2020/01/16 - 2020/01/16
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旅人のくまさんさん
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2020新年の大須巡りの紹介です。大須通は、名古屋市の中区から中村区南部を経て中川区に至る東西の通りです。『大須通(おおすどおり)』の名は、1984年(昭和59年)に名古屋市が市内の道路の愛称を公募した際、その一つとして制定されました。
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『富士浅間神社』の鳥居の光景です。『愛知縣神社名鑑』における紹介文です。『古くは富士権現又浅間宮と称し明応四年(1495)六月一日、後土御門天皇の勅を奉じて駿河本宮富士浅間神社の神主小林修理が勧請し、日置荘浪越山、今の社地に鎮座する。尾張国守護斯波治部大輔善廉の一族、前津小林城主牧下野守義長の息若狭守与三左ヱ門尉源長清尊信深く大永六年(1526)本殿再建』
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富士浅間神社の『神馬(しんめ)』の光景です。1467年に『応仁の乱』が始まり、1477年に一応終結はしたものの、室町幕府は弱体化し、朝廷はすでに権力を失っていました。各地で土地の奪い合いから戦が起きていた下克上の時代の始まりです。後土御門(ごつちみかど)天皇は1464年に即位して、1500年に58歳で崩御しました。富士浅間神社勧請の勅が出された1495年は、晩年でした。
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『富士浅間神社』のタイトルがあった、名古屋市教育委員会名の説明立札の光景です。明応4年(1495年)、『後土御門院』の勅命により、駿河の浅間神社より分霊を勧請して奉祀したと説明されていました。『応仁の乱(1467~1478年)』は、約11年間に亘った内乱です。京の寺社や屋敷などが焼かれたため、後土御門天皇は、約10年間、足利義政の室町第(花の御所)で避難生活を送りました。
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イチオシ
『富士浅間神社』の境内で花開いた桜の光景です。八重咲らしい薄赤色の花でした。後土御門天皇が即位してほどない1467年に『応仁の乱』が始まり、1493年には『明応(めいおう)の政変』が起きました。細川氏によるクーデターです。天皇は、幾度も譲位をしようとしましたが、認めてもらえませんでした。その後も幾度も譲位しようとしましたが、結局、最後まで出来ませんでした。
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境内の外から眺めた、『富士浅間神社』の境内光景です。『明応の政変』は、室町時代後期の明応2年(1493年)、室町幕府の管領の細川政元が、将軍足利義材(よしき)を廃位し、義材の叔父の子である足利義遐(よしとお)を擁立した政変です。この事件を下剋上の時代とも言われる、『戦国時代の始まり』とする説があります。時代を少し遡って、その説明をします。
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『富士浅間神社』の文字が刻まれた石標の光景です。足利義材は父の義視と共に上洛して10代将軍に推挙されますが、伯父の前将軍足利義政や管領細川政元などは、堀越公方・足利政知の子で天龍寺香厳院主となっていた義尚と義材の従兄清晃(足利義澄)を推しました。しかし、日野富子が甥(妹の子)である義材を後援し、翌延徳2年(1490年)正月に義政が死去すると、義視の出家などを条件として、義材の10代将軍就任が決定しました。富子は義政の御台所、義尚の生母で、将軍家に嫁いで40年近くになり権力を手中にしていました。
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正面から眺めた、『富士浅間神社』の拝殿光景です。義材の10代将軍就任決定に反対した細川政元や伊勢貞宗らは、足利義視父子と対立し、延徳2年(1490年)4月27日に貞宗は政所頭人を辞任しました。貞宗は、前将軍の義尚の側近として尽くし、日野富子の信任が厚かった人です。奇しくも同じ日、富子が将軍後継から外した清晃のために、義尚の住んでいた小川御所を譲渡することを決めました。
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『富士浅間神社』の手水舎の光景です。拝殿に向かって、右手前にありました。将軍の象徴である邸宅を清晃が継ぐことを知った義視は、義材を軽視するものと激怒して、翌5月に富子に無断で小川御所を破却し、その所領を差し押さえました。富子はこれを義視の約束違反と反発し、義材との距離を置くようになり、生涯その関係は改善されませんでした。
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『富士浅間神社』の境内に立つ、名古屋市の保存樹の公孫樹の光景です。明応2年(1493年)4月22日夜、細川政元はついに挙兵、クーデターを決行しました。清晃をすぐ遊初軒に迎え入れて保護し、義材の関係者邸宅へと兵を向けました。その兵によって、23日には義材の関係者邸宅のみならず、義材の弟や妹の入寺する三宝院・曇花院・慈照寺などが襲撃・破壊されました。更に当時の記録によれば、富子が先代(義政)御台所の立場から直接指揮を執って、政元に京を制圧させたと記録されています。 このような時代、なぜこの場所に後土御門天皇が浅間神社を勧請したのか、謎解きに挑む人もいます。
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『清寿院柳下水』の井戸と、その脇の名古屋市教育委員会名の説明立札の光景です。細川政元は幕府権力を牛耳ることに成功しました。しかし、細川家内部の権力争いに巻き込まれて、政元も暗殺されました。幕府の執権を巡る権力闘争は混迷の度合いを増していきました。以上、ウィキペディアなどを参照しました。
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イチオシ
『清寿院柳下水』の井戸の石枠のズームアップ光景です。かつての清寿院境内にあった尾張三名水の一つ、『清寿院柳下水』です。他の二つは蒲焼町の『扇湯の井戸』と『清水の亀尾水』です。『柳下水』は、江戸幕府将軍に提供されるなどした名水と伝わります。
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『清寿院(せいじゅいん)柳下水(りゅうかすい)』の説明立札の光景です。『清寿院』は、『修験道当山派・富士山観音寺』と呼ばれましたが、寛文7年(1667年)、藩命により『清寿院』と改め、明治の廃仏棄釈で廃寺になったと紹介されていました。『柳下水』は、清寿院の中門前にあり、供水として用いられ、将軍上洛の折には、飲み水として用いられたと紹介されていました。
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少し場所を代わって、『重軽地蔵尊』の小さな社の光景です。菊の花が手向けてありました。お地蔵さまを持ち上げた時、軽ければ願い事が叶うといわれ、重ければまだその時期ではないといわれます。そのお地蔵さんが『重軽地蔵尊』と呼ばれて、全国各地にあります。
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『重軽(おもかる)地蔵』のタイトルがあった説明パネルの光景です。その作法が、『まず最初にお地蔵さまを持ち上げ、次に願い事を祈念して、もう一度お地蔵さまを持ち上げる』と説明してありました。願い事を祈念した後で持ち上げた時、前より軽ければ願い事が叶うと説明してありました。
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『御深井観音(おふけかんのん)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。尾張徳川家の初代藩主の徳川義直公(1601~1650年)の正室、『春姫』の守護神と紹介されていました。
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『御深井観音』の立像の光景です。信仰した『春姫』の父は、紀州藩初代藩主の浅野幸長、母は正室の池田恒興の娘とされます。 春姫こと『高原院(こうげんいん:1603~1637年)は、義直公との間に子供が生まれないまま、寛永14年(1637年)に35歳で死去し、萬松寺に葬られました。
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『仏足石』を祀った、小さな社の光景です。屋根の下の一段高くなった石に『仏足石』が刻まれていました。古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられています。、仏足石は釈迦のものとは限らず、シバ神の足跡も信仰の対象とされています。
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『仏足石(ぶっそくせき)』のタイトルがあった説明立札の光景です。万松寺の仏足石は、名古屋城築城に携わった加藤清正公が、自ら受け持った天守台の石材として集めた中から見つけ出したものと紹介されていました。
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『織田信秀公廟所』の文字が刻まれた石碑の光景です。『織田信秀公(1511~1552年)』は、尾張国南西部海東郡・中島郡に跨る勝幡城(愛知県愛西市・稲沢市)を支配する勝幡城主で、清洲三奉行の一人の織田信定の長男として生まれました。信定は、尾張の守護代織田氏の一族で、尾張下四郡を支配する守護代『織田大和守家』(清洲織田氏)に仕える庶流として、主家の重臣の清洲三奉行の一家で弾正忠を称した家を継いでいました。信秀は、父・信定の生前の大永6年4月(1526年)から7年(1527年)6月の間に家督を譲られ、当主となりました。次々と勢力を伸ばし、信長の飛躍の基盤を作りました。苦戦や敗戦にめげない精神は、信長の第一次信長包囲網の元亀年間の最大の苦闘やその後の包囲網、苦戦に負けなかった強靭な人格に継承されたと評価されています。
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大須商店街のアーケード街の光景です。本通りではなく、枝道になります。名古屋市の代表的な繁華街・商店街の一つです。以前は秋葉原、日本橋とともに日本三大電気街として知られていましたが、一時期は少し寂れました。しかし、現在は国内の老若男女様々な人々や、外国人も多く集まる活気ある商店街として再生しました。
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大須の『亀岳林万松寺』にある織田信秀公の墓所の光景です。墓碑は、この写真の右奥にあります。以前は、地下道のような場所を潜った先にありました。信秀の葬儀の際に、信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、大須に移る前の萬松寺が舞台とされます。
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『十一面観世音菩薩』のタイトルがあった説明看板の光景です。一般的な『十一面観世音菩薩』は立像が多いことに対し、万松寺の観音像は、座像であることが紹介されていました。『十一面観世音菩薩』は、萬松寺の御本尊です。
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『亀岳林』の文字が記された、まだ新しい扁額の光景です。萬松寺の山号とされます。天文9年(1540年)、織田信秀により織田氏の菩提寺として那古野城の南側に建立されました。開山には、信秀の叔父にあたる雲興寺八世・大雲永瑞和尚を迎えました。
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黒塗りの壁に並べられた織田家の家紋が記された幟の光景です。織田家を代表する家紋は、『木瓜(織田木瓜)』です。この家紋は、元々は尾張守護の斯波氏より拝領したものとされます。
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『亀岳林万松寺』の白い龍の光景です。『白龍』と呼ばれているようです。帝国になると、『再生』をテーマにした上演が行われるようです。まだ目にしたことはありません。龍をライトアップしたり、龍の口から水をはく等、光と水のショーがあるようです。
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『白龍』の上演時間です。上演の最後に、白龍が手にした『玉珠』に、吉凶占いが現れると紹介されてました。11時に開始され、2時間おきで、最後が20時開始の上演スケジュールでした。
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つい最近までは、戦後のイメージをそのまま残したようは『万松寺』のt座て物でしたが、近代ビルに生まれ変わりました。その受付前の光景です。あまりに近代化されて、昔が懐かしい思いもあります。左端に『身代不動明王』と『白雪稲荷』の参拝場所の表示がありました。
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『万松寺』の山号『亀岳林』の文字が記された扁額の光景です。落款は『万松元裕書』と記されていました。万松寺の現在の住職です。1945年(昭和20年)3月12日の名古屋大空襲で大須も焦土と化し、本堂が再建されたのは平成に入ってからです。大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有しています。2016年(平成28年)、曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院となりました。
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左端付近に記された文字は、『厄難身代わり・商売繁盛』、『亀岳林万松寺』、『織田信秀公廟所』の文字でした。右手に見える赤い鳥居の列は、『白雪稲荷』のものです。
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手水舎の背後の光景です。合計6本の牙を持つ白い像の鼻先から、水が流れ出していました。手水舎ですが、水質検査が済んでいないようですから、水は口に含まない方がいいようです。その説明立札がありました。
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