る。一旦国道58号線迄出てから北上し、仲尾次交差点を右折ししばらく進み羽地郵便局に到着する。見た感じ旧集配局のようだが今は特定局となっているようだ。

再び国道58号線に戻り北上し真喜屋の交差点を左折し西進する。屋我地島迄走るルートは昨日走ったルートである。名護市役所屋我地支所内にある簡易郵便局であった。ここから時間の都合で先に目的地を目指す。向かった先は国立療養所沖縄愛楽園、何の療養所かは後回しにして先に済井出簡易郵便局を探す。でもわからなかったので職員さんに訪ねて購買棟だということを知り最徐行で目的地を目指す。小さな簡易郵便局だが観光客が荷物を発送している。そのため待ち時間が少し発生したが、外部の利用者が尋ねる簡易郵便局だと言うことを知れば、業務継続のためありがたいと思う。集荷時刻と被ったので局員氏も慌てていたようだが、こういう場合は全然優先して頂いて構わない。そして私自身の要件も済ませて車に戻り、車を走らせる。入口付近に何やら顕彰碑が建立されていたので車から降りて謂れ書きを読んで見る。そしてこの沖縄愛楽園はハンセン氏病の療養所だったことを知る。言うまでもなく癩病患者を隔離していた訳だが、沖縄にもそのような施設があったことを初めて知る。勿論らい病は現在治療法が確立されており、不治の病ではない。しかし長年に渡り隔離されていたことが患者の自立を妨げ、現在でも施設暮らしを余儀なくされていることは内地の施設と同様だ。戦跡には興味を示した私ではあるが、もうひとつ日本の歴史の陰迄は考えていなかった。改めてここでも差別があったという史実を知り心を痛める。多分旅行貯金に方向を切り替えなければわからなかったことであろう。私自身の力ではどうしょうもないことではあるが、唯一沖縄にあるらい病施設のことを知って貰えればと思いここに書き記した次第である。

16:00を過ぎ本日の旅行貯金は終了する。時間の関係で郵便局訪問を優先したので、いくつかスルーした場所を再訪する。先ずは名護市役所屋我地支所敷地内にある屋我地慰霊碑と絆の鐘だ。地区の慰霊碑は令和2(2020)年に移設されたものらしい。絆の鐘は琉球王朝時代にフランスからやって来た軍艦の乗組員の内、滞在中に病死した2名を埋葬したオランダ墓に関するもの。決して恋人の聖地ではない。その後真喜屋運動公園で一息ついた後、写真を取り忘れた羽地郵便局に向かった。

局舎の写真を撮り直し、南部へと向かって走って行く。名護の市街地へと向かうべく国道58号線を南下するが、ここで冷や汗をかく目にあった。交差点手前のイエローゾーンで右側を走っていた車がいきなり車線変更をしてきたのだ。思わず急ブレーキとクラクションを鳴らす。沖縄運転のあるあるだが、それすらも気付いていない様子。横断歩道手前で歩行者を横断させるために停車すると追い越しをかけることが当たり前だから、未だに歩行者側が注意をしなければならないことがわかる一瞬だった。

単独事故でもど派手にやってくれる県民性なので、改めて自衛運転を心掛けつつ名護市街へと入って行く。目指す場所は名護郵便局なのだが、バックを荷物として送るためのビニールの袋を手に入れたいためである。立ち寄った特定局でも聞いては見たが全ての局で置いていないと言われた。特定局でないのは仕方がないが、沖縄北部の中核局である名護郵便局ならばあるだろうという気持ちだったのだが、ここでもまさかのありませんとの回答。こうなると置いている局があるのだろうか?と考えてしまう。敢えて規模の大きな郵便局に立ち寄っているのにそこでないのは如何なものであろうとふと思った私であった。

結局購入を諦めて南下を続ける。本来ならば一般道を利用するならば国道58号線を使うのであるが、ちょっと思うところがあり国道329号線を走って行く。宜野座村に入りJA系列のガソリンスタンドであるセルフ宜野座SSに立ち寄った。

昨今ガソリン代の値上がりは深刻だ。8月ほどではないにしろ沖縄でも然りでレンタカー返車時に指定給油所とされているスタンドでは175円/Lが相場だった。最後には絶対に利用しなければならないのだが、今回私の旅路に於いては、沖縄等の北中南部をコースとして設定をしているため、手間の部分を除けば小まめな給油も可能である。そこでピックアップしたのがこのSS、観光客の方が知っていることかも知れないが沖縄イチガソリン価格が安いスタンドなのである。本日の価格151円/Lは那覇のガソリン価格より20円以上安い。ここ迄で254km走っている。結果論だが4日間で450km走った。つまり半分強走ったところでの給油はそれなりの量は給油できそうだ。17.1Lで2,567円・・・、飲み物2本分が浮いた計算になる(ニヤリ)。

現実論の話として同一県内でもガソリン価格の地域格差があるところはなにも沖縄だけではない。和歌山県は関西の人間ならば知っている話ではある。大した距離を走らなければそれ程の差も出ないのだが、沖縄の場合以前はホワイトブランドのスタンドが格安だと言われていたことがある。那覇・浦添・豊見城ならばまず間違いない事実であった。しかしレンタカー会社が最終給油スタンドを指定するようになってからそうでもなくなった。たいていのレンタカー会社は元売り会社のスタンドを指定したために、ホワイトブランドのスタンド格安競争に入り込めなくなった。そのため仕方なしに値上げをするしかなかったというのが理由である。そんな理由から手間を嫌う観光客は普通に高い金額で給油して返車するようになった。しかし私のように手間を掛けても安く上げたい考えの持ち主ならば、宜野座迄は行かなくても良いが、レンタカー返車前日辺りに郊外のスタンドで給油することをお勧めする。因みに私の場合翌日にも八重瀬町のスタンドで給油したのだが、こちらでも156円/Lであった。ここですら約15円安い。因みに最後の給油は175円/L、この差をどう取るかは個人個人の価値判断だろう。

だいぶガソリン価格で脱線したが無事給油を済ませ、再び走り始める。宜野座村総合運動公園でトイレ休憩と一服タイムを取る。ほぼ1時間走り続けサンエー高原店に立ち寄り、一服タイムとお土産をちょっと見るが、どうやら紅芋が不作のようでタルトがメーカーから入ってこないらしい。ないものはないで仕方がないので車に戻り、再び走り出す。西原町のローソン西原東中学校前店に立ち寄り、私の吸っているタバコを見つけ二箱購入する。そして本日最終目的地の内間御殿に辿り着く。

内間御殿は第二尚氏王統の始祖尚円王が内間地頭に任ぜられた際の旧邸宅跡に没後建てられた神殿(東江御殿)を中心とした祭祀施設のことを言う。所謂拝所ではあるが現在そういった歴史とは関係ないことで有名になっている。サワフジ、つまりサガリバナの名所であるということだ。入ってすぐの緑地エリアに西原町の天然記念物となっているサワフジの巨木がある。樹齢400年とされる老木だ。これがお目当てだったと言っても過言ではないが、この内間御殿敷地内に照明がない。後で調べたところは懐中電灯必携と書いてあった。

流石に真っ暗な中進むだけの根性はなかった。そのため入口付近にある鳥居界隈のサワフジをターゲットとする。ただその辺りは住宅地であるがために、どうしても人工物が写り込んでしまう。そのためサワフジの記録写真にしかならないことは仕方がない。しかしアナログカメラでは光が当たらない・発光しないものは写すことができない。そう理由をこじつけて内間御殿のサワフジを撮影出来なかったことにする私であった。

20分程滞在してサワフジをカメラに収めて出発する。国道329・331号線を走ること30分。海を渡る小さな橋を渡るとやはり小さな島に辿り着く。南城市の奥武島である。天ぷらで有名な小さな島だが、私にとっては来沖時に必ず宿泊する場所でもある。入島後は反時計回りに島の外周を暫く走ると見慣れた一軒のお宅が見えてくる。ゲストハウスりゅうかく。こちらに初めてお世話になったのは、戦後70年沖縄戦全戦没者追悼式に参列した際なので平成27(2015)年のことになる。お茶目なおばぁとファンキーなおじぃ、そして看板犬銀の虜になったのがきっかけだ。その後お銀は内地の若いお姉さんを追っかけて家出をしてしまった。そのお銀の座をミドリガメにしたおばぁ。毎年何かネタを提供してくれるご夫婦だが、予想だにしなかった3年間のブランクで何が待っているのが楽しみにしながらやって来た。取り敢えずピンポーンで到着を告げる。2階でチェックイン手続きをするところまではいつも通り。最近人気宿になりつつあるので、今回は同宿者がいるようだがまだ帰って来ていないらしい。お二人と話しているとなにやら小さな缶缶を手にしている。実は灰皿がこれに変わったとのこと。前の火鉢は~と聞いたらオタマジャクシの家に変わったそうだ。最近敷地内の禁煙を全面に出す宿も増えて来た。そんなご時世故に灰皿を撤去したと言われても仕方がないのだが、年に一泊のお客に対してちゃんと考えて貰えるところが嬉しい。いつもならば1年間の話だが、今回は3年分の積もり積もった話をしていると時間等あっと言う間に過ぎてしまう。

そんな宿で今回は202号室ツインルームを使わせて頂く。こちらを利用するのは2回目となるが、勝手が分かっているだけに寛ぐことができる。翌日6月23日は沖縄慰霊の日であるため、昼頃の平和祈念公園訪問と午後からヌヌマチガマ入洞は決まっている。その繋ぎの時間をどうするかである。旅行貯金とお土産の購入というざっくりした予定だが、今年に限っては足の向くまま気の向くままで行動しているので詰める必要もない。朝ご飯の時間を8:00と決めただけで終わりにする。天気とか時間とかは当日決めれば良いと考えて寝ることにした。そうして旅2日目の夜が過ぎて行ったzzz。

   《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JALグループ ANAグループ JRローカル 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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